天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『紳士は金髪がお好き』MモンローとJ・ラッセルさんの関係をN・メイラーは「うまくいったのは前代未聞」

2011-03-05 17:55:04 | 日記
今日の続編日記は、89歳で逝去されたアメリカの女優ジェーン・ラッセルさんが主演された映画『紳士は金髪がお好き』(1953年製作 ハワード・ホークス監督 ジェーン・ラッセル マリリン・モンロー主演)のことです。添付した写真は、映画で一緒に仲良く共演したジェーン・ラッセルさん(右)とマリリン・モンロー(左)のパリのホテル一室で宿泊を拒否されるシーンです。
この映画は、当初マリリンが演じる役を、大ベテラン女優のベティ・グレーブルで製作企画されていました。でも、ベティ・グレーブルの出演料は15万ドルの高額だったので、20世紀FOXの首脳は、安上がりに仕上げる為、専属契約していた売出し中の出演料が週500ドルだったマリリン・モンローに急遽変更したのです。だから、その余波を受けて、当時人気があったジェーン・ラッセルさんを、映画興行成績の担保・保険の役目として一緒に共演させたのです。
その為、ジェーン・ラッセルさんが演じるドロシー(原作ミュージカルの舞台では脇役)を、マリリンのローレライと同等の重要な役として、脚本を大幅に練り直しました。だから、映画冒頭出演者クレジットのトップは、当然ジェーン・ラッセルさんになっています。
このような映画の製作環境でも、見栄とコンプレックスとも、まったく無縁な至って気さくな女優ジェーン・ラッセルさんは、傷付きやすいマリリン・モンローと直ぐに意気投合しました。そして、ジェーン・ラッセルさんは、マリリンの仕事と個人面で良き相談相手の親友となったのです。
作家ノーマン・メイラーが、後年有名な次の言葉を述べています。『ミュージカル映画の中で、この二人のグラマー女性が、あれほどうまくいったことは前代未聞である。』
だから、今頃ジェーン・ラッセルさんは、天国にいるマリリンに『ローレライ 待たせたわね!』と語って、女性二人でお互いの昔話に、花を咲かしていることでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逝去されたジェーンラッセルさんデビュー映画『ならず者』H・ホークス監督は製作者H・ヒューズと衝突更迭

2011-03-05 12:48:46 | 日記
今日の日記は、2月28日89歳で逝去されたアメリカの女優ジェーン・ラッセルさんの映画デビュー作品『ならず者』のことです。
このアメリカ西部劇映画『ならず者』(1946年製作 ハワード・ヒューズ監督 ジェーン・ラッセル ジャック・ビューテル主演)は、当初は製作者のハワード・ヒューズが監督するのではなくハリウッド名匠ハワード・ホークスに任される予定でした。だから、その主演者二人のスクリーン・テストにもハワード・ホークスは立ち会っています。その映画製作舞台裏を記述した著書『ハワード・ホークス』(トッド・マッカーシー著 高橋千尋訳 2000年フィルムアート社刊)にも、ジェーン・ラッセルさんの興味深い話が出てきます。添付した写真は、スクリーン・テストの結果、主演二人に決定したジェーン・ラッセル(右側)とジャック・ビューテル(左側)です。以下に、そのエピソードをこの著書から抜粋・引用します。
『数日後、ビューテルとラッセルはホークスの所に呼ばれて、個別に全てのスクリーン・テストを丸ごと見せられた。ジェーン・ラッセルは語る。「自分がどういうふうに目えるかということを知って、たまげたわ。それまで、自分では冴えない印象を持っていたので驚きましたし、本当に嬉しかったわ!」・・デスクに腰を下ろし、ホークスは静かに言った。「君たち二人に決まった」・・ホークスの部屋から出て歩いていた二人は、背が高くほっそりとした男が廊下の壁に凭れて、こっちを見ているのに気がついた。それがハワード・ヒューズであると、二人にはすぐにぴんと来た。ラッセルは「彼は私たちに会いたくなかったのよ。私たちを生の姿で見たかっただけ」と言うが、それは、はっきりしている。』
しかし、その製作者ハワード・ヒューズはハワード・ホークス監督と意見が合わず、撮影開始2週間後、彼を更迭し自ら監督の座に付くことになります。だから、ジェーン・ラッセルさんはハリウッド第一級監督の指導を受けられなくなってとてもガッカリし、新しい監督ハワード・ヒューズにまったくうんざりしています。この著書には次のように書いています。
『ラッセルには常に乳房の衝撃が最大限に現れるポーズを取らせ、もし、これほど退屈な代物でなければキャンプ趣味だと言われたかもしれない奇態なサド・マゾの儀式めいたものを二人に演じさせたのだ。・・』
その結果、内容に検閲が入り公開中止になります。法廷での争いの末、3年後の1946年に一般劇場公開されました。女優ジェーン・ラッセルさんのデビュー作は、残念ながら、こんな訳ありの映画作品でした。もし、ハワード・ホークスが監督していたら映画『ならず者』はこんな駄作にはなっていなかったでしょう。だから、私は、ジェーン・ラッセルさんの悲運を今痛感しています。
しかし、ハワード・ヒューズに対して毅然たる態度を取り続けたジェーン・ラッセルさんに、とても良い親しみを私は感じています。ジェーン・ラッセルさんはとても強い女性だったのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする