急遽予定を変更して、2週にわたって文化相対主義について考えてもらいました。
第7回学修指示書のなかで私は、次のように書いていました。
「文化相対主義の考え方と人権の考え方は真っ向から対立する場合があります
(私はむしろ対立しないという立場ですが、それは少数派です)」
この ( ) 内の注意書きを見逃さずに読んでくれた人から、
次のような質問を頂戴しました。
「なぜ小野原先生は、文化相対主義の考え方と人権の考え方が対立しないと考えるのですか?」
さて、これに対して何とお答えしたらいいでしょうか。
まず、「人権」 と言ってもひじょうに多岐にわたる内容を含んでいるので、
少し整理しておきましょう。
歴史のなかで 「自然権」 から出発して 「基本的人権」 へと発展を遂げるなかで、
少しずつその内容も拡張されてきました。
ざっくり言うと 「自由権」、「参政権」、「社会権」 の3つです。
皆さんはこれら3つをセットで習ったかもしれませんが、
最初から3つセットで基本的人権とされていたわけではありません。
まずは自由権でした。
今回の文化相対主義との関連で重要になってくる人権は自由権ですので、
自由権に絞って話を進めていきましょう。
皆さんは、人権としての自由にはどのような自由が含まれていると思いますか?
何でも自分のしたいことを思い通りにすることが自由であり、
それが人権としての自由なのでしょうか?
そうではないということはわかりますね。
ホッブズは当初そのような、何でもしていい無制限の自由を自然権と考えていましたが、
そんなものを認めてしまうと 「万人の万人に対する闘争」 状態に陥らざるをえません。
ホッブズの理論ではそのような事態を避けるため、
各人が社会契約を結ぶことによってリバイアサンとしての国家を結成し、
各人がもっていた自然権としての無制限的自由を放棄して、
国家に全面的に委譲して国家に従うということになっていました。
これはこれで当時としては十分先進的な思想でしたが、このような考え方では、
人権を保障するための政治体制を構想することには結びつきませんでした。
人権としての自由という考えが有意味なものになるためには、
何をしてもいい無制限な一方的な自由ではなく、
他の人の自由を侵害しない限りでの自由、
他の人の自由と両立可能な自由というものを考えなくてはなりません。
カントの言い方を借りるならば、普遍化可能な自由ということになります。
自分だけが自由なのではなく、自分も他の人もみんなが自由でありうるような自由、
そういうものでないと人権としての自由とは言えないのです。
そのような人権としての自由として真っ先に概念化されたのが、信教の自由でした。
時は宗教戦争の時代、カトリックとプロテスタントが、
同じキリスト教徒どうしだというのに血で血を洗う過酷な戦争を繰り広げていた時代です。
信教の自由というのは、互いの信仰・宗教が違っているからといって、
神の名において相手の命を奪うようなことはしてはならない、ということです。
相手がどんなに許しがたい信仰・宗教を信奉していたとしても、
それを信ずる自由を認めて相手と共存しなければならないという、
きわめて高度な寛容が求められることになったのです。
生命・身体の自由というのもこの流れで保障されなければならないことになりました。
つまり信教の自由というのは、自分がどんな宗教を信じてもいいというだけではなく、
相手の信教の自由も認めるものでなくてはならず、
しかも両者が相互に生命・身体の自由を保障した上で初めて成り立つものなのです。
このような信教の自由、生命・身体の自由といった人権としての自由は、
異なる宗教、異なる文化が相互に共存するための枠組み、土台であった、
ということはご理解いただけたでしょうか。
もちろん、当時はまだ文化相対主義という考え方は生まれていませんし、
文化相対主義は、ヨーロッパ出自の人権思想そのものをも
相対化しようとして登場してきたことは間違いありませんが、
文化相対主義が登場せざるをえなかった背景と、
人権としての自由という考え方が登場してきた背景には共通する問題があった、
と私は考えています。
そして、人権としての自由が何でもありの自由ではありえなかったのと同様、
文化相対主義の相対性も何でもありの相対性ではありえないと思うのです。
万人の自由を保障するための枠組み、
すべての文化の相対性を保障するための土台といったものがどうしても必要で、
それが人類に共通の普遍的な倫理=人権ではないかと思うのです。
皆さんのなかにも私と似たようなことを考えてくれた人がいました。
例えばこんな意見。
