まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

「第2回てつがくカフェ@あいづ」 は来週の土曜開催です!

2016-11-30 17:44:09 | 哲学・倫理学ファック
「第2回てつがくカフェ@あいづ」 が12月10日 (土) に開催されます!

第1回が開催されたのがちょうど9月10日でしたから、ぴったり3ヶ月後の開催となりました。

本当はもう少し早めに開催しておきたかったんです。

というのも、会津は雪の問題がありますからね。

いちおうスタッドレスタイヤに履き替えてはありますが、

はたして12月10日あたりの空模様はどうなんでしょうか?

雪道になっていないといいのですが…。

ですので、今後3ヶ月に1回のペースで開いていくということはできないだろうと思います。

12月の次は4月になるか5月になるか…。

雪深いところでみんなが集まるというのはなかなか難しいものがありますね。

でも、そういうところだからこそ、みんなで集える機会を大切にしたいと思います。

今回のテーマは 「おいしいってなんだろー?」。

「@ふくしま」 でも 「食べてよい命と食べてはいけない命はあるのか?」 をテーマにしたり、

映画 『ある精肉店のはなし』 でシネマ de カフェをやったりなど食をテーマにしたことはありましたが、

「おいしい」 とは何かというような問いを考えたことはありませんでした。

そう問われてみるとたしかに 「おいしい」 って何なんでしょう?

あまりにも当たり前すぎて考えたことがなかっただけに、なんだかとっても気になります。

みんなで頭を絞って考えてみたいと思います。

「第2回てつがくカフェ@あいづ」 も楽しい会になること間違いなしでしょう。

皆さまのお越しをお待ち申し上げております。


第2回てつがくカフェ@あいづ
日時:12月10日(土) 15:00~17:00
場所:つるのIORIカフェ

        大沼郡三島町大字早戸字湯ノ平888 (早戸温泉つるの湯隣り)
参加費:飲み物代 300円 (コーヒーまたはほうじ茶)
事前申し込み:不要 (直接会場へお越しください)
お問い合わせ:つるのIORIカフェ
          TEL 0241-42-7355
          ✉ t.ioricafe@gmail.com



我が家にもクリスマス・シーズン到来!

2016-11-26 19:19:52 | 幸せの倫理学
本当のこと言うとまだ全然今年やるべきことが片付いたわけではないのですが、

やはり日本カント協会の学会を福島大学で開催するという一大イベントが終了して、

気分的にだいぶ楽になったのは間違いありません。

本来なら今日も休日出勤していろいろ残務処理をするべきだったのかもしれませんが、

このところずっと大学に泊まったりなどして自宅をほったらかしだったため、

家のなかが荒れ放題荒れていたので、今日は1日掃除や洗濯や洗い物などをしていました。

そして、家のなかが少し片付いてくると気分も明るくなって、

そうだ、もうクリスマス・シーズンだということも思い出すことができ、

一気にクリスマス・デコレーションもやっつけてしまいました。

階段箪笥のほうは例年と変わり映えしませんが、

というか、飾り付けが終わってこのブログを書こうと去年の写真と比べてみたら、

どの段に何を置くかというのもまったく同じだったので唖然としました。



自分、どんだけコンサバティブなんだろう

まあ、若干アイテムが増えているのでそれでよしとしましょう。

アイテムが増えているといえば、ソファのほうにこんなアイテムを増やしました。



ピンクパンサー好きの人、見るとこはピンクパンサーではありませんよ。

その両脇のクッションを見てあげてください。



うーん、クリスマス気分満点です。

ここに引っ越してきて以来10年、

クッションカバーを替えたことなんて一度もありませんでした。

特にこんなふうに季節限定のクッションカバーに替えてみようなんて思ったことありませんでした。

だって自分、コンサバティブなので…。

だけどこういう気分転換っていいものですよね。

というわけで今日はもう掃除してる最中からずっとクリスマスソングが流れています。

May Your Days Be Merry And Bright, And May All Your Christmases Be White

12月は宮沢賢治で哲カフェだあっ!

2016-11-25 15:01:12 | 哲学・倫理学ファック
ぢゅんちゃんとは前々から宮沢賢治で 「本 de てつがくカフェ」 をやりたいねとは言っていたのですが、

数ある宮沢賢治作品のなかからどれを選んだらいいか決めかねていました。

ところが、最近ヒマを持て余しているぢゅんちゃんがなかなかいい作品を発掘してくれました。

『グスコーブドリの伝記』 です。

科学のあり方や自己犠牲について考えさせられる小品で、

3.11後の私たちのことを考える上でもぴったりの作品です。

というわけで、第9回 「本 de てつがくカフェ」 は、

宮沢賢治の 『グスコーブドリの伝記』 で開催することになりました

さっそくいつものようにポスターを外注で作っていただきました。



ステキな仕上がりです。

本の表紙の写真がいくつか使われていますが、

『グスコーブドリの伝記』 にはこんなにいろいろな版があったんですね。

お読みいただくのはどの版でもかまいませんが、

たぶん一番入手しやすいのは 「グスコーブドリの伝記」 を前面に打ち出した本ではなく、

新潮文庫の 『新編 風の又三郎』 のなかに収録されているものかもしれません。

ま、そんなに長い小説ではありませんので、みんながそれぞれ自由な本を持ち寄ったとしても、

対話のなかでどの部分の話をしているのかわからなくなるという心配はないでしょう。

お好きな版をお持ちください。

それから次回開催にあたっては2点注意事項があります。

まず開催日の12月18日は土曜日ではなく日曜日です。

この点、くれぐれもお間違えなきようよろしくお願い申し上げます。

(たまに全然開催していない日にいらっしゃる方がおられるようなので…)

それから会場ですが、「てつがくカフェ@ふくしま」 としては初めての会場となる、

福島市市民活動サポートセンターですので、こちらもお間違えなく。

先日開催された 「第1回びえもカフェふくしま」 で使った会場です。

福島駅東口の駅前通りをずっとまっすぐ行ったレンガ通り沿いの、

東邦銀行本店の向かいに建っている 「チェンバおおまち」 の3階です。

地下に 「精華苑」 という中華料理屋が入っているビルでわかりますかね?

あるいは、昔 「福島大学街なかキャンパス」 が入っていたところと言うともっとわからなくなる?

福島大学が入っていたまさにその場所が 「福島市市民活動サポートセンター」 なんですけど…。

私がかつてカルチャースクールを開いた 「NHK文化センター」 が入っていたビルとも言えます。

(NHK文化センターも今はもう撤退してしまいましたが…)

要するに西沢書店大町店のちょっと手前です (こう言えばさすがにみんなわかってくれるだろう)。

くれぐれも別のお店に行ってしまったりしないようにお願いします。

それでは今年最後のてつカフェは、宮沢賢治とともに福島のことを考えることにいたしましょう

号泣 『ハリー・ポッターと呪いの子』

2016-11-24 18:41:31 | 幸せの倫理学
昨日あたりから関連映画が上映開始になることは知っていたものの、

小説の新作が出るなんていう話はまったく微塵も知らないまま、

このあいだたまたま本屋で見つけて即買いした 『ハリー・ポッターと呪いの子』

一気に読破してしまいましたっ!



