まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.天国は定員オーバーにならないんですか?

2013-12-31 21:23:45 | 哲学・倫理学ファック
大晦日ですが、大晦日らしいことは何もせず、
昨日からずーっと白河と郡山の看護学校のレポートやテストを採点していました。
その1年の積み残した残務を片づけているという意味では、
大晦日らしいといえば大晦日らしいと言えないこともありませんが…。
それにしてもどちらも9月から10月にかけて行われた授業で、
レポートもテストも10月中には届けられ、
11月中に採点の上、返送してくださいと依頼されていたのですが、
完全に1ヶ月締め切りに遅れてしまいました。
11月といえば日本カント協会の公開シンポジウムがありましたから、
その準備でとてもじゃないけど採点まで手が回りませんでしたし、
シンポ終了後も、そのために後回しになっていた仕事が学内外で山積しており、
看護学校のほうはまだ学期途中なので今採点結果が届かなくても大丈夫だろうという甘えもあって、
他の仕事を優先させてしまっていました。
手帳の To Do リストには常に 「看護学校の採点」 と書き込んで、
早くやらなければと意識の端には置いておいたのですが、
けっきょく本当に年の瀬がつまってからになってしまいました。
看護学校の先生方にも学生さんたちにも本当に申しわけないことをしてしまいました。
というわけで、昨日今日で何とか採点を終え、
大晦日になってやっと心のつかえを取り去ることができました。

さて、タイトルに掲げた問いですが、レポートですので質問を頂戴したわけではありません。
「死んだらどうなるのか?」 のテーマに関連して次のように書いてきてくれた人がいたのです。
この方は幼い頃、おじさんの臨死体験の話を聞いていたそうです。
おじさんが瀕死の状態のとき、お花畑に行き着いて亡くなっている人に手招きされたけれど、
家族の呼び声を聞いて戻ってきたという話です。
それを聞いて当時は天国の存在を信じていたけれど、その後ふと疑問が湧いてきたのだそうです。
その叙述がとても面白かったので紹介いたします。

「ふと私の中に一つの疑問が浮かび上がってきた。『天国って、定員オーバーにならないんだろうか』。たくさんの人達がこれまでに亡くなっているのだから、天国は極楽どころかとても窮屈な場所のはずである。住んでいる場所や、生きていた時代も違う人たちが 『死』 というたったそれだけの共通点だけで、天国にひとまとめにされていると考えるとさらにおもしろい。旧石器時代にマンモスを追いかけて生活していた人、暴れん坊な将軍様、優雅な暮らしをしていたマリー・アントワネット。文化も思想も様々な人たちが一緒に暮らしているということは、天国はさぞかし治安が悪い場所なのだろう。そう考えると、臨死体験は残念ながら実際に起こったものではないのだと思う。おそらく、私たちが睡眠中に見る夢のようなものなのだろう。そして、天国にある美しい花園や川は、『死』 という恐怖が美化されて現れたものなのではないかと私は考える。小野原先生が授業中に話していた 『死=無』 というのが一番妥当であるな、と感じた。」

サイコーです、こういう合理的な疑問
さすがは私の教え子だと絶賛しておきましょう。
暴れん坊将軍とマリー・アントワネットにはやられました。
「天国はさぞかし治安が悪い場所なのだろう」
いやあ、素晴らしい
私も幼い頃から似たような疑問を懐いていました。

Q.もしも天国があるとしたら、天国にはどれくらい人がいるのだろうか?

質問者と同様、人が多すぎて大変なんではないかと思うのですが、
もう少し具体的に、あちらの世界には今のところ何人ぐらいいるのだろうかという疑問です。
わたし的には、いちおう霊魂の世界があったとしてもそこは質量も体積もない世界なので、
いくらたくさん人がいたとしても窮屈になったりはしないんだろうと想像していますが、
それにしてもあちらの世界にはどれくらい霊魂がいるのか、
今後どんどん霊魂は増え続けていくのかというのは理論的にちょっと気になるところではあります。
この問い、ずっと前から疑問に思ってはいましたが、調べてみたことはありませんでした。
この機会にさっそく調べてみました。
要するに人類の総人口はどれくらいかという問いになると思います。
「人類の総人口」 でググってみたところ、
以下のような質問回答サイトがヒットしました。

「人類史上、現在までにおよそ何人が生誕したでしょうか? 統計学的にお答えください。」

ここでは何人かの人が答えてくれています。
200億人という答えから約6000億人という答えまで様々です。
もうひとつはこちら。

「今まで地球上に生まれた人間の総数」

こちらでは約6000億人という先ほどの一番多い回答と同じ答えが書かれていました。
いずれにしても、意外と科学的に答えるのは難しい問題なのかもしれません。
ただ、現在ほど人口が増えている時代は人類史上ほんのつい最近のことなので、
人類誕生の4万年前までさかのぼっても意外とそんなに大きな数字にならないのかもしれません。
それでも200億人とか6000億人ってどれぐらい多いのかあまり想像つきませんね。
今だけで70億人生きてるのと比べるとそれほど多くないような気もするし、
でも気が遠くなるほどたくさんであるような気もするし、
うーん、よくわかりません。
この人たちが天国にみんないるとすると、質問者が言っていたように、
暴れん坊将軍からマリー・アントワネットまで、石器時代人からケータイ世代まで、
あまりにも種々雑多な人がいすぎて治安が保てなくなるのではという疑問はもっともな気がします。

年の終わりに面白いことを考えさせていただきありがとうございました。
あと100年もしたら私もあなたもあちらの世界に行くことになるでしょう。
(あちらの世界があるとしたならば…)
そのときに6000億人もいるあちらの世界でうまいこと出会えるかどうかわかりませんが、
もしも偶然出会えたら、全部で何人いるのか一緒に数えることにいたしましょう。

年末旅行・おとぎの宿 米屋

2013-12-30 14:15:04 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
せっかくの年末年始のお休みというのに、早くから予定を立てることの苦手な夫婦なので、
だいたい例年、ぎりぎりになってから 「じゃらん」 で近場の空いてる温泉宿を探して、
さくっと1泊旅行に行ってくるというのが定番の過ごし方になっています。
たしか去年は秋保温泉の 「ホテル華乃湯」 でした。
今年もやはり前日になって探してみたら、一昨年の夏に行った 「おとぎの宿 米屋」 が、
たまたま個室露天風呂付きのお高い部屋が一室だけ空いていたので急遽行けることになりました。
こちらは大浴場が十分素晴らしいので、わざわざ露天風呂付きの部屋である必要はないのですが、
あらかじめきちんと予定を立てておかなかったペナルティですから仕方ありません。

こちらは須賀川市にあります。
クルマでうちから1時間ほどで着いてしまいます。
ホント近場なんだけど贅沢気分でのんびりできるのが嬉しいです。
ただし須賀川ですから、お茶受けとして冷蔵庫にもれなくこんなものが入っています。



