まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

桃の正しいむき方

2011-08-31 07:53:05 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
本日は桃の正しいむき方をレクチャーいたします。
福島に来てから数年経った頃に同期のC先生から教えていただきました。
C先生も福島出身ではありませんが、福島の方に教えていただいたんだそうです。



まずは桃の割れ目に沿ってグルリと一周包丁を入れます。
真ん中の種を感じながら、種にもちょっと傷をつけるくらいのつもりで、
しっかりと切れ目を入れておくことが大事です。

次の工程が一番重要なのですが、一人では写真を撮ることができませんでした。
言葉で説明していきますので、なんとか付いてきてください。
切れ目を入れた桃を両手でそうっと、でもしっかりと持ち、反対方向にねじっていきます。
2つにパカッと割りたいのです。
そのためには種から実を引きはがさなくてはなりません。
種と実ははがれるけれども、桃を握りつぶしてしまわないくらいの力加減が難しいです。
うまくいくとこうやって↓、片方に種が残り、片方からは種が外れて2つに分かれます。



熟し具合によってこんなふうに上手くいく場合と、
なかなか上手く種と実がはがれてくれなくてグシャグシャになってしまう場合があります。
あと熟しすぎている場合は、包丁で切れ目を入れているときに種ごと切れてしまったり、
ねじっているときに種が割れてしまったりして、こんなふうに↓両方に種がついていることがあります。



こうなってしまった場合はそれぞれ種をほじくり出せばいいのであとの作業は簡単です。
そうではなくて理想的なケース (種が片方に残る) の場合は、
種の周りにまた包丁を入れていきます。



この種はなかなか取りにくいので、できるだけ深く包丁を入れる必要があります。
特に上下の部分で種と実がくっついていますので、そこは入念に包丁を入れます。



そうしたら指、またはスプーンなどでこの種をほじくり出します。
種にはトゲっぽいものがついていてケガする危険もありますので気をつけてください。



種を取り出すことに成功しました。
この種は捨てる前にしゃぶりましょう。
ちょっと酸っぱいですがけっこう実がくっついています。
ここまでの作業をした人にのみ種をしゃぶる特権が与えられます。
あとはリンゴの皮をむくのと同じ要領です。



それぞれを半分ずつに切って、4等分にし、



リンゴのように皮をむいていきます。



そして、お皿に載せれば完成です。
まるでリンゴや梨と同じように、
あるいは桃の缶詰に入っている桃のように (缶詰の場合は2等分かな?)、
キレイに大きなピースで盛り付けることができました。

このむき方を習うまでは、先に皮を全部むいてしまって、
あとは種をよけるようにしながら包丁で切っていっていたので、
大小さまざまなピースができてしまい、兄弟で大きいピースの取り合いをしたりしたものでしたが、
このむき方を覚えれば家族円満です。
桃の季節もあと残りわずかですが、
来シーズンに向けて今年のうちにこのむき方をマスターしてみてください。

頭痛よ、さらば

2011-08-30 08:22:55 | 生老病死の倫理学
先週の金曜日、東京で研究発表でした。
私にとってはちょっと大事なお仕事で、
自ら志願してその日発表させてもらうことになったとはいえ、
せっかくの8月はこのためにずーっと陰鬱な気分で過ごさざるをえなかったことは否めません。
とはいえ、あいかわらずコツコツと着実に仕事をしていくタイプではなく、
せっかく空けてあった週末をまったく無為に過ごしてしまうなんていうこともあり、
けっきょくギリギリまで先延ばしにしたあげく、発表前日は久しぶりの徹夜なんていう、
昔ながらのキリギリス生活で当日を迎えてしまいました。
しかしまあ発表はそこそこの出来と評判で、苦しんだ甲斐あって、
今後に向けての大きな前進となりました。
その日は皆さんに温かいもてなしを受け、解放感も手伝ってまた遅くまで飲み明かしてしまいました。

そして、翌27日の朝、またやっちまったなあと思いつつ、おそるおそる起きたのですが、
なんと不思議なことに朝になったらいつもやってきているあの頭痛がありません。
軽~くなんか怪しい気配が首筋から後頭部にかけてないわけではないのですが、
いつもの締めつけられるような頭痛は来ていないのです。
ひょっとしてあの研究発表が謎の頭痛の原因だったのでしょうか?
だから発表が終わった瞬間に去って行ってくれたのでしょうか?
それとも、東京泊だったので、飲み過ぎで帰ってきたものの、
そのままソファで眠ってしまったり、ベッドで正体もなくヘンなカッコで眠ってしまったりもせず、
正しい姿勢で行儀よく眠ったのがよかったのでしょうか?
とにかく3週間ぶりに頭痛のない朝を迎えることができ、薬ものまずにすみました。

その日はさらに、妻がお世話になっているマッサージの方の予約を取ってありました。
27日は福島で哲学カフェですから、そんなに東京でのんびりしている時間もなかったのですが、
早い時間帯をわざわざ空けてくださって施術してくれることになっていたのです。
マッサージといっても普通のマッサージではありません。
筋肉の凝りをほぐすというよりも、全身の血行を管理するのが目的で、
そのため揉むのではなく、皮膚をつまむというかつねるという感じです。
90分かけて全身をつまんでいただきました。

やりながらいろいろと教えてくださいました。
痛みを感じると人間はつい身体を緊張させ力を入れてそれに耐えようとしてしまいますが、
それは逆効果なのだそうです。
身体の中心に向かって小さく小さくまとまろうとすると凝りはひどくなっていきます。
逆に身体の力を抜いてリラックスさせて、十分に呼吸をすることが重要で、
アゴを上げて声を出したり、目を大きく見開いたりするように言われました。
頭痛がするとうつむいて眉間にシワを寄せたくなってしまいがちですが、
それは頭痛を悪化させるだけなのだそうです。
他にも、仕事をするときはバランスボールに座り、
パソコンのモニターができるだけ高い位置に来るようにしたらいいとか、
いろいろ教わって帰ってきました。
今はマクラはこれ↓にしています。



タオルを丸めたものです。
これを首筋のところに入れるだけです。
これについては整形外科の先生にも神経内科の先生にも勧められていたのですが、
あの低反発のマクラがその役を果たしているのだろうと思ってマクラを使い続けていました。
しかし、今回の説明によれば、マクラというのは頭を高くする (首を前傾させる) のがよい、
という思想に基づいてずっと作られてきたのですが、
それは身体に力を入れ血行を悪くするもとなので、
現在では頭は高くしない、首筋だけ支えるようにするのがよいというようになってきたのだそうです。
というわけで、イオンの低反発マクラにも退役してもらうことになりました。

さて、あれから今日で4日め。
その後まだ一度も頭痛薬をのまずにすんでおります。
頭痛は完全に去ってしまったわけではなくて、
たまにあの怪しい気配が戻ってきたりもするのですが、
そういうときにはアゴを上げて声を出したり (つまり息を吐くことによって呼吸をする)、
目をカッと見開いたりすることによって身体を弛緩させ、
そのままやり過ごすことができるようになりました。
この調子で長く苦しめられた頭痛と決別することができるようになるのでしょうか?
また次の締め切りもやってきていますし、まだまだ予断は許されませんが、
どんなに疲れてもソファでテレビを見たまま眠ったりはしないようにして、
首によけいな負担をかけないよう心がけたいと思います。

書評カフェ 『八月の路上に捨てる』

2011-08-29 11:06:15 | 性愛の倫理学
先週の土曜日は第4回 「てつがくカフェ@ふくしま」 でした。
参加者数は少なかったものの、より濃い議論を交わすことができました。
わざわざ仙台から来てくださった一般の方が2名もいらっしゃって、
この試みが広く静かに滲透しつつあることが感じられます。
ぢゅんちゃんがまた議論をまとめてくれました。
ぜひ一読して、家族や血のつながりについて皆さんも考えてみてください。

さて、今度の日曜日は仙台で書評カフェが開催されます。
「てつがくカフェ@せんだい」 の主催ですが、
福島から参加する、このブログでもおなじみの、すずめさんがファシリテーターです。
取り上げるのは、伊藤たかみ 『八月の路上に捨てる』(文春文庫) です。
第1回の書評カフェで読んだ 『ともだち刑』 以来ずっと気になっている、
男と女の違いやズレを主題としている作品です。
さっそく私も読んでみましたが、とてもいい作品を選んでいただきました。
きっと今回もまた議論が盛り上がることでしょう。
書評カフェはホントのカフェで行うので人数制限がありますが、
そのぶんゆったりと話すことができて対話を満喫できます。
事前申し込みが必要なので興味のある方はぜひお早めに。


  第3回 「書評カフェ」

日時 : 2011年9月4日 (日曜日) 14:00~16:00

場所 : カフェドギャルソン (仙台市青葉区国分町3-2-2 おいかわビル 2F)

書籍 : 伊藤たかみ 『八月の路上に捨てる』 文春文庫

※事前申し込みが必要です (下記問い合わせ先に連絡して下さい)。

問い合わせ先 : E-mail tanishi@hss.tbgu.ac.jp (西村まで)


譲ります

2011-08-28 12:05:53 | 人間文化論
あげます。
早い者勝ちです。
欲しい人はコメント欄に名乗りを上げてください。
とりあえず陣場町まで取りに来てくださる方を優先したいと思いますが、
学生さんで福島駅~大学周辺に住んでいる方の場合は、
一緒に私のクルマで運んであげることもできるかもしれません。
応相談。

まず一品目はCDラックです。



W 30cm × D 30cm × H 78cm。
こんなふうにCDを入れます。



こんな感じで4面に入れられるので、けっこうな収納力です。
50枚×4面で計200枚収容可能です。
クルクル回ります。
上はこんな感じなのでちょっとした物を載せておくこともできます。



私は電話機を載せていましたが、回すとコードが大変なことになるのであまりオススメしません。

続いて二品目はスチール製本棚です。



W 80cm × D 25cm × H 130cm。
奥行きはちょうど文庫本やマンガを2列ずつ並べられる深さです。



震災以後、私は棚の前後を入れ替えて、本がこちら側に落ちてこないように、
手前に出っ張りが来るようにしています (本来は奥に落ちないようにするためのストッパー)。
棚は5段ついていて、高さを変えることができます。
ただし、今回の震災でというわけではないのですが、前面に傷が付いています。



しかし、今調べてみたら前後を反対向きにすることができるので、
この傷は壁面のほうに隠すことができるでしょう、たぶん。

以上の二品です。
どちらをご希望かを明記の上、まずはコメント欄にお書き込みください。
詳しいやりとりは落札者決定後にメールで行いましょう。
(タダなんだから落札とは言わないか。)

ホームメイドカレー

2011-08-26 23:20:33 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
今日は東京出張でした。

昼頃に東京駅に着くスケジュールの場合たいてい私は、

東京駅構内、丸の内北口改札付近にある 「ホームメイドカレー」 というお店に入ります。

今インターネットで調べてみたら正式名称は 「ホームメイドカレー・タイム」 と言うそうなのですが、

もう何度もこちらにうかがっているけれど、「タイム」 という名前に心当たりはまったくありません。

どこにもそんな表記してなかったんじゃないかなあ?