「8番目の物語。19年後。」 だそうです。

ハリー・ポッター・シリーズはあの7部作で完全に完結したと思っておりましたので、

これっぽっちも続編を期待していませんでしたが、出たとなったら心踊らざるをえません。

何の事前情報もないまま本を開いてみたら、こんなことになっていて驚かされました。



書き出しが 「第一幕 第1場 キングズ・クロス駅」 なんです。

そして、ト書きとセリフで埋められた紙面。

あれっ、何だろうこれ? と思ってもう一度表紙を見てみます。



たしかに買うときに表紙に 「第一部・第二部」 と記されていたのには気づいていて、

どういう意味だろうなとは思っていましたが、改めてよく見てみると、

一番上には 「スペシャル リハーサル エディション スクリプト」 と書いてあります。

本書の最後に記されていた説明によると、今年の7月にロンドンで舞台劇が公開されたらしく、

これはその脚本を翻訳したものだったのです。

読み始めのうちはちょっと戸惑いましたが、すぐに物語に引き込まれ、

小説ではなく脚本であることなどすっかり忘れて、一喜一憂しながら読み進めることができました。

本書の主人公はハリー・ポッターの次男、アルバス・セブルス・ポッターです。

ちょうどシリーズ最終作 『ハリー・ポッターと死の秘宝』 の最終場面のところからスタートします。

が、ホグワーツに向かう特急のなかでアルバスは誰と友だちになるのか、

ホグワーツに着いて組分け帽子によってどこの寮に配属させられるのか、

それらに関する読者の期待がすぐに裏切られてしまうので、最初から波瀾万丈の展開となりました。

物語のなかでは過去に戻ることのできる 「逆転時計 (タイムターナー)」 が重要な役割を果たします。

私は7部作のなかで第3作 『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』 が一番好きでしたが、

あのときに大活躍したのが逆転時計でした。

今回はあの第3作よりもさらに逆転時計の比重が大きくなっています。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』 において描かれていたタイムトラベル・クライシスが、

ものすごい規模で発生しまくっていて、若干首尾一貫性が怪しくなっているところもありますが、

それはそれでとにかくハラハラドキドキしながらラストまで一気に読まされてしまいました。

実は昨日、8月末に公開されていた福大研究振興課の Facebook ページをご紹介しましたが、

あれを今ごろ紹介したのは、あのインタビューの最後でこんなことを述べていたからでした。

「Q.最後に、先生のおすすめの本など、お気に入りのものを教えてください。
 A.倫理学に関わる本と、それとは関係なく僕の好きな本をご紹介させていただきます。
〇2冊目:ハリー・ポッター・シリーズ(J.K.ローリング 著) ミステリーは好きでよく読むのですが、僕はハリー・ポッター・シリーズを、ファンタジーではなく、ミステリー小説だと捉えています。各巻それぞれ最後に意外な犯人が明らかになり、そしてシリーズ全体としては、スネイプを巡るミステリーになっています。ハリー・ポッター・シリーズを読んだことのない人はもちろん、読んだことがある人も、そういう視点で読み直してみると、これまでと違った感想が出てくると思うのでおすすめしたいです。」

そこで述べたことは今作にもそのまま当てはまります。

本作も今まで同様のミステリーとなっていました。

さすがにもう慣れてきていますので割と早い段階で誰が犯人かは予想がつきましたが、

だからといって興ざめするということはありませんでした。

それよりも何よりも、逆転時計のおかげで本作にもあのセブルス・スネイプが登場してくれるのです。

しかもたんにスネイプがまだ生きていた頃に戻るというような単純な話ではなく、

あっと驚くような登場の仕方でした。

その場面は再び、涙なしには読めない名シーンとなっております。

もう号泣ですよ、号泣

というわけで、ファン必読!

ファンではなくともシリーズ全作品すべて読むか見たかしたという人にもオススメです。

シリーズ7部作を読んでもいないし見てもいないという人にはさすがにこれはムリでしょうが、

でもこれを機会に最初から全部制覇した上で、『呪いの子』 に挑戦するというのはありだと思います。

ああ、誰かこれ読んだ人と熱く語り合いたいなあ。

今はネタバレしない程度にギリギリの感じで書いていますが、全部ぶっちゃけて語り合いたいです。

誰かもう読んだ人、ぜひ手を取り合い涙を流し合って語り合いましょう!

ゴドリックの谷で待つ!

福島大学研究振興課 Facebook 「福大ラボ訪問」

2016-11-23 19:09:51 | 哲学・倫理学ファック
福島大学には研究振興課という部署があります。

私も何年かに1度、日本学術振興会の科学研究費補助金 (いわゆる科研費) を申請するときに、

「科研が書けん」 というオヤジギャグネタを書いていますが、

その際にたいへんお世話になっているのが研究振興課さんです。

その研究振興課は、福大の研究が活性化するよう学内で私たちのサポートをしてくださる一方で、

学内の研究を学外へ向けて発信するという役目も果たしています。

そのために福島大学研究振興課の Facebook ページを開設していて、

今年度に入ってからは 「福大ラボ訪問」 という研究室紹介の企画を立ち上げています。

ラボというのはラボラトリー (laboratory) の略、すなわち研究室のことです。

で、夏前くらいに研究振興課さんから連絡があって、

小野原研究室のことを取り上げたいので研究室に取材に行っていいかと聞かれました。

福大にはリッパな先生方がたくさんいらっしゃいますし、

特に近年は若手でバリバリの研究者の方々も増えてきていますので、

私のところなんかは、そういうイキのいい方々を一通り紹介したあとでいい、

とりわけ私の研究室はこのところひどいありさまで、

取材に来られても座る場所がないから来ないでほしいと固辞していたのですが、

だったら研究振興課のほうに来てもらってそこでインタビューしてもいいですとか、

次回の哲学カフェのことを宣伝できますよ、とか何とかうまいこと言いくるめられて、

けっきょく取材に応じることになりました。

インタビューが行われたのは5月くらいだったでしょうか、

1時間か1時間半くらいいろいろと聞かれ、

それに対してとりとめなくベラベラと喋りまくったように覚えています。

その後、研究室では (汚くて) 撮影できないからと、

6月に開催された 「第37回てつがくカフェ@ふくしま」 に研究振興課の方が参加してくださり、

そこで写真を撮影してくれました。

その後、インタビュー内容が記事に起こされて、若干のやりとりをしたあと、

8月の終わりに Facebook ページに本当にアップされてしまいました。

タイトルはこんな感じです。

福大ラボ訪問vol.2「『正しいこと』を再検討する」
小野原 雅夫(人間発達文化学類/哲学対話・カント倫理学)




Facebook をやっていない方は見られないかもしれませんが、

やっている方はまあご笑覧ください。

インタビューに答えながら、この話を記事にまとめるのはムリだろうなと思っていましたが、

相当時間をかけて苦心して再構成してくださったのでしょう、

あたかも頭脳明晰な大学教授が投げかけられた問いにズバズバと答えているかのような、

一見筋の通ったインタビュー記事に仕上がっています。

8月末にアップされて、Facebook のほうではすでにシェアしていたんですが、

ブログのほうでもシェアしようと思いながらすっかり忘れておりました。

ちょっと別のある記事を書こうと思ってそれとの関連で思い出しましたので、

遅ればせながらこちらでもシェアさせていただきます。

これを機会にまさおさまとともに福島大学研究振興課 「福大ラボ訪問」 のことも、

よろしくお見知りおきのほどお願い申し上げます。

東日本中震災!

