まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

IN展、そして生サバ

2011-02-28 20:03:47 | 人間文化論
週末は東京に行き、カント研究会に出席してきました。
カントの 「世界市民主義」 に関する発表が2本、それぞれ2時間半ずつの討議が行われ、
クタクタになりましたが、いろいろな刺激を受け、楽しい時間を過ごすことができました。
研究会後は恒例の事後検討会へ。
「さくら水産」 というむちゃくちゃ安い居酒屋が会場です。
一番盛り上がった話題は京都大学でのネットカンニングの問題です。
どうやってやったんだとか、果たしてあれを防げるのだろうかとか、
大学教員である私たちにとってはたいそう身につまされる問題でした。

そして今朝、慌ただしく福島に戻ってきたのですが、
トンネルを抜けたらそこは雪国でした。
というか、吹雪でした。
もうええっちゅうに。
だいぶあったかくなってきたなあと思っていた矢先のぶり返しです。
おそるべしっ福島。
おそるべしっ東北。
地球温暖化はどこへ行ってしまったんでしょうか?
福島は温暖化とは無縁なのですか?
東北には春はやってこないのですか

そんなお寒い気分のままコラッセへ向かいます。
今日は 「IN展」 の最終日です。
大学院生5人による展覧会ですので、このあいだの卒業制作展に比べると規模はだいぶ小さいです。
しかし、さすが大学院生、4年生たちに負けてはいないです。
1年か2年分だけではありますけれども、やはり自己内対話や自己内葛藤が深まっていて、
その分表現も深みを増しているように、素人の私には見えました。
5人のうちの3人は昨年の卒展に以下のような作品を出していました (たぶん)。

・文学を題材に取った版画
・文字を取り込んだ抽象画
・生命の神秘を描いた絵画 (というか精子と卵子)

それが、文学の人は題材を神話に変えており、
私は神話とか苦手なのでまったく知らなくて、
するとどこが神話と関係あるのかまったくわからないのです。
というか一見してもわからないようにわざとしてあって、
神話のモチーフだけを抜き出して版画にしています。
制作ノートによると、神話のテーマと版画という表現技法とを重ね合わせてあるようです。
むちゃくちゃ深いです。
抽象画の人は、あいかわらず文字を取り込んである作品もあるのですが、
いわゆる抽象画というカテゴリーではなくなっているように思いました。
一見すると学校の窓や部屋にいる女の子が普通に描かれているのです。
しかしこれらは心象風景で、しかもものすごく暗いテーマが描き込まれているのです。
別の意味での抽象画になっているように感じました。
精子と卵子の人は、生命の神秘を卒業して、自我の迷宮に迷い込んでいました。
これも一見すると、とてもコワイ自画像ばかりです。
黒が主体の、ものすごーくイヤなことを考えている顔の自画像が多いのですが、
でも、もうちょっとで突き抜けそうな表情も垣間見えているようにも思えます。
自我の迷宮から抜け出たときにどんな自画像が出来上がるのか楽しみです。

あとの2人は彫刻でした。
1人は本当は寄木彫刻が本職だそうですが、出品してあったのは石膏像でした。
人間の顔を彫ってある作品も、表現方法がユニークだと思いましたが、
「空のための椅子」 という作品が思わずニッコリしてしまう楽しい作品でした。
もう1人が今回唯一の2年生、つまり修了制作ということになります。
「不自由な夢」 という作品は女の子に犬か何かの耳と鼻がついている像ですが、
これはなんだか見覚えがあります。
昨年の3月に開かれた 「福島大学創立60周年記念美術展」 で見たのかなあ?
記憶力に問題があるのであやふやですが、初対面ではない気がします。
やはり2年生だけあっていちばんたくさん出品していましたが、
「雲までの距離」 という作品が先ほどの 「空のための椅子」 とミョーにコラボしていて、
楽しい気分になれました。
ああ、でもこんなふうに紹介してももう終了してしまっているから、
皆さんはもう見ることはできないのですね。
できれば初日に見に行ってブログに書きたかったな。
この2年生の作品は大きいものが多かったですが、
「胞子」 という作品が10㎝くらいのコンパクトサイズでとても可愛らしいので、
見られなかった人は、ぜひ売ってくれと交渉してみるといいと思います。
彫刻の2人は制作ノートは作らないようにしていると言っていましたが、
ぜひ素人のために制作ノートを公開してくれと頼んでおきました。
ひとわたり見終わったときには寒々しい気分はすっかり吹き飛んで、
なんだかものすごく元気が出てきていました。

というわけですので、せっかく西口に来たのですから、また 「うまか亭」 に寄ってみます。
あわよくば 「生ニシン」 にまたありつけるかもしれません。
昼は蕎麦でなくていいのかって?
腹が減ってるんだから、そんなの関係ねぇ
残念ながら生ニシンはありませんでしたが、「生サバ」 にありつくことができました。
生サバもいつもあるとはかぎりません。
味としてはやはり生サバのほうがちょっと上ではないでしょうか。
値段もちょっと上です (生ニシン260円、生サバ390円)。
院生たちに元気をもらい、栄養もつけて、吹雪のなか意気揚々と大学に向かったのでした。

生ニシンと生ジャズ

2011-02-27 11:59:44 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
このところ髪が伸びていていやでいやでしょうがなかったんですが、
美容院を予約しようとすると、ピンキーの伊藤さんも満杯だったりして、
なかなか切られず鬱陶しい思いをしていました。
ものすごい久しぶりだからホントはもうパーマをかけなければいけないのですが、
互いの都合が合わず、とりあえずカットだけならということでやっと予約が取れ、
このあいだ行ってきました。
弥縫策だということはわかっているのですが、
とにかくなんとか短くしてもらって当座はごまかし、
次回にパーマをかけるということで何とかごまかすことに成功しました。

