まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

冷蔵庫のお引越し

2013-07-30 15:38:30 | グローバル・エシックス
昨日の話の続きです。
前々からお願いはしていたんですが、先週の土曜日に急遽、
元家電院生さんと日程が合うことになり、ケーズデンキにご案内いただきました。
そうしたらとんとん拍子で話が進み、その場で購入し、月曜日には届けてもらえることになりました。
急な展開です。
前に使っていた冷蔵庫は伯母にあげるため東京に送ることになり、
(伯母はあれよりもさらに旧式の、エコでない冷蔵庫を2台も使っていました)
その送付の手配もすみ、日曜日の夜には旧冷蔵庫の電源を抜いて、
搬出に備えて冷蔵庫の中身を片づけておかなくてはなりません。
今回は冷蔵庫1台だけの引越しですが、それでもやはりめんどくさいことに変わりはありません。

元家電院生さんからは片づけると思わず、バンバン捨てるようにとアドバイスをもらいました。
たしかに冷蔵庫の中ってうちの場合、霊安室みたいなもんですから、
いつのものかわからない遺体が大量に眠っています。
それらを旧冷蔵庫から全部出し、そのまま新しい冷蔵庫に詰め替えたりしたら、
あのゴミ屋敷のような冷蔵庫がみごとにコピーされるだけに終わってしまいます。
これは冷蔵庫整理の大チャンスと思わなければいけないでしょう。

幸い、先週の月曜日に買い物して以来、
外食も続いたので新たに何かを買い足したりはしていませんでした。
したがって生鮮食品はそれほど残っていません。
土曜、日曜のあいだになんとか片づけてしまえそうな量ですし、
いつから野菜室にあったのかまったく思い出せないようなじゃがいもは、
見た感じまだ食べられそうでしたが、
どう考えても糖質制限ダイエットを始める前に買ったものと思われ、
どっちみちこの先いつまで経っても食べる機会には恵まれないでしょうから、
農家の皆さんごめんなさいと謝りつつ、廃棄することにいたしました。
この土日は残った卵や納豆、厚揚げ、ほうれん草などを消費しつつ、
さらには、いつ作ったかわからない冷凍されたカレーやハンバーグをひたすら食べ続けました。
そして、いよいよ日曜の夜になり冷蔵庫の電源を抜きました。
それでもたぶん冷蔵庫のなかに入れておいたほうが低温は保たれるだろうと判断し、
冷蔵庫の中身を取り出すのは月曜の朝になってからにいたしました。

翌朝、捨てるものと分別しつつ、冷蔵庫の内容物を全摘しはじめました。
すると驚いたことに賞味期限を大幅に過ぎたものが大量に発掘されます。
調味料の類いは軒並み2000年代のものばかりですが、
一番すごかったのはコレでしょうか?



ウスターソースです。
だいたいソースって家庭で使わないですよね。
特にうちは家ではトンカツみたいな揚げ物をしないのでほとんど出番がありません。
それでもたまに隠し味とかで少量使ったりすることはあり、
今年度に入ってからも何回か使ったことがあったと思いますが、
賞味期限を見てみたらぶったまげました。



なんと2005年、8年前のものですかっ
前回の引越しより前からの遺品ではありませんか。
そんなこと何も気にせずに使っていたなあ。
特に食中毒とかも起こさなかったのでまだ行けるのかもしれませんが、
せっかくの機会ですので処分することにいたしました。
ソースやらドレッシングやらこの手のヤバイものが大量に発見されたのですべてオサラバしました。

それから、パンパンに詰まっていた冷凍室ですが、
もろもろの食品を全部取りだしてみたら、こんなことになっていました。



これ全部、保冷剤です。
冷凍庫パンパンだなあと思っていた、そのほとんどはこの保冷剤だったのです。
私は 「捨てられない人間」 なので、買い物に付いてきたこれらをつい冷凍庫に入れちゃうのですね。
たしかに旅行に行くときなど、保温バッグにこれらの保冷剤を入れてもっていけば、
旅先ですぐに冷えたビールを飲むことができとても重宝するのですが、
しかし、こんなに大量に保冷剤を保有しておく必要はありません。
大小いくつか、必要なだけの分を残してこれも処分することになりました。
そうやっていろいろと整理してみると、冷蔵庫の中身で必要なものって意外とこれくらいでした。



手前の保温バッグ2つには、冷凍室のものや要冷蔵のチーズや生ハムなどが、
温存するべき保冷剤とともに入っています。
あとは小さなサイドテーブルひとつに全部乗っかってしまうくらいしかないんですね。
冷蔵庫の中にパンパンに詰まっていたもののほとんどは要らないものだったということです。
そんなものを冷やし続けるために、私は延々と電気料を払っていたのですね。
まったく忌々しいことです。
これからは冷蔵庫の中身を常にチェック・精選して、エコな暮らしをするぞと誓ったのでした。
(まあすぐ忘れると思いますが…)

反原発運動としての家電買い換え

2013-07-29 14:24:33 | グローバル・エシックス
現在の住居に引っ越してきてそろそろ7年が経とうとしています。
引っ越し当初から冷蔵庫を買い換えたいと思っていたのですが、
ほかにも買い換え・買い足しに緊急を要する家電がいろいろありましたし、
当面、前から使っていたものでも使えないというわけではなかったので、
どうしても後回しになってしまっていました。
原発事故が起こった際にも、東電に対する見せしめのために、
よりエコな冷蔵庫に買い換えてやろうと何度か家電量販店を回ったことがありましたが、
福島で冷蔵庫を買い換えても、東北電力に痛手を与えるだけで、
東京電力にとっては痛くも痒くもないということから、つい二の足を踏んでいました。
しかし、この二度にわたる敗戦があり、日本中が原発再稼働へ向けてまっしぐらのなか、
敵は東北電力も含めたすべての電力会社であるということを再認識し、
とうとう冷蔵庫の買い換えを決行いたしました。

原発事故前から冷蔵庫を買い換えたかったのは、
うちの台所のレイアウトによるものです。
我が家のキッチンは一番奥まったところに冷蔵庫置き場があります。



こんな感じです。
冷蔵庫と向かい合った位置にI Hコンロがあり、
光が入ってきているドアはベランダへ通じるドアです。
つまり、キッチンの一番右奥に冷蔵庫を置かなくてはならないのです。
ところが普通の冷蔵庫って左開きです。
写真に写っている以前使っていた冷蔵庫も左開きでした。
すると、冷蔵庫のドアを開けるとこうなっちゃうのです。



これだと、冷蔵庫のなかのものを取り出すためには、
I Hコンロとベランダへのドアに囲まれた狭い三角スペースに身を潜め、
自分の身体に当たらないように気をつけながら冷蔵庫のドアを開け、
物を取り出してからまたドアをよけながらドアを閉めるという、
ひじょうに窮屈な動作を毎回強いられていたのでした。
ですので、引っ越し当初からいつかは右開きの冷蔵庫に買い換えたいと思っていたのです。

ところが、一昔前までは冷蔵庫は左開きのものと右開きのものが用意されていたように思うのですが、
チェックのため家電量販店を回ってみても、右開きの冷蔵庫はほとんど見つかりませんでした。
カタログやインターネットで調べてみても、どうやら右開きは時代遅れのようです。
そうこうしているうちにフレンチドアという両開きのものが主流になってしまいました。
冷蔵室のドアが半分に分かれている観音開きタイプのやつです。
フレンチドアならまあ左開きよりはまだましですが、
それでもたいがいのフレンチドア製品は、左よりも右のドアのほうが大きめに作られており、
右半分の物を取り出すにはあいかわらずあの窮屈な姿勢を強いられます。
また、我が家の冷蔵庫スペースは幅が70センチしかなく、
フレンチドア製品は幅が75cmくらいあったりして、そもそも置くことができません。
さあ、どうしたらいいのでしょうか?

