天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

DVD『ザ・ストリップ華麗なる裸の文化史』で私が応援した踊り子嬢談:私は戦う踊り子ストリッパーです!

2011-03-02 22:23:14 | 日記
今日の日記は、2007年の年末都内某劇場で、私が購入した雑誌『ザ・ストリップ 華麗なる裸の文化史 週刊実話創刊50周年特別企画』(日本ジャーナル出版2008年刊)のDVDに登場する某踊り子嬢が語ったある言葉です。
添付した写真は、その雑誌表紙です。この雑誌は、発刊した出版社の50周年特別企画として、発行されたストリップ紹介書です。そして、本著書に同封されているDVDでは、個性的な5人の現役踊り子たちのステージが鑑賞できます。ステージで生まれたままの姿で自分自身を精一杯表現する彼女たちに、私はとても共感する思いを持ちました。そして、最後に登場する私が劇場で応援した踊り子嬢は、このDVD映画の中で自分を、次のようなとても印象的な自己紹介をしています。
『私はたたかう踊り子!ストリッパーです!』
この直接的な職業の言葉「ストリッパー」を、劇場部外者や観客は、中々日常で使えるものではありません。でも、彼女は、堂々と自らの職業を「ストリッパー」と宣言したのです。この素直な彼女の言葉に、DVD鑑賞していた時、私はとても感動しました。
そして、この言葉は、特に彼女だけに当てはまるものではありません。ストリップ劇場で華麗なショーを演じている踊り子嬢すべてが、いつも心から思っている言葉と、私は考えています。
そして、何に対してたたかうか?それは、その踊り子さんの各人の思いで多少違ってきますが。だから、その彼女たちが演じるステージには、彼女たちの人生のいきざまが強く反映されているのです。
昨日の日記『某スポーツ紙は容疑者が「ストリップ人生を歩むと明言」と過去報道しながら今回自称ストリッパーと唖然報道』で私が言及した某大手スポーツ紙の記者は、こんな踊り子嬢たちの心からの肉声をまったく無視し、その言葉(ストリッパー)を発した女性を、心なく強く蔑視した「自称」ストリッパーと紹介しています。悲しいことに、このスポーツ紙記者は、生まれたままの姿で自分自身を精一杯表現する彼女たち(=ストリッパー)をまったく理解していないのです。
私が応援していたストリッパー女性は、このように演じたステージにはまったく無理解で、自分らが都合よく利用する時だけストリッパーを煽て上げ、何か不始末を起せばとことん貶める身勝手で営利で行動するマスコミジャーナリズムに対して、孤軍奮闘の戦いをしていたかもしれません。その必死な思いは、この理不尽なマスコミだけでなく、一方的な接客対応を強いる一部劇場関係者や、独善的な応援していた親衛隊客にも、向いていたと、私は今思っています。
だから、彼女は自らの劇場での引退興業を断固拒否したのだと、私は確信しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする