まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

映画 『ポーラー・エクスプレス』

2014-11-30 21:52:19 | 哲学・倫理学ファック


クリスマスなので 『ポーラー・エクスプレス』 を見ました。

ご覧の通りCGアニメ映画です。

ふだんなら見ようと思う映画ではないのですが、なんと言ってもクリスマスですし、

しかも今度の日曜日は第28回てつがくカフェ@ふくしまで、テーマは 「〈信じる〉 とは何か?」 です。

サンタクロースの存在に疑いを抱きはじめた少年が、

北極行きの急行電車に乗ってサンタクロースに会いに行くという映画です。

どうですか、「〈信じる〉 とは何か?」 というテーマにピッタリではないですか。

まあ、もちろんこの映画は最終的に信じることの大切さを強調することになるのですが、

しかし、単純に 「信じる=善、疑う=悪」 という図式にだけのっかっているわけではありません。

「疑うこと」 の象徴としてホーボーという人物がとても重要な役割を演じます。

そして、彼は最後までただの悪役ではなく、

信と疑のあいだで揺れ続ける主人公の頼もしい助っ人なのです。

私はずっと信と疑というのは完全に対立するものだと思っていたのですが、

実はその2つの関係は単純な二項対立ではないのかもしれません。

そんなことまで考えさせてくれるという意味でひじょうに哲学的な映画だと思います。

そして、英語版で見るとトム・ハンクスの多才ぶりがわかりますし、

日本語版で見ると、おお、こういうところまで日本語に対応しているのかと驚くことができます。

ぜひ、てつカフェに参加予定の方もそうでない方もこの季節にぜひ見てみてください。

クリスマス・ディスプレイ2014

2014-11-28 14:50:50 | 幸せの倫理学
12月に入る前にディスプレイをクリスマス仕様に変更しました。

いよいよ私の大好きなシーズンの到来です



階段箪笥のディスプレイはまあ例年通りです。

今年は友人からクリスマスリースをプレゼントされたので、

それをどこに飾るかが一番の課題でした。

しかし、クリスマスリースといえばやはりここしかないでしょう。



うん、みごとです。

あのハンティング・トロフィがいい吊り下げ用フックになってくれました。

マグネット式ですがクリスマスリースの重みに負けることはありません。

こうして見てみるとシカではなくトナカイのように見えてくるではないですか。

いい仕事を与えられたな。

これから年内は家に帰ってくるたびにこのリースに迎えられるわけです。

家に帰るのが楽しくなるじゃないですか。

これ誰かに見せたいなあ。

久々にうちでパーティでもしようかな

福島大学永年勤続者表彰式

2014-11-27 16:31:56 | お仕事のオキテ
本日11時より 「福島大学永年勤続者表彰式」 が開催されました。

先週、ボージョレ・ヌーボーの解禁日に一緒に飲んだ仲間とともに参列してきました。

本部棟の大会議室にリッパな会場が設けられていました。



まずは学長から表彰状と記念品がひとりひとりに授与されます。

五十音順でまずは朝賀さんから (青木さんは残念ながら今日は欠席)。



他学類の先生方や附属学校園の先生方、職員の方々も表彰されていましたが、

人間発達文化学類では私が2番目。



行政政策学類で仲良しの加藤さんも前職を含めて今年が20年目だそうで、

私の次に表彰されていました。



あいかわらずラフなカッコで学長よりも態度がデカく見える鈴木さん。



すっかり頭が白くなった私の1コ下の谷さん。



今日の出席者のなかでトリを務めたのは千葉さんでした。



このあと学長からの祝辞があり、事務代表の答辞のあと、

我らが千葉さんが教員代表で答辞を述べました。



学長も事務代表の方もちゃんと原稿を用意してひじょうに正式な挨拶をされたのに対し、

千葉さんは徒手空拳でこの場に臨んだのでどうなることかとヒヤヒヤしましたが、

即興にもかかわらずとてもみごとな答辞を述べてくれたので、

さすがは大物と仲間内からは拍手喝采でした。

その後みんなで記念撮影をしました。



たんなる五十音順で私は学長の隣のポールポジションをゲットしました。

その後、学長室に場所を移して学長との懇談会です。



学長室に入るのは勤続20年にして初めてのことです。



ケーキが用意されていました。



なんと私の大好きなレパコのガトーフレーズです。

基本的に私は甘い物は食べないのですが、この苺ショートだけは別格です。

今日のこの会をセッティングしてくださった人事課の皆さまに感謝です。

頂戴した表彰状もこんなリッパなケースに入っていました。



これが表彰状。



記念品の箱は想像以上に重くて渡されたときに取り落としそうになりました。



開けてみるとクリスタルの置き時計です。



時計自体は小さいですが、福島大学の名前の入ったクリスタル部分はけっこうな大きさ。



よくドラマで衝動殺人とかに使われるタイプのちゃんとした置き時計です。

震災のときに研究室に置いてあった置き時計が大破してしまっていたのでちょうどよかったです。

さらに一通の封書が入っていました。



どうやら 「20年永年勤続休暇」 というものを取れるらしいです。

はたして5日間も連続で休めるヒマがあるのか疑問ですが、

せっかくいただいた権利ですので有効に活用させていただきたいと思います。

同期のみんなと旅行に行ってもいいですね。

たぶんまったく休みが合わないとは思いますが…。

というわけで永年勤続の表彰を受けてきたというお話でした。

皆さん、長い間どうもありがとうございました。

今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます。

Q.パターナリズムって黄金律と一緒ですか?

2014-11-25 18:33:12 | 哲学・倫理学ファック
なぜか前期の 「倫理学概説」 で出された質問に今ごろ答えます。
質問は正確には以下のようなものでした。

「パターナリズムとは 『人にされて嫌なことは相手にするな、人にされてうれしいことを他人にもしろ』
 というよく聞く教えと同じ考え方ということでいいんでしょうか?
 それならば、パターナリズム的考え方は私たちの思考に深く根付いていると思った。
 それ故にこの考え方の危険性を知らなければならないと思った。」

「人にされて嫌なことは相手にするな、人にされてうれしいことを他人にもしろ」
という義務の定式は誰もがよく聞いたことがあるだろうと思います。
正確に言うと前半と後半は別物であり、
ホッブズは 「人からされたくないことを他人にしてはならない」 を 「人間の法」 と、
「人にしてもらいたいことを他人にしなさい」 を 「福音の法」 と呼んでいました。
このうちの後者は 『聖書』 のなかに出てきて、一般に 「黄金律」 と呼ばれています。
ここではこの2つを特に区別せずにどちらも黄金律とみなして論じていくことにしましょう。

さて、「人からされたくないことを他人にしてはならない」 とか、
「人にしてもらいたいことを他人にしなさい」 はパターナリズムと同じことなのでしょうか?
結論から先に言っておきましょう。

A.パターナリズムと黄金律は基本的には別物です。

パターナリズムについてはここここを参照していただきたいのですが、
簡単に言うと、上下関係があるなかで上位に立つ者が下位の者に対して、
相手のためを思って相手に干渉して何かをしてあげることがパターナリズムです。
それに対して、「人からされたくないことを他人にしてはならない」 とか、
「人にしてもらいたいことを他人にしなさい」 というのは、基本的に対等な者どうしの間での倫理です。
ですのでこれらは別の問題であると理解しておいてください。
もちろん似たような議論が発生してくる場合もありうるのですが、
大前提が違うということをまずは押さえておいてください。

パターナリズムというのは親と子とか教員と生徒のような上下関係のなかで生じます。
親が子どものためを思って子どもにご飯を食べさせてあげたり、教育を受けさせたり、
教員が生徒のためを思ってさまざまな校則を作ってバイトやバイク通学を禁じたりなど、
そういう一方的な関係がパターナリズムです。
この場合明らかだと思いますが、親が子どもにお乳をあげたり、教育を与えたりするのは、
別に自分がそれらを相手から与えてもらいたいからやっているわけではありません。
校則で生徒たちの自由を制限している先生方は、
自分たちも生徒の決めたルールによって飲酒や喫煙の自由を制限されていいと思ってはいません。
あくまでもパターナリズムというのは親から子へ、教員から生徒へという一方的な関係であり、
それは片方の者がまだ未熟であるから、それを保護するためにやっているわけです。

