これも 「人間とは何か?」 の話をしたときに頂戴した質問です。
正確にはこういう質問でした。
Q.看護との関わりで人間の特徴をきき、「弱者の世話をする動物」 であると言っていましたが、
「弱者」 側の人は人間ではなくなるのですか?
世話ができない=人間ではないとつながるのですか?
ひょっとすると質問者の方もこれに対する答えはわかった上で聞いているのかもしれませんが、
この問いには2通りの答え方をしてみることにしましょう。
ひとつめはどんな特徴づけにも当てはまる一般的な答え方です。
これまで人間の定義というか特徴づけとしていろいろなことが提唱されてきました。
例えば、「知恵のあるヒト (ホモ・サピエンス)」、「直立するヒト (ホモ・エレクトゥス)」、
「作るヒト (ホモ・ファーベル)」、「遊ぶヒト(ホモ・ルーデンス)」 など。
あるいは、「言語を用いる動物」、「道具を作り使用する動物」、「文化を持つ動物」 などなど。
いずれも人間の普遍的特徴を捉えているとは思いますが、
ではすべての人間がそれをできるかといえばそんなことはないでしょう。
人間というのは本能が壊れているおかげで可塑性が高い動物です。
「可塑性が高い」 とは生まれたあとに後天的に形成されていく部分が大きいという意味です。
授業でも話したとおり、生まれたばかりの赤ちゃんはほとんど何もできず、
長い時間をかけてしだいにいろいろなことができるようになっていきます。
そして人間は多くの場合長生きするのですが、
長生きしているあいだにせっかくできるようになったことがだんだんできなくなったりもします。
いくら人間に生まれてきたとしても、赤ちゃんのうちは直立することも言語を用いることもできません。
また、病気や障害や老衰などによって知性や言語や直立歩行能力が奪われることもあります。
そうしたことが 「まだできない/できなくなった」 からといって
「=人間ではない」 ということになるわけではありません。
というわけで、ひとつめの答え方としては以下のように答えることにしましょう。
A-1.人間をどのように特徴づけるとしても、それは人間の一般的可能性を論じているだけなので、
個別的に 「まだ/もはや」 そうした特徴をもっていない人がいたとしても、
ただちに 「そのような人は人間ではない」 ということになるわけではありません。
これがひとつめの答え方です。
もうひとつの答えは 「弱者の世話をする動物」 というこの言い方に固有の問題に関わっています。
人間以外の動物は基本的に病気やケガをした弱者の面倒をみませんが、
人間だけはそうした人たちを放っておかずに、元気な者たちが彼らの世話をしてあげるという意味で、
人間のことを 「弱者の世話をする動物」 と特徴づけました。
しかし 「弱者の世話をする」 という言い方は、世話をする側と世話をされる側を前提する物言いです。
そのため、世話をする側が人間で、世話をされる側は人間ではないのかという、
質問者の方が抱いてくれたような疑問が生じてきてしまうのは当然と言えるでしょう。
この疑問に対しては最初の答えとは違う次のような答え方も必要となってくるのかもしれません。
たしかに 「弱者の世話をする動物」 という特徴づけは世話をする側だけを意味しているように聞こえ、
世話される側を人間から排除しているように聞こえるかもしれません。
しかし、フツーに考えてみてもわかるとおり、
「世話をする/世話をされる」 という関係は固定化された関係ではなく、交換可能な関係です。
ある同じ人が、自立していて元気なときは世話をする側に回るのであり、
その同じ人が、まだ幼かったり病気になったりすれば世話をしてもらう側に回るわけです。
これはどの人にも当てはまることです。
よっぽどの例外的ケース (生まれつき重篤の障害を持っている場合など) でもないかぎり、
すべての人間は世話をする側でもあり、世話をされる側でもあるわけです。
そのうちの一方だけを取り上げて特徴としてまとめたのでああいう疑問が出てきたわけですが、
正確に述べるならば次のようにまとめておくべきだったのかもしれません。
人間とは 「弱者の世話をしたり、弱者として世話をしてもらったりする動物」 である、と。
ただまあこれはいくらなんでも長ったらしいので、
これを簡潔に表現したのが 「弱者の世話をする動物」 だったんだとご理解いただければと思います。
というわけで2つめの答え方としては次のように答えておくことにしましょう。
A-2.「弱者の世話をする」 というのは交換可能な概念で、
あるときには 「弱者の世話をする」 人が場合によっては 「弱者として世話をされる」 こともあり、
その両方を含めて人間のことを 「弱者の世話をする動物」 と特徴づけたので、
世話をされる側が人間ではなくなってしまうというわけではありません。
いかがでしょう、ご理解いただけたでしょうか。
このような質問をいただくまで、自分のなかでもここまで整理して考えてみたことはありませんでした。
ご質問どうもありがとうございました
。
正確にはこういう質問でした。
Q.看護との関わりで人間の特徴をきき、「弱者の世話をする動物」 であると言っていましたが、
「弱者」 側の人は人間ではなくなるのですか?