2016-11-22 15:55:01 | グローバル・エシックス
今朝の地震には久しぶりに恐い思いをさせられました。

中通りでは震度5弱と言われるわりにはそれほど強い揺れはあまり感じなかったように思いますが、

揺れている時間の長さがあの日に似ていて、背筋の凍る思いがしました。

おそらく津波がやってくるだろうなと予想したら、すぐに津波警報が出されましたし。

あんな状態の原発に津波が再び来襲したらどんな被害がもたらされるか計り知れません。

幸い、地震被害も津波被害も原発災害も今のところ大したことはなさそうで一安心です。

でもあのときも何日も前からけっこう大きめの地震が頻発していましたし、

熊本のときも大きな被害をもたらした大地震のあとにさらにその上を行く本震が襲ってきましたから、

これで終わりかどうかは今の時点では判断がつきません。

気を抜くことなく注意を払っていたいと思います。

とりあえず万一のために私はクルマにガソリンを入れておきました。


さて、ちょっと話は変わってうちの近くのマンションの1階に入っているセブンイレブン。

この夏から少し駅寄りの位置に移転しました。

こんな感じです。



ミスタードーナッツが入っているビルの北側の広大な駐車場の敷地内にビルが建ち、

そこの1階に入ったのです。

このビルは何だろうと思って見ていたら、同じくセブンイレブンの入っていたマンションの1階にあった、

進学塾が自社ビルを建ててこちらに移転してきていたのでした。

その移転にセブンイレブンも便乗させてもらったのだろうと勝手に想像しておりました。

今どき自社ビルの建築なんて、このアベノミクス不況の時代に景気のいい話だなあ、

でもうちからは遠くなってしまったからちょっと不便になっちゃったなあなどと考えておりました。

ところが、そのマンションの関係者に聞いてみたところ、

そんな景気のいい話ではないということがわかりました。

あのマンションは免震構造を備えた最新のマンションなのですが、

あのどでかい建物を支えている免震ゴムを交換することになったそうなのです。

で、そのゴムを交換するにもいくつかの方法があるらしいのですが、

いずれにせよ数ヶ月から1年くらいの時間がかかるらしく、

ゴムを交換している最中に地震が来てしまうといけないので、

万全を期してじっくり時間をかけて、ゴムをゴムで覆いながら、

免震ゴムがまったくないという期間を設けずにすむ方法が選択されたそうなのです。

で、その間、住民の方々は今まで通りそこに住んでいられるらしいのですが、

1階店舗に関しては退去しなければならないということで、

交換が完了するまでのあいだ、あの場所にプレハブを建てて営業しているそうなのです。

なんだ、そうだったんだ。

あれは自社ビルではなく仮店舗だったんですか。

セブンイレブンがいずれ元の場所に戻ってきてくれると知って私はホッとしました。

それと同時に、あれだけ大きな千年に一回という震災が来たあとで、

再び私たちが生きているあいだに大きな地震がやってくるはずないだろうから、

じっくり1年もかけたりせずにパパッと取り替えて早く戻ってきてくれたらいいのに、

なんて自分の都合しか考えない自己チューなことも考えたりしていました。

だけど、今朝の地震で思い知らされました。

「千年に一度の」 なんていう形容句も無知な人間が考え出した気休めのキャッチフレーズにすぎず、

千年に2度だって3度だって、ほんの5年、10年間隔でやってくることだってありうるのです。

あのマンションの耐震ゴム交換はじっくり時間をかけてやっていただきたいと思いますし、

その間セブンイレブンが遠くてもじっと我慢したいと思いますし、

そして何よりも、もう死ぬまで大丈夫だろうなんて過信しないで、

あの日のあと抱いていた危機感をこれからも持続していきたいと思います。

それを福島の人間だけでなく、日本中の国民と政府にも共有してもらいたいものだと思います。

平成28年度全国公民科・社会科教育研究会全国研究大会

2016-11-18 19:55:24 | 教育のエチカ
ギリギリになっての告知で申しわけありませんが、来週の月曜日と火曜日に、

千葉で 「平成28年度全国公民科・社会科教育研究会全国研究大会」 という、

「全国」 やら 「研究」 やらをやけに押している大会が開催されるそうです。

まさおさまの大学院ゼミの修了生が千葉県で高校公民科の教員に就職しており、

千葉大会ということで彼女が事務局をやっているらしく、

ぜひ千葉県ばかりでなく 「全国」 の皆さまにもお越しいただきたいということで、

告知と拡散を頼まれました。

ちょっともう時間がないし平日だから今から予定を立てるのは大変かもしれませんが、

高橋哲哉氏による記念講演のテーマはとても刺激的かつ魅力的ですし、

文科省の調査官の方は私と同じ漢字の 「まさおさま」 ですし、

大会主題である 「自ら考え参加する主権者を育てる」 というのもとても興味深く、

その主題に沿った各分科会の発表もどれも面白そうですので、

公民教育に関心のある方、公民教育について卒論執筆中だけど行き詰まってる4年生、

休職中で時間を持て余してしょうがないという方などは、ぜひ参加してみてください。

正規の申し込み期間は過ぎてしまっているのですが、

下記に連絡いただければ今からでも問題なく参加できるそうです。

連絡先:mumu85g@gmail.com

皆さまぜひ奮ってご参加ください。


平成28年度全国公民科・社会科教育研究会全国研究大会

1.期日:平成28年11月21日(月)から11月22日(火)まで

2.場所:ホテル ポートプラザ ちば
         〒260-0026 千葉県千葉市中央区千葉港8-5
         JR京葉線,千葉都市モノレール「千葉みなと」駅前
         TEL043(247)7211 FAX043(247)2811

3.大会主題:自ら考え参加する主権者を育てるために

4.費用:大会参加費2,000円 資料費2,000円 (計4,000円)

7.内容
(1)記念講演 (11月22日10時~12時)
講師:高橋哲哉先生(東京大学大学院総合文化研究科教授)
演題:「沖縄」に向き合うということ - 日本人の「責任」を考える
講師紹介:1956年福島県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。専攻は哲学。著書に『逆光のロゴス』(未来社),『記憶のエチカ』(岩波書店)、『デリダ』(講談社),『戦後責任論』(講談社学術文庫),『歴史/修正主義』(岩波書店),『「心」と戦争』(晶文社),『証言のポリティクス』(未来社),『反・哲学入門』(白澤社),『教育と国家』(講談社現代新書),『国家と犠牲』(NHKブックス),『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書),『デリダ 脱構築と正義』(講談社学術文庫),『沖縄の米軍基地 ―「県外移設」を考える』(集英社新書)など。

(2)文部科学省教科調査官講話 (11月21日11時~12時)
講師:樋口雅夫先生
演題:「公民科教育の一層の充実に向けて」

(3)県内に関する研究発表 (11月22日13時~14時30分)
講師:石塚誠先生(成田高等学校非常勤講師,特定非営利活動法人三番瀬環境市民センター理事)
演題:「社会科教師の小さな実践-海辺再生への取り組み-」

(4)分科会研究協議 (11月21日13時~16時10分)
①「現代社会」分科会
授業実践報告者:杉田孝之先生(千葉県立津田沼高等学校教諭)
「経済の基礎概念から設計する有権者教育」
松澤徹先生(東京都立国立高等学校指導教諭)
「高校『現代社会』の授業で『政策』を考える-発表する力と記述する力を伸ばすための試み-」

②「倫理」分科会
授業実践報告者:萩原拓也先生(千葉県立泉高等学校教諭)
「僕の対話型授業は何だかうまくいっていない気がする」
宗弘昭先生(福岡県立修猷館高等学校教諭)
「高校『倫理』は自己の立ち位置をつくる学び―『倫理』生き残りのために普通の授業から考える―」 

③「政治・経済」分科会
授業実践報告者:武田泰彦先生(千葉県立柏高等学校教諭)
「入試対応と深い理解,二兎を追ってみた『政治・経済』の授業」
志田光瑞先生(北海道札幌稲雲高等学校教諭)
「北海道における『政治・経済』教育に関するアンケート調査報告について」