唯一の解決策はシャープの 「どっちもドア」 でした。
右からでも左からでも開けられるというスグレモノです。
HPで見てみたところ、23年も前から作られていたようです。
若い頃、特に自分で冷蔵庫を買うというつもりはなくても、家電量販店とかでこれを見かけて、
どうして両方から開けられるのかなあと仕組みを解き明かそうとしたものでした。
このシリーズが23年間もずーっと支持され続けているなんて、
さすがは目の付けどころがシャープです。
というわけで今回はシャープの 「どっちもドア」 のラインナップのなかから、
SJ-PW42X というものを選んで購入いたしました。
一人暮らしですからもう少し小さめのものにするということも考えましたが、
冷蔵庫ってなぜか小さいもののほうがエコ性能が低かったりするんですね。
消費電力やらエコ性能を勘案し、最も電力会社に痛手を与えられる機種を選びました。
購入にあたっては元家電院生さんのおかげで、ケーズデンキで安く手に入れることができました。
元家電院生さん、本当にありがとうございました
届いたものがこれです。



見た目は今まで使っていたものとほとんど変わりありません。
しかし、ドアを開けるとこう↓です。



おおっ、使い勝手がよさそうだあ
これで料理の時間がだいぶ短縮されるのではないでしょうか。
ちなみに今まで同様こっち向きに開けることも可能です。



お客さんが来ていて庫内の散らかり具合を見せたくないときはこうやって開けるのもアリでしょう。
生活が便利になった上に消費電力を下げられるとは、なんと素晴らしい文明の利器なんでしょう。
田中優先生も御著書のなかで、省エネ家電に買い換えることが、
私たちが身近でできる環境運動であり、反戦運動でもあると書いていらっしゃいました。
さあ、皆さんも省エネ家電に買い換えて、みんなで一緒に大きな声で歌おうじゃありませんか

「電力は余ってる 要らねえ 欲しくねえ
 原子力は要らねえ 危ねえ 欲しくねえ
  (RCサクセション 「サマータイム・ブルース」 より引用)

福大生の考える 「死んだらどうなるのか?」

2013-07-26 17:34:53 | 生老病死の倫理学
看護学校では毎年 「死んだらどうなるのか?」 という問いを出し、
みんなにそれぞれの考えを書いてもらっていますが、
福島大学でその問いを出したことは今までありませんでした。
しかし今年の 「倫理学」 では、臓器移植について考える際に、
日本人の死生観や死体観を理解してもらうために、
初めてこの問いを福大生にぶつけてみることにしました。
集計してみたところ看護学生とはだいぶ違う結果になったのでおもしろかったです。

長年の看護学校での調査結果から、
私は 「死んだらどうなるのか?」 について次の3パターンの答えしかない、
と分析しておりました (「死んだらどうなるのか?」 参照)。

A.何もなくなる、もしくは、骨や灰など物質だけが残りそれ以外のものは何もなくなる。
B.何らかの形で私たちの意識 (魂とか霊など) が存続する。
C.星になる、または、風になる

この3種類です。
このうちBの 「何らかの形」 というのはさらに3パターンに分類されます。

B-a 死んだ後の存在者が集う世界 (天国や地獄など) があり、そこに行く。
B-b 別の人間や動物として、現世に生まれ変わってくる。
B-c 一般の人には見えない形で (幽霊など)、現世のなかをさまよう。

この B-a や B-b や B-c は組み合わせて出現する場合も多いです。
(いったん天国に行ったあとこの世に生まれ変わってくる、など。)
まずは最初のA~Cの3種類だけに限定して集計結果をご報告しましょう。

A.無になる…………39名 (57%)
B.意識は残る………26名 (38%)
C.星・風になる………0名 ( 0%)
わからない………… 3名 ( 4%)

実は看護学校での回答については集計結果を出してみたことがないんですが、
しかし、目分量でいっても福大生は看護学生よりもAの比率がむちゃくちゃ高いです。
看護学校では40人のクラスでAが2ケタに達することはゼッタイにありません。
たいてい5名以下ですから、せいぜいいても10%台といったところでしょう。
それに対して福大ではAの人が余裕で過半数を超していました。
まあきっとそうだろうなあとは思っていましたが、
これほどはっきりと現れるとちょっとビックリです。
私は、血液型でも考え方でも投票行動でも常に少数派に回されていましたが、
この件に関しては福大のなかでは多数派に属しているようでちょっとホッとしました。

Cのロマン派が1人もいなかったことも驚くとともにちょっとホッとしました。
実際のところ 「星になる」 とか 「風になる」 ってどうやってそんなものになれるのか不明ですので、
小さい子どもや詩の世界でならそういう発想もありえるかもしれませんが、
死んだらどうなるのかについて真面目に考えたら、
この選択肢は生まれてこないのだろうなと私などは考えているところです。
さて、それではBの内訳を見ておきましょう。

a 現世の幽霊………1名 ( 1%)
b 死後の世界………3名 ( 4%)
c 輪廻転生…………9名 (13%)

a or b ………………1名 ( 1%)
(「魂だけが身体から抜けていく。それが地上界に留まるか成仏してなくるかのどちらか。」)
a or c ………………2名 ( 3%)
(「魂のみになり、現代の世の中にとどまる、または別の生物に転生する。」)
b + c ………………3名 ( 4%)
(「肉体と魂が分裂して、魂はあの世へ行き肉体だけがこの世に残る。
  私が考えるあの世とは、”この世ではない世界” である (天国ではないと思う)。
  そして、そこで決められた者たちだけがまた違う肉体にやどることができる。」)
a + b + c …………1名 (1%)
(「魂は肉体と分離する。魂はあの世に行き、天国か地獄に振り分けられる。
  天国に行った者は来世でまた生まれ変わる。地獄に行った者は罪を償わされる。
  現世に留まり彷徨い続ける者もいる。」)
d 分類不能…………6名 ( 9%)

最後の分類不能というのは、a、b、cには言及せず、
ただ意識が残るとのみ書いてくれた人たちです。
例えばこんな感じ。

「魂が抜けて何も行動や思考はできないが、
 存在しているという意識のみ感じることができるようになると思う。」
「魂の類は在ると信じたい。無いことを証明はできないから。しかし天国・地獄が在るとは思えない。
 だから、いわゆる 『転生する』 魂は無いけど、意識 (心?) だけは残っていると思う。」
「(意志も記憶もない) 全く関係のない他人として死者を客観的に見る、繰り返す?」
「死ぬ瞬間の意識のまま永遠に感じる。痛いとかなら、いた―――――――――――いみたいに。」
「死んだら、ずっと眠りについているような感じだと思う。」

下から2番目のやつはちょっとイヤですね。
もしもそうだとすると痛い死に方だけはしたくないなあ。

ところで今回初めて福島大学でやってみて、分類に困ったものが出てきてしまいました。
今の一番下にあった 「ずっと眠りについているような感じ」 というのは、
Bに分類しましたが、似てるんだけどちょっとBには分類できず、
けっきょくAに数え入れたものがあったのです。
こういう↓やつ。

「眠っているような (夢はみていない) 状態がずっとつづくと思う。」
「夢を見ていない時の睡眠状態のような感じ → 意識の断絶、何も残らない」

夢を見ていない睡眠状態というのは意識はないですよね。
でも存在はしているような…。
だから 「A.無になる」 に入れてしまってはいけないような気もするのですが、
こんなふうに↓書いている人もいて、

「死んだら無になると思う。つまり、思考を働かせることもできないし、動かせる体もなくなる。
 常に意識がなく、夢を見ていない睡眠状態になると考える。」

この人ははっきりと最初に 「無になる」 と書いているので、
とりあえず今回はこれらはまとめてAに入れてみることにしました。
ただ、「夢を見ていない睡眠状態」 というのはなかなかいい比喩かもしれません。
そう言われてみると、脳死というのもまさに 「夢を見ていない睡眠状態」 と言えるかもしれません。
これらの結果をもとに、私の死後観3+3分類説はちょっと見直す必要を感じてきました。
少なくともBのa、b、cのほかに 「B-d ただ意識だけが存続する」 というのが必要ですし、
「夢を見ていない睡眠状態」 を入れるにふさわしい新カテゴリーを作る必要もあるかもしれません。
これら分類の難しい意見を書いてくださった皆さん、
皆さんの意見はどのへんに分類されたらしっくりくるのか、
コメント欄で教えてもらえるとたいへん有り難いです。

大学院 「地域文化創造特論」 学生アンケート評価結果

2013-07-24 18:07:50 | 教育のエチカ
本日は大学院の 「地域文化創造特論」 の授業が終了しました。
大学院科目は 「教育改善のための学生アンケート」 を実施する義務はないのですが、
せっかくのこういう機会を逃す手はないですね。
特に19名の院生相手に3人の教員によるオムニバス形式で開講している必修科目ですから、
ことあるごとに学生の声に耳を傾けておく必要があるでしょう。
集計結果は以下のとおりでした。

「1.教員の授業に対する姿勢はよかったですか。
 (観点:授業の準備、授業への熱意、学生への対応等)」……………………4.75

「2.教育の方法は適切でしたか。
 (観点:質問への対応、発表・討論の機会、シラバスの記述内容等)」………4.63

「3.授業の内容は適切でしたか
 (観点:魅力あるトピック、教材・教科書の適切性、参考文献の提示、
  授業の進度、シラバスに記述された目標の達成度等)」……………………4.75

「4.総合的にみてこの授業に満足しましたか。」………………………………4.81

80名相手のパンキョー 「倫理学」 よりは低い評価ですが、
必修科目としては、しかも目の肥えている大学院生相手の必修科目としては、
なかなかの好成績と言えるのではないでしょうか。
それぞれに対する自由記述を見ていきましょう。

