天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

89歳で逝去された女優ジェーン・ラッセルさんは親友マリリンの写真集で良き人柄が判る心温まる謝辞を贈る

2011-03-04 21:10:42 | 日記
今日の日記は、2月28日89歳で逝去されたアメリカの女優ジェーン・ラッセルさんのことです。その死亡報道を3月1日読売新聞朝刊で知り、とても驚きました。その訃報を、以下に引用・掲載します。
『AP通信などによると、米女優のジェーン・ラッセルさんが28日、米カリフォルニア州サンタ・マリアの自宅で死去。89歳。最近、体調を崩していたという。グラマーな女優として人気を博し、コメディー・ミュージカル映画「紳士は金髪がお好き」(1953年)では、ドロシー役でマリリン・モンローと共演した。ほかに、ボブ・ホープと共演した「腰抜け二挺拳銃」(48年)など多数の作品に出演した。(ロサンゼルス 西島太郎)』
私にとって、ジェーン・ラッセルさんは、彼女の代表作の映画『紳士は金髪がお好き』を観る前に、昭和30年代後半(1960年代)フジテレビで昼間3時から放映していた『テレビ名画座』で、映画『腰抜け二挺拳銃』でのそのグラマーな肢体に目を見張ったとても思い出深い女優さんでした。(私注:私の2010年5月2日付日記『映画「腰抜け二挺拳銃」ボブホープはジェーンラッセルと勘違いインディアン二の腕をずいぶん逞しいと呟く』で、そのエピソードを紹介済です。興味のある方は参照して下さい。)
彼女は、この映画『腰抜け二挺拳銃』で、アメリカ開拓史時代の西部で活躍した男勝りの女傑カラミティー・ジェーンを、とてもセクシーに演じていました。その演じた女性の性格は、彼女の普段のままであったと、彼女がある写真集の冒頭に書いた「謝辞」で、私はよく判りました。そして、彼女のとても優しい人柄にも触れて、私は深く感動しました。その私が感動した著書とは、写真集『マリリン・モンロー 写真集 1945-1962』(訳:松井みどり/西嶋憲生 リブロポート1989年刊)です。
ジェーン・ラッセルさんは、親友だったマリリン・モンローの写真集のため、「謝辞」と言う序文を書いています。以下に、ジェーン・ラッセルさんの人柄の良さが偲ばれる名文を、その著書から一部引用・掲載します。
『・・マリリンが、単なる”セックス・シンボル”とはっきり違うのは、彼女に一種独特の”傷つきやすさ”があるからだと私は思う。誰もが彼女の面倒をみたがり、助けてやりたがった。マリリンを庇護したいと思わないのは、よほど鈍感な人間か、自分のことに責任を持つ世界、痛烈なユーモアの世界、ギブ・アンド・テイクの世界のような、ソフィスティケート(私注:都会的に洗練すること)された”大人の世界”しか求めない人たちばかりだ。私はそういうしたたかな世界に慣れていたが、マリリンはしばしば深く傷ついた。どうして人が卑劣になれるのか、彼女には理解できなかった。・・しかしカメラマンというのは、まことに優しい生き物だ。被写体をおだてたり、なだめすかしたりして、一番いいところをみごとに引き出してみせる。・・そして、われらの可愛いマリリンも、太陽に向かって花が開くように、カメラマンのやさしい言葉に答えた。ページをめくっていけばおわかりのように-。』
ジェーン・ラッセルさん自身も、単なる”セックス・シンボル”と呼ばれたくなかったのだと私は思っています。映画での彼女には、マリリンには無い何か強い「芯」みたいなものを、私はいつも感じていました。映画界から引退しても、長く各方面で活躍されたのも、その「芯」の強さゆえだったのでしょう。だから、彼女は89歳の長寿を全うされたのでしょう。
私は、慎んでジェーン・ラッセルさんのご冥福を祈っています。
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