先に、「人はなぜ働くのか?」と「本能の壊れた動物」との関係がわからない、
という質問をくれた方が、それに続けて次のように書いていらっしゃいました。
「働くということは人間が失ったどの本能を補うための文化としてうまれたのだろうか。
“ダイエット”を例として挙げると、この行為は人間が生きるための手段として身につけた
食欲という本能を故意に抑制しており、これは本能の崩壊にあたるため、
働いて腹をすかせるという文化からダイエットによって失われた本能を回復する、
といった流れなのだろうか。
もっと深い話なのは分かっているがリアリティに欠けるため、
先生の考えをぜひご教授いただきたい。」
質問者の方は「ダイエット」という現象(文化)を間にはさむことによって、
「人はなぜ働くのか?」と「本能の壊れた動物」との関係を理解しようとされていますが、
その2つの関係を考えるのに、「ダイエット」を持ち出す必要はないと私は思います。
「ダイエット」というのは本当にごくごく新しい文化なので、
「働く」という古くからある文化の起源とは無関係だと言えるでしょう。
「人はなぜ働くのか?」と「本能の壊れた動物」との関係については
すでに書いたのでもう再論はしませんが、
「ダイエット」に絡めて、人間の壊れた生存本能について少し補足しましょう。
前回の記事で、動物の生存本能として、
「お腹が空く(=何かを食べたい)」→「食べ物を取って食べる」
という本能があるという話をしました。
実は動物の本能として考えた場合、もう少し続きがあります。
「食べ物を取って食べる」→「お腹いっぱいになったら食べるのをやめる」
ここまでひと続きのセットとなって正しい本能的行動の完結となります。
お腹いっぱいになってるのにいつまでもいつまでも食べ続けたりしたら、
胃が破裂して死んでしまいますね。
そこまで行かなくとも、栄養過多で大きくなりすぎ運動能力が低下して、
狩りの成功率が下がり、したがって生存確率も下がってしまうかもしれません。
成長と(捕食)活動に必要な分の栄養を摂ったら、
そこで摂食をやめるのが本能的行動としては正しいのです。
実際、動物たちはいったんお腹いっぱいになったら食べるのをやめますし、
狩りをする(食べ物を取る)のもやめます。
ライオンは狩りをして獲物を食べますが、お腹いっぱいになったら、
ガゼルが目の前をウロウロ歩いていても狩りはしません。
次にお腹が空いたときにガゼルがいるとは限らないし、
狩りが成功するとも限らないので、
今そこにいるうちに狩りをしておけばいいのにと人間なら思ってしまいますが、
食欲という名の生存本能に従っているライオンはそんなことはしないのです。
それに対して人間の食欲にまつわる生存本能は壊れてしまっています。
出発点の「お腹が空く(=何かを食べたい)」という身体的欲求だけは、
すべての人間にきちんと本能として備わっているわけですが、
そこから後の部分が全然壊れてしまっています。
他の生理的欲求と比べてみても、人間の食欲の壊れ方は尋常ではありません。
呼吸欲求や排泄欲求は、ほんのしばらくの間であれば我慢することができますが、
けっして長続きはしません。
呼吸を止めていられるのはほんの数分単位のことですし、
排泄欲求のほうもせいぜい数時間くらいのものです。
どんなに頑張って我慢していても限界が来ればけっきょく息をしてしまいますし、
排泄(お漏らし)もしてしまいます。
これに対して食欲のほうは、相当我慢することができます。
もちろん自然界において食べ物が手に入れられなくて、
食欲を我慢しなければならないという状況は人間に限らずどんな動物にもあることですが、
人間は文化としてわざと(食べ物を入手できるにもかかわらず)食べない、
ということができます。
例えば
「断食」は、儀式のひとつとしていろいろな宗教で取り入れられています。
その究極の姿として、仏教における
「即身仏」があります。
これはミイラ化する(つまり、死ぬ)まで断食を続け生きたまま仏になるという荒行です。
人間の場合は、「お腹が空く」という身体的本能と、
「食べ物を取って食べる」という能力・活動的本能が結びついておらず、
そこをわざと断ち切るような、生存本能に反した文化を作り上げることもできるのです。