1に対する自由記述。
「3人の教員の方々それぞれ熱いお話をしていただいて楽しかったです。」
「授業への熱意に関して、伝えたいという意志がすごく伝わっていた。学生の生活態度にも着手していた。」
「オムニバス形式であったため、教員による違いが大きかった。毎回資料があったため振り返りができた。」
「すべての授業において、それぞれの先生がきちんと学生に向かいあって対応されていました。」

2に対する自由記述。
「他領域の人たちとのグループ学習が新鮮でした。」
「グループの話し合いや発表の仕方を考えるようになった。」
「シラバスの内容通りの授業でした。」
「分かりやすかった。」
「グループワークが多かったです。良かったと思います。」
「討論の場が多く、他分野との関わりがもてる良い機会であった。」
「グループワークなども盛りだくさんでとても充実していました。」

3に対する自由記述。
「毎回の授業がとても新鮮でした。」
「私達が何をしなくてはいけないか明確にしていた。」
「多分野に広がるため、多くのことを学ぶことができた。」
「実際に使える内容だったので、これからの生活で使ってみたいと思います。」
「今まで気づかなかったことに気づくことができた。」

4を含めて、この授業に対する感想・要望・意見、教育環境の改善点等。
「学部の同様の授業よりも、学生間がより近く、内容も高められたと思います。」
「これからの生活にいかしていきたい。」
「この授業はとても自分のためになります。スキルアップすれば、必ず将来役に立つと思いました。来年の一年生もしっかり受けて欲しいです。」
「3人の先生から多方面からこの学部の主旨であることを学ぶことができたので、他大学からきた人間にとっては大事な授業だと思った。」
「毎回充実している授業でした。」
「今回の講義から考える力が身に付いたのでとても勉強になりました。」

これからの生活に活かせるとか、将来役に立つと言ってもらえたのは、たいへん有り難いことです。
一昔前は 「大学の授業なんて何の役にも立たない」 と言われたもんですし、
就職してしばらく経ってからみんな 「大学時代にもっと勉強しておけばよかった」
などと遠い目で昔を振り返ったりしたものでした。
大学院に進学したような人たちは専門的な研究がしたくて進学したわけですから、
大学院で学ぶ専門科目は楽しくて楽しくてしかたないはずですが、
しかし、大学院であるにもかかわらず、
いろいろな専攻の人をひっくるめて全員必修で取らされる授業なんかがあったら、
(私が大学院生の頃にはそんな必修科目なんてありませんでした)
本来なら大ブーイングの授業になったとしてもまったくおかしくないでしょう。
それが上記のような評価を得ることができたわけですから、
パンキョーの 「倫理学」 以上にホッと一安心です。
改善意見としていただいたのは次の2つでした (2と4)。

「一方的で、問いがあっても結局は教員が答えを言い、進めていくことがあり、参加しにくかった。」
「大学院生として最低限のレベルができていなくても許されている雰囲気があったのは残念。」

前者は誰の授業なのかな?
後者は私の授業のことなのかもしれません。
たしかに遅刻・欠席しがちの学生さんがひとりいらっしゃったのですが、
私なんかは大学院生が朝イチの必修の授業に来なくても (来られなくても)
しかたないと思っているところがあり、特に厳しく指導しなかったのですが、
トップバッターとしてはもっと毅然と対処するべきだったのでしょうか。
うーん、なかなか難しい問題なので、ちょっと考えてみたいと思います。
私だったら、せっかく大学院に入ったのに朝っぱらから専門とは何の関係もない、
必修の授業なんかやられたらきっとサボっちゃうだろうなあと思っていたので、
だからこそ、受講者が受けたいなと思えるようなタメになる授業、
この必修科目があってよかったと後々思ってもらえるような授業を作りたかったわけですが、
そういう人がいた場合には、つい甘くなってしまっていたのかもしれません。
うーん、難しい。

それから、授業外学習時間について。
「授業時間以外にこの授業に関して1回の講義あたり平均してどのくらい予習・復習、
 あるいは関連の学習をしましたか」 に対する回答です。

・3時間以上……………0名 ( 0%)
・2~3時間未満………3名 (20%)
・1~2時間未満………5名 (33%)
・30分~1時間未満……5名 (33%)
・30分未満………………2名 (13%)

3時間以上の人は1人もいないものの、「倫理学」 と比べるとものすごくいい数値です。
この授業は、コミュニケーションスキルやグループワークでの注意点など、
他の授業や日常生活に活かすことのできる内容が多かったので、
なかなか好成績だったのでしょう。
とはいえ、まだまだ満足できる回答ではありませんので、
来年度以降はさらに時間外学習時間を増やしてもらえるよう指導していきたいです。
福島大学大学院人間発達文化研究科地域文化創造専攻の皆さん、
半期のあいだお疲れさまでした。
この授業で学んだことをたまには思い出しながら、
残り1年半の大学院生活を充実したものにしてください。

共通領域 「倫理学」 学生アンケート評価結果

2013-07-23 19:32:11 | 教育のエチカ
共通領域の 「倫理学」 の授業ですが、
先週 「教育改善のための学生アンケート」 を実施いたしました。
いわゆる授業評価というやつですね。
その集計結果を公表しておきましょう。

「1.教員の授業に対する姿勢はよかったですか。
 (観点:授業の準備、授業への熱意、学生への対応等)」……………………4.94

「2.教育の方法は適切でしたか。
 (観点:質問への対応、発表・討論の機会、シラバスの記述内容等)」………4.83

「3.授業の内容は適切でしたか
 (観点:魅力あるトピック、教材・教科書の適切性、参考文献の提示、
  授業の進度、シラバスに記述された目標の達成度等)」……………………4.84

「4.総合的にみてこの授業に満足しましたか。」………………………………4.93

ほぉ、むちゃくちゃ高い評価ですね。
私が単独でやってる授業と並べてもたぶん今までで一番いい評価ではないでしょうか。
複数教員担当でこんなにいい評価をもらえるというのは奇跡的なことのように思います。
ただまあ、授業公開したときの学生アンケートの結果について、
4が普通で3以下はネガティブ評価だと受け止めていると学生たちに言ってしまったので、
彼らの評価がそれに引きずられてしまったという可能性もあるかもしれません。
とはいえ、たとえそうだとしてもこれはなかなかいい結果だと言えるでしょう。
それぞれに対する自由記述を見ていきましょう。

1に対する自由記述。
「熱くそして細かい指導が行われていた。」
「とても熱心だし、自身の体験などと結びついて分かりやすかった。」
「教えてくれるという熱意が伝わってきた。自分も真剣に話を聞こうという気になった。」
「どちらの先生も授業に対する姿勢や熱意は受け手から見て他の教員よりもずば抜けて感じられた。」
「教室の倫理に則り、良い雰囲気で授業が行われていた。」
「毎回授業に遅れることなく準備していたから。」
「毎回授業内容に適したレジュメや資料が準備されていた。」
「レジュメがまとまっていて分かりやすかった。」
「かなり調査して、つくりこまれた授業をしている。」
「生徒にいかに良い授業を提供するかを常に考えていたように見受けられた。」

2に対する自由記述。
「板書が見やすい。話のスピードも聞きやすかった。」
「多くの板書を駆使していたので、少し聞き逃しても大丈夫だった。」
「質問に授業内で解答していた。」
「質問への対応が丁寧だった。」
「質問にまっすぐ丁寧に取り組んでくださったので良かった。」
「分かりやすいように写真を持ってくるなどあって、分かりやすい授業であると思う。」
「授業を受ける学生が ”考える” ことができるいいものだった。」
「講義内容について考えさせる時間がありよかった。」
「授業内課題を設けることによって、自分がどの程度考えられているかが分かったから。」
「講義のいたるところで ”倫理” を考えることができた。」
「とても分かりやすく説明していて、一方だけでなく賛否両論の説明もしていたから。」
「各回の相関性が強く理解しやすかった。」

3に対する自由記述。
「深い。」
「どちらの先生の内容も興味深いものでした。」
「現代の問題に密着した魅力あるトピックだった。」
「難しくて、興味深い話題で話を展開していて、面白かった。」
「今まで意識していなかったことについて、様々な視点から考えることができた。」
「今まで聞いたことはあったがいまいち理解できなかったことも、学びながら倫理を考えることが楽しかった。」
「板書を書いて説明するだけではなく、具体例の話もあり分かりやすかった。」
「ときどき話がずれることがあったが、むしろよかった。」

4を含めて、この授業に対する感想・要望・意見、教育環境の改善点等。
「学生が授業に集中して参加する雰囲気が保たれていたところが良かった。」
話をしている人がいると授業が止まるという方法はよいと思いました。」
「先生方の話が面白く、とても聴きやすい授業だった。」
「自分がとっている授業の中で、一番おもしろかった。」
「とても考えるような内容が多く、充実していた。」
「1セメの授業の中で一番考えさせられた授業でした。」
「事前に配付される授業内課題でこの授業への意欲を持つことができた。」
「もっとたくさん倫理学の授業を開講して欲しいくらい、興味を持てる授業内容だったし、今後の生き方や考え方の助けとなる授業で、受講して本当によかったです。」
「現代社会を生きる上で大事なことを学べた。」
「毎回出席したくなるような授業だった。」
「内容、講義形式ともに倫理学に適したものだったと思います。『原発は』、『脳死臓器移植とは』 の事実判断をする機会がもててよかったと思います。」
「とても倫理について考える過程が工夫してあるのが感じられる素晴らしい講義だと思う。」
「授業という範囲だけでなく、お二人の先生からは人間的にも学ぶべきことが多かったなと思います。あと、樋口先生が面白かったです。」