「教科書を読んだ時には、国や地域によって文化は異なり、それらを認める文化相対主義に賛成であるが、ブログ記事を読むと、それに賛成しきれなくなった。しかし、ブログ記事のような悪い文化だけではなく、善い文化もあるだろうから、文化相対主義を真っ向から批判することはできない。そこで、道徳に関する 『土台』 は世界共通でも、その上の部分はそれぞれの文化によって異なってもよい、と考える。土台というのはまさに、世界人権宣言や子どもの権利条約のことで、これらは世界が共通して守らなければならないものである。この人権という土台が、世界共通で守られ、侵害されないものであるならば、国や地域によって文化は異なってもよいと思うし、道徳判断も異なると思う。人権などの最低限のことは世界共通で普遍なもので、これに関しては国や地域によって違いは認められないが、その上の習慣などは、文化相対主義でよいと考える。つまり、非人道的な行為を行わない文化だけが、その地域特有の文化として認められ、他からも批判されず、守られる、というものである。」
「私は、文化相対主義に賛成である。道徳は社会に基づいて形成されるものであり、社会の在り方が異なっていれば、道徳の在り方も異なる。そこに普遍的な真理は存在しない。ある事柄を絶対的な真理や価値だと位置づけることは、自分たち以外の社会にもその価値観を押し付けることにつながる。それは、相手の社会の価値観を否定することになり、両者の対立を招く。そうした事態を防ぐためには、相手の文化や価値観を受け入れる姿勢が必要である。文化相対主義に対し、レイチェルズは自分の文化の道徳を批判できなくなると指摘している。しかし、私はこの指摘は不適切だと考える。文化が相対的であるということは、様々な道徳が存在しうるということである。そのため、自分たちと異なる価値観の存在を認めることになる。したがって、文化相対主義の方が自らと異なる価値観に寛容だと考える。一方、道徳に絶対的価値を求めた場合、絶対的とされたものは時間、場所、個人に関わらず価値があるものであるとみなされるため、それを批判することは許されない。このことから、むしろ文化相対主義に反する立場の方が、自分たちの道徳を批判できなくなると考える。また、レイチェルズは、文化相対主義によってある文化の非人道的行為を非難できなくなるとしている。これに関して、私は、文化相対主義と人権は対立しないと考える。そもそも、道徳や文化は人生をより良くするためのものである。究極的に言えば、文化や道徳を失ったとしても生きていくこと自体は可能である。つまり、文化や道徳について考えることができるのは、自分の生命や権利がある程度保障されていることが前提である。「名誉の殺人」のように、その前提が脅かされるような状況下では道徳や文化などを語ることはできない。そのため、人権や生命は道徳や文化とは別の問題であり、それらを脅かす行為は道徳という以前に許されざる行為である。したがって、文化相対主義を受け入れても異文化の非人道的行為を非難することは可能であると考える。」
例えば、今回考えてもらった 「名誉の殺人」 ですが、
私はなぜあれをひとつの文化として尊重すべきものと考えず、
人権や普遍的倫理にしたがって改善されるべきものだと判断するのでしょうか。
それは、そこに生きる彼ら自身のロゴス (理性、ことば) によって選び取られた文化ではない、
と判断せざるをえないからです。
選択するためには、それ以外の選択肢が提示されている必要があります。
自分たちの世界の外には 「名誉の殺人」 という文化とは異なる文化があまた存在し、
それらとの比較対照によって何を継承し何を改善していくか、
自分たちのロゴスを用いて判断できて初めて、
文化は継承されていくべきだと思います。
むろん各地域が孤立していた時代はそうした比較対照はできなかったわけですが、
グローバル化した現代においては、情報の共有が可能になりました。
文化が生き残っていくためには、そうした切磋琢磨にさらされ、
それでも選択され継承されることによって尊重に値する文化となるのだと思います。
しかし、あの文化が存続できているのは、
一番の当事者であるあの世界の女性たちにまったく教育が施されず、
彼女たちのことば (ロゴス) が完全に封じられることによってのみ可能となっています。
彼女たちが他の選択肢を知ったら、あの文化を選び取るでしょうか。
ひょっとするとはじめのうちは選ぶかもしれません。
しかし、それは長い年月持ちこたえることはできないだろうと思うのです。
では、知識が与えられ、ロゴスを用いることが許されたら、
文化は変わっていくのでしょうか。
私は変わると思います。
実際に日本でも似たような文化が廃れていった事例があります。
切腹文化です。
江戸時代の日本においても誇りが尊ばれ、
恥が極端に嫌われていました。
そして恥を受けたり、受けそうになったときには、
潔く自ら割腹することが誇りを取り戻す方法として推奨されていました。
家族によって殺されるのではなく、自ら死を選ぶのですから、
「名誉の殺人」よりは当事者も納得して受け入れていた文化だったと思いますが、
その文化も文明開化とともにあっという間に廃れていきました。
文化はいくらでも変わっていくものなのです。
文化とロゴス、文化と選択の問題に関して、
