まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

鶏の唐揚げラブ♡

2013-08-31 02:52:38 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
以前にちらっとだけ書いたことがあるんですが、
私、鶏の唐揚げが大好きです。
好きな食べ物を言えと言われて、カレーやパスタや天ぷらや寿司みたいに、
すぐにぱっと出てくるメニューではありませんが、落ち着いてよく考えてみると、
たぶん自分のなかで相当好きな食べ物のひとつなんじゃないかと思います。
みんなで居酒屋とかに飲みに行くとあまり意識してはいないのですが、
必ず鶏の唐揚げを頼んでしまっています。
たまに学生さんから 「先生って唐揚げ好きですよね」 とか、
「必ず頼んでますよね」 とか指摘されるとちょっと恥ずかしい思いをしてしまいますが、
しかし、外側がカリッカリで中がジューシーに揚がっている唐揚げにめぐり逢えたら、
恥も外聞もなく私の幸福度はとんでもなく上がってしまうだろうと思います。
鶏の唐揚げってそれくらい幸せな食べ物だと思うのです。

以前書いたときには、金谷川駅前の 「たんぽぽ」 の唐揚げが好きだと書きました。
これ↓ですっ!



「たんぽぽ」 の 「やきから定食」。
見にくいかもしれませんが、鶏の唐揚げと焼き肉のコラボという、
肉食系男子にはたまらない組み合わせとなっております。
ここの唐揚げは相当レベルが高いと思います。
糖質制限ダイエットを始めてしばらく行っていませんでしたが、
恋しくて恋しくてたまらず、先日ふらっと食べに行ってしまいました。
ご飯さえ食べなければいいのではと思って行ったのですが、
タレのしみた焼き肉と美味しそうに炊きあがったご飯の誘惑に耐えきれず、
何口かご飯も食べてしまいましたが、そこで踏みとどまった自分の忍耐力を褒め称えたいと思います。

さて、先日ものすごい久しぶりに 「味乃桃の井」 に行ってきました。
これだけ福島の街で飲み食いしまくっている私が久しぶりに行ったというほど、
むちゃくちゃ美味しいけれどちょっと高級なので敷居の高いお店です。
カテゴリーとしては日本料理屋とか割烹という括りに入るのではないでしょうか。
少なくとも学生さんがフラッと入れるようなお店ではありませんし、
この店で飲み食いしている学生に出会ったら、たぶん私はそいつのことをキライになります。
それぐらい高級なお店なのですが、今回じっくりとメニューを見てみたら、
あったんですねえ、鶏の唐揚げが。
ちょっとというか、相当意外でした。
この店で鶏の唐揚げなんて出すんだ、と。
ほかにもここでしか食べられないような美味しそうな料理がたくさん並んでいましたが、
見つけてしまったら気になって気になってしかたありません。
相当悩んだあげくけっきょく頼んでしまいました。
「桃の井」 の唐揚げなんてどんなものが出てくるんだろうと半ば期待しながら、
でも、鶏の唐揚げですからそんなに突拍子もないものが出てくるわけもなかろうとも思いながら、
注文してからだいぶ時間が経ってから出てきたものを見た瞬間に呆気にとられました。
これ↓ですっ



この写真では大きさがよく伝わらないかもしれませんが、
いずれも骨付きの大ぶりの肉が2枚出てきました。
右側が手羽元を揚げたもの。
見にくいですがその左下に、ケンタッキーフライドチキンでよく出てくるような、
骨付きのもも肉を揚げたものが隠れています。
骨付きと来たかあ。
しかもたった2枚。
いやデカイからボリューム的には十分というか普通の居酒屋のやつより多いと思いますが、
大勢で居酒屋に行って鶏の唐揚げを一人前頼んで、
みんなで1切れか2切れずつ食べるという感覚でいたところにこれが出てきたら、
どうやって分けていいのか途方に暮れてしまうでしょう。
これをみんなで一口ずつ囓りながら回し食べすることができたら、相当な仲良しグループと言えます。
幸いなことにこの日ご一緒していた方は、肉はそんなに好きではないのでと言いつつ、
私が食べられないのを知ってるくせに、
生麩の田楽桃の井特製おにぎりなどを頼みまくっていましたので、
そのバーターでこの鶏の唐揚げ2枚は私がひとりで全部いただくことができました。
その至福の時間といったら…
その大きさをものともせず、あっさりペロリと食べてしまいました。



うーん、美味しかったあ。
まさか 「桃の井」 で鶏の唐揚げが食べられるとは思ってなかったなあ。
しかも、こちらの予想をはるかに超えてくれていたし。
あとで Facebook でやりとりして聞いたところによると、
2代目御主人である桃井さんもこの鶏の唐揚げは子どもの頃から好きだったメニューだそうです。
先代のお父さんに作ってもらっていたんでしょうね。
子どものくせにどんだけ贅沢な食生活を送っていたんだっ。
その罪滅ぼしにこれからも美味しい唐揚げを揚げ続けていただきたいと思います。

ここまで高級な唐揚げである必要はありません。
そこらへんで食べられる美味しい鶏の唐揚げの情報をお待ちします。
私は何度かトライして失敗したあげく、唐揚げは自分で作るものではなく、
プロに作ってもらうものだと観念しましたので、
この店の鶏唐は絶品だよという情報がありましたら、ぜひお知らせください

プチうつ勉強会

2013-08-28 14:53:27 | お仕事のオキテ
私、基本的にはポジティブ人間で、かつ気分が安定していて、
あんまり浮き沈みとかないほうの人間なんですが、
ときどき、自分で 「プチうつ状態」 と呼んでいる状態に入り込むことがあります。
なんか何もやる気が起こらなくなって、学校にも行かずに一日中ボーッとソファに寝そべって、
特に見たいわけでもないテレビを見続けてしまう、というような感じです。
いや一日どころか何日でもこうしていられるみたいな状態になっちゃうことがあるんです。
まあこういうのを 「うつ」 と呼ぶのは、本当にうつの人々に申しわけなくて、
ただの怠け癖とか、無気力というようなものなんでしょうけど、
どういう周期か、年に数回こういう状態に陥ることがあるので、
自分的にはこれを 「プチうつ状態」 と呼んでいるわけです。
で、一番困るのが締切を間近に抱えているときにこれに落ち込んじゃうことです。
今やらなきゃいけない、ここで頑張らなきゃいけないとわかっているのに、
仕事が何も手につかず、けっきょくボーッと過ごしては自己嫌悪に陥り、
自己嫌悪に陥るとよりいっそうやる気が失われていくという負のスパイラルにはまってしまいます。