黄金律というのはそういう上下関係ではなく、
双方が大人で成熟した判断力をもっているという対等な関係のなかで、
自分だったらどうかと考えて、されたくないことはしない、してもらいたいことをする、
という義務のことを意味しています。
ですのでこの場合は義務の相互交換が成り立つのです。
自分は殴られたくないから相手を殴ってはならないのであり、
自分の物を盗まれたくはないから相手の物を盗んではならないのです。
また、礼儀正しく接してもらいたいから相手にも礼儀正しく接するのであり、
困っているときには助けてもらいたいから、
困っている人がいたらその人を助けてあげなくてはならないのです。

パターナリズムの場合は一方的関係だけれど、黄金律は対等な関係だということがわかったでしょうか?
したがって、倫理学的にはパターナリズムのほうが何かと問題含みなわけです。
しかしながら、黄金律だって何の問題もないわけではありません。
黄金律は人間の同質性を前提にしているということがわかっただろうと思います。
人間というのは基本的に同じである、同じようなことを感じており、
同じように考えるものだという前提があって黄金律は成り立ちます。
しかし、もしも殴られるのが好きな人がいたらどうでしょうか。
この人は誰にも殴ってもらえないことを寂しく思うでしょうし、
逆に自分は殴られたいのだから人を殴ってあげようと考えるかもしれません。
そういう人がいないとはかぎりません。
礼儀正しく接されるのが嫌いな人もいるかもしれません。
そういう人も何をしてはいけないのか、何をするべきなのか判断に困るでしょう。

さらに先ほど、困っているときには助けてもらいたいから、
困っている人がいたらその人を助けてあげるべきだという例を出しましたが、
実はこれは見方によっては対等な関係ではないのかもしれません。
現時点で固定するならば、助けてあげることのできる人と困っていて助けを必要としている人
という2種類の人がいて、このあいだには上下関係が成り立っています。
その意味では支援者と被災者はたんに対等な関係とばかりはいえず、
そこにはパターナリズム的関係 (「強いパターナリズム」) が発生してくるわけです。
こうなってくると黄金律は限りなくパターナリズムに近づいてきます。

というわけで、質問者の言うようにパターナリズムと黄金律とは問題として似てくる部分が
まったくないとは言えないわけですが、それはあくまでも応用問題ですので、
とりあえずこの両者は基本的には別物であるということを覚えておいてください。

フクシマに悪はない?

2014-11-23 11:06:08 | グローバル・エシックス
昨日は日本カント協会の第39回学会でした。
シンポジウムのテーマは、昨年は 「カントと日本国憲法」 というたいへん政治的なテーマでしたが、
今年は一転 「カントと最高善」 というカント研究者ですら扱いに困るような、
ひじょうに専門的な、トリビアなテーマでした。
このシンポジウムに牧野英二先生が登壇したのです。
ともすれば 『実践理性批判』 の細かいテクスト解釈に終始するか、
海外の研究者たちの解釈史の紹介で終わってしまうような論題でしたが、
さすがは牧野先生、ただでは終わらせません。
「『希望の原理』 としての 『最高善』 ―最高善の今日的意義の可能性―」 と題して、
きわめて政治的かつ刺激的な発表をしてくださいました。
出だしからこんな調子です。

「アウシュビッツ、ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマ以後、『私たち』 は、『最高善』、言い換えれば 『希望の原理』 について、哲学的に 『物語る』 ことができるだろうか。世界には、随所に 『悪の陳腐さ』 が見られるが、『最高善』 は存在しうるのだろうか。いまでも 『希望の原理』 はありうるのだろうか。本発表は、これらの設問に対する暫定的な回答の試みである。したがって本発表では…(中略)…、今日の日本の状況という歴史的・社会的コンテクストとの関連からカントのテクストを読み替えて、批判哲学における 『最高善』 の今日的意義の可能性を探究する。」

この調子で最後まで突っ走り、シンポジウム全体を強引にリードしていかれました。
その興奮も冷めやらぬまま懇親会に突入しました。
牧野先生をはじめとして新旧のカント研究者たちとカントを肴に美味しくお酒を飲み歓談していました。
けっこう飲んでできあがってきたころ、あるカント研究者が話しかけてきました。
私と同世代でずっと前からよく知っていますが、私のほうが若干苦手としている相手です。
彼はこう言ってきたのです。
牧野先生は冒頭でアウシュビッツ、ヒロシマ、ナガサキとフクシマを同列に並べていたけど、
私としてはあれは納得いかない、アウシュビッツやヒロシマ、ナガサキは悪だろうけど、
フクシマには悪はない、と言うのです。
フクシマにあったのは科学の限界だけ、
というかたんに原発が古かったからあんなことになってしまっただけなんだそうです。
彼に言わせると悪というのは、例えばアフリカで武装集団が集落を襲って人々を皆殺しにしたり、
幼い少女を拉致して死ぬまで強姦し続けている事象こそが悪と呼べるのであって、
フクシマにはそういう人為的な悪はなかったのだそうです。
百歩譲って原発の存在や原発事故が起きてしまったことに悪がなかったとしても、
その後のフクシマへの対応に悪はなかったと言えるのかと聞いてみましたが、
それもたんなる政治の遅滞にすぎず悪ではないと返されました。
そこまで話していて激しく気分が悪くなってしまったので、
もうお前の話は聞きたくない、と一方的に会話を断ち切りその場を立ち去りました。

せっかくのいい1日が彼との会話によって台無しにされてしまいました。
彼とは政治的立場がまったく異なることはもともとわかっていました。
9.11のときも彼はテロは許しがたい悪であると言い、
対テロ戦争を全面的に支持していました。
彼にとっての悪は直接的暴力だけで、構造的暴力という概念なんてまったく理解できないのでしょう。
カント研究者でもこんな人がいるのです。
そりゃあ安倍首相がこのタイミングで解散して選挙をやってもまた勝てると思うのもムリありません。

思い出しても腹立たしくて、あいつとは二度と話すもんかと思ってしまうのですが、
一方でああいう相手とこそ対話して、何らかの合意点を探らねばならないのではないか、
哲学的対話が民主主義を再生させるというのは、まさにそういうことではないのか、
彼は私と政治的立場こそ違うけれども、けっしてヘイトスピーチとかをするような人ではなく、
哲学研究者として冷静に理性的に語れる人なのだから、
そういう人とこそ関係を断ってしまうのではなく、対話を継続していくべきなのではないか、
というふうにも思うのでした。
そう思うと、一方的に会話を断ち切って立ち去ってしまった自分の行動が愚かしく思えてきて、
自己嫌悪でさらに気分は悪化してしまいます。
牧野先生だったらああいう人とも対話を続け、うまいこと説得して合意点を見出せるんだろうなあ、
なんて想像するとますます自分が小さく思えて自己嫌悪の深みにはまっていきます。
ああ、気分悪い学会だった。
皆さんも気分悪い話に付き合わせてしまい本当に申しわけありませんでした。
でもこうやって書いたら少し気分が晴れてきました。
どうもありがとうございました

岡山ナイト

2014-11-22 23:59:22 | 人間文化論
本日からの日本カント協会第39回学会のため、昨日から岡山入りしました。
岡山に来たのは初めてです。
連泊となりますのでできるだけ安い宿を探し、ビジネスホテルオカザキを取りました。
楽天トラベルのポイントも使うと破格の安値で泊まれます。
夜はどうせ飲み歩くでしょうから、ベッドで眠れればそれで十分です。
と思っていたのですが、ひとつ肝心なチェックを怠っていました。
これです。



痛恨のミスです
ウォシュレットではありませんでした
これでは私は用を足せません。
朝は早起きしてウォシュレットを求めて彷徨い歩かなければならないでしょう。
さらにこんな問題もチェックインしてから判明しました。



ちょっと小さいのですが見えるでしょうか?
このホテル、門限があるようなのです。
11時半というのは早いですね。
こんな早い門限もあんまり記憶にありません。
チェックイン後、岡山県人の元教え子と合流して飲みに出かけました。
いや、教え子と言っていいのか、ぼくのクラスの学生でもゼミ生でもないのですが、
般教でぼくの授業を取ってくれてから、自分の専攻 (中学校音楽教員免許) とは関係なく、
私の研究室によく出入りしてくれていた学生さんです。
卒業後は故郷の岡山に戻り、関西で学会があったときにたま~に会ったりしていました。
今回、私が初めて岡山入りするということで10年ぶりくらいに連絡してみたところ、
第二子を産んだばかりというのに快く飲み会の機会を設定してくれました。
「和風居酒屋あかり」 というお店です。
岡山のオススメの食べ物、飲み物で迎えていただきました。



