まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

可逆的崩壊か、不可逆的崩壊か?

2016-05-31 12:53:05 | お仕事のオキテ
ええと、たしか3月31日には毎年恒例の 「どげんかしたったい」 で、

ここまでやり遂げていたはずなんです。



4月1日のエイプリルフールにこんなやらせ写真をアップしましたが、



これはわざとこんなふうに演出しただけで、すぐに元に戻り、

新学期に入ってからはずっとこのテーブルでゼミを開催しておりました。

しかしながら、今年はいろんな世話人の仕事がいっぺんに降りかかり、

この状態を維持するのは並大抵のことではないなと予測していたところ、

案の定こうなってしまいました。



先々週ぐらいからゼミを研究室で開けなくなっております。

今日は、うちの大学の研究振興課さんから Facebook に記事を掲載するために、

ラボ訪問 (=研究室訪問) のインタビューをさせてくださいとの依頼を受けていましたが、

この惨状をお伝えして、わざわざ別の会議室を取ってもらってインタビューを受けてきました。

「できれば研究室での写真を掲載したいんですが、いつ頃撮影できそうでしょうか?」

と聞かれ、「例年だとたぶん新年度になったらまた片づくと思います」 と正直に答えたら、

一瞬 「新年度」 の意味がわからなかったようですが、

わかった瞬間、それではダメだと言われました。

まあ、そりゃそうでしょうね。

私としてもこのまま崩壊してしまっていいとは思っていないんです。

先ほどの写真よく見てみると、いつものように有象無象がうずたかく堆積しているわけではなく、

まだ、何らかの秩序が感じられます。

ひとつひとつの山に意味が感じ取れます。

まだ何とか復帰できると思うんですよ。

一番ヤバイのは、右手前に見えるレーザープリンターです。

教育学部時代 (2004年以前) に買って長らく使っていましたが、

カラープリンターを使うようになってからはずーっと使わないまま机の上に置きっぱなしで、

先日、A3プリンターを買ったときに10年以上ぶりに机から撤去したものです。

モノはいい物だったはずなので、何かあったら再利用するか、学生に貸与しようと思っていましたが、

USB接続という概念がなかった頃の代物ですので、

もう今どきのパソコンと繋ぐことができないとわかり、撤去を決意してテーブルに移したのです。

ところが、事務に確かめてみたら物品の廃棄は年度末にしかできないそうなのです。

おいおい、3月までここに置いとかなきゃいけないのかよ。

ちょっとこれの扱いには困ってしまいますが、

何にせよ3月までこのテーブルの上に置いとく必要はないでしょう。

これさえ何とかできれば、まだ元に戻れると思うんですよ。

ポイント・オブ・ノー・リターンはまだ超えていないと思うんですよ。

これは不可逆的崩壊ではなく、あくまでも可逆的・一次的な崩壊だと思うんですよ。

ああ、夜のあいだに小人さん (または屋敷しもべ妖精) が来てここ片づけといてくれないかなあ?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地球温暖化の証拠写真

2016-05-29 09:37:39 | 人間文化論
うちのクルマのダッシュ-ボードに付いてる外気温表示機能が、

摂氏温度ではなく華氏温度になったまま固定されてしまったという話はもうずいぶん前に書きました。

今のクルマをもらったのが2012年の4月で、

その年の12月にはもう華氏表示になってしまっていましたので、

華氏温度とももう3年半ぐらいの長い付き合いです。

華氏なんて大っ嫌いでしたが、これだけ長い付き合いになるとさすがに慣れてきました。

摂氏と華氏を換算する計算式↓なんてゼッタイに覚えられないと思っていましたが、

F=9/5C+32

C=5/9 (F-32)

これをこのまま覚えるのではなく、その意味を覚えたら、

華氏表示を見てだいたいの摂氏温度がわかるようになってきました。

一番重要なのは華氏32度が摂氏0度であるということです。

換算式のいずれのなかにも出てくる32という数字はそのことを表しています。

そして、9/5とか5/9という分数は、

摂氏5度分が華氏だと9度に当たるということを意味しています。

もう一声、10度にしてくれていたらまだわかりやすかったのに、

5度分が9度に当たるというビミョーな中途半端さ加減が華氏をわかりにくく、使いにくくしています。

それはさておき、覚えるときには倍にして摂氏10度分が華氏だと18度に当たると覚えました。

そうするとこうなります。

摂氏0度=華氏32度

摂氏10度=32+18=華氏50度

摂氏20度=50+18=華氏68度

摂氏30度=68+18=華氏86度

たまたまの偶然でしょうが、摂氏10度のところが華氏だとぴったり50度になりますので、

あとは18ずつ足していけば20度、30度になるわけです。

68と86も1の位と10の位の数字が入れ替わっただけですから比較的覚えやすいです。

5度刻みにするならこれらにプラス9してあげればいいわけです。

摂氏5度=32+9=華氏41度

摂氏15度=50+9=華氏59度

摂氏25度=68+9=華氏77度

摂氏35度=86+9=華氏95度

これらの奇数はなかなか覚えられるものじゃありませんが、

まあそのつど計算すればいいでしょう。

という感じでこの3年半のあいだに、

華氏表示を見たらだいたいの摂氏温度がわかるようになってきました。


で、先日 「等差数列ドライブ」 の話を書き、

そのために以前の 「ゾロ目ドライブ」 の記事も見返してみたわけですが、

見るともなく走行距離表示の下の華氏温度も見てしまい、その数値にビックリしました。

2016年4月7日の写真がこれです。



華氏50度って先ほど出てきたばかりだから見覚えがあります。

摂氏10度ジャストです。

それに対してその3年前のほぼ同時期、2013年4月11日の写真がこれです。



おおっ、40度を割っているじゃないか。

華氏41度が摂氏5度でしたから、これだとだいたい摂氏4度くらいのはずです。

どちらも相馬の看護学校の初日でしたが、華氏で11度、摂氏にして6度も温度が違うんですね。

昔だったらこの数字を見ても何も感じなかったかもしれませんが、

華氏温度に精通してしまった今、2枚の写真を見比べてみて、

なんだかんだで地球は着実に温暖化しているんだなあと実感してしまったというお話でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謎の頭痛・再び

2016-05-28 11:57:22 | 生老病死の倫理学
以前に原因不明の頭痛にしばらく苦しめられたことがありました。

ついこの間のことのように思っていましたが、記憶力に問題を抱えている私ですので、

自分にとっての外付けハードディスクである自分のブログで確認してみたところ、

あれはもう5年も前のことだったようです。

2011年の8月に3本の記事を書いていました。

「謎の頭痛」

「謎の頭痛・その後」

「頭痛よ、さらば」

読んでみると、けっこうあっちこっちの病院に行ってみてたようですね。

すっかり忘れてましたが…。

さて、ちょうど3週間前の今日のことなのですが、

前日にぢゅんちゃんちでパーティがあり、けっこうワインをガンガン開けて飲み、

目覚めてみたら頭痛がしていました。

やっちまったなあと思いつつも、その日は本 de てつがくカフェの日でしたので、

頭痛薬でなんとか頭痛を抑えながら、わがままな人たち相手にファシリテートし、

その夜は再び2時くらいまで痛飲してしまったのでした。

当然、翌朝も頭痛です。

しかたないよなあと思いつつ頭痛薬を追加投入しました。

ただ、いつもの二日酔い (というかただの飲み過ぎ) であれば、

朝のうち頭痛がしていても、1回頭痛薬をのめばそれで午後には治まってくれるはずです。

ところが今回はいつまでも治まらず何度も薬をのまなければなりませんでした。

で、それが翌日も翌々日も続いたのです。

そうなってやっと飲み過ぎによる頭痛ではなかったのだなと気付きました。

そうなんです、5年前の謎の頭痛の再発だったのです。

ただし前回とは若干症状が違っているところもあります。

前回は首筋から後頭部、そして頭頂部にかけて頭全体が痛んでいたようです。

今回は頭頂部のちょっと右側あたりに痛みは集中しています。

また前回は 「頭の筋を違えてしまった感じ」 というふうに表現して、

コンスタントにずーっと痛んでいたのですが、

今回はズキンズキンと血管の脈動に合わせて痛む感じだし、

立ち上がったり頭を動かしたりなど何かの動作をした一瞬あとに痛みが襲ってくる感じです。

ネットで調べてみると、前回のは 「緊張型頭痛」、今回のは 「片頭痛」 に分類されるようです。

緊張型頭痛のほうは首や肩の凝りをほぐすという方法で何とかなるみたいですが、

片頭痛のほうはなかなか原因もはっきりせず根治の方法も確立されてはいないようです。

困ったもんだ。

ただ、今現在、首や肩 (特に左肩) が見るからに張っているんだそうで、

自分としても首や肩がものすごく凝っているという自覚症状はあります。

というわけで、先週 「さいとう接骨院」 に行ってきました。

最近の私の行きつけなんですが、気持ちよかったですねえ。

最初はあの 「エレパルス」 の巨大本格専門業者仕様みたいなやつで電気をかけられるんですが、

それだけでよだれ垂らして寝入っていました。

そのあとの暖める機械も極楽で、そして最後に入念にマッサージをしてもらい、

ものすごく肩はラクになりました。

これで頭痛も雲散霧消してくれたらと願っていましたが、

残念ながら頭痛からの完全解放には至りませんでした。

しかしながら痛みは劇的に軽減されました。

その後は痛む回数も減ってきましたし、耐えられないほど痛いわけでもないので、

ほとんど頭痛薬のお世話にはならずにすんでいます。

ふと気づくと半日以上頭が痛んでいなかったということもこのところよくあります。

この調子で頭痛はしだいに解消していってくれるのでしょうか?