上記のようにほとんどは肯定的な意見をいただくことができホッと一安心です。
改善意見としていただいたのは次の3つでした (1~4のあちこち)。

「パワーポイントが見づらかったです。」
「倫理というより科学?の内容が多かった。倫理とからめるのが難しいと思った。」
「もう少し幅広い分野で倫理を考えたいと思った。」

たぶん最初の2つは樋口先生に対して、
最後のやつは延々と脳死臓器移植ばかり扱った私への意見でしょう。
多数意見ではないのでどこまで取り入れられるか約束できませんが、
なんとか改善可能かどうか検討してみたいと思います。

それから、私が今一番力を入れている、授業外学習時間について、
「授業時間以外にこの授業に関して1回の講義あたり平均してどのくらい予習・復習、
 あるいは関連の学習をしましたか」 に対する回答です。

・3時間以上…………… 1名 ( 1%)
・2~3時間未満……… 1名 ( 1%)
・1~2時間未満………20名 (29%)
・30分~1時間未満……22名 (31%)
・30分未満………………26名 (37%)

残念ながらこれはまだ惨憺たる結果ですね。
2時間以上や3時間以上の人が1人ずつしかいないなんて
ただし、このアンケートをするときに、
「関連の学習」 というのに何を含めるか説明するのを忘れましたし、
このあとテスト勉強をする予定の時間もプラスして答えるように、
と注意するのも忘れてしまったので、
そう思えばパンキョーの授業としてはまあまあ授業外学習してもらえたほうかな。
とはいえこれはちょっと文科省には見せられない数字だ。
来年度以降への大いなる反省点です。

先週の授業が終わった後、樋口先生と2人でフレンチレストランに行き、
皆さんに書いてもらった学生アンケートをパラパラと見ながら、
今後この授業をどうしていくかについて真面目に話し合いました。
樋口先生はアメリカの大学での講義を見てきたことがあるらしく、
そこでの経験を踏まえて大胆な授業変革を目論んでいらっしゃるようです。
それが実現したら今回のあの高得点をさらに上回ることになるかもしれません。
「文理融合、教育重視の福島大学」 というキャッチコピーを唯一真剣に受け止めて、
教育実践のさらなる向上を目指している私たち 「倫理学」 チームを、
今後ともお引き立てのほどなにとぞよろしくお願い申し上げます

糖質制限ダイエットによる変化

2013-07-22 18:27:41 | がんばらないダイエット
糖質制限ダイエットを始めて1ヶ月半くらい経ったでしょうか。
体重や腹囲の減少のほかにもいろいろな変化が出てきました。
いい変化もあれば悪い変化もあります。
今日はそれらをまとめてご報告しておくことにしましょう。
(とてもじゃないけど政局について書いたり考えたりする気にはなれない…)
まずはプラスの変化から。

・血圧が下がった!

なんといっても血圧が下がったというのが一番大きいでしょう。
これまでは高血圧で要治療とまでは診断されないものの、
上が120、下が80を超えていましたから、
健康診断のたびに 「要精検」 や 「要経過観察」 の評価を受けていました。
それが糖質制限ダイエットを始めてからはっきりと、120/80のラインは割るようになりました。
ただしこれは糖質制限ダイエットによる直接的影響なのかどうかは不明です。
炭水化物が食べられなくなったために、現在の主食は大豆製品となっています。
豆腐や厚揚げはもちろんのこと、以前と比べると納豆の消費も相当増えていますので、
そちらによる血液サラサラ効果なのかもしれません。
とはいえ、やはり肥満が解消されれば血圧にもプラスの影響はあるのだろうと思います。

・肌つやがよくなった!

私はもうだいぶ前から天然の保湿成分が分泌されなくなっていますから、全体的に乾燥肌なんです。
顔の皮膚がカサカサになったり、指先の皮がむけたりということで、
冬場と夏場はハンドクリームやフェイスクリームが欠かせません。
私は顔に髪の毛や水などがかかるのがキライですので、
本来なら顔にクリームを塗ったりもゼッタイにしたくないんですが、
塗らなければ外出できないくらいカッサカサになってしまいますので、
「キュレル」 を手放すことができないんです。
そんな私が、ここ1ヶ月半はまったくカサカサに悩まされることがなくなりました。
指も今ごろはズル剥けのはずですが、それもまだ出てきません。
こちらも因果関係は不明ですが、こちらに関してはまったく他に心当たりがありませんので、
糖質制限ダイエットをやってるおかげなんじゃないかなあという気がしています。
次からはマイナスの変化です。

・お通じが減った

これが一番大きな変化です。
ショックです
私はこれまで何十年ものあいだ快食快便、
1日平均2回以上ウンチをし続けてきたことが数少ない自慢の種でした。
平均2回以上というのは誇張でも何でもありません。
たまに1日1回しか出ない日というのがあったとしても、
それよりもはるかに3回以上している日のほうが多いので、
完全確実に1日平均2回以上という水準をクリアしていたのです。
朝起きればすぐに出ていましたし、
その後シャワーを浴びたり、朝食を食べたりするとまた便意がやってきてくれるのです。
私の生きる目的はウンチを製造することなんだろうなあと思ったりもしていました。
ところがです。
糖質制限ダイエットを始めてからホントに回数が減ってしまいました。
便意そのものもものすごく弱まっています。
なんかレゾンデートルを奪われたような気分です。
逆に言うと、今まであんなに出ていたのはすべて私が摂取した炭水化物だったということでしょうか?
だとすると、どんだけ食べてんだよ、ということですね。
おそらくその大半は夜に食べる大量のパスタだったんでしょう。
あれだけ出しているのにあれだけ太ってたってことはやっぱり食べ過ぎだったんだろうな。
でもお通じが減るというのは、ものすごく淋しいものです。

・疲れやすくなった

これはいつ頃から始まったのかはっきりしなくて、
ひょっとするとダイエットを始めるもう少し前からこうなっていたのかもしれませんが、
とにかく疲れやすくなりました。
朝通学してきて 「階段ダイエット」 で最後、研究棟の7階まで上るのですが、
息の上がり方、心拍の上がり方がハンパじゃありません。
7階に着く頃にはヘトヘトに疲れ切ってしまっているのです。
また 「立体駐車場3分間ダイエット」 でもやはり疲れやすくなっていることは感じ取れます。
糖質制限をしているからエネルギー源がないということなんでしょうか?
でもたぶん低血糖というわけではないですよね?
ネットで調べてみても低血糖で疲れやすくなるとは書いてありませんでした。
しかしこれはあまりいい徴候じゃないなあ。
たんなる老化による衰えならいいんですが…。
ちょっと注意しておきたいと思います。
場合によってはダイエット中止ということもありえますね。

・口臭がきつくなった

これは、人に言われたわけではないのではっきりしませんが、
なんとなくそうなっているような気がしています。
バイブルのなかにも一時的に口臭や体臭がきつくなることがあると書かれていました。
私の場合、体臭の変化はあまり感じていませんが、
口臭はなんとなく臭くなっているような気がします。
「一時的」 というのがどれくらいの期間なのか、
ただもともとあまりはっきり判明しているわけではないので、
また消えたとしてもそれもきっとはっきりしないのだろうなあ。

以上です。
今後も十分注意を払いながら続けていくことにしたいと思います。

「倫理学」 受講者の皆さんへ

2013-07-19 16:20:38 | 哲学・倫理学ファック
えー、今日の 「倫理学」 の授業で告知するのを忘れてしまいましたが、

明日は 「てつがくカフェ@ふくしま」 が開催され、

なんとテーマはど真ん中直球の 「脳死は人の死か」 です

私はけっきょく4回の予定が5回目も半分つぶして脳死臓器移植のことを話してきましたので、

テストでは脳死について書きまくらないと単位がもらえません。

そのためにもぜひ明日のてつカフェに参加して、いろいろな人の意見を聞いてみてください。

自分ひとりで考えているとどうしても自己中心的になってしまいますので、

別の視点から自分の考えを客観視することができなくなってしまいます。

すると、説得力が弱まってしまいますので、

私たちが求めている望ましい水準を満たすことができません。

別にてつカフェへの参加は完全義務なんかじゃありませんが、

不完全義務の履行としてそこでの議論を踏まえて答案を書けば、

点数が高くなるのは間違いないでしょう。

ぜひおヒマな方は参加してみてください。

当日用のポスターを作りました。



このポスターを目印に会場まで来てみてください。



第17回てつがくカフェ@ふくしま

テーマ:「脳死は人の死か」

日 時 : 2013年7月20日 (土) 16:00~18:00

場 所 : A・O・Z (アオウゼ) MAXふくしま4階 小活動室1


費 用 : 100円 (珈琲などドリンクお代わり自由、希望者のみ)

事前申し込み : 不要 (直接会場にお越しください)

ご不明な点は下記の問い合わせ先までご連絡下さい。

問い合わせ先 : fukushimacafe@mail.goo.ne.jp




P.S.

