まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.先生の好きな言葉は?

2013-09-23 19:30:33 | 幸せの倫理学
もともとは 「Q.先生の好きな言葉、嫌いな言葉は?」 という2つの質問でした。
これは以前からいただいていた質問ですが、いずれもなかなかひとつに絞りきれず、
どうお答えしたらいいか悩んでいた質問です。
しかし、いつまでも悩んでいてばかりでも仕方ありませんので、
とりあえず現時点での好きな言葉、嫌いな言葉をとにかく1つ挙げることにしましょう。
まず今日のところは好きな言葉から。
うーん、いろいろあるんだけどなあ。
でも、現時点で1つだけ挙げろと言われたらこれかなあ?

A.君も日本一になれる才能の持ち主だ!

これは小学校5、6年生のときの担任のF先生が、
よく言ったり、黒板に書いたり、学級新聞に載せたりしていた言葉です。
子どもの頃の私はまったくの落ちこぼれで、劣等感の塊でした。
学力的にも、運動神経的にも、容姿や体格的にも何ひとつ誇れるものはなく、
自分に対して自信というものをまったく持っていませんでした。
F先生のクラスになって、先生があのセリフを繰り返し言ってくれても、
私にはまったく関係のないことだと思っていました。
この人は何をバカなことを言ってるんだろうと。
ただ、毎日のように執拗に言われ続けましたので、記憶にだけは残っていました。

この言葉が自分にとって意味のある言葉だとわかってきたのはいつの頃からでしょうか?
どうもはっきりと覚えていないのですが、
大学院の博士課程を受験して、研究者の道を進もうと決心した頃にはすでに、
この言葉を自分なりに解釈して、自分にとってもこれは大事な教えであると理解していました。
フツーに考えれば、誰もが皆日本一になれる才能を持っているわけがありません。
日本の人口だけ日本一になれる人間がいるなんてバカげているように思います。
ただあるとき、日本一といっても、いろんな日本一があるよなあと気づいたのです。
「日本一の哲学者」 とか 「日本一の倫理学者」 になるのは大変です。
西田幾多郎とか和辻哲郎とかむちゃくちゃビッグな先人がいますので、
そういう人を超えるというのはとてつもなく困難なことです。
そういう故人は置いておくとしても、今生きている人たちの中だけでもNo.1になるのは大変です。
ただ、そんなに大きなカテゴリーで考えなくともいいんじゃないの、というのが私の気づきでした。

「哲学者」 や 「倫理学者」 というのをもうちょっと範囲を狭めて、
例えば、「カント研究者」 とか 「平和論研究者」 とかに限定してしまうのです。
いや、「日本一のカント研究者」 になるのもめちゃくちゃハードルが高いです。
私の通っていた法政の大学院には当時、著名なカント学者が2人もいて、
その下にカント研究を志す若手研究者が集まってきていましたから、
先輩たちのなかにもものすごい人がたくさんいました。
そんななかでとんでもない回り道をしてきてしまった私はカント研究者としても落ちこぼれでしたので、
とてもじゃないけど師匠や先輩たちを差し置いて、
「日本一のカント研究者」 を目指そうと思えるほどの器ではありませんでした。
しかし、大学院修士課程2年目の頃から、「カント研究者」 というカテゴリーをさらに小さくしたら、
(これをコーチング業界では 「チャンク・ダウンする」 と言います)、
「日本一」 というのもまんざらムリでもないかもしれないなと思うようになったのです。
どうチャンク・ダウンするかというと、例えば、
「日本一カントの法哲学のことをよくわかっているカント研究者」 とか、
「日本一カントの 『人倫の形而上学』 という本のことを理解しているカント研究者」 とかです。
ゼミや研究会の場で議論していると、いつもはボコボコにされっぱなしなのですが、
あるテーマや話題になると、先生や先輩方とも対等に議論できる場合があるし、
時には、自分のほうがカントのことをよくわかっているんじゃないかと思えるときも出てくるのです。
そうやって限定的な場面を設定するならば、
自分だって日本一になれるのではないかと考えられるようになってきたのです。

これは 「ナンバーワン」 というよりは 「オンリーワン」 をめざす戦略です。
オンリーワンといえる土俵を見つけて、そこでナンバーワンを名乗ってしまおうというやり口です。
日本一というのをこういうふうに捉え返してみると、
「君も日本一になれる才能の持ち主だ」 というのはたしかにその通りで、
どんなに特殊な、どんなにピンポイントな才能や特技でもいいですので、
それを見つけてそれを磨いていけば、誰だって日本一くらい簡単になれるのではないでしょうか。
私のブログをよく読んでくださっている方ならば、
この話が私の 「幸福になる方法」 の話の応用バージョンであるということがおわかりでしょう。
例の 「欲求・欲望を小さく抑えることによって幸福になる確率を高める」 という話です。
F先生は豪快な方でしたので、おそらくこんなチマチマしたことを言っていたのではないと思いますが、
私は彼の言葉をこのように受け止めることによって (すべては受け止め方の問題です)、
私にとっても意味のある言葉として解釈し、自分の人生の導きの糸とすることができたのでした。
まったく自分に自信のなかった私が、自分を肯定し、自分を受け入れ、
自分に自信を持つことができるようになった、その背後には、
常に小学生の時に言われたこのF先生の言葉があったように思います。
ですので、皆さんにも私の大好きなこの言葉を捧げたいと思います。

「君も日本一になれる才能の持ち主だ!」

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