名前は忘れましたが、このへんの豚さんの肉を使ったサラダです。
ゴマ味で美味。



そしてなにより岡山は鰆が有名だそうです。
刺身で食べられるくらい新鮮とのことでまずは 「鰆のたたきポン酢」 です。



さらに鰆の卵焼き。
鰆のほぐし身を中に巻き込んだ卵焼きで、この店のイチ押しだそうです。
岡山といっても何が特産なのか、桃以外はまったく知りませんでしたが、
この数日でいろいろと教えてもらうことができました。



そして何と言ってもこの 「またたび焼酎」 です。
またたびを漬け込んだ焼酎で、岡山にしかないそうです。
強壮効果があると聞いたので、ジイさんの私は何杯もおかわりしてしまいました。
私はますます元気になってしまいましたが、
二児の母を遅くまで拘束することはできないので、一次会で解散です。
そのままホテルに帰ればいいのですが、そういうことができないからこそまさおさまです。
テキトーにお店に入ってそこに大学院時代の後輩を呼びつけて、勝手に二次会を開催し始めました。
「瀬戸内バル+Plus」 というお店です。
ここもとてもいいお店でした。
我ながら自分の嗅覚に脱帽です。



お通しのプチトマトは糖度バツグンです。
それをツマミに生スパークリングワインをいただいているところに後輩たちも到着しました。



もうお腹はいっぱいでしたが、チーズのフライパン焼きとか、



刺身の盛り合わせなんかをいただきながらバカ話で盛り上がっておりました。
翌日が学会本番だというのにあっという間に時は過ぎていきます。
ふと気づくともう夜中の0時を回っていました。
話は尽きませんでしたがそろそろ帰ったほうがいいのではないかということになり、
後ろ髪を引かれながら解散いたしました。
その後コンビニで翌日の朝食を買ったりしてからホテルに戻ります。
するとなんと
こんなことになっていました。



うわああああ。
ホテルから閉め出されたあ
そうでした。
11時半が門限だったのでした。
それにしてもこんなに完璧に門を閉ざしているホテルって他に記憶にありません。
一気に酔いが醒めてしまいました。
裏に回っても呼び鈴はまったく応答せず、このまま路頭に迷うのかと焦りましたが、
スマホでホテルの電話番号を検索し、直接電話をかけてみたら何とか開けていただけたので、
九死に一生を得ることができました。
この歳にして門限は守らなければいけないということを身をもって学ぶことができました。

すっかり酔いも醒めていましたので翌日は早起きし、
岡山駅周辺でウォシュレットを探索してから学会に出かけました。
初めての岡山。
いろんな意味で刺激と発見に満ちた1日でした。
それにしても…。

東横インにしておけばよかった

ボージョレ・ヌーボーで祝う勤続20周年

2014-11-21 16:50:55 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
昨日は同期6名で勤続20周年を祝う飲み会をやってきました。

今から20年前の1994年、福島大学教育学部に7名の教員が着任しました。

4月着任が私を含め4名でした。

皆、年齢が近かったのと、3名が単身赴任、1名が独身と遊びやすい環境にあったし、

しかもそのうちのひとりが集団作りの専門家だったというのも幸いして (災い?) すぐ仲よくなり、

街に繰り出したり互いの家で頻繁に飲み会を開き、一緒に温泉に行ったりするようになりました。

10月にさらにカラオケ好きの3名が加わって、本当に仲のよい同期7人組が形成されました。

この7人が、すでに存在していた 「若手懇」 という自称若手教員集団の核となり、

その後に赴任してきた先生たちも巻き込んで、これでもかというほど飲みまくり歌いまくっていました。

それから20年、7人のうちの2名が母校へと転出していきました。

残り5名のうち私以外の全員が家族を福島に迎え、そうそう飲み歩いてばかりもいられなくなりました。

そんなこんなでこのメンバーで飲む機会もだんだんとなくなっていきました。

たまたま委員会が同じになったメンバーが一緒に飲んだり、海外出張に出かけたりとか、

私だけは相変わらず若手懇に出続けているところへ、

誰かが久しぶりに顔を出したりということはたまにありますが、

このメンバーで声をかけあって一緒に飲みに行くということはほとんど皆無となっていました。

しかしながら今年は勤続20周年の節目にあたります。

来週には大学主催で全学類 (=全学部) の20年勤続の教員全員を集めて、

「永年勤続者表彰式」 も開催されます。

(どこの大学もこの時期にその手の表彰式を開いているようです。

 おそらく10月赴任者がいるので春ではなく秋のこの時期に開催するのでしょう。)

というわけで、誰からともなく勤続20年のお祝いの会を開こうじゃないかという話になりました。

表彰式の当日に飲めるとよかったのですが、さすがに勤続20年のベテランともなるとみんな忙しく、

日程調整がまったくうまくいきません (みんなで集まれなくなった理由のひとつでもあります)。

単身者の私が幹事役を引き受けて、何度もやりとりを繰り返したあげく、

やっと全員の調整がついたのが11月20日の一択だけでした。

そうです、ボージョレ・ヌーボーの解禁日です。

20年もののヴィンテージを新酒で祝うというのもおかしな話ですが、

せっかくの偶然ですのでボージョレ・ヌーボーが飲める店ということで、

「福島ワイン酒場」 を会場に定めました。

メンバーは同期の5名と、私たちより3年後に赴任してきてすっかり飲み仲間となり、

前任校 (国立大学) で3年間務めていたため来週一緒に表彰される1名を加えた6名です。

ビールを一杯飲んだ後はすぐにボージョレ・ヌーボーに切り替えて乾杯です。



「福島ワイン酒場」 ではボージョレ・ヌーボーを3種類用意していて、

ひじょうにフレッシュな3800円のものからだんだんグレードが上がって、

4800円、5800円のものがありますと説明を受けた瞬間、

ほぼ同時にみんなで 「じゃ、順番にそれ全部」 とオーダーしていました。

久しぶりとはいえあいかわらず息はピッタリです。



これが3800円のもの。

私はフレッシュすぎて苦手でしたが、約1名これが一番美味しかったと言っていました。



これが4800円のもの。

わたし的にはこれが一番好きでしたし、これを一番に挙げる人は多かったです。



そして、5800円のもの。

高いだけあってやはり美味しいです。

4800円のやつに負けたのはヌーボーっぽくない (新酒っぽさがない) という理由が大きく、

上手く出来すぎているということだったのかもしれません。

一気に3本開けてみんなすっかり出来上がり、

あとは安くて重いチリワインを何本開けたかわからなくなるくらい飲み続けました。

その後は 「ばーでぃー」 でカラオケ、最後は懐かしの 「木馬館」 に閉店まで居座っていました。

20年間苦楽をともにしてきた仲間と飲むお酒は格別でした。

昔話から最近の苦労話まで話す話題もまったく尽きることなくあっという間に時が過ぎていました。

次は5年後とか10年後と言わず、もっと積極的にこういう機会を設けなくてはと思いました。

ボージョレ・ヌーボー解禁2014!