さて、ピンキーは西口にあるのですが、私としてはピンキー帰りの恒例の行事があります。
ぢゅんちゃんのお気に入りでもある 「うまか亭」 で寿司を食べるというのが、
西口に行ったときの定番となっているのです。
数ある回転寿司の中では頭抜けていると思います。
福島のお寿司屋さんて、回っていないところでもシャリがミョーにでかくて、
これはお握りかと思うことがよくあるのですが、
そういうことはなく、そして何よりもネタの美味しいものが揃っている気がして、
特に私のようにアジなどの光り物系が好みの人間にとっては、
このお店ってけっこうポイントが高いように思うのです。
で、今回もピンキー帰りにうまか亭に寄ってくることにいたしました。

座ってオススメボードを見たときから、気になってはいました。
いくつか本日のオススメが書いてあるなかに燦然と、
「生にしん」 と記されていたのです。
生ニシン?
ていうか、ニシンって生でなくとも、そんなに馴染みのない食材です。
干物なんでしょうか、身欠きニシンてよく聞いたことがあると思いますが、
申しわけないことに未だかつてあれを美味しいと思ったことはないです。
それを生でお寿司で食べるんですか?
特に食べる気はなかったんですが、ちょっと気になったのでいちおう聞いてみました。
アジに似たような感じで、ちょっとコリコリしてるんだそうです。
アジ好きの私としてはアジに似ていると聞いたら頼まないわけにはいきません。
おそるおそる頼んでみたらこういうものが出てきました。



たしかに見た目はアジっぽいです。
いただいてみたところ、味もアジっぽかったです。
何も言われなければ、ニシンだなんてまったく思いもつかなかったでしょう。
これはとても美味しいではないですか。
ニシンは今後こうやってすべて生で食べるべきではないでしょうか。
板前さんに生ニシンって初めて食べた、
いや初めて聞いたんだけど美味しいですね、と声をかけてみたら、
やはりとても珍しいもので、北海道から直送されたものだけれど、
この時期にかぎり、しかもものすごく鮮度のいいものが手に入るのでないと、
ニシンの寿司は作れないとのことでした。
ニシンはアジよりも3倍くらい小骨が多くて、
下ごしらえが大変だということも教えてくれました。
やはり、そうそういつでもどこでも頂ける味ではないのですね。
次にまた出会えるかどうかわからないので、
もう一皿頂いて名残を惜しんでおきました。

それをきっかけに板前さんといろいろ話をすることができたのですが、
2月25日にパセオにオープンする 「パセナカMisse」 というビルに、
「うまか亭」 の姉妹店ができるという話をうかがいました。
こちらは寿司屋だけど回転寿司ではなくて、
一品料理にも力を入れるので、お酒飲むときにも使ってくださいとのことです。
今までは西口に用があるときくらいしか 「うまか亭」 に来られなかったのですが、
パセオに出来るとすると、東口側住人としてはたいへん便利ではありませんか。
さっそく25日に偵察に行ってみました。
しかし残念なことに、着いたのが9時近かったので、
その 「すし海鮮酒房 うまか亭 乙姫」 はちょうど閉店してしまったところでした。
チラシによると建物全体は25時までやっているようで、
「うまか亭」 だけが21時閉店なのか、
オープン記念のためお客が集まりすぎてネタがなくなってしまったのか、
そこらへんのところはよくわかりませんが、
まだ開いていた 「蕎楽 風来坊」 というお蕎麦屋さんに入りました。
残念ながらやはりオープンの人出のせいか、お蕎麦はもうなくなっていましたが、
板わさなど酒のつまみをいくつか頼んで鬼平飲みを楽しみました。
「うまか亭 乙姫」 にはこの喧噪が落ち着いた頃にまた訪れてみたいと思います。

ところで、パセナカMisse に入った瞬間から、
全館にジャズの調べが響き渡っていました。
1階の地域交流スペースでジャズの生演奏をしているのです。
鬼平飲みを早々に切り上げて、行ってみました。



やってます、やってます。
しかも、このあいだの 「福島ライブミュージックウォークラリー」 でお見かけし、
私のブログにコメントまでくださった大森真さんがサックスを吹いているじゃないですか。
ドラムもあのときお見かけしたデーブ菱沼さんです。
今回は広いスペースですので、心おきなく思いっきり叩いていらっしゃいます。
さらには、インストゥルメンタルの曲を何曲か演ったあとに、
ヴォーカルのMiMiさんも加わりました。



ヴォーカル曲では大森さんはサックスをフルートに持ち替えて、
哀愁に満ちた旋律も聴かせてくれました。
また、今回のセッションにはアコースティックギターも加わっており、
エレキギターではなくアコースティックギターが入ったジャズを、
生で聴いたのは初めてのような気がしますが、とてもいい味を出していました。

生ニシンを期待して来てみたのですが、
その代わりに生ジャズを楽しむことができました。
「復活! 金ジャズ」 と書いてありましたが、
これから毎週金曜日に生ジャズを聴かせてもらえるのでしょうか?
ちょっと楽しみにしたいと思います。

まさおさま、新聞取材を受ける

2011-02-25 00:16:33 | お仕事のオキテ
先日、福島民友新聞の記者の方から取材の申し込みがあったんです。
依頼のメールはこんな感じでした。

「私どもの紙面では、月に一度 「エコ通信」 という環境のページを展開しており、
 その中で、毎回エコ活動をする方や有識者の方を取材し、
 紙面講座をしていただいております。
 これまで、温暖化のメカニズムや3R、
 または実際に自然環境活動に取り組む方などを取り上げてきましたが、
 今回はこれまでとは違う角度、
 倫理や哲学的な視点から環境について考えてみたいと思います。
 つきましては、小野原先生にぜひ環境倫理のお話を伺えれば幸いです。」

たしかに私は環境倫理に関する論文を書いたり、
大学で 「科学技術と環境の倫理学」 という講義を教えたりしていますが、
具体的なエコ活動に取り組んでいるわけではなく、
ぼくの話なんか聞いても記事にはならないんじゃないかなあと思いましたが、
記事になるかならないかを判断するのはあちらの自由ですので、
とりあえずインタビューを受けることにしたんです。