まあそれはともあれ、私はこちらの 「黒カレー」 がお気に入り。

けっこう辛口なのが辛いもの好きにはたまりません。

最初に入口の外にある自動券売機で食券を買うのですが、

券売機にはただの 「黒カレー」 というのはありません。

「ヒレカツ黒カレー」 だとか 「ハンバーグ黒カレー」 だのが並んでいます。

今日は初めて見かけた 「チキン立田黒カレー」 というのを選んでみました。

カリカリかつジューシーでとても美味しい立田揚げでした。

一度、トッピングは何もいらないんだけどなあと思って、

食券を買わずに中に入って 「ただの黒カレーってありませんか?」 と聞いてみたら、

店長と相談などしたあげくにいいですよと作ってくれました。

券売機にシンプルな 「黒カレー」 を用意しておかないそのマーケティングは、

なるほどと思いつつちょっと頭に来ますが、

よっぽどのことがないかぎりトッピング抜きなんてわざわざ頼むのも面倒なので、

ついつい揚げ物つきのカレーを昼に食べてしまうことになっちゃいます。

石原先生の教えには背いてしまうことになりますが、美味いんだな、これが

病みつきです。

脳卒中と脳梗塞

2011-08-25 20:47:36 | 生老病死の倫理学
よく脳卒中とか脳梗塞という言葉を耳にしますが、
それらがどういう意味かということはあまり気にせずにいました。
先日 「あづま脳神経外科」 に行ってきたときに、いろいろなパンフレットが置いてあって、
そのなかに 「脳梗塞かもしれない…と思ったら、一刻も早く受診しましょう」 というパンフがあり、
そこに脳卒中と脳梗塞の違いが説明してありましたので、ご紹介しちゃいます。
こういう概念整理って大好きなんだよなあ。

まず、「脳卒中」 というのが広義の概念で、
そのなかに脳卒中の1種として 「脳梗塞」 が含まれているのだそうです。
もうこれを聞いただけでなんだか頭がスッキリしますね。
脳の血管に起こる障害を総称して、すべて 「脳卒中」 と言うのだそうです。
脳卒中には3つのタイプがあります。
第1に 「脳出血」。
第2に 「くも膜下出血」。
第3に 「脳梗塞」。
どれも聞いたことがありますね。
これが全体像です。
まずはこの全体の構図を頭に入れておきましょう。

「脳出血」 というのは、脳の血管が破れて出血することです。
このあいだ 「あづま脳神経外科」 で診てもらったときに、
脳の臓器の疾患で頭痛がするようなときというのは脳出血してるようなときぐらいだ、
というような言われ方をしましたので、
これはもう相当ヤバい状態なんでしょうね。

「くも膜下出血」 というのは、血管のこぶが破裂することだそうです。
私は今日まで長い間、これを 「くもまくかしゅっけつ」 と読むのか、
「くもまくしたしゅっけつ」 と読むのかよくわからずに曖昧にすませてきましたが、
今、Wikipedia で確認してみたところ、
「くもまくか」(あるいは「くもまっか」) が正しいようです。
Wikipedia では、突然死の6.6%を占めると書いてありましたので、
これも怖い病気のようです。
あの加藤さんもこれで突然亡くなってしまいました。

これに対して、「脳梗塞」 というのは、脳の血管が詰まる病気だそうです。
血管が詰まり、その先に血液が流れなくなって脳細胞が壊死し、
それによって手足のマヒや言語障害などさまざまな障害が起こってくるそうです。
私の理解によれば、脳梗塞は他の2つに比べて、すぐに命に関わるというわけではなく、
後遺症が残ったりするのが問題なので、発症する前触れを感じたらすぐに受診してくださいということで、
こういう予防のためのパンフレットが作成、配布されているのでしょう。

脳梗塞の前触れとしては、
・ロレツが回らない、言葉が出てこない、他人の言うことが理解できない
・片方の手足や顔半分にマヒやしびれが起こる
・立ち上がれない、歩けない、フラフラする
・片方の目が見えない、物が2つに見える、視野の半分が欠ける
といった症状があり、
しかも最初のうちはこういった症状が数分~30分くらいで消えてしまうのだそうです。
症状が治まったから大丈夫と思わず、この時点ですぐに受診するのがベストだそうです。

とりあえず私の頭痛は脳卒中とは関係ないようです。
が、糖尿病と喫煙を除いて、その他の高血圧や高脂血症や肥満など、
脳梗塞の原因となる問題はすべて抱えておりますので、
上記のような症状が一瞬でも出たらすぐに 「あづま脳神経外科」 を訪れたいと思います。
なお、「あづま脳神経外科」 では 「脳ドック」 というものもやっているそうです。
10,000円ぐらいからMRIとMRAの画像診断をやってもらえて、
これによって脳梗塞やくも膜下出血、脳動脈瘤、血管狭窄症・血管閉塞症、脳動静脈奇形、脳腫瘍
などがわかるのだそうです。
なんだ、やっぱり脳ドックのつもりで、こないだMRIとかやってもらえばよかったな。
(健康診断だと保険がきかないので10,000円以上かかるが、症状があれば保険がきくので安くなる)
ま、いずれ脳ドックにも行ってみないといけないかもしれないですね。
私の頭痛のおかげで皆さんも少し賢くなりましたね。
よかった、よかった。