そう願いたいと思います。

それにしても謎の腹痛に続いての謎の頭痛、いったい何なんでしょう?

今年度はいろいろな世話係がいっぺんに降ってきて、生まれて一番忙しい日々を送っているので、

身体が何かのサインを出してくれているのでしょうか?

それとも、もう本当にどこかが壊れかけているのでしょうか?

ああ、コワイコワイ。

でも、このままちょっと入院とかしなきゃいけなくなって、

全部の仕事をお断りしなきゃいけなくなるなんていう事態をうっすら望んでいたりもするのです。

あくまでも軽い入院ですむような病気なら、ということですが…。

まさおさまの身体はこのあと果たしてどうなっていくのか、乞うご期待ですっ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈不倫〉 はイケナイのか?

2016-05-27 17:33:27 | 性愛の倫理学
来週の土曜日は第37回てつカフェです。

今度のテーマは「〈不倫〉 はイケナイのか?」



このところ (特に今年に入ってから) マスコミでは、あたかも巨悪に目をつぶるかのように、

芸能人や政治家の不倫がしきりと報じられ、ネットも巻き込んで大騒ぎになっています。

それに刺激されたわけでも、迎合したわけでもないのですが、

今度のテーマは不倫を選びました。

今回はウケをねらって、「不倫はイケナイのか」 という問いを立ててみたわけですが、

フツーに考えれば、不倫はイケナイに決まっています。

「不倫」 という語は、「倫理・道徳に反するさま」 を表す広義の形容動詞なんですから、

倫理に反すること (=不倫) は道徳的に悪い (=イケナイ) に決まっているわけです。

日本語にはこういう言葉って多いですね。

「中絶」 とか 「生理」 とか (「中絶は略語である」 参照)。

元は一般的な広い意味の言葉だったのに、

しだいにそのなかのある特定の事象だけを指すようになるという現象です。

もちろん 「不倫」 という語を現在のように特定の男女関係に使う用法はあったわけですが、

その場合は 「不倫な恋」 とか 「不倫な関係」 というように、

ある名詞に 「不倫な」 という形容動詞を付してそのことを表したのであって、

(「イケナイ恋」 とか 「イケナイ関係」 と言っているのと同じですね)

「不倫」 という語だけでそれを意味していたわけではありません。

ウィキペディアによると、「不倫」 という語だけで

そういう 「イケナイ男女関係」 のことを表せるようになったのは、

1983年に放映されたテレビドラマ 「金曜日の妻たちへ」 の影響であるとのことでした。

そんなに最近のことなのかなあ?

それ以前に使ってなかったっけ?

今のところ別の情報源でその真偽を確かめることができていないので、

ネット上の情報にすぎないし、あのウィキペディアですので、

眉にツバ付けながら聞いておくことにしましょう。

とにかく、今回問題にしたいのは一般的な広い意味ではなく、

最近になって使われるようになった特定の限定された意味での 「不倫」 です。

ですので 「不倫はイケナイことか?」 という問いは同語反復ではなく、

問うに値する有意味な問いと言うことができるでしょう。

もちろん考えるにあたってはまず、最近になって使われるようになった 「不倫」 という語について、

そもそも 「不倫とは何か?」 ということを確定しなければならないでしょう。

関連する問題として、「不倫と浮気は同じなのか違うのか、違うとしたらどう違うのか?

というのもよく聞く問いです。

これも論じないわけにはいきません。

その上で、「不倫はイケナイことか、そうでもないのか」 ということを考え、

いずれの答えを選ぶにしても、それはなぜかということを明らかにしなければなりません。

それを考える途上で、一夫一婦制や結婚制度の是非も俎上に載せる必要が出てくるでしょう。

うーん、意外と大変そうだ。

でも考え甲斐がありますね。

みんなで力を合わせて、この現代社会を揺るがす大問題にどこまで迫れるのか、

ぜひ皆さん、お誘い合わせのうえお気軽にご参加ください。

あ、もちろんお一人での参加も大歓迎です!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謎の生物、大量発生!

2016-05-26 15:57:39 | 生老病死の倫理学
本日はまた相馬ドライブでした。

最初は曇り空でしたがだんだん晴れてきて、

いい感じでドライブを楽しんでいたんです。

ところが、相馬市街が近づいてきて信号待ちの停車が増えてきたときに、

ふと助手席に置いたバッグの上でほんの小さな何かが動いているのが目に止まりました。

赤い小さなものです。

バッグの内側に赤い布が使われていますので、

最初のうちは、その切れ端か何かが風に揺られているのかなと思っていたのですが、

よく見てみるとそういう動きではありません。

と思っているうちにその赤い小さなものは2つに増えて、

お互いにまったく別の動きを見せるようになりました。

こちらです。



小さい赤い点が2つ見えるでしょうか?

これがほんの一瞬のちには別の場所に移動しているのです。



で、信号が青に変わってしばらく走ったのちにもう一度見てみると、

赤い点は3つに増えていました。



ヤバイっすねえ。

これは完全に何らかの生物です。

拡大して見てみましょう。



うーん、iPhone4Sのカメラだとこれが精いっぱいです。

いちおうWindows付属アプリのペイントで拡大してみましょうか。



やはりこうなっちゃうでしょうね。

なんだかよくわかりません。

でも蜘蛛っぽいですね。

動きもそんな感じです。

えっ?

赤い蜘蛛ですか?

それってひょっとして一時ニュースでよく話題になっていたセアカゴケグモですか?

なんか毒をもってるとかいうヤツ。

それはホントにヤバイっすねえ。

調べてみましょう。

どうやらセアカゴケグモというのはこういうお姿のようです。



これは見るからに違いますね。

赤い模様があるだけで全体に赤いわけではないんですね、この人は。

大きさも違うみたいです。

セアカゴケグモはオスが3~5mm、メスが10mmくらいあるみたいですが、

ここでうごめいているヤツらはもっとずっと小さいです。

では一体何者なんでしょう?

今度は 「蜘蛛 赤い」 でインターネット検索してみました。

そうしたら、一番上にヒットしたのが、

「赤い蜘蛛の正体 【クモとダニ】 身近に潜む赤いクモを徹底解明」 というページでした。

これはひじょうにわかりやすいサイトでした。

一般に赤い蜘蛛と呼ばれている虫には5種類あるのだそうで、

そのひとつずつに関して丁寧に説明してくれていました。

その説明によると、こいつらは蜘蛛ではなく、カベアナタカラダニというダニの一種のようです。

こういう人。



5月くらいに突然大量発生するのだそうです。

もうひとつ別のサイト、「赤い小さいクモのような虫はタカラダニ! その対処法は?」 によれば、

体長は0.5~1mmくらいとのことで、やはりこれに間違いないでしょう。

それにしてもこの人たち、どこから入ってきたのでしょうか?

けっきょくバッグ上に4匹見つけました。

クルマのシートとかにも仲間がいるんじゃないかとビビりましたが、

とりあえず今日のところは4匹と遭遇しただけですみました。

でもなぜバッグに?

クルマの中でないとすると、我が家から連れてきちゃったってことですか?

今ごろ我が家ではこの人たちの仲間がウジャウジャとうごめいていたりするんですか?

ウソだっ!

