まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.倫理学を教える上で難しいと感じることは何ですか?

2009-09-30 19:26:28 | 哲学・倫理学ファック
例年より1日早いですが、今日から看護学校の授業が始まりました。
いつものように初日は、「倫理学の先生に聞いてみたいこと」 からスタートです。
今日もなかなかいい質問や鋭い質問を受けて、なんとか答えてきましたが、
授業中に代表質問として選ばれなかった質問にお答えしていきます。

こんな質問もありました。
「Q.倫理学の教員になってよかったと思うことと、大変だと思うことは何ですか?」
よかったことのほうはまたにして、今日は大変なほうだけお答えします。

これは倫理学に限らず、哲学も同じなんですが、
哲学や倫理学は、実証科学のようにはっきりと答えが出ません。
というよりも、学問のなかで実証的に証明することができずに残された問いが、
哲学や倫理学の問いなのです。
だから、実験や観察やアンケート調査をしてスパッと答えを出すということができません。

しかし、学生の皆さんは小・中・高とずっと答えを出すことを要求されてきましたし、
答えを見つけようとがんばってきたはずです。
だから、そんなところへ、ひとつの正解があるわけじゃないよ、
でも考え続けなければいけないんだよ、と言われても、
今までやってきたこと、やらされてきたこととあまりに違いすぎるので、
なんでそんなことをしなきゃいけないのか、わかってもらえない場合が多いのです。
というわけでお答えは次のようになります。

A.ひとつの正解があるわけではない、けれども考え続けなければいけない、
  そういう問題がこの世にはあり、それを考え続けることには意義がある、
  ということを学生の皆さんに納得してもらえるように説明するのが難しいです。

(ここから先は長くなっちゃいますので、飽きちゃった人は読まなくても大丈夫です)

例えば 「自衛戦争は正しいか正しくないか?」 という倫理学の問いがあります。
これに対しては大ざっぱに言うと2種類の答えが可能で、
「自衛戦争は正しい (または許される)」 という答えと、
「自衛戦争も含めてすべての戦争は正しくない」 という答えがありえます。
この手の自分からは遠い (?) 質問に対しては、
多くの人がどちらかが正解でどちらかは不正解であると考えます。
つまり、自分の意見が正解で、反対の意見をもっている人は間違っていると考えるのです。
しかし、現在までのところ倫理学の中でこの問題に対して結着はついておらず、
正解は出されていません。
もちろん、私もこの問いに対しては自分なりの意見はもっていますが、
それが正解であるとは断言できないのです。
いずれ答えが出る日が来るのか、絶対にひとつの正解がないのかもわかりませんが、
しかしこの問題については世界中の人が考え続けていかなければなりません。
このように聞いて、うん大事な問題だから考え続けていこう、
とみんなに思ってもらえるといいのですが、
たいていの人は、なんだよだったらいいよオレはオレで自分の意見だけもっとくから、
とそこで考えるのをやめてしまうのです。

ここが難しいところだなあと思います。
しかし、もう少し自分に近い問いだったら、正解がなくても考え続けなければいけない、
ということを理解してもらえるのではないでしょうか。
例えば、「自分はどんな職業に就いたらいいのか」 とか、
「AさんとBさん、どちらを選んだらいいのか」 とか
「自分はどのように生きていったらいいのか」 といったような問題です。
これらも、こちらを選べばいいとか、こう生きればいいなんて、
実証的にひとつの答えを決めることができません。
でも考え続けなければならない問いのはずです。
たとえ、いったん看護師になってしまったり、誰かと結婚してしまったとしても、
それで永久に問いが解消するわけではなく、
つねにつねに、どのように生きたらいいかを考え続けなければならないのです。

それほど、ひとりひとりに近い問題を哲学や倫理学が考えてくれるわけではなく、
そういう問題は自分で考え続けなければいけないのですが、
それと同じような種類の問題がこの世にはまだいろいろあって、
それを考え続けていくのが哲学・倫理学なのです。
正解は出ないけれども、大事そうじゃないですか。
と思ってもらえたでしょうか?
うーん難しいなあ、これを説明するのは…。
大変だあ。でもがんばらなきゃ。



三春病院合同研修会 「倫理学入門 幸福の倫理学」

2009-09-29 19:06:19 | 幸せの倫理学
先日、三春町立病院に行ってきました。
三春・田村地区医療職合同研修会に講師として招かれたのです。
いつもは実践的なテーマで研修をされているようで、
「血液データの判読と病態生理」とか 「股関節脱臼に焦点を当てたリハビリテーション」 とか、
いかにも役に立ちそうなテーマばかりが並んでいます。
そんな中なぜ私が招かれたのか、
福島大学卒で私の授業を取ったことがあり、
看護教育の会合で私が講義をしたときにも聞いたことがあるという助産師の方が、
私を御指名で呼んでくださいました。

上記のような実践的な研修をやっている会とは知らなかったので、
打ち合わせの中でなんとなく決めてしまったテーマが、
「倫理学入門 幸福の倫理学」 という楽しげな (怪しげな?) タイトルです。
まあ最近、高校の出前授業とかでやってるような話を大人向けに練り直して、
なんとか楽しんでいただければ、なんて考えておりました。
毎度のことながら、あらかじめきちんと準備をしておくなんてこともできず、
日々の仕事に追われているうちにあっという間に当日が来てしまいました。

たまたま夕方の研修だったので、
当日もギリギリまで資料を作ったり印刷したりしていました。
とはいえ、これも高校の出前授業と同様、用意した資料はマインドマップ1枚きりです。
あとで知ったことですが、参加者の皆さんは私の回に限って、
資料代300円を払ってくださっていたようで、
300円も取ったのにペラペラのA4用紙1枚だけかよと呆れられたにちがいありません。
まあ、こんなマインドマップ1枚で90分も話し続けられてしまうのも、
ひとつの芸といえば芸なので、それで勘弁していただきたいですし、
マインドマップっていろいろなことに使えて便利なんですよということもお話ししましたので、
私としては300円というのもあながち高すぎるわけではないのでは、
などとも思っているところです。