ゲリラ豪雨

2011-08-23 20:44:33 | お仕事のオキテ
今年はたまたまラッキーで、これまでゲリラ豪雨の被害に遭わずにきていたのですが、

とうとう今日やられてしまいました。

大学の建物を出たときには 「あれ降り始めたのかな?」 という程度で、

「降らずとも雨具の用意」 の私としては少しもビビらず、

My Favorite Things のひとつであるユニクロの折りたたみ傘をすぐに取り出して、

余裕をかましていたのですが、

体育棟のあたりを過ぎる頃にはとんでもない降りになってきました。

守衛さんのところあたりでもう完全にゲリラ豪雨の餌食となってしまったことを悟りました。

今週は明日以降、免許更新講習やら東京出張やらいろいろあるために、

今日は珍しく当日の4日も前だというのに、土曜日の 「てつがくカフェ」 のためのポスターを作成し、

自宅に持って帰ろうと思って手に持って歩いていたのです。

いつもだったら、「てつがくカフェ」 の準備をする日はクルマで来て、

作った資料やポスターなんかを全部積んで帰ったりしていたのですが、

今日は電車通学だというのにポスターを作り、そして、今日ムリに持って帰る必要もないのに、

なぜか丸めたポスターを抱えてテクテク歩き始めてしまっていたのです。

そこへゲリラ豪雨です。

傘をさしていようが関係なく、四方八方から水しぶきが襲いかかってきます。

泣きそうになりながら必死でポスターを守りつつ駅までビチャビチャに濡れて歩いて行きました。

そして、今やっと家にたどり着きましたが、

すでに若干ポスターのインクがにじんでいるのが見えています。

ううう…

丸めたポスターを開いてみる勇気がない。

こんなに追い込まれているなかで、なんとか時間を取って作ったのに…。

クソー、ゲリラ豪雨め

もうちょっと早く降り始めていたら、今日は持って帰らなかったし、

もうちょっと降るのが遅れてくれれば、なんの被害もなくてすんだのに…。

自然は思い通りにならない

謎の頭痛・その後

2011-08-22 15:42:13 | 生老病死の倫理学
皆さんにご心配いただいている 「謎の頭痛」 ですが、

その後もあいかわらずです。

薬で抑えられてはいますが、ずっとそこに居るという感じです。

内科系、脳神経系の病気を心配する声や、

放射線関係でのご心配もいくつかいただきましたし、

自分としてもこんなにいつまでも頭痛に苦しめられるというのは不可解なので、

内科の診察も受けることにいたしました。

うかがったのは我が家のホームドクターである 「鈴木医院」 です。

八木田にある内科、小児科、泌尿器科の病院で、

昔、福島西インターのそばに住んでいた頃からお世話になっているところです。

こちらは在宅ホスピスケアにも力をいれていらっしゃるので、

私も最期は鈴木先生のお世話になって逝きたいなと思っているところです。

その鈴木先生の見立ても鴫原先生と同じで、目まいや吐き気がないのだとするならば、

内科的な問題ではなく、首や肩の凝りから来るものでしょうということでした。

しかし、どうしても心配ならCTスキャンとかで調べてもらいますかということで、

「あづま脳神経外科」 を紹介してくださいました。

115号線沿いにあるけっこう大きな病院です。

そこの神経内科で診てもらうのがいいということで、今日行ってまいりました。

けっきょくここでも診断は同じでした。

脳という臓器自身は痛みを感じないので、脳に関わる疾患に由来する頭痛だとしたら、

それはもう相当ヤバイ状態で、自分で病院に来たりはできないはずだとのことでした。

鈴木先生同様、首や肩の状態を触診した上で (というか揉んでもらった?)、

やはりこれだけ筋肉が固くなっているのだとすると凝りによる頭痛に間違いなく、

CTで検査しても問題なしという結果が出るだけだろうから、

ただでさえ放射線の高い時期に、よけいに放射線を浴びる必要もないので、

CTスキャンはやめておきましょうということになりました。

ブログネタとしてはちょっと期待していたのですが、まあムリに被曝する必要はありません。

というわけで、3つの病院で診てもらったあげく、

謎の頭痛は、頸椎変形に由来する肩凝りによる頭痛だったということが判明いたしました。

原因がはっきりして一安心です。

とはいえ頭痛がいっこうに消えて無くなってくれないのは困ったものです。

どの先生にも筋肉をほぐすための運動を薦められました。

鈴木先生には 「水泳するのが一番なんですけどね」 と言われましたが、

今さらこの腹で水着姿にはなりたくないですし、息継ぎもできないから水泳はちょっとねぇ…。

あとパソコンに向かう仕事も控えた方がいいそうですが、それじゃあ商売あがったりだし…。

ウーン、なんだかこの頭痛とは長い付き合いになってしまいそうです。

おとぎの宿 米屋

2011-08-21 19:11:15 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
このところのんびり夏休みを取って海外旅行に行ったりなどしていないですねぇ。
2人ともなんだか毎年忙しくて…。
で、お盆の頃は大学も閉鎖されていますし、いちおう数日はまとまった休みを取るのですが、
事前に旅行の手配などしておかないために、
休みがぎりぎり近づいてからとか、あるいは休みに入ってしまってから、
慌てて 「じゃらん」 のホームページで近場の温泉旅館を探したりして、
1泊かせいぜい2泊くらいのプチ旅行に出かけることになるわけです。
今年も完全に後手に回ってしまい、前日になってやっと手配をし、
1泊だけの温泉旅行に出かけることになりました。

