天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『男はつらいよ寅次郎ハイビスカスの花』山田監督談:寅とリリーの定住が幸せか微妙な気持ち揺れ動きを描く

2011-03-20 14:48:41 | 日記
今日の続々編日記は、松竹映画『男はつらいよ第25作 寅次郎ハイビスカスの花』(1980年製作 山田洋次監督 渥美清 倍賞千恵子 浅丘ルリ子主演)のことです。
この映画では、故郷の柴又に帰った寅次郎にクラブ歌手リリーからの手紙が届きます。彼女は、沖縄のクラブで歌っていたが、急病で倒れ、入院中で「ひと目寅さんに逢いたい」と知らせてきたのです。そして、飛行機嫌いの寅次郎が、何とか沖縄に辿り着き、五年振りにリリーと再会します。添付した写真は、沖縄の病院で再会した二人です。
この映画での二人の関係を、山田洋次監督は著書『男はつらいよ 寅さん読本』(寅さん倶楽部編 1992年PHP研究所刊)で次のように興味深く語っています。
『ほかの女優さんたちのマドンナも素敵だったけど、浅丘さんの「リリー」が際立っていたのは、寅さんと近い境遇にいたからだと思うのです。定住する家を持たない。年中旅をしている。もしどこか旅先で病気になっても、そのまま死んでしまうかもしれないという不安と寂しさをいつも持っている。そういう点で、彼女は寅さんとピタリと合っているような気がします。そして、そのことが逆に寅さんを苦しめることにもなるのです。もともと定住することを拒否した二人が一緒になることで、定住する気持ちが生まれてしまう。それで二人はいったい幸せなのかと言えば、自信がない。そういう微妙な気持ちの揺れ動きみたいなものを、この「寅次郎ハイビスカスの花」では描きたかったのです。』
この山田監督が語った言葉の通り、映画終盤で寅は唐突にリリーへ『どうだ、リリー、俺と所帯持つか?』とプロポーズをしてみせます。でも、きょとんとしたリリーは、プッと吹き出しながら、『いやねえ、寅さん変な冗談言って、みんな真に受けるわと!』と言葉を返します。寅も無理して笑いながら『そうか、この家は堅気の家だったな!』と相槌を打ちます。この場面の寅とリリーを観ていると、私はとても悲しく切なくなります。
そして、この二人の関係は、シリーズ最終作になると覚悟したリリー役の浅丘ルリ子が山田監督に映画で「リリーと寅を結婚させてほしい」と懇願しても変わらず、最終作品『寅次郎 紅の花』まで同じように続くのです。でも、この山田監督の二人の関係への強い拘りが、車寅次郎を皆に愛され続ける「永遠の風来坊」にまで昇華させたのです。

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『男はつらいよ寅次郎ハイビスカスの花』クラブ歌手リリーは2ステージ八千円だって衣裳代にならないと歎く

2011-03-20 12:42:18 | 日記
今日の続編日記は、お茶の間鑑賞している松竹映画『男はつらいよ第25作 寅次郎ハイビスカスの花』(1980年製作 山田洋次監督 渥美清 倍賞千恵子 浅丘ルリ子主演)のことです。
この映画は、第15作『寅次郎相合い傘』の5年後に封切りされたリリー篇の第3作目です。寅の義弟・博(前田吟)が、東京・小岩のキャバレーに出来上がった印刷済みポスターを届けた時、その街角でクラブ歌手のリリー(浅丘ルリ子)とたまたま出会います。添付した写真は、その時、「相変わらず下手な歌を、すぐそこのキャバレーで歌っているの」と答えたリリー(浅丘ルリ子)です。
このように、この映画が封切された1980年には、まだクラブ歌手のリリーが仕事場にしてしたキャバレーが日本中にあったのです。だから、とらやに寄るように言った博に、リリーは『今夜自動車で大坂に行くの。その仕事が終わると今度は九州。私も旅暮しよ。寅さんと同じよ』と言い残して、急ぎ足でその場を立ち去ります。
でも、次第にキャバレーが無くなって、クラブ歌手も仕事が出来なくなってしまいます。そして、15年後のリリー篇第4作目『男はつらいよ第48作 寅次郎 紅の花』(1995年製作)では、リリーはもうクラブ歌手の仕事を止め、結婚したおじいさんが3年目に死んでしまったので、その遺産で奄美大島の小さな島で家を買い一人で暮らし始めています。
この映画が製作された1980年前後は、このようなキャバレー業界の最後の隆盛期だったのです。そして、リリーが病気で倒れた沖縄では、キャバレー業界はもう既に衰退期に入っており、仕事を探していたリリーに『2ステージで八千円だってさ。衣裳代にもならないわよ、バカにして!』と大いに歎かせています。
映画を観ると、それが創られた当時の社会世相や時代背景がよく判ります。だから、私は1980年に過ごしていた北海道・北見のことを、今懐かしく思い出しています。
確かに、北見にあったキャバレーにも、途中にステージ実演があり、リリーのような名の知れない歌手が午後8時と10時の2回ステージ公演をやっていました。しかし、残念なことに、北の片田舎の街では、浅丘ルリ子のような素敵な女性は、一度も出演したことはなかったです。
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『男はつらいよ寅次郎相合い傘』寅は相合傘の仲リリーを頭が良く気性強いしっかり女、俺とくっついたら不幸

