ある方からジブリの
『おもひでぽろぽろ』 は必見と薦められまして、遅ればせながら見てみました。
見てみての感想ですが、うーん、なんと言ったらいいかなあ、
ところどころ共感できるシーンやセリフもあったんですが、
全体としてはどうもこの映画の世界に入り込んでいくことができませんでした。
気に入った部分は
また別の機会に書くことにして、
今日はどこがダメだったかを書き記しておこうと思います。
毎度のことですが、これはあくまでも私個人の私的な感想というか受け止め方ですので、
そんなものによってこの作品の価値が影響を受けるわけではありません。
まずダメだったのが絵と声でした。
ストーリーは、主人公・岡島タエ子の現在 (1982年、27歳) と、
小学校5年生時 (1966年、10歳) とを行ったり来たりしながら進んでいくんですが、
27歳のタエ子の顔にほうれい線が出たり消えたりするんですよ。
ほうれい線がないバージョンはこんな感じ。
これはまあかわいいですよね。
ところがほうれい線があるバージョンはこんな感じ。
これどう見ても同じ歳の同じ人物には見えませんよね。
少なくとも10年後、場合によったら20年後の岡島タエ子って感じがするでしょ。
この2種類の顔が同じ場面のなかで何度も交互に出てくるんです。
たぶんほうれい線ではなく、笑ったときの頬骨を描いているつもりなのかもしれませんが、
ちょっとどうなのって気がしませんか?
まあ私ごときが、アニメの大御所スタジオジブリに絵の注文をつけるなんておこがましいんですが、
とにかく気になって気になって物語に集中できませんでした。
そして、声。
27歳の岡島タエ子を吹き替えた今井美樹もわたし的には今ひとつだったんですが、
トシオ役の柳葉敏郎がどうにも受け入れられませんでした。
いや、上手いんです。
東北弁の農家の青年の声をみごとに演じているんですが、
どうにも絵とうまくマッチしないんです。
その声を聞くたんびにトシオではなく、
アフレコをしている柳葉敏郎のことしか頭に浮かんでこないんです。
頼むからそんな大物俳優を起用したりせず、
名もなきプロの声優さんを使ってくれよと思ってしまいます。
という感じでアニメ映画だというのに絵と声でつまずいてしまっているわけですから、
なかなか作品の世界に入っていくことができません。
しかしそれよりも、小学生時代のタエ子のエピソードというのが、
どれもこれもあまりにもかわいそうすぎて正視していられない感じでした。
出だしの感想文のエピソードからしてギョッとします。
タエ子は自分が書いた読書感想文が先生に褒められて、
東京都のコンクールに出すかもしれないっていうことをお母さんに報告するんですが、
お母さんは、タエ子が給食のおかずを残してパンにはさんで持って帰ってきたことに気がついて、
こんなふうに叱るんです。
「好き嫌いばっかりして。
作文がちょっとくらい上手な子より、
好き嫌いしないで何でも食べる子のほうがずっとエライのよ。」
もうエーッ?て感じです。
小5のタエ子が不憫で不憫でなりません。
お母さん、今はそんなこと言わなくてもいいのに、
まずは感想文のことをちゃんと褒めてあげればいいのにって思います。
せめて褒めてあげたあとで、でもね、って言ってあげればいいのにって思ってしまいます。
いや、たしかに昭和の時代の家庭教育って、子どものいいところを褒めて伸ばすのではなく、
足りないところできないところを指摘して匡正するっていうのがフツーで、
私も家庭でも学校でもそんなふうに指導されてきましたし、
この映画が公開された1991年の段階でもそれはそんなに変わってなかったと思いますが、
コーチングやら何やらいろんな新しい教育指導法が普及してしまった現代において、
このエピソードを見てみるとなんだか背筋が凍る思いがするのです。
タエ子が生涯でたった一度だけお父さんにほっぺたをぶたれたときのエピソードも理不尽でした。
末っ子のタエ子はなんでもお姉ちゃんたちのお下がりばかりで常々それを不満に思っていますが、
家族でおめかしをして出かけるという日、
お出かけ用のハンドバッグを買ってもらえなくてふてくされ、
お姉ちゃんがイヤイヤ貸してくれたその渡し方にも腹が立って、もう行かないとすねてみせたら、
じゃあ留守番してなさいとみんな自分を置いて出かけようとしてしまいます。
置いて行かれそうになってあわてて 「やっぱり私も行く」 と裸足で外に飛び出していったら、
裸足で出てきたことを理由にお父さんにぶたれてしまうのです。
このエピソードが、父の理不尽な体罰の話としてではなく、
「あの頃の私は我が儘だったなあ」 という思い出として語られるのです。
もう全然意味がわかりません。
岡島家、どうなっているのだ?