さて、もう何年か前になるでしょうか、
やはり一番がんばらなきゃいけないときに 「プチうつ」 に陥ってしまい、
そのことをたまたま飲み会か何かで同僚のN先生に打ち明けたことがありました。
N先生はわりとそういうことにも詳しい方だったので、
じゃあ一緒に勉強会でもやりましょうか、と誘ってくださいました。
「一緒に勉強会」 といっても、2人で何かを一緒に学ぶとかいうわけではなくて、
時間と場所を決めて集まってそれぞれ勝手にそれぞれの仕事をする、という集まりです。
N先生によると、そういう場合ひとりで乗り切ることは難しいので、
人と約束して同じ空間に集まっていやでも仕事をせざるをえない状況を作り出すのが効果的なんだそうです。
けっきょくお言葉に甘えて、そんなに長い時間や長い期間ではありませんでしたが、
N先生の研究室におじゃまして、それぞれ黙々と仕事をこなし、
(私の研究室はあいかわらず複数名で集まれるような状態ではありませんでした)
そうこうしているうちにプチうつから脱出することができたのでした。
私はこれを 「プチうつ勉強会」 と呼んでおりました。
N先生、その節はたいへんお世話になりました。
どうもありがとうございました

で、この夏なんですけど。
来ちゃいました、プチうつ状態。
はかどりネコさんが来てくれない代わりにプチうつですよ。
最悪です。
夏休みに入ってがんばらなきゃいけない肝腎なときに、やる気なし男になってしまいました。
締切は迫ってくるのに何もやる気がしない。
まあ、仕事自体が行き詰まっているということもあるんでしょうけど…。
やるべきことはわかっているんだけど、具体的な突破口が見つからないというか…。
だから学校に来ていてもファイルを開く気にならないし、
そもそも学校に行く気にならないし、
家にいればダラダラしてしまうし…。

いよいよ締切も迫ってきて、これではイカンと一念発起して、
「プチうつ勉強会」 を強制的に開催することを決めました。
頼みのN先生はもう福島にはいらっしゃらないので、相手を見つけなければなりません。
ちょうどうちのゼミの院生の I 君が帰省から帰ってきてヒマそうにしていました。
彼も修論を書くという大目的がありますから、勉強はしなければいけないはずです。
話を持ちかけてみたら、喜んでという感じではありませんでしたが、
怪訝そうな顔をしながら賛同してくれました。
若干アカハラが入っていたかもしれませんが背に腹は代えられません。
さっそく翌日から 「プチうつ勉強会」 を開始することにいたしました。
場所は彼が入っている院生室。
私の研究室は、私が研究するための資料を広げるだけのスペースすらありません。
幸い夏休み中で彼以外の院生はほとんど来ていませんし、
きれいに片づけられた机がたくさん空いていますので、
和書や洋書を広げたいだけ広げまくって研究に没頭することができます。
こんな感じ↓で2人で勉強していました。



もちろんバリスタもこの部屋に持ち込んでコーヒー飲みたい放題です。
けっきょくこの勉強会を6回くらい開催したでしょうか。
これを開催しても一向に筆は進まず、ネコさんは来ないままでしたし、
自分でお願いしておきながら時間どおりに集合できなかったり、
てつカフェ後の二日酔いで3時間ぐらいの大遅刻をしたこともありました。
まあでも、この勉強会の約束をしておかなければ、
けっきょくずーっと家でダラダラしていたかもしれません。
それに執筆活動というのは実際に筆が進まずとも、
いろいろな文献を読んだりしながらああだこうだと構想を練っていれば、
いずれの御時にかそれが実を結んだりするわけで、
とにかく 「プチうつ勉強会」 を開催することができてよかったです。
今こうして上京して何とか発表会に臨めるのも 「プチうつ勉強会」 のおかげです。
協力してくれた I 君、本当にありがとうございました。
これからもこういうことがあるだろうと思うのでなにとぞよろしくお願い申しあげます。

待ちネコ来たらず (T_T)

2013-08-27 12:24:43 | お仕事のオキテ
久しぶりに大学の研究室に泊まっちゃいました。
つまり、追い込まれているということです。
さすがにもう完徹はムリですが、けっこう頑張ってはいました。
今回はこんなもの↓まで持ち込んで。



「ネスカフェ ゴールドブレンド バリスタ」 です。
インスタントコーヒーでエスプレッソやカプチーノを作れちゃうというマシーンです。
ふだんコーヒーは挽いた豆をドリップして飲んでいますからあまり活躍の場はありませんでしたが、
インスタントコーヒーと水さえ機械にセットしておけば、
スイッチ一つでそこそこの味のコーヒーが飲めちゃうというのは、
こういう追い込まれたときにはピッタリかもしれません。
しかも、この機械専用のインスタントコーヒーの 「エコ&システムパック」 なるものが、
なんと福大生協でも買えちゃうんですねぇ。
バリスタ、意外と福島大学のなかで浸透しているんでしょうか?
K先生の研究室にもあったなんていう話を小耳にはさんだりもいたしました。

さて、そうやってコーヒーを大量摂取しながら眠気と戦いつつ頑張ったというのに、
肝心の 「はかどりネコさん」 が来てくれないんです。
そこそこに構想やらアイディアは思い浮かばないわけではないんですが、
それがどうも上手いこと文章にならないんです。
現在取り組んでいる仕事ですが、すでに新たに書き下ろす必要のある部分はなくなって、
すでに出来ているものをどんどん修正していけばいいだけなんですが、
どうもそういう仕事が一番、私には向いていないみたいです。
思いついたアイディアで突っ走ってまとめあげるというのが 「着想」 優位の私には向いていて、
しかも自分の書いた論文を何度でも読み返して楽しんでいられるナルシストの私には、
一度出来上がっちゃったものを解体して再構築していくというのが辛くてしかたありません。
せっかくの新しいアイディアもどこにどう挿入していいやら、
書いては消し、入れては捨てをダラダラと繰り返すばかりです。
ひょっとして 「はかどりネコさん」 はこのまま私を見捨てっぱなしのつもりなんでしょうか?
明日が発表なのに
夏休みにもかかわらず皆さん、時間を割いて私のために集まってくださるというのに
あ、こんなブログ書いてる場合じゃないのに。

とりあえず一夜を明かしてお腹が空いたので生協にブランチを食べに行きました。
そしたら11時前でまだ食堂は開いていませんでした。
購買のほうで何か買おうと思いましたが、購買に置いてあるものってほとんど糖質ばかりですね。
パンにお弁当に丼にカップラーメン等々。
血眼で探したらやっとこんなもの↓を見つけました。



「ホットワンタン おかずのSOUP」 。
炭水化物17.4g、カロリー192kcalだそうです。
野菜の具もたっぷりなので生協購買部にあるもののなかではまあまあ及第点でしょう。
さて、控えめとはいえ糖質も補給したし、
はかどりネコさん、いよいよホントに来てください
すでにもう一泊するであろうことも覚悟してしまってはおりますが、
あなたが来てくださらないことには、いくらコーヒー飲もうが徹夜しようがすべては In Vain なのです。
私は大学の研究室にいます。
ずっとここで待っています。
間違えて自宅のほうに行かないでください。
連絡を待つ