インタビューは 「環境倫理とは何ですか?」 というところから始まって、
まあさまざまなことを聞かれました。
それに対して私はいつもの調子で、
相手の質問をはぐらかすような話をしたり、
その場その場で思いつきの話をとりとめなくしたり、
我ながら、こんな話を後で記事にまとめるなんて絶対ムリだろうなあと思いながら、
でも、いったん話し始めると止まらなくなっちゃうので、
1時間半くらいでしょうか、延々とまくしたててしまったのです。
記者の方は録音し、メモを取りながらも、
どう記事にまとめるか困惑した表情を隠さず、
なんとかまとめられそうな方向でいい質問を思いついて食らいついてきてくださるのですが、
そのたびに私はまた拡散する方向へ話をもっていっちゃったりして、
別に悪気があってそうしているのではないのですが、
哲学 ・ 倫理学の話ってどうしてもキレイにまとまってしまうことを拒むところがあって、
わかりやすい結論に落ち着きそうになると、スルッと逃げざるをえないのですね。
そんなこんなでひじょうに非協力的な情報提供者を最後まで演じきってしまったのです。
本当に申しわけないことをしたなあ、たぶんこの記事はボツになるんだろうなあと思いながら、
ニッコリ笑ってお別れしたのでした。

それが先週の水曜日のことでした。
それっきりその取材のことはすっかり忘れてしまっていました。
そうしたら今週の水曜日の夜に、記者の方からゲラがメール添付で届けられたのです。
水曜日は私は早引けして卒業展覧会を見に行ってしまいましたから、
そのメールを見ることができたのは木曜日になってからでしたが、
読んでみると、これがとても素晴らしい文章なのです。
とてもあの混沌としたインタビューから出来上がった記事とは思えません。
まるで私が作文して投稿したかのような筋の通った文章になっています。
なんだか私はリッパな環境倫理学者になった気分です。
いやあ、みごとです
新聞記者の人ってものすごいなと思いました。
人気作家になるとゴーストライターの人に口述筆記で代わりに書いてもらうそうですが、
私ももしもそんな身分になれたら、ぜひ今回の記者の方にゴーストライターになってもらいたいものです。
これはむちゃくちゃラクです。
あんなにテキトーにダベっていただけなのに、
こんなに素敵な文章にしてくれるなんて
本当にありがとうございました。
そして、最後まで非協力的だった情報提供者をお許しください

さて、その出来上がった記事がなんともう今日金曜日の福島民友に掲載されるのだそうです。
皆さん、ぜひ御一読ください
まあこれを読んだだけでは、まさおさまがなんかリッパなことを語ってるなあ、
ぐらいにしか思えないかもしれませんが、
この記事の向こう側にグダグダな1時間半があり、
それをたったの1週間でここまでみごとにまとめあげた仕事人がいたということを思い浮かべながら、
味わって読んでいただけたらと思います。
福大生諸君、今日は駅の売店で福島民友を買おうっ

まずは卒業制作展覧会 「!」

2011-02-24 17:35:36 | 人間文化論

予告通り行ってまいりました、「卒業制作展覧会」。
もちろん文化センターまで歩いていっちゃいました。
駅から文化センターまで3000歩弱、時間にして30分弱でした。
実は今週は、月曜日にも学校帰りにヤマダ電機まで歩いて行ってきましたので、
日、月、水と連日の1万歩超えです。
しかし、歩けば歩くほどお腹も空きますので、
食べる量はますます増えており、いたちごっこに陥っております。

それはさておき 「卒業制作展覧会」、今年も堪能させていただきました。
ご本人たちからは 「去年以上に個性的」 との自評をいただいていましたが、
たしかにそう豪語するのもうなずけるかもしれません。
個性的な作品のオンパレードでした。

・矢羽模様の寄木造りの器&器を入れる棚
・違い棚など、現代風の工夫が施された和家具
・銅板で模様の施された木製の洋家具
・五十音それぞれのひらがなと、その音で始まるモノの絵が隠された46枚のデザイン画
・それぞれの小説やCDの内容を深く理解した上でのブックカバーやCDジャケットのデザイン
・「表現すること」 の難しさと大切さを伝える漫画 『月のうた』
・可愛い絵で今年は泣かずにすむだろうと安心していたら最後にやられる絵本 『サンタクロースのすず』
・顔が鳥になっていたりする鳥獣戯画っぽいエッチング
・蛙ラブな作者による人間、花、カエルの彫刻
・全体に靄がかかったような感じで既視感が表現されている幻想的絵画
・人間の内面を深く抉り出すような哲学的な大作絵画
・弟さんに借金までして作ったというゴツゴツした力を感じさせる大作彫刻

全部見終わるのにたっぷり2時間半はかかりました。
でもそれはあっという間で、ひとつひとつを味わっているとそれくらいすぐにかかってしまうのです。
それと今年の卒展はたんにみんなの卒業制作を集めましたというだけでなく、
全体としてのコンセプトというものが宣伝の段階から意識されていたように思います。
ご覧いただいているポスターでは 「!」 がデザイン化されていますが、
卒展のテーマが 「!」 だったのです。
会場でもらったパンフレットには次のように説明してありました。

「今回のテーマとした 『!』 には、新たな知識や技術を得たときの喜び、
 作品を制作したときの発見など、私たちが4年間で感じた様々な想いが込められております。
 絵画、彫刻、デザイン、工芸など、表現方法は様々ですが、ご来場して下さった皆様に
 一人一人の 『!』 を感じて頂けたら幸いです。」

そして、ポスターのところどころに見え隠れしている人型のシルエット。
これらが展覧会場でも重要な役割を果たしています。
この謎を解き明かすためには、全部見終わったあとに、
アンケート記入場所に行ってちゃんとアンケートを記入する必要があります。
ぜひ皆さんも今年の卒業生たちの 「!」 に触れ、「!」 を味わってみてください。
27日 (日) まで文化センターでやっています。
そして、26日 (土) から始まる 「IN展」 も楽しみです!


P.S.
美術の卒業生の皆さん、とても楽しませていただきました。
どうもありがとうございました。
そしてみんなお疲れさまでした。
このブログ記事、ネタバレにはならない程度に書いたつもりですが、
これはちょっと書きすぎだろうとか気になる点があったらお知らせください。
それでは、最終日までがんばってください 「!」

IN展だよ!