2014-11-20 14:28:32 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
本日はボージョレ・ヌーボー解禁日です

私はもうこの深夜に飲んできてしまいました。



実は福島駅前では昨日の夕方からこんなイベントが行われていたのです。



街なかのイルミネーションの点灯式とボージョレ・ヌーボー解禁日を一緒に祝うイベントです。

ちなみにイベント名では 「ボジョレー」 となっていますが、

フランス語の読み方としては 「ボージョレ」 が正解で、

だんだん 「ボジョレー・ヌーボー」 から 「ボージョレ・ヌーボー」 に改められつつあるみたいです。

このイベントは17時からやっていたようです。

イルミネーション点灯式をやったり、



映画 『パリで一緒に』 の屋外上映会なんかもやっていたようです。



さすがに私は風邪の治りかけで、明日からは学会出張もあったりしてここはムリできませんので、

齋藤さん (サイトウ洋食店) には申しわけありませんが前半部分はパスさせていただきました。

(家でぬくぬくと1人鍋です。)

11時半頃になってゆるゆると出かけました。



すでにライトアップされクリスマス気分が高まっています。

それほどの人出というわけではありませんが、11時半としてはそこそこ人が集まっています。

それにしてもむちゃくちゃ寒いです。

今シーズン初の防風チノパンと手袋を装着して出かけましたが、

どんどん体温を奪われていくのがわかります。

まずはアルコールブースでホットワインを買って身体を温めていました。

そして、11時45分から 「マリアージュ」 の伊藤さん (福島ソムリエ協会会長) による、

ボージョレ・ヌーボーの解説が始まりました。



なぜいつから11月の第3木曜日が解禁日になったのか、

今年の出来はどうかなどを10分ほどのあいだに簡潔に話してくださいました。

2012年、13年と不作が続いていたのですが、それに比べると2014年は近年稀に見る出来で、

さまざまな気象条件がすべてボージョレ・ヌーボーにとって追い風だったそうで、

ボージョレのためにあったようなヴィンテージと言われているのだそうです。

レクチャーが終わって11時55分、テントのなかでは今か今かとボージョレが待っています。



3分前ぐらいの時点で絶対にフライングしないでくださいとの注意とともにグラスが配られます。

ちょうど配り終わったあたりからカウントダウンが開始されました。

そして、0時。



「カンパーイ

いよいよ解禁です。

日付変更線の関係上、ボージョレ・ヌーボーを世界で一番早く飲めるのが日本です。

バブルの頃はよくこんなイベントやってましたが、まったく興味なかったため、

カウントダウンとともに飲んだのは初めてです。

ふと気づくと深夜のこんな寒い屋外イベントであるにもかかわらず、

この30分くらいのあいだに人が増えて、けっこうな人出となっていました。



さすがに寒すぎてゆっくり味わうどころではないし、

2限と4限の授業が気になっていたため、私は2杯だけ飲んで退散しました。

今日の仕事上がりに飲み会がセッティングされていて、

こちらは私が幹事だったので 「福島ワイン酒場」 を飲み放題抜きで予約しました。

暖かい店内でゆっくりと、近年稀に見るボージョレ・ヌーボーをテイスティングしたいと思います。

今年の収穫に乾杯

全量全袋検査

2014-11-19 22:29:25 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
福大生協の大食堂のトレイ (トイレではなくトレイ) なんですが、

最近、こんなふうになっています。



JA全農福島の広告ですね。

福島のお米は全量全袋検査を行っていますよというPRです。

そうなんです。

福島のお米は全量全袋検査を行っているんです。

福島の農産物はいろいろ風評被害に苦しめられていますが、

ここまで安全チェックを行っている県は他にないでしょう。

もちろん、ここまでやらないと皆さんに受け入れてもらえないからなのですが、

本来、福島だけでなく東日本各地で行うべきだと思います。

とにかく福島はもうそれをちゃんとやっていますので、

そういうことをPRしていくのはとても大切なことだと思います。

ただ、それを福島大学の生協でやることに意味はあるのでしょうか?

うちの食堂のほとんどのトレイにこの広告が付けられています。

はたしてどれぐらいのお金がかかっているのでしょうか。

あるいは農協と生協とのつながりでタダで張らせてあげてるんでしょうか?

それにしても福島大学でこの宣伝をしてどれほど効果があるんでしょうか?

それよりも福島県外でこそ大々的にやるべきだと思うのですが、

うち以外ではこの広告どれぐらいやっているんでしょうか?

ぜひ日本中の人に知らせてあげてほしいと思います。

福島のお米は全量全袋検査やってます。

でも、そんなことよりも何よりも福島のお米はめちゃくちゃ美味しいです。

どれだけ検査していてもちょっと心配という人にはムリにオススメしませんが、

ちゃんと検査しているならぜひ応援してあげようと思われる方にはぜひとも食べていただきたいです。

『スーパーローカルヒーロー』 映画上映&トークイベント

2014-11-18 18:03:12 | 人間文化論
先週の ANARCHY In The TK の興奮冷めやらぬ今日この頃ですが、

今週の土曜日には同じフォーラム福島で、

『スーパーローカルヒーロー』上映会&トークイベントが開催されます。



残念ながらこの日は私、日本カント協会の学会のため岡山に行っているので参加できません。

企画段階からほんのちょっとだけ関わっていて、

ドキュメンタリー映画が大好きな主催者が選びに選んだオススメ映画であり、

しかも、映画の主人公ご本人がはるばる来てくれてその語りを聞けるということで、

映画の内容なんかまったく知らないままただ期待していたのですが、本当に残念です。

近いうちに1日限定ではなく上映される日が来ることをひたすら祈念いたしましょう。

音楽と映画とトークの融合したイベントが2週続きで福島で開催されるのは、

とても喜ばしいことだと思います。

土曜日に出張がない人はぜひフォーラム福島へお集まりください。


『スーパーローカルヒーロー』映画上映&トークイベント
■日時11/22 (土) 17:00~
  トークゲスト:信恵勝彦さん(れいこう堂店主)、阿部正恭さん(FOR座REST)
■前売1,100円 ■当日1,500円
  ※招待券(無料鑑賞券)対象外
-------------------
尾道のCD ショップ「れいこう堂」店主の信恵勝彦さんは何ゆえに多くの市民、アーティストから信頼され愛されているのか?福島の被災者支援にも労を惜しまないこの中年ローカルヒーローの日常は、ほんとうの幸せについて考えさせてくれます。

心を揺さぶるプレゼンテーション

2014-11-17 19:45:16 | 教育のエチカ
「教職実践演習」 という授業があります。
最近になって作られた授業です。
教員免許を取る人には必修の授業で、
免許取得のための総まとめ的な科目として位置づけられています。
福島大学人間発達文化学類では8セメスター、すなわち4年次の後期に配置されています。
卒論執筆に追われている卒業間際のこんな時期に、
こういう授業をやならきゃいけないというのも大変なんですが、
教員免許を取る人がみんながみんな教員になるわけではないというのも大問題です。
うちの学類では、附属学校園の協力も得て、実習を組み入れることにしました。
もちろん学内での講義とかもあるのですが、現場に5日間ほど行ってくるのです。
教員採用試験に合格した人や、
合格しなかったけれど講師として働くつもりの人にはなかなかいい機会のようです。
しかし、教員になるつもりのない人に、この時期に実習に行かせるというのは、
学生本人にとっても、附属学校園にとっても得策とは思えません。
そこで、教員にならない人には別プログラムが用意されることになりました。
クラスごとに分かれて、学習クラスアドバイザー (いわゆるクラス担任の教員) が、
それぞれ適切な課題を課して7回分の授業をやっておくようにというのです。

で、今年は私が4年生のクラスアドバイザーなのです。
(もともとは浅岡先生でしたが昨年転出してしまったため私が途中から引き継いだのです。)
もちろん 「教職実践演習」 を担当するのは初めてです。
さて、何をしたらいいのでしょうか。
教員免許を取るための総まとめの授業だけれど、私が受け持つのは教員志望ではない人たちです。
ああ、なんてメンドくさい…。

そこで考えたのが、みんなにプレゼンテーションをやってもらおうということでした。
みんな免許は取るので教育実習に行ったことはあり、授業もやったはずです。
授業というのはまさにプレゼンテーションです。
子どもたち相手ですからどれだけわかりやすく伝えられるか苦心したはずです。
そこで学んだことを活かして、
今度は大学生相手にプレゼンテーションをしてもらうことにしました。
名づけて 「心を揺さぶるプレゼンテーション」 です。

これはずっと前に講演会に来ていただいた、金沢大学の村井淳志先生の、
「心を揺さぶる授業」 という話にインスピレーションを得て考えました。
その講演では村井先生は、「教師というのは心を揺さぶる授業をしなくてはならない」
と力説しておられました。
「心を揺さぶる授業」 というのはひじょうにカッコいいフレーズで、
私だってそんな授業できていないよなあと及び腰になってしまうくらいですが、
村井先生によると子どもたちというのは心を揺さぶられると、
「聞いて聞いて状態」 になるのだということでした。
聞いた話に心を揺さぶられると、自分もその話を誰かにしたくなって、
「聞いて聞いて」 と誰かに話してしまうというのです。
たしかに私たちにはそういうところがあるかもしれません。
そこで、教員免許取得のための総まとめとして、
そして教員になるわけではない彼らも社会に出てプレゼンする機会はあるでしょうから、
大人相手に 「心を揺さぶる授業」 ならぬ
「心を揺さぶるプレゼンテーション」 をやってもらうことにしたのです。

テーマは自由。
持ち時間は1人10分間です。
全員の心を揺さぶってみんなを 「聞いて聞いて状態」 にすることを目指します。
今はテーマを決めたり、どのようにプレゼンしたらいいかなどを、
グループディスカッションやレクチャーを通じて考えてもらっているところです。
はたしてみんながどんなプレゼンをしてくれるのか、
みんなの心を揺さぶることができるのか楽しみです。
はたしてこの試みがうまく行くかどうか、プレゼンが終わったらまたご報告したいと思います。

ANARCHY IN THE TK!