情報技術の進歩と情報倫理教育

2013-08-26 23:04:12 | グローバル・エシックス
Facebook や LINE や Twitter って (私は Twitter のほうは全然使っていませんが)、

相当便利なツールだと思うんですよ、うまく使いこなすことさえできれば。

だけど最近こんなニュース↓が絶えませんね。


「冷凍庫悪ふざけのツケは…退学、損害賠償 調理師専門学生2人」


たしかUSJで迷惑行為を繰り返した学生もツイッターやブログに投稿していましたし、

今日も高校生が地下鉄の線路に下りて 「人身事故なう」 とつぶやいたとのニュースを目にしました。

これらは悪ふざけの類なんでしょうが、

中高生のあいだではLINEいじめなんていうことまで流行しているようです。


「深刻化するネットいじめ LINE急増 … 自殺後も 「お通夜NOW」」


なんだかなあ。

こういう事件が増えると、文明の利器そのものに対する懐疑論が出回っちゃうんだよなあ。

純ちゃんのそれ見たことかと言わんばかりの笑顔が目に浮かぶ。

人間というのは自らが生み出した便利な技術を正しく使いこなすことのできない動物なのでしょうか?

福大生だっていつやらかしてもおかしくはありません。

彼らにどんな情報倫理教育を施せばいいのでしょうか?

Facebook や LINE を使っている私だって、

これらをヘヴィーユーズしていった先にどんな危険や落とし穴が待ち受けているのか、

すべてを予見しきれるわけではありません。

倫理学者として途方に暮れるばかりの今日この頃でした。

胡蝶蘭の再生

2013-08-23 17:51:33 | お仕事のオキテ


東京の家にあった胡蝶蘭です。

昨年末に引っ越したときに頂いたものだそうです。

当然、そのときに咲いていた花はすべて散ってしまったのですが、

もったいなくて捨てずに世話をしていたらまた花が咲いてきたとのことでした。

(妻や私はそういう面倒を見るタイプではありませんが、義母はこういうことが得意で…)

ちょっと前まではもっとたくさん咲いていたそうなので、

この姿はもう末期に近づいているのだそうです。

ところで、贈り物にされる胡蝶蘭って、こんな感じ↓ですよね。



花びらがみんなお行儀よくこっち向いているっていうか、

開店何周年とかの記念日にお店に贈られているやつとかは、

みんなきれいにお客さんのほうに向かって咲いていますよね。

たしかにうちのやつも頂いたときはこんなふうだったはずなんですが、

素人による再生栽培だと花びらは誰も正面を向いてくれません。

右側の人たちは右を向いているし、



左側の人は完全にソッポを向いているし。



やっぱプロは商品としての完成度を高めるためにいろんな苦労を重ねてるんだろうな。

ぼくとしてはあんまりお行儀がいいとちょっと気持ちが悪くて、

それぞれ好き勝手に咲いてるこの人たちのほうが親近感をもてるのですが…。

これが散ってもまた咲いてくれるのでしょうか?

そのときにはぜひプロの仕事に近づくよう義母にはがんばってもらいたいと思います。

早くもピンチ 極ZEROダイエット

2013-08-22 19:02:43 | がんばらないダイエット
糖質制限ダイエットの一環として 「発泡酒ダイエット」 を再開したという話を、

先月書かせていただきました。

最近サッポロから発売された 「極ZERO」 が糖質ゼロ、プリン体ゼロなのにそこそこ美味しくて、

「サントリーダイエット生」 終売のため中断していた 「発泡酒ダイエット」 を再開できたという話です。

それはよかったのですが、まだ1ヶ月しか経たないのにここに来てちょっと赤信号が点滅し始めました。

「極ZERO」 ってシェアが弱いのかどこのスーパーにも売ってるというわけではないんです。

我が家に一番近いMAXふくしまのFOODMAXには、「極ZERO」 は置いていないんです。

まあそれは最初からだったし、FOODMAXは偏った品揃えが特徴のお店ですから仕方ありません。

ところが先日、黒岩のヨークベニマルに買いに行ったら、「極ZERO」 がありませんでした。

いつもはそこで買っていたので店員さんに聞いてみたら、

やはり 「以前は置いていたけど最近入荷しなくなりました」 とのことです。

今まであったお店から消えるというのは非常にやばいサインです。

その日はYAMAYAで買ってなんとかしのぐことができました。

その後、野田町のヨークタウンのなかにあるヨークベニマルに行く機会がありました。

うちに在庫はまだあったのでその日は買い足す必要はありませんでしたが、

同じヨークベニマルということで気になったので置いてあるかだけ確かめてみました。

そしたら、こんな感じでした。



見えますでしょうか?

あることはありました。

画面中央の一番上の部分に、「世界初」 という文字が踊っています。

拡大してみましょう。



これが 「極ZERO」 です。

あって一安心です。

が、最初の写真を見てください。

明らかに品揃えが少なくありませんか?

「クリアアサヒ」 や 「のどごし生」、「金麦」 などが二段ずつ埋め尽くしているなかで、

「極ZERO」 は圧倒的少数派の地位に追いやられていませんか?

なんだかここ2回の選挙結果を思い出してしまいます。

「ダイエット生」 も末期はこんな感じだったよなあ。

だんだんと売り場面積が小さくなっていって最後は消えてしまうという…。

ぼくが好きで応援しているものってけっこうこういう運命をたどることが多いんだよなあ。

それにしても早すぎる。

サッポロは何をやっておるのだっ

こんなにいい商品、もっと力を入れて宣伝しないとっ

皆さんもぜひ一度お試しください

もしもスーパーに置いてなかったら、

行くたんびに 「極ZEROはまだ入荷されないんですか」 と店員さんに迫ってください。

私たちが声を上げていかないと悪貨に良貨は駆逐されてしまうんです。

少数派として消えていくのはイヤだあ~

責任に関するメール

2013-08-21 19:03:15 | 哲学・倫理学ファック
この夏休みは3年生の諸君にとっては卒論のテーマと指導教員を決めなくてはならない時期です。
夜間主現代教養コースの学生さんの1人が 「責任」 をテーマにしたいのだけれど、
倫理学では責任をどう取り扱っているのでしょうか、と質問してきました。
たまたま私の帰省等と重なって、面談の時間を取ることができず、
メールでの指導となりました。
けっこう長いメールを打っちゃったので、もったいないからブログネタに転載することにします。
個人的な情報とかもありますから、若干編集を加えた上で転載します。


(以下、メール引用)