あらかじめ 「じゃらん」 ネットで1人はキュウリが食べられませんと伝えておきましたが、
おそらくもう1人の人のために用意しておいてくれたのでしょう。
ふだん私と一緒のときはキュウリにありつけない連れ合いは喜んで食べていました。

15時過ぎにはチェックインし、さっそく温泉三昧です。
例のトロトロしたお湯でお肌をツルツルにしていきます。
相当のんびりお湯に浸かっても、夕食まではまだだいぶ時間があります。
このあいだ美容院で洗髪後にやってもらったマッサージが異様に気持ちよかったので、
私としては珍しく温泉宿でマッサージをお願いすることにしました。
控えめに一番短い30分のコース。
それでも十分に堪能しました。
自分からマッサージを所望するなんて、1年の疲れがだいぶたまっているんでしょう。
ちなみに連れ合いは最長の80分コース。
私なんかとは比べものにならないくらいお疲れのようです。

お風呂とマッサージを満喫したあと、いよいよ待望のディナーです。
こちらはおとぎの宿なので、夕食はいつもおとぎ話にちなんだ会席料理になります。
前回は 「夏のおとぎ会席 かぐや姫」 だったので、今回は何だろうと予想していました。
冬にちなんだおとぎ話って何があったでしょうか?
ごんぎつね? 雪女?
正解は 「冬のおとぎ会席 マッチ売りの少女」 でした。



なるほどそう来ましたか。
そして、各料理にタイトルが付けられているのも以前と同じです。


(クリックすると拡大します)

お品書きの裏にはこんな説明が付けられていました。
「かなしい印象のあるお話ですが、今回は米屋流にアレンジした
 しあわせな 『マッチ売りの少女』 をお楽しみ下さいませ。
 おなかをすかせた一人の貧しい少女が、寒い大晦日の町角を
 マッチを売り、歩いていました。
 マッチは一つも売れず、少女は冷たくなった指をあたためるためにすわり込んで、
 一本のマッチをすると、マッチの炎はあかあかと燃え、
 そのなかにさまざまなものが見えてきました。
 はじめのマッチでは大きなストーブが、次にご馳走がいっぱい並んだテーブル、
 それからクリスマスツリーが現れました。
 最後の一本のマッチをすると少女のおばあさんが現れ、
 少女は 『しあわせになりたい』 とお願いしました。
 おばあさんは少女がしあわせに暮らして行ける様に、
 彼女に家族を与え日々しあわせに暮らしました。
 めでたしめでたし」
なるほど、こちらの宿ではマッチ売りの少女は死んでしまったりしないんですね。
安心して食べられそうです。
というわけでまずはモエ・シャンドンのハーフボトルでプレバースデー祝い。



まずは 「前菜 1本のマッチ」。



あいかわらず可愛い手の込んだ細工です。
タイトルとは異なり中央の海老のテリーヌにはマッチが3本あしらわれていました。
続いて 「吸い物 暖かなストーブ」。



最初はカリフラワーやゆり根だけが入っている白い器が持ってこられます。



そこに赤いパプリカスープが注がれていきます。



ストーブに点火される様を表しているのだそうです。



マッチ売りの少女の身体も暖まったことでしょう。
続いて 「お造り 白いテーブルクロス」。



お造りを載せている野菜がそれぞれ白いテーブルクロスを模しています。
このガラスの器も素敵です。
右端のほうに山芋とプチプチトマトで火の点いたマッチがあしらわれていました。
続いて 「焼き物 冬のご馳走」。
こちらは各個室のテーブルに囲炉裏があります。



ここに炭が入れられて、目の前で焼かれていきます。
ひとつは宮城県沖で獲られた牡蠣。



これはもうレモンのみでいただきます。
もうひとつは郡山産の采女牛 (うねめぎゅう)。
網の上で陶板を熱し、



牛脂を敷いて両面をこんがりと焼き上げます。



これも塩とコショウだけで十分です。
ほんの一切れずつですが、量もこれで十分です。
そうしないとおとぎ話を最後まで楽しむことができないでしょう。
続いて 「煮物 温かさを取り戻して」。



こんな器で運ばれてきました。
開けてみると、



京芋、白子、長葱、長芋で作られ、味噌味ベースの和風グラタンです。
ああ温かい。
ここまででシャンパンはとっくに空き、焼き物と煮物のあいだは赤ワインをグラスで飲んでいましたが、
ここから日本酒に移っていきます。



決定力不足の私は 「おすすめ日本酒セット」 を選んで、5酒飲み比べを楽しみました。



東北各地の銘酒が並びます。
そして、日本酒とともに 「主菜 少女の願い」 です。



ふぐちりです。
なんでふぐちりが少女の願いなのでしょうか?
仲居さんがちょっと照れながら教えてくださいました。
「ふぐ」 と 「ふく (=福)」 をかけているのだそうです。
家族とともに囲むふぐ鍋は、少女の願いである幸福を二重に象徴しているわけです。
うーん、すごいなあ。
ただ料理を作るだけじゃなくて、料理でここまで物語を表現するなんて。
料理長の佐久間進吾さん、素晴らしいです。
そして、「酢物 クリスマスツリー」。



揚げたくずきり等を高く積み上げてクリスマスツリーを表している冬野菜パチパチサラダです。
料理のシメは 「食事 願い…それは」。



当然、ふぐ雑炊です。



糖質制限のことはすっかり忘れて、もちろん完食です。
しかもまだまだこれで終わりではなく、「デザート 大切なこと」 が運ばれてきます。



大切なのはニッカリ笑顔ですね。
ふぐ雑炊を平らげてしまった今となっては、これぐらい屁でもありません。
そして、とどめ。



お夜食用のお持ち帰り弁当。



今回はお稲荷さんでした (柔らかいナリ)。
さすがにこれはいくら夜が更けてもお腹に入る余地はなく、
翌日のお昼ご飯となったのでした。
今回もやられました。
素敵な時間をありがとうございました。
県内のこんな近くにこれほど素晴らしい宿があることを誇りに思います。
今度はもう少し余裕をもって予約を入れることにいたします。
次回はどんなおとぎ話を聞かせてくれるのか今から楽しみです。

ハンティング・トロフィとふわふわメレンゲ豆乳鍋

2013-12-29 23:40:34 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
年末に卒論ゼミのある代の卒業生たちが福島に集まってくれるというのが年中行事となりました。
今年も静岡、神奈川、千葉、宮城 (石巻) からみんな集まってきてくれました。
集まるのはたいてい私の誕生日近辺になるため、私のバースデイパーティにもなってしまいます。
今年はピッタリ私の誕生日 (12月28日) に開催されました。
例年、みんなでなにか誕生日プレゼントを買って来てくれます (MAXふくしまで)。
彼らからもらったタジン鍋マルチ・グリル・ポットなどは異様に重宝していますが、
今年はこの2品を頂戴してしまいました。
まずはこれ。