そんなのゼッタイにイヤだっ

ああ、なんだか今日はうちに帰りたくないなあ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

等差数列ドライブ

2016-05-24 13:03:02 | ドライブ人生論
もう2ヶ月近く前になる4月7日、ブログには上げませんでしたが、

Facebook のほうにこんな写真をアップしました。



それに付したコメントは以下のとおり。

「ふっふっ。今日の相馬ドライブの真の目的は、この写真を撮るためだったと言っても過言ではない。」

この日は相馬の看護学校での今年度最初の授業の日で、桜は満開なのに大雨だったり、

帰りがけ謎の腹痛に耐えられなくなって病院に駆け込んだりなど、いろいろあった日でしたが、

私にとってはあの写真を撮ることが最も大事なミッションでした。

しかし、あの写真の意味がわかった人は予想通り誰ひとりおらず、

質問のコメントも特になくみんなからスルーされておりました。

それは別にいいんです。

正確に言うと、あの写真を撮ることそのものはそれほど大事な問題ではありませんでした。

あの写真がなくとも今日の記事は成り立ちましたし。

本当に大事なのは写真を撮ることではなく、これをすることでした。

あの写真を撮る前はこういう状態だったのです。



華氏気温の上に表示されている2つの数字がありますが、

左側の6ケタの数字はこのクルマの総走行距離です。

右側は、ドライバーが好きなときにボタンを押してリセットできる走行距離カウンターで、

私はふだんは給油のたびにリセットして、燃費を算出するのに使っています。

このときは給油後400.6km走っていたところだったようですね。

それをこうしました。



総走行距離が122,667kmになった瞬間を見計らってリセットしたのです。

この日は別に給油したわけでもなかったのですが、この時点でリセットする必要がありました。

この日はリセットさえすればよかったので、ドライブ・スルーさえしてしまわなければ、

相馬ドライブ中のどこの地点で122,667kmになってくれてもかまわないと思っていましたが、

ちょうど相馬の看護学校に到着する手前の空き地のところでその時を迎えることができたので、

ラッキーにもクルマを停めて記念撮影をすることができました。

ここまで説明したらもう私が今日、何をやり遂げたかわかってもらえたでしょう。

あれから2ヶ月、何回か給油する機会がありましたが右側のカウンターはリセットしませんでした。

その後、途中でこんな数字を見ることもできました。



特に予期や期待をしていたわけではありませんが、

ちょうど総走行距離が123,000kmを記録したとき、右側のカウンターは333.0kmでした。

ふーん、そういう計算になるのね。

そして今日です。

前回のゾロ目ドライブのときのようなハラハラドキドキの目に会いたくなかったので、

うまいこと微調整しながら、相馬ドライブの最中に当たらないよう仕組んだ結果、

本日、大学近辺の広々とした道でその時を迎えることができました



せっかくだからもっとアップで撮っておきましょう。



みごとに並んだ、「1234567890」 の数字です。

こういう数字の並びのことって何て言うんでしたっけ?

同じ数字が並べばゾロ目だけど、こういうのを指す言葉ってなかったかな?

よくわからないのでとりあえず 「等差数列」 と呼んでおきますが、

9の次が0だから本来なら等差数列とは呼べないはずですね。

まあ名前はいいや。

自分、ヒマ人だなあ。

この写真を撮ってこのブログ記事を書くためにわざわざ、

123456-789=122667

という計算をして、その数字を覚えておいてそのときにリセットするとか、なんてマメなんだろう

この情熱をもっと何か生産的なことに使えないのかなあ

でも、2ヶ月がかりの大プロジェクトの成功、ちょっとうれしいです

しかしもう次はないでしょうね。

ゾロ目から等差数列まで12,345kmを走るのに丸3年もかかってしまいましたから、

150,000kmになるのにあと何年かかるかわかりませんし、

しかも150,000kmってそんなにキリがよくないからうれしくないですし、

そうすると次はベンツのときに撮れなかった200,000kmということになりますが、

そこまでは無限の道のりで、たぶんその前にクルマがダメになるでしょう。

もう気がすんだのでどなたか次のクルマください。

自動車わらしべ長者のまさおさまはあなたが要らなくなったクルマを大切に乗ってあげますよ。

ご連絡お待ち申し上げます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢のADF

2016-05-23 17:32:54 | お仕事のオキテ
先日、新しいプリンターを買ったという話をご報告いたしました。

そのときに 「ADFなんていう装置も付いていて使ってみるのが楽しみ」 と書きました。

使ってみましたのでこちらもご報告しておきましょう。

ADFというのは、オートドキュメントフィーダー、自動給紙装置のことです。

自動給紙といってもプリントアウトのほうではなくてドキュメント (原稿) のほうです。

つまり、プリンターとして使うときではなくコピー機として使うときに、

コピー原稿を自動で送ってくれる装置です。

印刷室に置いてあるビジネス仕様のコピー機にはもうだいぶ前からこの装置が付いていて、

けっこう重宝して使っていましたが、それがまさか研究室にやってくるとは思いませんでした。

こんなような感じです。



動画じゃないのでわかりにくいですかね?

上部のトレイにコピーしたい原稿が何十枚かセットしてあって、

今またその一番上の1枚が機械のなかに吸い込まれていこうとしています。

そのトレイの下にはすでにコピーずみの原稿が裏返しになって排出されてきています。

私は授業で学生たちにワークシートを書かせることが多く、

採点し終わったものは、返却する前にコピーを取っておくことにしています。

学生が何と書いたか保存しておきたいですし、

成績提出締切になるまでワークシート点を転記なんてしておきませんから、

コピーを取っておくのは大事なわけです。

しかし、何十枚もあるワークシートをいちいちこんなふうに原稿台にセットして、



コピーして、次のに差し替えるなんてやってるといくら時間があっても足りません。

そこでオートドキュメントフィーダー (ADF) が威力を発揮してくれるのです。

どんなふうにコピーしたいかを選択して、

あとは原稿をADFトレイに載っけてスタートするだけですから、とても楽チンです。

それがこれからはもう研究室に居ながらにしてできてしまうのですねえ。

夢のようです。

さらにレイアウトの設定で、例えば 「2アップ」 というのを選ぶと、

自動的に2つの原稿を1枚にまとめてくれますし、

しかもそのときに、原稿サイズA4、出来上がりもA4としておけば、

自動的に縮小して2枚の原稿を1枚に並べてコピーしてくれます。

「片面→両面」 と併用すると、A4片面印刷の原稿4枚分を、

A4の紙の裏表にコピーしてもらうことができます。

こうすると保管するときに紙の分量が4分の1に減ってくれますので助かります。

また、看護学校のワークシートは原本がA4両面印刷なんですが、

両面印刷の原稿であっても両面を自動送りしてくれますので、

「2アップ」 と併用するとA4サイズ1枚に表と裏を並べて縮小して印刷してくれます。

こういうふうにまとめてくれるのです。



さらに 「両面→両面」 も併用すれば、両面印刷2枚分の原稿を1枚の両面にまとめてくれます。

この場合は分量は2分の1にしか減りませんが、

それでも看護学校のワークシートを保管するには大事な機能です。

適切なモードさえ選択すれば、あとは原稿をセットしてスタートボタンを押すだけで、

こんなことをやってもらえるのですから、もうADFさまさまです。

それがいちいち印刷室に行かなくても研究室でできるようになったのです。

いや、印刷室のコピー機はモノクロ印刷しかできませんが、

先ほどの写真で見てもらったようにこのプリンターはカラーコピーもしてくれますから、

印刷室のあのビジネス仕様コピー機を超えたといっても過言ではないでしょう。

こんなに楽チンになるならもっと早くこれ買っておけばよかったなあ。

あと心配なのは、大型プリンターのある2階や印刷室のある1階まで、

階段で上り下りする機会が激減してしまうので、

その分、体重が激増してしまうんじゃないかってことだけです。

いや、すでにその効果は実際に現れつつあるかもしれません。

これはちょっとマズイですね。

印刷とは別の用事を作って 「階段ダイエット」 は続けられるよう心がけたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肉汁餃子製作所

2016-05-22 22:35:44 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
先日、東京に行ったとき珍しく夕食をひとりで食べることになりました。

どこで食べるか悩んだ挙げ句、スーパーに買い物に行く途中に見かけて気になっていた、

餃子屋さんに行ってみることにしました。

こちらです。



インパクトあるでしょ。

「肉汁餃子製作所」 です。

ただしこれは店名ではないようです。

暖簾には 「大衆餃子酒場」 という文字も見えますが、これも店名ではありません。

お店の名前はこちら。



読めますか?

読めませんね。

黒地に黒だから近くで見てもほとんど読めません。

何とか目を凝らして見てみるとやっと 「ダンダダン酒場」 と読めてきます。

なんでこんなに本当の店名をひた隠しにして、

「肉汁餃子製作所」 ばかりを前面に押し出しているんでしょうか?

もういっそ 「肉汁餃子製作所」 にしてしまえばいいのに。

この店のことが気になっていたのは他にもこちら。



すべての餃子好きに共感してもらえるメッセージ。

「餃子とビールは文化です」!

そして、おやじギャグ。

「営餃中」

これは入ってみるしかありません。

お店のなかはテーブルがひしめきあっていて、そこが満席でお客さんがいっぱいでした。

だからでしょうか、オーダーミスなどがあちこちで起きていたようでした。

私も焼き餃子を1人前頼んだのですが、運ばれてきたのは2人前でした。



どうせあとでもう1人前追加するつもりでしたので、笑って受け取りました。

他のテーブルでもオーダーミスでギスギスすることはなく、

むしろそんなことも含めて店員さんとのあいだに笑いのコミュニケーションが生まれているようでした。

さて、こちらの肉汁餃子はしっかりと味が付いているので、

最初は何も付けずに食べてみてくださいと指導されます。

たしかに酢醤油ラー油味で画一的な味にする必要がないくらい、

味と肉汁がしっかりしていました。

さすがは 「肉汁餃子製作所」 です。

餃子への愛が感じられます。

トイレのなかにはこんな言葉が記されていました。



けっきょく私は最初に来た2人前のほかに水餃子1人前と、

さらに焼き餃子をもう1人前追加して、自分なりの餃子ラブを実践しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エンドレスよ、エンドレスに!