2014-11-14 20:55:45 | 哲学・倫理学ファック
昨晩は、ANARCHY (敬称略) を迎えての哲学カフェ (=TK) でした!

こんな感じです。



どうです。

てつカフェ世話人とANARCHYが並ぶという奇跡のショットです。

そして超満員のお客さま!



ANARCHY本人が登壇することを聞きつけて、

いつものてつカフェ参加者とは明らかに異なる年代、

異なるファッションの若者たちが駆けつけてくれました。

補助席を出しても座り切れず、立ち見が出るほどの入りとなりました。

『ハンナ・アーレント』 のときと並ぶぐらいの入場者だったのではないでしょうか。



今回はこの 『DANCHI NO YUME』 という映画を見てのシネマdeてつがくカフェだったのですが、

私たち世話人は最初からビビッていました。

HIPHOPとかラップなんてまったく知らない私たちが、

ANARCHYとまともに対話できるのかというのも疑問でしたし、

ANARCHY目当てに来ているファンの皆さんを相手に、

ANARCHYのトークショーでもなく、ANARCHYへの質問タイムでもなく、

哲学カフェを行うことができるのかというのも疑問でした。

実際、発言の多くはANARCHYへの質問という形が多かったのですが、

しかし後半になってくるとANARCHY本人からのみごとな振りもあって、

素晴らしい哲学的対話の空間が成立しました。

どうやらANARCHY本人もこんなに大勢の前で、

しかも参加者と一緒に語り合うなんてことはしたことがなく、はじめは相当緊張していたそうですが、

終えてみてこの破天荒な異種格闘技戦に大満足してくれたようです。

その記録は近々てつカフェのブログのほうにアップされると思いますので乞うご期待!

この日は映画上映が夜の8時半から、その後てつカフェが10時から11時までと、

真夜中の開催となりましたが、最後まで人が減らないどころか、

てつカフェが始まってからさらに立ち見の方が増える大盛況でした。

この誰もが予想しなかった大成功に一行は深夜まで祝杯をあげ続けたのでした。



平日の遅い開催にもかかわらず最後までお付き合いくださいました皆様に感謝申し上げます。

そして、この無茶な企画を実現させた平井さん、阿部さん、福島入りしてくださったクルーの皆さん、

そして、熱い言葉で福島のみんなにエールを送ってくれたANARCHYに深く感謝申し上げます。

さて、今日はこれからANARCHYのライブがあります。

昨日よりも遅い夜10時からの開始ということで、ジイさんが起きていられるか心配でしたが、

それどころかANARCHYの演奏は2時近くになってからとのことで、ちょっと腰が引けまくっています。

そしてそういうところに何を着ていけばいいんだろう?

門前払い食らわないといいのですが…。

とにかく二晩続きの異文化交流、異種格闘技戦に挑戦してみたいと思います。

高千穂大学連続講演会・受講者感想

2014-11-13 17:50:30 | グローバル・エシックス


一昨日の高千穗大学での連続講演会第7回講演の感想が届けられました。
皆さん、本当に熱心にいろいろ書いてくださっていました。
厚く御礼申し上げます。
届けられた感想を以下にご紹介いたします。
ただし、年配の方々の草書文字は私のような若造には解読できない場合もあり、
間違って読み取ってしまった場合もあるかもしれません。
また、本当にまったく読み取ることができず、掲載を諦めてしまったものもありました。
その点、あらかじめお断りしておきます。


●話の内容が理解しやすかった。

●大変興味深い話と楽しい講義でした。「熱」 を感じました。再講を期待したい…。

●本日は良く理解でき、多くの点で共鳴も覚え関心も持った。感謝。

●人柄のでた講演で面白かった。哲学ということをむずかしく考えることではなく、自分で考えること、誰でもできること、だから、他者との意見を交わせることの大切さを感じた。

●哲学カフェの具体的な方法と効果がわかって良かった。ありがとうございました。

●たいへん勉強になりました。ありがとうございました。「少数意見を尊重せよ」。たいへん印象に残りました。今後共、巾広い人格者となるよう努力して参ります。

●哲学カフェの実践、そして、その拡がりを知り、感動しました。本当に、草の根から日本の真の民主主義が実現できる可能性を感じました。福島から日本を変えていきましょう。

●お互い対等な立場で話す場所が、あまりないように思います。自分が思っているところを話してどう思われるか気にしすぎて話せなくなることも多いと思います。

●東横インホテルの会員なので、全国を 「青春18きっぷ」 でひとり旅をしている。5泊ごとに無料となるので大好きです。

●民主主義の理念を再認識しました。納得したことは 「上下関係の中では対等の対話はない」 ということです。

●民主主義について改めて整理することができました。「てつがくカフェ」 の有用性について興味をもつことができました。

●今回の話は、哲学そのものよりも、今の日本の世の中を考えるに意味ある時間であった。小泉政権、そして今のアベノミクス…。大企業優遇、庶民切り捨て、集団的自衛権、多数決原理による一方的独裁、民主主義は忘れられているのが現実である。対話型哲学が民主主義を少しでも意識させるツールになるのか?

●哲学カフェ、分かりました。「機会があったら参加してみようかな」 といった気持にさせてくれました。ありがとうございます。「社会の流れ」 をどうとらえるか考える機会になりましたが、すこし流れのとらえ方が先生とズレるところがあります。「ふくしま哲学カフェ」 頑張ってください!!

●民主主義の危機に対抗して、哲学的対話で市民の意識を改革して、民主主義の理念を確立させる努力がすばらしい。その実現のステップは、長い期間が必要でしょう。大きな流れに、小さな反発が徐々に拡大することを祈ってます。

●あらためて民主主義の原理について学習させていただきました。なかなか興味深く、これは政治家の人達に勉強してもらうのが良いと思います。政治家に対する哲学カフェなど面白い企画、いかがですか? てつがくカフェ。色々な場面に使えそうですね。

●私は人の話・意見を聞くのが好きで、テレビ・ラジオを良く視聴します。とはいってもほとんどバラエティ番組の芸人さんが出演しいるものですが、その中でもラジオで芸人さん達がニュースなどに自分なりの意見・見解を言うのを聞いて、自分の意見との違いや共通点を見つけて楽しんでいます。最近ではテレビやラジオでもあまり時間をとって意見や主張をいう番組が少なくなっていて、人の意見・主張を聞き考えることの機会が減ったことが、最近の若者達の倫理的な部分の低下につながっているのでないかと思いました。

●「8.民主主義の危機の時代における哲学カフェの可能性」 で示された 「可能性」 は本当に大切なポイントだと思います。「哲学カフェ」 に限定される問題ではないと思いますが、一つの具体化する場として 「哲学カフェ」 という仕掛は面白そうですね。

●今こそ哲学の大切さ、重要性を学べた。大変分かりやすく大変良かった。難しい哲学に少し近づくことが出来た。てつがくカフェでもっと哲学を、特に若い人達に広めて欲しい。年寄りはもっと哲学を学ぶべきだったと後悔してます。

●コメントしたいことは多いが、「哲学カフェ」 に参加したことがないので、言いにくい部分が多い。本来、哲学的な議論の場である 「カフェ」 と被災地である 「フクシマ」 が関係していることがわかりにくかった。「フクシマ」 以外のカフェとの差異があるなら語ってほしかった。