次のように書いてくれていた人たちもいました。
片や文化相対主義に賛成の人、片や反対の人ですが、
主張している内容は共通していると思います。
「私は文化相対主義に賛成します。その地域で根付いてきた文化や環境が異なれば、そこで生き、成長した人々の考え方もほかの地域で育った人々とは異なることは必然であり、絶対的に正解であるとされる環境や文化がない以上、誰にとっても正しいとされる対的な道徳も存在しえないと考えます。しかし、どれだけ文化の違いを認めるといっても、閉鎖的な環境のなかで自分たちだけの文化を基準に生きていくことは間違っていると考えます。ブログにあった「名誉の殺人」ですが、絶対的な正解が分からない以上は完全に間違っている文化だと言い切ることはできないと考えます。しかし、私たちからすれば残虐だと感じる行為をするには、相応の理由と多文化の理解、同意が必要であると考えます。スアドさんが住んでいた村の住人たちは、「人権」という考え方を理解し、そのうえで自分たちの行為がどのような意味を持つのかを確認し、行為の対象にもその考えや文化を認めてもらうことが必要であると考えます。地域ごとに文化や価値観が異なるように、一人一人が違う人生や考え方を持っています。そのような権利や思想を自分が正しいとする文化で抑えつけたり、奪ったりすることは間違っていると思います。よって私は、文化相対主義には賛成しますが、個人が文化に巻き込まれることはあってはならないと考えます。文化とは押し付けるものではなく、形を変えながらも代々継承されていくものであり、自分が継承していく文化は個人が選択するべきであると考えます。」
「私は文化相対主義に反対です。自分は自分、他人は他人という考えでは何も生まれません。確かにその独自の文化を守ることは大切だと思います。しかし情報を遮断して、自分の殻に閉じこもっていてはその文化は停止し、発展しなくなってしまいます。今は特にグローバル化が進んでいて、享受しようと思えばたくさんの情報が入ってくるのでなおさら文化相対主義になってはいけないと思います。他の文化の良いところは受け取り、自分の文化に取り込むことが重要だと思います。他の多くの人に非難されるような道徳は変えるべきです。世界では、真逆の道徳が普遍的であるかもしれません。どちらが正しいのか、客観的に見つめ直す必要があると思います。よって私は文化相対主義に反対です。」
前回、カント倫理学に対する私の立場について書きました。
そのなかでカントの「批判倫理学」(2~5)と「実践哲学体系」(6、7)を分けて論じました。
それと今回の話を絡めて説明すると、
人類に普遍的な倫理としての人権を唱えているのが「実践哲学体系」のほうです。
私はそちらには全面的に賛成しています。
それに対して、カント自身は「批判倫理学」のほうも人類に普遍的な倫理であって、
これ以外の倫理は認められるべきではないと考えていましたが、
私はカントの「批判倫理学」はあくまでもいろいろありうる倫理のなかのひとつにすぎず、
あんなに厳格な倫理学に固執しなくとも、他にもいろいろ考えてみていいんじゃない、
とわりとルーズに考えています。
批判倫理学を一途に信奉し遵守する人がいたならば、
「大変だと思うけどがんばってね」と温かく応援してあげたいと思いますが、
お前もカント主義者の端くれなら「批判倫理学」にのみしたがって生きろと強制されたら、
ごめんなさい、ぼくにはムリです、ぼくにそれを押しつけないでください、
と文化相対主義の立場に立って丁重にお断りさせていただくでしょう。
人権と文化相対主義とはそれぞれの依って立つレベルが異なり、
人権が保障されて初めて文化相対主義が成り立つと考えているので、
両者は対立しません、というのが今回のお答えです。
第7回学修指示書のなかで私は、次のように書いていました。
「文化相対主義の考え方と人権の考え方は真っ向から対立する場合があります
(私はむしろ対立しないという立場ですが、それは少数派です)」
この ( ) 内の注意書きを見逃さずに読んでくれた人から、
次のような質問を頂戴しました。
「なぜ小野原先生は、文化相対主義の考え方と人権の考え方が対立しないと考えるのですか?」
さて、これに対して何とお答えしたらいいでしょうか。
まず、「人権」 と言ってもひじょうに多岐にわたる内容を含んでいるので、
少し整理しておきましょう。
歴史のなかで 「自然権」 から出発して 「基本的人権」 へと発展を遂げるなかで、
少しずつその内容も拡張されてきました。
ざっくり言うと 「自由権」、「参政権」、「社会権」 の3つです。
皆さんはこれら3つをセットで習ったかもしれませんが、
最初から3つセットで基本的人権とされていたわけではありません。
まずは自由権でした。
今回の文化相対主義との関連で重要になってくる人権は自由権ですので、
自由権に絞って話を進めていきましょう。
皆さんは、人権としての自由にはどのような自由が含まれていると思いますか?