2016-05-21 08:09:07 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
相馬のお食事処ことごとく奪われている私ですが、

相馬市民のスギッチにおうかがいを立ててみたところ、「エンドレス」 を紹介されました。

正確には 「cafe ENDLESS」 と表記すべきでしょうか。

お店の Facebook ページにはそう記されていました。

まあでも 「食べログ」 とかだとフツーにカタカナの 「エンドレス」 でヒットしますので、

とりあえず 「エンドレス」 でいきます。

実は私、前に一度来たことがあります。

看護学校の先生に教えてもらってお昼を食べに来たことがあったのでした。

何を食べたかあまり記憶はありません。

なぜその後来なくなってしまったかというと、クルマを停めるのが面倒だったからです。

かつて教わったときはたしか隣の本屋さんの駐車場に停めろと言われたような気がしますが、

その本屋さんの駐車場もそれほど収容台数があるわけではなく、

その日は駐車場が満杯でなかなか停めることができなくて苦労したような覚えがあります。

それでその後あまり使わなくなっていたのですね。

相馬のあと直帰していいくらい仕事に余裕があればいいのですが、

このところはランチ食べたらすぐに大学に戻ってもう1つ2つ授業をしなきゃいけないくらい、

けっこう追い込まれていますから、駐車場待ちで時間を取られるなんてとても許されず、

したがってその後 「エンドレス」 がランチの選択肢からはずされていたのでしょう。

しかし、今回久しぶりにうかがってみて、ホントに本屋さんに停めていいかも曖昧だったので、

お店の人にクルマはどこに停めたらいいですかと聞いてみたら、

もちろん本屋さんの駐車場に停めていいんだけど、ほかにも銀行の駐車場もOKで、

さらに商店街全体の駐車場もあるとのことでした。

なんだ、そんなに選択肢があるなら駐車場の心配はしなくていいんじゃないですか。

だったら今後、味が気に入りさえすれば相馬ランチの候補店になりえますね。

どんなものを食べさせていただけるのでしょうか、楽しみです。

こちらは何のお店といったらいいんでしょうか?

フツーに考えたら cafe とか喫茶店ということなんでしょうかね?

でも店内にはこんなバカでかいスピーカーがあって、



けっこうな大音響でジャズが流れていましたので、

ウェブ上で誰かが書いてくれていたように 「ジャズ喫茶」 と呼ぶのがふさわしいのかもしれません。

こんなピアノと、いろんなチラシとかを置いたりするのに譜面台が使われていたりもしますし。



天井も高く吹き抜けになっていて、カウンターの上にはロフトなんかもあります。



ここで演奏するのか、それともここも客席でここから見下ろしながら演奏を楽しむのでしょうか?

なんにせよ全体にオシャレなジャズ喫茶という風情です。

ただ喫茶店と呼ぶにはお食事のメニューが豊富なんです。

パスタに関しては10種類ぐらいのメニューがあるのをはじめとして、

ピザや日替わりランチもありますし、

その他、カレー、豚カツ、ハンバーグ、オムライスなど定番洋食メニューも充実していました。

メニューにちょっと書いてある説明書きがどれも魅力的で目移りしてしまいましたが、

悩んだ結果、今回はハンバーグをセット (サラダ、スープ、ドリンク、アイス付き) で頼んでみました。



こちらです。

このハンバーグ、ほわっほわでした。

「ほわほわ」 というのは正しい日本語なんでしょうか?

検索してみても辞書の類いはヒットしてきませんでした。

でも検索結果のかなり上のほうに 「ほわほわハンバーグ」 というのが出てきましたから、

ハンバーグの形容詞としては定着しつつあるのかもしれません。

いやいや、つい先日学生さんに対してダメ出しして、「正しい日本語を使いましょう」、

「ネット上の情報を鵜呑みにしてはいけません」 と注意したばかりなんですから、

自ら遂行的矛盾を犯してはいけませんね。

ほわほわじゃないとするとなんと形容すればいいんでしょう?

ふわふわかな?

それを強調して 「ふわっふわ」 と言えばちょっと近づくかもしれませんが、

でもやっぱりそれよりは 「ほわっほわ」 という感じなんだよなあ。

ああ、日本語って難しい。

とにかくものすごく柔らかいです。

このお店ではナイフ&フォークは出されませんでしたが、箸ですっと切れます。

いや、「切る」 なんていうほどの力も使っていないですね。

歯がなくても口の中で溶かして呑み込める感じです。

私もハンバーグを自分で作るときはほわっほわを目指していますが、

こんなに柔らかく仕上げることはできません。

小さなお子さんにはこんなの与えたくないですね。

子どものうちからこんなものに慣れてしまったら、もうステーキとか食べられなくなっちゃうし、

ファーストフードのハンバーガーも固くて食べられないとか言い出すかもしれません。

十分に人生を噛みしめてきた大人にのみ許される贅沢です。

たいへん満足いたしました。

ほかにも食べてみたいメニューが満載です。

が、ついついまたハンバーグを頼んでしまうかもしれません。

この店のメニューを全制覇するまでにはどれくらいかかるんでしょうか?

年に8回しか相馬に来るチャンスはなくて、ほかにも行かなきゃいけないお店があるなかで、

しかも、つい誘惑に負けてハンバーグを何度も食べてしまってるようだと、

全制覇までには気の遠くなるような時間がかかることでしょう。

「エンドレス」 さん、それまでぜひエンドレスに営業を続けていてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

A3プリンター来たあっ!

2016-05-19 21:57:04 | お仕事のオキテ
研究室にA3プリンターを導入しました!

てつカフェのポスターとかを印刷するのに、

いちいち大会議室に置いてある大型プリンターまで行って印刷するのは大変だったんです。

たしかにあれを使えばバカでかいサイズのポスターを印刷することはできますが、

いまどきそんなに大きなポスターは貼らせてもらえませんし、

このあいだのぢゅんちゃん作のポスターもA3でしたし、

A3サイズのポスターが作れれば十分だよなあと思っていたんです。

そうしたらブログの師匠がブログでA3レーザープリンターの自慢をしていて、

あんなのが研究室にあったらポスター作りがラクになるだろうなあととても羨ましく思ったわけです。

さすがにA3レーザープリンターを導入するほどの資金的余裕はありませんが、

調べてみたらインクジェットプリンターであればA3対応のものでもそんなにバカ高くありません。

というわけで清水の舞台から飛び降りてA3インクジェットプリンターを購入してしまったのです

それが先日届きました。

まあ、当然覚悟していたところではありましたが、バカでかい代物でした。



前のプリンターの写真を撮るのを忘れてしまったので比べようがないかもしれませんが、

以前よりもはるかに圧倒的な存在感です。

とはいえ、ダンボール箱が届いた時点ではあまりのありえない大きさに、

この台の上に乗りきらないのじゃないかと心配し、

隣のデスクのほうにはみ出てもいいように、デスク上の物も処分したりしましたが、

何とか台の上に収まってくれる程度の大きさですみました。

A3プリンターといってもA4プリンターの倍の大きさになっているわけではないようです。

ではどうやってA3の紙に印刷するかということですが、まずはA4の場合を見てもらいましょう。

用紙カセットを取り出してみます。



こんな感じ。

これにA4の紙をセットするとこうなります。



で、セットします。



きちんと収まっていますね。

印刷するときは用紙カセットの上の排紙トレイを引っ張り出します。



で、印刷します。



フツーですね。

A4プリンターのときと特に違いはありません。

ではA3の紙に印刷する場合はどうするのか?

さっきの用紙カセットをもう一度取り出して、



ボタンを押しながら左右に引っ張ると、



このように伸びます。

伸びてるのわかりますか?