今回の講義では 「受け止め方の問題」「ありがたい話」 を中心に
幸せになる方法をレクチャーしたあと、「ノーブレス・オブリージュ」 の話をはさんで、
最後の 「医療と倫理」 の話につなげるという構成を考えました。
いずれも、そのうちこのブログで論じたいと思いますが、
簡単に言うと、幸せになる方法を身につけて幸せになってしまった人は、
ただ自分が幸せならそれでいいのだろうか、というお話です。
ノーブレス・オブリージュというのを私は 「恵まれた者の責務」 と訳していますが、
人よりも恵まれている人は、その幸福をただ自分のために使うのではなく、
恵まれない人びとに幸せを分かち与える義務があるのだということを意味しています。

昔から 「医は仁術」 と言いますが、
医療というのは人びとに幸せを与える (少なくとも不幸を取り除く) 仕事です。
その意味では医療というのはノーブレス・オブリージュを職業にしてしまったような、
人もうらやむ素晴らしい仕事です。
そういう仕事に携わる人たちにはどのような倫理が求められるのか、
逆に現代は医療従事者がまったく報われない (むしろ迫害されている) 時代ですが、
社会や国家や国民は医療をどのように守っていかなくてはならないのか、
といったことを最後の 「医療と倫理」 のところで語り講義を終えました。
最後の結論は、「自分が幸せでないと人を幸せにすることはできない」 ということでした。
だからこそ、まずは自分が幸せになり、
そしてその幸せを人にも分けてあげるようにしましょう、というのが話の全体像です。

後日、研修会アンケートを送っていただきました。
どんな結果でもいいので、ありのままの声を教えてほしいとお願いしていたのです。
④満足した、③まあまあ満足した、②あまり満足しなかった、①満足しなかった、
の4択アンケートです。
結果は3.84。
ひじょうに高い評価をいただけたのではないでしょうか。
時間もなかったので記述意見はそれほどありませんでしたが、
「自分が本当に幸福であることを実感することができました」 とか、
「今日、話を聞いて幸せになった」 という、
講師冥利に尽きるお言葉も頂戴しました。
三春病院をはじめとして三春・田村地区の医療施設で働く人たちがものすごく幸せになり、
その人たちに支えられて生きている患者の皆さんにその幸せが伝播し、
そして三春から福島へ、福島から日本へ、日本から世界へと、
幸せが広がっていくことを祈っています。


(たぶんマインドマップは中身をまったく読めないだろうと思います。
 なんとかうまいこと公開する方法はないか、模索中です。)

「先生文化」 と 「さん文化」

2009-09-28 12:47:24 | 人間文化論
大学の頃は先生のことを 「先生」 と呼ぶのが当然でした。
(先生から直接、前回みたいな話を聞かされたのですから当然そうなります)
大学院は、学部の頃とは別の大学院に進学したのですが、
そこもやはり 「先生文化」 でした。
私は 「先生文化」 はキライではなかったので、居心地はよかったです。
先生文化の中では 「先生」 と対を成す呼称があって、それが 「君」 です。
こちらは先生のことを 「○○先生」 と呼び、先生は私のことを 「小野原君」 と呼びます。
大学時代までは先生からは呼び捨て (「小野原」) だったと思いますが、
大学院からはちゃんと 「君」 をつけて呼んでもらえるんだと、
それも新鮮だった記憶があります。
私は、呼び捨てもキライではなかったし、「君」 づけもキライではありませんでした。
(だからか、自分のゼミでも親しくなってくるとつい呼び捨てになっています)

「先生―君」 に付随して、学生どうしでは 「さん―君」 が使われていました。
先輩のことは 「○○さん」、後輩のことは「○○君」 と呼ぶのです。
同学年どうしは 「君」 づけだったかな?
それから当時はセクハラという言葉がまだなかった時代ですので、
男女で 「君」 と 「さん」 の使い分けをしていました。
つまり、男性の同輩と後輩は 「君」 づけ、先輩と女性はすべて 「さん」 づけとなります。
先生も女子学生に対しては 「さん」 づけだったと思います。
この 「先輩―後輩、男性―女性区別文化」 も気に入っていたので、
当時から自然に使っていましたし、未だにゼミの中でも男女を分けて呼んでしまったり、
久しぶりに大学院時代の後輩に会うと、やはり 「○○君」 と呼んでしまったりします。

このような先生文化の中で育ってきたわけです、私は。
それが文化のひとつとも思わず、自然にそういうもんだと思っていました。
そしてそう信じ込んだまま、福島大学に就職してきたのです。
1994年の春には福島大学教育学部に4名の新任教員が同時に赴任しました。
みんなほとんど似たような年齢でしたし、
そのうちのひとりS先生は、集団づくりを専門に研究しているような方でしたから、
すぐに仲良くなって、さっそく飲みに行くことになりました。
で、私はT先生に向かってごく当たり前に 「T先生」 と呼びかけたのです。
するとT先生は、ぼくを含めた3名に向かって次のように宣言したのです。

「お互いに 「先生」 と呼び合うのはやめませんか。「さん」でいいじゃないですか。」
 
私はその提案がよく理解できませんでした。
たしかに同僚どうしというのは、直接の師に当たる人ではありませんから、
自分にとっての 「先生」 ではないかもしれませんが、
しかし、大学や大学院の先生方を見ていると (小中高も)、
みんな互いに 「○○先生」 とか 「先生」 と呼び合っていました。
だから先生文化好きの私としては、
就職後も互いに 「先生」 と呼び合うもんだと思っていたのです。

ところが、その提案理由を聞いてみるともっとびっくりでした。
T先生が通っていたT大学は 「先生文化」 ではなかったそうなのです。
教員と学生、先輩と後輩、男性と女性、一切の区別を排除して、
全員互いに 「さん」 づけで呼び合っていたそうなのです。
私はにわかには信じられず、
「指導教員の先生のことも「さん」?」 と聞いてしまったくらいです。
そのとき私は32歳にして初めて 「さん文化」 の存在を知ることになりました。
そんな平等な文化があるのかと呆れてしまいました。
身体の芯まで上下関係文化が染みついている私には、
「さん文化」 はものすごく違和感がありましたが、
とにかく同期入社どうしは 「さん」 でいいじゃないかというのは妥当な提案でしたので、
Tさんの提案は受け入れられることになりました。
その後入社してきた先生方にも、互いに 「さん」 でいきましょうと言って、
「さん文化」 はじょじょに広まりつつあります。