何でも自分のしたいことを思い通りにすることが自由であり、
それが人権としての自由なのでしょうか?
そうではないということはわかりますね。
ホッブズは当初そのような、何でもしていい無制限の自由を自然権と考えていましたが、
そんなものを認めてしまうと 「万人の万人に対する闘争」 状態に陥らざるをえません。
ホッブズの理論ではそのような事態を避けるため、
各人が社会契約を結ぶことによってリバイアサンとしての国家を結成し、
各人がもっていた自然権としての無制限的自由を放棄して、
国家に全面的に委譲して国家に従うということになっていました。
これはこれで当時としては十分先進的な思想でしたが、このような考え方では、
人権を保障するための政治体制を構想することには結びつきませんでした。
人権としての自由という考えが有意味なものになるためには、
何をしてもいい無制限な一方的な自由ではなく、
他の人の自由を侵害しない限りでの自由、
他の人の自由と両立可能な自由というものを考えなくてはなりません。
カントの言い方を借りるならば、普遍化可能な自由ということになります。
自分だけが自由なのではなく、自分も他の人もみんなが自由でありうるような自由、
そういうものでないと人権としての自由とは言えないのです。
そのような人権としての自由として真っ先に概念化されたのが、信教の自由でした。
時は宗教戦争の時代、カトリックとプロテスタントが、
同じキリスト教徒どうしだというのに血で血を洗う過酷な戦争を繰り広げていた時代です。
信教の自由というのは、互いの信仰・宗教が違っているからといって、
神の名において相手の命を奪うようなことはしてはならない、ということです。
相手がどんなに許しがたい信仰・宗教を信奉していたとしても、
それを信ずる自由を認めて相手と共存しなければならないという、
きわめて高度な寛容が求められることになったのです。
生命・身体の自由というのもこの流れで保障されなければならないことになりました。
つまり信教の自由というのは、自分がどんな宗教を信じてもいいというだけではなく、
相手の信教の自由も認めるものでなくてはならず、
しかも両者が相互に生命・身体の自由を保障した上で初めて成り立つものなのです。
このような信教の自由、生命・身体の自由といった人権としての自由は、
異なる宗教、異なる文化が相互に共存するための枠組み、土台であった、
ということはご理解いただけたでしょうか。
もちろん、当時はまだ文化相対主義という考え方は生まれていませんし、
文化相対主義は、ヨーロッパ出自の人権思想そのものをも
相対化しようとして登場してきたことは間違いありませんが、
文化相対主義が登場せざるをえなかった背景と、
人権としての自由という考え方が登場してきた背景には共通する問題があった、
と私は考えています。
そして、人権としての自由が何でもありの自由ではありえなかったのと同様、
文化相対主義の相対性も何でもありの相対性ではありえないと思うのです。
万人の自由を保障するための枠組み、
すべての文化の相対性を保障するための土台といったものがどうしても必要で、
それが人類に共通の普遍的な倫理=人権ではないかと思うのです。
皆さんのなかにも私と似たようなことを考えてくれた人がいました。
例えばこんな意見。
「教科書を読んだ時には、国や地域によって文化は異なり、それらを認める文化相対主義に賛成であるが、ブログ記事を読むと、それに賛成しきれなくなった。しかし、ブログ記事のような悪い文化だけではなく、善い文化もあるだろうから、文化相対主義を真っ向から批判することはできない。そこで、道徳に関する 『土台』 は世界共通でも、その上の部分はそれぞれの文化によって異なってもよい、と考える。土台というのはまさに、世界人権宣言や子どもの権利条約のことで、これらは世界が共通して守らなければならないものである。この人権という土台が、世界共通で守られ、侵害されないものであるならば、国や地域によって文化は異なってもよいと思うし、道徳判断も異なると思う。人権などの最低限のことは世界共通で普遍なもので、これに関しては国や地域によって違いは認められないが、その上の習慣などは、文化相対主義でよいと考える。つまり、非人道的な行為を行わない文化だけが、その地域特有の文化として認められ、他からも批判されず、守られる、というものである。」