「責任」というのは倫理学にとっても中心的な概念なので、
卒論テーマにするにはいいかもしれません。
いろいろな角度から切り込むことができそうな気がします。
倫理学では責任をどう取り扱っているのか?
メールなんかで簡単にお答えできるようなことではありませんが、
まず従来の (近代) 倫理学の枠組みから言っても、責任というのは重要な概念で、
それは 「自由」 の概念に付随して生じてくる概念です。
つまり、本人の意志による自由な選択によって生じた結果に関してのみ、
責任というものは発生しえます。
これは現代の法においても、心神喪失などによって本人の自由選択が不可能であった場合には、
その人がやってしまったことの責任を問うことができないわけです。
その場合には、彼に対しては罰が科されるのではなく、治療や入院が科されるだけです。
責任とは、その人が自由な選択によって行った行為の結果に対してのみ負わされるものなのです。

現代の倫理学では以上の話とはちょっと異なる角度から 「責任」 がフィーチャーされています。
特に環境倫理学とかフェミニズム系のケアの倫理学において責任が重視されているのですが、
以前の近代倫理学においては、対等な諸個人の相互関係というものをモデルにして、
人間はどうあるべきか、何をなすべきかを考えていました。
これはこれで重要な考え方ですし、倫理学の根幹を成す考え方でもあるのですが、
現実の人間関係というのは対等な関係ばかりではありません。
例えば、親と子ども、大人と子どもというものを考えてみるならば、
そこには完全に対等な相互関係というものは成立しえず、
常に、親の側、大人の側が子どもの面倒をみなければならないという非対称性が見出されます。
そういう場面において、親の側、大人の側の 「責任」 というものが問題になってきます。
ここでの責任は、保護すべき相手に対する一方的な関係、一方的な義務として立ち上がってきます。
この文脈においては子どもの側の責任というのは問題になってきません。
あくまでも責任を負うのは親であり大人です。

これと同様な関係が、環境倫理学においては現在世代と未来世代のあいだに生じます。
まだ生まれてもいない遠い未来の世代は私たち祖先に対して何か責任を負うわけではありません。
私たち現在生きている世代が、未来世代に対して、
彼らも生き残っていけるような自然環境を残していく責任を一方的に負っているわけです。
動物に対する責任、自然に対する責任というのもやはり一方的です。
責任を取りうるのは人間だけであって、動物や自然の側が責任を取るということはありえません。
ここまでクリアなわけではありませんが、医療者は患者に対して、教育者は学習者に対して、
やはり似たような責任を負っています。
科学倫理、技術倫理の分野においても、どこまで最初から意図し予見できていたかわからなくとも、
想定外の結果を引き起こしてしまった科学技術に対し、
科学者や技術者は責任を負わなければならないという議論が出てき始めていますが、
しかし実際の問題においてどこまで責任取れるのかというのは大問題になっています。
ここでも専門家と素人のあいだの知識や技能の差は尋常ではないので、
素人の側の責任というのはほとんど問題になることはなく、
専門家の側の責任ばかりが問われるという事態が生じつつあります。
対等なもの同士の 「義務」 や 「権利」 といった考え方だけからでは出てこないような、
新たな倫理学の枠組みが 「責任」 になるのです。

このように旧態依然とした近代倫理学においても、現代における最先端の倫理学においても、
「責任」 というのは重要な概念として着目されています。
責任をテーマにするというのであれば倫理学ゼミで卒論を書くというのはありかもしれません。

(メール引用終わり)


長くなっちゃったので途中からスマホはやめてパソコンで打ち込んでいました。
けっきょくこの学生は、まさおさまゼミに入ることになりました。
どんな卒論を書いてくれるのか、楽しみにしたいと思います。

初心者にやさしい駐車場へ

2013-08-20 15:34:33 | ドライブ人生論
福島大学はいい大学だと思いますが、長年不満に思っていることもありました。
駐車場です。
もうちょっと正確に言うと、駐車場の駐車スペースを示す白線です。
福島大学の駐車場ってこんな感じなんですよ。



夜中にクルマがいないときにも撮ってみました。



白線をこんなに手ぇ抜いてる駐車場ってあまり見かけませんよね。
フツーは駐車スペースは4本の白い線分で四角く囲われています。
だけど福島大学は四隅だけを部分的にしか示していなかったのです。
駐車スペースを示すためだけなら、まあこれで十分事足りるのかもしれません。
しかしながら、駐車場の白線ってバックするときの目印にもなっていると思うんです。
特に私などはサイドミラーだけを見ながらバックするタイプなので、
白線が切れているとクルマの位置感覚をつかめなくなってしまうのです。
福大の駐車場を使われている皆さんはいかがだったでしょうか?

しかも、大学の駐車場というのは大学生の使用率が高くなるわけですが、
大学生というのは押し並べて初心者です。
初心者にとってバックとか車庫入れって一番難しい技術じゃないですか。
そういう人たちがこの福大方式の駐車場で右往左往しているところに何度も出くわしました。
あるいは、苦心の末、駐車スペースの中の変な位置に停めてしまっているクルマもよく見かけます。
そういうクルマが1台いると、その隣のクルマもガタガタになってしまったりしますよね。
白線をケチることによってどれくらいの予算が浮くのかわかりませんが、
それよりも大学駐車場は初心者の使用が多いということを鑑みて、
福大方式はやめてちゃんと白線を引くべきじゃないかと思っておりました。

そんな不満をずっと持っていて、何かの機会には意見表明もしたりしていましたが、
この20年近くまったく改まらないまま今日に至っていました。
先ほどの2枚の写真は図書館脇の駐車場ですが、
最近工事があって白線が引き直されたばかりだったんです。
それでやっぱりまたまばゆいばかりの福大方式です。
このシステムは未来永劫続くのかなあと落胆していたところでした。

ところが昨日です。
山の上の駐車場 (新名称は未来支援センター脇駐車場です) に行ってみて驚きました。
なんとこうなっているのです。



夜にももう1枚撮ってみました。



おおっ、これは福大方式ではない、本物の駐車場ではないですか
どうしたんだっ、福島大学
図書館脇駐車場の施工から1ヶ月も経たないくらいのうちに、
駐車場設置方針を180度転換したのでしょうか?
素晴らしいです
これこそ駐車場です。
きっとこれから順次、他の駐車場も点と点の間が結ばれていくことになるのでしょう。
福大の全駐車場が、初心者にやさしい本物の駐車場として生まれ変わったときには、
また皆さまにご報告したいと思います。

「省察」、「本性」 の正しい読み方

2013-08-19 19:21:28 | 哲学・倫理学ファック
さて、今度の土曜日は初めての 「哲学書 de てつがくカフェ」 が開催されます。
「本 de てつがくカフェ」 はすでに5回も開催してきましたが、
そこで扱っていたのはたいていは小説であって (場合によってはマンガ)、
本格的な哲学書を読むという企画ではありませんでした。
第5回の 「本 de てつがくカフェ」 は高橋哲哉氏の 『犠牲のシステム 福島・沖縄』 でしたので、
新書とはいえ、これはある種、哲学書と言ってもよいかもしれませんが、
ただまあ、いわゆる哲学の専門知識を必要とするような古典とは異なるでしょう。
その第5回の成功も手伝って、今度はいよいよ古典と呼ばれる哲学書に挑戦です。
取り上げるのはこの本↓です。



「我思う、ゆえに我あり」 で有名なデカルトの、
『方法序説』 と並ぶ代表的な著作のひとつです。
ところで、今度の 「哲学書 de てつがくカフェ」 を告知するにあたって、
世話人のあいだですでにすれ違いが発生してしまいました。
この本のタイトルですけど、皆さんは何と読みますか?