しかし、教育学部社会科の中は 「先生文化」 でした。
私のような一番下っ端はすべての先生を 「先生」 づけで呼びます。
呼ばれ方はまちまちで、
年下の私に向かっても 「先生」 をつけて呼んでくれる哲学のU先生のような方もいれば、
「さん」 づけの方、「君」 づけの方、酔うと呼び捨ての方などいろいろいらっしゃいました。
どれもまったく不快ではなく、上下関係文化の私には自然なものでした。
私より後から赴任していらっしゃった先生方には、
「さん」 づけでいきましょうと提案していますが、
社会科の 「先生文化」 の中にいるとどうしても引きずられてしまうのか、
つい 「小野原先生」 と言ってしまう人が多いようです。

現在は平等文化と上下関係文化がぐちゃぐちゃに混在している状態です。
その場に応じて使い分けていると言いたいところですが、
使い分けるというほど自覚的ではないので、
自然と口をついて出てきてしまっているという感じです。
やはり、学生さんに対してがきちんと首尾一貫しておらず、
あるときは全員を 「さん」 で呼んでみたり、
あるときは男性は 「君」、女性は 「さん」 になってみたり、
ふと気づくと呼び捨てにしていたり、
マイミクさんとはミクシィネームで呼び合ってみたりと、本当に行き当たりばったりです。
そのうち何とか統一したいと思っております。
皆さんのほうは私のことをとりあえず 「まさおさま」 とお呼びっ

はかどりネコさん

2009-09-27 12:28:20 | お仕事のオキテ
仕事をしていてミョーにはかどってしょうがないというときはありませんか。
ふだんは遅々として進まず、気も乗らないし、逃避ばかりしてしまうのに、
なにかのきっかけで一度波に乗ると、もう憑かれたように時の経つのも忘れて、
仕事にのめりこんでしまうというようなことはありませんか。
私の場合、仕事というと論文であったり委員会資料であったり、
いずれにせよ文章を書くという作業が中心になりますが、
書く内容もあとからあとからいろいろ思いついてしまうし、
実際の文もいい接続詞とか、いい言い回しがすらすらと思い浮かんで、
長い文章が苦もなく書けてしまうなんていうことがあるのです。
こういうときはものすごく集中力が高まっているので、
お腹が空いていることも、終電がなくなりそうなこともすっかり意識から飛んでいます。
まあめったにこういう状態になることはありませんが、
ごくまれにこういうときがやってくるのです。

スポーツの世界ではこういう状態のことを 「フロー状態」 と呼ぶそうです。
ものすごく集中力が高まって最高のパフォーマンスを発揮できてしまうような状態のことです。
スポーツの場合は、試合のたびにコンスタントに最高のプレーができなくてはいけないので、
メンタル・トレーニングとかスポーツ・コーチングなどによって、
いつでもこのフロー状態に入れるように訓練するわけです。
福島大学の白石豊先生がこの道の権威であることは皆さんもご存じの通りです。

しかし私の場合は、まったくコントロールできていませんので、
いつこのフロー状態がやってくるか、皆目見当がつきません。
たいていは締め切りギリギリになって、
もう絶対間に合わないとほとんどあきらめかけた頃に、
急にフロー状態に入って、なんとか事なきを得るということが多いですが、
けっきょくフロー状態はやってこなかったとか、
締め切りとは関係なく急に盛り上がっちゃうこととかも稀にあり、
まったく予測が立たず、計画も立てられないので、扱いに困っています。

そのため我が家では、フロー状態に入ることを、
「はかどりネコさんがやってきた」 と呼んでいます。
『ぼのぼの』 という哲学マンガをご存知でしょうか。
主人公のぼのぼの (ラッコ) をはじめとするゆるキャラたちが、
ミョーに間の抜けた、しかしそれがゆえに根源的かつ哲学的な会話を交わす4コママンガです。
そこに登場してくる唯一の知性派が 「スナドリネコさん」 で、
そのキャラとゴロに引っかけて、
仕事がミョーにはかどるフロー状態のことを 「はかどりネコさん」 と命名し、
コントロール不能でいつ入れるかわからないフロー状態に入ることを、
「はかどりネコさんがやってきた」 と呼びならわしているのです。
はかどりネコさんは本当に気まぐれなので、いつやってくるかわかりません。
いつでもやってこられるように、パソコンのデスクトップには、
はかどりネコさんの画像 (冒頭の画像です) が貼り付けてあるのですが、
どうもそんなことはまったく意に介していないようです。
次の締め切りのときにはちゃんとやってきてくれるよう、心の底からお願い申し上げます。

新たな命、新たな使命

2009-09-26 11:58:20 | 生老病死の倫理学
ご覧ください。
スッキリしているでしょう。
あれ、わかりませんか?
いつもと違う方向から撮影してみたので、印象が違いすぎる?

では、こちらをご覧ください。
ご心配おかけしていた旅人の木ですが、
プチ専門家の方にもご意見をうかがったりしつつ、
けっきょく4枚のうち3枚の葉っぱを伐採することになりました。

これはけっして安楽死や尊厳死ではありません。
よーく見てみたら、1枚残した葉っぱの途中から、
なんとこんなものが出てきていましたので、
その新芽の成長を促すために、育ちすぎた葉っぱには本来の用途を与えることにしたのです。
ウィキペディアによると、旅人の木というのは、
「茎に雨水を溜めるため非常用飲料として利用され、この名前が付いた」んだそうです。

というわけで、切り取った葉っぱは道行く旅人にお譲りしようと思います。
さらにこの大きく育った葉っぱは、日傘としても十分使用に耐えます。
これから絶好の旅行シーズンですね。
砂漠や砂丘を旅する方は、ぜひこの 「旅人の葉っぱ」 をご利用ください。
先着3名様に無料でお譲りいたします。

メッセージは肯定文で!