そして、算数。
それまでは何とかついていっていたものの、分数の割り算になってタエ子はつまずいてしまいます。
3分の2を4分の1で割るということの意味が理解できないので、
ただ分子と分母を逆にしてかければいいのと教えられてもそれができず、
タエ子は計算問題で全滅してしまいます。
その答案を見て母や姉はタエ子はバカなんじゃないか、IQが低いんじゃないかと大騒ぎします。
そして、母のとどめのひとこと、「普通じゃないの、タエ子は!」
このお母さん、別に児童虐待する特殊な人物ではなく、
基本的にはタエ子をとても愛している優しいお母さんとして描かれているようです。
が、そのちょっとした一言が恐ろしい破壊力を秘めています。
まあでもあの頃は親も先生もみんなこうだったと言えばこうだったかもしれません。
(
「何やらせても何やってるかわからん」 参照。)
このような家庭に育ってタエ子が心に大きなトラウマを負ったとか、
そういったことはまったくなさそうなので、
たんにタエ子が素直な性格ではなかったということを表すためのエピソードにすぎないんでしょうが、
これも現代的観点からするとちょっと看過しえないお話でした。
最後は芝居のスカウト問題。
タエ子は端役だったにもかかわらず学芸会で自分なりに工夫して演技をし、
それが認められて大学の演劇部の芝居に子役として出演してくれないかとスカウトされます。
自分なりの努力が人に認められたのですからタエ子はどれほどうれしかったことでしょう。
お母さんもお姉さんたちもスカウトされたことを喜んであげますが、
お父さんを交えた夕食の席で、このまま芸能界にデビューかもとか宝塚を受けたらなど、
話を盛ってしまったところ、お父さんは芸能界なんてダメだと芝居出演の話を一蹴してしまいます。
別に芸能界入り云々というような話でも何でもなかったにもかかわらず、
お母さんもお姉さんたちもそれ以上一言もタエ子の加勢をしてあげるでもなく、
芝居に出る話はそのまま立ち消えになってしまいました。
こんなことがあっていいのでしょうか?
その芝居にもしも出られていたら、それによってタエ子はどれほどの学びを得、
どれほど自分に自信をつけ、どれほど人間的に成長を遂げることができていたでしょうか?
その後、芝居の道に進むかどうかなどということとはまったく関係なく、
成功するにせよ失敗するにせよ、他では得がたい貴重な経験を積むことができていたはずなのです。
それをほんの数十分の、話し合いとも呼べないお粗末な家庭談義によって、
もののみごとに潰してしまった岡島家の家庭教育。
なんだかもう本当にタエ子がかわいそうでかわいそうで見ていられませんでした。
挙げ句にお母さんは、タエ子の代わりにその芝居に出ることになった学校の友だちへの気遣いを、
タエ子に向かって厳しい口調で強要するのです。
エエッ、お母さん、そう来ますか。
それはもう虐待と言っていいレベルじゃないですか?
自分の子どもが可愛くはないのですか?
ぼくがタエ子だったら絶対に荒れてますね。
家出するか家庭内暴力かのどっちかでしょう。
こんな仕打ちを受けた子どもが、田舎に憧れる勤勉な女性に育つなんて、
そんなのアニメの世界のなかだけです。
うーん、公開された1991年に見ていたらもっと素直に見ることができたのでしょうか?
あの当時 (公開時または1960年代) はどこの家庭でもこういうのが常識だったんでしょうか?
おそらく制作者サイドはこの岡島家のあり方に何の疑問も抱いていなかったことでしょう。
あの頃の家庭教育を批判するといった意味でこれらのシーンを用意したわけではなく、
たんにタエ子がどんな人間であるかを示すためのエピソードとして描いただけなのでしょう。
映画公開時からほんの20年あまりですが、
その間に教育の常識がガラッと変わってしまったということなのでしょうか?
あの頃の当たり前の教育が、現代から見ると虐待に見えるということなのでしょうか?
たしかにあの頃は体罰とかシゴキとかごく当たり前の教育行為として日常にあふれていました。
反対にコーチングなんて概念そのものがなかったしなあ。
そう考えると教育の世界はこの20年のあいだでガラッと様変わりしてしまったのかもしれません。
だとすると、私ならずとも、今 『おもひでぽろぽろ』 を改めて見た人は、
誰しもが私と同じように上記のようなシーンに対して違和感を覚えてくれるのでしょうか?
ぜひ皆さんも 『おもひでぽろぽろ』 をご覧になってみて、
岡島家の家庭教育についてどう思うかお聞かせ願いたいと思います。
特に、公開当時に見たことのある人は、
あの頃と今とであれらのシーンの受け止め方が変わったかどうか教えていただけたらと思います。
それともたんに私のものの見方がひねくれているだけなのかなあ?
うん、なんかそういう気もしてきた。
私はジブリの映画を見る資格がないのかも…。
昨日に続いて今度は世界中のジブリファンを敵に回してしまったかも
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_gaan.gif)
。
ああ、心配。