門のない大学

2016-11-18 14:53:46 | 教育のエチカ
昨年、東北哲学会を福島大学で開いたとき、準備をしながら気づいていたんですが、

ブログに書くのを忘れていて、今年、日本カント協会の学会準備をしながらまた思い出しました。

福島大学って 「門のない大学」 なんですよね。

金谷川駅から遊歩道っぽい道を通って大学に向かうわけですが、

途中どこにも門はありません。

しばらく歩いていくと、新井先生作の素敵な彫刻の向こう側に無粋な看板が見えてきます。



もうちょっと寄ってみましょう。



右と左に何か書いてありますね。

さらにクローズアップ。



おおっ、ここからが福島大学構内になるらしいです。

本来ならここに校門があって然るべきと思うのですが、この看板は門とは言えません。

この看板がここにあることによってここから福島大学構内だということがわかりますが、

ほんの数年前まではこの看板すらありませんでした。

原発事故後、中核派等によるビラまきなどの活動が活発化してきたために、

その活動を学内から排除するため、つい数年前にこの看板は設置されました。

ちなみに先日の日本カント協会の際に設置した中規模立て看は、

この看板に針金で縛って立てていました (もちろん、ちゃんと施設課に許可をいただいた上です)。



金谷川駅とは反対側の、バス停があるほう、

クルマで来学するときに114号線から入ってくるあたりはというとこんな感じです。



福島大学の公式見解にしたがうとこちらが正門側になるらしいのですが、

ちょっと逆光のため見にくいですが、やはり校門はありません。

左のほうに看板というかポールみたいなものが立っています。



反対側から見るとこんな感じ。



クルマを運転しながら見るとけっこう目立ちます。

これも以前はなかったんですが、何年前だったかなあ、

駅側のあの看板より何年か前くらいに建立されました。

まあ、ないよりはあったほうがいいと思いますが、それにしてもこれは校門ではありません。

それよりも、長いアプローチの坂道を上っていくとこんな看板が見えてきます。



ゲートって日本語にすれば門ですよね。

ゲートの全体像がこれ。



これが出来たのはさらに最近のことで、この6月に出来たばかりです。

今年の6月から福島大学は駐車場が有料化されたので、

そのため入構券を発行するゲートが設置されたのです。

うーん、それにしてもまあゲートはゲートだけどこれは門じゃないよね。

大学の門ってもうちょっと大学の入口としてそれにふさわしい威厳があっていい気がします。

難関大学のことを 「狭き門」 なんて言ったりするじゃないですか。

門ってなんか大学を象徴しているような気がするんですよ。

フツー、大学には門がありますよね。

というか、小中高にだって門はありますよね。

まあうちは狭き門ではないんで、東大の赤門↓ほど豪勢でなくてもいいんですけど…。



「門のない大学」 でいいのかなあ?

誰でも入れる 「門のない大学」?

それとも、誰でも入学できるという意味じゃなくて、

地域に開かれた 「門のない大学」 っていうこと?

なんで門を作らなかったのか気になります。

奉職すること22年、誰もそんな話はしてくれませんでした。

というか、去年まで福大に門がないことすら気づいていませんでした。

学会の開催準備を自分でしてみて気づいたんだよなあ。

やっぱり学会なんかをやるときは 「福島大学」 と刻まれた門の横に、

巨大立て看を立てたいじゃないですか。

これって開催校のエゴなんでしょうか?

福島大学にはなぜ門がないのか?

福島大学に門はなくていいのか?

今後ちょっと追究していきたい課題です。

第1回びえもカフェふくしま堂々の開催!

2016-11-16 14:43:58 | 哲学・倫理学ファック
さて、日本カント協会がやっと終わったと思ったのも束の間、

今週末には 「第1回びえもカフェふくしま」 が開催されますっ

なんかもう11月は、福島県立美術館とのコラボ企画から始まって、

翌週が日本カント協会、そして今度の週末がびえもカフェと、イベントに追われまくっております。

ただし、びえもカフェに関しては私は世話人でも開催校でもなく、ただの監修という位置づけで、

準備や宣伝活動のほとんどは代表の吉川さんがやってくださっていますので、

私としては日本カント協会のときのようにバタバタしたりせずにすみ、

大船に乗った感じでお任せしきっております。

私の一番の仕事は会場を決めてきたことぐらいでしょうか。

福島駅東口の駅前通りをずっとまっすぐ行ったレンガ通り沿いの、

東邦銀行本店の向かいに建っている 「チェンバおおまち」 の3階、

「福島市市民活動サポートセンター」 で開催することになりました。

(地下に 「精華苑」 のあるビルというとわかってもらえるでしょうか…)

こちらの施設は今回初めて使用させていただきます。

社会学の牧田実先生が代表を務めるNPOがこちらの施設を運営しており、

うちのゼミの修了生がこちらで働いているというきわめて密接な関係にある施設だったんですが、

この夏前ぐらいに彼と一緒に飲むまでこういう施設があることをまったく知りませんでした。

さっそく下見に行ってみたところ哲学カフェにうってつけの施設で、会場利用費も格安なため、

今度の3月に行われる 「てつがくカフェ@ふくしま特別編7」 の会場として即決してまいりました。

その流れで栄えある第1回びえもカフェふくしまの会場もこちらとさせていただいたのです。

あとはブログの開設を手伝ったり、ポスターやチラシの印刷を手伝ったりという程度で、

実際にブログの文章をアップしたり、ポスターやチラシの原案を作成したりといったことは、

すべて吉川代表がやってくださっています。

ブログも開設以来けっこう頻繁に更新しているようです。

すでに訪問者数が100を超える日もあったようで、

まさおさまのブログやてつカフェブログの低調な滑り出しとはまるで違っています。

チラシは両面印刷で、表がこんな感じ。



裏はこう。



なかなか素敵なデザインです。

これをエクセルで作ってるというのだから驚きです。

このチラシを市内各所に置いていただいているようです。

私たちもたま~にてつカフェのチラシを置いてもらったりしたことありましたが、

こういうのお願いに行くのってけっこう気が重いんですよね。

そういうことを厭わず精力的に動き回るところはぜひ見習いたいものです。

さらには、生と死を語るカフェを文字通り 「カフェ」 とするために、

福島でも有名な 「珈琲楓舎」 の齋藤さんに手ずからコーヒーを淹れてもらう交渉までまとめています。



しかも、びえもカフェ用のスペシャルブレンドまで調合してもらったのだそうです。

どんだけ~

やはり福島出身の方々のあいだには強力な地元のネットワークがあるのでしょうか?

とても私なんかではこんなふうに事を進めることはできません。

さらにさらに、カフェ後の懇親会場までもう取れているそうです。

そもそもこれが第1回目なんだから何人参加者が集まってくれるかまったくわからないし、

いらっしゃった方がじゃあ一緒に飲みに行きましょうとなるかどうかもわからないと思うのです。

てつがくカフェ@ふくしまだってもう60~70回続けてきていますが、

年に1度の特別編のときでもないかぎり、2次会会場を予約しておいたことはありません。

そもそも参加人数がわからないんでは予約なんて受けてもらえないのではないかと思うのですが、

なぜか人数不詳のまま 「福島ワイン酒場」 でやることを決めてきてしまったのでした。



吉川代表、どこまで凄腕なんだっ

もう私なんて監修とは名ばかりで、ただ指をくわえてみているだけです。

日本カント協会のような薄氷の上での開催とは異なり、

今度の土曜日11月19日のびえもカフェは一点の不安もなく、

まるでベテランの余裕をもって堂々と進行されていくことでしょう。

第1回目から何百人集まったとしても吉川代表はビクともしないはずです。

「びえもカフェふくしま」、皆さまぜひお誘い合わせの上ご参加ください。

いまだかつてない公開シンポジウム!