2009-09-25 08:54:58 | 幸せの倫理学
スポーツ・コーチングの世界では、
「メッセージは肯定文で」 というのが常識になりつつあります。
つい日本人は危機管理のほうを重視してしまうので、
「ミスするな」 とか 「ボールから目を離すな」 みたいに、
否定文で指示を出しがちですが、
そうやって言われると人間の脳は否定のところまで捉えきれずに、
ミスをすることやボールから目を離すことに意識が向いてしまうのだそうです。

さて、写真のTシャツですが、
これは古田がスワローズの監督になった年に発売されていたもので、
その年の球団のキャッチコピーが入っています。
ちょっと小さいですが見えますでしょうか。
「Don't Miss the Chance !」
日本語にすると 「チャンスを逃すな!」 ということでしょう。

これが発表になったときに、ああ今年はヤバイな、と予感しました。
むろん古田の監督就任に沸きかえっていたときですから、
そんなこと口に出して言ったりはしませんし、
こうやって球場でもすぐにそのTシャツを買ってしまうくらいですが、
しかし、素人の私でも知ってることなのに古田監督は大丈夫かなあと、
シーズン開幕前から私の中では暗雲が垂れこめていました。
その後の経緯は皆さんご存じの通りで、
チャンス逃しっぱなしのまま退任劇に追い込まれてしまいました。

こういうときは 「Don't Miss the Chance !」 ではなく、
「Get the Chance !」(「チャンスをつかめ!」) と言わなくてはなりません。
これはスポーツに限らず、教育的指導場面全般に当てはまりますので、
みんな覚えていてください。  (×「忘れないでください」)
メッセージは肯定文で!   (×「メッセージを否定文で言ってはいけません」)

先生文化

2009-09-24 10:04:32 | 人間文化論
これも故・宮川透先生から教わったことですが、
「先生」 という敬称は、平民に対して用いることのできる最高の敬称なんだそうです。
生まれつき身分の高い人に対しては、「閣下」 とか 「陛下」 なんていう敬称がありますが、
民主主義の時代においてはそういう敬称を使える相手はほとんどおらず、
そうすると 「先生」 というのがせいぜい用いることのできる
最高位の敬称になるのだそうです。
だから医者や弁護士や国会議員もみんな 「先生」 と呼ばれたがるのですね。

そのことを教わるまでずっと私は、
「先生」 というのは「教師」 のことを意味する一般名詞だと思っていましたので、
先生に向かって 「○○先生!」 と呼びかけるのは、
警官に向かって 「○○警官」 と呼びかけたり、
特捜隊の隊員に向かって 「○○隊員」 と呼びかけるのと同じこと、
つまり職業名、役職名で相手を呼ぶのと同じことだと思っていました。
したがってそれが敬称である、しかも最高の敬称であるとは知らなかったので、
先生に年賀状を送る場合は、わざわざふだんの呼び方とは変えて、
自分の知っている最高の敬称である 「様」 を使い、
「○○○○様」 と書いて送っていました。
それはとんだまちがいで、本当にその人を敬っているのなら、
封筒などの表書きも当然 「○○○○先生」 とすべきであると教わりました。

さらに敬意を表したいなら、こんなやり方もあると習いました。

 ○ ○ ○ ○ 先 生
            玉案下

というふうに 「先生」 の脇に 「玉案下」 とか 「机下」 といった語を添えるやり方です。
これは直接相手に言葉を届けるのではなく、相手の机の下までお届けしますといった意味で、
「閣下」(立派な御殿の下) や 「陛下」(階段の下) と同じ発想の敬語です。
宮川先生に年賀状をお送りするときには、この 「玉案下」 も使ったりしていましたが、
さすがにその後、ここまで敬意を表することはしなくなりました。
しかし、あいかわらず恩師の先生方に手紙やハガキをお送りするときは、
ちゃんと 「先生」 という敬称をつけるようにしています。

とまあ、尊敬する先生に直接そう教わったので、それをずっと鵜呑みにしていたのですが、
その後いろいろな辞書を調べてみても、
平民のあいだで使える最高の敬称である、という部分については確証が取れません。
「学徳のすぐれた人。自分が師事する人。また、その人に対する敬称。」とか
「医師・弁護士など、指導的立場にある人に対する敬称。」という記述はありますが、
最高の敬称であるとは明記されていません。
この点についてなにかご存じの方は情報提供をお願いいたします。

はっきりしない点はありますが、
とにかく 「様」 よりは 「先生」 のほうがはるかに格上の敬称であることは疑いありません。
さて、教師になった皆さん、教師をめざしている皆さん、
皆さんのまわりには 「先生」 があふれていることと思います。
同僚どうしで互いを 「先生」 呼ばわりする必要はないと思いますが (この点はまた論じます)、
いろいろと指導してくださり本当に尊敬できる先輩や上司の先生方、
実習や研修でお世話になった先生などに礼状や年賀状などをお送りすることもあるでしょう。
そういうときには表書きはちゃんと 「○○○○先生」 とするようにしましょう。
「様」 を使うときは、この人のことは大して尊敬していないから 「様」 でいいやと、
自覚的に 「様」 と 「先生」 を使い分けるようにし、
心から尊敬していてふだんは 「○○先生」 と呼んでいるのに、
手紙やメールの時だけわざわざ 「○○○○様」 にしてしまうなんていう、
小学生のようなミスはしないように気をつけてください。

人工呼吸器と心臓死

2009-09-23 08:55:39 | 生老病死の倫理学
前回は、我が家のまぬけな経験を披露することによって、
心臓死は人の死かという問題を提起するにとどまりましたが、
今回はもうちょっと学術的に考えてみましょう。
私が言いたいのはこういうことです。
心臓死は三徴候(心停止、呼吸停止、瞳孔散大)によって判定されるのですが、
現代医療は、心臓死を少しでも防ぐべく進化を遂げてきた結果、
心停止後や呼吸停止後の蘇生術を可能にしましたし (これが前回のお話です)、
血液循環や呼吸を人工的に補完するシステムを開発してきました。
このような時代にあってはもはや、
三徴候による死の判定は不可能になってしまったと言うべきでしょう。
したがって現代においては、心臓死は人の死の定義や判定基準として
十全に機能しえなくなってしまっているのではないでしょうか。
心臓死の代わりに今後は脳死を用いるべきだとまではまだ即断できませんが、
なんらか新しい人の死の概念を作り出すか、
あるいは少なくとも、三徴候によらない心臓死の判定方法を開発する必要があるでしょう。

例えば、手術中に人工心肺装置を用いて血液循環と酸素供給をまかなうことがあります。
このときその患者は生きているのでしょうか、死んでいるのでしょうか?
心臓死の三徴候のうちの2つは、自発的な機能としては失われており、
人工的・機械的に行っているわけです。
だからといってこの人を死者として扱うのはおかしなことでしょう。
手術終了後に人工心肺装置から離脱して、自発鼓動や自発呼吸が戻ってくれば、
その人は当然、ずっと生きていたものとして扱われます。
戻ってこなければ死です。
ここではすでに、一時的 (可逆的) 停止と不可逆的停止との区別が重視されているはずです。