「私は、文化相対主義に賛成である。道徳は社会に基づいて形成されるものであり、社会の在り方が異なっていれば、道徳の在り方も異なる。そこに普遍的な真理は存在しない。ある事柄を絶対的な真理や価値だと位置づけることは、自分たち以外の社会にもその価値観を押し付けることにつながる。それは、相手の社会の価値観を否定することになり、両者の対立を招く。そうした事態を防ぐためには、相手の文化や価値観を受け入れる姿勢が必要である。文化相対主義に対し、レイチェルズは自分の文化の道徳を批判できなくなると指摘している。しかし、私はこの指摘は不適切だと考える。文化が相対的であるということは、様々な道徳が存在しうるということである。そのため、自分たちと異なる価値観の存在を認めることになる。したがって、文化相対主義の方が自らと異なる価値観に寛容だと考える。一方、道徳に絶対的価値を求めた場合、絶対的とされたものは時間、場所、個人に関わらず価値があるものであるとみなされるため、それを批判することは許されない。このことから、むしろ文化相対主義に反する立場の方が、自分たちの道徳を批判できなくなると考える。また、レイチェルズは、文化相対主義によってある文化の非人道的行為を非難できなくなるとしている。これに関して、私は、文化相対主義と人権は対立しないと考える。そもそも、道徳や文化は人生をより良くするためのものである。究極的に言えば、文化や道徳を失ったとしても生きていくこと自体は可能である。つまり、文化や道徳について考えることができるのは、自分の生命や権利がある程度保障されていることが前提である。「名誉の殺人」のように、その前提が脅かされるような状況下では道徳や文化などを語ることはできない。そのため、人権や生命は道徳や文化とは別の問題であり、それらを脅かす行為は道徳という以前に許されざる行為である。したがって、文化相対主義を受け入れても異文化の非人道的行為を非難することは可能であると考える。」
例えば、今回考えてもらった 「名誉の殺人」 ですが、
私はなぜあれをひとつの文化として尊重すべきものと考えず、
人権や普遍的倫理にしたがって改善されるべきものだと判断するのでしょうか。
それは、そこに生きる彼ら自身のロゴス (理性、ことば) によって選び取られた文化ではない、
と判断せざるをえないからです。
選択するためには、それ以外の選択肢が提示されている必要があります。
自分たちの世界の外には 「名誉の殺人」 という文化とは異なる文化があまた存在し、
それらとの比較対照によって何を継承し何を改善していくか、
自分たちのロゴスを用いて判断できて初めて、
文化は継承されていくべきだと思います。
むろん各地域が孤立していた時代はそうした比較対照はできなかったわけですが、
グローバル化した現代においては、情報の共有が可能になりました。
文化が生き残っていくためには、そうした切磋琢磨にさらされ、
それでも選択され継承されることによって尊重に値する文化となるのだと思います。
しかし、あの文化が存続できているのは、
一番の当事者であるあの世界の女性たちにまったく教育が施されず、
彼女たちのことば (ロゴス) が完全に封じられることによってのみ可能となっています。
彼女たちが他の選択肢を知ったら、あの文化を選び取るでしょうか。
ひょっとするとはじめのうちは選ぶかもしれません。
しかし、それは長い年月持ちこたえることはできないだろうと思うのです。
では、知識が与えられ、ロゴスを用いることが許されたら、
文化は変わっていくのでしょうか。
私は変わると思います。
実際に日本でも似たような文化が廃れていった事例があります。
切腹文化です。
江戸時代の日本においても誇りが尊ばれ、
恥が極端に嫌われていました。
そして恥を受けたり、受けそうになったときには、
潔く自ら割腹することが誇りを取り戻す方法として推奨されていました。