ところが、前日の手配にもかかわらず、前々からずっと行きたいと思っていて、
なかなか取れずにいた宿をなぜか取ることができてしまいました。
福島県須賀川市にある 「おとぎの宿 米屋」 さんです。
「じゃらんネット」 上のクチコミ情報でもものすごい高い評価を得ていますし、
福島の高級宿を特集した旅行雑誌などを見ても必ず取り上げられている有名な宿です。
人気が高くて、私たちが行きたいと思う時期には常に満室だったのですが、
やはり震災や原発事故の影響のせいなのでしょうか、初めて予約を取ることができました。
とはいえ、最後の1室が空いていただけでしたので、ギリギリになってキャンセルが出て、
たまたま前日にチェックしてみたのがよかったというだけなのかもしれません。
とにかく念願の宿に泊まれることになりました。

部屋にも露天風呂が付いていて、それとは別に大風呂もあり、
午後と朝とで男女が入れ替わるというシステムです。
このお風呂の評価がめちゃくちゃ高いのですが、入ってみてたしかに納得しました。
アルカリ泉独特のとろーりとした肌触りのお湯です。
否が応でもお肌がツルツルになってしまう感じです。
15時にチェックインして翌日の11時にチェックアウトするまで、
何度もお風呂に入り続けてしまいました。

そして、夕食です。
夕食に関してはあまり情報も得ないままうかがってしまったのですが、
食事もさらに素晴らしかったです。
部屋食ではなく、食事処に場所を移しての夕食ですが、
お食事処も完全に小部屋に分かれていて、他のお客さんのことを気にせずに食事ができます。
テーブルの真ん中には囲炉裏があります。



「おとぎの宿」 と謳うだけあって各部屋もお伽話にちなんで名前がつけられていたりするのですが、
今回の夕食のコースにも 「夏のおとぎ会席 かぐや姫」 という名前がつけられていました。
献立は第1話から第7話までの構成になっており、それぞれにタイトルが付けられています。
第1話は前菜で、タイトルは 「竹取の翁 輝く竹と出会う」 です。
小部屋に通されるとまず最初に次の2皿が持ってこられました。



右側はいわゆるサラダですが、左側はどれも細かい細工が施された前菜です。
献立表にはすべての食材が逐一記されていました。
特にこちらは野菜がどれも美味しくて、
ドレッシングを除いてここまでですでに25種類もの野菜が使われています。
笛の形の細長いお皿にはホントに小さな可愛らしい前菜が盛り付けられています。



写真ではわかりにくいかもしれませんが、
左から2番目の黄緑色の丸いものは一粒の枝豆ですので、
それを基準にすると全体がどれほど小さい作品なのかわかってもらえるのではないでしょうか。
さらに右手前の小皿はこんな感じ↓になっていて、



小さな地竹も1本配されていますが、全体として竹林が表現されています。
そして、これらの前菜をいただきながら日本酒をちびちび飲んでいると、
しばらくしてからこんな竹の切り株をイメージした器が運ばれてきました。



茗荷の衣に包まれた白い百合根のお団子が、輝く竹のなかにいるかぐや姫を表しています。
わあ可愛いと言いながらパクリと一口で頂いてしまいました。

続いて第2話はお造りで、「日々の楽しいくらし」 と題されています。
天然鯛とオアリイカとウニがメインで、どれも素晴らしく美味しくて、
たぶんいずれも相当お値段が張ると思われ、どこが 「日々の楽しいくらし」 なんだという感じですが、
添えられているキュウリにこんな細工↓が施されていて、



手桶の形に作り込まれているのです。
まあ、どっちみちキュウリですから私には関係ありませんが、
この手桶キュウリを客数分作っている人の姿が思い浮かび、ちょっと頭が下がりました。
なお、ウニの向こう側にはマグロコラーゲンという初めて耳にする食べ物もありました。



ほとんど味はしない透明の物体ですが、温泉効果と相まってお肌はさらにツルツルになったことでしょう。
第3話は焼き物で、「想い慕う人々」 というタイトルです。
贈り物をイメージしたこんな箱が持ってこられました。



箱には2段の棚が納められていて、開けると鰻の白焼きと野菜が出てきました。



これをテーブル真ん中の囲炉裏で炭火を使って焼き上げていきます。



手前の棚に入っている枝豆マヨネーズも美味でしたが、
塊の岩塩をその場ですりおろして付けて食べるのが絶品でした。

第4話は煮物で、「花嫁になるためには…」 ということで、
花婿候補に名乗りを上げた若者たちを表しているという説明でした。



夏らしく、煮物ではありますが冷やしてあって、
囲炉裏の炭火でちょっと火照っていたところでしたので、
まさにこういうものが食べたかったのだという、
こちらの気持ちをお見通しのメニュー構成に脱帽させられました。