厳密な意味での脳死者 (この点についてはまたそのうち論じます) は、
自発呼吸が不可逆的に失われて、人工呼吸器によって呼吸が保たれています。
瞳孔も散大しています。
しかし心拍は心臓の自動機構によって維持されています。
これは三徴候のうち2つは満たされているけど、最後の1つが残されているから、
まだ死とは言えないのでしょうか。
しかし、心拍は継続していますが、これは自発鼓動と言えるのかどうか、
人工呼吸器を外してしまえば心拍も停止します。
つまり、呼吸も心拍も人工呼吸器に依存しているわけです。
人工呼吸器ももとはといえば、一時的な呼吸停止を補完するために開発された機械ですが、
人工心肺装置と異なり半永久的に装着しておけるので事態を厄介にしています。
人工呼吸器のもとでは、心臓死という概念が意味を成さなくなってしまっているのです。

ひと昔前は、脳死になってしまえば数日のうちに心臓も停止すると言われていました。
しかしその後、抗利尿ホルモンと昇圧剤を投与することにより、
脳死状態のまま何ヶ月も何年も何十年も維持することができるようになっています。
人工呼吸器につないでおけばまさに半永久的に、
脳死状態のまま心臓を鼓動させておくことができるのです。
はたしてこの人はどうやったら死ぬ (心臓死する) ことができるのでしょうか。
人工呼吸器が普及してしまった現在においては、
もはや心臓死では人の死を語ることができなくなっている、
それが私の結論です。

教職につきものの危険性 (その4)

2009-09-22 09:41:50 | 教育のエチカ
教職につきものの危険性(その4)は、今まで論じてきたことと関連していますが、
その中でも最も根本的な問題です。
それは教職というのが、子ども相手の仕事である、ということです。
教員志望者はよく 「私は子どもが大好きです」 とか目をキラキラさせて言ったりしますが、
そういうことを言う人ほど、教職につきもののこの危険性に気がついていない人が多い、
というのが、私のこれまでの経験から導き出された結論です。

世のほとんど大部分の仕事は大人相手の仕事です。
教師ももちろん、保護者や地域の人々など大人の相手をすることもありますが、
90%以上は子どもに向き合っています。
子どもは大人に比べてどういう特徴があるでしょうか。

・肉体的に力が弱い
・思考力が弱い
・人生経験が少ない
・知識が少ない
・自分にとって何が最善かをわかっていない
・言われたことを信じやすい
・成長過程なので影響を大きく受ける

いずれも高校生くらいになると逆転する可能性も出てきますが、
肉体面以外はだいたいどれも大学生くらいにまで当てはまると言えるでしょう。
こういう子ども相手の仕事だからこそ、
教育という仕事はパターナリスティックにならざるをえないのですが、
先にも論じたように、教育におけるパターナリズムは、
子ども相手であるがゆえに、過剰になったり、歪んでしまったりしやすいのです。
教師と子どものあいだには圧倒的な力の差が存しているので、
そこには支配―被支配の関係を打ち立てやすいのです。

そのうち別のカテゴリーを立ち上げてまた論じようかと思っていますが、
教師が生徒と肉体関係をもってしまうという不祥事が数多く報告されていますが、
それもこの問題から派生してくるものだと考えています。
肉体的な力の差を利用して暴力的に行うのであれ、
それとも、人生経験や思考力の差を利用して合意を作り上げて行うのであれ、
いずれも支配―被支配の関係によるものと言えるでしょう。

ここまで極端な例に走らずとも、
教育の中で、相手が子どもであるがゆえに可能となってしまうことは、
いくらでも見つけ出すことができるでしょう。
「子どもってカワイイ」 なんてキャピキャピしてる場合ではありません。
子ども相手の仕事であるがゆえの危険性を察知し、
どう自分に歯止めをかけたらいいかつねに考えておいてください。
何よりも大事なのは、たとえ子どもであっても一人の人間として尊重し、
つねに尊敬の念をもって接することです。
「カワイイ」 という感情の中には尊敬の念は含まれていないということを、
肝に銘じておく必要があるでしょう。

哲学者は長生きしたもんの勝ち

2009-09-21 20:16:17 | お仕事のオキテ
大学時代の恩師・宮川透先生は生前よくこんなことをおっしゃっておられました。
「哲学は経験科学である。
 人生経験を積まないと哲学の答えは見つからない。
 だから哲学者は長生きした者の勝ちなんだ。」
ここで言う 「経験科学」 というのは普通の意味での実証科学のことではありません。
哲学が論じている問題で、経験的に実証可能な事柄ってほとんどありませんから。
宮川先生がおっしゃっていたのは、
哲学者は書斎にこもって本ばかり読んでいたのでは真理に到達することはできない、
普通の人間として世間に出て人生経験を積んでいく中で、
年を取るにつれてやっと真理に目覚めていくのだ、ということだったのではないでしょうか。

この話をするときに先生が必ず例に挙げられたのがカントでした。
カントの第一の主著と言われている 『純粋理性批判』 が出版されたのは1781年、
カントが57歳のときでした。
カントはそれまでもたくさんの論文や著作を書いていましたが、
しかし、『純粋理性批判』 を著さなければ、
これほど歴史に名を残す哲学者になってはいなかったでしょう。
それをやっと書き上げ出版できたのが57歳のときなわけですから、
それよりも早く亡くなったりしていたら、
世界中で未だに研究され続けるイマヌエル・カントは存在しないままだったかもしれないのです。
当時の平均寿命のことを考えると、
長生きできたこと自体もカントの才能だったと言えるでしょう。

私は以前、世界一詳しい 「カント年譜」 の作成に携わったことがあります。
それをパラパラと眺めてみると、
カントは何歳の時に何をやっていたのかがわかってタメになります。
私は現在47歳ですので、カントが47歳だった1771年に何をやっていたかを見てみましょう。
その年は、カントがケーニヒスベルク大学に正教授として就任した翌年に当たります。
それまでカントは正規採用されたことはありませんでしたので、
今で言えばフリーターを40代の半ばまでずっとやっていたわけです。
それと比べると私なんてもう就職してから15年も経っていますから、
本当に恵まれた人生と言えるでしょう。

ドイツの大学では教授に就任するにあたって、教授就任論文を書かなければなりません。
カントはこれを前年の1770年に、
『可感界と可想界の形式と原理』 というタイトルで出版しています。
そして、翌1771年、47歳のときカントの頭には、この論文をさらに発展させた、
「感性と理性の限界」 というタイトルの著作を書くアイディアがひらめきました。
これがまさに、のちの 『純粋理性批判』 として結実することになるわけですが、
実際に 『純粋理性批判』 が出版されたのはこの10年後の1781年。
つまり、それまでの 「沈黙の10年間」 と呼ばれるカントの苦闘が
ここから始まることになるのです。