時計つきのLEDライトです。
小さいのに相当明るく便利そうです。
時計部分には日付、曜日、気温も表示されるようになっています。
もうひとつがこれです。



アップすぎて全体像がつかめませんね。
ちょっと引いて撮ってみましょう。



これくらいの大きさのものです。
Hunting Trophy DOOR LIGHT だそうです。
ハンティングをする人がよく自分の獲物を剥製にして飾っていますが、
ああいうものをハンティング・トロフィと言うのですね。
これはそれを模したドア・ライトで、磁石でくっつき開閉の振動により光ります。
とりあえずパーティ中も見えるようにと冷蔵庫のドアに付けてみましたが、
冷蔵庫から物を出し入れするたびに光るのでみんなで大笑いしていました。
本来は冷蔵庫のドアではなく、このようにちゃんと玄関のドアに取り付けるべきでしょう。



とはいえ、一人暮らしの家にこれがあってもちょっと寂しいので、
年が明けたら大学に持っていって、研究室のドアに付けてみたいと思います。
その他にもシャブリとこっこ×2とバースデーケーキ×2等を頂戴してしまいました。
ケーキのうちの1つは撮るのを忘れてしまいましたが、
もう1つのほうはこういうレパコの名前入りのケーキでした。



買うときに対象者は52歳であると申告してみたそうですが、
ケーキの大きさからしてロウソクは4本しかもらえなかったそうです。
ちなみに名前入りのチョコレートプレートは当然のことながら私が頂きました。
特に何も考えずにかじっていたらこんなふうに↓



「さお」 だけが残ってしまいました。
だからといって別にどうということもありませんが…。
みんな本当に遠くから集まってくれただけでもうれしかったのに、
いろいろとお気遣いいただきありがとうございました。

さて、今回のパーティメニューは新作鍋に挑戦してみました。
数日前にたまたま本屋さんで 『笠原将弘のやみつき極上鍋』 という本を衝動買いしていたのです。
糖質制限ダイエット中は夏から1人鍋ばかり食べていました。
集中的なダイエットは終了したとはいえ、
急激なリバウンドを避けるためこれからも細々と続けていこうとは考えていますので、
鍋料理のレパートリーを増やしておくことは重要なのです。
それにしても鍋料理だけの料理本ってちょっと珍しくないですか?
これは私にとって新しいバイブルになってくれそうです。
そのなかから今回は 「ふわふわメレンゲ豆乳鍋」 というのを選択してみました。
卒業生たちと約束しましたので、作り方を記しておきます。


ふわふわメレンゲ豆乳鍋の作り方 (2~3人分)

1.白菜1/8をざく切り、ねぎ2本を斜め薄切り、えのき1袋は根元を落としてほぐし、
  木綿豆腐1丁は8等分、豚バラ肉薄切り300gは食べやすい大きさに切ります。
2.鍋に出汁1.5カップ、酒1/2カップ、薄口しょうゆ大さじ2を入れ、
  そこに1の白菜、ねぎ、えのきを入れ火にかけ、煮立ったら豚肉を加え、弱火で5分煮ます。
3.調整豆乳4カップと豆腐を加え、再び煮立ったら、塩コショウで味を調えます。
4.卵白3個分をつのが立つくらいに泡立ててメレンゲにし、塩少々を加えて軽く混ぜ、
  3の鍋の表面を覆うようにしてのせ、鍋のフタをします。
  2~3分煮てメレンゲが少し固まったら完成です!


手順が簡単そうなわりに出来上がりの見た目のインパクトが大きそうだったのでこれにしたのですが、
実際にやってみると、メレンゲをあらかじめ作っておくというわけにいきませんので、
3と4の手順をほぼ同時にやらなくてはならず、1人で作るのは大変なことがわかりました。
しかし、お客さんたちが率先して手伝ってくれましたし、
みんな作業を楽しんでくれていたようなので、パーティメニューとしてはむしろよかったでしょう。
こちら↓は真剣な表情で3の微調整の作業に取り組む味付けブラザーズ。



こちら↓はキャーキャー騒ぎながら4の作業を楽しんでいるメレンゲシスターズ。



皆さん、ご協力いただきありがとうございました。
おかげさまでみごと完成です!



オーッというみんなの歓声が上がります。
予想通りのインパクトです。
しかも見た目ばかりでなく、このメレンゲがふんわりしていて、
といって出汁に溶けてしまうわけでもなく、初めての食感で楽しいです。
メレンゲの中はこんな感じ。



ちょっとわかりにくいですが。
味も豆乳のおかげでまろやかな優しいお鍋に仕上がっていました。
今回はしめじやしいたけなど冷蔵庫のなかに余っていたキノコ類も入れてみました。
材料は何を入れてもよいのではないでしょうか。
シメのうどんまで、出汁も一口残さずペロリと平らげてしまいました。
そして、みんなの職場の話やら年齢の話やら将来計画の話やらで盛り上がり、
宴は2時過ぎまで続いたのでした。
幸せな誕生日を過ごすことができました。
みんな本当にありがとうございました

○に近い△を生きる

2013-12-28 15:24:37 | 幸せの倫理学

鎌田實著 『○に近い△を生きる』 を読みました。
もともとうちのゼミ生がマインドマップで紹介してくれた本です。
タイトルだけでやられました。
先日ご紹介した 「創造的問題解決の倫理学」
別名 「オルターナティブ倫理学」 とコンセプトが同じです。
副題には 「『正論』 や 『正解』 にだまされるな」 とありますが、
本のなかでは 「別解」 とか 「別解力」 という語が多用されていました。
「別解」 というのはまさに 「オルターナティブ」 の訳語としてピッタリだと思います。
ちょっと 「はじめに」 から引用してみましょう。

「○と×の発想法は堅苦しくて不自由でおもしろみがない。
 ○と×の間にある無数の△= 「別解」 に、
 限りない自由や魅力を感じる。
 ○に近い△の生き方は、柔らかな生き方だ。
 (中略)
 『正解』 や 『正論』 にこだわらなくなると、考え方が自由になることを、
 若い人に気づいてほしい。
 『正解』 に囚われないと、多様な価値観がわかってくるようになる。
 他の人の生き方に共感したり、拍手を送ることもできるようになる。
 相手を汚い言葉でののしるヘイト・スピーチは、下品だと気づくだろう。
 唯一の 『正解』 を信じる生き方は、時代遅れで窮屈だ。
 生きるということは、たくさんの△の中で、
 『別解』 を探していくということ。
 ○に近い△を生きるということは、
 『別解力』 をつけるということだ。」

著者の鎌田實氏は現在は長野県の諏訪中央病院の名誉院長です。
この病院は氏の赴任当時、大赤字を抱えていました。
しかも病院のある茅野市は脳卒中の発生がひじょうに多い地域だったそうです。
そのなかで鎌田氏は、脳卒中患者の救命率を高めるという医療の 「正解」 ではなく、
脳卒中にならずにすむような健康づくり運動という 「別解」 に取り組みました。
さらには訪問看護やデイケアのシステムを日本で初めて立ち上げるなど、
それまでの 「正論」 では誰も思いつかなかったような 「別解」 を追求し、
鎌田氏が院長に就任してからはずっと黒字を続けているそうです。
長野県も今では日本一の長寿県となり、しかも医療費は最低、
かつ健康寿命 (介護を受けずに自立して生活を営める期間) が男女とも1位だそうです。
救命医療や高度医療を推進するという医療における○ではなく、
○とは異なる△を追求していった結果、○を超える成果を生み出してしまっているのです。
そのような実績に裏打ちされた提言ですので、たいへん興味深いです。