第5話が主菜のトマトすき焼きで、「月夜につのる思い」 というタイトルです。
郡山特産の采女牛 (うねめぎゅう) とトマトやたまねぎが運び込まれてきました。



満月のまんまるい鍋でニンニクをオリーブオイルで熱し、
そこに半月型のトマトやたまねぎを入れていきます。



それを采女牛で覆ったところにクレソンを添え、すき焼き用の割り下を加えて煮ていきます。



初めて食べる不思議な味で、冬にはぜひうちでやってみたいと思いました。

第6話はお食事で、「月からの使い」 というタイトルです。
なんでこのタイトルなのかもう聞き忘れてしまいましたが、
麦ごはんにぶっかけ野菜 (モロヘイヤや長芋その他の野菜のみじん切りの入ったもの) をかけて、
ツルツルッといただきます。



第5話までですでに十分お腹いっぱいになってしまっていましたが、
この麦ごはんは文字通りツルツルとお腹に入っていってくれました。

第7話は 「輝く未来へ」 というタイトルのデザートです。



辛党の私はデザートには手を付けないことも多いのですが、
トマトゼリーやトマトアイスは甘さ控えめでほのかな酸味があり、
甘いもの嫌いの私でも美味しくいただくことができました。
ドライトマトやドライパパイヤはやはり満月を表現しているのだそうですが、
これらも初めての味わいの、残ったお酒のつまみにもなる感じのデザートで、
けっきょく第5話まででお腹いっぱいと言っていたにもかかわらず、第7話まで完食してしまいました。

もう食べられない、もう動けないと思っていたら、最後にこんな小箱を渡されました。



こちらのメニューは3ヶ月ごとに変わるのだそうですが、
9月からは 「さるかに合戦」 になるのだそうです。
その次のメニューを先取りして柿の絵が描かれています。
お夜食にお部屋にお持ち帰りくださいとのことでした。
部屋に戻ってまたひとっ風呂浴びてから箱を開けてみると、
しその葉に包まれた小ぶりのおにぎりが入っていました。



あれだけ夕食を食べたにもかかわらず、夜が更けてくるとちょこっとお腹が空いたりするんですよね。
非道なサルと非業の死を遂げたカニのことを語り合いながらこのおにぎりも完食してしまいました。

いやあ、噂に違わぬみごとな宿でした。
ぜひとも 「さるかに合戦」 も食べてみたいなあ。
なんだかこれから年に4回くらい通うことになってしまうんではないかと心配です。
ほかにもあっちこっち行ってみたいところはあるというのに…。
でも、新しいところにチャレンジして裏切られるよりは、
安心できるクォリティにお任せしてしまったほうがいいのかなあ?
とにかくまた訪れたくなる宿であることは間違いありませんでした。
須賀川あたりはひどく揺れたらしく、道がまだ陥没したままだったりするところもあり、
まだまだ復興には時間がかかりそうでした。
県外の皆さんもぜひFUKUSHIMA復興のためにこちらを訪れてみてはいかがでしょうか。
ゼッタイにおすすめです。

血は水よりも濃いのか?

2011-08-20 16:56:35 | 哲学・倫理学ファック
来週の今日、第4回の 「てつがくカフェ@ふくしま」 を開催いたします。

テーマは 「血は水よりも濃いのか? ―家族はどこまで他人か?―」 です。

ここまで友情や愛情について考えてきましたが、今度はちょっと方向性を変えて、

家族による血の結びつきについて問い直してみようという企画です。

一般的には 「血は水よりも濃い」 と言われていて、

血縁関係は人間にとって最も重要かつ根源的な関係性だと考えられています。

極端な例で言うならば、夫婦には血のつながりはないので、

最悪の場合、夫婦関係を解消することは可能だけれど、

たとえそうなって片親と別居しなければならなくなったとしても、

親子の間の血のつながりは消えてなくなるわけではないので、

親子関係を解消することはできないし、いつまでも親子は親子の絆で結ばれ続けるのだ、

というような言われ方をすることがよくあります。

そうした常識を背景として、小説や映画やドラマなどでは繰り返し、

出生の秘密や、実の親探しといったことがテーマとして取り上げられてきました。

私たちの世代だと山口百恵の 「赤いシリーズ」「みなしごハッチ」 などがすぐに思い浮かびますが、

今の若い人たちにはどういう例を出してあげればいいのでしょうか?

とにかく、一方ではそういう常識 (血は水よりも濃い) がありつつ、

他方では実の親による子育ての放棄や、さらには子どもへの虐待なども現実に起こっているわけです。

私のいつもの議論に引きつけて言うならば、人間は本能の壊れてしまった動物であって、

父性本能や母性本能などというものも生得的に身に付けているわけではなく、

たんに文化としてそうすべきだというコードを後天的に刷り込まれるだけですので、

ただセックスをして子どもを作ったからといって、それだけで 「親」 となれるわけではなく、

日々の子育てや子どもとの関係作りを通して初めて 「親」 となるのだ、と言うことも可能でしょう。

また、この問題は別に親子関係に限定すべき事柄ではなく、

兄弟姉妹関係や親戚関係全般にも関わってきます。

もちろんこの世にはとっても仲のよい兄弟姉妹もたくさんいらっしゃるでしょうが、

たとえば遺産相続問題などが発生したときに、

最も醜い抗争を繰り広げるのが親族どうし (特に兄弟姉妹) であるということも、

すでに歴史が十分に証明しているようにも思います。

はたして本当に血は水よりも濃いのか?

家族はどこまで他人なのか?