●質問ではなくて、同じ福島県出身という親近感のあまり意見 (?) を言ってしまった者です。失礼致しました。最初は資料がないと思って、チラシを集めて裏を利用しようと用意しました。そしたら遅れているだけで、貴重なレジュメを手に入れることが出来てありがたく思っております。チラシの裏も結果的に役に立ちました。先生のお話が幅広く豊かだったからです。私はいつも一番前の、講師と近い席に座ることにしています。ネットは2次元情報です。生身の人間という3次元情報の方が情報の絶対量が多い。高千穂大学に来るまで何人かの方たちとあいさつを交わしました。そんなことも私にとっては重要な3次元情報なのです。大変、大変、有難うございました! 小野原さんのお話を聴く機会を得た事に感謝します。

●久し振りに感動的コウギでした。本日の小野原先生の講義はとても面白かった。難解な哲学のことを ”哲学カフェ” を通して理解しやすい話術とノリで1.5Hがあっという間でした。常々感じていた今の日本の議会制民主主義に対する疑問? (真の国民の声は国のトップに届かないのか?ということ) に対する解答が見えました。自由というものの中で ”国” という怪物を動かしてゆく為には、”国民ひとりひとりが確たる自分の意見と生き方を持った人間として存在しなければならない” と言うことであろうと思いました。”白痴化されないよう有意義に生き、かつ、キチンとした指導者” を選ぶことが今の我々に課せられたことなのでしょう。それが本当の意味の ”国民主権” なのでしょう。小さいことから始めよう……これが哲学カフェの役割ですネ。

●いつかこの様な話に会いたかった。日本はどこに流れて行くのか心配で腹が立って仕方無い。日本の未来をになう若い人に豊かな毎日を送って頂きたい。私は自民党が大嫌いなので、又アベが出ただけでも新聞を見ない、テレビは消す。女性を生き生きより若い者達に手をつくして欲しい。先生何とかして下さい。「哲学カフェ」 で本当の民主主義を。

●民主主義の危機の理解と、危機を通して哲学的対話の必要性を感じることができました。「てつがくカフェ」 の説明も分かり易く (差異の尊重 → 他者との共存)、我々の中、いや私の中に、差異の中に自分の否定するものがあったとしたら、他者との共存をみとめられるのか自信がありませんが、若造が、おかしい、理解不能、汚い…etc.の言葉で他者を否定してきたように思います。この講座で 「寛容と協力と譲歩…」、「不寛容はそれ自体が暴力の一形態」、哲学的な共同作業の必要性を強く感じる様になりました。ありがとう。感謝!!

●哲学カフェでしっかり互いの考えを話し合う。これは今の日本で大切な行為、行動であると思えてきました (オタクのあつまりでないかとの気持がありましたが)。日本は今 「危機」 の時代なのだろうとつくづく思います。そして 「対話」 すべき時なのでしょう。草の根の哲学カフェが、政治世界のなかの哲学カフェが成立して欲しいと思います。哲学者の行動が期待されます。

●良い話を有難うございました。リタイアした現在、「日本はなぜおろかな戦争に突入したか」 を調べています。欧米に比べ 「日本人が幼いから」 が当面の要因の一つと見えています。日本人を成人させる一手段が哲学カフェかも知れない。その力を持っているような気がします。1億24万人を教育するのは途方もない事ですが。

●一般的には ”哲学カフェ” とは何だろう?という興味から参加し、開催の主旨のように、他者意見を聞いて自らも主張し… (理想的に) 言論による合意をめざしていく市民集団にまで高められればよいが、現実的には自分の生活の中に (現実生活に追われ) そのような ”参加” するという意識は皆無の人が多いのではないか? そのような一般人をとり入れていくことの方がむずかしいのではないか? そのような場があるという宣伝も広く必要……どのように宣伝していくのかも課題だろう。一般人の意識は更に低く、全く何も考えていない人の方が多いと思う。政治、人の意見、社会……すべてについて考えていない人も多く、自分の生活の要求のみを考え (他者の迷惑も考えず) ている人も多いので、もっと意識の低い人をとり入れていくことの方が大変だと思う。

●とてもわかりやすいお話で楽しく聴講できました。「てつがくカフェ」 という言葉も知らず、梶谷先生 (第3回講師) のお話で興味を持ちました。今日はさらに参加というか、どんな感じなのか、実際の様子を見てみたいと思いました。意見することは尻込みしてしまいがちですが、それはフラットな関係でなかったからでしょうか。又、合意がなくて終わってしまうことも想像がつきません。時間で区切って終わるということでしょうか。ぜひ、この疑問を解くためにてつがくカフェに行ってみようと思います。本日は遠路から有難うございました。

●内容が豊富だったのに時間が短くて残念でした。もっと福島でのてつカフェの内容の話をうかがいたかったです。個人的に 「デモクラシー」 の語源から見た正しい訳は 「民主制」 なのではないかと考えています。一般的には 「民主主義」 と言われていますが、哲学として 「デモクラシー」 を語るには、内容的にズレが生じるように思います。「主義」 の訳は 「ism」 であって、「~クラシ―」 というのは 「ビューロクラシー」 のように体制や制度形態を表している語のように思います。ご講義にもありましたが、今 「民主主義の危機」 とよく言われていますが、それは 「民主主義」 という ”思想” の危機ではなく、民主的 ”体制” のゆらぎのように感じています。だからこそ 「恐ろしい!」 と心から思っています。ありがとうございました。

●差異を大切にし、理解し、その他者との共存をしていく………まさに夫婦だと思いました。孔子だったと思いますが、国と国の平和、県と県の平和、家と隣家の平和、そして家族内、ことに夫婦の平和 (仲の良さ) が全世界の平和につながる…とか言っていたような!? ところで社会主義国、共産国では哲学は存在しない、ということでしょうか? 「ふくしま」 と 「フクシマ」 と異なって表記することは哲学的に意味があるのでしょうか?


以上です。
いかがだったでしょうか。
概ね好評だったと受け止めてよろしいのではないでしょうか。
おひとりだけ、私の講演の感想というよりも東横インに対する感想を書いてくださった方がいて、
たぶんこの方はやっぱりぱんつさんの伴侶の工藤孝浩さんと同じタイプの方だと思われます。
こういう方にあの本の情報を提供することができたというだけでも、
今回の講演は成功だったと言えるのではないでしょうか。
とはいえ、そればかりでなく、民主主義の理念と危機、
そこにおける哲学的対話 (とりわけ哲学カフェ) の意義についてもご理解いただけたように思います。

最後の3人の方からは質問を頂戴しています。
簡単にお答えしておきましょう。

Q.合意がなくて終わってしまうことも想像がつきません。
  時間で区切って終わるということでしょうか?

A.その通りです。
  だいたい2時間くらいで行われることが多いようです。
  ファシリテーターは何もしていないように見えて、意外と相当疲弊するので、
  それ以上の時間続けるのは物理的にムリでしょう。
  参加者的には2時間が終わる頃からだんだんエンジンがかかる感じなのですが…。

Q.「デモクラシー」 の語源から見た正しい訳は 「民主制」 なのではないか?

A.専門的に言うならばまさにその通りなのですが、
  今回は一般の方々相手の講演でしたので、よりわかりやすい表現をということで、
  ウィキペディアに出てくる用語 「民主主義」 のほうを選択しました。
  ウィキペディアでは 「民主政」、「民主主義」、「民主制主義」 の違いに言及されています。
  私の言う民主主義は、ウィキペディアで言う思想運動としての民主制主義
  (「民主制・民主政を他の制度より重んじる主義(思想・運動)を言う「=民主制主義」)
  に近いのではないかと思っています。

Q.社会主義国、共産国では哲学は存在しない、ということでしょうか?

A.そこまで言い切ると失礼になってしまうかもしれませんが、
  独裁制の国 (絶対君主制や一党独裁制など) では自由な哲学は弾圧されることになるでしょう。
  日本も他人事と笑っていられる状況ではありません。

Q.「ふくしま」 と 「フクシマ」 と異なって表記することは哲学的に意味があるのでしょうか?