本書が扱っているのは医療問題ばかりでなく、
政治の問題や経済の問題など多岐にわたっています。
特に著者は、「人間が生きていく上で一番重要なことは、働く場があることと愛する人がいること」
と捉えていて、「この両方を規制緩和が粉々にしてしまった」 と、
非正規雇用のため結婚することもできない日本の若者たちの将来を真剣に憂えています。
新自由主義というグローバルな正解ではなく、
「ウェットな資本主義」、「あったかな資本主義」 を作っていくという別解については、
本書のなかではまだ具体的な提案には至っていませんが、
鎌田氏に倣って私たちが、想像力と創造力を働かせて別解を求めていく必要があるでしょう。
最後に東日本大震災ならびに原発事故後すぐに被災地入りした経験を踏まえて、
福島の未来に向けた著者のメッセージを引用しておきましょう。

「今も、被災地福島に通い続けている。見えない放射能を心配するお母さん達の不安を考えると、心が痛む。
 低線量被ばくと健康と命については、科学者の意見が真っ二つに分かれている。
 100ミリシーベルトまでは心配ない、という科学者と1ミリシーベルトでも体によくない、という科学者がいる。ぼくはどちらかというと後者である。
 しかし、福島から離れられないお母さん達にとって、子供を守るためには、絶対的な正解ではなくても○に近い△を選んで生きていくしかない。
 100万人に1人といわれている小児甲状腺がんが診断された。福島県で約21万6000人の検診が終わった時点で、18人の小児甲状腺がんが診断された。さらに、25人の甲状腺がんの疑いのある子供がいる。簡単に大丈夫と言える状況ではない。
 絶対的な 『正解』 がない中で、この国の未来を背負っていく子供達をどう守っていくのか。
 ヒステリックな批判のし合いではなく、子供達のための 『別解』 を考えていかざるを得ない。甲状腺検診の質とスピードを高める必要がある。」

とても読みやすく、かつ面白い本でした。
この人の別の本もそのうち読んでみたいと思います。
ゼミ生に紹介されなければたぶん一生読むことはなかったでしょう。
ゼミ生に感謝。

福大オケのコンサート本日開催!

2013-12-26 13:18:55 | 人間文化論
エチカ福島からてつカフェにかけての多忙な週末を終え、

ちょっと疲れもあって (飲み疲れとも言います) ブログの更新が滞っていました。

で、ふと振り返ってみると、福大オケの定期演奏会の告知をするのを忘れていました

あんまり早く告知しても忘れられちゃうだろうからと思って情報を温存しておいたのが失敗でした。

コンサートは今日です

福島市音楽堂で18時開演!

そして、なんと痛恨なことに今日は私は行けないのです

今日やるという情報は早い段階から得ていて、行くつもりで日程調整もしていたのですが、

例年のように年末の温泉旅行の宿を取るのを先延ばしにしていたところ、

当初予定していた日程で取ることができず、今日行かなくてはならなくなってしまったのです。

ああ、大失敗。

ブラ4を演るというのに

うちの卒論生の最後の演奏だというのに

昨日は 「スペインバル アロス」 でトラのハーピストの方にもお会いしたというのに

「文化創造論」 受講者の皆さんはどうかぼくの代わりに聴きに行ってあげてください。

受講者でない方々もぜひよろしくお願いいたします



福島大学管弦楽団第42回 定期演奏会

 日時 2013年12月26日 (木)
       17時30分開場 18時開演 20時終演 (予定)

 会場 福島市音楽堂 大ホール

 入場料 300円 (全席自由・小学生以下無料)
 
 指揮 井上宏一

 演目 F.v.スッペ/喜歌劇「軽騎兵」より序曲

     C.F.グノー/歌劇「ファウスト」よりバレエ音楽

     J.ブラームス/交響曲第4番ホ短調op.98

映画 『ハンナ・アーレント』 前売り券発売中!

2013-12-25 22:23:11 | 哲学・倫理学ファック
次回のてつカフェは映画 『ハンナ・アーレント』 を見てのシネマ de てつがくカフェになります。

フォーラム福島さんとの共同企画ということで、

新聞にも取り上げられたりなど、各方面からの注目が高まっているところです。

さて、その映画 『ハンナ・アーレント』 ですが、

このたびフォーラム福島さんの御厚意により私たちも前売り券を販売できることになりました。



前売り券は1,000円です。

もちろんフォーラム福島でも買うことはできますが、

当日のシネマ de てつがくカフェの参加者数を把握したいということもありますので、

私たちのところから買っていただけるとたいへん有り難く思います。

もちろん、シネマ de てつがくカフェに参加できない方もぜひこの映画はご覧になってみてください。

そういう方々にも前売り券は販売できますので、小野原までご用命ください。

『ハンナ・アーレント』 はフォーラム福島で1月18日 (土) ~ 31日 (金) までの2週間上映されます。

その最中の1月26日 (日) にシネマ de てつがくカフェが開催されます。

その日に限っては他の日と上映時間が変わるのですが、

14:00から映画を上映し、16:00過ぎから同じ劇場でシネマ de てつがくカフェを行います。

シネマ de てつがくカフェに参加ご希望の方はできればその日にご覧いただければと思います。

ただし当日のその時間帯に映画は鑑賞できないけれども、

あらかじめ見ておいてからてつカフェに参加したいという方は、

映画を見た半券をご呈示いただければ、1月26日のてつカフェに参加できることになっております。

返す返すもフォーラム福島さんのきめ細かな御対応には心から感謝申しあげたいと思います。

この映画は、ナチスドイツの蛮行を哲学的・政治学的にきっちりと対象化しようとした、

一哲学者の伝記的映画なのですが、おそらく哲学にも政治にも何の興味もないような、

どんな人が見ても心に刻まれることになるような面白い映画だと思います。

シネマ de てつがくカフェに参加されるかどうかは別として、多くの皆さまに、

特に福島という不条理な地で生きることを余儀なくされている皆さまにご覧いただきたいと思います。

この映画が福島で上映されるということ自体が僥倖といってもいいくらいのチャンスですので、

ぜひこの機会にご覧いただけますようお願い申しあげます。

鈴木潤一さんの話

2013-12-19 19:25:59 | お仕事のオキテ
先週先々週と行ってきた須賀川市の人権啓発セミナーですが、
ちょっとだけビックリしたことがありました。
(間違って小学校に行ってしまったことではありません。あれはちょっとどころではなく驚きました。)
この件の連絡窓口となってくれたのが鈴木潤一さんでした。
最初はメールのやりとりでしたが、とても丁寧に対応してくださいました。
そして一度、直接打ち合わせをしましょうということで、
研究室まで上司の方と一緒に訪ねてきてくださいました。
最初お会いしたときは上司の方のほうが鈴木潤一さんなのかと思いました。
というのも若いほうの方は見た目がめちゃくちゃ若い感じでしたので、
メールでのやりとりの丁寧さとはちょっとイメージが合わなかったからです。
しかし、実際に話してみるとやはり若いとはいえ仕事ができるんだなという感じで、
なるほどこの人が鈴木潤一さんだったのかと納得したものでした。