ぜひみんなで語り合ってみたいと思います。

高校生や大学生も含めて、家族の問題で悩んでいる方、

逆に家族が大好きで大好きでしようがなくて、

こんないびつな問いを立てる歪んだ人間の顔を見てみたいと思われる方、

ぜひぜひMAX福島の4階にいらしてみてください。



  第4回 「てつがくカフェ@ふくしま」

テーマ : 「血は水よりも濃いのか? ―家族はどこまで他人か?―」

日 時 : 2011年8月27日 (土) 16:00~18:00

場 所 : A・O・Z (アオウゼ) 小活動室2
(MAXふくしま4階)

参加費 : 無料 (100円でコーヒー、紅茶等飲み放題)

乳と腹の間

2011-08-19 12:59:49 | がんばらないダイエット
人それぞれ身体のなかで一番汗をかく場所って違うらしいですね。

また同じ人間でも、時とともにポイントは変わってくるようです。

私の場合、昔ガリガリに痩せていたときにはあばら骨が浮いていて、

自分の胸のことなんて意識したことなかったんですが、

いつの間にか乳 (ちち) と呼ぶべきものが発達してきて、

出っ張った腹との間に谷間が形成されるようになってきてしまいました。

そこが現在の最大の汗かきポイントです。

今もTシャツを着ているのですが、谷間のあたりに横に点々と汗の跡がついています。

尻汗で悩んでいた頃が懐かしいです。

ちょっと物悲しい

「○○○○展」 開催中!

2011-08-18 12:08:52 | 人間文化論
昨日から福島テルサで開催されている 「○○○○展」 に行ってまいりました。

2月に開かれる卒業展覧会とちがって、それほど展示作品は多くなく、

1時間もかからずにサクッと見て回れるくらいです。

しかし、卒業時の一発勝負ではなく、

この時期にこうやって中間発表的に展覧会をやっておくのがいいのでしょうね。

締切が人を鍛えるので、節目節目に作品を少しずつ完成させておくというのが、

仕事を着実に進めていく上でとても重要なのだろうと思います。

(ほとんど自分に向かって語っています…)

今回はまだひとりひとりの作品の紹介とかはいたしませんが、

地震や原発事故をテーマにした作品なども出品されており、

3.11が美術制作にもさまざまな影響を及ぼしていることが感じられました。

それとは別にちょっとビックリしたのは、

2年前に 「文化創造論」 を取ってくれた人たちがもう4年生だったということです。

落ち着いて考えてみればそうに決まっているのですが、

あの代は 「絵画」 チームみたいにざっくりしたチーム編成にならず、

「油彩」 と 「水彩」 と 「美術館」 チームに分かれるなど、

美術の人たちが細分化された変わった代でした。

最後まで 「文化創造論」 という授業そのものに異議を唱え続けていた人もいましたし、

面白い代だなあととても印象に残っていたのですが、

彼らがもう4年生になってしまっているんですね。

時の流れの速さを痛感させられます。

美術の人たちは毎年毎年個性的な人たちが多いのですが、

そのなかでもとりわけ変わった代だったなあという印象は作品にも反映されており、

2年前の 「精子と卵子」 よりもさらにエロい感じの作品もいくつか出品されていて、

とっても私好みの展覧会でした。

日曜日までですので、ぜひ皆さんもご覧になってみてください。

謎の頭痛

2011-08-17 08:24:25 | 生老病死の倫理学
もう2週間近く前の8月5日の朝、目覚めたら頭痛がしていました。

首筋から後頭部、そして頭頂部にかけて全体が痛い感じです。

筋を違えるという言い方がありますが、頭の筋を違えてしまった感じです。

こういう痛みは生まれて初めて経験します。

たまたま足首の痛みを抑える薬をいただいておりましたので、

それを呑むと痛みは治まるというか、薬が効いているあいだは忘れていることができます。

が、いっこうにこの頭痛が消え失せてくれることはありません。

薬によって痛みを抑えながら哲学カフェ・ウィークエンドを乗り切り、

月曜日の朝、あのしぎはらクリニックに行って診てもらいました。

診断は以前と同様、首の骨のS字カーブが失われてしまって真っ直ぐになっているので、

首に負担がかかり首筋から肩にかけて筋肉のこりが生じ、

それが今回は腰痛ではなくて頭痛に現れているのだろうとのことでした。

で、筋肉のこりをほぐす薬と痛み止めと湿布薬を処方されて帰ってまいりました。

それからもう今日で10日目となりますが、症状はいっこうに改善しません。

薬が効いているうちはいいのですが、薬が切れてくると同じ痛みが戻ってきます。

腰痛のときは先生のアドバイスにしたがってマクラを替えたらすっきり治り、

その後、腰痛が再発することもなくなりましたが、

今度の頭痛はまったく改善する気配を感じさせないのです。

昨日、薬も切れたことだし、いっこうに治る感じもしないので、

もう一度しぎはらクリニックを訪れてみたのですが、ちょうどお盆のため連休中でした。

他の知ってる病院もまわってみましたが、どこもお休みでした。

とりあえず市販の痛み止めで抑えることにして、

お盆休みが終わったらまた病院に行ってみたいと思いますが、

それにしてもこの頭痛は何なのでしょうか?