ここまで行かなくとも、人間はいろいろな形で「食べるのを控える」ことができます。
自分の好きなもの、美味しいものしか食べないという偏食もその1つでしょう。
『美味しんぼ』の
海原雄山のように、
出された食事が気に入らなくてちゃぶ台ごと引っくり返すのも、
本能が壊れた人間ならではの行動と言えるでしょう。
質問者が例に出してくれた「ダイエット」も同様に、
人間の食本能が壊れているがゆえの新しい文化です。
ただし、ダイエットのことを語る場合には、
その一歩手前の段階についても押さえておく必要があります。
すなわち、「食べる」→「お腹いっぱいになったら食べるのをやめる」という部分に関して、
そのような本能も壊れてしまっているがゆえに、
暴飲暴食とか食べ過ぎといった行動が引き起こされるわけですが、
暴飲暴食が可能となるには、それだけ潤沢に食べ物がある、
いつでも手に入るという状況が作り出されている必要があります。
王侯貴族は別として、一般庶民にはそんな贅沢は許されていませんでした。
大量の食べ物を生産できるようになってからも、
その大半は税(年貢)として簒奪されていたからです。
現代ではスリムな体型が好まれているようですが、
理想の体型とか美というのも文化にほかならないので、
歴史のなかで、どんな体型が美しく理想とされるのかは、
その時代時代の考え方でどんどん変わってきました(
こちら参照)。
人々が十分に食べられなかった時代には、
ふくよかで豊満な体型が理想とされていたようです。
おそらくそれは富の象徴でもあったのでしょう。
身分制が撤廃された近代以降、少しずつ庶民の暮らしも上向いて、
日々の食生活には困らない、むしろ十分に食べ物が手に入れられるようになって、
暴飲暴食とか食べ過ぎといった本能の壊れた行動が普及していったのだと思います。
それ以前は、食べ物が足りない→痩せ細る→飢え死にするかもしれない、
というのが生存への一番の脅威だったわけですから、
その脅威から解放されたら、食べられるうちにできるだけ食べておこう、
お腹いっぱいになってもさらに食べてやろうと思うのは、
本能からは逸脱していますが、人間の脳がそう考えたくなるのはわからないではありません。
しかし、度を超してしまえば、
食べ過ぎによる肥満もまた生存や健康によくないということがわかってきました。
そうなって初めて「ダイエット」という新しい文化が生み出されました。
ウィキペディアによると、それはだいたい19世紀くらいのことだそうです。
現代の「ダイエット」は、19世紀に提唱されはじめたダイエットとも意味を変えています。
これ以上詳しく語るのは私の専門外となりますので、最後に、
本能が壊れたところから現代に至るまでの大雑把な流れをまとめて終わりにしましょう。
1.「食べ物を取って食べる」という本能が壊れているために
人間は「食べ物を生産する(働く)」という文化を生み出した
2.農耕・牧畜という文化によって食べ物の余剰が大量に蓄積された
3.貨幣制度という文化によっていつでもお店で、
働いて得たおカネと食べ物を交換できるようになった
4.近代民主制という文化によって身分制から解放され、
一般庶民もある程度豊かな暮らしをすることができるようなった
5.「お腹いっぱいになったら食べるのをやめる」という本能が壊れているために、
人間は満腹感が得られた後も食べ続けることができる
6.医学という文化によって、過度の肥満が生存や健康に悪いということが解明され、
肥満を解消するための様々な方法が提唱されるようになった
7.マスコミによって6の医学的知識が一般庶民に周知された
8.20世紀のマスコミが「スリム=美しい」という価値観を生み出し、浸透させた
9.同様に、20世紀のマスコミが、6をねじ曲げて、
「スリムになるためにダイエットすべきである」という言説を一般庶民に浸透させた
以上です。
過度な肥満はたしかに健康に悪いですが、
痩せ過ぎのほうが生存にとってはるかに危険ですので、大学で学ぶ皆さんは、
マスコミの言説やそれに由来する同調圧力という悪しき文化に屈することなく、
健康的な食生活(壊れた本能を補う正しい文化の選択)を心がけてください。