そして当日。
私が間違って小学校に行ってしまったりしたために、
講演会前はだいぶバタバタしていました。
中学校の校舎の外で、私が印刷してきた資料を彼に渡し、
彼はそのまま会場入りして資料の配付をしてくれたようです。
私は校長室に通されて、校長先生や人権擁護委員の方々とご挨拶などしておりました。
その中に須賀川市役所の課長さんもいらっしゃっていて、
その方とは初対面なので名刺を頂戴いたしました。
で、名刺を見てみると 「鈴木潤一」 と書いてあるのです。
ん?
ここで自分の記憶力に自信があればすぐに何か言えたのでしょうが、
なんせ記憶力の低下にかけては筋金入りですから、
研究室でお会いした若い人が鈴木潤一さんだったような気がするけど、
ここにいるまったく別の人が鈴木潤一と名乗っているのだとすると、
あの若い人は鈴木潤一さんではなかったのかもしれないという気もしてきます。
私にメールをくれていたのはこちらの課長さんだったのでしょうか?
その日はあの若い方とはもうお会いすることもなく、
若干もやもやしたまま帰ってくることになりました。

その翌週。
その日は鈴木潤一課長はいらっしゃっていませんでした。
そして、若いほうの方はあいかわらず忙しく立ち働いており、
直接お話しする機会がありません。
で、講演会終了後、打ち合わせに研究室に来てくださったあの上司の方に、
とうとうこんなふうに聞いてみました。
「私とメールのやりとりをしていた鈴木潤一さんて、先週お会いした鈴木課長さんですか?」
すると、うれしそうに笑いながらこう答えてくれました。
「やはり驚かれましたか。同姓同名なんですよ。
 メールを差し上げていたのは今日来ている鈴木のほうなんですよ。」
なるほど、お2人とも鈴木潤一さんだったのですね。
ああ、よかった。
メールの相手は若い方だと思って、けっこうくだけた調子のメールを送っていたのですが、
課長さんじゃなくて本当によかったです。
それにしても同じ課に同姓同名の人がいるなんて。
その上司の方の話だとやはりけっこういろいろ支障があるそうです。
フルネームで呼んでも、漢字を伝えても区別できないのですから、そりゃ困りますよね。
役職を言ってもらわないと区別できないそうです。
しかも同じ課に鈴木という姓の人が全部で5人もいるそうで。
うーん、大変そうだあ。

ところで私には、現在 Facebook の友達で、
高校時代の同級生の鈴木潤一さんという知り合いがいます。
だから、最初に鈴木潤一さんからメールをもらった時点ですでに、
うわあ同姓同名だあと思っていたのでした。
そこにもう1人現れてしまったので本格的に混乱してしまったのでした。
やはり人の名前は一発できちんと覚えなければいけませんね。
課長さんから名刺を頂戴したときに即座に、
「連絡係を務めてくださった主事の鈴木さんと同姓同名でいらっしゃいますか?」
と返すことができなければいけませんでした。
ははは。
そんな人になりたいけど、絶対ムリだな。

今度のてつカフェのために 『茶色の朝』 を読みました!

2013-12-18 17:25:23 | 哲学・倫理学ファック

来週の月曜日 (祝日) に 「第21回てつがくカフェ@ふくしま」 が開催されます。
今回のテーマは 「社会はいつのまにか変わるのか? 私たちが変えるものなのか?」。
なんかもうやけっぱちなテーマに聞こえるかもしれません。
最近の政治情勢を見ているとなんだかそんな気分にもなってしまうのです。
土曜日に行われる 「エチカ福島第3回セミナー」 のテーマが、
「原発事故は日本社会を変えたか?―社会を変える/社会が変わることについての哲学的探究―」
ですから、両者が密接に関わっているということはおわかりいただけるでしょう。
原発事故を受けて今こそ社会を変えていかなくてはならないのに、
それとはまったく正反対の方向にどんどん変わっていってしまっている、
そういう危機感が世話人のあいだにはあります。

今回は実は 「本 de てつがくカフェ」 にしようかという話もあったんです。
F.パヴロフ著、V.ギャロ絵 『茶色の朝』 を課題図書にしようと純ちゃんが提案してくれたのです。
この本↓です。



私は読んだことなかったんですが、けっこう有名な絵本らしくて、
現在の政治情勢を表現するのに、「茶色の朝」 という表現を使っている人が、
ネット上でもけっこういらっしゃいます。
まさに今読むのにふさわしい本だと言えるでしょう。
しかし、久しぶりのA・O・Z (アオウゼ) での開催ですし、
「本 de てつがくカフェ」 にしてしまうと、本をあらかじめ読んでこなければならないため、
どうしても参加者数が減ってしまうので、今回は通常の 「てつがくカフェ」 にすることにしました。
で、テーマとしては先に挙げたようなものにしておいて、
副題として 「―F.パヴロフ著・V.ギャロ絵 『茶色の朝』 を読みながら―」 を付け足しました。
しかし、ブログにも冒頭のポスターにも書いておきましたが、
『茶色の朝』 を読んでこなくても対話に参加できるように進めていきますのでご心配なく。

で、このほどやっと私も手に入れて読んでみました。
本文だけだとほんの14ページしかない本ですのですぐに読めます。
まさに今の時代を表すような不気味な本でした。
以前に 「本 de てつがくカフェ」 で取り上げた 『動物農場』 にも似ています。
どちらもじわじわと広がっていく全体主義 (スターリニズム、ファシズム) の脅威を描いています。
ただ描く観点が違っていて、『茶色の朝』 のほうは一般国民の側の心性を描き出し、
突き詰めて考えないまま批判の声を上げずにいるうちに、
のっぴきならない状況に追い込まれていく危険性とその責任を問い質しています。
可能な方にはぜひ一読をオススメしますが、
この本が訴えたいことはある意味でクリアーですので、
いろいろな読み方が可能な本だというわけではないと私は思いました。
その意味でも 「本 de てつがくカフェ」 にしなかったのは正解だろうと思います。
しかも、巻末には高橋哲哉氏の 「メッセージ」 ということで、
「やり過ごさないこと、考えつづけること」 というタイトルの、けっこう詳しい解説が付されています。
みんなで読んでもこれ以上の読みが見つけられたかどうかはわかりません。
この本をどう読むかということよりも、この本で描かれているような状況をどう受け止めるか、
そして、それをどう変えていくかというほうに議論の矛先を向けられたらと思います。
というわけで 「社会はいつのまにか変わるのか? 私たちが変えるものなのか?」 というテーマで、
皆さんとじっくり話し合いたいと思います。
ぜひ多くの皆さまにご参加いただければと思います。


第21回てつがくカフェ@ふくしま

テーマ : 社会はいつのまにか変わるのか? 
      私たちが変えるものなのか?