2011-02-23 13:17:55 | 人間文化論
芸術の冬なんでしょうか。
それともたんに年度末だからでしょうか。
芸術関係の企画が目白押しです。
今度は 「IN展」 だそうです。
福島大学大学院・人間発達文化研究科・地域文化創造専攻の美術の学生さんたちの展覧会です。
きっと教育学研究科だった頃もやっていたんでしょうね。
でも行ったことはありませんでした。
人間発達文化研究科はできたばかりの2年目ですが、
その地域文化創造専攻の必修科目 「地域文化創造特論」 を担当していますので、
美術の院生さんたちとも顔見知りですし、
学部 (うちの場合は学類) から上がってきた院生たちとは、
大学2年のときの 「文化創造論」 以来のおつきあいでもありますので、
これは行かないわけにはいかないでしょう。


福島大学大学院 芸術文化領域美術分野 美術作品展

          「I N 展」

期間 : 平成23年2月26日 (土) ~ 2月28日 (月)

時間 : 9 : 00 ~ 17 : 00

場所 : コラッセふくしま3階

入場無料


この展覧会は卒業生だけでなく、1年生も出品していますので、
院の1年生といえば、昨年の卒業制作展で楽しませてくれた人たちばかりではないですか。
大学院に進学して、どれぐらい業 (わざ) に磨きをかけたのか、
どれだけ思索を重ね、どれほど芸術性を高めたのか、この目で確かめてきたいと思います。
残念ながら私は最終日にしか行けないので、
開催中にレビュー記事を載せることはできないと思いますが、
駅のそばでやってますから皆さんもサクッと寄ってみてください。
特に、「文化創造論」 を受講したスポーツや音楽の皆さんや、
「地域文化創造特論」 を受講した大学院生の皆さんはぜひ行ってみて、
インスピレーションをもらってきてください。
週末に 「卒業制作展」 とハシゴするというのもいいかもしれませんね。
私は 「卒業制作展」 のほうは初日の今日行ってこようと思っています。
文化センターまでまた歩いちゃおうかなあ

ヘンな仲間の読書会

2011-02-22 15:22:41 | 哲学・倫理学ファック
高校の先生たちとカントの読書会を開いています。
数ヶ月に1回のペースですが、最初は 『純粋理性批判』 の序文と序論を読み、
今はカントが晩年に書いた論文 「理論と実践」 を読んでいるところです。
ぢゅんちゃんがその様子をブログに書いてくれたこともありました。
現在、この読書会は4名でやっております。
私以外の3名はみんな高校の先生なのですが、
その構成がちょっと変わっています。
ぢゅんちゃんは公民の先生なのでそれはまあいいでしょう。
もう1人は地歴科の先生です。
特に世界史を中心に教えています。
彼が地歴公民学習研究会で、フランス革命に関する授業の報告をしてくれたときに、
それにインスパイアーされて、カントのフランス革命論や世界史に関する議論が含まれている、
「理論と実践」 を読もうということになったのでした。
彼は福島大学教育学部出身で私の教え子でもあり、
卒論ゼミは世界史でしたが、私の授業も一通り取ってくれて、
当時あった 「倫理学特講」 という授業でカントを読んだこともあったので、
世界史の教員とはいっても、カントの読書会に出てみようと思う素地は持っていたのでしょう。
カントの歴史観、歴史哲学というのは相当変わっていますので、
現代における歴史教育にとってどれほど意味があるのかよくわかりませんが、
この読書会が彼の歴史観を深めるのにいくらかでも役に立ってくれるといいなと思います。

そして、もうお一方は、私と同い年の国語の先生です。
彼とは長い付き合いで、上述の地歴公民学習研究会で私がアーレントについて発表したときに、
初めて顔を出してくれて以来、その研究会にずーっと来てくれています。
何度かご自分が発表もしてくださっています。
研究会後に行われる恒例の打ち上げでは、
彼が長年培ってきたネットワークをフル活用してとてもいい店に連れていってくださるので、
ほとんど今では 「2次会のドン」 ともいうべき重要な存在となりました。
それにしても国語の先生なのに彼はなぜ地歴公民学習研究会に来てくださるのでしょうか?
彼の関心はものすごく広く、かつ、その思索がものすごく深いので、
おそらく国語という教科のなかだけでは彼の考えていることが収まりきれないのでしょう。
国語を教えるための素材として現代文を読むだけでなく、
そこに書かれている内容に深く入り込んでしまうがために、
哲学、倫理学、政治学、社会学等々の学問内容にも立ち入らざるをえないのではないでしょうか。
じっさい、今読んでいる 「理論と実践」 に関しても、彼が一番面白がって読んでくれています。
彼の現在のテーマである共同体とか共同性という問題に、
カントの議論が深く突き刺さるものがあるのでしょう。

実は彼は 「山川仙人」 というお名前でブログも開いていらっしゃいます。
一度、こちらでもご紹介しようと思っていましたが、
どの記事も、私が書いているような軽薄な文章とはちがい、
奥深く鋭く、そしてとても高度な内容なので、
私のブログのこのノリのまますんなり絡んでいくことができずに、
今までご紹介することができませんでした。
私のブログではもの足りず、むしろ最近ではぢゅんちゃんのブログに入り浸っているという人は、
ぜひ山川仙人さんのブログをのぞいてみることをオススメします。
(というか、そういう人はとっくに山川仙人さんのブログにたどりついていることでしょう)
逆にぢゅんちゃんのブログもときどき難しすぎてついていけないと思っている人は、
山川仙人さんのブログにはまったく歯が立たないだろうと思います。
それにしても大学教員 (しかも哲学・倫理学!) のブログよりも高校教員のブログのほうが、
内容が高度だというのはいったいどういうことでしょうか。
福島の高校、レベルが高すぎるぞっ!
私ももうちょっと彼らを見習って、日常の小ネタばかりでなく、
もっと中身のある深い話をたまにはできるようになりたいと思います。

とまあ、こんなヘンなメンツに囲まれて読書会をすることができるなんて、
とても幸せなことだなあと思うのでした。
ところで、こんな私が急に高度で難解な話なんてできるわけありませんので、
とりあえずは山川仙人さんをめぐる小ネタを近々ご紹介したいと思います。

From クリスマス To ひな祭り

2011-02-21 16:22:18 | 性愛の倫理学
我が家の階段箪笥ディスプレイですが、年が明けたというのにずーっとクリスマス飾りのままでした。

お正月用の飾りつけセットというのもあることはあるのですが、

なんせ三が日あたりは福島にいないもので、なかなかモチベーションも上がらず、

ここ数年お正月セットが飾られたことは全然ありませんでした。

そして、もう2月も終わろうとしているので、お正月セットだって十分アウト・オブ・シーズンなのに、

まだクリスマスなのです。

どれだけクリスマスが好きなんでしょうか?

しかしこの週末、久しぶりにちょっと余裕ができて (だから散歩もしたりしたわけですが)、

一念発起してディスプレイの変更に挑みました。

3月も近づいてきていますので、ひな人形へと模様替えです。

これはクリスマス・ディスプレイ以上にめんどくさいですので、

できることなら自分の手ではやりたくなかったのですが、

当分、妻が福島に来る予定がないのでしかたありません。

首がもげたり、ぼんぼりが折れたりしながら、2時間近くかけて何とかやりとげました。

これです。



まあ例年と変わり映えしませんが…。

今回はこんなものも見つけたので、観葉植物の鉢に挿してみました。

なんだかよくわかりませんが、花束とかなにかについてきたオマケではないでしょうか?



そして、こんなものも見つけました。

梅柄の貝合わせです。



これはけっこういい物なのではないでしょうか。

こういうのもちゃんと飾らないともったいないですね。

飾り付けをしているうちになんだか女の子っぽい気分になってきました。

という言い方はジェンダー・バイアスがかかっていますね。

飾り付けをしているうちになんだか、可愛らしいものを愛で、

美しいもので飾り立てたい優しい気分になってきました。

たぶん男とか女とかに関係なく、そういう行動を取っていればそういう気分が生まれてくるのでしょう。

しばらくはひな祭り気分を満喫したいと思います。

一万歩散歩

2011-02-20 23:09:12 | がんばらないダイエット
昨日はけっきょくあのあとカップラーメンを食べてしまいました。
カップラーメンといっても現在うちに買い置きしてあるのは、
昼食用の天ぷらそば (「緑のたぬき」 とか) だけですので、
以前に朝から食べていたような、こってりしていたり、
スーパーサイズのものだったりではないのですが、
しかし、大盛りパスタを食べたあとのダメ押しですから、
ダイエットにも健康にもよくないにちがいありません。

そして、昨晩そんなに食べたにもかかわらず、やはり朝にはまた空腹感がやってきていました。
今日はのんびり起きたので、ちょっとがんばればすぐにお昼になりそうな時間で、
朝食はなんとか抜くことができましたが、
お昼になったらもう空腹で空腹で、とてもそばで耐えられるような感じではありません。
しかも、どういうわけだか本格的インドカレーが食べたい気分です。
そこで昼のそばはあきらめてカレーを食べる代わりに、
たくさん歩くことにしようと計画しました。
いつもの万歩計をもって一万歩の散歩を目指します。
そこで、昨年末に見つけて一度だけ行ったことのある
「本格インド料理 スルタン」 に行ってみることにしました。
「スルタン」 は13号線を飯坂方面に向かって進み、信夫山トンネルを抜けた先にあります。
うちあたりから行くとけっこうな距離があります。
しかも、食後はそこから引き返さずにさらに遠くまで足を伸ばそうという無謀な企てです。
一度、「スルタン」 よりも先にある 「ヤマダ電機」 まで歩いていったことがあるので、
「スルタン」 に行ったぐらいではとうてい一万歩には届かないことはわかっていました。

というわけで昼前くらいに自宅を出発しました。
「スルタン」 までは大した距離でないとはいっても、歩くとやはりきついです。
特に信夫山トンネルってクルマだとすぐに通過できてしまうのですが、
歩いてみるとけっこうあるのです。
標示によると全長760mだそうです。
ちょうど真ん中あたりで写真を撮ってみるとこんな感じでした。



まだまだあるという感じですね。
振り返って入り口のほうも撮っておきました。



この760mのトンネルを抜けるのに約8分ほど、歩数にして930歩ぐらいでした。
「スルタン」 までは全部で2700歩くらい。
やはり 「スルタン」 往復では一万歩は稼げませんね。
とにかく、朝からお腹が空いてしょうがなかったので、
「スルタン」 でエコノミーセット1,200円也をいただきました。
2種類のカレーと大きめのナンとサフランライスで満腹になりました。

さて、お腹いっぱいになったところで13号線から4号線に向かいます。
信夫山の北側の麓ぞいの道を東に向かって歩いていきます。
以前の行きつけの蕎麦屋 「一膳」 (残念ながら昨年閉店) の前を通る道なので、
クルマでは何度も通ったことがあるのですが、
やはり歩いてみるとけっこうな距離があります。
相当な時間をかけてやっと4号線に出ることができました。
4号線をほんのちょっと南下してから115号線 (相馬に向かう道) に入りました。
「BOOK OFF信夫ヶ丘店」 に寄っていこうという計画です。
ここもよくクルマでは行ったことがあるのですが、
4号線と115号線の交差点 (岩谷下) からBOOK OFFまで、
こんなに遠いとは思っていませんでした。
足やら腰やらが少し痛くなりながらなんとか到着することができました。

マンガ (『KATSU』) をしばし立ち読みし、何冊か文庫本を買い、
わりと長い時間ここで休息してから帰途につきます。
115号からまっすぐ4号を突っ切って、芸術文化クラスの卒業コンサートが行われる音楽堂や、
同じく卒業制作展の開催される県文化センターなどを通り過ぎていきます。
福島テレビのあたりまでやってきたところで、やっと一万歩を超えました。
いやあ、それにしてもこんなに歩かないと一万歩にならないんですか?
食事時間や立ち読みの時間を含めてですが、
もうかれこれ家を出てから3時間以上経っています。
今日はたまたまヒマだったからこんなに歩いていられましたが、
ふだん仕事がある日にこんなに延々と歩いてはいられないでしょう。
うーん、一万歩おそるべしっ!
毎日一万歩歩くなんてゼッタイにムリです。
T先生はどうやってそんなに歩数を稼いでいらっしゃるのでしょうか?

そのまま一気に帰宅してもよかったのですが、
疲れたしノドも乾いてきたので、喫茶店に寄ることにしました。
最初に通った信夫山トンネルの入り口付近にある 「Cafe Carrera」 というお店です。



お店の中にスポーツカーが置いてあるのを見たことがありましたが、
実際に入店したのは今日が初めてです。
「Clipper」 という美容院が併設されていて、
そこの美容師さんが知り合いなので噂はかねがね聞いていたのですが、
本物のポルシェが店の中にある姿は圧巻です。



今は車検が切れてしまっていて走らせられないのだそうですが、
いつもはオーナーがこれに乗っかって出かけていったりもしていたそうです。
カフェラテを飲んでいたら、知り合いが喫茶店のほうに顔を出してくれたので、
いろいろ話しているうちに、ちょっと乗せてもらうことができました。



外見はカッコいいですが、ドアの取っ手すら付いていなくて、
乗り降りするのも一苦労、必要最小限の装備しか付いていないので、
まるで遊園地のゴーカートのようです。
快適性は何一つ求めず、ただひたすら走ることを楽しむクルマなのでしょう。
たぶん私だったらすぐにエンストして、
店からクルマを出すことすらできないのではないでしょうか?
今日の散歩も、カレーを食べたり、
マンガを読んだりという目的があったからあんなに頑張れたものの、
ただ歩くことだけを楽しむとか、とにかく一万歩歩くことだけを目的としていたら、
とっくの昔に挫折してタクシーを呼んでしまっていたことでしょう。
どうやら私は純粋に何かを楽しんだり、
ひたすら目的達成に勤しんだりということには向いていないようです。
もう二度とこんな散歩をすることはないかもしれませんが、
一人でこんな散歩をしたこともあったのだということは、
こうして記録に留めておきたいと思います。
けっきょく家に帰り着いたら1万3000歩に達していました。
万が一次の機会があるとしたならば、今度は 「大黒屋」 まで歩いて行ってみようかな。

空腹感復活

2011-02-19 21:05:10 | がんばらないダイエット
約1年前に最大体重を記録して、

そこから取り組んできた 「少しはがんばるダイエット」 ですが、

いろいろと試してみたものの、すでに何度かご報告したように、

やはり一番効果があったのは 「石原式朝だけ断食」 でした。

そして、「石原式朝だけ断食」 が成功できたのは、

これもちょうど1年前くらいからですが、

満腹感を感じられるようになっていたからだということもお伝えしてきました。

以前は朝起きたらすでに空腹で、朝っぱらからカップラーメンを食べ、

飲み会に行けばどれだけ暴飲暴食した後でも、

最後はまたラーメン屋に入って替え玉までしてしまうくらいだったのです。

それがこの1年間というもの、朝起きても昨日の夕食がまだ胃に残っている感じがして、

朝はしょうが紅茶か野菜ジュースだけでも耐えられるし、

昼もそば (普通盛り) だけで十分満足できるようになっていたのです。

ところが、最近ちょっとピンチなのです。

あのかつての空腹感が戻りつつあるような気がするのです。

朝起きた瞬間からなにかガツンと食べたいような感覚、

食べても食べてもまだ食べられそうな感覚、

それが甦ってきてしまったのです。

今日も朝起きたときから空腹感に襲われていました。

ココアを飲んでそれはなんとかやりすごしましたが、

昼が耐えられませんでした。

パセオの喜多屋本店に行って、石原先生の教え通り 「とろろざる」 を食べますが、

食べ終わって会計をしながら、今までのように満腹感を感じていないことに気づいていました。

ここはなんとか耐えなければと思っていたのですが、買い物のためMAXに行ったら、

入り口のすぐそばにフードコートがあって、もうダメでした。

ふらふらっとたこ焼きを買ってしまい、ペロリと平らげてしまいました。

夕食のパスタもついいつもより多目にゆでてしまいました。

そしてそれを食べ終わって今こうしてブログを書いているのですが、

まだ食べ足りないのです。

なにかもうちょっと食べたい感じなのです。

カップラーメンだったら軽く食べてしまえるでしょう。

もう一度パスタをゆでてもいいくらいです。

どう考えても今日はすでにカロリーの摂りすぎです。

ここは耐えなければなりません。

でももうちょっと食べたいのです。

果たして私はここで踏みとどまれるでしょうか?

それともあの飽食の日々へと舞い戻ってしまうのでしょうか?

がんばれ、まさおさまっ

てつがくカフェ@ふくしま正式決定!

2011-02-18 19:13:44 | 哲学・倫理学ファック
てつがくカフェ@ふくしまの開催が正式決定いたしましたっ!

場所やテーマもちゃんと決まりました。

しかも、てつがくカフェ@ふくしまのブログもさっそく開設されました

ですので詳細はそちらでご確認ください。

ぢゅんちゃんと2人でほんの1時間半ほどで作りましたが、

なかなかオシャレな感じにできたのではないでしょうか?

3月26日、第1回てつがくカフェをやりますっ

皆さんのご参加を心よりお待ち申し上げます

八百長とは何か?

2011-02-17 19:40:44 | 人間文化論
八百長の是非について論じる前に、まず八百長とは何かを考えておく必要があります。
八百長とは何なのでしょうか?
ウィキペディアで調べてみると、冒頭部分では、
「八百長 (やおちょう) とは 『いんちき』 の意で、まともに争っているようにみせながら、
 事前に示し合わせた通りに勝負をつけること」
と説明してあります。
しかし、本文の後半では、「現代で八百長といわれるのは個人による金銭授与の敗退行為のことだ」
と金銭授受を含める形で定義されています。
たしかに金銭授受を目的としていたり賭博がらみで行われる八百長は、
最も悪質なものであると言えるでしょう。
しかし、八百長というのははたしてそのようなものだけを指すのでしょうか?
玉木正之氏の議論は、八百長という言葉をそういうものだけに限定して使おうとしています。
今回発覚した八百長はまさに金銭授受が行われていたがゆえに許し難いが、
これまで相撲界で通常行われていたのは八百長ではないんだという議論です。
たしかにウィキペディアでも、
「事前の示し合わせがなく、プレーの態度でそれとなく試される“談合”は八百長ではない」
と断言されています。
八百長ではない、両者の阿吽の呼吸で行われる談合のことを、
玉木氏は 「出来山」 と呼んでいます。
ただ 「出来山」 という言葉は玉木氏が使っている以外で私は聞いたことがありませんでしたし、
そもそも相撲界には 「出来山」 という名の力士がいらっしゃったようなので、
わざと負けてあげる行為を 「出来山」 と名づけるのは失礼なような気がします。

ほかに最近耳にするようになった言葉としては、
「片八百長」 とか 「人情相撲」 とか 「無気力相撲」 等があるようです。
これらはいずれも、金銭授受や賭博がらみということではなく、
勝ち越しがかかっている相手に対して、すでに勝ち越しの決まっている側が、
相手のことをおもんぱかってわざと負けてあげる行為のことを指すようです。
このところ元力士の人たちがテレビに出てきて、
この手の行為は昔からいくらでも行われていたんだということをしきりに暴露しています。
それに比べて今の時代は、メールで現金のやりとりを相談し、
どう勝つか負けるかの段取りまで打合せしていて嘆かわしいといった論調です。
うーん、そういうことなんでしょうか?
狭義の八百長は許し難いけれども、
八百長とは異なる片八百長や人情相撲は日本人の美徳に適っているから許される、
と言ってしまっていいのでしょうか?
そもそも日常的にこういうことが普通に行われているのだとするならば、
それはもうスポーツとは呼べないような気がするのです。

それでは、八百長ないしは八百長に類する行為を場合分けしてみることにしましょう。
いくつかの観点を組み合わせて複合的に考えていく必要があるでしょう。

1.公式戦等、星取りや勝敗が公式記録として残る場合と、そうでない場合
2.公式戦中で、自らが優勝争いや順位争いにまだ関係している場合と、もう無関係な場合
3.わざと負けるようにプレーする場合と、勝つか負けるかは別として全力でプレーしない場合
4.両者による事前談合・合意がはっきり存在する場合と、明示的な事前の示し合わせがない場合
5.金銭授受その他の利益供与がある場合と、特にそうした見返りを求めない場合
6.賭博が絡んでいる場合と、賭博がらみではない場合

1の 「そうでない場合」 というのは、練習試合などで歴然とした力の差があるときに、
強い方がわざと負けてあげたり、本気で戦わなかったりする場合のことを指します。
大人が子ども相手にスポーツをしたり将棋をしたりする場合に、こういうことはよくやるでしょう。
これを 「八百長」 といって糾弾したりする人はそういないでしょう。
やはり問題となるのは正式な試合の場合なのではないでしょうか。
そして、公式戦の中で八百長が起こりやすいのは、2の順位争いなどに 「もう無関係な場合」 です。
高校野球のようにトーナメント方式で優勝が争われる場合、
負ければ終わりなわけですから、よっぽどお金をもらわないとわざと負けてあげたりはしないでしょう。
しかし、プロ野球などのように総当たり戦方式でシーズンが戦われる場合だと、
シーズン終盤には、優勝争いや順位争いに直接関係のない、
いわゆる 「消化試合」 というのが出てきてしまいます。
そういうときに八百長や八百長に類する行為が出てきがちだと言えるでしょう。
プロ野球でもあるチームを優勝させないために、
そのチームと優勝争いをしている別のチームにわざと負けてあげたとか、
そこまでいかなくとも、3のように全力では戦わないようにしているのではといった疑惑は絶えません。
相撲の場合も、優勝も勝ち越しも昇進も関係ないというところで一番よく起きてしまうわけですが、
しかし、もちろん優勝がかかった試合でわざと負けるというようなこともないわけではないでしょう。
ロサンゼルスオリンピック柔道での山下泰裕 VS ラシュワンの決勝戦は、
八百長というよりもフェアプレーのお手本として称えられているようですが、
2.優勝争いのかかっているときに、4.事前の示し合わせはないものの、
3.勝つために全力を尽くさなかった例と言えるでしょう。

問題は4ですが、ウィキペディアの言うとおり、
事前の示し合わせがない場合は八百長ではないと言うべきなのでしょうか?
私はこれには反対です。
「片八百長」 という言葉を先ほどご紹介しましたが、
これは、事前合意がないものであっても大きな目で見れば八百長と言っていいのだけれども、
典型的な八百長とはちょっと区別しておきましょうという感じで、
「片」 をつけているところが私は気に入っています。
そもそも 「八百長」 という言葉は元はといえば八百屋の長兵衛という人が囲碁仲間と碁をするときに、
示し合わせたわけではなくわざと負けてあげていたというところから作られた言葉だそうですので、
事前の談合がなければ八百長ではないというのは、少し限定しすぎだと思うのです。
とりわけ、スポーツの公式戦においては、片八百長というものも問題にすべきでしょう。
例えば5 「利益供与がある」 という場合は、当然、両者の事前合意の下に行われるのでしょうが、
6 「賭博がらみ」 の場合、対戦相手との合意がなくともわざと負けるということはありえますので、
事前合意の有無をあまり強調するのは、この問題を見えにくくしてしまうと思われます。
もちろんこの場合、対戦相手ではなく賭博の胴元との事前合意があるとみなすことも可能ですが、
だとすると、事前合意ということについていろいろなケースを想定しておく必要が出てきます。
それよりは、八百長の語源に忠実に、
事前合意のあるなしを八百長の定義に含めないほうが様々な問題を一括して扱えるように思います。

うーん、それにしても考え始めるとけっこう難しい問題だなあ、八百長は。
書き始めたときはもっと簡単に片付くと思っていたのですが…。
今日のところはこれぐらいで勘弁してやることにしましょう。
今後さらに思索を深める必要があるかもしれません。
私の分類1~6について、もっとほかにこんな論点があるということに気がついたら、
ぜひ教えてください。

東京の雪

2011-02-16 19:28:34 | 人間文化論

このあいだの週末から昨日まで東京に行ってきました。

東京でも雪が降ったというのでけっこう話題になっていましたから、

どんなすごいことになっているんだろうと楽しみにしていたのですが、

こんなもんでした。

これしきのことで騒ぐなと言いたいです。

てつがくカフェ@ふくしま開催決定!

2011-02-15 13:38:56 | 哲学・倫理学ファック
すでにぢゅんちゃんがブログに書いてくれていますが、

てつがくカフェ@ふくしまが開催されることに決定いたしましたあ!

2011年3月26日 (土) です。

以上。

今のところ開催日と、とにかく福島市内でやるということしか決まっていません。

会場や開催時間、テーマなど、ある程度ぢゅんちゃんと話し合ってはいますが、

まだ調整中という段階です。

詳細が決まり次第、続報を流したいと思います。

とりあえず3月26日の午後は空けておいてください。

てつがくカフェの後に必ず打ち上げをやるということも決定事項ですから、

できれば夜も空けておいていただけたらと思います。

はたしてどれくらいの方々が集まってくださるのかまったく予想がつきません。

もしも是非参加したいという方がいらっしゃいましたら、

あらかじめメールかメッセージをいただけるとありがたいです。

誰も来なくても2人で語り合おうねとは言っていますが、

お客さんにいらっしゃっていただけるか否かは2人の士気に相当な影響があるでしょう。

初回がある程度成功したら、今後定期的に開催していきたいと思っています。

一発企画で終わってしまわないよう、皆さまのご参加を心よりお待ち申し上げます!

石文

2011-02-14 19:52:38 | 人間文化論
以前にご紹介した映画 『おくりびと』 の中に 「石文」 というのが出てきました。
まずはそのシーンを引用しておきます。
納棺師という仕事のことで対立していた主人公 (モックン) と妻 (広末涼子) が、
久しぶりに和解してふたりで川岸に来ています。
河原で主人公は石を探し、ひとつ手に取って妻に渡します。

「何してるの?」
「はい」
「なに?」
「石文」
「石文?」
「昔さあ、人間が文字を知らなかったくらいの大昔ね、
 自分の気持ちに似た石を探して、相手に贈ったんだって。
 もらったほうはその石の感触や重さから、相手の心を読み解く。
 例えば、ツルツルのときは心の平穏を想像し、
 ゴツゴツのときは相手のことを心配したりね。」
「ありがと」
「何を感じた?」
「ナイショ。
 ステキな話。誰から聞いたの?」
「オヤジ」
「もしかして、あの大きな石も?」
「そう、オヤジからもらった。」
「知らなかった。」
「毎年石文を送り合おうなあって言ってたのに、けっきょくあれ1回だけ。
 やっぱりひどいオヤジだ。」

主人公は幼い頃、父と石文の交換をしたのですが、
その直後に父は自分が経営する喫茶店のウェイトレスと駆け落ちして、
それ以来ずっと音信不通なのです。
この映画は、納棺師という仕事を通して、
主人公が様々な人々と引き裂かれ、再び結ばれていく過程を描いていますが、
この生き別れた父との関係というのも重要な一本の糸となっています。
それを象徴するのが石文なのですが、
石文って果たして本当にあったのでしょうか?
それともこの映画が勝手に作り上げたフィクションでしょうか?
ちょっと調べてみましたが、よくわかりませんでした。
「いしぶみ」 と言えば本来は 「碑」 で、
石に文字が刻まれているもののことを指すわけですが、
この映画で言う 「石文」 はそういう普通の碑とは異なっています。

いずれにせよ、言語表現重視で、右脳的な芸術性・創造性に乏しい私には、
石文なんていう風習はまったく無縁なんだろうと思いますが、
(「こんな石、渡されても意味わかんないよ、ちゃんと言葉で言ってよ」 みたいな…)
しかし、こういう形でコミュニケーションする人たちが存在していたら、
それはそれでステキなことだよなあと漠然と思うのです。
なんかスローコミュニケーションという感じがしますね。
ラストではボロボロ泣いてしまいました。
まだ見ていない人はぜひ借りて見てみてください。

仕事の友 (その7) ・ Cross テック3

2011-02-11 23:54:40 | お仕事のオキテ

システム手帳のペンホルダーに常に挿してあるペンです。

システム手帳を買ったときにこれも一緒に探しました。

スリムなシステム手帳なのでペンホルダーもそんなに太いわけじゃありません。

ここにピタッと収まるペンが欲しかったのです。

しかも、私が欲しかったのはただのペンではありません。

3色ボールペンとか4色ボールペンのようなもの、

あるいはシャーペンとボールペンが合体したようなもので、

それでいてカッコいいものはないかなあと探し回っていたのです。

3色ボールペンの類はとても太くなってしまいますね。

そんなものはあのペンホルダーに収まりません。

3通りぐらいの使い方ができて、スリムで、そしてカッコいいやつというのが狙いでしたから、

なかなか見つからないだろうな、そもそもそんなものは存在しないかもしれないなと、

半ば諦め気分で探し始めていたんですが、幸いにもすぐに見つけることができました。

それがご覧いただいているクロスの 「テック3」 という複合ペンです。

クロスというのは有名な筆記具ブランドです。

そのクロスから当時ちょうど売り出されたばかりだったのがこの 「テック3」 だったのです。

これは黒ボールペンと赤ボールペンと0.5mmのシャープペンシルと、

3種類の機能を合わせ持っています。

まさに私が求めていた機能性を兼ね備えていて、

しかもちゃんとあのペンホルダーに余裕で収まるスリムさです。

普通のボールペンや3色ボールペンと比べてみると、

その細さがよくわかるかもしれません。



一般的な3色ボールペンよりも二回りくらい細くて、

普通のボールペンとほとんど変わらないくらいというのがわかるでしょう。

これで3通りの使い方ができるのですから便利なことこの上ありません。

システム手帳とセットで、もうこれなしに私の社会生活はありえないと言っていいでしょう。

よくぞこんなカッコいい文房具を作ってくれたものだと、

クロス社には足を向けて眠ることはできません。

お気に入りの文房具を身につけていると、仕事への意欲が湧いてきますね。

さあバリバリ働くぞぉ