第1回目の授業のときに言ったような気がしますが、今日の授業で言うのを忘れてました。

テストは持ち込み不可ですので、あらかじめ発表してある問題について自分で書いてみて、

その内容を頭のなかに刻みつけてテストに臨んでください。

それから第2回目の授業のときに話した、「学問的な考え方」 の話を参考にしながら、

答案を作成するよう心がけてください。

さーて、今日はこれから樋口先生とフレンチで打ち上げだあっ

脳死と臓器移植に関する資料その2

2013-07-18 22:16:47 | 生老病死の倫理学
昨日、今度のてつカフェで配付予定の 「脳死と臓器移植に関する資料」 をアップしましたが、

さらにもう少し付け足しておきましょう。

今日の分は当日配付する予定はありません。

というかこのブログに過去に投稿した記事と、昔書いた私の論文です。

特にこれらを読まなくともてつカフェでの議論には何の問題もないと思いますし、

けっこう私の意見が入ってしまっていますから、予断を与えてしまうことにもなりかねません。

まったく必読ではないのですが、おヒマならどうぞ。


  「脳死臓器移植をめぐる諸問題 (改訂版)」

  「脳死と植物状態のちがい」

  「人工呼吸器と心臓死」

  「改正臓器移植法A案成立」

  「臓器提供のヴォランタリー」

  「Q.なぜ生体移植に反対するんですか?」

  論文 「脳死のための脳死論」

脳死と臓器移植に関する資料

2013-07-17 18:09:52 | 生老病死の倫理学
次回の 「てつがくカフェ@ふくしま」 のテーマを 「脳死は人の死か」 にしてしまったわけですが、
脳死の問題って、事実を知らないまま語ることのできない問題です。
先日のブログで、脳死とは何かや、脳死と植物状態の違いを知らないまま、
脳死臓器移植がよいことか悪いことかを語れてしまう人がひじょうに多いと指摘しました。
ふだんのテーマでしたら、皆さんの常識や感覚、言葉に対してもっているイメージ等から出発して、
自由に思考の翼を広げていっていただければいいのですが、
特に今回の脳死臓器移植というテーマに関しては、
やはり事実を押さえておいた上で議論していただく必要があるでしょう。
(実は脳死や臓器移植に関しては事実を確定するのが難しいという面があるのですが…)
ですので、今回は簡単な資料を配付しようかと相談しているところです。
ちょうど 「倫理学」 の授業で、脳死臓器移植に関する資料を配付していましたので、
そこから抜粋して資料を作成してみました。
大した参考にならないかもしれませんが、
てつカフェに参加予定の方は、ざっと目を通しておいていただければと思います。


1.脳死と臓器移植の歴史

 1902年 人工呼吸の継続 → 23時間後死亡 → 死亡後解剖、脳が融解
 1936年 世界初の死体からの腎臓移植 (36時間後死亡)
 1940年代 移植免疫拒絶反応の解明
 1950年代 人工呼吸器の普及
         →「力強く脈打つ死体」 「超過昏睡」 「不可逆的昏睡」
 1963年 米、世界初の肝臓移植 (直後に死亡)
 1967年 米、世界初の肝臓移植の成功
      南ア、バーナードによる世界初の心臓移植 (18日後死亡)
 1968年 米、バーナードによる2度目の心臓移植 (9ヶ月生存)
      日、札幌医大の和田寿郎による日本初の心臓移植 (83日後死亡)
         → 殺人罪で告発 → 証拠不十分のため不起訴
         → これ以降日本では脳死臓器移植はタブーに
      米、ハーバード大学が脳死判定基準作成  → 「脳死 brain death」 概念の登場
 1980年代 免疫拒絶反応抑制剤 (シクロスポリン) の普及
         → 臓器移植の成績が向上し、脳死臓器移植が世界的に普及
 1985年 日、厚生省の脳死判定基準 (竹内基準)
 1992年 日、脳死臨調の答申 「脳死は人の死」
 1997年 日、臓器移植法施行
 1999年 日、臓器移植法の下での初の脳死臓器移植 (改正まで86件実施)
 2009年 WHOが渡航移植を規制する方針を表明
      日、臓器移植法改正
 2010年 日、改正臓器移植法施行 (改正後140件実施、2013年7月8日現在)


2.脳死とは何か?

 ①植物状態と脳死の違い
  植物状態‥‥脳幹は機能している
            ※呼吸,心拍,消化,代謝,ホルモン分泌等を司る
           自発呼吸がある

  脳死‥‥少なくとも脳幹が機能していない
         自発呼吸がなく、人工呼吸器が必要

 ②脳死をめぐる争点
  ・脳幹死 (脳幹さえ死ねば脳死) or 全脳死 (脳幹も大脳も含めて全脳の死が脳死)

  ・機能死 (脳の機能の不可逆的停止) or 器質死 (脳の細胞レベルでの死)

 ③脳死の定義の3種類
  A.脳幹の機能死  ex.イギリス

  B.全脳の機能死  ex.日本やアメリカをはじめとして多くの国々

  C.全脳の器質死  ex.ロシア、スウェーデン等


3.日本における脳死

 ①定義 「脳幹を含む全脳の不可逆的な機能停止」(=B.全脳の機能死)

 ②判定方法 厚生省基準 (竹内基準) 1985年作成
   イ.深昏睡
   ロ.自発呼吸の停止
   ハ.瞳孔散大
   ニ.脳幹反射の消失 (対光反射、角膜反射、毛様脊髄反射、眼球頭反射、前庭反射、咽頭反射、咳反射)
   ホ.平坦脳波
   ヘ.イ~ホの確認後6時間後に再検査


4.日本の臓器移植法の骨子

 ①改正前臓器移植法 (1997年) の骨子
   イ.医師は死体(脳死した人の身体を含む)から移植のために臓器を摘出できる。
   ロ.脳死した者の身体とは、移植のために臓器が摘出される予定で、
     全脳の機能が不可逆的に停止したと判断された人の身体をいう。
   ハ.脳死で臓器を摘出する場合の脳死判定は、
     本人が生前に書面で脳死と判定されたら死者として扱われることに同意しており、
     家族が判定を拒まない場合に限って行える。
   ニ.脳死の判定はこれを的確に行うために必要な知識、経験を有する
     2人以上の医師の行う判断の一致による。(摘出医、移植医は除く。竹内基準による。)
   ホ.脳死で臓器摘出ができるのは、死者が生前に書面で臓器を提供する意思を表示しており、
     遺族が摘出を拒まない場合に限る。
   ヘ.心臓停止後に腎臓又は角膜を摘出する場合は従来どおり、
     本人の提供意思が不明でも、遺族の同意で摘出できる。     
   ト.脳死した者の身体への処置の費用は当分の間、保険給付の対象とする。
   チ.臓器提供は15歳以上の者のみ可能とする。

 ②改正後臓器移植法 (2010年) の骨子
   イ.脳死は一律に人の死。
   ロ.本人の書面による意思表示がない場合、家族の同意のみで脳死者から臓器提供できる。
      (15歳未満の者からも、家族の同意があれば臓器提供できる。)
   ハ.本人の書面による意思表示があれば、近親者への選択的臓器提供ができる。

脳死の死亡時刻は?