私は当然 「せいさつ」 と読むものだと思っていました。
ところが純ちゃんは 「しょうさつ」 と読むのですね。
なるほど、たしかにそう読むことも可能な熟語です。
そう言われてみれば、カントには公刊されなかった遺稿集があって、
それが 『Reflexion』 と名づけられており、
これは一般的にはそのまま 『レフレクシオーン』 とカタカナ表記される場合が多いのですが、
日本語に翻訳して 『省察』 と表記する人たちもいます。
で、カント研究会か日本カント協会だかの学会で原稿を読み上げるときに、
これを 「しょうさつ」 と読む人がいるのを何回か聞いたことがあります。
哲学の専門家のあいだでもこの熟語の読み方は一定していないようです。
はたしてどちらの読みが正しいのでしょうか?

国語辞典で調べてみると、やはりどちらの読みもあるようですが、
「せいさつ」 のほうがより正統な読みで、だいたいどの辞書でも、
「しょうさつ」 で引くと 「せいさつ」 に飛ばされるという仕組みになっているようです。
さらに決定的なのは、ウィキペディアの 『省察』 の項目でした。
冒頭に読み方まで書いてありました。
「『省察』(せいさつ、Meditationes de prima philosophia) は、
 1641年に公刊されたフランスの哲学者ルネ・デカルトの著書である。」
ウィキペディアの記述を決定的証拠として挙げるのも学者としていかがなものかと思いますので、
哲学事典の類いも確かめてみたところ、岩波の 『哲学・思想事典』 ではやはり、
「セ」 のなかの 「制裁」 の項目の次に掲載され、
ページ上部のインデックス表示にはっきりと 「セイサツ」 と記されていました。
やっぱり 「せいさつ」 でよかったんだな。
エッヘン。

これ以外にも、卒論ゼミとかで学生の指導をしていると、
多くの学生が読み方を間違える熟語としてもうひとつ、次のようなものがあります。
この本のタイトルを読めるでしょうか?



ちょっと見にくいかな。
ヒュームの 『人間本性論』 です。
これは何と読むでしょうか?
こちらのほうが難易度は高いです。
問題は 「本性」 のところです。
フツーだったら 「ほんしょう」 と読みたくなりますね。
国語辞典的にはそれで正解です。
しかしながら、哲学用語としては正解は 「ほんせい」 となります。
おそらく皆さんのパソコン (の日本語入力ソフト) では、
「ほんしょう」 と打ち込まないと 「ほんせい」 では 「本性」 とは変換されないでしょう。
国語辞典でもやはり 「ほんせい」 と引くと 「ほんしょう」 に飛ばされてしまいますが、
哲学用語としては 「ほんせい」 と読んでいただかなければならないのです。

哲学用語としての 「本性 (ほんせい)」 は 「nature」 の訳語です。
「自然」 とも訳される 「nature」 ですね。
私たち人間の外にある nature が 「自然」 であり、
私たち人間自身の nature 、つまり、
私たち人間がみな共通に有している自然の組成や性質が 「人間本性 (ほんせい)」 なわけです。
酔ったり悪事を働いたりするときに現れてしまう 「本性 (ほんしょう)」 とはちょっと違いますね。
ですので、哲学や倫理学の文脈で 「本性」 という熟語が出てきたときには、
頭のなかで 「nature」 という原語を思い浮かべながら 「ほんせい」 と読んでください。
今日は哲学用語の読み方のお勉強でした。

今年の桃

2013-08-17 17:50:18 | 飲んで幸せ・食べて幸せ

この夏も例年通り、お世話になった方々に福島の桃をお届けしました。

3.11以前から変わることなく続けている我が家の風習です。

相当前から贈り続けていますが、ある年にふと人にあげてばっかりで、

自分たちで食べたことがなかったということに気がついて、

自分の家にも送って皆さまにお贈りしているものと同じ桃を食べるようになりました。

その桃が届いたのですが、今年の桃は例年のものと明らかに違っていました。

まず全体に固い感じで熟し切っていない感じです。

したがって、福島に来て覚えた 「正しい桃のむき方」 を実践しようとしても、

一番難しい第2工程 (ぐるっと切れ目を入れた桃を両手でねじって2つに切り離す) が、

まったくうまくできません。

実が固すぎて種と実を引き離すことができないのです。

あの正統なむき方は、どうやら熟した桃でしか通用しない方法だったようです。

無理にやろうとすると桃を持つ手に相当の力を加えなければならず、

桃を切り離す前に桃の実がつぶれてしまうのです。

あきらめてフツーのやり方で、まずは皮を剝き、種を避けるようにして実を切り落とし食べてみると、

当初の印象ほど実が固いわけではないので、そこそこ美味しく食べることはできますが、

しかし、明らかに糖度が例年よりも低いように思います。

私が糖質制限ダイエットを始めたことを 「福島フルーツ研究会」 の人がブログで読んで、

糖質オフの桃を選んでくれたのでしょうか?

いやいやそんなことはありえません。

やはり今年の天候のせいでしょう。

福島は8月に入ってやっと暑くなってきましたが、

7月のあいだは本当にもう今年は梅雨明けもせず夏も来ないんじゃないかと心配するくらい、

ずーっと涼しい日が続いておりました。

雨も多かったし、「千年に一度の猛暑」 なんていう触れ込みを感じさせないほど、

まったく夏らしからぬ夏を過ごさざるをえませんでした。

たぶん一番大事な時期に気温が上がらなかったのが桃の生育に影響したのでしょう。

残念ではありますが、自然の産物なんですからしかたありません。

こういう年もあります。

ワイン同様、その年その年の自然の恵みの味わいを満喫することにしましょう。

今年の桃は 「桃のパスタ」 なんかにしてもいいかもしれません。

あ、いや、ダメだ。

桃もパスタも糖質の塊じゃないか。

今年は思いっきり桃を食べられないからちょうどよかったのかもしれないな。

来年の今ごろは充分にダイエットの成果が出て、

今ほど厳しい糖質制限をしなくてもよくなっていますように。

そして、美味しい桃がたくさん取れますように。

謎のDNP (その2)