A.なぜ 「ふくしま」 にしたかについては設立趣意書に若干書いてあります。
  あの設立趣意書は<3.11>が発生する前に起草したものですので、
  その後、福島が 「ヒロシマ」、「ナガサキ」 と並んで 「フクシマ」 と称せられることになるとは、
  まったく想像もしないまま、柔らかい表現として 「ふくしま」 を選んだのでした。
  原発事故を経験したことによって世界中の人間が 「フクシマ」 を知ることになりましたが、
  私たちの哲学カフェはことさら原発事故被災地で開催していることを誇示するものではありません。
  その問題ばかりを問いたいわけではありませんし、
  原発事故被災者という立場にのみ立脚して思考や対話を進めていきたいわけでもありません。
  たしかにあの事故のことは私たちにとって大きな問題ですが、
  あんな事故がなかったとしても私たちは哲学カフェをやっていたはずですし、
  あの問題から離れて自由に哲学的対話を楽しめる日が来ることを切実に願っています。
  (原発事故が収束する何万年か先までそれはムリだとは思いますが…)
  そういう意味で、あの事故によって設立趣意書を改訂することはありませんでしたし、
  「てつがくカフェ@ふくしま」 の名称を改めるつもりもありませんでした。

これでお答えになったでしょうか?
皆さま、本当に最後までご静聴、というよりは笑いや合いの手など熱い反応を交えて、
表情豊かに私の話を傾聴してくださいまして誠にありがとうございました。
皆さまひとりひとりが草の根で日本の民主主義を支え、守ってくださるものと確信しております。
これからも一緒にゆっくりと時間をかけて考え合い、語り合っていきたいと思います。
本当にありがとうございました。 

福島県民に朗報! 『東横イン本』 県内初見参

2014-11-12 17:02:07 | 性愛の倫理学
193万人の福島県民に朗報です

福島大学の大学生協購買部にとうとうあの

『愛する人に東横インをプレゼントしよう』

が入荷しましたっ

こちらです。



購買部正面入り口から入って右側に進んだところ、

新着ランキングコーナーの並びに陳列販売されています。



「ブログで超話題!!」 のPOPが目印です。

発売開始から1週間、福島県内のどこの本屋さんにも置いてないということで、

血眼で探し回った方々が大勢いらっしゃったのではないでしょうか?

たぶん特定秘密保護法とかの絡みで福島県民にあの本を読ませないようにしようという、

何らかの圧力が働いているのでしょう。

現時点で県内で買えるのはここだけです (おそらく)。

生協としては大量入荷してくれましたが、それでもほんの5~6冊です。

今すぐ福大生協に直行して東横イン本をゲットしようっ

高千穗大学連続講演 「民主主義の危機と哲学的対話の試み」

2014-11-11 19:43:28 | グローバル・エシックス
本日、高千穗大学で講演会をしてきました。
法政大学大学院の後輩である齋藤元紀君が昨年から高千穗大学に教授として勤めているのですが、
彼はまだ就職2年目の新人であるにもかかわらず、ものすごく大きなイベントを立ち上げたのです。
「危機の時代と哲学の未来」 というテーマでわが国を代表する哲学者を招き、
全14回の連続講演会を開催するというのです。
以下が講座趣旨です。

「講座趣旨
世界のいたるところで、そしてさまざまな分野で 「危機の時代」 の到来が語られて久しいが、日本もその例外ではない。未曽有の震災と原発事故の被害も今なお癒えたとは言えず、その余波のもと、政治・経済・文化など諸分野において混乱と動揺が引き起こされている。しかし他方、あまりにも繰り返し声高に叫ばれるあまり、私たちはこの「危機」という言葉にもはや無感覚になっているのではないか。そればかりでなく、私たちは真に危機的な現状に対する冷静な眼差しと判断力を失っているのではないか。そしてこのような趨勢は、いまや学問の府、大学にも及んでいるのではないか。
哲学は、しばしばそうした時代の危機と闘う役回りを担ってきた。今をさかのぼること約80年前、第二次世界大戦前夜の 「危機の時代」 に遭遇した哲学者フッサールは、終わりゆくヨーロッパの学問を憂い、理性という思考の力に希望を託した。フッサールからさらに遡ること約50年前、すでに同時代の学問や教養の衰退に危機感を募らせていた哲学者ニーチェは、反時代的な思考の重要性を説き、自らの書物の副題に 「未来の哲学の序曲」 と記した。今、この時代において私たちに迫っているのは、いかなる危機なのだろうか。またそうした危機をくぐりぬけて私たちがこれから耳にすることができるのは、どのような調べの哲学なのだろうか。
本講座では、「危機の時代と哲学の未来」 と題してわが国を代表する哲学者たちを招き、全14回の連続講演会を開催する。現代における危機の正体を多様な角度から検討するとともに、将来の哲学像を究明することが、本講座の狙いである。」

話デカすぎだし。
しかし、彼が自力で集めた哲学者たちは1名を除いてまさにこの講座趣旨に沿う大物ばかりでした。

「講座予定 時間:毎週火曜日(10:40-12:10) 会場:高千穂大学セントラルスクエア2階タカチホホール
第 1回 9月30日 「危機の時代と哲学の未来――本講座の狙いと課題」 齋藤元紀 本学教授
第 2回 10月 7日 「日本の近代化と啓蒙の意義と課題――人間の心と社会システムの「成熟」を考える――」牧野英二 法政大学教授
第 3回 10月14日 「対話としての哲学の射程 ――グローバル時代の新たな哲学運動」 梶谷真司 東京大学准教授
第 4回 10月21日 「言葉が開く宇宙――『おくのほそ道』に学ぶ」 魚住孝至 放送大学教授
第 5回 10月28日 「現代における心の危機と哲学」 信原幸弘 東京大学教授
第 6回 11月 4日 「「世界の終わり」と世代の問題」 森一郎 東北大学教授
第 7回 11月11日 「民主主義の危機と哲学的対話の試み」 小野原雅夫 福島大学教授
第 8回 11月18日 「危機の/と固有性――ハイデガーとジャンケレヴィッチを手がかりに」 斎藤慶典 慶應義塾大学教授
第 9回 11月25日 「危機の時代とハイデガー」 高田珠樹 大阪大学教授
第10回 12月 2日 「戦争と戦争のあいだ――二十世紀フランス思想のケースから」 澤田直 立教大学教授
第11回 12月 9日 「〈アウシュヴィッツ以後〉の哲学」 宮裕助 新潟大学准教授
第12回 12月16日 「はじまりについて」 矢野久美子 フェリス女学院大学教授
第13回 1月13日 「大学の危機と哲学の問い」 西山雄二 首都大学東京准教授
第14回 1月20日 「危機の超克と来るべき哲学――本講座の総括と展望」 齋藤元紀 本学教授」

よくぞまあこんなにいろんな人たちを知ってたもんです。
私なんかとは比べものにならない、彼の哲学者としての交流の広さには脱帽です。
ところが彼はこの巨大プロジェクトに、自分の大学院時代の先輩であるというだけの理由によって、
私のような小物にもオファーを送ってきたのです。
私はあまりの話のデカさに最初から及び腰でずっと固辞し続けておりました。
しかし彼は私が何を言っても 「何言ってんすかぁ、小野原さん」 とヘラヘラ笑うばかりで、
私が本気で辞退しているということをまったく理解してくれないまま、
いつがいいですか、テーマは何にしますか、報告概要を早く送ってください、
全部終わったらこれまとめて出版しようと思うんですけど、そのとき原稿くれますか、
それとも録音しといてこちらでテープ起こししましょうか、と勝手にどんどん話を進めてしまったのです。
けっきょく彼の強引さに押し切られて、やらざるをえないことになってしまいました。
そこで私は 「てつがくカフェ@ふくしま」 の話でもしてお茶を濁すことにしようと目論み、
ただし、講演会全体のテーマに沿う形で発表タイトルをカッコよく整えて、
「民主主義の危機と哲学的対話の試み」 という何となくそれっぽいテーマをでっちあげ、
以下のような概要をあらかじめ作文してみました。

