今日の日記は、2月28日89歳で逝去されたアメリカの女優ジェーン・ラッセルさんのことです。その死亡報道を3月1日読売新聞朝刊で知り、とても驚きました。その訃報を、以下に引用・掲載します。
『AP通信などによると、米女優のジェーン・ラッセルさんが28日、米カリフォルニア州サンタ・マリアの自宅で死去。89歳。最近、体調を崩していたという。グラマーな女優として人気を博し、コメディー・ミュージカル映画「紳士は金髪がお好き」(1953年)では、ドロシー役でマリリン・モンローと共演した。ほかに、ボブ・ホープと共演した「腰抜け二挺拳銃」(48年)など多数の作品に出演した。(ロサンゼルス 西島太郎)』
私にとって、ジェーン・ラッセルさんは、彼女の代表作の映画『紳士は金髪がお好き』を観る前に、昭和30年代後半(1960年代)フジテレビで昼間3時から放映していた『テレビ名画座』で、映画『腰抜け二挺拳銃』でのそのグラマーな肢体に目を見張ったとても思い出深い女優さんでした。(私注:私の2010年5月2日付日記『映画「腰抜け二挺拳銃」ボブホープはジェーンラッセルと勘違いインディアン二の腕をずいぶん逞しいと呟く』で、そのエピソードを紹介済です。興味のある方は参照して下さい。)
彼女は、この映画『腰抜け二挺拳銃』で、アメリカ開拓史時代の西部で活躍した男勝りの女傑カラミティー・ジェーンを、とてもセクシーに演じていました。その演じた女性の性格は、彼女の普段のままであったと、彼女がある写真集の冒頭に書いた「謝辞」で、私はよく判りました。そして、彼女のとても優しい人柄にも触れて、私は深く感動しました。その私が感動した著書とは、写真集『マリリン・モンロー 写真集 1945-1962』(訳:松井みどり/西嶋憲生 リブロポート1989年刊)です。
ジェーン・ラッセルさんは、親友だったマリリン・モンローの写真集のため、「謝辞」と言う序文を書いています。以下に、ジェーン・ラッセルさんの人柄の良さが偲ばれる名文を、その著書から一部引用・掲載します。
『・・マリリンが、単なる”セックス・シンボル”とはっきり違うのは、彼女に一種独特の”傷つきやすさ”があるからだと私は思う。誰もが彼女の面倒をみたがり、助けてやりたがった。マリリンを庇護したいと思わないのは、よほど鈍感な人間か、自分のことに責任を持つ世界、痛烈なユーモアの世界、ギブ・アンド・テイクの世界のような、ソフィスティケート(私注:都会的に洗練すること)された”大人の世界”しか求めない人たちばかりだ。私はそういうしたたかな世界に慣れていたが、マリリンはしばしば深く傷ついた。どうして人が卑劣になれるのか、彼女には理解できなかった。・・しかしカメラマンというのは、まことに優しい生き物だ。被写体をおだてたり、なだめすかしたりして、一番いいところをみごとに引き出してみせる。・・そして、われらの可愛いマリリンも、太陽に向かって花が開くように、カメラマンのやさしい言葉に答えた。ページをめくっていけばおわかりのように-。』
ジェーン・ラッセルさん自身も、単なる”セックス・シンボル”と呼ばれたくなかったのだと私は思っています。映画での彼女には、マリリンには無い何か強い「芯」みたいなものを、私はいつも感じていました。映画界から引退しても、長く各方面で活躍されたのも、その「芯」の強さゆえだったのでしょう。だから、彼女は89歳の長寿を全うされたのでしょう。
私は、慎んでジェーン・ラッセルさんのご冥福を祈っています。
『AP通信などによると、米女優のジェーン・ラッセルさんが28日、米カリフォルニア州サンタ・マリアの自宅で死去。89歳。最近、体調を崩していたという。グラマーな女優として人気を博し、コメディー・ミュージカル映画「紳士は金髪がお好き」(1953年)では、ドロシー役でマリリン・モンローと共演した。ほかに、ボブ・ホープと共演した「腰抜け二挺拳銃」(48年)など多数の作品に出演した。(ロサンゼルス 西島太郎)』
私にとって、ジェーン・ラッセルさんは、彼女の代表作の映画『紳士は金髪がお好き』を観る前に、昭和30年代後半(1960年代)フジテレビで昼間3時から放映していた『テレビ名画座』で、映画『腰抜け二挺拳銃』でのそのグラマーな肢体に目を見張ったとても思い出深い女優さんでした。(私注:私の2010年5月2日付日記『映画「腰抜け二挺拳銃」ボブホープはジェーンラッセルと勘違いインディアン二の腕をずいぶん逞しいと呟く』で、そのエピソードを紹介済です。興味のある方は参照して下さい。)
彼女は、この映画『腰抜け二挺拳銃』で、アメリカ開拓史時代の西部で活躍した男勝りの女傑カラミティー・ジェーンを、とてもセクシーに演じていました。その演じた女性の性格は、彼女の普段のままであったと、彼女がある写真集の冒頭に書いた「謝辞」で、私はよく判りました。そして、彼女のとても優しい人柄にも触れて、私は深く感動しました。その私が感動した著書とは、写真集『マリリン・モンロー 写真集 1945-1962』(訳:松井みどり/西嶋憲生 リブロポート1989年刊)です。
ジェーン・ラッセルさんは、親友だったマリリン・モンローの写真集のため、「謝辞」と言う序文を書いています。以下に、ジェーン・ラッセルさんの人柄の良さが偲ばれる名文を、その著書から一部引用・掲載します。
『・・マリリンが、単なる”セックス・シンボル”とはっきり違うのは、彼女に一種独特の”傷つきやすさ”があるからだと私は思う。誰もが彼女の面倒をみたがり、助けてやりたがった。マリリンを庇護したいと思わないのは、よほど鈍感な人間か、自分のことに責任を持つ世界、痛烈なユーモアの世界、ギブ・アンド・テイクの世界のような、ソフィスティケート(私注:都会的に洗練すること)された”大人の世界”しか求めない人たちばかりだ。私はそういうしたたかな世界に慣れていたが、マリリンはしばしば深く傷ついた。どうして人が卑劣になれるのか、彼女には理解できなかった。・・しかしカメラマンというのは、まことに優しい生き物だ。被写体をおだてたり、なだめすかしたりして、一番いいところをみごとに引き出してみせる。・・そして、われらの可愛いマリリンも、太陽に向かって花が開くように、カメラマンのやさしい言葉に答えた。ページをめくっていけばおわかりのように-。』
ジェーン・ラッセルさん自身も、単なる”セックス・シンボル”と呼ばれたくなかったのだと私は思っています。映画での彼女には、マリリンには無い何か強い「芯」みたいなものを、私はいつも感じていました。映画界から引退しても、長く各方面で活躍されたのも、その「芯」の強さゆえだったのでしょう。だから、彼女は89歳の長寿を全うされたのでしょう。
私は、慎んでジェーン・ラッセルさんのご冥福を祈っています。