2013-07-16 18:59:34 | 生老病死の倫理学
昨日、『救命病棟24時』 で脳死臓器移植が大々的に取り上げられていたことを報じました。
そのなかで、ドラマの冒頭、脳死判定のシーンがあり、
そこに間違ったセリフがあったとも書きました。
しかし、その後じっくり考えてみたところ、医学的には間違っているけど、
セリフとして間違ってはいなかったかもしれないという気もしてきました。

その問題を論ずる前に、日本の脳死判定方法を記しておきましょう。
昨日書いたように日本における脳死の定義は 「全脳の不可逆的機能停止」 ですが、
それをどのように判定するのか。
日本では1985年に厚生省によって作成された基準で判定します。
竹内一夫氏が中心となって作成したので 「竹内基準」 とも呼ばれています。
竹内基準によれば以下の6つを満たすと脳死と判定されます。

イ.深昏睡
ロ.自発呼吸の停止
ハ.瞳孔散大
ニ.脳幹反射の消失
ホ.平坦脳波
ヘ.イ~ホが確認されたあと6時間後に再検査

「イ.深昏睡」 というのは意識不明状態のなかでも最たるもの、
叩こうが殴ろうが何をしようがまったく反応しない状態です。
そりゃ当たり前です。
もしもピクリとでも反応したらそれは生きてるってことでしょう。
「ロ.自発呼吸の停止」 と 「ハ.瞳孔散大」 は心臓死の場合と共通です。
あと 「心停止」 さえ加われば心臓死になるわけですが、
昨日も説明したとおり、脳死の場合は人工呼吸器のおかげで心臓も動いているわけです。
心臓が動いているので、その代わりに脳の機能が消失していることを確認していきます。
まずは 「ニ.脳幹反射の消失」 を確認することによって、
脳幹の機能が停止しているかどうかを確かめます。
(ドラマには瞳孔散大や対光反射の検査のシーンが盛り込まれていました。)
さらに、「ホ.平坦脳波」 を確認することによって、
大脳の機能も停止していることを確かめます。
こうやって脳幹も大脳も含めて全脳の機能が停止していることを判定するわけです。

しかし、これだけではまだ脳死と判定するのに十分ではありません。
上記のイ~ホを満たしたとしてもそれは可逆的な停止にすぎないのかもしれません。
つまり、一時停止にすぎずしばらくしたら回復するかもしれないのです。
脳死と言えるためには全脳の機能が不可逆的に停止していなければなりません。
イ~ホが一時停止ではなく不可逆的停止と言えるためにはどうしたらいいのか?
日本では、不可逆的停止であることを担保するために、
「ヘ.6時間後に再検査」 を課しています。
6時間経ってもあいかわらず機能停止したままならば、
それはもう不可逆的停止であるとみなすのです。
実を言うと、6時間経ってもダメなら不可逆的停止であると言ってしまっていいのかどうか、
これはひじょうに危うい問題です。
竹内基準の最大の問題点と言ってもいいでしょう。
世界では12時間とか24時間などもっと長い時間を置くようにしている国がほとんどです。
6時間というのは世界最短なのです。
もちろん6時間を12時間にしたり、24時間に延ばしたところで、
ではそれは不可逆的と言えるのかというのはやはり怪しい話であることに変わりはありません。
これにはいろいろ言いたいことがありますが今日のところはここまでにしておきましょう。

とにかく、以上のイ~ヘをもって日本では脳死を判定しているのです。
ただし、今のイ~ヘの順番というのは、心臓死と比べてみてわかりやすいというので、
たまたまそのような並び方にしておいただけです。
実際に脳死判定をするときは、この順番では行いません。
なぜなら、「ロ.自発呼吸の停止」 の検査というのが、
いったん人工呼吸をやめなければいけないので、ひじょうに危険なのです。
下手をするとこのテストをしたことによって心臓が止まってしまいます。
ですのでこの 「無呼吸テスト」 は一番最後に行うことになっています。
脳死判定の詳しいやり方はこちらをご覧ください。
簡単に順番を記しておくと次のようになります。

①深昏睡
②瞳孔散大
③脳幹反射の消失
④平坦脳波
⑤自発呼吸の停止
⑥6時間後に再検査

さて、このように脳死を判定するためには①~⑤の検査を6時間置いて2回することになります。
では質問です。
検査を2回するわけですが、2回とも①~⑤が失われていたとして、
この方の死亡時刻は、1回目の検査が終了したときと、
2回目の検査が終了したときのどちらになるのでしょうか?
皆さまちょっと考えてみてください。
できればその理由も付け加えてください。
ここまでで脳死のことがきちんと理解できていれば正解できるはずです。
それでは、シンキングタ~イム!














「倫理学」 の授業でも授業内課題としてみんなに考えてもらいました。
その回答結果は以下のとおりでした。

1回目……17名 (26%)
2回目……48名 (74%)

皆さまはどちらを選んでいたでしょうか?
正解は2回目です。
正解率は74%、3/4の人は正解していましたが、1/4の人は不正解でした。
なぜ2回目になるかと言うと、脳死の定義は 「全脳の不可逆的機能停止」 ですが、
1回目の検査を終えた段階ではまだ 「不可逆」 かどうかがわかりません。
可逆的・一時的停止にすぎないかもしれないのです。
2回目の検査でも何も戻っていなかったことが確かめられた時点でやっと、
「不可逆」 的機能停止であるということが確かめられるのですから、
死亡時刻は2回目の脳死判定を終えた時点ということになるわけです。
実際の判定手順としてはイ~ホの検査を2回やっているように見えますが、
脳死の判定基準としてはイ~ヘを全部満たした場合に脳死と言えるわけです。
したがって1回目の終了時点ではまだ脳死とは言えないのですね。
ただ、実は脳死臨調のときにも死亡時刻はどちらになるのか、
専門家 (医者を含む) のあいだでも意見が分かれていたそうで、
これは脳死のことをよっぽどきちんと理解していないと医者ですら誤解しかねない、
けっこう難しい問題であるのです。

さて、『救命病棟24時』 に戻りましょう。
ドラマでは1回の脳死判定に3時間くらいかかること、
法的脳死判定は主治医が行ってはならないので別の2名によって行うこと、
(主治医の小島楓ではなくセンター長の杉吉医師が法的脳死判定を行っていました)
など現場に即した描写が数多く盛り込まれていました。
その杉吉センター長が1回目の法的脳死判定を終えたときに、
家族に向かって次のように言うのです。

杉吉 「第1回法的脳死判定では脳死と判定されました。第2回目は6時間後に行います。」

もうこのセリフのどこが間違っているのかわかりますね。
第1回法的脳死判定ではまだ脳死を判定することはできないのです。
したがって医学的にはこの言い方は間違っていると言わざるをえません。
ただ、ではほかに何と言えばよいのか?
そう考えると上手い表現がなかなか見当たりません。
「第1回法的脳死判定では脳死の6条件のうちの5条件が満たされました」 でしょうか?
ちょっとクドイですね。
「第1回法的脳死判定の段階では脳死の条件を満たしていました」 かな?
これじゃわかりにくいわりに正確ではないような気もするし。
そして、これらの言い方では患者さんの家族に言いたい意味が伝わらないように思うのです。
そう考えてみると、現場のお医者さんたちは実際には、
杉吉医師のような表現で家族に伝えているのかもしれないなという気がしてきました。
医学的・法律的には不正確ですが、臨床現場での言葉遣いとしてはこれでもいいのかな、と。
ということはドラマのセリフとしても、これはこれでいいのかもしれません。
特に、小島楓のセリフではなく、杉吉センター長のセリフですので、
むしろ医学的にちょっと怪しいくらいでもいいのかもしれません。
番組の冒頭でこのセリフに出会い、ちょっと先行きに不安を感じた私でしたが、
このセリフも含めて、医学的にきちんと裏付けられた、
ものすごい番組なのかもしれないという気がしてきました。

『救命病棟24時』 第1話における脳死臓器移植

2013-07-15 20:55:33 | 生老病死の倫理学


先週から 『救命病棟24時』 が始まりました。
今回が第5シーズンだそうですが、実を言うと今まで一度も見たことがありません。
できるかぎり医療ドラマは見たいと思っているんですが、
たいてい第1回目を録画し忘れてしまってそれっきりということが多く、
『救命病棟24時』 もそうやって見落としてしまったドラマのひとつです。
しかし、今回初めて見てみたところ、初回から脳死臓器移植の話が満載でビックリしました。
前からこうだったんでしょうか?
今週末の哲カフェは脳死問題ですし、とにかく今回見落とさずにすんでよかったです。
第1回は最初から脳死判定のシーンがありました。
ただ、冒頭から脳死に関して間違ったセリフがあり、ちょっと心配になりました。
それはまた別の機会に論じることにしましょう。
しかし、全体的には脳死の問題、救命の問題、臓器提供の問題、臓器移植法改正の問題など、
脳死臓器移植に関わる最新の諸問題を取り入れてドラマが構成されており、
脳死臓器移植オタクの私としては、けっこう楽しめました。

舞台となるのは国立湊大学附属病院救命救急センター。
そこに小島楓 (松嶋菜々子) が医局長として着任したばかりです。
院長やセンター長といったお偉方は臓器提供の実績を上げたいと思っており、
上手くいかないと現場に責任を押しつける気満々です。

センター長 「今朝の脳死判定の話は聞いてる?」
小島 「1回目の脳死判定のあと臓器提供は中止したいと御家族から申し出があって取りやめになったと聞いております。」
院長 「うまくいけばうちからの臓器提供の1例目になるところで、期待したんだけれどねえ。」
センター長 「何か思い当たることはないの? 強引に進めようとしたとかさ。思いやりがない声のかけ方をしたとか。」
小島 「いえ、あの…、移植コーディネーターの永井さんが御家族の精神的な支えになってくださっていますし、特にまずい発言をしたとは思っておりませんが…。」

