天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

女流監督キャスリン・ビグローが真の英雄とは何か?問う映画『K-19』を政府・東電首脳に是非鑑賞して!

2011-03-27 09:50:09 | 日記
今日の日記は、今久しぶりにお茶の間鑑賞している映画『K-19』(2002年製作 キャスリン・ビグロー監督 ハリソン・フォード リーアム・ニーソン主演)のことです。
この映画は、2008年に製作された『ハート・ロッカー』( 第82回・2010年アカデミー賞で9部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞、編集賞、音響効果賞、録音賞の6部門で受賞した作品)のキャスリン・ビグロー監督の前作です。添付した写真は、映画で主演したハリソン・フォード(左)と演技指導するキャスリン・ビグロー監督(右)です。
この映画は、1961年にアメリカとソ連の冷戦時代に起こった実話に基づいて作られた作品です。ソビエト連邦海軍は、極秘に開発した新型原子力潜水艦K-19のボレーニン艦長(リーアム・ニーソン)を更迭し、職務指向の高いボストリコフ大佐(ハリソン・フォード)を新艦長に任命します。しかし、部下の安全を願うリーアム・ニーソン副長と国家に自分を捧げるハリソン・フォード艦長の対立は次第に強くなっていきます。
そして、7月4日K-19は全世界を巻き込みかねない大惨事に襲われます。艦の後部動力・原子炉の配管パイプに小さなひび割れが発生し、冷却水が漏れ始めたのです。このまま原子炉の冷却水が漏れ続けると、炉心が過熱・溶融(1,000℃以上で)すれば、熱核爆発(1.4メガトン級)し搭載している核ミサイル弾も核爆発(ヒロシマ以上の威力)します。しかも、この艦はNATO基地の目前に潜水しており、アメリカが報復の核ミサイルをロシアに発射するのは必定。
このような核兵器を使った第三次世界大戦に発展する人類破滅の極限状態で、艦長以下乗組員の死闘が描かれています。これを描くキャスリン・ビグロー監督の演出手腕は、とても素晴らしいです。女性とは思えない冷静沈着の適切な表現で、放射能汚染の恐ろしさ(防護服でなく気休めのケミカルコート着用の10分間で作業員が嘔吐・皮膚が爛れる)と、それを死を覚悟して防ぐ(搭載している30tの真水を炉心に注入するパイプ敷設)乗組員たちの戦いに、つよく胸を打たれる冷戦映画の名作です。また、真の英雄とは何か?問いかけている女性が創った『男の映画』です。
この映画を、政府や東京電力の首脳が東日本大震災の前に事前に鑑賞していたら、福島第一原子力発電所での放射能流失防止の戦いは、まったく違ったものになっていたでしょう。
今からでも遅くないですから、首脳たちにこの映画『K-19』是非観てほしいと、私は思っています。

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映画『渚にて』終末を迎え海軍提督の「おいぼれと一杯やるか」に若き女性副官は「いいえ提督となら喜んで」

2011-03-26 20:23:34 | 日記
今日の続々編日記は、映画『渚にて』(1959年製作 スタンリー・クレイマー監督 グレゴリー・ペック エヴァ・ガードナー フレッド・アステア アンソニー・パーキンス主演)のことです。
この映画で、最後まで残ったオーストラリアにも、放射能汚染が進んで人類最後の日を迎えます。その描き方が余りにも綺麗こと過ぎると、一部の映画評論家から批判されました。しかし、もう何処にも逃げる手立てや方策がなければ、人間は達観した境地に達して、静かに自分の安らかな死を受け入れるのです。
だから、スタンリー・クレイマー監督は、複数の男女カップル(グレゴリー・ペックとエヴァ・ガードナー アンソニー・パーキンスとDonna Anderson 他)や独身の初老科学者(フレッド・アステア)の最後を、粛々淡々と描いていきます。
その中で、私は有名スターでない名もない男女俳優が演じたオーストラリア海軍提督(Jone Tate)とその若き女性副官(Lola Brooks)のエピソードに深く感動しました。以下に、海軍省提督室での、その二人の最後の会話を映画から引用掲載します。
・提督『オズグッド オズグッド!』
・副官『はい』
・提督『いよいよ 来たな!上陸するか?艦に残るか?』
・副官『残ります!(じっと提督を見つめて)』
・提督『では おいぼれと一杯やるか?』
・副官『(彼女は首を振り)いいえ 提督となら喜んで!』
・提督『いつも思ってたが、どうして若い男とデートしないんだ?』
・副官『いません!制服のせいです』
・提督『目がないな 世間の男は!(二人はお互い見つめ合って、グラスを飲み干す)』
何か、これだけで歳の離れた男女の恋愛映画が一つ出来てしまうような結末です。そして、グレゴリー・ペック艦長も、深く愛するようになった女性(エヴァ・ガードナー)と別れて、「死ぬなら故郷で」との乗組員の望みで、汚染され生存者のいない母国アメリカに向けて、死への出航を行なうのです。添付した写真は、その出航したアメリカ原子力潜水艦を見送るエヴァ・ガードナーの後ろ姿です。
この映画には、放射能汚染パニックになって、人々の暴動や掠奪が起きるシーンは何も出てこないです。何故それが発生しないのか?は、それ以上に深刻で絶望的な情況だと、人々が理解したからです。さらに言えば、人間はもう諦めて救いを求め安らかな死を迎えようとするのです。
だから、パニック映画を超越したもっと根深い恐怖や核戦争に対する静かなる告発が、私の胸に迫ってきました。とても良い反戦映画の名作です。
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映画『渚にて』でグレゴリーペック艦長は放射能汚染地の調査員に「1時間後に戻れ美人が大勢いても構うな」

2011-03-26 16:52:23 | 日記
今日の続編は、今久しぶりにお茶の間鑑賞している映画『渚にて』(1959年製作 スタンリー・クレイマー監督 グレゴリー・ペック エヴァ・ガードナー フレッド・アステア アンソニー・パーキンス主演)のことです。
この映画は、1964年第三次世界大戦が起こり核ミサイルが使用され、全世界は放射能に覆われ北半球は死滅し、辛うじて生存者がいる南半球オーストラリアが舞台の終焉を迎えた人類の物語です。とても衝撃的な内容でありながら、人間は終末的な危機にどう対応するか?を静かに訴える反戦映画の名作です。
核戦争が勃発した時、たまたま太平洋を潜航していて生き残った原子力潜水艦の艦長(グレゴリー・ペック)は、人類がまだ生存しているオーストラリアのメルボルンに寄港し、オーストラリア海軍の指揮下に入ります。
そして、死滅した街アメリカのサンディエゴから発信されている謎の信号調査を命じられます。添付した写真は、その防護服を着た調査員を送り出すグレゴリー・ペック艦長(左側)です。グレゴリー・ペック艦長は、その調査を行なう乗組員に
『1時間後に戻れ!スーツやタンクを捨て、10分間シャワーを浴びろ!ハッチを通って中に入るのは君だけだ!素っ裸でな!15分ごとに汽笛を鳴らす 3回目には帰れ!美人が大勢いても構うな!誘惑しようと何しようと帰ってこい!』と適切な帰艦手順を伝え、ユーモアを交えて叱咤激励し、艦外に送り出しています。
この映画を見て、冷静沈着で部下思いの心温かいグレゴリー・ペック艦長のような統括指揮官が、東京電力福島第一原子力発電所での放射能流失防止の戦いには、ほんとうに必要だと私は得心しました。
指示に従わなければ処分すると恫喝する政府高官、作業手順を甘く見てしまう前線指揮官、自らが被災地を直接視察して自己の職分を弁えない国家最高指導者に、この映画『渚にて』を短いだろうが休憩時に是非鑑賞してほしいと、今私は思っています。

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映画『敦煌』三田佳子が原作者井上靖の描く「豊満で肌に艶持つ一糸纏わぬ全裸西夏女」を演じた違和感を抱く