写真の縮尺が違っちゃってますが、シールの位置は同じなので、

それを基準に比べてみてください。

左右に伸びてるんです。

そこにA3の紙をセットします。



みごとA3の紙が収まります。

これを本体にセットします。



さっきよりも長くなっているので本体内に収まりきれません。

これで一番奥まで突っ込んだ状態です。

少しはみ出たままなんですね。

これでいいんです。

で、その上の排紙トレイを引っ張り出します。



そして、印刷します。



説明書ではA3も自動で両面印刷できると自慢していたので、

初めてのA3印刷で果敢にも両面印刷に挑戦してみました。



片面印刷し終わったあと引っ込んでいきます。



そして裏面も印刷されて出てきました。

おみごとっ

まあ、ポスターで両面印刷はしないでしょうけれども、

今回印刷したようなエクセルの委員会資料なんかだとA3でも両面印刷する機会はあります。

この新しい機械、いろいろと重宝しそうです。

ほかにもADFなんていう装置も付いていて、これも使ってみるのが楽しみなんですが、

それはまた別の機会にご報告いたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欠席届に対するダメ出し

2016-05-17 14:35:15 | お仕事のオキテ
本日、大学に来てみたら学生さんからメールが届いていました。

こんな文面。

「小野原雅夫先生
 人間発達文化学類 学籍番号 ********* の ●●●● です。
 いつもお世話になっております。
 本日5月17日の4限目の倫理学概説の授業ですが、
 私情により欠席しますので
 よろしくお願いします。」

とても丁寧な方ですね。

公欠とか大会出場とかいうのでないかぎり、

連絡してこようがこまいが出席点への配慮はありませんので、

大学の講義科目の場合はいちいちこんな欠席届を提出する必要はないのですし、

実際、たいていの学生さんはこんなものなしに勝手に休んでしまいます。

ゼミ (演習科目) の場合はまた別で、

卒論生にはゼミを休む場合には必ず連絡するようにと指導していますが、

意外とゼミであっても無断欠席というのはありますし、

ひどい場合には自分が発表当番に当たっているのにもかかわらず何の連絡もなく来なかったりして、

今どきの学生はどうなってるんだと頭に来ることもあります。

それに比べると講義の授業にもこうやってきちんと連絡してきてくれるというのは、

今日日とても珍しい礼儀正しい学生さんです。

教員に対して 「先生」 という敬称を正しく用いている点、

きちんと名乗り、「いつもお世話になっております」 みたいな一言を入れている点も評価できます。

何の授業を欠席するかを書いてくれているのも大事で、

学生さんからすると小野原先生と言えば「〇〇」の授業の先生に決まっているのかもしれませんが、

こちらは大人数が受講する講義型の授業を週に何個も担当しているし、

1日に複数の授業を持っている日もあるわけですから、

授業名を書かずに欠席届を送られると、この子はどの授業の受講者なんだろうと、

受講者名簿を片っ端から検索しなくてはいけなくなったりするわけです。

その点、この方は授業日と授業名も明記してくれているので、

本当に行き届いた欠席届だと思います。

なんですけれども、この欠席届に対しては2つダメ出しをさせていただきたいと思います。

非難しているというわけではなく、将来のための指導だと思ってお聞きください。


まず引っかかったのは 「私情により欠席します」 という言葉遣いです。

これは日本語として間違っています。

ウェブで 「私情とは」 で検索してみたところ、例えばこんなのが出てきました。

「デジタル大辞泉の解説
 し‐じょう〔‐ジヤウ〕【私情】
 1 個人的な感情。私意。「私情にとらわれる」「私情を交える」「私情を捨てる」
 2 利己的な心。私心。
 「先方の利益を思うよりもわが―を満足さすばかりの」〈蘆花・思出の記〉 」

「大辞林 第三版の解説
 しじょう【私情】
 (1)個人的な感情。 「 -をさしはさむ」
 (2)利己的な心。」

私の手元の 『新明解国語辞典』 を見てみても同様でした。

したがって 「私情により欠席します」 と書くと、

「個人的に授業なんか行きたくない気分だから休みます」 とか、

「利己的な理由により欠席します」 という意味になってしまうのです。

これでは、せっかく丁寧に欠席届を出したのに、教員に対してケンカ売ってることになりますよね。

たぶんこの方はそういう意味で 「私情により欠席します」 と書いたのではないでしょう。

おそらく 「私的な事情により欠席します」 ということを伝えたかったのでしょう。

その場合は 「所用のため」 とか 「個人的な事情により」 と言わなければなりません。

おそらくどこかで日本語を間違えて覚えてしまったのでしょうね。

この機会にぜひ正しく覚えていただきたいと思います。

実は先ほど 「とは検索」 をしてみたら、ものすごいことに気がついてしまいました。

gooでの検索結果の2番目にこんなものが出てくるのです。

「私情によりの同義語 - 類語辞典(シソーラス) - Weblio辞書」

「Weblio類語辞書
 私情により
 意義素:私生活の事情に起因しているさま
 類語: 私事により ・ 私情により ・ 私用で ・ 個人的な事情により ・ プライベートな事情により」

うわあっ、ウェブ上の辞書に間違った意味が堂々と載っちゃってるじゃないですか!

ひょっとすると今回の学生さんはわざわざこういうのを調べた上で書いてくれたんでしょうか?

声を大にして申し上げます。

この辞書は間違っています。

先週の授業で、ウィキペディアの 「生存権」 の項目が間違っているという話をしましたね。

ウェブ上には怪しい情報もいっぱい載っていますので鵜呑みにせず、

ウェブ上の情報はほんの入口くらいに思っておいて、

最終的には紙媒体にあたるよう心がけてください。


さて、「私情により欠席します」 は日本語として間違っていて、

正しくは 「所用により欠席します」 と書かなければならないということを確認しておいた上で、

2番目のダメ出しに移りたいと思います。

「所用 (個人的な事情) により欠席します」 というのは日本語としては正しくなりましたが、

欠席届としてはまったく無内容なので、私はこういう欠席届は認めません。

ゼミの学生がこういう欠席届のメールを送ってきたら私は受理せず、次のように突っ返します。

「所用 (個人的な事情) とは何ですか?

 公欠や急病というのでないかぎり、大学の授業を休む理由にはならないはずです。」

所用とか個人的な事情と言ってしまうと、バイトとか飲み会とか眠いとかパズドラで忙しいなど、

どんな理由でも含まれてしまいます。

教員としてはそんな理由で休むことを認めることはできません。

したがってわざわざ欠席届を提出して、休むことを認めてもらいたいのであれば、

それがどういう所用 (個人的事情) であるのかを明記する必要があります。

例えば、公欠や病欠ではないけれども、実家の祖父の入院を手伝うために急に帰省するであるとか、

下宿先のアパートの水道管が破裂してしまって工事に立ち会わなければならない、

などの理由を書いてきてくれた人がいて、それは仕方ないよなあと納得したことがありました。

そういう具体的理由が書かれておらず、ただ 「所用により欠席します」 だけであれば、

こちらとしては無断欠席されるのと大差ないわけです。

学校や仕事 (=強制参加) の欠席ではなく、

飲み会や遊び (=自由参加) のお誘いをお断りする場合であれば、

特に個人的事情を告げずに 「今回は所用により参加できません」 だけで十分ですが、

欠席届の場合はどんな事情であるかを開示する必要があるのです。


というわけで、御丁寧に欠席届を送ってきてくれた人にダメ出しするのは心苦しいのですが、

今後、せっかくの気遣いが無駄になったり逆に仇になったりすることのないように、

正しい日本語を使うこと、欠席理由を明記することの2点を覚えておくようにしてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「第45回 伝統工芸 日本金工展」 行ってきました!

2016-05-16 08:07:21 | 人間文化論
先日 「第45回 伝統工芸 日本金工展」 のことをご紹介したときに、
「どこかのタイミングで見に行ってみたいものです」 なんて書きましたが、
そういうのって言うまでもなくただのリップサービスで、
実のところ 「本当に行ける」 とか 「本当に行こう」 なんて微塵も思っていなかったわけですが、
一昨日思いがけず東京で時間が空いてしまったので本当に行ってきました、足立区の石洞美術館。
京成線の千住大橋駅というのはまったく初めて聞いた駅でしたが、
日暮里から京成線に乗り換えて3駅のところにありました。
東京23区内の、山手線日暮里駅からもそんなに離れていないところなのでまさかとは思いつつも、
名前を聞くかぎりつい横穴式の石洞の施設を期待していましたが、
やはりそんなわけはありませんでした。



しかし、付近の街並みからは完全に浮いた素敵な建物でした。
そして入口部分はちょっとだけ石洞風。





中は撮影禁止だったのでご紹介することができませんが、
そんなに広すぎず、展示を見ながら自然と1階から2階へ上がってゆける造りの、
とてもいい雰囲気の美術館でした。

今回は、「第45回 伝統工芸 日本金工展」 の受賞作と入選作を中心に、
あとは重要無形文化財保持者や審査員らの作品147点が展示されていました。
いやあ見に来てよかったです。
ひとりで心ゆくまで楽しませていただきました。
こういう工芸品の展覧会はたいへん私向きかもしれません。
純粋な美術品よりも、自宅で使えるかどうか、どんなふうに使いたいか、
本当に欲しいかどうか、売ってもらえるとしたらいくらだったら買いたいか、
そんなことを考えながら見て回ることができ、
最終的に1個もらえるとしたらどれをもらおうかなあなどと、
意味もなく悩みまくりながら何度も行ったり来たりしていました。
で、けっきょくこんな物まで買ってしまいました。



美術館とか行ってこういうカタログ的なものを購入したことなんてほとんどないんですけど…。
こないだのフェルメール展でも手ブラで帰ってきたし。
だけど、とにかく楽しかったのでぜひブログネタにしようと思い、
でも館内で作品の写真を撮ることは不可だったから、どうしても欲しくなってしまったのでした。
あの卒業生からチケットはいただいていたので (入館料500円)、
この1,000円のパンフレットを買っても大した出費ではないなという打算も当然ありましたし。
中にはこんな感じで全展示作品が掲載されています。