実は患者さんの家族が臓器提供を中止したのは、
病院のお偉方の夜の会食時間に合わせて、第1回目の脳死判定が朝6時からに変更されて、
病院に対して不信感を抱いてしまったからだったんですが、
そういう問題を現場に押しつけようとするお偉方というのはドラマではよくある設定です。
次の院長のセリフは今の移植医療を象徴するようなよくできたセリフでした。

院長 「うちもそろそろ臓器提供の前例を作らないことにはさ、国立大の威信に関わる由々しき問題なんだ。脳死の患者さんの8割が救命救急センターから生まれている。君の現場は移植医療の最前線でもあるんだからね。」

救命救急の現場は移植医療の最前線でもある、というのはまさにその通りです。
脳疾患が進行して脳死にいたるというケースもありますが、
それよりは交通事故や脳卒中など急性の場合が多いのです。
そして、臓器提供の実績を早く作りたがっているお偉方は、
臓器提供のスペシャリストとして名高い夏目衛 (時任三郎) を他大学からセンターに招聘します。
しかし、現場の医師たちの中にはその人事に反発する者もいます。

広瀬医師 「信じられないくらい高い救命率と臓器提供の実績、両立させてるんですよ。」
本庄医師 「救命医が脳死を認めるっていうのはな、負けを認めたのと同じだ。俺たちはとにかく目の前の患者を全力で助けることに集中するわけだろう。それを脳が機能していません、人工呼吸器を付けていなれば自力で呼吸ができない脳死の状態です、臓器提供いかがなさいますかって、どんな顔して言やいいんだ。」

この本庄先生のセリフも、救命医療と脳死臓器移植の関係をよく表したいいセリフです。
脳死がどんなものであるかをとてもわかりやすく説明しているセリフでもあります。
日本において脳死は 「全脳の機能の不可逆的停止」 と定義されています。
脳のなかでも、無意識的にできること (寝ているあいだにできること) を司っている、
脳幹と呼ばれる部分が不可逆的に機能停止すると、自発呼吸もできなくなってしまいます。
そうなると本来なら人間は死んでしまうのですが、人工呼吸器に繋ぐことによって呼吸を維持し、
それによって心拍も維持されている状態が脳死状態です。
そのめんどくさい説明を短いセリフでうまく表していました。
別のシーンではこんなやりとりもあって驚きました。

広瀬 「脳の腫れが引きませんね。脳死ということですか?」
小島 「今の状態では判断できないんですけど…。」

脳死になるためには、脳が腫れて頭蓋内圧が高まり、
それによって脳血流が停止するということも重要なメルクマールです。
そのことも示唆するようなセリフでした。
また、劇中では、脳死と疑われる患者に対して医者も看護師も診察したり処置したりする前に、
必ず 「失礼します」 とか 「おはようございます」 と声をかけており、
これも現場に即した正しい描写でした。
さらにはこんなシーンもありました。

夏目 「そんなに見つめないほうがいいと思いますよ。」
小島 「へっ?」
夏目 「男が女性からそんなふうに見つめられたら照れるじゃないですか。彼はまだ生きてますからね。」

脳死患者にどう接すべきかという点で示唆に富むシーンでした。
さて、この交通事故にあった患者さんはなかなか家族が見つからなかったのですが、
やっとお兄さんとお姉さんが見つかります。
もう8年も兄姉とは音信不通だったのだそうです。
その兄姉に診断を伝えるシーンのセリフもわたし的には感動ものでした。

患者の兄 「このまま弟はもう意識が戻らないんですか?」
小島 「残念ですが、臨床的には脳死と思われる状態です。」

臓器移植法の制定以来 (特に1999年の第1例目の脳死臓器移植以来)、
日本では 「臨床的脳死」 と 「法的脳死」 という言葉が定着してしまいましたが、
私はあれは誤用だと思っています。
2種類の脳死があっていいわけではない。
「臨床的脳死」 のほうは脳死ではなく、
まさに小島が言ったように 「臨床的には脳死と思われる状態」 と呼ぶべきなのです。
最初のミスを取り戻すくらい、ひじょうに正しい言葉使いです。
脚本家の方は相当勉強されているのではないでしょうか。
また、このドラマでは、最初のほうのセリフにも出てきていましたが、
永井栄子 (伊藤裕子) という移植コーディネーターがキャスティングされているのも、
素晴らしい点だと思いました。
そして、臓器移植法が2010年から改正されて、
本人のドナーカードがない場合、家族の同意だけで移植が可能になったことも取り上げられ、
それでも残されている問題について触れられていました。

院長 「そうか、ドナーカードを持っていない患者さんなんだね。」
永井 「臓器提供の意思表示を御本人がされていない場合は、まだまだ御家族の同意をいただくことが難しいんですが…」
院長 「臓器提供に同意してくれたとき、その御兄弟は何か言っていた?」
永井 「地元でもたくさんの人に迷惑をかけた弟だから、せめて最期くらいは人様のお役に立てたらってそうおっしゃって。」

本人の意思がわからないと家族はなかなか臓器提供の是非を考えることはできないというのは、
改正された臓器移植法にとってひじょうに重要な問題です。
私はドナーカードがなくてもよくなったからこそ、家族の話し合いが重要だと、
学生たちには口を酸っぱくして語り続けています。
さて、院長と永井のやりとりを黙って聞いていた小島でしたが、
院長室を出てから永井に自分の疑問を漏らします。

小島 「これでよかったんでしょうか? うまく言えないんですけど、御兄弟ともこの8年顔を合わせることがなかったわけでしょう? 私がもし患者さんの立場だったら、8年前の記憶じゃなくて、今の自分を語ってくれる人に決めてもらいたいなって、そう思ったんです。」
永井 「でも、身近にそういう人がいらっしゃらない場合もありますよね。私たちは御家族の意思を尊重することに力を尽くすよりほかないんじゃないでしょうか。」
小島 「もちろん患者さんや御家族にもいろいろな事情があるのは当然なんです。それはわかってるんですけど…。」
永井 「万全を期したくてもできないときはあるんじゃないでしょうか。」

救命医の立場、移植コーディネーターの立場、それぞれよく出たやり取りです。
けっきょく患者さんの同棲相手という女性が現れてきて、
彼女の意向を汲んで臓器提供は行われないことになりました。
患者の家族って誰なのかを考えさせられるストーリー展開でもありました。
劇中では特に兄姉と同棲相手とのあいだでの意見のすれ違いが、
大事 (おおごと) へと発展することはありませんでしたが、
現実の世界では、近くにいるごく親しい関係だけれど法的に家族とはなっていない者と、
長らく連絡を取っていなかったけれど血は繋がっている家族とのあいだで、
意思の統一がはかれないというのは、とてもよくあることです。
家族の同意と一言で言うけれど、そんなに簡単な問題ではなく、
家族のなかでもズレはありえるのです。

さて、主人公の小島楓も救命医として脳死や移植医療に悩むひとりでした。
彼女は、夏目にこう尋ねます。

小島 「夏目先生、あの、救命医として脳死だと認めることは負けたことにはなりませんか? 夏目先生は救命医として全力で戦いながら、脳死をどう受け止めていらっしゃるのか、教えていただけませんか。」

この問いに対して、問われたその場では夏目は、
「お教えするような大層なことは何も考えていませんし、何もやってきたつもりはないんですよ」
と受け流すのですが、第1話の最後で2人は次のような会話を交わすのでした。

小島 「臓器提供は中止にすることで御家族の意見がまとまりました。」
夏目 「そうですか。」
小島 「実は脳死判定の前から引っかかってたことがあって。もう一度時間をおいてじっくりと語り合う提案をこちらから御兄弟にするべきじゃないのかって、そう思いながら自分から動けずにいたんです。臓器提供に対して私の信念や覚悟が足りなかったからだと思います。」
夏目 「どうするべきかに気がつけてよかったじゃないですか。」
小島 「え?」
夏目 「大丈夫ですよ。まだまだ遅くはない。このあいだ小島先生は私に脳死をどう受け止めているかって聞かれた。」
小島 「はい。」
夏目 「私はどこを人の死とするのか医療者が決めることではないと思っています。患者さんの御家族がまだ生きていると思われるのなら、その気持ちを大切にしたい。患者さんとその身近な人にとって何が一番幸せなのか、そのためにできることをやるだけです。」

最後の夏目のセリフは、若干舌足らずなところがあります。
人の死を判定、診断できるのは医者だけです。
素人 (患者本人であれ、家族であれ) が人の死を決めてはいけないと私は思います。
ただ、現在日本では心臓死と脳死という2種類の死が併存しています。
その現状において、どちらを人の死とするのかは各人や各家族が決めていいことです。
ですから、最後の夏目のセリフは、
「心臓死と脳死とどちらを人の死とするのか医療者が決めることではないと思っています」
と言い換えるのならばまったく間違っていませんし、
おそらくあのセリフはそういう意味で使われているのでしょう。
最後はQOL (クォリティ・オブ・ライフ) の話にまで触れられていました。
これまでもいくつか医療ドラマは見てきましたが、
ここまで本格的に脳死臓器移植を正面から取り上げたドラマはありませんでした。
今後もこの調子で脳死臓器移植を扱い続けるとは思えませんが、
ちょっと楽しみに見てみたいと思います。
それでは7月20日 (土) に 「てつがくカフェ@ふくしま」 でお会いしましょう。

驚異の腹囲!