「第7回 11月11日
『民主主義の危機と哲学的対話の試み』
 2001年の <9.11> のあと対テロ対策という名目で人々の自由を制限する施策が一気に進められていきました。それと同様に2011年の <3.11> のあと、原発を推進してきた政党が政権の座に返り咲くや、特定秘密保護法が定められたり、憲法9条の下で集団的自衛権の行使を認める閣議決定がなされたり、果てはヘイトスピーチを禁ずるのと同じ論調でデモ行進を規制する動きまで出てきています。日本に根づいてまだほんの70年足らずの民主主義の体制が、今ものすごい攻勢を受けて根底から覆されるかもしれない危機に瀕しているのです。民主主義を支えているのは、正しい情報の下で、自らの理性を働かせて判断し、自由な言論活動によって世論を形成していく市民ひとりひとりのはずです。しかし、この70年のあいだにそうした自由な市民が日本に育ってきているのでしょうか。
 福島では2011年の5月以来、毎月1回のペースで 「てつがくカフェ@ふくしま」 が開催されています。哲学の専門的知識をもつわけではない一般市民が集まって、互いに対等な立場でさまざまなテーマに関して哲学的対話を繰り広げています。私は、「てつがくカフェ@ふくしま」 を主宰する世話人であると同時にその一参加者として、現在、日本各地で開催されている哲学カフェの試みが、この民主主義の危機の時代においてどのような役割を果たし意義をもちうるのか、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。」

ここまでのプランは事前に考えてあったんです。
そして、昨年の 「哲学カフェ@しぞ~か創設記念講演会」 のときのレジュメを、
ある程度使い回せるだろうな、ということもわかっていました。
しかし、今回付け足した 「民主主義の危機」 の話と、哲学カフェをそれにどう絡めるかというのは、
考えてみるとなかなか難しい問題で、いろいろとうじうじ構想は練ってみるのですがうまくまとまらず、
忙しさにかまけてずーっと先送りにしていたんです。
そうこうしているうちに多忙な10、11月に突入してしまい、
この講演会の準備に割くための時間がまったくなくなってしまいました。
講演2日前、「多文化関係学会」 が終了した一昨日の段階で、
まだこの講演会用のファイルすら作られていないというひじょうに切迫した危機的状態でした。
日曜日の夜はいちおう徹夜してみたものの 「はかどりネコさん」 はまったく来ないし
人生初めて講演会をブッチしちゃうんじゃないかという、
「民主主義の危機」 ならぬ 「講演会の危機」 だったのです。

月曜日は何の成果も上がらぬまま寝不足の朝を迎え、
1日ずっと授業に追われてやはり準備に割く時間はなく、
6限までの卒論ゼミを終えて、もう東京へ旅立たなければならない時間を迎えていました。
その時点でもまだ資料は完成どころか 「しぞ~か」 のときからほとんど進展のないままです。
齋藤君には事前に配付資料のファイルを送ることはできないので、
当日に高千穗大学のなかで印刷することはできますかと確認を取っておいたところ、
朝9時半までにファイルを送ってくれれば印刷はやりますよ、というとても温かい対応です。
(ちなみに講演会は10時40分から)
卒論ゼミの最中から居眠りしそうなくらい睡魔に襲われていたので、
新幹線でぐっすり寝ておいて、上京したらもう一晩徹夜だなと覚悟を決めていました。
そんなふうに寝る気満々で新幹線に乗り込んだらなんと、
その新幹線の中で突然はかどりネコさんが降臨してくれたのですっ
ギリギリまで気をもたせただけあってものすごい爆発力です。
ほんの1時間40分ほどの乗車時間のあいだに8割がた片づけてくれました。
東京の家に着いてからもバリバリはかどり、深夜0時をちょっと回った頃に、
みごとA4用紙全11枚のレジュメが完成しました。
「しぞ~か」 のときの資料が全7枚でしたから、ほんの数時間のあいだに4枚分の増補です。
内容的にも、あれだけイヤイヤだったテーマなのに、最後はノリノリで書いていました。
Facebookにはこんな完成報告の文章をアップしていました。

「レジュメ作成終了!
 今日も徹夜覚悟してたのにこんなに早く出来るとは思っていませんでした。
 ネコさん、ありがとう。
 明日の講演タイトルは 「民主主義の危機と哲学的対話の試み」。
 多文化関係学会の年次大会テーマや牧野先生の講演内容ともオーバーラップする内容。
 てつがくカフェ@ふくしまの活動を紹介しつつ、
 「危機の時代と哲学の未来」 について切り込んでしまう野心的な試み。ああ、素晴らしい!
 寝不足なので頭がショート気味で自画自賛が止まらない。
 しかも、最後は 『愛する人に東横インをプレゼントしよう』 の解説文にもむりやりこじつけて
 販促活動までしてきてしまおうと目論んでいます! ああ、楽しみだ。」

ついちょっと前まで 「講演会の危機」 を迎えていたくせに、どれだけハイになってるんでしょうか。
そんな感じでウキウキしながら深夜に齋藤君にファイルを送付して、
昨晩は本当にぐっすりと眠ることができました。
今朝はすっきりと目覚め、口頭発表用にいろいろと調べものをしたり書き込みをしたりして、
万全の準備を整えて高千穗大学に向かいました。
ここに来るのは、「第3回パイデイア哲学カフェ@すぎなみ」 のとき以来、今年2回目です。
場所も同じ高千穂大学セントラルスクエアです。



建物の外にはちゃんとリッパな掲示も張り出していただいていました。



会場はセントラルスクエア2階のタカチホホールでした。
ホール前にも立派な掲示が。





ありがたいことです。
受付の裏で聞いていると、皆さん自分の受講者番号を申告して部屋に入って行かれるのですが、
146番という数字が聞こえてきて、このイベントの規模を思い知らされました。
事前申し込み者は150名を超えていたそうです。
齋藤君の企画力、素晴らしいっ
と喜んでいたのも束の間、ここに来て大問題が発覚しました。
昨日の深夜に送ったはずの発表資料が届いてないというのです。
あとで確認したところ、私のほうのパソコンではたしかに送信したことになっているのですが、
齋藤君のアドレスにはまったく届いていませんでした。
それが発覚したのが講演の15分前。
ファイルを直接渡して大至急印刷してもらいましたが、
A4用紙11枚分の印刷は講演開始に間に合いませんでした。
ただし、齋藤君が機転を利かせて、まずは最初の4ページをA3裏表に印刷し、
とりあえずそれだけ配付して時間どおり講演を開始し、
残りは印刷が終わりしだい順次配付していくという方法で事なきを得ました。
さすがは 「危機の哲学者」、リスク管理は万全です。

そんな感じで最後の最後までハラハラさせられる展開でしたが、
講演はなかなかいい感じでできたんではないでしょうか。
配付資料の完成が遅れたこと、印刷が間に合わなかったこともすべてネタにしつつ、
適度な笑いも取りながら進行していきました。
なんといってもこんなに多くの方々に聴講していただきました。



私もあいかわらずアゴが上がり気味ですが、
身ぶり手ぶりも交えてノリノリで話せていたようです。







そして、講演の最後では予告通り、東横イン本の告知もきっちり行いました。



皆さん、まじめな哲学の講演を聞きに来たはずなのに、
唯一の板書の出だしが 「やっぱりぱんつ」 という単語だったのでポカーンとしていらっしゃいました。
本のタイトルのなかに 「東横イン」 という言葉も出てきてますますわけがわからないようでした。
しかし、他者を排除するのではなく、差異を認めあって他者と共存していくことこそ、
本来の民主主義のあるべき姿なのだという今回の話の趣旨からすると、
あの東横イン本というのは、まさに私の講演の参考資料としてふさわしいのではないでしょうか。
多くの方々にお買い上げいただけるとうれしいです。

講演後、参加者の皆さまには主催者側が感想用紙を書いてもらっていました。
近々私のところに届けられるそうですので、それが着いたらまた、
皆さまにどんなふうに受け止めてもらえたかご報告したいと思います。
そして、このドタバタ劇を締め括るように最後にもうひとつ問題が発生していました。
テープ起こしをするつもりで齋藤君が私の講演を録音してくれていたのですが、
機器の不具合によりたった5秒分しか録音されていなかったそうです
あんなにノリノリで話したのに
あれを自分でまたイチから文章として作文して打たなきゃいけないんですか
きっとこれは早め早めの準備をしておかなかった私の怠惰に対する罰ゲームか何かなのでしょう。
出版の話、立ち消えになってくれないかなあ…。