2011-03-26 11:14:37 | 日記
今日の日記は、今お茶の間鑑賞している映画『敦煌』(1988年製作 佐藤純彌監督 吉田剛・佐藤純彌脚本 西田敏行 佐藤浩市主演)のことです。
もうこの映画の舞台になっている歴史的にとても魅力的な街・敦煌を訪れることが出来なくなりましたが、久しぶりに映画鑑賞しました。また、この映画の原作である井上靖著「敦煌」も、昔読んで知っていますので、この原作本を再度熟読しました。
そうしたら、映画版と原作のとても大きな違いに私は気付きました。それは、2項目あります。以下に、それを説明します。
・(1).映画での主演クレジットの序列が、朱王礼役の西田敏行が一番目になっている--これは、明らかに実質の映画と原作の主人公である趙行徳役の佐藤浩市にたいへん失礼な行為です。私は佐藤浩市を一番にするべきであったと思っています。
・(2).原作の冒頭登場する西夏女の描写に大きな違い--原作では、趙行徳が科挙に落第し失意で街を歩くと、黒山の人たかりを見つけます。その原作から、問題の描写を引用・抜粋します。
『行徳の眼に最初映ったものは、木箱の上に置かれた分厚い板の上に横たわっている一人の女のむき出しにされた下半身であった。・・女は一糸纏わぬ全裸の姿で横たわっているのであった。一見して漢人でないことは明らかであった。肌はそれほど白いというのではなかったが、豊満な感じで、行徳がいままで眼にしたことのない艶を持って居り、仰向けにされた顔は顴骨が出て、顎は細く、眼は幾分落ち窪んで暗かった。』
この女性は、後に西夏への通行証を行徳に渡すとても重要な役割を行います。だから、映画では、三田佳子(特別出演)が扮しています。添付した写真は、その映画のシーンの三田佳子です。
しかし、映画では、この原作本の強烈な描写をまったく無視した別な表現(逃げ出した春を商う胡服を着た女を、博徒が街頭で売りに出すとても穏便な場面)になっています。また、原作での女性は、漢人(ほとんど日本人と同じ)は違うエキゾチック容姿になっています。そして、当時の国際化した中国を考えれば、この女性の容姿表現は、映画化に際して特に斟酌する必要があります。
だから、この役をまったく日本人女性の典型である女優・三田佳子が演じるのは、完全なるミスキャストであったと私は思っています。やはり、佐藤純彌監督には、原作に忠実に映像表現してほしかったです。
その為には、この役を広く公開オーディション(職業的な俳優だけでなく踊り子やストリッパー等も含めて)で募集すれば良かったのです。私は、映画鑑賞して、とても残念でしょうがないです。
だから、何時の日か、日本人作家の井上靖著「敦煌」を忠実に映画化した中国人監督(張芸謀ら等)と中国人俳優(梁朝偉ら等)による国際的な歴史作品を製作してほしいと、今私は思っています。
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楽しみだったGW中国西域旅行が催行中止になったので井上靖氏が三番目に行きたいイスタンブール訪問を決意

2011-03-25 22:30:13 | 日記
今日の日記は、私が楽しみにしていたGW海外旅行の西域シルクロードの旅が東日本大震災の影響で、申し込み客の取り消しが相次いだ為、催行中止になったことです。
本日、旅行会社代理店から、私の申し込んだツアーの参加希望者が、私を含めて2名のみと激減したので、催行不可能になったと書面で連絡がありました。同封されていた代案のツアーも私は熟慮検討しましたが、日程の関係でその案を採用できませんでした。だから、私は今回のGW海外旅行の西域シルクロードの旅を断念しました。
奇しくも、今日は会社帰りにレンタル店から日本映画『敦煌』を借りてきて、お茶の間鑑賞しようと思っていたところでした。今、とても残念な思いをしています。
でも、今読んでいる井上靖と司馬遼太郎による対談集『西域をゆく』(文春文庫版)の中の「対談・西域への夢」で西域を深く愛した作家意井上靖氏が、私にとても印象に残る御自身の旅行先嗜好を述べておられます。以下に、その二人の会話を引用・掲載します。
・井上『あの当時の長安というのは、しゃれた都だったのでしょうね。詩があるし、城外に胡姫がいたし、世界一の都ですね。』
・司馬『二番が見つからないくらいの。・・なんていっても唐というのは、いかにも開放的な、世界帝国ですからね。その後の時代と比べてみても、唐は自信があったのでしょう。』
・井上『往古の都市で、いちばん行きたいところはどこかと問われれば、やはり私は長安ですね。二番目はベニスかな。』
・司馬『そうでしょうね。』
・井上『長安と全盛時代のベニスですね。その二つは、しゃれた都会だったと思います。むろん規模は、長安のほうが大きいし、ベニスは一つの都市に過ぎなかったけれども、しかし、いい都会だったでしょうね。三番目に行きたいのは、時代を選ばなければいけないけれども、イスタンブールです。』
・司馬『三つとも、異種文化が衝突しあう場所ですね。』
司馬さんとの対談で、井上さんは、海外で三番目に行きたい場所はイスタンブールと言っています。私は既に二箇所、長安(西安)とベニス(ベネチェア)には訪れています。ただ井上が行きたい街、三番目のイスタンブールには、まだ行っていません。だから、この井上さんの発言に啓発されて、何か私はイスタンブールを訪れたくなりました。
また、奇縁なことに、正月の南イタリア旅行の帰りの機内誌の表紙には、イスタンブールの世界遺産の建物が映っていました。(添付した写真を参照のこと)
何か、今では歴史の街・イスタンブールが、私を呼んでいたような気がしています。だから、中止になったシルクロードの旅の代わりに、お盆休みにトルコ旅行でイスタンブールを訪問しようと、私は決意をしました。
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