2013-07-12 17:47:03 | がんばらないダイエット
ダイエット・ネタが続いてしまい申しわけありません。

明日は脳死関連の記事を書くつもりです。

「倫理学」 受講者の皆さん、せっかくブログ見に来ていただいたのに、

倫理もへったくれも感じられないお話ばかりですみませぬ

さて、究極のがんばらない 「糖質制限ダイエット」 に最近は筋トレなんかも組み込んで、

一時期の体重減の勢いは衰えつつあるとすでにご報告したところですが、

となると体重ばかりではなく、腹囲なんかを気にしたいところです。

Facebook 上では腹囲の話もしたことがあったんですが、

今読み返してみたところブログでは腹囲についてはご報告していなかったようです。

あの例の衝撃のデブ写真のとき、腹囲はなんと98cmもありました。

あやうく1mですよ。

単位が変わってしまうところでした。

測った妻が笑う、笑う (爆)。

その屈辱が 「糖質制限ダイエット」 へ駆り立てたといっても過言ではありません。

ほんの1週間足らずで3.5kgの減量に成功し、そのとき測った腹囲は92cmでした。

これはたまたま2週連続で東京に行ったので、腹囲を計測できていたのですが、

福島には腹囲を測る用のメジャーがありませんでした。

福島にあるメジャーはこんなやつ。



日曜大工に使うような金属製のやつです。

一度これで測ってみようとしましたが、カクカクカクッと折れるので正確に測れないし、

下手するとシュパッとハラキリしてしまうんではないかと気が気ではありません。

そのことを Facebook でつぶやいたら、メジャーくらい100均でとっとと買えとアドバイス頂きました。

素直な私はさっそく100均に行き、ウロウロ探し回った挙げ句こんなものをゲットしました。



うーん、お肌に優しそうじゃないか。

久しぶりの計測です。

その後、体重は減量スピードは失速したもののわずかずつ着実に減り、

このところは65kg台のなかで行ったり来たりしています。

72kgのときから比べると、6kg超の減量です。

そして、腹囲。

はたして体重と同じくらいの劇的な数値をマークしているんでしょうか?

おそるおそる測ってみます。

おおっ!

なんと88cm弱

みごとに10cmダウンです。

メタボリック症候群の基準は作成母体により数値が異なっているのですが、

多くの基準では 「男性腹囲90cm以上」 となっていますので、

めでたくメタボ脱出です

日本肥満学会だけ 「腹囲85cm以上」 にしているのでそれには引っかかっていますが、

肥満学会 (ああ、なんてイヤな響きなんだろう) を見返してやるのも遠い先ではないでしょう。

88cmというのはそれでもまあ十分デブなんですが、

最近は苦もなく 「体育座り」 ができるようになってきました。

体育座りができないってどんだけ太ってんだよって話ですが、

ホントにほんの1ヶ月前までは腹がじゃまして両膝を抱えることができないくらいだったのです。

それからするとみごとなスッキリ具合です。

この調子でもう少しがんばってみたいと思います。

「糖質制限ダイエット」 の経過報告でございました。

発泡酒ダイエット復活!

2013-07-11 19:18:46 | がんばらないダイエット
「サントリーダイエット生」 の終売により長らく中止を余儀なくされていた 「発泡酒ダイエット」 ですが、

「糖質制限ダイエット」 を始めた以上、なんとか再開しなければなりませんでした。

しかし、ただでさえ発泡酒ってあまり美味しくないのに、

糖質オフのやつとなるとよけいに口に合うものがありません。

とはいえそんなことも言っていられませんので、

先日、スーパーに糖質オフ発泡酒を物色しに行ってまいりました。

「ダイエット生」 を売っていたのはもう2年も前ですが、その後だいぶ商品棚が様変わりしたようです。

「ダイエット生」 は糖質70%OFF、プリン体50%OFFでしたが、

今や糖質0%のものがけっこうたくさん売られています。

そのなかから 「アサヒスタイルフリー」、「キリンZERO生」、「サッポロ極ZERO」 を買ってきて、

飲み比べてみました。

その結果、「サッポロ極ZERO」 が断トツで 「ダイエット生」 の後継者に選ばれました。

評価のポイントは、味が濃いとかビールの味に近いということではありません。

あくまでも 「ダイエット生」 のあの薄さとあの味に近いかどうかです。

「極ZERO」 はみごとにその基準をクリアしていました。

となるとさっそく例の飲み方を試してみなくてはなりません。

翌日にはまたスーパーに行ってライムを買い出ししてきました。

まさか前日は、そんなにすんなりと 「ダイエット生」 の後継者が見つかると思っていなかったので、

ライムを買うということまで思い浮かばなかったのです。

やってみました。

これです。



コロナビールのようにライムを入れて飲んでみると、やはりばっちり合います。

本物のビールには比べるべくもないですが、

コロナビール+ライムの味わいに似たビアテイスト・カクテルと思えば十分満足できます。

しかも、「極ZERO」 は世界初のプリン体0.00mgでもあるそうです。

これで痛風の心配もしないですむじゃないですか。

この夏は 「極ZERO」 + ライムで乗り切ってやるぞぉ

あとは 「極ZERO」 が終売にならないことを心からお祈りしたいと思います。

アクセス数歴代2位+保護色

2013-07-10 17:39:11 | 人間文化論
昨日は歴代2位のアクセス数を得てしまいました。

なんと682アクセス。

歴代最多は703アクセスでしたから、あとちょっとです。

しかもそのときは、「646位 / 1816305ブログ」 でしたが、

昨日は、「619位 / 1899782ブログ」 とランキングだけなら歴代1位です。

やはり、時事ネタは強いですね。

前回は公務員の退職金カットに伴う早期退職問題。

今回は吉田昌郎元第一原発所長の訃報 (ひょっとすると兼島ダンシング逮捕?)。

時事ネタばっかり扱ってればアクセス数はのびていくんでしょうね。

でも、そういうキャラじゃないので、今日も拾いもの画像でごまかします。

いつものミクシィの 「笑える画像」 コミュから、今回のテーマは保護色ということで。





これはどうっちゅうことはありませんね。

でも、これはけっこうすごくない?





いっそ首輪も取ってほしかった。

きわめつけはコレ。

完全に幽霊です。





この人、浮いてるよぉ。

たまたまの偶然なのか、狙っていたのか。

狙って撮ったとしたら尊敬します。

あの人のその後

2013-07-09 18:47:55 | ダンス・ダンス・ダンス
今ちょっと会議に行って戻ってきてみたら、

2人の方のその後のニュースがネットで流れていて驚きました。

ひとりはこの方。

「<福島第1原発> 吉田元所長が死去 事故時に現場対応」

福島のみならず日本を救ったヒーローのひとりであることは間違いありません。

(もちろんまだ 「救った」 と過去形で語ってしまえる状況ではありませんが…)

2011年の12月時点で食道ガンであることはわかっており、

早々に 「3月11日以来の被曝線量は70ミリシーベルトだが、

専門医からは被曝が発症につながった可能性は低いとの評価を受け」
ていて、

今回、58歳という異例の若さで食道ガンで亡くなられたわけですが、

おそらく東電からは労災の扱いも受けられないことになるのではないでしょうか。

(せいぜい認定されても 「過労死」 くらい?)

日本ならびに原発という 「犠牲のシステム」 の被害者がまたひとり増えたことになります。

私と同じ 「まさおさま」 のご冥福をお祈り申し上げます。



もうひとつのニュースはこちら。

「窃盗容疑でお笑い芸人逮捕=事前にネット出品、落札後盗む―高級自転車被害・警視庁」

誰かと思ったら 「兼島ダンシング」 さんです。

今のところ本人は否認しているとのことですので、まだ確定情報ではありません。

兼島ダンシングといえば、4年ほど前に衝撃のデビューを果たし、

その後一切見かけることのなかった、プロダンサー兼芸人という異才です。

私のこのブログのなかの 「ダンス・ダンス・ダンス」 というカテゴリーの、

一番最初の記事が兼島ダンシングの話でしたから、

ダンスをテーマにしたカテゴリーを新たに立ち上げなければならないと思わせるほど、

私にとって兼島ダンシングのインパクトは強かったと言えるでしょう。

もしも本当に彼がこの犯罪に手を染めていたのだとしたら、

芸人の道も本業のダンスも相当苦しかったということなのでしょうか?

元ダンサーとして、現全東北学生競技ダンス連盟会長として、

大変に身につまされるニュースでした。