2016-11-15 22:48:31 | カント倫理学ってヘンですか?
日本カント協会の福島大会が終わったということは、

私の公開シンポジウム提題者の大役も終了したということです。

今年のシンポジウムのテーマは、「3.11後の『公共』 とカント ―Kant in Fukushima―」 でした。

いいテーマだとは思いますが、自分がこのテーマで何か語りたいとは思いません。

今回は1人開催校ですし、3年前にシンポジウムの提題者を務めたばかりでもありましたので、

当初固辞していたのですが、いつものように 「小野原さん、福島だから」 の一言で押し切られました。

今回のメンツは私のほかに、日本カント協会の会長であらせられる大橋容一郎氏、

盟友であり腐れ縁でもあるふなちょこと舟場保之氏です。

大橋さんは当初、司会だけのはずだったんですが、

もう1人の提題予定者がドタキャンになったための急遽ピンチヒッターです。

この3人でどんなシンポジウムが繰り広げられるんでしょうか?

私がシンポジウム準備どころではなかったということもあって、

ギリギリまでどんなふうにシンポジウムを運営するかという話し合いも行われなかったのですが、

直前の話し合い (メールでの) のなかで、ふなちょが提題者はパワポで発表しましょう、

1人の発表時間は20分にして討論の時間をたくさん取りましょうと提案してくれて、

準備が間に合いそうもないと思っていた私は、渡りに船とその提案に飛びつき、

学会のメインイベントたるシンポジウムの慣例とは大きく外れて、

提題者の発表時間が一般研究発表よりも短いという異例のシンポとなりました。

しかも、その後のやり取りのなかで、ふなちょは自分は15分で終えますと宣言し、

大橋さんはそのセリフが頭に残っていたのか、

シンポジウム冒頭の説明では 「提題者の発表時間は15分です」 と言ってしまい、

ただでさえ短めに作ったパワポをさらに端折りながら発表することになりました。

3年前のシンポのときは3人の提題者がみんな完全原稿を用意し、

25分の持ち時間を大幅に超えて (私の超過時間はほんの数分だったはずですが) 発表したため、

全体での討論の時間はあまり取れなかったのでした。

それに比べると、いや、これまでの40回のどのシンポジウムと比べても、

今回ほど提題者の発表時間が短かくて、

その分討論にゆっくり時間を使えたシンポはなかったろうと思います。

そう言えば、シンポジストが全員パワポで発表したというのも初めてのことじゃないかな?

法政哲学会に続いて日本カント協会でも歴史に名を残してしまったかもしれません。

さて、シンポジウムの提題発表は、プログラムの掲載順序とは変わって、

まずは大橋さんの 「カントの公共性とケア的公共性」 からスタートしました。



カントの公共性概念が自由とか自立 (自律) に定位するものであるのに対して、

この世界には必然的にケアを必要とする自立できない不自由な存在者が多数おり、

その人たちを含めた公共性を考えていかなくてはいけないのではないかという、

日本カント協会の会長にあるまじき (笑)、

カント倫理学を真っ向から否定するような刺激的な発表からのスタートです。

続く舟場さんの発表は、「手続きとしての公開性がもつポテンシャリティ」。



これも聞く前からふなちょ色満載で、

ある意味、カントの形式主義をそのまま受け継いでいるとも言えるし、

だけどカントの道徳主義を全否定しているとも言える超過激な内容です。

こんな2人が矢面に立ってくれたので、1人開催校の私はあまりボコボコにされずにすみました。

心優しいお2人に感謝です。

私の発表は、「〈3.11〉 後の 「公共」 とカント的公共性の闘い」。

〈3.11〉 後にあちこちで発表させられた内容を紹介したりしながら、

もしもカントがこの福島の状況を見たら何て言うかを考えて (Kant in Fukushima)、

「反原発の定言命法」 なんていう刺激的な議論も投げかけてみました。



そして、カント的公共性を担うものとして哲学カフェの活動などを紹介しつつ、

それが現在の国家的公共の前ではいかに無力で、敗戦を余儀なくされているかという、

きわめてペシミスティックな色彩の強い報告をさせていただきました。

3人の提題後はたっぷりと1時間半近くフロアと議論を交わすことができました。



大半の質問は大橋さんと舟場さんに集中し、

特に舟場さんにはカント的道徳主義からの批判が殺到して、質疑応答は相当盛り上がりました。

私に対してもけっこう原理的な質問というか批判が出ていましたが、

福島色を前面に押し出すことによって何とかそれをかわし、

あとは大橋さんや舟場さんに議論を委ねていました。

私の頭の中は、次の懇親会の幹事として、食べ物やお酒は足りるだろうかとか、

懇親会の司会として、誰に乾杯の音頭を頼もうかとか、ついつい考えてしまっていました。

とにかくフロアとのやりとりの時間が長かったので提題者 (私を除く) は疲れ切っていましたが、

フロアの皆さんにはそれなりに満足いただけたのではないでしょうか。

懇親会の場や、その後の二次会、三次会の場では、内容的にはいろいろと注文もついたものの、

これまでのシンポジウムと違うスタイルだったことに対しては、おおむね賛辞を賜ることができました。

月曜日に大学に登校してみると、シンポジウムの行われた土曜日の日付でメールが届いていました。

福大生として唯一一般参加してくれた学生さんからのメールです。

ご本人の許可を得て、下記に引用してみます。

(以下、引用)
突然のメールすみません。前期の倫理学概説を受講していた、行政政策学類2年の○○です。
今日のシンポジウムに参加して今まで感じていた疑問に対するヒントとなるような話がたくさん出て来て、自分の考えが深まりました。
大橋先生の話では、今まで「哲学をどう自分自身のものとして引き受けていくか」という疑問に対して、ケアという考えから、哲学を現実といかに結び付けるかということをさらに考えるポイントになりました。
また、舟場先生の話は、多くの論点が専門家の間ではあるのかもしれませんが、今日のテーマである「公共」について、哲学を政治 (学) などと結び付けるものだと感じました。カントの学会で道徳 (法則) が嫌いと言う舟場先生には、常に「それはどうなの?」と問う哲学の営みを感じました。小野原先生が前期の倫理学概説で、倫理学者は倫理を問う、学問は問うことを学ぶものだというような話をしていましたが、それが今日の舟場先生だったのかな、と思いました。
そして小野原先生の話は、これから始まる高校の新教科「公共」でどのような授業を作っていくか、という自分の問いに対する大きなヒントになりました。3.11以後、同じ共同体に属する人々が、社会が、分断「させられていく」という状況は、公共性について考えていくうえで、とても重要な問題だと思います。その状況に対して、市民性や、「公共性」の持つ複数の意味からもう一度作り直していくために「哲学」そして「哲学カフェ」があるのではないか、と思いました。
長々と個人的な思いを羅列してお疲れのところ申し訳なく思っています。人生初めてのシンポジウム、(学会)に参加して、興奮が抑えきれないので、今日の準備をしていただいた小野原先生に連絡させてもらいました。本当にありがとうございました。大橋先生、舟場先生そして小野原先生、学会の皆様に貴重な経験をさせてもらいました。ありがとうございます。
哲学・倫理学に興味があるものの、まったくの素人があのような専門的な場に参加して良いものか、ギリギリまで悩んでいたのですが、参加して本当に良かったと思っています。
ブログにコメントしようと思ったのですが、個人的な思いなので、メールで伝えさせてもらいました。また機会があれば、参加してみたいと思います。今日は本当にありがとうございました。
(引用終わり)

大学2年生が日本カント協会の公開シンポジウムに来てくれたこと自体驚きなのですが、

こんなにいろいろと感じ取ってくれたなんて、本当に望外の喜びです。

惜しむらくはこの学生さんがうちの学類生じゃないということですね。

まあでもこんな若者にここまで考えを深めてもらえたのですから、

今回のシンポジウムは大成功だったと言えるのではないでしょうか。

ご参加くださったてつカフェ常連の皆さまにもいずれ感想をお聞きしてみたいです。

わざわざ足をお運びくださり誠にありがとうございましたm(_ _)m。

私はもう燃え尽きました。

あれを学会誌のために原稿化するなんて絶対にムリです。

1人5役で頑張ったことに免じて、パワポのシートをそのまま掲載することで、

学会誌への投稿とさせていただけないでしょうか?