ていうのを見ると、なんだかとっても気が楽になります。
まだ特にたいしたアイディアを得ているわけではありませんが、
カントは今から10年間沈黙していたんだなあ、というのはなんだかいい話じゃありませんか。
もちろんその頃もたくさんの哲学者がいて、
大学教授におさまったとはいえ、その地位はけっして安穏としたものではなく、
自分の発想に一方で気負いを感じつつ、
それがなかなかまとまらずに焦りもあって、
早く早くと思いながらも、じっくり大きく育てていっている、その10年間。
カントはどんな気持ちでその10年の1日1日を過ごしていたのでしょうか。
急く気持ちで、どんなに中途半端でもいいから、
早く出版しちゃいたいと思ったこともあったでしょう。
でもその翌日には、いやいやこの仕事はとことんやるからこそ意味があるんだと自分を戒め、
一文一文を積み重ね、一章一章丹念に仕上げていくしかないと自分に言い聞かせ、
少しずつ少しずつ 『純粋理性批判』 のテキストを書いていたのかもしれません。
もちろん大学の日々の授業はありますから、
その準備に追われてなかなか執筆にかかれないということもあったでしょう。
就職したばかりだというのに、この10年のあいだに2度も学部長をやらされています。
大学の雑務や運営の仕事は現代ほどたいへんだったとは思いませんが、
それでもいくばくかは時間を取られていたでしょう。
それにしても、一般的には仕事盛りと言われる40代後半から50代前半にかけての時期を、
カントは研究面ではなんの成果も世に問わないまま、
ひたすら自らとの格闘のみに費やしていたのです。

その時間はけっしてムダではありませんでした。
80年代から90年代にかけて、カントはこの上ない多産な時期を迎えますが、
それもこの10年の呻吟があったからでしょう。
まあ自分をカントと比べるわけではありませんが、
とりあえず長生きさえしておけば、何とかなるかもしれないという気がしてきます。
日本はどちらかというと夭逝した天才をもてはやす傾向にありますが、
哲学に関しては長生きしたもんの勝ちということで、
なんとか自分が納得した作品を残せるくらいは長生きしたいと思います。


今ここにある危機

2009-09-20 18:53:57 | グローバル・エシックス
私はノストラダムスの大予言を信じていたという話をしました。
1999年第7の月を過ぎてしまった今日からすると、
いい大人がなんでそんな戯言に騙されてしまったんだと、
嘲笑されてもしかたがないでしょう。
しかし、米ソ冷戦の当時、核戦争による世界滅亡というシナリオは、
世界が若干の紛争の種を抱えながらも平和に共存していくというシナリオよりも、
はるかにリアリティがありました。
人類は地表を複数回、廃墟に変えてしまえるだけの核兵器を保有しているわけですし、
ほんの数名の人間が発射ボタンに手をかけるだけで、それらが飛び立つのです。
世界が破滅に向かわずにいつまでも存続し続けられるという想定のほうが、
私にはむしろ荒唐無稽なお話に思われました。

先日、スカパー!で 『13デイズ』 をやっていて、ついまた見てしまいました。
1962年のキューバ危機を描いた映画です。
キューバ危機とは、核の発射ボタンが押されて第三次世界大戦が勃発してしまう、
ギリギリのところまでいった悪夢のような経験です。
この2週間のあいだに Games of Perceptions が繰り広げられ、
双方の憶測がさらに憶測を呼び、事態は収拾不能になるかと思われました。
このときブッシュが大統領だったら、6日めぐらいに世界は廃墟と化していたでしょう。
幸いにも当時ホワイトハウスにいたのは、
ケネディ大統領と弟のロバート、その友人のケネス・オドネルという
まだ40代の若い政治家のチームでした。
彼らは Games of Perceptions に翻弄され、時に判断を誤りながらも、
粘り強く交渉を続け、辛うじて世界大戦に突入することを回避することができました。
映画の中では、ケネディ大統領が 『八月の砲声』 という著作を読んで、
Games of Perceptions の恐ろしさをあらかじめ理解していたことが、
この危機に冷静に対処できたひとつの要因であったと描かれていました。

もちろん映画ですから、based on true story とはいえ、いろいろ脚色してあるのでしょう。
しかし、世界が震撼し、固唾をのんで見守ったのは事実だったと思われます。
この映画の最後には、私が以前に引用したケネディ大統領の1963年の演説が使われていました。
キューバ危機というリアルな恐怖を乗り越えた直後だったからこそ、
あの言葉の重みはよりいっそう増すのだろうと思います。

さて、私が世界の最後を覚悟するにいたった軍拡競争の現実は未だに変わっていません。
というか、核保有国も核保有量もあの頃より確実に増え、
米ソ冷戦は解消したものの、バランス・オブ・パワーは崩れ、
核の管理体制も揺らいでしまっています。
どの国も核の保有を望み、
唯一の被爆国であり平和憲法を擁するあの小国ですら核武装を真剣に検討する始末です。
1999年7月というタイムリミットが過ぎたといっても、
核兵器を用いた第三次世界大戦というシナリオのリアリティは、
まったく色褪せていないように思われるのです。
オバマ大統領が 「核のない世界」 を提唱していますが、
アメリカ合衆国の中ですら、それが受け入れられるとはとうてい思えません。

しかし、現実に打ちのめされ、変革は不可能だとあきらめるより、
わずかな可能性に賭けようではありませんか。
あのアメリカの大統領が核廃絶を言い出したりするのです。
そんなことほんの1年前までは誰も想像すらしていなかったでしょう。
それを言ったら1980年代には、米ソ冷戦が解消するなんて誰一人考えていなかったはずです。
世界はまったく変わっていないという見方も、
世界は少しずつ変わりつつあるという見方も、どちらも成り立ちうるのです。
だとしたら、変革の可能性に賭けたほうが楽しいではありませんか。
今ここにある危機を自覚した上で、それを乗り越えていく夢をみんなで見ようではありませんか。