このページは茶道用のお釜がたくさん載っていますね。
作品としてはこうした茶道具と花器が一番多く、
その次がブローチや帯留めなどの装飾品、そして食器類、香合や小箱などという感じでした。
私、こう見えて大学生時代には茶道を習っていたことがあるので、茶道具には若干興味があります。
しかし、その場合も美術品としてではなく、実際に使ったらどうかという観点で見ていました。
こちら↓は今回の受賞作品のひとつです。



まん丸の手鞠状に仕上げて、蓋を曲線的な六角形にしてあるところなどとても素敵ですが、
これちょっとお湯汲みにくいだろうなあ、柄杓があの曲線部分に引っかかっちゃうんじゃないかなあ、
などと心配してしまうのでした。
審査員の方のこの作品↓も、



見ている分には、この 「○△□文」 がとてもいい感じでしたが、
やはり筒釜というのは細長い分、お湯を汲むときどうなんだろうなあと考えていました。
(まあ、久しくお茶を点てていませんので実際にやってみないとわからないんですが…。)
それよりはこちら↓のちょっと赤みがかったやつが使い勝手は一番よさそうでしたし、



一番のお気に入りはただの入選作のこちら↓でした。



この写真じゃわかりにくいと思いますが、
名前どおり手前部分に岳景が立体的に浮き彫りにされています。
これは欲しいですねえ。
最後まで悩みましたが、もうお茶やらないしなあ、
炉に炭をくべて、お釜でお湯沸かしてる余裕ないもんなあ、
卒業生にもらったティファールの電気ケトルで十分だよなあ、
と、うじうじと考え続けて最後の一個に選ぶのはあきらめました。
(最後の一個に選ばれたからといってどうということはないのですが…)
が、まあそれくらい気に入っていたということです。
茶道具といえば、このお茶入れ↓も素敵でした。



今までのお釜の写真と比べて縮尺がわからないかもしれませんが、これは小さな物です。
「杢目金打出茶器」 と名前が付けられていますが、
「杢目金」 とは 「種類の異なる金属板数十枚を、原子拡散反応を応用して接合加工し、
圧延切削を繰り返して文様を作り出す技法」 のことであり、
「打出」 とは 「金属の板を叩いて部分的に地金を延ばして三次元の立体にする技法」 だそうです。
「ちょっと何言ってるかわからない」(by サンドイッチマン) ですが、
さすがは受賞作だけあってとても繊細な造りです。
ただこれもお抹茶なんてうちではもう飲まないからなあ。
飾っておくだけでも素敵かもしれませんが、こういう物は使ってナンボだからなあ。
別の使い道もなさそうだしなあ。
というわけでこれも残念ながらまさおさま賞には落選です。
この表紙に載っていた小箱↓。



これも堂々の受賞作で、金と黒の色使いがとてもいいんですが、
パソコン全盛の時代にこれをどう使えばいいのか思いつかなかったので落選。
同様にこちら↓も、



「切嵌象嵌接合 (きりばめぞうがんはぎあわせ) 小箱」 というものだそうですが、
切嵌象嵌が 「金属の素地そのものを切り抜いて透かし、
そこへ別の金属を嵌め込み、鑞付けする技法」、
接合せが 「二種類以上の金属を鑞付けした金属の板を、打ち延ばして成形する鍛金技法」 だそうで、
きっとものすごい物なんだろうとは思いますが、やはりうちでは利用法が思いつかず落選です。
小物っていうことで言うとこれ↓もとってもキレイな作品でした。



細い銀線で編まれた香合です。
うちではお香とか焚いたりはしませんが、これならアクセサリー入れとかには使えそうです。
ただこういう造りだと、使ってるうちにこの細い銀線の隙間に埃やら汚れがたまってしまい、
この白銀の輝きがすぐに失われあっという間に黒ずんでいくんだろうなと想像できて却下です。
花器もたくさん出品されていましたが、
残念ながら私は自然ギライで生花を活けたりもしないので、花器というだけで評価が下がります。
こちら↓は審査員の方の作品です。



造形的に素晴らしいし、色やデザインもいいのですが、
これってホントに花瓶にしか使えませんよね。
うちにはちょっと…。
それに比べるとこれ↓は!



大きさ的に言ってもひょっとするとティッシュボックスに使えるのではないかと思って、
相当何度も前を行ったり来たりして検討したのですが、
最終的に、下に穴が開いているわけではなくて、
ティッシュを入れるのもこの上の穴から入れなければいけないのだとすると、
ちょっと実用には供することができないだろうなと思いあきらめました。
あとは一輪挿しではなく、こういうドカンとした花器↓ですね。



あるいはこれ↓とか。



こういうのはワインクーラーに使えるんではないでしょうか?
色的には最初の金色のやつのほうが素敵ですが、
ちょっと底部が狭いのでワインボトルを入れたときのバランスが心配です。
黒っぽいほうは完全にワインクーラーとして使えるでしょう。
モダンなデザインもそこそこに素敵です。
最終選考に残るほどではありませんが、なかなかの佳作です。
しかしワインクーラーということで言うならば、
こんなの↓があって群を抜いていました。



これは花器ではなく、最初からワインクーラー、
しかもワイン一般ではなく、シャンパンだけ入れろというシャンパンクーラーだそうです。
これは本当に欲しかったですね。
でも銀製なんですか?
これ一体いくらなんですか?
しかもこの写真じゃわからないかもしれませんが、ものすごく厚いんです。
このパンフレット、大きさしか記してありませんが、どのくらいの重量なんでしょう?
日本金工展の主催者の皆さんには声を大にして言いたいです。
金工作品の紹介にあたってはぜひとも重さも開示してほしいと思います。
この展覧会ではすべての作品はケースのなかに入っていて、
私たちは実際に手に取って重さを計ってみることができないのですから、
どれくらいの重さかわからないじゃないですか。
重さがわからなかったら実生活で使えるか使えないかわからないじゃないですか。
ですから来年のパンフレットからはぜひ重量も表記するようにお願いいたします。
というわけで、このシャンパンクーラーは最有力候補だったんですけど、
その厚みからして私たち庶民に買えるかどうか、
また、非力な私がふだん実際に持ち運びできるかどうかがよくわからないということで、
今回まさおさま賞の受賞は逃してしまいました。

このようにうち使いということを考えるとやはりお皿などの食器類が一番欲しいところです。
食器はそれほどたくさん出品されていたわけではありませんが、どれも目移りするほど素敵でした。
例えば、この 「吹分四方盤」↓。



「吹分 (ふきわけ)」 というのは 「溶解した2種または3種 (白銅・真鍮・唐金など) を
一つの鋳型に順次流し込み、幻想的な模様を作り出す鋳造技法」 だそうで、
こんな金工の食器を見たことありませんし、大きさ的にも使い勝手がよさそうで、
値段次第ではぜひ買ってみたい代物でした。
それからこちら↓の八角皿。



そもそも八角形のお皿ってうちにはないので、メインの食事を盛るのにいい感じじゃありません?
お皿自体の色が濃いので何色の料理を載せればいいのか、
メインメニュー用だとすると人数分 (少なくとも6枚) 揃えたいところだけど、
そんなに買ったらいくらになるか想像もつかなかったので最終選考までは残りませんでしたが、
ぜひ欲しい品のひとつではありました。
それに比べるとこちら↓はそれほど大きな作品ではなく最初から5点セットでした。



いろいろな使い方ができそうですし、1枚1枚少しずつ模様が異なっていて、
これもけっこう最後まで選考に残っていましたが、5枚組というのが最終的に引っかかりました。
和皿って5枚セットのものがよくありますが、洋テーブルって6人掛けが基本ですから、
今後は和皿も6枚セットを基準に作成してほしいものだと思います。

この日本金工展では一般の部のほかに一昨年から 「21+部門」 というのを設けて、
21世紀にふさわしい新しい金工を創作する若手 (学生~30歳未満) を奨励しているのだそうです。
そちらはやはり一般の部とはだいぶ作風の違う作品が並んでいました。
例えばこれ↓。



ブローチだそうですけど、今どきの女性はこういうのを付けて街を練り歩くのですか?
これ、ネズミの腹かっさばいて内臓が見えてますよね?
昨年 「はじまりの美術館」 でこういう感じの美術品が展示されていたらしいですけど、
これを一般女性が普段使いしちゃうんですか?
さすがにこういうのをプレゼントして喜んでもらえる相手は思い当たりませんでしたが、
しかし、今どきの若者の感性にまったく付いていけないというわけでもありません。
例えば、「21+部門」 の最優秀作品はこれ↓でした。