編集長の舟場先生、何とぞ御高配のほどよろしくお願い申し上げますm(_ _)m。

日本カント協会@福島大学かろうじて終了‼︎

2016-11-14 19:46:43 | カント倫理学ってヘンですか?
先週の土曜日は日本カント協会第41回学会が福島大学で開かれました。
すでにお伝えしましたように、2日前には公開シンポジウム提題の発表準備は終わり、
前日も雨のなかずぶ濡れになりながら何とか準備を終わらせるや
すぐさま街に繰り出して、前日入りしているカント協会会員の皆さまの接待をしたのでした。
一緒にシンポジストを務める大橋会長や舟場さんをはじめとする何名かを、
「会津郷土料理 楽」 にお連れして、福島の地のものと地酒を堪能していただきました。
そのあとは 「Cocktail BAR 和醸」 などディープな福島をご案内して午前様になりました。
その晩はものすごく疲れていて眠くてしかたないのに、
アルコールが切れた3時半ごろに目が覚めてしまってからはなかなか眠りにつくことができず、
極度の寝不足のまま朝を迎えてしまいました。
何とかリフレッシュしようと珍しく朝風呂を入れて入ったところ、
なんかこれでバッチリ目が覚めてしまって、その後は1日ミョーなハイテンションで過ごしました。
7時35分の電車で登校すると、いい天気のなか自作の案内表示に出迎えられました。



うん、我ながらなかなかいい出来じゃないか。
けっこう目立ってます。
あの雨のなか剥がれたりせずにちゃんとくっついててくれたんですね。
皆さん目にしてくれたようで、
多くの方から 「あんなところに張っちゃっていいの?」 と聞かれましたが、
これは福島市の土地を借りて福島大学が立てたものだそうで、
ちゃんと福島大学の施設課におうかがいを立てて張り出したものなんだからノープロブレムです。
福島大学の敷地に入るあたりに立てた中規模立て看もちゃんと倒れずに立ってくれていました。



うん、いいぞいいぞ。
目立ってるんじゃないかい。
キャンパス内にあちこち立てた案内表示もみんな無事でした。



会員の方々からは、駅からの道案内がひじょうにわかりやすくてよかったとの、
過分なお誉めの言葉を頂戴いたしました。
そして、M棟前の巨大立て看。
これも一夜の風雨に打ち克って最後まで屹立していてくれました。
おそらく私がこの人生のなかで作りだした最も大きな仕事 (work) ですので、
ニッコリ笑って一緒に記念撮影をしておきました。



最後のほうは風に吹かれてビニールが若干剥がれかかったりもしましたが、
倒壊とかせずにすんだのでそれで十分よしとしましょう。

それにしても1日で何役こなしたんだというくらい慌ただしい1日でした。
開催校として各会場で研究発表が滞りなく行われるようサポートするのが一番の務めですが、
開催校の会員が私ひとりしかいないなか、受付、会場、控室などすべてになかなか目が届きません。
空調もつければ暑いし止めれば寒いし、
なかなか発表をしたり聞いたりするのに最適な環境を提供することができません。
と思っていたら大トラブルが発生しました。
お昼の会員総会と最後の公開シンポジウムを開く予定だったL-1教室の空調が作動しないのです。
カギを差し込んで回せば動くからと言われていたとおりにしてもうんともすんとも言わないのです。
相当粘っていろいろ試してみましたがダメで、あとは何とか解決してくれる人はいないかと、
学内中に電話をかけまくりましたが、もとより土曜日なので事務の方は誰も出勤していません。
けっきょくL-1の空調は動かずじまいで、ギリギリの段階で (午前の一般研究発表が終わる直前)、
L-1で総会とシンポを行うのはあきらめ、午前中に使っていたM-2教室でやることにし、
そのための張り紙を急遽作成したり、発表が終了した部屋で告知したりなど対応に追われました。

そんな感じでお昼にはやるべきことが山ほどあったのですが、
私は委員の1人として委員会に出なければなりません。
しかも、お昼のあとの総会では私が開催校会員として議長を務めなければならないのです。
そのためには委員会の議論をきちんと聞いておく必要があります。
今回は、学会の存続に関わるものすごく大きな議題があったのですが、
会長と事務局のみごとな議題整理のおかげで、
委員会でも総会でも大もめにもめることはなくすみました。
先送りしただけでもありますので今から来年のことが思いやられますが、
まあ来年は私は開催校ではありませんのでよしとしましょう。
委員会は少し延びてしまいましたが、総会のほうは私がサクサクと議事を進め、
2時からの共同討議の前にちょっと空き時間を作れるほどでした。

共同討議が始まってからは少し息がつける予定でしたが、
ここからは懇親会幹事としての労働 (labor) が待ち受けていました。
学会ってあらかじめ開催通知を送ったときに、
学会と懇親会について参加・不参加を返信してもらうのですが、
まあこれをちゃんと送ってきてくれる人なんて全然いないんですよね (私もそうですしね)。
しかし、初めて開催校をやってみるとこれがどれだけ大事かというのが本当によくわかりました。
ちゃんと懇親会に参加しますとハガキやメールを返してくれたのは今回たった16人だけですよ。
16人で予約しちゃっていいんですか?
料理もお酒もほんのちょびっとになっちゃいますよ。
まあいくら福島開催とはいっても30人は懇親会に出てくれるんじゃなかろうかと予想し、
いちおう生協グリーンには30人の宴会メニューを頼んでおきました。
だけど、もしもこれが本当に16人しか来なかったら大赤字ですからね。
こんなに頑張った私が42,000円も自腹切んなきゃいけないんですか?
なんて思っていたところ、当日申し込みの人が殺到してくれて、
懇親会参加者は40人になってしまいました。
赤字にならずにすんだのはいいものの、
今度は料理が足りなくなってしまうかもしれません。
というわけで急遽大学会館に走り、グリーンと交渉して料理を増やしてもらいました。
当日にお願いしてできることは限られていますが、
生協さんも知恵を絞ってできることをすべてやってくださいました。
本当にありがたいことです。
それにしてもあとからあとから気の休まるヒマがありません。
そうこうしているうちにあっという間にシンポジウム開催時刻が近づいてきました。

公開シンポと言いながらあまり一般参加者が来てくださることを期待していなかったのですが、
時間が近づいてくると会員以外の方々がだんだん集まってきてくださいました。
その多くは、いつもてつカフェに参加してくださっている方々です。
「おお、みんなありがとう」 ということで私の 「仕事」 の前で記念撮影をしておきました。



てつカフェの常連さんはまだ他にもいらっしゃいましたし、
常連さんが連れてきてくださった方などもいて、私にとってはとても心強い応援団でした。
いよいよ公開シンポジウムの開始ですが、もうだいぶ長くなってしまったので、
その報告はまた稿を改めることにいたしましょう。
最後に、今日になって気がついた大ポカを記しておくことにします。
研究室の冷蔵庫にこんなものが入っていました。