ブタがいた教室

2009-09-19 22:38:33 | 教育のエチカ
福島駅の近くにはレンタルビデオ屋がなくなってしまったために、
最近ではネット宅配レンタルを利用しています。
毎月一定額を払い込むことになっており、その額を払っている限り延滞料は不要です。
とはいえ、延滞している限り次のDVDは借りられないわけですし、
けっこう高い月額を払っているのですから、
借りたらすぐに見て返すのがいいに決まっています。
しかし、この制度の恐ろしいところは、なんとなく延滞料タダに引きずられて、
せっかく送られてきたDVDをついついほったらかしにしてしまうということが
多々生じてしまうというところです。

ましてや見たくて借りたというよりも、
見なきゃいけないから借りたような気の重い作品なんかは、
どうしても先延ばしになりがちです。
『ブタがいた教室』 がまさにそういう作品でした。
夢にまで見ちゃうくらい気にかかっていながらも、
あの夢と同じような展開が必至な悲しいストーリーであることはわかっていますから、
ハリウッド系アクション・コメディ好きの私としては、
どうしても後回しにしたくなってしまいます。
けっきょく延々2週間くらいほったらかしていたでしょうか。
さすがにもうこれ以上キープし続けておくわけにはいきません。
これを借りたくてずっと待っている妻夫木ファンもいらっしゃることでしょう。
というわけで、とうとう見てしまいました。

実際に見てみると、そこまで思い詰めるほど重たい作品ではありませんでした。
むろん扱っているテーマがテーマですから、すごく考えさせられますし、
泣き虫の私はダーダー泣いてしまいます。
でも映画自体はとてもさわやかで、軽い感じに (というと言い過ぎ?) 仕上がっていました。
実話に基づいているとはいえ、映画化するにあたってそうとう工夫したことがうかがえます。
脚本とキャスティングの勝利でしょう。
また子どもたちが激論を交わすシーンの台本はセリフが白紙で、
子役たちに本気で議論させたそうで、
そうした演出も成功の要因だったといえるでしょう。

今回もこの映画ならびに実践のテーマそのものに関しては何も言いませんが、
映画を見て心に残ったポイントを3点上げておきます。
まず第1に、子どもたちが真剣に 「責任」 について議論していたということ。
生き物を飼うことの責任、生き物を食べることの責任、すなわち生命に対する責任。
そんな大テーマをめぐって小学校6年生が限界ギリギリまで激論を交わしていました。
責任という言葉でついつい比較してしまうのはあの政党ですが、
あの党に属して政権を担っていた閣僚の方々は、
この子どもたちほど真剣に命について議論してくれていたのでしょうか。
日本国民が戦地で誘拐されてしまったときに、
(たとえその人が同政党と政治的信念を異にしているとしても)
あるいは年金記録問題が発覚したときに
日本国民の生命に対する責任についてどこまで本気で考えてくれたのでしょうか。
子どもたちの姿を見ていて、なぜかそんなどうでもいいことを考えてしまっていました。

第2に、教師の同僚性について。
『フリーダム・ライターズ』 のときにはエレンは孤軍奮闘だったと書きましたが、
妻夫木演ずる星先生は本当に同僚たちに守られていました。
特に映画の中では、原田美枝子演ずる校長先生が秀逸でした。
新採用教員が (たぶん) 最後までの見通しもなく思いつきで始めた実践の
意義と困難を本人以上に見抜いたうえで、全力でサポートしてくれる。
こんな校長先生がいてくれたら、
そりゃあ先生たちは安心していろんなチャレンジができるよなあ。
こんな上司の下で働きたい、最高のモデルだと言えるでしょう。
現実には、ここまで肝の据わった校長先生はどれくらいいらっしゃるのでしょうか?
また、大杉漣演ずる教頭先生も一見意地悪で小心っぽく見えますが、
常にとてもいいアドバイスを与え続けていました。
こういう学校で働けるというのはそうめったにあることではないかもしれませんが、
しかし、これからの学校は (学校に限らず職場はどこでも) こうあってほしいものです。

第3に、教育と子どもたちの成長との関係について。
映画のわりと最初のほうで、校長先生がこんなことを言います。
「子どもたちはしたたかです。」
最後のほうでは星先生がこんな感じのことを言います。
「君たちは先生が思っていた以上に学んでくれた。」
上述したように、最後までのはっきりした見通しもなく始めた実践だったんだと思いますが、
生徒たちは、教員の側の準備不足なんてものともせず、
この実践から多くのことを学び取り、大きく成長していったように見受けられました。
教育ってたぶんそういうもんなんだろうなあと思います。
教員の側の思いつき (教材といってもいい) がうまくヒットしさえすれば、
生徒たちはこちらの思惑を超えて学び、成長していってくれるのでしょう。
学習指導要領やヘルバルト主義 (発達段階にあった教育) なんて軽々と踏み越えて、
けっこう高度なことまで学び取ってしまえる力強さを
子どもたちは持っているのだなあと思いました。
逆に言うと、こちらがどれだけ精魂傾けて準備した授業でも、
教材が彼らにとって魅力的でなければ、
空回りに終わってしまうという恐ろしさもあるということでしょう。
教育って本当に難しいなあと、でもだからこそ面白いよなあと思いました。


P.S.
今日の話はどのカテゴリーに分類しようかと悩みました。
本来ならアルパカ同様 「生老病死の倫理学」 に入れるべきでしょうが、
あまりその手の話は中心的ではありませんでした。
そこで 「お仕事のオキテ」 に入れるか 「教育のエチカ」 に入れるか悩んだあげく、
「教育のエチカ」 ということにしました。
まあ分類 (=カテゴリー) そのものがどうでもいいということの証ですね。

倒れた

2009-09-18 23:56:44 | 生老病死の倫理学
ご心配おかけしている、うちの旅人の木ですが、

あのデカイ葉っぱのうちの1枚がとうとう自重を支えきれずに、

倒れてしまいました。

うーん、他の葉っぱも時間の問題だろうなあ。

彼らを何とか救う手立てはあるのだろうか。

自然に弱い私はこういうときに為す術がないんだよなあ。

いっそ安楽死させてあげるべきだろうかなんて考えちゃうのは、

救命するための知識と力量が欠如しているからでしょう。

やはり安楽死とか尊厳死というのは、

やるべきことをすべてやり尽くした後に初めて出てくる、

最後の手段であるべきなのでしょう。

さて、それでは今は何ができるんだろう? うーん。

教職につきものの危険性 (その3)

