まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

「戦争と平和の倫理学」 授業改善学生アンケート結果

2014-01-31 16:07:50 | 教育のエチカ
「戦争と平和の倫理学」 もテストを終えました。
それに先だって 「授業改善のための学生アンケート」 も実施し、
学生の学習時間の部分についてだけすでに報告させていただきました。
残りの部分の集計も終わりましたのでご報告させていただきます。
結果は以下のとおりです。

「1.教員の授業に対する姿勢はよかったですか。
 (観点:授業の準備、授業への熱意、学生への対応等)」……………………4.8

「2.教育の方法は適切でしたか。
 (観点:質問への対応、発表・討論の機会、シラバスの記述内容等)」………4.8

「3.授業の内容は適切でしたか
 (観点:魅力あるトピック、教材・教科書の適切性、参考文献の提示、
  授業の進度、シラバスに記述された目標の達成度等)」……………………4.75

「4.総合的にみてこの授業に満足しましたか。」………………………………4.8

前期の 「倫理学」 ほどではありませんが、「文化創造論」 よりはよい結果となりました。
それも意外と言えば意外です。
「文化創造論」 のほうがプレゼンやったり話し合いをしたり、
学生さんたちは楽しそうに授業を受けていたように見えたのですが、
内容的にはよっぽど学術的なところの多い 「戦争と平和の倫理学」 のほうが
評価が高くなるというのはどういうわけなんでしょうか?
もちろんこちらの授業でもちょっとしたディスカッションやワークショップは取り入れていますが、
笑いが漏れたりすることもなくごくまじめ~にやっているだけなのですが…。
とりあえず、それぞれに対する自由記述を見ていくことにしましょう。

1に対する自由記述。
「学生に対して真摯な態度を貫いていたから。」
「講義の流れ、順番が良かった。」
「板書が見やすかったので、事前に板書計画を立てていると感じたから。」
「内容の濃い授業で良かった。」
「毎回熱い授業を受けることができたと思う。」
「一生懸命授業をしてくれていました。」
「日程変更の際、希望調査を行ってくれたこと。」
「講義全体を通じた流れの中で、毎回充実した内容だった。」
「ワークシートに点数をつけるのは、大変労力を必要とすると思いますが、受講生にとっては結果が分かり大変良かったです。」
「授業時間を守ったり、声の大きさを、字の大きさなどを学生に合わせて講義をしていて助かった。」
「声の質量が適宣。姿勢や視線も大切だと思う。よかった。」
「忙しい中にもかかわらず、ワークシートを丁寧に見てくれていた。」

2に対する自由記述。
「座学だけでなく、その他の方法での学びもありよかった。」
「ディスカッションなど参加型のものが多くよかった。」
「フリーゲーム、討論、発表の場がたくさんあっていつも楽しい。」
「他学年、他学類、聴講の方などと話す機会があって良かった。」
「グループワークの内容が他の授業ではないようなものだったので新鮮でした。」
「討論した後何をすればいいのかがよく分からなかった。」
「ディスカッションの授業が多く、他の人と話し合うことの難しさを感じ、とても勉強になった。」
「意見交換で、他の人の考えを知ることができ、興味深かった。」
「グループ活動 (発表、ディスカッション、コメント) を工夫されていたように思います。」
「発表、討論の場が多く積極的な姿勢を促していた。」
「ワークショップが多く、他の学生との意見交換ができてよかった。」
「講義形式とワークショップ形式を折り混ぜ、かつ知り合い同士で固まらないようにした上での討論など、シラバスの目的に沿っていた。」
「一方的に教える授業ではなく、ランダムな他生徒と話し合い、討論し合う場が設けられており、多くの意見に触れ合うことができる興味深い授業でした。」
「教材としてのプリントの配布は講義内容を理解する上で、非常に良かったです。」
「資料プリントがあった。毎回ワークシート (感想や質問用紙) を提出させ、次回きちんと返していた。」
「ワークショップで様々な人と意見交換できた。できればワークシートの質問に解答をコメントしてほしい。」

3に対する自由記述。
「視覚教材を有効利用していたから。」
「あらかじめ目標設定がされているので。」
「資料が多く、理解しやすかった。」
「毎回配布されるプリントが興味深かったから。」
「いろいろな資料があって面白いと思いました。」
「毎回きっちり内容があるので聞きごたえバッチリ。」
「戦争について、多面的に捉えられてよかったです。」
「戦争-平和論、非暴力コミュニケーション、ともに良かった。」
「考えがいのある深いテーマでした。」
「学生に考えさせるスタイルが良かった。」
「魅力のある内容でした。」
「深く考えることができる題材だった。」
「進度を守ろうと早過ぎの感じでした。」
「参考文献が詳しく提示されていた。」
「内容に偏重があると思います。」

4を含めて、この授業に対する感想・要望・意見、教育環境の改善点等。
「新しい考え方が見えて面白かった。」
「他の授業と比べ、参加型のものが多く、取り組みやすかった。」
「普段みないような本や映像を見るようになった。」
「戦争の変遷は黒板だったが、平和の方はプリントが多かったと思った。」
「戦争と平和について、今までこれほど考えたことがなかったですし、ワークを行うことでより自分の考えを整理することができました。」
「隔年開講ではなくぜひ毎年開講してもらいたい。」
「とてもバランスの良い授業形態だったと思う。」
「毎週楽しく、また充実した時間だったと思います。公開授業だったことで、学生以外の方ともお話しすることができたのが、貴重な経験でした。」
「戦争に対する様々な考え方を学ぶことにより、自分の考え方を深めることができて大変良かったと思います。相手の考え方をよく聞き、それに対する反論又は賛成の理由をきちんと持つことの大切さを学ぶことができました。」
「『戦争と平和』 については、興味はあったが総合的に解説されている本等もないので、今回の講義は大変有意義であった。」
「今まで、避けてきた戦争というものについて、深く考えることができた。ただ、字が読めない時がありました。」
「とても良い授業だと考えます。多くの生徒と話し合えるのは魅力的ですが、教授とも話し合う場があると更に良いと思います。」
「興味深い内容でした。でも、みなし土曜日の授業はけっこうきつかったです。」
「時間が足りない。早口で、一生懸命走り抜けました。」
「ワークショップ形式のときに、もう少し考える時間を頂けるとなお良かった。」
「みなし土曜日に補講を行ったとき、講座の時間が重なった時があり配慮してほしかった。」
「最後の試験がやや大変。」
「試験が厳しい…。」
「最後の試験について、あの内容なら試験じゃなくてレポートにした方がいいと思う。短時間で多くの文字を書くのは手が疲れるしまとまりません。」

自由記述を見ると、いいところもいろいろ言っていただいていますが、
「文化創造論」 に比べて批判的な意見もけっこうあります。
なのに数値的な評価は高いっていう…。
うーん、どう受け止めたらいいんだろう。
でも、具体的にいろいろと提言いただけたので、
来年度から直せるところは直していきたいと思います。
皆さま、アンケートにご協力いただき誠にありがとうございました。
そして、半年間の授業お疲れさまでした。
これから、みんなが必死こいて書きまくった答案を採点させていただきます。

腹筋崩壊! 学校でまじめに勉強してる子はいないのか?

2014-01-30 19:05:15 | 幸せの倫理学
今日は (今日も) 追い込まれてるので、笑えるネタのご紹介のみで。

どれも学校がらみのものでテストの珍回答やら落書きなどです。

教員養成に携わっている者としては爆笑している場合ではないのかもしれませんが、

可笑しいものは可笑しいんだからしょうがありません。


「腹筋崩壊! 思わず吹き出してしまうテストの珍回答まとめ」

「【そうとも言える】 バツとも言えないテストの秀逸な珍回答10選 (画像)」

「才能を感じてしまう教科書の落書き10選」


みんなのユーモアのセンスはわかりました。

でも少しはまじめに勉強もしましょう!