オーマイガッ
これは共同討議とシンポジウムのときに司会者と提題者の方々にお出しするはずだった水です。
せっかく発表してくださる皆さんには冷たい水をご用意しようと、
ギリギリまで研究室の冷蔵庫で冷やすことにしておいたのです。
L-1教室で総会をやっているあいだに取りに行って、
共同討議を開催するM-1教室、M-2教室にセットしておくようにと、
バイトの学生たちには指示してありました。
そして、共同討議をやっているあいだに今度はL-1にシンポジウム用のセッティングをし、
そのときに水を並べるというふうに完璧な計画が練られていたのです。
この計画がL-1が使えなくなってしまったことによってすべて崩壊してしまいました。
私も学生たちも教室を変更したり、そのためにパソコンを入れ替えたりなどの労働に追われ、
すっかり水のことを忘れてしまっていました。
シンポジウムの最中にみんなから責められて喉が渇き、
隣のふなちょが自前のペットボトル飲料を持っているのを見て、
「いいなあ、ぼくも飲みたいなあ」 と思ったときも、この水のことは思い出しませんでした。
ま、しかたないでしょう。
いろいろありすぎましたからね。
提題者や司会者の皆さんも水がなかったことくらいは何とか許してくださるのではないでしょうか。
いろいろと行き届かない点はあり、けっして無事終了と言えるようなありさまではありませんが、
とにかく何とか終えることができたということを慶びたいと思います。
1人開催校、1人開催校と言い募ってきましたが、
もちろん1人の力ではやり遂げることはできませんでした。
力をお貸しくださった皆さまに心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
そしてお疲れさまでございました。
2度とこの手の学会がやってこないことを心より願っております。

カント学会準備完了?

2016-11-11 18:01:20 | カント倫理学ってヘンですか?
今日はゼミ生たちに手伝ってもらって、明日の学会の準備でした。

あいにくの雨の中、ずぶ濡れになりながらの作業でした。

そして、学生時代だって立て看の作成なんてしたことなかったのに、

この歳になって初めてのお使いですよ。

もうヘトヘトです。

まあでも、皆さまのご協力もあって何とかやり遂げることができました。

もう暗いからわかりにくいですが、これが大学構内に入るところの、

90×180cmくらいの中規模立て看。



続いてM棟前に立てられた、90×300cmくらいの巨大看板。



もう腰が痛いっす(T-T)。

なんせ素人による初めての作品ですので、明日までちゃんと立っていてくれるか心配です。

しかし、立て看はまだ針金で縛ってるからいいけど、

もっと心配なのは会場の方向を示す案内表示です。

雨の中、水で貼り付いてたから作業時点では大丈夫でしたが、

雨がやんで乾いてきてもちゃんとくっついててくれるかどうか。

こういうやつね。



まあ剥がれちゃってたとしてももうどうでもいいや。

ぼくは十分がんばった。

もう真っ白な灰になりました。

明日現れなくても探さないでください。


公開シンポジウム 「3.11後の 『公共』 とカント ―Kant in Fukushima―」

2016-11-10 06:06:37 | カント倫理学ってヘンですか?
また、大学に泊まっております。

もう日が替わって10日の木曜日になってしまいましたから、

日本カント協会第41回学会は2日後ということになります。

昨日の夜にやっとはかどりネコさんがやってきてくれて、

なんと一気にシンポジウム発表用のパワーポイントが完成してしまいましたっ

内容的にはちょっと荒すぎるというか薄すぎるというか、

けっして満足のいくような代物ではないのですが、

まあ今回はとても研究一筋に打ち込めるような環境ではありませんでしたので、

先日恐れていたように、シンポジウムに発表原稿が間に合わないとか、

1人開催校の人間が当日まさかの失踪をしてしまうといったことがなくてすみ、

もうそれだけで拍手喝采、万々歳だと言えるでしょう。

実を言うとパワーポイントが完成したのは日が替わる前のことで、

あと10分早ければ終電に間に合ったのにというくらいの時間でした。

まあ終電の時間を忘れてしまうくらい集中していたからこそ完成させることができたのでしょう。

その後は学会当日用の張り紙を作成したり、

バイト学生に渡す前日と当日の仕事のフローチャートを作成したりと、

はかどりネコさんのパワーはとどまるところを知りません。

明日、じゃなくてもう今日か、今日は2限に授業があるっていうのに、

こんなに一睡もしてなくて大丈夫なんでしょうか、私?


さて、今回私が提題者までやらされるシンポジウムのテーマは、

「3.11後の 『公共』 とカント ―Kant in Fukushima―」 となっております。

自分が提題者でさえなければぜひ聞いてみたくなるようなとても刺激的なテーマです。

今年のシンポジウムは公開シンポジウムということになっております。

学会員だけではなくて、一般市民の方にも公開されるのですね。

日本カント協会のシンポジウムはいつも公開されているわけではなくて、

例えば去年なんて学会創設40周年という記念すべき大会だったのに、

公開シンポではありせんでした。

牧野先生がシンポジストに呼ばれた一昨年も公開ではなく、

私が提題者を初めて務めた3年前は公開シンポジウムでした。

なんか私が公開されやすい体質なんですかね?

ぶっちゃけ体質だから?

まあ今年はテーマが公共性ですから、公開シンポジウムになるのもわからないではありません。

ドイツ語だと 「公共性」 と 「公開性」 は同じ言葉 (Öffentlichkeit) ですからね。

というわけでカントとは縁もゆかりもない皆さまにも公開されていますので、

興味がある方もない方もぜひご来場くださいませ。

公開シンポジウムは11月12日 (土) の15時40分から、

福島大学のL-1教室で開催されます。

本大会の予稿集はウェブ上で入手することができます (こちらをクリック!)。

せっかくですので私が書いた予稿もここに掲載しておきましょう。

これを読んで聞きに来たくなる方がいらっしゃるかどうかはまったく定かではありませんが、

ふなちょはふなちょ節が炸裂だし、

日本カント協会会長である大橋さんも 「ケア」 概念を打ち出してカントと真っ向対決モードだし、

私のにぎやかし発表はさておいても楽しいシンポジウムになるだろうこと請け合いです。

ぜひ老若男女お誘い合わせの上、初めての福島大学でのカント学会にお越しください


 〈3.11〉後の「公共」とカント的公共性の闘い

            小野原雅夫(福島大学)

 〈3.11〉という未曾有の複合災害は、日本に「公共」のインフレをもたらしたかのように見える。さまざまな立場の人々がさまざまな観点から公共性や公共的精神、公共への奉仕を強調するようになった。あれほどの被害を生み、5年経った今も未だに回避されない危機にさらされ続けているのであるから、私や個よりも公共が優先されるのは仕方のないことなのかもしれない。問題はその場合の公共が何を意味しているかである。齋藤純一によれば「公共性」にはofficial、common、openという3つの含意があると言う(『公共性』岩波書店、2000)。このうちとりわけ喧しいのは第1の含意、国家的公共への忠誠を要求する声である。このような危機の時代だからこそ公共性を重んじ、各人が果たすべき義務を遂行し、全体のために尽くせと言うのである。このような風潮のなかで権利の回復や生活の救済、人権の擁護を求める者は、あたかもフリーライダーであるかのように国家からも世論からも攻撃にさらされ続けている。
 実は〈3.11〉の発生するずっと以前から、国家的公共の押し付けは進んでいた。高橋哲哉はそれを「犠牲のシステム」と名付けたが(『犠牲のシステム 福島・沖縄』集英社新書、2012)、〈3.11〉以前はこの犠牲のシステムは「安全神話」等によって巧妙に隠蔽されていた。〈3.11〉によって現実に大量の犠牲者が発生した時、国家的公共は犠牲者を救済する方向にではなく、それまでの隠蔽をかなぐり捨ててあからさまに犠牲を強要する方向へと舵を切った。国家的公共とは一線を画すべき公共放送も、「政治的中立」を騙る言論統制に屈して大政翼賛体制の片棒を担ぐに至っている。
 このような状況を目の当たりにしてカントは何を思うであろうか。理性の私的使用と公的使用という対概念を用いて国家的公共をいち早く批判、相対化したのがカントであった。公共性の残り2つの含意に即して言うならば、みんなに共通(common)であるべき公共とは、その時々の多数派や支配的政権や単一の国家のことではなく、少数派も反対派も含んで普遍化可能な国民全体であり、さらには一国家を超えて普遍化可能な世界市民社会でなければならない。また、みんなに開かれて(open)あるべき公共は、隠蔽されたり情報操作されたりすることがあってはならず、すべてが公開の討論の場で批判に服さなければならない。しかしながら、このような世界市民的・公開的公共性は〈3.11〉後の「公共」の前で絶滅の危機に瀕している。その絶望的な闘いについて報告したい。

日本カント協会福島大会開催!