日 時 : 2013年12月23日 (月・祝日)16:00~18:00

場 所 : A・O・Z(アオウゼ) MAXふくしま4階 大活動室4

参加費 ドリンク代100円

事前申し込み : 不要 (直接会場にお越しください)



福島大学混声合唱団・第42回定期演奏会

2013-12-17 17:41:38 | 人間文化論

このところイベント告知が目白押しです。

今週の土曜日には福島大学混声合唱団の定期演奏会が開催されます。

残念ながら私は昨日告知した 「エチカ福島第3回セミナー」 のほうに出席しなければなりませんので、

今年は混声合唱団のほうは聴きに行くことができません。

昨年、初めて聴きに行ってみたのですがとてもよかったです。

全日本合唱コンクールで金賞を受賞したというだけの実力は伝わってきましたし、

各部毎に演目が工夫してあって、演し物として素人でもけっこう楽しむことができました。

今年も全国大会で銀賞を受賞したそうです。

連覇というわけにはいかなかったようですが、昨年の金賞に続いて今年も銀賞というのは、

十分に誇るべき成果と言えるでしょう。

ぜひその歌声を聴きに行ってみてください。



☆福島大学混声合唱団 第42回定期演奏会☆

日時 : 2013年12月21日 (土) 

     開場 13:30 / 開演 14:00

場所 : 福島市音楽堂

★入場無料★

第3回エチカ福島・高橋哲哉、佐藤和夫両先生に会えるっ!

2013-12-16 14:54:46 | 哲学・倫理学ファック
さて、いよいよ今週の土曜日、エチカ福島が開催されます。

もう第3回目になりますが、私は今までことごとく参加できませんでした。

今回やっとスケジュールが合いました!

しかも今回は高橋哲哉氏、佐藤和夫氏という豪華ダブルキャスト!

高橋氏とは、福島県高校社会科の先生たちの集まりで講演してくださったときに、

講演は聴けなかったものの、飲み会から飛び入り参加してちょっとお話ししたことがあります。

佐藤氏とは、これも同じく福島県高校社会科の先生たちが佐藤氏をお呼びし、

私は彼の講演に対する特定質問者みたいな形で絡んだことがあります。

たぶんお2人ともぼくのことを覚えてはいないと思いますが、

こちらからとって見れば 「再会」 であることに変わりはありません。

4時間を超える長丁場。

そして翌々日の 「第21回てつがくカフェ@ふくしま」 でも扱うし、

1月26日の 「シネマ de てつがくカフェ」 で鑑賞する映画 「ハンナ・アーレント」 ともつながる、

きわめて重厚なテーマ。

(純ちゃんが書いた今回のテーマの趣意書はこちら

楽しみです。

ちなみに 「エチカ」 というのは倫理学という意味です。



エチカ福島第3回セミナー

【テーマ】 原発事故は日本社会を変えたか?
        ―社会を変える/社会が変わることについての哲学的探究―


【講演者】 佐藤和夫 先生(千葉大学名誉教授)
            専門は哲学。H・アーレント研究・ジェンダー研究など
          高橋哲哉 先生(東京大学大学院教授)
            専門は哲学。J・デリダ研究・戦後責任論・記憶論など
              
【開催日】 2013年12月21日(土) 13:00~17:15

【会 場】 桜の聖母学院短期大学5階 500番講義室
         (福島県福島市花園町3-6)
  ☆ 校舎西側の学生通用口よりお入りください。
  ☆ 当日の発言を映像・活字化する予定があります。予めご了解ください。
  ☆ 会場定員は150名(先着順)。
  ☆ 駐車場のスペースに限りがあります。市内循環バスをご利用下さい。

【参加費】 資料代・会場費として500円を予定

【タイムスケジュール】  
  1.開会―エチカ福島とは― 13:00~13:05
  2.第3回テーマの趣旨説明 13:05~13:15
  3.高橋哲哉 先生 60分 13:15~14:15
      <10分休憩>
  4.佐藤和夫 先生 60分 14:25~15:25
      <10分休憩> 
  5.佐藤―高橋の対談40分 15:35~16:15
  6.会場との討議  60分 16:15~17:15
  7.閉会 17:15

【主 催】思考集団プロジェクト「エチカ福島」
    共同代表:島貫真(湯本高校教諭)  深瀬幸一(橘高校教諭)
          渡部 純(福島商業高校教諭)  荒川信一(公立小教諭)

【連絡先】mail:ethicafukushima@gmail.com
      ℡:050-3599-8138(エチカ福島 島貫真)


福島大学美術研究会 定期展

2013-12-14 18:49:17 | 人間文化論
「文化創造論」 がらみのイベント告知です。

福島大学美術研究会の定期展が来週開催されます。

一昨年に一度見に行ったことがありますが、

大所帯の展覧会なので見ごたえあります。

特に 「文化創造論」 を受講していた人たちは、ぜひ仲間の作品を見に行ってあげてください。

去年は行けませんでしたが、今年はぼくも行けそうかもしれないな。



福島大学美術研究会 定期展

日 時 : 2013年12月19日 (木) ~ 22日 (日)

      10:00 ~ 18:00 (最終日は16:00まで)

場 所 : 福島県文化センター2階展示室


入場料 : 無料


小塩江中学校・人権啓発セミナー終了!

2013-12-13 17:53:27 | グローバル・エシックス
本日は須賀川市の小塩江中学校に行って人権啓発セミナーをやってきました。

先週の失敗がありましたので、今回は気をつけながら間違えずに中学校に行くことができました。

中学校での講演会はもう何度もやっていますので慣れたものですが、

これまではキャリア教育系の 「人はなぜ学びなぜ働くのか」 という話ばかりでしたから、

今回初めて 「人権」 という、言ってみれば私にとってのドンピシャのテーマで依頼されて、

これを中学生にどう伝えたらいいかけっこう悩みました。

中学生にもわかりやすく説明したつもりですし、

ワークなども取り入れてできるだけ1時間飽きずに聞けるよう工夫したつもりですが、

はたして中学生の皆さんはどう受け止めてくださったのでしょうか?

今日は最後に生徒会長さんからご挨拶をいただき、

本当に私の話をよく理解してくださったんだなとものすごく感激しましたが、

1年生のみんななどにはどうだったのでしょうか?

アンケート結果が届くのをドキドキしながら待ちたいと思います。



ところで、大東中学校でも小塩江中学校でもこのブログを宣伝してきましたが、

はたしてみんな見てくれているでしょうか?