2013-08-16 09:51:39 | お仕事のオキテ
一昨日、謎のDNPについてご報告しましたが、その最後に、
「ところでこのDNP、略称問題にとどまらないものすごい大物でした」 と書きました。
今日はその点をご紹介しておきます。
まずは市谷田町周辺の地図をご覧ください。



右上のほうに赤く囲っておいたのが法政大学の大学院棟です。
私が大学院に通っていた頃は大学院棟は富士見キャンパス内にありましたが、
今ではその建物は取り壊されてしまって、
その跡地にボワソナードタワーという高層ビルが建てられています。
大学院棟はお濠をはさんで外堀通り沿いに、これもそこそこの高層ビルとして建てられました。
この新しい大学院棟を出て市ヶ谷駅に向かって南西に歩いていくと、
地図の下のほうに赤く囲った部分に、
大日本印刷のショールームと、バカでかい広告塔が見えてきます。
ストリートビュー的に見るとこんな感じ。



交差点の手前が、1階がショールームになっている 「DNP市谷田町ビル」 です。
交差点の向こう側に青とオレンジのまばゆい広告塔が建っています。
私にとって 「DNP=大日本印刷」 というのはまさにこの広告塔とショールームでした。
これだけ存在感があると、街の様子をまったく意に介さないさすがの私でも、
ああ、ここにこんなものがあるんだなあと気づかないわけにはいきません。
とはいえ、私にとってDNPとはこの2つがすべてでした。

ところがこの写真の広告塔をよく見てもらうと、下のほうに右方向を指す矢印が描かれています。
見えますでしょうか?
つまり、この交差点を右折してさらに行った先にもDNPがあるよということを意味しているのです。
しかし、私は特にDNPに直接、用はありませんでしたし、
さすがにこの矢印にも気づいていなかったので、
DNPのショールームと広告塔があるな、大日本印刷なのになんでDNI じゃないんだろうと、
それくらいの興味しかもたずにずっと生きてきたわけです。
ところが、このたびこの界隈に引っ越してきて、この一帯を散歩する機会に恵まれました。
そうしたら、この広告塔とショールームは氷山の一角にすぎなかったことに気づかされたのです。
先ほどの地図をもう一度見てみましょう。



一番左下に青く囲っておきましたが、
こんなところにすでにDNPの左内町第2、第3ビルが隠れています。
さらに、あの交差点を右折して緑色の矢印に沿って坂をどんどん上っていくと、
もうとんでもない光景に出くわすことになりました。
ストリートビューで撮った写真ではその衝撃をうまくお伝えすることができないので、
地図でご覧いただくことにしましょう。



これで見えるかなあ?
見にくい方は下の小さい地図をクリックしていただくと、拡大して見られるかもしれません。



もうそこらじゅう 「大日本印刷」 と 「DNP」 だらけです。
いちいち丸で囲むのもめんどくさかったのでやめてしまいました。
「どんだけー」 という台詞はこの日の発見のために作られたんじゃないかと思ったほどです。
このあたりは東京のど真ん中ですよ。
山手線の縦長の楕円のちょうど中心に当たる地域、
靖国神社にもほど近い東京の一等地ですよ。
その土地をどれほど買い占めてんだって話ですよ。
印刷会社ってそんなに儲かるのかっ
印刷の仕事なんて別に都心でやらなくても、
もっと地価の安い地方でやればいいんじゃないのか?
そう思ってちょっと調べてみたらさらに驚かされてしまいました。

調べたといってもウィキペディアを見てみただけなんですが、
その冒頭にはこう書かれていました。
「世界最大規模の総合印刷会社」。
あ、世界最大ですか。
それはたいへんお見それいたしました。
そして、市ヶ谷一帯を 「DNP」 で埋め尽くしているのなんてほんの手始めにすぎず、
工場だけでも、私に言われるまでもなく地方も含めてそれこそ日本全国を埋め尽くしていました。
コピペしてみましょう。

市谷工場 (東京都 新宿区)、榎町工場 (東京都 新宿区)、赤羽工場 (東京都 北区)、王子工場 (東京都 北区)、小豆沢工場 (東京都 板橋区)、神谷ソリューションセンター (東京都 北区)、高島平ソリューションセンター (東京都 板橋区)、札幌工場 (北海道 札幌市)、北上工場 (岩手県 北上市)、仙台工場 (宮城県 仙台市)、泉崎工場 (福島県 西白河郡 泉崎村)、牛久工場 (茨城県 牛久市)、宇都宮工場 (栃木県 栃木市)、柏工場 (千葉県 柏市)、川口工場 (埼玉県 川口市)、白岡工場 (埼玉県 白岡市)、上福岡工場 (埼玉県 ふじみ野市)、狭山工場 (埼玉県 狭山市)、鶴瀬工場 (埼玉県 入間郡 三芳町)、蕨工場 (埼玉県 蕨市)、久喜工場 (埼玉県 久喜市)、大利根工場 (埼玉県 加須市)、横浜工場 (神奈川県 横浜市)、川崎工場 (神奈川県 川崎市)、小田原工場 (神奈川県 小田原市)、中津川工場 (岐阜県 中津川市)、名古屋工場 (愛知県 名古屋市)、亀山工場 (三重県 亀山市)、滋賀工場 (滋賀県 甲賀市)、太秦工場 (京都府 京都市)、吉祥院工場 (京都府 京都市)、京田辺工場 (京都府 京都市)、奈良工場 (奈良県 磯城郡 川西町)、堺工場 (大阪府 堺市)、小野工場 (兵庫県 小野市)、神戸工場 (兵庫県 神戸市)、姫路工場 (兵庫県 姫路市)、岡山工場 (岡山県 岡山市)、三原工場 (広島県 三原市)、徳島工場 (徳島県 徳島市)、福岡工場 (福岡県 福岡市)、筑後工場 (福岡県 筑後市)、黒崎工場 (福岡県 北九州市)

福島県にも泉崎に工場を設置してくれています (パソコンで見ると4行目)。
一昨日 Facebook で 「DNPとは何の頭文字でしょうか?」 と訊いてみたところ、
県南で高校教員をやっていたこともある純ちゃんは一発で答えてくれ、
「県南地区の高校生にとっては、憧れの企業の一つです」 と教えてくれました。
ホント、ぼくが不勉強だっただけで、福島の高校生でも知ってるような大企業だったんですね。
工場だけでもこんなにあるのですが、その他に研究所や関連企業も数え切れないほどあるようです。
さらに驚かされたのはウィキペディアのこんな記述。

「2010年3月期の有価証券報告書で、
 在職30年社長の北島義俊の2010年3月期の報酬が7億8700万円だったと明らかになった。
 この報酬はこれまで明らかになった中では、日本人最高額である。」