折り紙のように見える小皿です。
これはとても素敵でした。
物を載せる部分がとても狭いので、刺身醤油のお皿くらいにしか使えないかもしれませんが、
ムリヤリに用途を考え出してでも使ってみたいお皿で、これは最後まで選考に残りました。
同じ形ではないものの6枚セットというのも現代的でいいですよね。
最終的には、この6枚をどうやって収納したらいいんだ、というのがネックになって、
残念ながらまさおさま賞の受賞には至りませんでしたが、素敵だったことに嘘偽りはありません。
食器部門での最優秀作品 (まさおさまのみ認定) はこちら↓でした。



これも 「21+部門」 の入選作ですが、これはまるで木のお皿のように見えます。
これは扇形のお皿5枚1組のセットです。
その5枚を丸く並べると全体としてこういう感じになるのです。
これはいろんな使い方ができますね。
お正月のおせち料理とかにもいいかもしれません。
5枚重ねてコンパクトに収納できるのも高得点です。
できれば6枚セットのほうがよかったのですが、
いろいろ計算した上で、6等分ではなく5等分にしたのでしょう。
この写真ではわかりにくいと思いますが、十二支の絵柄が江戸時代っぽくてそれも素敵です。
こちらにまさおさま賞を贈りたいと思いますが、こちら↓も捨てがたかったです。



これも 「21+部門」 の入選作で、星座の時計です。
ホロスコープというのは1~12の数字と正確に対応しているわけではありませんが、
我が山羊座が12に充てられて、この作品の頂点に君臨しているというのも、
高評価を得られたポイントでした。
協議の結果、十二支皿は一般の部で、
星座時計は新人の部でそれぞれまさおさま賞をお贈りすることになりました。

さて、こんなふうにどれが一番使いたいか、どれを一番買いたいかなどと考えながら、
石洞美術館でのんびり時間を過ごさせていただいたわけですが、
今回、わざわざ千住大橋まで足を伸ばしたのはそんな物見遊山のためではありません。
もっと直接的な目的があったのであって、それを果たさないことには帰るわけにはいきません。
それは大きな謎を解くという使命です。
そうです。
あの卒業生です。
この方↓ですね。



この人は学生・院生時代、エッチングによる版画作成を専門としていたはずなのですが、
その人がなぜ今回このような展覧会のチケットをわざわざ送ってきてくれたのでしょうか?
知り合いにむりやり買わされて、売りつける相手も見つけられず、
しかたなく先日ブログ記事に取り上げてあげたお礼に私にタダでくれたのでしょうか?
それとも二足のわらじで、エッチングついでに金工作品にまで手を広げ、
せっかく出来上がったので日本金工展に応募してみたら入選しちゃったということなのでしょうか?
答えはこちらでした。



おおっ、ちゃんと入選しとるやないかっ
しかも 「21+部門」 ではなく、一般部門のほうでした。
素晴らしいっ!
おめでとうございます
せっかくですのでもうちょっとアップにしてみましょう。



写真をアップで撮ってるだけなので、本物の味はあまりよく伝わらないかもしれませんが、
青銅花挿 「ついり」 です。
今回の展覧会のなかでもひときわ異彩を放った作品でした。
金工作品ってほぼ大概、金か銀か黒か赤なんですよ。
その中で唯一この青い花挿は別次元の作品として存在していました。
この青というか水色によって、雨の色なのか紫陽花の色なのか、
梅雨入り (ついり) を表しているのでしょう。
残念ながらこれが花器であって、花を挿す以外に用途がなさそうだというだけの理由によって、
今回まさおさま賞の受賞は逃してしまいましたが、
そんなことがこの作品の価値を貶めるものでないことは言うまでもありません。
今後も精進して、ぜひ来年以降はお皿や酒器等の制作にも挑戦してみてください。
とても楽しい時間をありがとうございました。
この日本金工展、6月19日まで開催されているようです。
皆さまもぜひ石洞美術館に足を運んでみてください
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死生学カフェ@しぞ~か

2016-05-14 08:34:57 | 生老病死の倫理学
怒濤のイベント告知攻勢が続いていますが (3日前2日前昨日)、本日も続けます。

来週の土曜日に金山町で 「エチカ福島第6回」 が開催されることは、

「てつカフェ」 のブログのほうですでにお伝えしましたが、

残念ながら私はそちらには参加できません。

もうだいぶ以前から出張の予定を入れてしまっていたからです。

来週の土曜日は静岡に行ってきます。

3年も前の話になりますが、静岡大学の竹之内裕文さんが静岡で哲学カフェを始めたいということで、

創設記念講演会に呼んでくれたことがありました。

その後、「哲学カフェ@しぞ~か」 は順調に活動を続けられているようですが、

昨年よりさらに新しい試みとして 「死生学カフェ」 というものが別に始まりました。



竹之内さんはもともと仙台で 「タナトロジー (=死生学) 研究会」 を主宰しておられた方ですので、

その一報に接したときは 「さすがは竹之内さん!」 と拍手喝采したものです。

で、ぜひとも一度視察におうかがいしたいもんだと思っておりましたが、

2ヶ月に1回のペースの開催で、しかも 「てつがくカフェ@ふくしま」 の日程とかぶることが多く、

なかなかその機会がありませんでした。

ですが、このあいだの 「特別編6」 以来 「@ふくしま」 のほうは月初めの開催に変わっていますので、

今こそ 「死生学カフェ」 に参加するチャンスではありませんか。

しかも、2回先の日程も決まっていない 「@ふくしま」 とは異なり、

先のポスターに明記されているように、「死生学カフェ」 のほうは1年分の日程が決定しています。

スゴイなあ、エライなあ、竹之内さん!

というわけで5月21日 (土) にはゼッタイに静岡に行ってやるぞと、

早い段階から決心していたわけです。

次回は通算8回目にあたるようですが、テーマは以下です。

「死生学カフェ」 は Facebook ページしか持っていないようなので、

頑なに Facebook を拒んでいて見られない人のために引用しておきましょう。


次回の死生学カフェのご案内

日時 5月21日(土)15:00~18:00(受付14:30~)
テーマ 「『葉っぱのフレディ』を読んで」

死生学カフェ初めての試みとして、絵本の朗読をしてから対話に入ります。今回は『葉っぱのフレディ』を選びました。「生きること」「死ぬこと」について考えさせられる絵本です。有名な絵本なので、書店でも図書館でも目にすることが出来ます。未読の方はぜひこの機会にご一読をおすすめします。当日は冒頭で朗読をしますので、読んだことがない方でも、お気軽にご参加いただけます!





ということだそうです。

有名な絵本ですね。

死と生について考えるのに最適な一冊と言っていいでしょう。

この絵本を題材にどんな対話が繰り広げられるのか楽しんできたいと思います。

なお、「死生学カフェ」 の Facebook ページを見ていたら、

「死生学カフェで大切にしたいこと」 という文書も見つけましたので、それも引用しておきます。


日常の中で、死や生にかかわる話をできる場を作りたい、安心して語り、そして聴くことの出来る場を作りたい。
死生学カフェを立ち上げ、またこれまで行われた数回のカフェを振り返り、世話人間ではカフェについてどのようなことを皆様に提示していけばよいのか、繰り返し話し合ってきました。

そして、「死生学カフェで大切にしたいこと」という文章が出来上がりました。
「死生学カフェ」という名に興味をお持ちいただいた皆様に、是非ご一読頂ければと思います。そしてこれからも、皆さんと共にこの場を作り上げていくことができたら幸いです。
*会場へいらした方には、同じ内容の資料を配布させていただいています。

~死生学カフェで大切にしたいこと~

人生は不思議で悲哀に満ちていて、私たちはたえず「どのように生きるか?」という問いを投げかけられています。
死生学カフェは、生と死にかかわる多様な課題について、多様な人たちとの出会いを大切にしながら、探求していく場です。
それゆえ死生学カフェは、特定の人たちのものではなく、生と死に関心を寄せるすべての人のための場です。
自分と異なる体験や考えを排除するのでなく、むしろお互いの違いを豊かさとして楽しみましょう。
性別、社会的属性、価値観、思想を異にする参加者、このカフェでなければ出会えない人たちとの対等で開かれた対話に挑戦してみましょう。

1. 「死とともに生きる」という課題を共有しましょう。
わたしたちは、「死とともに生きることを学ぶ」(死生学)という姿勢を大切します。死をタブー視したり、遠ざけたりするのではなく、また逆に、いたずらに特権化するのでもなく、「死とともに生きる」智慧を真摯に学んでいきましょう。

2. 生と死は未知だからこそ一緒に探求しましょう。
参加者の中には、かけがえのない人との死別を経験された方、深刻な死の体験をされた方がおられるかもしれません。私たちはその貴重な経験に真摯に学びたいと考えます。ただ同時に、生と死には常に未知の部分が残されている、だからこそ探求するという謙虚さを大切にしたいと願っています。