あの足首の痛みも原因不明でしたし、

そういえばぢゅんちゃんも謎の背中痛に襲われて救急車のお世話になっていましたし、

こういうことが重なるとついセシウムやストロンチウムのせいにしたくなってしまいますが、

そういう非学問的な態度は慎むことにして、

現代医学の力でなんとかこの謎の頭痛の原因を解明し、元から断っていただきたいものです。

このまま一生、痛み止めに依存しながら生きていくのはイヤだな。

飲んで幸せ・食べて幸せ

2011-08-16 17:09:48 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
もうお気づきの方もいらっしゃったかもしれませんが、

新カテゴリー 「飲んで幸せ・食べて幸せ」 を起ち上げました。

できて早々にもかかわらず、もうすでに55もの記事が登録されています。

今まで 「幸せの倫理学」 や 「人間文化論」 のカテゴリーのなかで書いてきた、

飲食関係の記事を全部こちらに移したためです。

このブログを始めた当初はこんなに飲食関係の記事が多くなると思っていなかったのですが、

けっこう私にとっては飲みに行ったり、料理を作ったりというのが人生の大半を占めていたようで、

記事を移動するのもたいへんなくらい、すでにたくさん書きためてありました。

これらを独立したカテゴリーとして1箇所に集めておく必要を感じたため、

今さらながらに新カテゴリーを作ることにしたわけです。

カテゴリーのタイトルは、私の料理の師匠のひとり、平野レミ先生の料理本、

『作って幸せ・食べて幸せ』 をモジらせていただきました。

私は結婚するまで料理を作ったことなんかまったくなかったんですが、

結婚して料理をせざるをえなくなり、それこそ大量に料理本を購入していろいろトライしましたが、

いっこうに美味しく作ることはできませんでした。

指示どおりに作っているつもりなのですが、

見た目も味もまったく期待した感じに仕上がらなかったのです。

そんな調子で何年も経ってからたまたまこの本に出会いました。

平野先生のレシピは、あまり面倒な手順がなく、指示もざっくりしているのですが、

素人が作ってもなぜかメチャメチャ美味しくできてしまうのです。

この本に出会ってから料理が苦ではなくなり、少し楽しめるようになりました。

「あっさり豚」 や 「トマト牛肉」 などは今でも私の得意メニューです。

というわけで、師匠と出会えた記念碑的な本にちなんで、

新しいカテゴリーを命名させていただきました。

多少好きになったとはいえ、料理を作る機会はそんなにありませんから、

私の人生のウェイト配分に合わせて 「飲んで幸せ・食べて幸せ」 にしておきました。

今後は、飲み会やイベント関係の記事もこちらにアップさせていただきます。

人間の幸福にとって食べたり飲んだりというのはものすごく大きな比重を占めていると思います。

これからも美味しいお酒や美味しい料理、美味しいお店や美味しいレシピに、

たくさんたくさん出会えますように

映画 ハリー・ポッター・シリーズ 完結

2011-08-15 19:36:14 | 教育のエチカ
一昨日は 「卒業生を励ます会」 のあと、

『ハリー・ポッターと死の秘宝Part2』 を見に行ってきました。

2001年から始まったこのシリーズも10年を経てとうとう完結です。

私は先に小説 (邦訳) を読んでいましたので、

原作を読んだあとに見る映画はどうしてもガッカリさせられがちなのですが、

第1作 『ハリー・ポッターと賢者の石』 は内容的にも雰囲気的にも、

原作の世界観をみごとに映像化していて、脱帽させられたものです。

そして、なによりもハーマイオニー役のエマ・ワトソンがあまりにもぴったりハマリすぎていて、

先生に指してもらおうと腰を浮かせながら一生懸命手を挙げる姿が目に焼き付いて離れません。

ハリー役のダニエル・ラドクリフもむちゃくちゃ可愛かったですね。

原作を読んだイメージではもっと髪がクチャクチャであるべきかと思いましたが、

そこを除けばやはりみごとなキャスティングだったと思います。

さて、あれから10年の歳月が流れ過ぎてシリーズは完結したわけですが、

このシリーズを通して一番感じさせられたのは、

欧米の子どもってなんでこんなに急速に汚く成長していってしまうんだろうということでした。

原作は11歳から17歳までの7年間ですが、

それを映画では10歳くらいの子役たちが20歳くらいまでの10年間で、

わりとタイムラグなく順調に撮影を進めていくことができました。

ですが、子どもたちの1作ごとの変わりようはすさまじく、

原作の世界観のまま見ることができたのはせいぜい第2作くらいまでで、

それ以降はウワー、こうなっちゃったかという驚きの連続でした。

とりわけハリーとロンとドラコの成長がとても残念でした。

ネビル・ロングボトムは最終話でけっこう大事な役どころですが、

17歳の青年というよりはただのオッサンに見えました。

ハーマイオニーももはや立派な女性だし…。

あまりにも第1作の印象が強すぎたので、どうしてもそこを基準に見てしまうのでしょうね。

教育という観点からするとこれはあまりいいことではないかもしれません。

子どもを見るときに、小さくて可愛かった頃のイメージをいつまでも引きずるのではなく、

そのつど成長していく姿をきちんと認めていく必要があるのでしょう。

なんとかそう言い聞かせながら、最終話を見てきました。

小説を読んであるのでストーリーはわかってはいるのですが、それにもかかわらず号泣です。

原作と映画でだいぶいろいろ変えてあるので、若干気に入らない部分もありましたが、

それでもやはり感動してしまいました。

そして、あのラストシーンです。

特殊メイクも施されているのかもしれませんが、

ラストシーンの4人 (ハリー、ロン、ハーマイオニー、ドラコ) は、

久しぶりに違和感なく見ることができました。

うーん、それってやっぱり…。