あ、そうでしたか
こりゃまた本当に失礼いたしました
「2010年3月期」 って要するに月給ですか?
年収ではなく?
印刷会社ってハンパなく儲かるんですね。
市ヶ谷占拠なんて社長のポケットマネーくらいで軽くできちゃうんでしょうね。
どうやらただひたすら私が無知を晒していただけのようです。
とにかくビックリしたとだけまとめておいて、さっさとこの稿を畳みたいと思います。
たいへんお見それいたしました。
お後がよろしいようで。

憲法は、政府に対する命令である

2013-08-15 11:42:32 | 哲学・倫理学ファック

銀座の本屋さんで、ダグラス・ラミス 『憲法は、政府に対する命令である』 という本を見つけました。

奥付を見てみると、この8月9日に出版されたばかりのようです。

ダグラス・ラミスといえば、『ガンジーの危険な平和憲法案』 という本を書いた人です。

この人の本はいずれもタイトルがいいですね。

読んでみたい気をそそります。

さっそく読んでみたところ面白くて一気に読んでしまいました。

日本国憲法はもとより、その根幹、源泉である社会契約論のことがとてもよくわかる本でした。

その最大の特徴を表すのが本書のタイトル、「憲法は政府に対する命令である」 です。

その通り、憲法というのはまさに政府に対する命令であり、国家を拘束するものです。

日本国憲法のことをよく、あんなものは 「押しつけ憲法」 にすぎないと批判する人がいますが、

ラミス氏は 「憲法とはそもそも押しつけるものである」 と断言します。

問題は 「誰が誰に押しつけたものか」 ということです。

一般には、アメリカが日本に押しつけたと解されていますが、

ラミス氏は、この問題を考えるときに 「日本」 と一括りに考えてはいけない、と言います。

日本の政府と民衆は分けて考えるべきで、たしかに日本の政府 (当時の大日本帝国政府) は、

アメリカ総司令部から日本国憲法草案を押しつけられたかもしれませんが、

当時の日本の民衆は85%がこの草案を支持したのであり (世論調査より)、

日本国憲法は、日本の民衆が大日本帝国政府に対して押しつけたものでもある、というのです。

実際、大日本帝国政府は草案の根幹部分をなんとか回避しようと悪あがきしたのですが、

アメリカ総司令部は日本の民衆が草案を支持すると判断し、

草案を渡す際にすぐさま民衆に公開するよう日本政府に迫ったそうです。

その結果、世論調査ばかりでなく、支持表明の集会や新聞報道などが後押しとなって、

大日本帝国政府は日本国憲法を受け容れざるをえなくなりました。

ラミス氏はこの事態を、「民衆が新憲法に 『同意した』 ことを意味するだけではなく、

民衆が大日本帝国政府への新憲法の押しつけに参加した」 という意味でもあると解しています。

しかも、ほどなく米ソ冷戦が開始されてしまったことによって、

アメリカ政府にとっても日本国憲法は不都合なものになってしまいました。

つまり、当初から日本政府ばかりでなくアメリカ政府も日本国憲法を変えたかったのです。

もしも本当にアメリカが日本に押しつけただけのものであれば、すぐに変えられたはずです。

しかし、それを変えられなかったのはなぜか。

それは日本の民衆が日本の政府とアメリカの政府に対して、

日本国憲法を押しつけ続けることを望んだからである、と言うのです。

なるほど、面白い見方です。

そのように見るならば、日本国憲法が押しつけ憲法であることは、

私たち日本国民の勝利の証ではありませんか。

敗戦記念日の今日読むのにたいへんふさわしい本だと思います。

なお、本書には増補された 「付論」 も付されていて、

そのタイトルは 「自民党憲法改正草案は、国民に対する命令である」 です。

そちらでは、自民党の憲法改正草案は 「改正草案」 と銘打っているものの、

日本国憲法の 「改正」 の枠内に収まるものではなく、

日本の政治のありようを根本的に変えてしまうような 「新憲法草案」 だと論じられています。

そこには自民党指導部からの国民に対する命令ばかりが書かれている、とラミス氏は言います。

はたして日本国民はそんなもの (政府の言いなりになる国民の義務) を欲しているのでしょうか?

中国や韓国や北朝鮮から日本をどう守るかということばかりを考えている人たちには、

自国の政府の暴走からどうやって国民を守るかということも考えてもらいたいと思います。

賛成するか反対するかは別として、

憲法改正について論じるときにはぜひ皆さんに読んでおいてもらいたい本です。

謎のDNP (その1)

2013-08-14 22:42:59 | 人間文化論
市ヶ谷に帰省しております。
たまに上京したときだけですけど、市ヶ谷に住むというのはヘンな気分です。
私は大学院の修士課程2年間、博士課程5年間+オーバードクターの1年間、
合わせて計8年間、市ヶ谷の法政大学に通い続けました。
小学校があった横浜の立野に通った6年間よりも長い期間です。
小中学校の時代から附属でしたので地元の学校に徒歩で通ったことはなく、
市電やバスや国鉄 (今のJR) を駆使しての通学でしたから、
自分の通っている (いた) 学校のそばに住むという感覚がまだよくつかめません。
勝手知ったる土地ではあるのですが、ここに夜帰ってくるという感覚が何だかしっくり来ないのです。

さて、通学先としての市ヶ谷ではなく、自分の地元として市ヶ谷を見てみると、
大学院時代とは異なって、またいろいろな発見がありました。
そのひとつがDNPです。
DNPというのは市ヶ谷に縁のある人しかわからないと思いますが、
このあたりにある大企業 「大日本印刷」 のことです。
私が法政大学大学院に在籍していた頃から外堀通り沿いに大きなビルがあったと思うし、
こんなに注意力散漫な私が何となくとはいえ覚えているのですから、
当時からよっぽど目立つ地域のランドマークだったのでしょう。

だけど、DNPですよ、DNP。
大日本印刷がDNPっておかしくないですか?
Dai Nippon Printing?
日本放送協会をNHKって略すのもなんかヘンな感じはしていましたが、
でもNHKは日本語をローマ字化するだけに徹しているのでそれはそれでいいじゃないですか。
逆にTBSのほうがカッコつけすぎですよね。
「Tokyo Broadcasting System Television, Inc.」 が 「株式会社TBSテレビ」 になってるってことは、
TBS以外の和名はないってことですよね。
欧米かっ
ただまあNHKにしてもTBSにしても和名であれ洋名であれ、
どちらかに統一しているのでそれはよしとしましょう。

ところがDNPです。
DNI (= Dai Nippon Insatsu) ではなく、
DNP (= Dai Nippon Printing Co Ltd.) なんです。
うーん、納得いかないなあ。
なぜそこだけ英語を使うっ
かつて大学入試センターのことを 「DNC」 と呼んでいたことがありました。
Daigaku Nyuushi Center の頭文字なんだそうです。
なぜ 「センター」 のとこだけちゃんと英語なんだっ
なぜ University の U や Examination の E は出てこないっ
そこまでローマ字なら 「センター」 だって 「S」 でいいじゃないかっ
ああ、気色悪いっ。
それと同じ気色悪さをDNPには感じるのでした。