映画 『ハンナ・アーレント』 の名台詞

2014-01-29 23:27:49 | 哲学・倫理学ファック
先週末は 『ハンナ・アーレント』 でてつがくカフェでした。

試写会で一度見ていましたので、今回はてつカフェのためメモを取りながらの鑑賞。

真っ暗ななかで自分の書いた字も見えない状態でのメモでしたのでほとんど解読不可能ですが、

かろうじて読み取れたところからこの映画の名台詞を拾ってみましょう。

といっても長い台詞 (物語上最も重要な部分) はメモることはできなかったので、

あまり本筋には関係のないところばかりですが…。


『ザ・ニューヨーカー』 の女編集者の台詞。

「哲学者は締切を守らないのよ。」


アイヒマンの台詞。

「私の部署ではありません。」

「命令に従ったまでです。」

「事務的に処理しました。」

「上に逆らったって状況は変えられない。」


アーレントの台詞。

「私は逃げないわ、絶対。」

「強制収容所は人間を無用の存在にする。」

「まともな批判はひとつもない。バカな人と話す気はないわ。」

「1つの民族を愛したことはない。私が愛するのは友人だけ。」

「私の記事で傷ついた人がいる以上、答えなくては。」

「友だちは選ぶべきだった。」

「キスは私とだけね。」


相当たくさんメモったつもりでしたが、読み取れたのはこれくらいでした。

さて、これだけでどんな映画か想像ついたでしょうか。

気になった人は明後日までですのでぜひこの機会にご覧になってみてください。

炊飯器カレーと土鍋ごはん

2014-01-27 20:58:34 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
先週末、いろいろ追い込まれているはずなのに手料理に挑戦してしまいました。
ひとつは facebook でK沢さんが紹介してくれていた炊飯器で作るカレーです。

超絶品なのにカンタン! 水を使わずに炊飯器で作る 『玉ねぎ100%チキンカレー』

K沢さんは自分で作ったわけではないそうですが、
作った人たちはみんな絶賛していたとのことです。
「水を使わない」、「炊飯器で作る」、「玉ねぎ100%」 と気になるキーワード満載で、
ちょっと作ってみようかなという気になったのでした。
ただし、その facebook のコメント欄で問題になっていたのは、
炊飯器でカレーを作るとするとお米はどうやって炊いたらいいんだ、ということでした。
そこでご飯は土鍋で炊くことにして、どうせ土鍋で炊くなら、
年末に作った 「オリーブごはん」 を作ってみようという気になりました。

絶品 「オリーブごはん」

オリーブごはんを作るにあたっては若干懸念される点が2点ありました。
ひとつはうちには中ブタ付きの土鍋がないということ。
もうひとつはうちにはフツーのお米がなくて、
インシュリンの値をあまり上げない低GI米しかないということ。
これです。



大麦とかが入っていて水加減もフツーのお米とは違います。
袋には1合につき水300ccと書いてあります。
オリーブごはんのレシピでは米2.5合に対して水500ccとなっています。
「おいしくごはん」 の指示通りに計算し直すと2.5合なら水は750cc必要になるはずです。
あまりに元のレシピと違いすぎるので悩んでしまいました。
悩んだあげく、今回はカレーにするのだから水分が足りないくらいでいいだろうと判断し、
水は600ccにしてみました。
土鍋に仕込んでみるとこんな感じ。



とてもじゃないけどこの土鍋に750ccの水は入らなかったでしょう。
そして、中ブタ付きの土鍋じゃないので作り方も少し変わってきます。
沸騰するまで強火、沸騰したら弱火にして7~10分、そして火を止めて15分蒸します。
中ブタ付きの土鍋のときは勢いよく蒸気が出てくるまでにけっこうな時間がかかりましたが、
フツーの土鍋だとすぐに沸騰して、あっという間に出来上がりました。



ちょっとご飯に色がついているのは、
ジュピターで買った外国製の粉末コンソメの素がけっこう色が濃かったためです。
ご飯のほうが早く炊きあがってしまったのでカレーを待ちきれず、
黒コショウを振ってちょっと味見してしまいました。



大成功です
たぶん東京で作ったのに近い出来映えです。
フツーの土鍋でも、低GI米でもできるということがわかったので、
福島でパーティをやるときは振る舞ってみたいと思います。

さて、そして炊飯器カレーのほうです。
レシピには2人前ということで材料が書かれていましたが、
2人前でなんと玉ねぎを6個も使います。
これを薄切りにしたらこんな大量になりました。



その半量を炊飯器の底に敷き、その上に鶏手羽元を並べていきます。





そして、残りの玉ねぎで埋め尽くします。



炊飯器のほうも上まで満杯になりました。
これに水も足さず味付けもしないでそのまま炊飯器にかけてスイッチを入れます。
しばらくするとものすごい玉ねぎ臭が漂ってきました。
フライパンで玉ねぎを炒めたときに出てくる香ばしい香りとはちょっと異なる、
ホントに玉ねぎ臭という感じの臭いです。
若干不安になりました。
48分かけて炊きあがりました。
こうです。



うーん。
ちょっと想像していたのとは違う出来上がりです。
もう少し玉ねぎに大きな変化が現れるのかと思っていました。
水分もたしかに出てきてはいますが、もっと出るのかと思っていました。
これではまるで玉ねぎと鶏肉を炊飯器に詰めこんで炊いただけな感じです。
レシピではここにカレー粉を入れることになっていますが、
炊飯器にカレー臭が移るのがイヤな人は鍋に移し替えても可となっていたので移し替えます。
それでもすでに十分玉ねぎ臭がついてしまっていました。
ドサッと鍋に移してみるとこんなふうに、



炊飯器の底のあたりの玉ねぎは少し色づいていました。
全体的にこんな色になるのかと思っていたのですが…。
レシピには分量も指定されないまま、これにカレー粉を加えろと書いてありました。
小分けになってるこういう商品を買ってきてあったので、



これをまず1袋入れてみました。



なんだかカレーっぽくありません。
そして、とろみも出てこなくてシャバシャバしたまんまです。
鶏肉も美味しそうには見えないし。
味もなんじゃこれ?っていう感じです。
もう1袋投入します。



色的には若干マシになってきましたが、とにかく甘いんです。
玉ねぎ6個分の破壊力が尋常ではありません。
あとは台所で発掘したありったけのカレー粉 (1999年賞味期限のものも) を投入し、
ガラムマサラも大量投入してなんとかそれっぽくしてみました。



けっきょくのところ、玉ねぎと鶏肉のスープカレー (スープ少なめ) といった出来映えです。
あとでK沢さんが教えてくれたところによると、
これには辛口のカレールウを使うのがベストなのだそうです。
そうだったのか。
それを早く教えてくれ。
何はともあれ先ほどできたオリーブごはんにかけて完成です。



絶品というほどではありませんが、これだけ大量の玉ねぎですから身体にはいいことでしょう。
ときどき口に入るオリーブの酸味がちょっといい感じです。
でも、もうこのカレーは作らないかもしれないな。
これだったらうちの定番の 「ケララカレー」 のが断然に美味しいし、
使ってる食品数も多いので健康にもいいと思われます。
今回の手料理は1勝1敗という感じでした。
まあどちらも試しにやってみたまでなので様子がわかってよかったです。
どれだけ糖質を摂ったのかは考えないことにいたしましょう。

単位の実質化 ―自習時間を増加させる方法― (その3)

2014-01-25 14:51:54 | 教育のエチカ
一昨日 「文化創造論」 の学生アンケート結果をご報告しましたが、
「戦争と平和の倫理学」 も学生アンケートは完了いたしました。
ただし、その授業評価に関わる集計結果は後回しにして、
今日はとりあえず1週間あたりの自習時間の部分だけ報告することにしましょう。
「授業時間以外にこの授業に関して1回の講義あたり平均してどのくらい予習・復習、
 あるいは関連の学習をしましたか」 の部分です。
結果は以下の通りです。