2011-03-20 08:44:09 | 日記
今日の日記は、お茶の間鑑賞している松竹映画『男はつらいよ第15作 寅次郎相合い傘』(1975年製作 山田洋次監督 渥美清 倍賞千恵子 浅丘ルリ子主演)のことです。
この映画は、第11作『寅次郎忘れな草』の2年後に封切りされたリリー篇の第2作目です。寅次郎(渥美清)は北海道の函館の屋台ラーメン屋でリリー(浅丘ルリ子)と再会します。そして、二人は、一緒にいた中年サラリーマン(船越英二)と北海道の各地(長万部・札幌・小樽)を転々と旅をします。
でも、中年サラリーマンの初恋の人を巡り、二人は仲たがいをしてしまいます。その二人の会話を引用・掲載します。
・リリー『幸せにしてやる?大きなお世話だよ。女が幸せになるには男の力を借りなきゃいけないとでも思ってんのかい。笑わせないでよ!』
・寅『でもさ、女の幸せは男次第じゃねえのか?』
・リリー『へーえ、初耳だねえ。私今までに一度だってそんなふうに思った事ないね。もしあんた方がそう思ってんだとしたら、それは男の思い上りってもんだよ!」
・寅『可愛げがないねえ、お前って女は』
・リリー『女がどうして可愛くなくちゃいけないんだい。寅さんね、あんたそんなふうだから、年がら年中女に振られてばかりいるんだよ!』・・
・寅『じゃ、こっちも言うけどな、お前何だ!寿司屋の亭主(私注:第11作で毒蝮三太夫扮する)と別れてやった、なんて体裁のいいこと言いやがって、本当のとこは捨てられたんだろう!』
・リリー『(寅を睨み、大粒の涙を流しながら)寅さん、あんたまでがそんな口をーあんただけはそんなふうに考えないと思ってたんだけどなあ・・』
その後、怒ったリリーは寅と中年サラリーマンをその場に残して立ち去ってしまいます。このシーンで、私はリリーの男から自立しようと、必死にもがく悲しい女性の姿に強く胸を打ちました。
でも、葛飾柴又に戻った失意の寅が、とらやで再びリリーと出会います。『もうお前には一生赦してもらえねえと思った』と寅は謝り、リリーは『馬鹿ねえ、私そんな女じゃないわよ!』と答えて、二人はお互いに仲直りをします。そして、二人はすっかり恋人同士のようになり、とらや2階に下宿したリリーを仕事場まで送る為、一緒に出かけるまでになります。そんな様子を、ある日、寅は博に次のように語ります。
『今、リリーを送ってキャバレーの楽屋口まで行って来たんだけどな、驚いたよ博、「ゴールデン歌麿」なんていうから、どんな立派なとこかと思ってたら、この店ぐれえの建物で、ホステスはみんな婆ァよ。ひでえな、あれじゃあんまりリリーが可哀相だ、俺、涙が出ちゃったよ』
そんな想いを持つ寅は、ある夜突然降り始めた雨で、柴又駅でリリーの帰りを待ちます。そして、柴又駅から出て来たリリーが夜空を見上げ困った表情を浮かべますが、ふと駅前の片隅に眼をやり、嬉しそうな表情を見せます。とらやの傘を手に、寅がソッポを向いて立っていたからです。リリーは駆け出して、寅の傘の中に入ります。添付した写真は、その映画のシーンです。二人は、相合い傘で仲良く肩を並べてとらやに帰ります。寅さんシリーズでも屈指の名場面です。
リリーのようなキャバレー歌手や一緒に出演しているヌードダンサーの女性たちには、仕事場へ送迎する男(彼女らのヒモみたいな存在)がいます。そして、その男の中で、寅ほどその女性を心から想っている人間はいないと、この場面を観て私は確信しました。そして、少なくとも寅はリリーのヒモではなく、妹さくらに『頭がよくて気性の強いしっかりした女よ。俺みてえな馬鹿とくっついて幸せなわけがねえじゃねえか!』と語り自ら身を引く自分の性根を弁えた潔い男です。
だから、この映画は、寅さんシリーズの中でも、とても感動的な作品です。
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