いやいや申しわけありません。
そんなにカッカするような問題ではありませんでした。
市ヶ谷の地元が誇る世界に冠たる日本企業ですので、
DNPさんにはこれからも大活躍していただければと思います。
ところでこのDNP、略称問題にとどまらないものすごい大物でした。
その件に関してはまたの機会に書かせていただきます。

友の教え (その1)・ 皿は拭くのではない

2013-08-13 13:22:52 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
これまで父に教わったこと先生に教わったことについて書いてきましたが、
友人から学んだことはそれよりももっと多いかもしれません。
「ドライブ人生論」 のカテゴリーに書いた話や、
「性愛の倫理学」 カテゴリーの最初のエピソードなどはまさに 「友の教え」 と言えるでしょう。
今日洗い物をしながらふとそんな 「友の教え」 のひとつを思い出したので書き留めておきます。


「皿は拭くのではない、磨くのだっ!」


これは大学時代の友人S君の言葉です。
この言葉を聞いたのは大学卒業後、彼が彼女と同棲していた家に招かれて、
飲食を終えて2人で洗い物をしていたときでした。
彼は大学時代から先進的な政治思想を生きている人でした。
フェミニズムとかエコロジーなんていう言葉がまだそれほどメジャーになっていなかった頃から、
その理論を学び語るだけでなく生活の中で自ら実践していました。
「ハウスハズバンド (主夫)」 という言葉を教えてくれて、
マイク・マグレディの 『主夫と生活』 という本を貸してくれたのも彼でした。
同棲を始めてから彼は専業主夫になったわけではありませんでしたが、
当たり前のように家事を2人で平等に分担していました。
彼の家では洗剤を使っておらず、台所には食器用石鹸が置かれていました。
今でこそ多くの家庭で当たり前のように普及していることかもしれませんが、
四半世紀以上前の当時、それはとても画期的なことでした。
私が結婚後、家事の分担も含めて男女平等な生活スタイルを築くようになったのは、
彼の影響によるところがとても大きかったと思っています。
(残念ながら界面活性剤の泡立ちには勝てず、エコな生活のほうは真似することができませんでした)

そんな彼の家で、食事を食べ終わったら後片付けを女性に任せていてはいけなくて、
自分で洗わなきゃいけないんだよなんていうことを教わりながら、
彼が洗ったお皿を私がササッと拭くという分業をしていたときでした。
彼は私が拭き終わったお皿をチェックして、
「これじゃダメ。やり直し」 とダメ出ししてきたのです。
私はなんのことかまったく意味がわかりませんでした。
ちゃんと水分は拭き取ってお皿は乾いた状態になっています。
我ながら手早い確実な作業だなと悦に入っていたくらいです。
何がダメなのかわからずキョトンとしていたところに、先ほどの台詞がやってきました。

「皿は拭くのではない、磨くのだっ!」

口調も物腰もとてもソフトな彼でしたので、
実際にはこんな高飛車な物言いではなかったろうと思いますが、
私の頭のなかにはこのような文言でインプットされました。
私の行った行為はたしかに水分を拭き取るというだけの 「拭く」 作業でした。
彼が私にやってもらいたかったのは、むしろそこから始まる行為だったのです。
乾いた皿にさらにキュッキュッと磨きをかけてピカピカに光らせていく、
「磨く」 という作業が必要とされていたのです。
たしかに言われてよく見てみると、
洗い終わって水分も拭き取り終わったお皿にも、うっすらと何かの跡が残っています。
これは石鹸でもタワシでも (彼の家では洗剤を使わないのでスポンジも使いませんでした)、
水分を拭き取るための布巾でも除去できるものではなく、
お皿を磨くための乾いた布巾で丁寧にたっぷり時間をかけて磨きをかけていかないと、
お皿は最初買ってきたピカピカの状態に復元しないのです。

S君の教えはいつでも私の常識の先を行っていました。
あまりにも先進的すぎて実際に実践するには難しいものもたくさん含まれていました。
一人暮らしになってからはお皿を磨くどころか拭くことさえ面倒で、
洗って洗いカゴに突っ込んでおいたまま、食器棚に戻されることすらなく、
自然乾燥したものを直接、料理を盛るのに再使用するということも少なくありません。
しかし、そうやって拭くことも磨くこともないまま使い回されるお皿は、
確実に薄汚れていっています。
ふだんは意識しないようにしていましたが、今日その薄汚れた皿と目が合ってしまい、
S君の教えを思い出したのでした。
そして、たまたま時間があったので、久しぶりに磨きをかけてみました。
口の中で何度もぶつぶつ呟きながら。
「皿は拭くのではない、磨くのだっ!」
S君、久しく会ってないけど元気にしてるでしょうか?
きっと今日もキュッキュ、キュッキュとお皿を磨いているんだろうな。

糖質制限対応新メニュー

2013-08-10 13:08:11 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
糖質制限ダイエットを始めてから何がめんどくさいって、

夕食をちゃんと作らなければいけなくなったことです。

これまではパスタを茹でてレトルトソースをかけて食べるというのが私の定番メニューでした。

外食でないかぎりほぼ毎日それでした。

その道が断たれてしまったのです。

というわけで、バイブルなども参考にしながら、何とか手軽で腹にたまり、

糖質を摂取せずにすむメニューに挑戦しているところです。

そこである日の食卓がこれです。



茸サラダ、麻婆豆腐、青椒肉絲です。

まあサラダはいいとして、麻婆豆腐と青椒肉絲は、

ダイエットを始めてから初めて作るようになったメニューです。

ありきたりなメニューですが、自分で作ってみたことはありませんでした。

これは2人分なので麻婆豆腐と青椒肉絲を同時に作ってみましたが、

1人のときは麻婆豆腐とサラダとか、青椒肉絲と何かみたいな感じです。

自分で作ってみて、ちょっとめんどくさいけど、

意外と美味しくできるもんだなとビックリしているところです。

こちらが麻婆豆腐のアップ。



そして青椒肉絲。



あまり写真写りはよくありませんが、

この日はどちらも3度目の挑戦で今まででサイコーの出来でした。

レシピはいずれもクックパッド。

いろいろとチェックしてみて、一番簡単そうなやつを選びました。

旦那が惚れた! 簡単☆辛うま麻婆豆腐

青椒肉絲: チンジャオロースー

どちらも本当はご飯と一緒にいただきたいところですが、

ライム入り極ゼロを飲みながらゆっくり噛みしめて食べれば、充分に満腹感は得られます。

おかげさまで63kg台まで体重は下がってきました。

あとちょっとで-10kg達成です。

そこまで行ったら炭水化物を解禁しちゃおうかな。