見た人はコメント欄に何か私へのメッセージとかを書き込んでくれるととてもうれしいです。

ただまあ 「ぜひ見てください」 と言ったものの、

自分で自分のブログを読み返してみると、中学生にわかりやすい記事はあまり書いていないですね。

わからないのとかバカバカしい失敗談とかは読み飛ばしていいので、

自分にわかる範囲内で、興味のありそうな記事を選んで読んでみてください。

いくつか、今回の講演と内容的に関わるような記事を私なりにピックアップしてみました。

よろしければ読んでみていただけたらと思います。

まずは今回の人権啓発セミナーの内容をざっとまとめたものは以下↓です。

  「大東中学校・人権啓発セミナー! じゃなかったっけ?」

前半は私の失敗談ですが、後半から講演内容をごく簡単にまとめてあります。

それから、倫理学というのがどんな学問なのかということと関連させながら、

人権の話を書いてあるのは次の記事↓です。

  「Q.倫理学者は儲かりますか?」

ヘンなタイトルですけどね。

そして、ぜひ中学生の皆さんにも読んでもらいたいのは以下の記事↓です。

  「生きながら火に焼かれて」

これはある本の紹介ですが、

現代においても人権がまったく認められていない地域があるという話です。

特に女性の人権が認められていなくて女性が徹底的に差別されている社会の話ですが、

こういう社会よりは、すべての人間が男も女も人種も民族も関係なく、

生まれつき平等の権利をもっていると考え、お互いを尊重しあう社会のほうが、

はるかに生きやすいし、みんな幸せになれるんじゃないかと思うのですがどうでしょうか?

『生きながら火に焼かれて』 という本はちょっと読むのが怖いところもありますが、

ぜひ一度読んでみてほしいと思います。

それでは須賀川市の中学生の皆さん、保護者の皆さま、そして先生方、

私の話に最後までお付き合いくださりありがとうございました。

高校や社会など新しい環境に飛び込んでいったときに、私の話を思い出してもらえるとうれしいです。

それではみんな、あと何年か後に福島大学で会おうっ

第54回福島大学創作ダンス発表会

2013-12-12 16:45:45 | 人間文化論
「文化創造論」 を取っている学生さんから直接教えてもらったわけではありませんが,

今度の日曜日にこんなイベントがありますのでご紹介いたします。


第54回福島大学創作ダンス発表会

日 時 : 12月15日 (日) 午後2時開演 (1時30分開場)

会 場 : 福島テルサ

出 演 : 福島大学ダンス受講生、他

主 催 : 福島大学ダンス研究室

入場料 : 無料

テーマ : オモテナシ ~今、フクシマには○○の力が必要だ~



去年 「文化創造論」 の異文化交流プレゼンのなかでダンスチームが告知してくれたので、

このブログでも紹介しました。

それまでもチラシはいただいていてこういうイベントがあるとは知っていましたが、

はっきり言って見に行ってみたいと思ったことは一度もありませんでした。

ただ去年はダンスチームのお誘いも受けたし、

ゲストとして社交ダンス部も出演していたということもあって、初めて見に行ってみたんです。

見てみたら、とにかく想像していたものとまったく違ったのでビックリしました。

ダンス研究室主催ということは鈴木裕美子先生のゼミ生たちの催し物なんだろうと思っていました。

去年の場合、社交ダンス部や D-Fool なんかも出演することになっていましたが、

それはあくまでゲストなんでしょうし、

「ダンス受講生」 という表記が何のことかよくわかりませんでしたが、

スポ科の人たちのなかでダンスの授業を取っている人がそんなにいるとは思えなかったので、

出演者はほんのわずか、しかも女子ばかりなんだろうなと予想していたのです。

ところが行ってみたらビックリでした。

1年生から4年生までものすごい数の出演者です。

ほとんどスポ科の人たち全員出てるんじゃないかっていうくらいです。

しかも、そのために女子よりも男子のほうが多いぐらいなんです。

2年生以上はみんな 「文化創造論」 を取ってくれてたわけですから、だいたい顔なじみです。

その人たちが、ものすごいキレキレのダンスあり、コミカルなダンスあり、

いろいろなダンスを披露してくれましたので、本当に楽しめました。

それにしてもスポ科はどうなってるんだろう?、

なんでみんなでダンスなんか踊ってるんだ?、

特に4年生なんてこの時期ダンスの練習なんてしてるヒマあったのか?、

等々、頭のなかがクエスチョンマークだらけになりながら帰ってきたのでした。

このイベント、スポーツ・芸術専攻の音楽や美術の人たちも絶対に楽しめますから、

今年は見に行けない私の代わりに、ぜひ見に行ってあげてください。

もちろんスポ芸や人間発達学類や福大関係者じゃない方々もぜひっ!

Q.なぜどこの国でも共通に 「死後の世界」 についての考えが存在するのですか?

2013-12-11 17:50:26 | 人間文化論
これは 「文化創造論」 の授業でいただいた質問です。
先週は数少ない私からの講義の回で、
「Art 美を生み出し自己を表現する業」 と題して話をしました。
もともとアートは技術全般を指す言葉だったのが、だんだんと狭い意味での芸術を表すようになった、
という話から説き起こして、
近代までは芸術といえば 「美」 を表現するものであったけれど、
現代では 「美」 よりも作者やプレイヤーの個性を表す 「自己表現」 に変わってきている、
というような話をさせていただきました。
そのなかで、近代までは 「美」 の背後に 「神」 が前提されていたという話をして、
芸術と宗教との強い結びつきについても話しましたので、
私の話の本筋とは離れるのですが、標記のような質問が出て来たわけです。
正確には次のように聞かれていました。

「授業とはあまり関係ないことなのですが、
 国も宗教も文化も違うのに、形は違えど 「神」 は存在し 「死後の世界」 も存在する
 共通の考えの部分が多いのはなぜだろうと思いました。
 ぜひ教えて下さい。」

質問では神と死後の世界の2つについて聞かれていますが、
今日のところはまず死後の世界に関してのみお答えすることにしましょう。
死後の世界については以前に書いたことがあります。
まずはこちらをご覧ください。

  「死んだらどうなるのか?」

この記事ではあらゆる国や宗教における死後についての考え方を大きく分類してみました。
これほどたくさんの国や宗教があるのに、
死後についての考え方はそんなにいろいろあるわけではありません。
けっきょく、人間には知り得ないことなので想像してみるしかないわけですが、
いくら想像力を自由に羽ばたかせてみても、
思いつくことのできる仮説というのはそんなにあるわけではないのでしょう。

ではなぜ人間は皆、死後の世界というものを考えたくなってしまうのでしょうか?
それについては私はこう考えています。
人間には 「心の慣性の法則」 というものがあるのではないか、と。
「慣性の法則」 というのは物体に関する基本原理で、
動いているものは動き続ける (止まっているものは止まり続ける) という法則です。
だから電車に乗っていて電車がブレーキをかけると私たちは前につんのめるわけです。
それと同じことが心にもあるのではないかというのが私の仮説です。
心があることに慣れてしまうと、急にそれが失われたときにそれを受け入れることができず、
まだそのまま続いていると思い込みたくなるのではないか、と思うのです。
このことを失恋を例にとって書いたことがあるので、それも読んでみてください。

