まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.先生の最も幸せを感じることって何ですか?

2014-06-20 23:43:23 | 幸せの倫理学
このブログのなかの 「幸せの倫理学」 というカテゴリーでは、
私にとっての幸せな事柄についていろいろと書き散らかしてきました。
そこから派生した 「飲んで幸せ・食べて幸せ」 のカテゴリーには飲食関連の幸せな話が満載です。
ですので、私が何に幸せを感じるかに関してはそれらを読んでいただければと思いますが、
そのなかで最も幸せを感じることは何なんでしょうか?
そもそも①自らの欲求・欲望をコントロールして②満足しやすい感受性を育てておく
というのが私の基本的な幸福観なわけですから、
日常のちょっとしたことにも幸せを感じることができるようになってしまっています。
したがって、ふだんから 「最も幸せ」 な状態を追い求めたりしないようにしていますし、
何が 「最も幸せ」 なのか意識することすらありません。
ですので、今回もこのような質問をもらってちょっととまどってしまいました。
虚を衝かれるとはこういうことです。
まあ、せっかく質問をいただいたのでちょっと考えてみることにしましょう。

私も幸福に関しては快楽主義の立場に立って解釈していますので、
身近なところで得られる快楽というのは幸福の重要な要素だと思います。
「幸せの倫理学」 よりも 「飲んで幸せ・食べて幸せ」 のカテゴリーのほうが、
あとから派生したにもかかわらず、記事数が多くなってしまっているということからも、
美味しいお酒を飲んだり、美味しい食べ物を食べることが、
私にとってとても大切であるということがわかるかと思います。
これには環境も大きく影響しているのではないでしょうか。
うちの母は、衣食住のうち着るものと住むところというのは形として残るけれど、
食べ物は食べたその日になくなってしまって後に残ることがない、
だからこそ食にお金をかけるというのは一番贅沢なことなんだ、とよく言っていました。
見栄っ張りな人は豪華な家に住み、綺麗な服を着たがるけれど、
人に見られることのない日々の食事にお金をかけようとしない、
そうではなく日々口にするものこそ身体を作るものなんだから大切にするべきだと教え込まれました。
たしかお酒を飲むことを教えてくれたのも (まだ小学校だったときに!) 母だったと思いますが、
その母の影響を受けたのか、飲食というのは私にとってとても大事なものです。

先日紹介した 『友だち幻想』 では幸福の要素として、
自己充実と他者との交流 (交流そのものの歓び、他者からの承認) が挙げられていました。
これらはいずれも精神的な快楽ですね。
まず自己充実 (=自己実現) に関して言うと私は、
文章を書いたり、人に何かを説明したりということによって大きな幸せを得られるタイプのようです。
ですから、このブログを書いているとき私は無上の幸せを感じています。
書くのに比べて話すのはそれほど得意ではありませんが、
講義をしているときもそれに近い快楽を感じるときがあります。
それに比べて論文を書いているときというのは、もちろん若干の幸福を感じるときもあるのですが、
幸福というよりは苦しさや義務感のほうが先に立つことのほうが普通です。
ただし、めったにあることではありませんが、ブログや講義と同様、論文に関しても、
書き終わった後に他者から評価してもらえることが本当にたまにあって、
そういう他者からの承認はこの上ない幸せと言えるでしょう。

しかし、精神的快楽に関して言うと、やはり他者との交流そのものの歓びというのが、
一番大きいのではないでしょうか。
愛する人、信頼する人々と共に過ごし語り合う時間というのは、
何ものにも代えがたい幸せをもたらしてくれます。
そのなかには自己充実と他者からの承認も同時に含まれているように思います。
みんなもそうじゃないですか?
愛する人と一緒に過ごす時間というのは何よりも一番幸せですよね。

ちょっと自己充実 (=自己実現) に話を戻しますが、私の強みの第1位は 「着想」 です。
アイディアを思いつくというのが私の一番の強みなのです。
そう考えると、ブログや講義や論文というのは私の強みを活かせるので幸せになれるのです。
(逆に言うと論文はアイディアだけでは書けないので幸福の純度が低いのかもしれません)
そして、アイディアを思いつくためには、いろいろな刺激が必要です。
そのためにふだんからたくさん本を読んでいるわけですし、いろいろな情報に接しているわけです。
しかし、そういうアイディアって活字情報ばかりでなく、
実際に面と向かって人と話しているときに浮かんでくることが多いです。
人と話していると、特に複数の人と話していると思いもよらぬほうに話が展開し、
そこにいる誰もが予想もしていなかったアイディアがひらめくなんてことがあります。
これは私にとっては本当に幸せなことで、そこでは交流そのものの歓びと、
自分の強みを活かすという自己充実とが同時に経験されているわけです。
このようにいろいろな幸福が同時に経験されると、
それらの幸福は増幅され最大化されるのではないでしょうか。

と、ここまで考えてきた上で御質問の 「Q.先生の最も幸せを感じることって何ですか?」 に戻ると、
今まで挙げたような幸福をすべて同時に叶えられるようなことがあれば、
それが私にとっての最も幸福なことであるように思えてきました。
そうした場がひとつだけ思い当たるのです。
というわけで今回の質問には次のようにお答えすることにいたしましょう。

A.てつがくカフェ@ふくしまの2次会 (=懇親会) にいるときが一番幸せです。

美味しい飲み物と食べ物、愛し信頼し承認しあえる人々との交流、
私の話を聞いてくれる人々、アイディアを刺激する知的な会話…。
もちろん、てつカフェ自体 (=1次会) も幸せな空間ではあるのですが、
やはり、ファシリテーターや書記係や世話人としていろいろ気を遣わなければなりませんし、
コーヒーはありますが、基本的には精神的快楽のみです。
それに比べて2次会は一切の気苦労から解き放たれて、
アルコールも入り、ただひたすら自分の幸せだけを追求していればいいのです。
なんて幸せな時間なのでしょう
以前に御紹介した 『幸福の習慣』 という本では、「ウェル・ビーイング (=幸福・人生の満足)」 とは、

①仕事に情熱を持って取り組んでいる (仕事の幸福)
②よい人間関係を築いている (人間関係の幸福)
③経済的に安定している (経済的な幸福)
④心身共に健康で活き活きしている (身体的な幸福)
⑤地域社会に貢献している (地域社会の幸福)

これら5つの要素が一体となっている状態だと書いてありました。
てつがくカフェをやっているときというのは、この中の①②⑤が満たされた状態です。
2次会になるとお酒と食べ物が加わって④身体的幸福も満たされることになります。
(あれだけ飲むと健康に悪いという話もありますが、あれだけ飲めるのは健康だからでしょう
経済的な幸福以外はすべて満たされているわけです。
どうやら、てつカフェ2次会は私が最も幸せでいられる場所だったようです。
なんとタイムリーなことに明日は第24回てつがくカフェ@ふくしまです。
最高に幸せな私の姿を見たい人は是非てつカフェ参加後、2次会にも出てみてください。

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