2009-09-17 15:39:10 | 教育のエチカ
教職につきものの危険性 (その3) は、
過剰なパターナリズム、歪んだパターナリズムです。
この話をするために 「教育におけるパターナリズム」 の話をしておいたのですが、
その後1ヶ月以上、また放置プレイをしてしまいました。
そこでも書きましたが、弱いパターナリズムというのは必要不可欠であり、
教育というのはまさにそうした営みであるので、
教育がパターナリスティックだからといって、ただちに悪いということにはなりません。

しかしながら、いくら相手のためを思ってとはいえ、
パターナリズムというのは相手の自由を抑圧することでもありますから、
パターナリズムが過剰にならないように気をつけなくてはなりません。
相手のためにあらゆる危険性を回避しようと、
何から何まですべて先回りして決めておいてあげようとしはじめると、
キリがなくなってしまいます。
そうすると相手ががんじがらめにされて自由を喪失してしまうぱかりでなく、
いつまでたっても自立できないということになりかねません。
パターナリズムは過剰になりやすいというメカニズムを理解しておく必要があるでしょう。

過剰なパターナリズムよりも怖いのは、パターナリズムが歪んでしまうことです。
パターナリズムとは、
「専門家が素人の利益を考慮して、素人が何をするべきかを決めてあげること」 でしたが、
この 「素人の利益を考慮して」、すなわち 「相手のためを思って」 という大前提の部分が、
たんなる建前に堕してしまって、
実は相手のためではなく、自分の利益のためにその選択肢を押しつけているにすぎない、
というようなことが生じてしまう危険性がありうるのです。
例えば、親が子どものためを思って子どもの進路を決めてあげると言いながら、
実は自分のエゴを満たすために (自分の見栄、自分が叶えられなかった夢の転嫁など)
それを押しつけていたにすぎないということがありえます。
医者が患者の治療方針を決める際に、
実は自分の利益 (より高い診療報酬を得るため、新しい治療方法の実験のため) を
優先させていたということもありえます。
これらは歪んだパターナリズムであるといえるでしょう。

教育の場合には、例えば、
校則によって児童・生徒の生活・行動を律する際に、
それが児童・生徒のためではなく、
教員側の管理の手間を省くために事細かにいろいろ決めてしまうということがありえます。
また、進路指導の際に、これも生徒にとって何が一番いいかという観点ではなく、
学校側の都合で (進学率や就職率を上げるため、合格実績を上げるためなど)
受験先を決定してしまうなどということもあるでしょう。
これらはパターナリズムの名を借りた管理・支配であり、
生徒を利用しているにすぎませんので、
教育のあるべき姿からの逸脱であるといえるでしょう。

難しいのは、過剰の場合と同様、この歪んだパターナリズムも、
本来の相手のためを思うパターナリズムがしだいに歪んでいってしまって、
いつの間にか相手のためではなく自分のための決定になってしまっていたというように、
どこで変質してしまったのかがわかりにくいという点です。
本人が実は相手のための決定ではないということに気づいている場合というのは、
事柄としては悪質ですが、対処は簡単です (欺瞞を正せばいい)。
しかし、あくまでも相手のためだと信じ込んでいる場合というのは、
まずその自己欺瞞に気づき、それを正さなければならないわけですから、
これはそうとう難しい仕事になります。
とりあえずはパターナリズムが歪んでしまうこともありうるというこのメカニズムを、
教師はあらかじめ知っておく必要があるでしょう。
そして、教育的指導をするにあたって、
自分のパターナリズムが過剰になったり歪んだりしてしまっていないか、
常に反省してみるしかないのではないでしょうか。

私も教員志望の学生に対しては、
中学校社会科なんかやめて小学校を受けろとか、
福島県なんかあきらめて関東圏を受けろとか指導しているわけですが、
はたしてそれは本当に当該学生のためなのか、それとも、
福島大学人間発達文化学類の教員採用率を上げるためにそう言ってるだけではないのか、
胸に手を当ててよーく考えてみることにしたいと思います。
(まあ大学生にもなると私の指導なんかに耳を貸さずに、
 自分の自由意志でどこを受けるか決めちゃいますので、
 自由を抑圧してるとか利用してるだけじゃないかなんていう心配は不要みたいですが…)

エグゼクティブとは?

2009-09-16 12:47:17 | お仕事のオキテ
最近、企業とかで幹部役員クラスの人たちのことを、
エグゼクティブと呼んだりするようです。
あまり耳にしたことはないかもしれません。
でも飛行機でビジネスクラスよりもさらに高級な席のことを
エグゼクティブクラスというのを聞いたことはあるのではないでしょうか。

この言葉は execute という動詞に由来します。
実行する、執行する、遂行する、といった意味の動詞です。
そこから、仕事全体を完遂させていく責任を担う執行役員のことを、
エグゼクティブと呼ぶようになったようです。

私の知り合いのエグゼクティブの人に、
エグゼクティブにとって最も大事なことは何かをうかがうことができました。
それは 「逃げないこと」 だそうです。
実際の会社にはエグゼクティブとは名ばかりで、
実は責任回避のことばかり考えていて、
なにかあったときには真っ先に逃げ出してしまうような人が少なくないそうですが、
本来エグゼクティブとは、どんなことがあっても逃げ出さずに、
いったん始めたプロジェクトを最後まで完遂させようとする者でなくてはならないそうです。

日本にそういうエグゼクティブが育っていないというのはしかたないことかもしれません。
だって日本では、内閣総理大臣というエグゼクティブのなかのエグゼクティブが、
2代続けて逃げ出したりしていましたから。
あんなに美しくない辞め方をした首相って、ちょっと思い出せないくらいでしたね。
その自民党が今回の総選挙で 「責任力」 を謳ったのですから、
そりゃあ国民の失笑を買ったとしてもしかたがなかったと言えるでしょう。
そのうちの1人は、選挙に勝ったあと、
「これからまた地域のためにがんばっていきます」 とコメントしていました。
まあ、厳しい選挙を勝ち抜いた直後だったので、
地元の人に感謝の気持ちを表したいというのはわからないでもないですが、
総理大臣まで務めた人がせめてリップサービスでもいいので、
「日本のためにがんばります」 と言えないのだろうかと暗澹たる気持ちになりました。

今日あたり新内閣のメンバーが発表になっているようですが、
民主党連立新政権ははたして逃げ出さずに、
自分たちのプロジェクトを完遂してくれるのでしょうか?
既成の政党で私の政治的信念を反映してくれている政党はないので、
政策そのものにはなにも期待していませんが、
日本国民の委託を受けた新政権ですから、
最後まできっちり仕事をする姿だけは見せてもらいたいものです。