  「ブレーキのかけ方」

人の死についても同じようなことが起こるのではないでしょうか。
つまり、人間は物心ついて以来ずっと 「私」 とともに生きていて、
「私」 がこの世界の中心であることに慣れてしまっています。
ところが死によってその世界の中心である私が急に失われてしまうのです。
それを受け入れることができないので、
死んだ後もまだ私が存続しつづけると思いたくなってしまって、
死後の世界というものを考えるようになるのではないでしょうか。
心の慣性の法則が人間にとって普遍的なので、どこの国でもどんな宗教でも文化でも、
死後の世界という考え方が生み出されてきてしまうのではないでしょうか。
というわけで、今日のところは次のようにまとめておきましょう。

A.人間は誰しも 「心の慣性の法則」 に縛られているので、
  死んだら人間は存在しなくなってしまうという考えに耐えられず、
  死んだ後の世界のことをどうしても考えたくなってしまうのですが、
  とはいえ死後の世界のことは何ひとつわからないので、
  人間の想像力の範囲内で似たり寄ったりの仮説しか思いつくことできないからだと思います。

神についてはちょっと大変ですが、私の大好きなカントはまさに、
なぜ人間は神を考えたくなってしまうのかについて徹底的に論じた人ですので、
これもいずれ書かないわけにはいかないでしょう。
私の心と頭の整理がつくまでちょっと待っていてください。

創造的問題解決の倫理学

2013-12-10 20:08:12 | 哲学・倫理学ファック
私が使っているgooブログでは、「このブログの人気記事」 として、
前日にアクセス数の多かった記事のトップ10を表示してくれるようになりました。
最近だとやはり 『おもひでぽろぽろ』 の記事が常に上位にランクインしているのですが、
それらと並んでしばしばトップ10のなかに見かけるのが 「ハインツのジレンマ」 という記事です。
これはもう3年も前に書いた記事です。
なんで未だにこれが皆さまによく読まれているのでしょうか?
と不思議に思って、Yahoo! や goo や Google で 「ハインツのジレンマ」 をググってみたら、
Yahoo! と goo では私の記事がトップに、Google でも2番目にヒットしちゃうことがわかりました。
Wikipedia には 「ハインツのジレンマ」 という項目がないのですね。
なので、「ハインツのジレンマ」 について調べたい人は私のブログに誘導されちゃうのでしょう。

さて、その私が書いた 「ハインツのジレンマ」 の記事を読んでみると、
まずは発達心理学者ローレンス・コールバーグが提示した、
「ハインツのジレンマ」 という有名な倫理学的例題が紹介され、
その例題をもとにコールバーグが分析した道徳的発達段階の6段階の話をし、
(この部分は Wikipedia 「ローレンス・コールバーグ」 からの引用)
このコールバーグ理論に対するキャロル・ギリガンによる批判も紹介した上で、
最後はこんなふうに締め括られていました。

「さて、久しぶりに倫理学の真面目な話題を取り上げたのは、
コールバーグの道徳性発達段階理論を紹介したかったからでも、
ギリガンの 「ケアの倫理」 を紹介したかったからでもありません。
最近私が勝手に「創造的問題解決の倫理学」 とか
「オルターナティブ倫理学」 と名づけているものを紹介したくて、
そのために 「ハインツのジレンマ」 の話をしておかなきゃいけなかったわけです。
「創造的問題解決の倫理学」、「オルターナティブ倫理学」 については後日論じることにしましょう。」

おっと、「後日論じることにしましょう」 なんて言っておいてすっかり忘れていました。
3年も寝かせてしまったんですか、いかんいかん。
まあ私の場合よくあることと言えばよくあることですが、多くの方々に閲覧いただいているようなので、
遅ればせながらきちんと約束は果たしておきたいと思います。
私が 「創造的問題解決の倫理学」 とか 「オルターナティブ倫理学」 と名づけているものは、
アンソニー・ウエストン の 『ここからはじまる倫理』 という本がその出所です。



この本はオススメです。
入門書の体裁をとっていてひじょうに読みやすいですが、内容は斬新です。
これまでの倫理学は、道徳的ジレンマ (AかBか究極の選択をしなければならない状況) を設定して、
どちらを選ぶのかを迫るというのが基本的なスタイルでした。
例えばカントは、友人を追いかけてきた悪者に 「あいつはどこにいる?」 と尋ねられたとき、
嘘をついて友人を救うべきか、結果がどうなろうとも本当のことを言うべきか、
なんていうジレンマを取り上げていました。
NHKハーバード白熱教室で有名になったサンデルも、
ブレーキの利かなくなった路面電車で、このまま走り続けて5人の作業員を轢くか、
待避線に入って1人の作業員を轢くか、など様々なジレンマ状況を例に出していました。
ハインツのジレンマもそうした伝統に根差した問題の立て方だったわけです。

それに対してこの本では、そういう二者択一ではなくて、想像力を駆使して創造的に考え、
ジレンマに陥らずにすむような別の選択肢 (オルターナティブ) を探すようにしようと提唱しています。
その趣旨は章のタイトルによく表れています。
第3章 「創造的に問題を解決する」
第4章 「二極化してはいけない」
第5章 「想像力をともなった倫理」
ハインツのジレンマに関しても、見殺しにするか盗みを働くかなんていう二者択一ではなくて、
もっと自由に考えてみたらいろいろな選択肢が見つかるはずで、
第3章では学生たちの考えた独創的なアイディアがたくさん紹介されています。
ウエストンは次のように述べています。

「ハインツには別の選択肢がある。薬を盗んだり、妻の死を見守る以外にもいろんな可能性がある。
 うれしいことに、この話題で授業をすると、毎回学生たちが新しい選択肢を出してくれる。
 いつも、いままで聞いたことのない選択肢がいくつかあるのだ。」

この考え方というのは現在の私のテーマにとても近くて、
定言命法 (困っている人を助けよ、嘘をつくな) だけで事足れりとしてしまうのではなく、
複数の定言命法がバッティングしてしまうようなジレンマ状況において、
何とか両方の定言命法を満たせるような具体的な方法 (=仮言命法) を考え出すこと、
これが現在の私たちに求められていることだと思うのです。
というわけで究極の選択を迫るような倫理学ではなく、
創造的に問題を解決することのできるオルターナティブを発見していく倫理学を目指したいのです。
なんだか楽しい感じがしませんか。
『ここからはじまる倫理』 にはどうやって創造的に考えたらいいか、
想像力をふくらませるにはどうしたらいいかといった具体的なヒントが書かれていますので、
ぜひ一度読んでみてください。
ハインツのジレンマを考えさせられ、あ、あなたは慣習的レベルの第4段階に位置していますね、
なんて一方的に判定されてしまうよりも、よっぽど明るい気分になれること請け合いです。

以上、創造的問題解決の倫理学のご紹介でした。
ああ、3年越しの約束をやっと果たせてよかったっと。