世話ができない=人間ではないとつながるのですか?
ひょっとすると質問者の方もこれに対する答えはわかった上で聞いているのかもしれませんが、
この問いには2通りの答え方をしてみることにしましょう。
ひとつめはどんな特徴づけにも当てはまる一般的な答え方です。
これまで人間の定義というか特徴づけとしていろいろなことが提唱されてきました。
例えば、「知恵のあるヒト (ホモ・サピエンス)」、「直立するヒト (ホモ・エレクトゥス)」、
「作るヒト (ホモ・ファーベル)」、「遊ぶヒト(ホモ・ルーデンス)」 など。
あるいは、「言語を用いる動物」、「道具を作り使用する動物」、「文化を持つ動物」 などなど。
いずれも人間の普遍的特徴を捉えているとは思いますが、
ではすべての人間がそれをできるかといえばそんなことはないでしょう。
人間というのは本能が壊れているおかげで可塑性が高い動物です。
「可塑性が高い」 とは生まれたあとに後天的に形成されていく部分が大きいという意味です。
授業でも話したとおり、生まれたばかりの赤ちゃんはほとんど何もできず、
長い時間をかけてしだいにいろいろなことができるようになっていきます。
そして人間は多くの場合長生きするのですが、
長生きしているあいだにせっかくできるようになったことがだんだんできなくなったりもします。
いくら人間に生まれてきたとしても、赤ちゃんのうちは直立することも言語を用いることもできません。
また、病気や障害や老衰などによって知性や言語や直立歩行能力が奪われることもあります。
そうしたことが 「まだできない/できなくなった」 からといって
「=人間ではない」 ということになるわけではありません。
というわけで、ひとつめの答え方としては以下のように答えることにしましょう。
A-1.人間をどのように特徴づけるとしても、それは人間の一般的可能性を論じているだけなので、
個別的に 「まだ/もはや」 そうした特徴をもっていない人がいたとしても、
ただちに 「そのような人は人間ではない」 ということになるわけではありません。
これがひとつめの答え方です。
もうひとつの答えは 「弱者の世話をする動物」 というこの言い方に固有の問題に関わっています。
人間以外の動物は基本的に病気やケガをした弱者の面倒をみませんが、
人間だけはそうした人たちを放っておかずに、元気な者たちが彼らの世話をしてあげるという意味で、
人間のことを 「弱者の世話をする動物」 と特徴づけました。
しかし 「弱者の世話をする」 という言い方は、世話をする側と世話をされる側を前提する物言いです。
そのため、世話をする側が人間で、世話をされる側は人間ではないのかという、
質問者の方が抱いてくれたような疑問が生じてきてしまうのは当然と言えるでしょう。
この疑問に対しては最初の答えとは違う次のような答え方も必要となってくるのかもしれません。
たしかに 「弱者の世話をする動物」 という特徴づけは世話をする側だけを意味しているように聞こえ、
世話される側を人間から排除しているように聞こえるかもしれません。
しかし、フツーに考えてみてもわかるとおり、
「世話をする/世話をされる」 という関係は固定化された関係ではなく、交換可能な関係です。
ある同じ人が、自立していて元気なときは世話をする側に回るのであり、
その同じ人が、まだ幼かったり病気になったりすれば世話をしてもらう側に回るわけです。
これはどの人にも当てはまることです。
よっぽどの例外的ケース (生まれつき重篤の障害を持っている場合など) でもないかぎり、
すべての人間は世話をする側でもあり、世話をされる側でもあるわけです。
そのうちの一方だけを取り上げて特徴としてまとめたのでああいう疑問が出てきたわけですが、
正確に述べるならば次のようにまとめておくべきだったのかもしれません。
人間とは 「弱者の世話をしたり、弱者として世話をしてもらったりする動物」 である、と。
ただまあこれはいくらなんでも長ったらしいので、
これを簡潔に表現したのが 「弱者の世話をする動物」 だったんだとご理解いただければと思います。
というわけで2つめの答え方としては次のように答えておくことにしましょう。
A-2.「弱者の世話をする」 というのは交換可能な概念で、
あるときには 「弱者の世話をする」 人が場合によっては 「弱者として世話をされる」 こともあり、
その両方を含めて人間のことを 「弱者の世話をする動物」 と特徴づけたので、
世話をされる側が人間ではなくなってしまうというわけではありません。
いかがでしょう、ご理解いただけたでしょうか。
このような質問をいただくまで、自分のなかでもここまで整理して考えてみたことはありませんでした。
ご質問どうもありがとうございました
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