3時間以上………… 24名 (37.5%)
2~3時間未満………26名 (40.6%)
1~2時間未満………12名 (18.8%)
30分~1時間未満…  0名 (   0%)
30分未満…………… 2名 ( 3.1%)

この結果、ちょっとすごくありませんか?
「文化創造論」 と比べるとその差は顕著です。
(3時間以上…7.7%、2~3時間未満…9.6%、1~2時間未満…30.8%、
 30分~1時間未満…30.8%、30分未満…21.2%)
30分未満しか自習しなかったたわけ者がたった2名いるだけで、
あとは全員1時間以上勉強しています。
2時間以上と答えた人が8割近く。
大学での講義型授業としてはなかなかの成果だと思うのですがいかがでしょうか?
それにしても、授業内でグループディスカッションやワークショップなどはしているものの、
「文化創造論」 のように授業時間外でやるべきパフォーマンス課題を与えているわけでもないのに、
どうしてこんなに授業外自習時間が多くなったのでしょうか。

自習時間を増やすためにこの授業で私は4つの取り組みをしてきました。

(1) 単位制度の周知

私は毎年の講義の第1回目の授業で 「教室の倫理」 について話していますが、
その話のなかで半期2単位の意味を教えてあげるようにしています。
そして、この講義の単位を取るためには毎週4時間は自習する必要があることを強調するのです。
そう言われたからってすぐに自習するような奇特な学生は存在しませんが、
まずは毎週4時間の自習が課されているという事実を知っておくのが出発点です。

さて、以前にも言ったとおり、単位を実質化するためには毎週課題を課するのが正攻法ですが、
自分自身がそんな真面目な学生ではなかったので、
たかが選択必修の講義科目のためにそんなに学生の時間を奪うのも気が引けますし、
もっとぶっちゃけた話をすれば、毎週彼らにそれだけの課題を課したら、
それを採点したり集計したりする責務が自分に跳ね返ってきてしまいます。
大人数相手だから講義型授業をしているわけで、
その大人数の課題を毎週毎週採点などしていたら教員の時間はいくらあっても足りません。
そこで教員にも学生にも効率的な方式をいくつか実践してみました。

(2) ブログ上での質疑応答

まずはこの 「まさおさまの何でも倫理学」 というブログです。
このブログを開設した一番の趣旨は、学生からの質問に答える場を設けることでした。
私の講義ではたいていワークシートを使っていますが、
そうするとほんの数名からですが、授業内容に関わって質問をもらうことがあります。
最初の頃はそれに対して、質問をくれた学生のワークシートに回答を記入して答えていました。
しかし、それだと1対1のやりとりで終わってしまいます。
学生からの質問は多かれ少なかれ他の学生も疑問に思っていることがよくあります。
そこで次は、授業内で全員の前で質問に答えてあげるようにしました。
学生から出された素朴な質問に答えてあげると、みんなの理解が深まります。
それはたいへんよかったのですが、授業時間が圧迫されることになってしまいました。
素朴な問いに答えるのは意外と難しくて時間がかかるものなのです。
それともうひとつ、ワークシートに回答を記入していたときもそうだったのですが、
ある年にいい質問が出されてそれに答えても、それはその年かぎりで消え去ってしまいます。
そこでブログを開設してブログ上で質問に答えていくという方式を考えたのです。

これによって質疑応答の時間を授業外に持ち出すことが可能になりました。
学生たちには 「こんな質問をもらったんだけどブログに書いておいたから見ておくように」
と指示すれば、自ずとこのブログを見る時間が自習時間に加算されることになります。
さかのぼってくまなくブログのなかを探すと過去の先輩たちからの質問もあるので、
ヒマなときには見ておくようにとも指示して、さらに自習時間を稼いでいきます。
まあ、その後いろいろな経緯があって授業に関連する内容ばかりではなくなっていますが、
まあこの世は 「何でも倫理学」 ですので、それはそれで倫理学の勉強だと言えるでしょう。
それに堅い話ばかりだとブログを見る気も失せてしまうでしょうから、
日々の私のバカ話の合間に何かしら倫理学的な気づきがあればそれでOKだと思っています。

(3) 学生の諸活動との関連づけ

とはいえ、このブログを見ているだけではとうてい週4時間の学習時間は確保されません。
一番いいのは本を読んでもらうことです。
私の講義では教科書を指定したことはまずありませんが、、
参考文献リストを最初の授業で配ったり、講義のなかでも適宜紹介したりしています。
ただし、いくらこちらが紹介してあげても、
今どきの学生さんで参考文献をわざわざ買ったり借りたりして読む人は本当に少数派です。
そこで、学生たちの日常のなかでのさまざまな活動と講義内容を結びつけるよう、
授業のなかで繰り返し強調するようにしています。
彼らは別に倫理学の専門書は読まなくとも、小説などなら読んでいますし、
マンガはことのほか熱心に読んでいます。
また、テレビや映画もよく見ていて、意外とニュースやドキュメンタリー番組など見ていますし、
ドラマや映画などでもけっこう倫理学的な問題を考えさせられるものは多いです。
というか、私に言わせればどんな小説でもドラマでも映画でも必ず倫理学的テーマに絡んできます。
で、それらに割く時間を積極的に推奨してあげるのです。
何を見ていてもこの授業の中身と関わってくるはずだよ、と。
また、彼らが受けている他の授業も倫理学の授業内容と関わってくるかもしれません。
例えば、道徳教育や生活指導の授業は戦争や平和というテーマと関わるでしょうし、
経済学や歴史学の授業内容だって戦争や平和の問題を考えるために必要となってくるでしょう。
関連性に気づかなければ、それぞれ別々の授業をただ受けただけということになりますが、
他の授業を受けながらこちらの授業のことと関連づけて思考を働かせていれば、
その授業を受けている時間は、私の授業のための自習時間ともなりえます。
また、バイトや部活や家庭生活のなかで何かトラブルがあったりしたときに、
それにどう対処したらいいかと考えるのも戦争や平和の問題と繋がっています。
こういった日々の生活のなかの諸活動を私の授業内容と関連づけて捉えることができれば、
それはまさにこの授業のための 「関連の学習」 をした時間と言えるだろうと思うのです。
このことは毎回のように繰り返してあげて、この授業を授業時間のなかで終わらせないで、
日々の生活と結びつけてこの授業の内容を反芻できるようにしてあげると、
授業の理解度が飛躍的に高まっていくように思われます。

(4) 自習時間の意識化

とどめは (2) や (3) のために割いた時間を思い出させてあげることです。
私がほぼ毎週やっているワークシートには1週間の自習時間を書く欄を設けています。
氏名記入欄の横に、「今週の学習時間   /4h」 という枠があります。
この1週間で4時間自習しなければいけなかったはずだけど、
今週はどれくらい勉強しましたかという質問です。
これを記入させるときに (3) の話を繰り返して、
何かこの授業と関連する学びの時間はなかったかと振り返らせてあげるわけです。
最初のうちは 「0.5/4h」 とか 「0/4h」という回答が多いのですが、
毎回繰り返しているうちにだんだん増えてきますし、
4を大きく超えて10とかの数字を書き込む学生も出てきます。
人によっては具体的に何をやったか横に小さく書いてくれる人もいます。
また、授業の終盤になってくると、特に私が指示したわけでもないのに、
前週に休んでしまった人は自分で 「/4h」 のところを 「/10h」 と書き直し、
2週間分の学習時間を自己申告してくれるようになりました。
(「/8h」 でないのは休んだ前回の授業時間分も加算されるからです。)
ふだんからこのように毎週の学習時間を意識してもらっていますので、
「授業改善のための学生アンケート」 に答えるときには、
学生たちは自分が今までだいたいどれくらい勉強してきたかわかっているわけです。
(3) と (4) はある種セットとも言えますが、
この2つが何と言っても効果的だったのではないかと思います。
(逆に言うと 「文化創造論」 ではこの2つを怠っていたのが敗因なのかもしれません。)

「戦争と平和の倫理学」 で私が取り組んできたことはこれくらいです。
学生にも教員にも負担のないこの程度の取り組みで、
冒頭に掲げたような結果を出すことができました。
そもそもあの学生アンケートは選択肢の設定の仕方が間違っていて、
「4時間以上」 という項目が設定されていないのは大学設置基準に反していると思います。
しかも3時間までをあんなに細かく刻んで分類する必要もないでしょう。
一番少ない項目が 「30分未満」 ではなく 「4時間未満」 でいいはずなのです。
ただまあ現実問題、すべての講義科目で毎週4時間以上自習させるようにするというのは、
ただちには難しいだろうと思います。
(誰も部活もバイトもできなくなってしまうでしょう。)
私としてはお互いに無理のない範囲内で少しずつ学習時間を増やしていく方法を、
これからも模索していきたいと思います。

プチうつスイッチ

2014-01-24 11:25:44 | お仕事のオキテ
年末からまた若干 「プチうつ」 に入ってしまっています。
いろいろやらなきゃいけないことが山積しているのに、何も手につかないのです。
冬休み期間でしたから 「プチうつ勉強会」 も開催できず、
新年に入ってからも 「プチうつ勉強会」 をやろうと声をかける気力もないまま今に至っています。
なんなんだろうなあ、このダメさ加減は
そんな日々を過ごしていたところ、こんな記事に出会いました。

「なかなかやる気が出ない人は押したい10個のやる気のスイッチ」

もともと 『やる気のスイッチ!』 という本があって、
それをもとにした記事のようです。



本は読んでいませんが、この記事の内容を要約すると以下のようにまとめられます。

やる気が出ない人は押したい10個のやる気のスイッチ

1.頭の中には 「のぞむ絵」 だけを映す
2.気になっていることを紙に書き出す
3.憧れの生活を疑似体験させる
4.めざしている人たちの集団に飛び込む
5.心が乱れたら、おまじないで正す
6.手を合わせて、集中してから仕事にかかる
7.目の前の小さなことを、ものすごく丁寧にはじめる
8.一日一回、ひとり会議の時間を持つ
9.「当たり前」と思ったら疑ってみる
10.目標はABCに設定する

ふーむ、なるほど。
1、2、8、9なんかはすでにやっているつもりだけど…。
4はなかなか難しいですよね。
3、5、6、7、10あたりは簡単に取り組めそうです。
これでプチうつから脱出できるかどうかわかりませんが、
ワラをもつかみたい気分なのでちょっとやってみることにいたしましょう。
効果のほどはまたいずれご報告いたします。

「文化創造論」 授業改善学生アンケート結果

2014-01-23 19:57:02 | 教育のエチカ
「文化創造論」 は今日で最終ディスカッションの発表を終えました。
「新しい文化を創造する」 という途轍もなく難しい課題で、
年度末の時期ですのであくまでも前回のディスカッションの結果を発表するだけでいいよ、
と伝えてあったのですが、今年の学生さんたちは各グループとも力を入れて、
パワーポイントを使ったり、ビデオを作成してきたり等、
質の高いプレゼンテーションをしてくれました。
笑いの絶えない楽しい発表会となりました。
もう大詰めということで 「教育改善のための学生アンケート」 を今日行いました。
結果は以下のとおりです。

「1.教員の授業に対する姿勢はよかったですか。
 (観点:授業の準備、授業への熱意、学生への対応等)」……………………4.67

「2.教育の方法は適切でしたか。
 (観点:質問への対応、発表・討論の機会、シラバスの記述内容等)」………4.61

「3.授業の内容は適切でしたか
 (観点:魅力あるトピック、教材・教科書の適切性、参考文献の提示、
  授業の進度、シラバスに記述された目標の達成度等)」……………………4.57

「4.総合的にみてこの授業に満足しましたか。」………………………………4.65

前期の共通領域 「倫理学」 の結果がよすぎたので、
あのときの数値と比べるとだいぶ見劣りがしてしまいますが、
これだけを見てみるならばなかなかの高評価と受け取ってもいいのではないでしょうか。
とはいえ、昨年は1-4.75、2-4.67、3-4.71、4-4.75でしたので軒並みダウンです。
ちょっと反省しなきゃいけませんが、この授業は来年まででなくなってしまいますので、
もう反省を活かす機会もあまりありません。
それぞれに対する自由記述を見ていきましょう。

1に対する自由記述。
「先生の講義は少ない回数だったけどおもしろいトピックスだった」
「常に新しいことを教えてくれたので興味深かった。情報に古さを感じさせなかった。」
「資料がわかりやすく授業にとりくみやすかった。」
「学生と一緒に楽しそうに講義をしていた。けじめをしっかりつけていた。」
「先生も、自分達の話し合いやプレゼンに興味をもって聞いてくれた。」

2に対する自由記述。
「私たちに身につけてほしい能力を提示されていて、それに基づいていると思った。」
「教えるだけでなく、生徒に考えさせる時間が良かった。」
「話し合う時間が多く、良い経験になった。」
「発表の機会がとても多かった。」
「プレゼンの方法を身に付けられました。」
「プレゼンが多少重かったですが、結果よい経験になったと思います。」
「プレゼンなどが多くてグループワークはたのしかったけど、負担も大きかった。」
「プレゼンの説明が少し分からないところがあった。」

3に対する自由記述。
「身になる内容でした。」
「異文化交流が面白かったです。」
「他分野のことも詳しく知れて良かった。」
「プレゼンの仕方や工夫すべき点を学べる良い機会になった。」
「ふりかえりシートがあったので毎回まとめて終われてよかった。」
「ディスカッションの時間が長い時があった。」

4を含めて、この授業に対する感想・要望・意見、教育環境の改善点等。
「プレゼンしたり、ディスカッションしたり、楽しかった。」
「内容の濃い講義だったと思います。」
「自分の専門のことでも知らないことがたくさんあって、ためになる授業でした。」
「ただ講義を聴くだけでなく、プレゼンする機会があったり討論する機会があったりともりだくさんでした。ありがとうございました。」
「スポ芸のみんなと一つに向かってのディスカッションや、発表ができたので、良い経験になりました。」
「とても楽しく文化を創造できました。」
「レポート作成や発表の準備は大変でしたが、全体的にとても面白かったです。」
「事前準備などが大変だったけれど、とてもためになる授業であった。」
「ハードな内容だったが、納得できるものだった。」
「最初はめんどくさいと思ったけど、だんだんおもしろくて楽しい授業だなと思った。」
「この授業で協調性、想像力など様々なことを学び高めることができた。」
「ディスカッションは自分の意見を伝える、人の意見を聞く力がついてよかったと思います。」
「プレゼン準備に手間どってしまったけれど、ただきくばかりの授業よりもアウトプットする力が身に付けられる授業になったと思う。」
「教えられるより自分で考えて発見したことが多い授業だった。その方が自分の中に残ると思う。」
「こんなに興味を持って授業を受けたのもおもしろいと思えたのも大学に入って初めてでした。ありがとうございました。」
「とても難しかったです。コミュ障には。書く内容が多すぎていつも手が痛いです。」

自由記述を見るかぎり、大部分はよかったところを書いてくれています。
2と3と4のそれぞれ最後のほうに1つか2つ批判的な意見も挙げておきました。
批判的な意見はここに挙げたのがすべてです。
うーん、どう反省したらいいんだろう。
学生の負担が多いことや、話す時間が長かったり、書く量が多かったりする点については、
そのような授業として構想してしまってあるのでもはや変えようがあまりせん。
プレゼンの説明でわからないところがあったというのは由々しき問題です。
プレゼンをさせるときには 「プレゼン要領」 を配付して、
学生が何をしたらいいか明確にさせているつもりだったのですが、
その記述内容を精査する必要があるのかもしれません。
今回の授業アンケートで得られた具体的反省点はそれくらいかなあ。

あ、そういえば単位の実質化を気にかけている私としては、
「授業時間以外にこの授業に関して1回の講義あたり平均してどのくらい予習・復習、
 あるいは関連の学習をしましたか」 の回答も気になるところです。
この授業でのみんなの学習時間は以下のとおりでした。

3時間以上…………… 4名 ( 7.7%)
2~3時間未満……… 5名 ( 9.6%)
1~2時間未満………16名 (30.8%)
30分~1時間未満… 16名 (30.8%)
30分未満……………11名 (21.2%)

うーん、負担がどうのというわりには学習時間は短いですねえ。
プレゼンの準備をさせたりレポートを書かせるだけではなく、
他の授業や部活等での活動とこの授業での学びをリンクさせる仕掛けが必要なのかもしれません。
パフォーマンス課題を与えるからということでちょっと気を抜いていたのかもしれません。
来年の最後のこの講義ではその点を少し意識しながら授業をしてみたいと思います。
(来年まで覚えていられればの話ですが…)

映画 『ハンナ・アーレント』 絶賛上映中!

2014-01-22 11:01:12 | 哲学・倫理学ファック

先週の土曜日から 『ハンナ・アーレント』 がフォーラム福島で上映開始されました!

初日、2日目とけっこうな入りだったそうです。

岩波ホールで連日満員というのは、東京だし大学も大学院もたくさんあるので理解できますが、

福島でもこれほど当たるというのは予想外の喜びです。

しかも、前売り券を買ってくれた人たちはみんな26日に来てくれるつもりなのか、

ほとんどは当日券の方ばかりなのだそうです。

フォーラム福島の阿部さんは、シネマdeてつがくカフェの当日、

会場の 「フォーラム3」(収容人員150名) に入りきれなかったからどうしよう、

なんていう心配までされているようです (それはいくらなんでも…)。

あと、世話人として心配になってきているのは、その日の2次会をどうするかということ。

いつものようにてつカフェ終了後に2次会の参加者を募るととんでもないことになりそうで。

というわけで今回のてつカフェ2次会は事前申し込み制にいたします。

参加希望の方はメッセージやメールで世話人まで参加申し込みをお願いいたします。

まだお店は取っていないので詳細は未定ですが、

日曜日でもあり人数を確定して予約しておこうと思います。

なにとぞご協力のほどお願い申し上げます

常連の方もぜひあらかじめご連絡ください。

いずれにせよ今回のてつカフェはふだん以上の人数が集まると思われます。

したがって、てつカフェ本編ではおひとりあたり十分な発言時間が取れないことが予想されます。

ぜひ2次会にもご参加いただき、映画 『ハンナ・アーレント』 をとことん味わい尽くしましょう

まさおさまゼミのビックリ時事ネタ

2014-01-21 17:16:32 | お仕事のオキテ
本日、うちのゼミ生から卒論ゼミを欠席するとの連絡が入りました。
来週に卒論の締切が控えているというのに由々しき事態です。
理由を聞いてみると、なんとかわいそうなことに食中毒だというではありませんか。
メールでは 「先生ももうご存知かもしれませんが」 という枕詞つきで報告されましたが、
申しわけないことに私はゼミ生から教えられるまで何も知りませんでした。
言われて調べてみるとこんなニュースが流れていました。

「ノロウイルスか 学生77人に食中毒症状 山形の温泉旅館」(MSN産経ニュース 2014.1.20 12:02)

いちおう記録のため (消えてしまうといけないので) 全文引用しておきましょう。

「山形県などは20日、17日から上山市の温泉旅館 『あづま屋』 に宿泊していた山形、宮城、福島3県の20代の大学生計77人が下痢や嘔吐などの症状を訴え病院に搬送されたことを明らかにした。1人が入院したが、重症者はいない。
 山形県はノロウイルスなどが原因の集団食中毒とみて調べている。
 あづま屋などによると、学生は約140人で2泊3日の公務員講座のため宿泊。18日午後10時半ころから体調不良を訴える学生が増え始めた。学生以外の宿泊客30人に症状は出ていないという。」

オー・マイ・ゴッド
集団食中毒ですか。
まったく知りませんでした。
しかも生協の公務員講座じゃないですか。
これは昨日のお昼の段階の速報で、まだ 「ノロウィルスか」 という疑問形になっていますが、
夜のニュースでは 「ノロウィルス」 と断定されていました。

「山形の旅館で84人症状 ノロウイルスと断定」(NHK NEWS WEB 2014.1.20 18時31分)

ところで就職の決まっている4年生がなぜ公務員講座なんかに行ってるんでしょうか?
それは、他のゼミの仲間が教えてくれました。
そのゼミ生は昨年度の公務員講座による合格者として、
3年生たちに合格体験談を語ってあげるために同行していたのだそうです。
しかもニュースをよく見てみると、問題の旅館はなんと、
この秋にみんなでゼミ合宿に行った、あの上山温泉の 「あづま屋」 ではありませんか
なんという偶然なんでしょう。
みんなでたいへん美味しい思いをさせてもらったあの旅館で集団食中毒が発生してしまうなんて
そこになぜかうちのゼミ生がたまたままた居合わせていたなんて
本当にこの世は何が起こるかわかりません。
皆さんも冬だからと甘く見ないで、ノロウィルスによる食中毒には十分気をつけてください!

Q.脳は移植できるんですか?

2014-01-20 20:00:46 | 哲学・倫理学ファック
看護学校での授業が終わってしまってもうだいぶ経ってしまいましたが、
いただいた質問にはまだ全部答え終わっておりません。
看護学校の学生さんたちがまだこのブログを読んでくださっているかわかりませんが、
委細気にせず、答えられそうなときに答えられそうな質問に答えていくことにしましょう。
いただいた質問は正確にはこうでした。

「Q.脳は移植できるのか? できたとしたらどうなるのか?
   人格はどちらのものになるのか? 記憶は共有されるのか?」

グロい質問ですね。
正しく答えられるか自信ありませんが、いちおうお答えしてみます。
とはいえ、私の答えをあまり信じすぎないほうがいいと思います。
まず一番最初の 「Q-1.脳は移植できるのか?」 に対して。

「A-1.技術的には脳の移植も可能であろうと思われます。
     しかし、倫理的に大きな問題があるので、
     脳移植が (法的・社会的に) 認められることはまずありえないでしょう。
     そのような意味において、脳は移植できないと思われます。」

たしか立花隆の 『脳死』(中公文庫) のなかに、お医者さんの話として、
脳だけを取り出して溶液のなかで生かしておくことは技術的には可能だ、
というような話が書いてあったような記憶があります。
(もちろんこれも倫理的な問題からして実際に行われることはないでしょうが…)
それが可能だとするならば、脳を他の人の頭蓋骨のなかに移植することも可能かもしれません。
神経を全部繋いで、脳からの信号を全身に伝えることが本当にできるのか、
いろいろ難しい問題もあるような気もしますが、
可能か不可能かといえば、やはり可能なんじゃないでしょうか。
ただこのような移植手術が実際に許されることはないでしょう。
それはまさに2番目以降の質問と関わってきます。
「Q-2.できたとしたらどうなるのか?」
「Q-3.人格はどちらのものになるのか?」
これは実際にやってみることができないので本当のところどうなるかはわかりませんが、
大方の予想では以下のように考えられるのではないでしょうか。

「A-2&3 おそらく移植された脳の人格になるんではないでしょうか?」

これは脳に人格が宿っているという仮定にもとづいての推測です。
記憶とかも脳にあるのだとすると、人格は脳のほうで決定されるように思われます。
逆のケース (移植された肉体のほうの人格が残る) というのはちょっと想像できかねます。
おそらく多くの人がこのように推測するからこそ、
脳移植はけっして認められることはないだろうと思われるのです。
脳死の人の臓器だけをもらうのではなく、脳死の人の身体全部をもらって、
脳死した脳は取り除いて、そこに別の人の脳を移植して、
脳死した人の身体の中で別の人格が生きていくことになるわけです。
家族としてそんなことを容認できるでしょうか?
社会としてもそんなことを容認できるでしょうか?
さらにこのような脳移植をいったん認めてしまうと、
身体がダメになるたんびにどんどん脳移植を繰り返して、
姿形は変われども永遠に生き続ける人格というものを認めることにもなってしまいます。
これでは人間は死ねなくなってしまうかもしれません。
このようにいろいろな意味で倫理的な大問題を引き起こす可能性がありますので、
脳移植が認められることはまずありえないと思われるのです。

最後の質問はちょっと厄介です。
「Q-4.記憶は共有されるのか?」
今までは脳をそっくり取り替えるという前提で話してきました。
そっくり取り替えたならば、記憶も新しく入れられた脳のものになるだろう、
というのが私の予想でした。
記憶が共有されるというのはどういう事態を想定しての質問でしょうか?
ひょっとすると脳を全部取り替えるのではなく、部分的に移植するということなんでしょうか?
だとするとこれはちょっと何ともお答えしようがありません。

「A-4.脳の部分移植をしたらどうなるかについてはまったくわかりません。」

それが可能なのかもわかりませんし、どうなるかはさらにまったくわかりません。
脳のなかには海馬など記憶の中枢となるところがあることはわかっていますが、
部分移植の場合は、海馬がどちらのものかによって記憶がどちらかも決まってくるのかどうか、
いやホントまったくわかりません。
たぶん部分移植も認められないだろうし、実験もしてみようがないので、
これは永遠の謎に終わるような気がします。
難しい質問をいただきありがとうございました。

初めてのみなし土曜日

2014-01-15 18:54:15 | お仕事のオキテ
明日の1月16日は福島大学では初めての 「みなし土曜日」 となります。
福島大学関係者以外の方にはなんのことかわかりませんね。
ご説明いたしましょう。
まずは 「みなし○○曜日」 からです。

昔の大学の先生は何かというとすぐに休講にしてくれました。
学会だとか出張だとか言っては休講ですし、
特に何の理由かもわからないまま、教室で待っていても先生は全然来ず、
30分経っても先生が来ないと自然に休講となるなんていうことがよくあったものです。
それはまだ大学がパラダイスだった頃の話で、今はそんなこと許されなくなりました。
「単位の実質化」 ということが求められるようになり、
半期できっちり15回の授業をするのは当たり前だということになりました。
もしも何かの理由で休んだ場合は補講をしなければなりません。

すべての講義が半期で15回の授業をきちんと行わなければならないとなったとき、
大きな障害として立ちはだかったのが暦の問題でした。
例えば今週の月曜日のように、月曜というのは振替休日など休みになる可能性が、
他の曜日と比べてめちゃくちゃ高いです。
すると、フツーに15週間、授業期間を設定していただけでは、
月曜日の講義は15回分をきっちり確保することができません。
また、あいかわらず日にちが固定されている祝日もあって、
それは年によって何曜日が休みになるかわからないわけですが、
とにかくそういうたまたま休みになる曜日の分の講義も回数が足りなくなってしまいます。
昔は祝日の分なんていちいちカウントしていなかったのですが、
今は 「単位の実質化」 のためにどの曜日の講義もちゃんと15回開く必要が出てきました。

この問題を解決するために各大学、いろいろな対策を取っています。
例えば私の母校は、平日の祝日はフツーに授業をやる、ということにしているらしいです。
たしかにこれは教務的には一番スッキリします。
しかし、3連休というものが一切なくなるわけです。
それはちょっと寂しい気もいたします。
それに対して福島大学は 「みなし○○曜日」 という制度を考案しました。
例えば今年度の後期でいうと、10月15日の火曜日と11月6日の水曜日が、
それぞれ 「みなし月曜日」 でした。
月曜日以外の曜日は休みになる確率が低いため授業日が多く、
その分間引いて、それを月曜日にしてしまうわけです。
したがってその日は火曜日や水曜日の授業はまったく行わず、月曜日の授業をしました。
これが 「みなし○○曜日」 です。
今年度はほとんど 「みなし月曜日」 ばかりでしたが、
来年度は暦の関係で 「みなし火曜日」 とかもあるようです。

以上が 「みなし○○曜日」 の説明です。
次に土曜日の授業についても説明しなくてはなりません。
福島大学には夜間主コースというものがあります。
いわゆる夜間開講で、主に社会人の方を対象としたコースになります。
平日の6限 (18:00~19:30) と7限 (19:40~21:10) に授業を行います。
が、それだけだとコマが足りないので土曜日にも授業をやっています。
土曜日の3限 (13:00~14:30) と4限 (14:40~16:10) に授業があります。
夜間主コースの授業の担当に当たった年は、6限や7限、
あるいは土曜日にも授業をやらなくてはならなくなるわけです。

そして、この夜間主コースももちろん15回の授業を保障しなくてはなりません。
夜間主コースを開設して以来、土曜日の授業が足りなくなったことはなかったのですが、
今年は1月の暦が悪く、1月4日が土曜日に当たっていました。
当初は1月4日から授業を開始するという案もあったのですが、
それはいくらなんでもあんまりだろうと判断され、
福島大学始まって以来初めての 「みなし土曜日」 というものが設けられることになりました。
それが明日1月16日なのです。

先にも書いたように夜間主コースは基本的に社会人の方を対象としています。
したがって明日の木曜日を 「みなし土曜日」 にしたとしても、
土曜日の3限と4限の分の授業を、いつものように明日の3限と4限に開講してしまうと、
社会人の方々が仕事があって受講できません。
したがって土曜3限、4限の分を明日の6限と7限に開講するということになるわけです。
では1限~5限まではどうなるのでしょうか?
昼間の授業はそのまま木曜日の授業をやるのでしょうか?
やりません。
明日はあくまでも 「みなし土曜日」 なのですから、木曜日の授業はやらないのです。
つまり、1限~5限はぽっかりと全部休みとなります。
私は幸い今年は土曜日の授業は当たっていなかったので、
明日は講義のない日となります。
都会のなかにぽっかりとできたオアシスのような1日となるわけです。
本来であるならば。

ところが今年度は私は珍しく休講を何回かしてしまいました。
突然の葬儀とかが入ったためです。
明珍先生の葬儀が木曜日に、内田先生の葬儀が月曜日に執り行われました。
どちらも講義のある日でしたので、授業を休講にしなければなりませんでした。
(ちなみに臼井先生の葬儀が行われた水曜日にはたまたま今学期は授業は入っていませんでした。)
休講してしまったので、その分の補講をしなければなりません。
授業期間のあとに正規試験と補講を行う期間が設けられており、
通常ですとその正規試験・補講期間に補講を行うことになるのですが、
そうすると私としても学生たちとしてもいろいろな予定が大幅に狂ってしまいます。
イヤだなあと思っていたところ、明日の 「みなし土曜日」 のことを思い出しました。
昼間はずっぽり空いています。
どこの教室も使われていないはずです。
これ幸いと教務課に確かめてみたところ、前例がないのでよくわからないが、
たしかに教室は空いているので、補講をやってはいけないことはないだろう、との回答でした。
というわけで明日は 「みなし土曜日」 ですが、
私にとっては授業期間内補講日という位置づけになりました。
3限に月曜3限の 「公民科授業研究」 をやり、4限に木曜4限の 「戦争と平和の倫理学」 をやります。
オアシスのような安息日を期待していた学生諸君には申しわけありませんが、
私にとっては突発的な事情で休んでしまった2日分をいっぺんに取り戻せる、
たいへんおトクな1日となりそうです。
「公民科授業研究」 と 「戦争と平和の倫理学」 の受講者の皆さん、
明日は授業がありますので忘れずに大学に来るようにしてください!

荒れる成人式問題

2014-01-14 20:08:04 | 人間文化論
昨日は成人式であったそうで、まったく失念しておりました。
昔は1月15日が成人の日と決まっていたものですが、
最近は祝日の日にちがコロコロと変わるようになってしまって、
そうなって以来、私のなかではたんなる1月の3連休のうちの1日という位置づけになり、
成人の日という意識が完全に消え去ってしまいました。
ただ、その日が成人の日であったことは、その日の夜、または翌日に意識されることになります。
毎年必ず成人式で何かしら一悶着があって、それがニュースで報道されるからです。
今年もいくつか問題があったようですね。

「成人式「侍」逮捕 羽織で模造刀」(日刊スポーツ2014年1月13日)

「橋下市長ブチ切れ!騒ぐ新成人に一喝「出ていきなさい!」」(スポーツ報知2014年1月13日)

「【衝撃】東京都・世田谷区の成人式に暴走族が乗り込む→壇上に上がって大暴れ」(NAVERまとめ2014年1月14日)

私の見立てでは全体的にはだんだんと沈静化しつつあると思っているのですが、
それでも毎年毎年なにかしら起こってはいるようです。
というか、起こらないわけがないと思うんですよね。
20歳になったばかりの若者を何百、何千人と集めて大人しく聞いてくれると思うのが間違っているし、
久しぶりに地元で同窓生が集まれば友だちどうしの話題には事欠かないだろうし、
しかも成人式ですからアルコールはつきものでしょうし。
そもそも成人式なんてものを行政主導でやろうという企画そのものに問題があるように思います。
ちなみに私は横浜市だか何かでやってる成人式なんかには行きませんでした。
成人の日には小学校だか中学校だかの同期会が山下公園の氷川丸で開かれ、
あれはなかなかいい企画だったなあと思います。
(ただし氷川丸の床は平らではないので、
 その斜めになってる上で酒を飲んだらミョーに酔ったのを覚えています。)
そんなふうに自分たちで自主的に集まればいいんであって、
なんで行政がわざわざ騒動の種を蒔く必要があるのでしょうか?

前々からそんなふうに思っていたところ、今日見かけた記事は、
成人式というものがいつ頃からなぜ開催されることになり、
いつ頃から荒れ始めたのかということをまとめてくれていて参考になりました。

「荒れる成人式」 はいつから?

なるほどね。
もともと政治家の票集め (青田刈り) の場として始まっていたんですね。
そっちの都合で集めておいて 「出ていきなさい!」 と逆ギレされてもね。
みんなを静聴させられない自分の弁論術を嘆いたほうがいいんじゃないでしょうか。
まあ何にしてもこの儀式、要らないな。
少なくとも住民の税金を使ってやるほどの行事とは思えないんですがいかがでしょうか?

アメリカ人のデートの待ち合わせ時間

2014-01-13 23:58:16 | 性愛の倫理学
ハリウッドの恋愛映画とか (別に恋愛映画に限らなくてもいいんですが) 見てると、

いつも不思議に思うことがあるんです。

アメリカ人って夜のデートの待ち合わせ時間がほぼ例外なく8時なんですよ。

午後8時、20時です。

男がデートに誘って 「じゃあ8時に迎えに行く」 とか 「8時にどこそこの店で」 とか。

付き合いの長いカップルで、どちらかの仕事の都合があってとかならわかりますが、

初デートの待ち合わせ時間が8時なんです。

なんでそんな遅い時間なんでしょう?

日本だと6時とか7時に待ち合わせしませんか?

8時から夕食だともうお腹空きすぎてませんか?

8時にならないと会えないようなら別の日にしてしまいませんか?

デートではなく飲み会で8時から参加といったら、もう確実に二次会からの参加ですよね。

私が一般企業に勤めていないからかな?

大学の人間は一般の方よりも夜の始まりが早いのでしょうか?

(「同伴」 という名のデートが6時くらいになるのは仕方ありませんが…)

特に一般企業にお勤めの方々、フツーのデートの待ち合わせ時間って何時くらいですか?

だいたい何時くらいに設定するものなのか情報提供をお願いします。

『人間、このタガの外れた生き物』

2014-01-12 23:47:45 | 人間文化論

池田清彦氏の 『人間、このタガの外れた動物』 という本が昨年出版されました。

池田氏は 「ホンマでっかTV」 にもよく出ている生物学者です。

私は 「人はなぜ学び、なぜ働くのか」 という講演や授業をするときに、

サルからヒトへの進化の話をして、人間を 「本能の壊れた動物」 と特徴づけるのですが、

その私のざっくりした話をもう少し専門的に、でもわかりやすく述べてくれている本です。

特にその第1章が 「生物学からヒトを見れば」 というタイトルで、

ちょうど私が論じているような、進化の過程で、肉食になったり、脳が増大したり、

言語を話したり、農耕を始めたりといったあたりを扱っています。

そのなかで池田氏は人間のことを 「タガが外れた生物」 と表現しています。

「タガが外れた生物」 と 「本能の壊れた動物」 というのは、

まさに同一のことを表していると言っていいでしょう。

ただ、私のざっくりした話に比べて、もっと興味深い事例がたくさん挙げられているのですが、

そのなかでも人間の特色として 「好奇心がある」、

その結果として 「新しい土地にどんどん侵出していく」 というのが面白かったです。

したがって、本の帯にあるように 「人類は生物界の外来種」 ということになるわけです。

例えば、人類が日本列島に入ってきたのはほんの2万年くらいまえのことで、

それからあっという間に日本列島を席捲してしまったということだそうです。

第2章以降は、家族の話やらルールの話やら、つまり人間独特の文化の話が語られていきます。

どの章も興味深いです。

ところどころ生物学の専門分野を超えて政策論などにも入り込んでしまいますが、

それはそれで眉に唾をつけながら面白く読むことができます。

「ホンマでっかTV」 に出てくる学者さんたちの話って、

なんだか決定論的な話が多いのであまり好きではないのですが、

この本はかなり賛同しながら読むことができました。

何よりも今後、講演とかをしたときにこの本を参考文献として挙げれば、

聴衆の皆さまに私の雑駁な話を補完してもらえそうなので助かりました。

いろいろと興味深いことが書いてありましたので、

それらはまたいずれブログで紹介していきたいと思います。

木村純子先生講演会 感想

2014-01-10 09:26:30 | 教育のエチカ
一昨日の木村純子先生の講演会終了後に皆さんから頂戴した感想です。
A4用紙にびっしり書き込まれたものが多いので、すべてをご紹介することはできませんが、
いくつかご紹介することによって、講演内容を簡単に振り返ってみたいと思います。


「今日、木村さんのお話を聞きコーチングのとらえ方が変わりました。今までコーチングというと、スポーツ選手やビジネスにおいて使われるもので堅いイメージがありました。しかし、まずはじめに日常的な声かけの中においてもコーチングがなされているとおっしゃっていて驚きました。実際にペーシングや傾聴・承認をやってみても、聞き手によって話し手が感じることが違ってきたり、行動も変更していることを実感でき面白かったです。3人組や2人組でのトレーニングを通して感じたことは、傾聴の力の大きさです。ただ単に話を聞いているだけではなく、共感を持って聞くことで話し手のエネルギーが上がっていくのはすごいことだと思いました。基本スキルをやってみて難しさを感じた部分もあります。自分のものにするためには、日頃から意識していくことが大切であると学び、これから人と話すときに少しでも基本スキルを気にして話したいと思います。コーチングのスキルを身につけることで、自分の視野を広げ、人とのつながりを大切にしたいと感じました。本日はありがとうございました。」

「私は、木村先生のお話を聞いて、自分は今までティーチングとコーチングを同じものだととらえていたということに気づきました。コーチングとは、質問をして相手に考える環境を提供することだと知って、それまでコーチングとは上から目線で相手に指示することだと思っていた自分には目からウロコでした。コーチングとは相手に対しての思いやりがなければできないことなのだなと思いました。私は、よく友人の話を途中でさえぎってしまったり、自分の意見を押しつけたりしてしまうので、今回コーチングについて学ぶことかできてよかったです。また、自分で実際に体験できたので、やり方を理解できて、明日から取り入れられるので、早く実践してみたいです。また、私は教師を目指しているので、このコーチングをもう少し自分で調べて、自分が将来教師になった際に活用できるようにしたいと思います。このコーチングは、生活の中だけでなく学校の現場でも取り入れたら、子どもたちに必要な力を備えさせることができると感じました。自分の言葉で自分の考えを言わせるトレーニングにもなるのではないかと思いました。もっとたくさんお話を聞きたかったです。ありがとうございました。」

「講演会というタイトルですが、ワークの時間が多く、お話を聞いて何かを教わるティーチングではなく、自分の中の気づきを得る、まさにコーチングを体験した講演会だったと思います。得るものも多くあるうえに、非常に楽しい時間をすごせました。本当にありがとうございました。
 ワークで一番印象に残ったことは、観察者の立場が意外に難しかったということです。幸運なことにワークでグループを組ませていただいたのが現役の教員の方だったということもあり、思わずお話に聞き入ってしまい、観察者として客観的な視点を保つこと、『承認』 という態度を保つことが難しいということに気づけたのは、改めて発見だったと思います。自分の話ばかりでなく、相手の話を気持ちよく聞ける余裕を持ちながら、どこか客観視する視点を持ってコーチングにつなげていけたらと思います。
 ワークでもう一つ感じたことは、傾聴、ペーシングされて話すのが大変話しやすいのはもちろん、傾聴する側も非常に楽しく話を聞ける、ということです。お話がうまくひきこまれてしまったのはもちろんですが、しっかり相づちを打とう、傾聴しようという態度で話を聞くと、同じ話でももっとおもしろく楽しく感じるように思いました。今回得たことを、これから日常生活にも生かしていきたいと思います。」

「一番印象に残ったことは、『承認』 のスキルです。私はアルバイトで塾の講師をしています。そこでは 『ほめる』 ことを第一に考えています。しかし、例にあげられたように、『宿題やってきてえらいね』 という言葉を多用していた気がしました。いつのまにか生徒を評価していました。評価を加えず、客観的・主観的事実を認めるというのが大切だと思いました。
 また、質問ひとつにしてみても、自分が望むような答えを期待して質問していたと思いました。コーチングとは相手が考える環境を提供するものなので、相手といかに対等な立場で相手の答えを引き出すことができるかが難しいところだと思いました。
 さらに、私は感情ですぐ行動してしまう人でした。いつもYouメッセージで話していたなと反省しました。もう少しWeメッセージやIメッセージを使うことで相手に不快感を与えることは少なくなるし、自分も嫌な思いをしたり余計なストレスをためなくてすむのかなと思いました。
 今回の講演は本当に勉強になりました。これから教育現場や組織の中で生活していく上でとても重要なことを学べたと思います。ありがとうございました。」

「今日新たな発見が4つもあった。
・コーチングで相手に気づきを与えるためには、どうしたらいいのかとずっと考えていたが、『自由に楽しく沢山話せる』
と集中して自分と向き合うことができ、気づきが生まれると教えてもらった。そのような場を設けることは大切なことの1つだと思った。
・承認する時に評価を加えてしまうと、その裏にあるものを読み取られてしまうこともあるので、フラットな事実だけを伝えること、というのを初めて知った。僕はいつも、とにかく褒めることが大切だと思っていたので勉強になった。
・傾聴するということは、相手の話をとにかく聴くだけではなく、言葉以外のことも読み取り聞くという言葉を聞き、なるほどと思った。自分は傾聴が苦手だと思っていたので、そのことを意識して話を聴いていきたい。
・大人としてのパワーポジションがあるということ。意識していなくとも、年齢等が下の人に話をするときなどは、無意識にパワーポジションを取ってしまっているということも忘れず、とにかく低姿勢で話を聴いたり、接したりしていきたい。」

「私は今日のお話を聞いて、コーチングというものは日頃の生活にも、また教育にも生かしていくことのできるアプローチの仕方であるように感じました。
 私は将来教師になりたいと考えており、ただ漠然と 『生徒と距離のない先生』 や 『一体となれるクラス像』 を目標としていました。しかし、具体的にどういう方法で生徒との距離を縮めていけばいいのかといったことなどについては、全く見通しが持てていませんでした。今日木村先生のお話を聞いて、承認や傾聴など、人とのかかわりにおいて、とても重要なポイントとなることを学ぶことができました。
 中でも特に印象に残ったのは、『○○くん宿題をやってきてえらいね』 と言うよりも、『○○くんはいつも宿題をやってきているね」 と事実を述べる方が、『分かっているよ』、『いつも見ているよ』 と言葉の背後に意味合いを持たせることができ、不安定な精神である子どもたちに存在価値や居場所を示すことができるのではないかと考えます。言葉ではなく、その背後に意味合いを持たせ伝えることで、より伝わるものがあるのではないかと感じたので、私も明日からできることから実行していきたいと感じました。」

「コーチングと言われて思いつくのは、野球やサッカーなどのコーチが選手たちに対して指示や檄を飛ばすなど、一方的に教えるというイメージだった。しかし、今回の話を聞いて、コーチングは知識ではなく考える環境を提供することであり、相手の考えや行動をみながら指示を出していくということで、新しい発見となった。
 何かを人に教えるに際して、相手がより深く理解するための工夫として、質問が持っている力の大きさにも驚いた。ただし、その質問は決まった答えのない、相手の中にある答えを引き出すものである必要があり、今までよりも質問に対して真剣に考えることができたと思う。
 教員に限らず、コーチングは相手に対して可能性を広げる手段として非常に有効であることが分かった。明日から、完全にマスターするのは無理だが、少しでも今日身をもって感じたコーチングのスキルを日常の生活の中で活かせるように努めていきたい。」

「私は自分から話をしたり、相手とコミュニケーションをとることが得意じゃなく、こんな私が教師になり子どもと関わっていけるのか不安だった。しかし、今日、コーチングの体験をしてみて、ただ相手の話を聴いてあげる、ただ相づちをうってあげる、これだけでも人は話を聴いてもらえるということだけで、どんどん心の内をあかしてくれるのだなということを感じた。
 話を聴くということは非常に重要で、だけど難しいことである。私なんかじゃ教師はつとまらないと思っていたけれど、むしろ私だからこそ引き出すことのできるこどもの内に秘められた気持ちや考えというものがあるのではないかと思う。もちろん、まだまだ技術不足ではあるけれども、今日からできる小さな努力として、人と関わる際に聴き方に注意してみたり、投げかける質問の仕方を変えてみたりして、相手の気持ちをくみとってあげられるような人間になれればなと感じた。」

「自分なりにコーチングを勉強していたこともあり、知識を深めることもできましたし、実践もあったので知識だけでなく、行動にも移せるものになった。
 今自分は、『学生が夢を語ったり、行動に移そうとすることに対して、肯定的な社会に変える』 というのを考えています。今まで生きてきたなかで、自分の夢や目標を言っても、先生や親、友達から否定的な言葉をもらう場面がいくつもありました。こういった社会に疑問を持ち、少しでも変えたいと思っています。
 今回の講演にあった内容はどれも自分が社会に必要と思うものばかりでした。社会を変えるのに、コーチングだけでなくさまざまな視点からアプローチできると思いますが、コーチングは軸になる大事な考え方だと思いました。」


皆さん、たくさん気づきを書いてくれてありがとうございました。
木村先生も、たったあれだけの時間のあいだにこんなにたくさん吸収してくれて、
まるでスポンジのようだ、と喜んでおられました。
今回の講演会を承けて、今後、福島でセミナーを開催してみようか、
なんていう計画も打ち明けてくださいました。
もしもそんな企画が実現した暁にはぜひまたご参加ください。
それから木村先生の会社のホームページもご覧いただければと思います (こちら)。
ぜひ今回学んだスキルを日常生活や教育に活かしてみて、
豊かな人間関係を築いていっていただけたらと思います。