家族によって殺されるのではなく、自ら死を選ぶのですから、
「名誉の殺人」よりは当事者も納得して受け入れていた文化だったと思いますが、
その文化も文明開化とともにあっという間に廃れていきました。
文化はいくらでも変わっていくものなのです。
文化とロゴス、文化と選択の問題に関して、
次のように書いてくれていた人たちもいました。
片や文化相対主義に賛成の人、片や反対の人ですが、
主張している内容は共通していると思います。
「私は文化相対主義に賛成します。その地域で根付いてきた文化や環境が異なれば、そこで生き、成長した人々の考え方もほかの地域で育った人々とは異なることは必然であり、絶対的に正解であるとされる環境や文化がない以上、誰にとっても正しいとされる対的な道徳も存在しえないと考えます。しかし、どれだけ文化の違いを認めるといっても、閉鎖的な環境のなかで自分たちだけの文化を基準に生きていくことは間違っていると考えます。ブログにあった「名誉の殺人」ですが、絶対的な正解が分からない以上は完全に間違っている文化だと言い切ることはできないと考えます。しかし、私たちからすれば残虐だと感じる行為をするには、相応の理由と多文化の理解、同意が必要であると考えます。スアドさんが住んでいた村の住人たちは、「人権」という考え方を理解し、そのうえで自分たちの行為がどのような意味を持つのかを確認し、行為の対象にもその考えや文化を認めてもらうことが必要であると考えます。地域ごとに文化や価値観が異なるように、一人一人が違う人生や考え方を持っています。そのような権利や思想を自分が正しいとする文化で抑えつけたり、奪ったりすることは間違っていると思います。よって私は、文化相対主義には賛成しますが、個人が文化に巻き込まれることはあってはならないと考えます。文化とは押し付けるものではなく、形を変えながらも代々継承されていくものであり、自分が継承していく文化は個人が選択するべきであると考えます。」
「私は文化相対主義に反対です。自分は自分、他人は他人という考えでは何も生まれません。確かにその独自の文化を守ることは大切だと思います。しかし情報を遮断して、自分の殻に閉じこもっていてはその文化は停止し、発展しなくなってしまいます。今は特にグローバル化が進んでいて、享受しようと思えばたくさんの情報が入ってくるのでなおさら文化相対主義になってはいけないと思います。他の文化の良いところは受け取り、自分の文化に取り込むことが重要だと思います。他の多くの人に非難されるような道徳は変えるべきです。世界では、真逆の道徳が普遍的であるかもしれません。どちらが正しいのか、客観的に見つめ直す必要があると思います。よって私は文化相対主義に反対です。」
前回、カント倫理学に対する私の立場について書きました。
そのなかでカントの「批判倫理学」(2~5)と「実践哲学体系」(6、7)を分けて論じました。
それと今回の話を絡めて説明すると、
人類に普遍的な倫理としての人権を唱えているのが「実践哲学体系」のほうです。
私はそちらには全面的に賛成しています。
それに対して、カント自身は「批判倫理学」のほうも人類に普遍的な倫理であって、
これ以外の倫理は認められるべきではないと考えていましたが、
私はカントの「批判倫理学」はあくまでもいろいろありうる倫理のなかのひとつにすぎず、
あんなに厳格な倫理学に固執しなくとも、他にもいろいろ考えてみていいんじゃない、
とわりとルーズに考えています。
批判倫理学を一途に信奉し遵守する人がいたならば、
「大変だと思うけどがんばってね」と温かく応援してあげたいと思いますが、
お前もカント主義者の端くれなら「批判倫理学」にのみしたがって生きろと強制されたら、
ごめんなさい、ぼくにはムリです、ぼくにそれを押しつけないでください、
と文化相対主義の立場に立って丁重にお断りさせていただくでしょう。
人権と文化相対主義とはそれぞれの依って立つレベルが異なり、
人権が保障されて初めて文化相対主義が成り立つと考えているので、
両者は対立しません、というのが今回のお答えです。