2016-11-08 09:20:52 | カント倫理学ってヘンですか?
人生で一番きつい1週間を送っております。

なんと今週の土曜日 (11月12日)、福島大学で日本カント協会第41回学会が開催されるのですっ!



東北哲学会であれば10年に1度、福島で開催しておりますが、

哲学・倫理学系の全国規模学会が福島大学で開かれるのはたぶんこれが初めてのことです。

しかも、私が福島大学に赴任したときは私のほかにもう2人哲学の先生がいらっしゃいましたが、

順次定年退職になられたあと、後任の先生を取ることができませんでした。

折からの公務員削減、人件費削減の嵐のなかで、どうしても必要というポストの補充が優先されて、

哲学の後任補充は後回しにされてしまったのです。

私としてはそのお2人のポストに関して、もう後任は取らないと決めてしまったわけではなく、

当面後任補充はできないけれどもその2つのポストはまだなくなってしまったわけではない、

ということを当局ならびに大学全体に確認してもらうというところまでで精一杯でした。

というわけで、2008年の3月末 (内田詔夫先生のご退職時) をもって、

福島大学は 「哲学のない大学」 になってしまっているのです。

思わずグチになってしまいましたが、

要するに現在、福島大学には哲学・倫理学系の専任教員は私しかいないのです。

そのたった1人の孤立無援状態で全国学会の開催準備をしなければならないのです。

しかも、うちには大学院博士課程もありませんから、研究者を目指している院生もいません。

私の研究室のゼミ生たちも研究者を目指しているわけではないので学会に入っていないどころか、

学会がどういうところか見たことも聞いたこともないのです。

当日は彼らに手伝ってもらうつもりですが、そこまでの準備はほぼ1人でやるしかありません。

そんな状態だというのに、先ほどのポスターをご覧になってお気づきいただけたでしょうか?

なんと私は公開シンポジウム 「3.11後の 『公共』 とカント ―Kant in Fukushima―」 において、

提題者も務めなければならないのです

シンポジウムというのはいわば学会のメインイベントです。

学会のなかの最もエライ先生方が選りすぐられて最新かつ最重要な話題を提供し、

それに対して全学会員が集中砲火を浴びせるという世にも恐ろしい儀式です。

この提題者に選ばれるというのはたいへん光栄なことではありますが、

それだけ荷が重く、激しいプレッシャーのかかる重責でもあります。

そんな大役をなんで初めて学会の開催校を引き受けるという一会員に押し付けるんですか?

しかも私はほんの3年前にシンポジウムの提題者を務めたばかりじゃないですか

あれで十分じゃなかったんですか?

福島大学での初めての学会をつつがなく成功させるだけじゃダメなんですか?

「テーマがテーマだから小野原さん頼むよ」 って、これって福島差別ではありませんか?

被災者イジメになっていませんか?

とまあ、先週に続いて昨晩も大学に泊まり徹夜してしまったので精神が崩壊しております。

はぁ、ダメだ…。

間に合わない…。

もしも今週の土曜日、学会の準備が何も整っていなくて、

ぼくが大学に姿を現さなかったとしても誰も探しに来ないでください。

学会当日に大学がもぬけの殻で、シンポジウムの提題者が無断欠席したりしたら、

学会の歴史に未来永劫名前が残るだろうな。

うん、それもいいかもしれない…。

はたして日本カント協会福島大会は予定通り開催されるのかっ

シンポジウム 「3.11後の 『公共』 とカント ―Kant in Fukushima―」 はちゃんと執り行われるのかっ

興味のある方はぜひ11月12日 (土)、福島大学にお越しくださいっ

なじかは知らねど犇と結ばれ

2016-11-02 17:20:48 | 人間文化論
次の写真をご覧ください。



センター試験監督用に買った上履きが、

役目を終えて普段用の外履きに下ろされている姿を写したものですが、

注目いただきたいのは靴ヒモの結び方です。

一見、何の変哲もない蝶結びに見えるかもしれませんが、

実は右と左で結び方が違うんです。

右足はフツーの蝶結び。

それに対して左足のほうは 「イアン結び」 という結び方です。

そう言われてよーく目を凝らしてみてみると、中央部分が蝶結びのほうがキレイな形に結ばれていて、

イアン結びは何だか引き攣れているように見えます。

夏前ぐらいだったかにネットかSNSで 「靴ヒモのほどけない結び方」 という記事を見かけて、

ちょっと練習してマスターしたものです。

記事を見たあとしばらくは新しい結び方に慣れなくて四苦八苦していましたが、

ちょうどその頃はまだオリンピック前で、テレビではいろいろな選手が紹介されていて、

福原愛さんが取り上げられたとき、自分の特技として靴ヒモを一瞬で結べることを自慢していました。

それがまさにこのイアン結びだったんですが、本当に手品のようにあっという間に結んでしまうので、

今はまだ慣れていないからぎこちないけど練習すればあんなふうに結べるようになるんだなと思って、

途中で投げ出さずに練習し続けたら、まあ福原さんほど早くはありませんが、

フツーに蝶結びするのと同じくらいのスピードでは結べるようになりました。

この結び方を紹介しているサイトはいくつかありましたが、

下記のサイトが一番わかりやすかったです。


これはマスターしたい…ほどけない靴ひもの結び方「イアン結び」&「イアン・セキュア結び」


ただ、このサイトの図解によると、一番最初にヒモをクロスさせるところが、

今まで50年以上やってきた蝶結びと上下が逆で、

まずそこから長年の慣習と違うことをしないといけないので手間取るところだったのですが、

フツーにできるようになってから試してみたら、

最初にクロスさせるところはどちらが上でも下でも大丈夫みたいです。

図を見ながらあたふたとやっていた頃は上下を反対にすると結べなくなるんだなと思っていましたが、

それは大いなる誤解で、右上でも左上でもイアン結びは可能だということが証明されました。

そして、これで結んでみると本当にほどけないんです。

まあ、この写真の靴はどんなふうに結んでもヒモがほどけたりするタイプではありませんが、

一部の革靴やトレッキングシューズなどで本当にどんなにしっかり蝶結びをしても、

いつの間にか必ずほどけてしまっている靴があったのですが、

これがもう 「なんで?」 っていうくらいまったくほどけなくなったのです。

見た目は蝶結びですから、どうしてこんなに頑丈になったのか全然わかりません。

福原さんもこの結び方だとほどけないんだと言ってました。

あんなに一瞬で結んでいるのにほどけたりせずに犇 (ひし) と結ばれているんだそうです。

残念ながら、さすがのメダリストもその理由まではご存知ないようでした。

うーん、なんでほどけないんだろう?

すごい気になるなあ。

誰かこの謎、解明してくださいっ


P.S.

ちなみにイアン結びと一緒に紹介されていた、

イアン結びの進化形である 「イアン・セキュア結び」 のほうは、

パソコンを横に置いて図を見ながらやっても途中でグチャグチャになってわけわからなくなり、

まだ一度もきちんと結べたことがありません。

たぶん一生覚えられないだろうな…。