3. 対等で開かれた対話を心がけましょう。
カフェには、社会的地位や権威から自由に、対等の立場で議論するという伝統があります。カフェは市民に開かれた討論の場を提供し、それを通して市民社会の成立に大きな役割を果たしてきました。このカフェの精神を継承し、相手に対して尊敬の念を抱きつつ、対等な立場で、開かれた言葉で対話を試みましょう。

4. 聴くことから始めましょう。
聴く人がだれもいなければ対話は始まりません。対話の第一歩として、相手の語りに真剣に耳を傾けることから始めましょう。といっても、すべての発言に納得したり、共感したり必要はありません。むしろ納得いかないところ、安易に共感できないところを糸口にして、相互理解を試みながら、注意深く(carefully)対話を創造していきましょう。

生と死は、すべての人間の共通課題です。真摯に、しかし焦らず、共にじっくり探究していきましょう。皆さんにとって豊かな出会いと自由な対話の場となるように、世話人はお手伝いします。一緒に死生学カフェを創り上げていきましょう。

世話人一同



「死生学カフェ@しぞ~か」 に学ばせていただきながら、

ぜひ福島でも死生学カフェを開催したいと思っています。

対話に参加して楽しみつつも、じっくりと先達の工夫や経験を盗んできたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

哲学カフェ@法政哲学会

2016-05-13 21:05:03 | 哲学・倫理学ファック
このところイベント紹介ばかりになってますが、

再来週の週末にはわが母校である法政大学で 「法政哲学会第36回大会」 が開催されます。



今回の目玉は何と言っても 「哲学カフェ@法政哲学会」 です。

昨年出版された 『連続講義 現代日本の四つの危機 哲学からの挑戦』 に関わった者のうちの3名、

「民主主義の危機と哲学的対話の試み」 を書いた私と、

編者であり 「パイデイア哲学カフェ@すぎなみ」 の主催者である齋藤元紀さん (高千穂大学) と、

哲学プラクティスの専門家で 「対話としての哲学の射程」 を書いた梶谷真司さん (東京大学)、

この3名がファシリテーターとなって学会参加者全員を巻き込んで哲学カフェを開催します。

哲学カフェもだいぶ社会に浸透してきたようですが、

とはいえ法政哲学会のメンバーで哲学カフェをはじめとする哲学プラクティスに関わっている方は、

ほとんどいらっしゃらないことでしょう。

そこで、当日参加される方に配布するために次のような趣旨説明文を作成しました。


法政哲学会第36回大会(2016/5/28)特別企画
哲学カフェ@法政哲学会「市民とともに『哲学する』とは?」
<趣旨・内容説明>
近年「哲学カフェ」や「子どものための哲学」など、「哲学対話」や「哲学プラクティス」と呼ばれる活動が日本全国に広まりつつあります。今回の法政哲学会では特別企画として、そうした実践に取り組んでいる3名をファシリテーターとしてお迎えし、哲学カフェを開催します。
前半は3名相互で「哲学対話」の形式により「哲学プラクティス」がいかなるものであるかを語り合っていただきます。「哲学対話」の具体的な進め方を体感しながら、全国各地で行われているさまざまな哲学プラクティスの実例に触れることができるでしょう。後半は質疑応答形式ではなく、参加者の皆さまにじっさいに「哲学対話」に参加していただき、市民とともに「哲学する」とはいかなることかを互いに対等な立場で考え語り合いたいと思います。
なお、哲学カフェでの対話にはさまざまな形式がありますが、今回は比較的一般的な「オープンエンド」形式で行います。全員の合意する一つの結論にたどり着くことではなく、対話の流れを感じとりつつ、最終的に多くの疑問点や謎が増え、思考が深まることを目的とします。
参考文献:梶谷真司「対話としての哲学の射程 ―グローバル時代の哲学プラクティス」(齋藤元紀編『連続講義 現代日本の四つの危機 哲学からの挑戦』講談社選書メチエ、所収)

<対話のルール>(「てつがくカフェ@ふくしまの進め方」より転載、一部改変)
1.お互いに対等な立場で話し合ってください。
1-1.参加者の中に例えば上司と部下、教員と教え子等がいたとしても、この場では上下関係は忘れて、対等な参加者として話し合ってください。
1-2.そのために 「○○先生」 など敬称をつけて呼ぶのはやめ、お互いに 「○○さん」 とかニックネームなどで呼び合ってください。
1-3.哲学その他に関する専門知識があるかないか、多いか少ないかということを争う場でもありません。知識の多寡ではなく、論拠の正しさによって議論を交わすようにしましょう。
2.聞くときは最後まで聞き、話すときはわかりやすくまとめてください。
2-1.他の参加者の意見を最後まで聞いてください。そして、できるかぎり正確に理解するよう努力しましょう。
2-2.皆さん最後まで聞いてくださいますが、自分の話だけで時間を取ってしまってはいけませんので、話はわかりやすくできるだけ簡潔にまとめるようにしてください。
2-3.ただ自分の身近な具体例を述べるのではなく、理由や根拠に基づいて一般化し、普遍的な意見として発言するようにしましょう。
3.独白の応酬ではなく、対話となるように努力しましょう。
3-1.他の人が述べた意見と無関係に話すのではなく、関連させながら話すようにしましょう。
3-2.他の人の意見に同意できなかったとしても、相手の人格を全否定してはいけません。相手に対して質問を投げかけ、相手の意見をできるだけ理解したり (相手に同意する必要はありません)、相手の意見の不整合を明らかにするようにしましょう。
3-3.自分の考えと皆さんの考えとの類似点や相違点を確認しながら、思考の流れそのものを楽しみましょう。
4.ファシリテーターは皆さんの哲学的対話が活性化するようにお手伝いします。
4-1.ファシリテーターが自分の知識や自分の意見を押しつけたりすることはありません。
4-2.ファシリテーターは、参加者全員ができるだけ対話に参加できるよう気を配ります。
4-3.ファシリテーターは、皆さんの対話が噛み合うよう時々議論の整理をすることがあります。
5.解散後もずっと考え続けていきましょう。



とまあこんなことをやろうと目論んでいるわけです。

それにしても自分は法政哲学会のなかではずっと色物の役割を演じてきているような気がします。

この学会でちゃんと本格的なカント研究の成果を発表したことって一度もないし…。

法政哲学会でのデビュー発表のタイトルはこうでした。

「『哲学/倫理学』の講義をどう変えていくか ―『教え』から『学び』への転換?―」

これが2003年のことです。

この学会で哲学/倫理学教育について研究発表したのは私が初めてだったはずで、

私の記憶が確かならば、その後も今日に至るまで教育問題を取り上げた人は誰もいないと思います。

しかもこのときの発表はパワーポイントで行いましたが、それも史上初だったんじゃないかな?

その後、指導教授であった濱田義文先生が亡くなられて、その追悼シンポジウムが催されたときに、

「濱田義文とカント倫理学」 と題する提題発表を行ったのが唯一カントに絡んだ発表でしたが、

もちろんそれはカントというよりは濱田先生の業績を回顧する発表でしたし、

しかもあのときはA4サイズのマインドマップを1枚だけ配って発表しました。



たったこんなもの1枚で学会発表したヤツも空前絶後だったんではないでしょうか?

そして3度目の今回が哲学カフェですからね。

皆さんにはあいつ何やってんだって思われてるんでしょうね。

まあ色物は色物らしく、皆さんに楽しんでいただけるような時間にしたいと思います。

本大会には法政哲学会の会員だけでなく、一般の方も自由に参加いただけます。

興味のある方はぜひ市ヶ谷の法政大学ボアソナードタワーまで足をお運びください
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第45回 伝統工芸 日本金工展

2016-05-12 06:56:39 | 人間文化論
先日、東京での展覧会に招待してくれた卒業生から、

再び展覧会へのご招待を受けました。

この方ですね。



コメント欄では、まさか招待状の裏面まで掲載されるとは思っていなかったと、

無断転載に対する軽い抗議のお言葉も頂戴しましたが、

このイラスト可愛らしいので、再度無断転載させていただきます。

ご招待いただいたのはこういう展覧会です。



「第45回 伝統工芸 日本金工展」 だそうです。

ん? 「金工展」?

あれ? 彼女、金工なんてやってましたっけ?

絵画がご専門ではありませんでしたか?

エッチングは版画の技法の一種ですよね?

版画だったら絵画に含まれるんじゃないの?

銅版を扱うから金工ってことになるの?

あ、ウィキペディアで調べてみたら、どうやらエッチングは版画の技法を指すだけでなく、

より広く、金属加工のある種の方法を表す言葉のようです。

とすると彼女はエッチングで版画を作成していただけでなく、金工もやっていたということでしょうか?

でもやっぱり版画と金工ってまったく別のジャンルのような気がするんだけどなあ?

どういうことなんでしょう、よくわかりませんね。

この謎を解明するためにも 「金工展」 見に行けるといいですね。

石洞美術館って東京のなかでもちょっとはずれのほうにあるみたいですが、

今回の展覧会は期間が長いですので、どこかのタイミングで見に行ってみたいものです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする