懸命に(?)お世話に努めているジャンボヒマワリが2mに到達した! 1mに到達したことを報告したのが6月20日だった。それからおよそ20日、まあ順調に育っていると言って良いかもしれない。
※ 今日2mに達していたヒマワリです。鉄柵のところに支え棒が括り付けられいるのを視認できますか?
あるいは今の私にとって最大の関心事といってもよいかもしれないジャンボヒマワリだが、どうやら成長軌道に乗ったようである。日に日に目に見えるように成長していることを実感することができ、その背丈を測ることが楽しみである。
「なんとか1度は4mに達してみたい!」という夢を描いて、お世話をしているのだが、その内容を若干紹介すると、最近は雨が降らない限り毎夕15リットルのポリタンクで6本のヒマワリに水を遣っている。理想的には朝夕灌水すると良いとのことだが、さすがにそこまではできない。
次に、2~3日毎に伸びる背丈に合わせて、支え棒に結ぶ紐の位置を調整している。
そして1週間に1度は、成長促進剤を霧状にして葉面に吹きかけている。
こうした世話をしていることも順調に育っている一因なのかもしれない。
これまでは1m80cmの支え棒だったのだが、それでは役に立たなくなった。
今日、私が工夫を凝らした方法で、支え棒を4m近くまで伸ばして設置した。
その工夫を凝らした方法とは…、
それはまず、1m80cmの支え棒と、新たに購入した1m60cmの少し細い支え棒を園芸用の結束バンドで結んで1本の棒にしたのだ。これで約3mの支え棒を作った。
工夫はこれだけではない。これでは4mに届かない。約3mに伸ばした棒を、さらに道立美術館の庭を囲う鉄柵に結び付けるのだ。およそ1m4~50cmのところにある鉄柵にやはり結束バンドを用いて括り付けるのだ。(もちろん美術館側には従前に了解を取ってある)
すると、全てを合わせると地上からおよそ4mの支え棒になるのだ。これでジャンボヒマワリが4mまで伸びてもしっかりと支えられる準備だけは整えた。
※ 結束バンドの短いものです。長短、太いもの細いものといろいろあります。
※ その結束バンドで2本の棒を一本の棒のようします。
※ するとこのように3mくらの支え棒ができます。これを鉄柵に括り付けるのです。
後は望みどおりにすくすくと育ってもらわねばならない。
今の計算では、7月中に最低でも3mに到達してもらいたいと願っている。
すると、ヒマワリの成長が止まるお盆過ぎまでに4mに到達できるかどうか、ぎりぎりの攻防(?)ということになる。
願いはこれからの成長が、これまでより加速度的に速くならないかなぁ、という願いである。
これまで何度も試みてきた4mへの挑戦、今年何とかその目標に届きたいなぁ…、という切なる願いがあるのだが…。
※ 3mに達したら、また当ブログで報告したいと思っています。

札幌日大高の戦いを追う私のレポートへアクセスが意外に多いことに気を良くして(?)高校野球関連のレポートを意識的に書いてみたい。
全道各支部の予選の結果、17日から始まる南北海道大会には以下の15校が出場を決めた。
【函館支部代表】
◇函大有斗(10年連続41度目)
◇知 内(3年ぶり14度目)
◇函ラサール(初出場)
【室蘭支部代表】
◇浦 河(60年ぶり2度目)
◇苫 工(6年ぶり28度目)
◇駒大苫小牧(2年ぶり19度目)
【札幌支部代表】
◇札北陵(初出場)
◇札丘珠(2年連続4度目)
◇恵庭南(36年ぶり2度目)
◇札日大高(3年連続9回目)
◇札第一高(2年ぶり22度目)
◇東海大四(4年連続31度目)
◇札創成(5年ぶり10度目)
【小樽支部代表】
◇樽潮陵(3年ぶり22度目)
◇樽 水(3年連続5度目)
お断りしておくが、私は高校野球には全く通じていない、ただの一高校野球ファンである。したがって、今後の戦いを占うとは言っても、マスコミ情報とか、過去のチームの名声から判断するのみで、きわめて偏った見方でしかない。そうお断りした上で、今夏の戦いを予想して楽しんでみたいと思う。
私は出場15校を見比べてみたとき、4強による争いか、と予想した。
その4強とは、ずばり駒大苫小牧、札幌日大高、札幌第一高、東海大四高の4校である。
4強を追う存在として古豪の函大有斗高を思い浮かべるが、最近函館地区のレベルがいま一つかなと思われるため、4強には入ってこなかった。
ところが!本日の組み合わせ抽選の結果を聞いて驚いた!
私が4強と見た4校が、さらにはそれ続くと見ていた函大有斗高までもが一方のブロックに偏ってしまったのだ。(Bゾーンに)籤のいたずらとはこのことか!?
少し見にくいかもしれないが、組合せ表を転写してみた。

4強と私が目した4校がもし首尾よく1回戦を突破したとすると、2回戦(準々決勝戦)からお互いのつぶし合いということになる。
一方(Aゾーン)はと見ると、出場校には申し訳ないがほとんどが実績のない高校に映る。敢えて過去の実績から見ると苫小牧工業高が甲子園まで何度も駒を進めた経験があることが強みかもしれない。しかし、それも1980年代までの話である。
ということで、私がウォッチングを続けてきた札幌日大高は大変なゾーンに入ってしまった。しかし、それを嘆いていても甲子園への道は拓かれない。
この激戦区をどう戦い、勝ち上がっていけるのか占ってみたい。
まず、1回戦の対小樽水産高戦は札幌日大の力からして危なげなく勝つのではと予想する。駒大苫小牧も1回戦の相手札幌丘珠高に躓くようなことはあるまい。
となると、2回戦は札幌日大と駒大苫小牧の激突となる。
今年に入ってからの練習試合では駒大苫小牧が勝っている。そして駒大苫小牧のもう一つ有利な材料は、室蘭支部予選で北海道栄高と9対8という壮絶な試合を勝ち上がってきたという経験である。接戦を勝ち抜いたという経験はこうしたトーナメント戦では有利な材料となってくるように思われる。
苦戦は免れない札幌日大であるが、ここにきて心強い材料はエース佐藤の成長である。支部予選での彼の投球を見るかぎりひと皮抜けたという印象である。エース佐藤を万全の状態でマウンドに上げるためにも、1回戦は早々に試合を決め、佐藤の負担を軽くして、駒大苫小牧戦に望みたいものである。
佐藤がある程度の投球をすれば、自慢の攻撃陣がきっと援護してくれるはずである。そうした試合展開に持ち込めば勝機はあると信じている。
もう一つの山では、札幌第一高と東海大四高の激突となるだろう。今年の道内№1投手との呼び声の高い西嶋投手擁する東海大四高が一歩リードの感がするが、支部予選決定戦を延長15回、そして再試合を勝ち上がってきた札幌第一高も力は十分である。
どちらが勝ってもおかしくない好試合となりそうだ。
いや~、難しい。予想はここまでにしよう。(札幌日大が勝ち残っていたときは、準決勝を前に再び占ってみたいと思っている)
それにしても楽しみである。今大会も札幌日大を中心に観戦しようと思っているが、すでに予定が入ってしまっている。頭の痛い問題だか、なんとか調整して球場に駆け付けたいと思っている。
修学旅行というよりは、泊を伴わないので見学旅行と称した方が適切か?それはともかくとして、「めだかの学校」もいろいろなことに取り組んでいる。先日、余市方面への見学旅行を楽しみ、そして学んだ。
※ ニッカウィスキー余市蒸留所はやはり絵になる施設です。ウィスキーの試飲もgoodです。
かなり前の話になり恐縮だが、記録しておかねばならないことがあった。
今年の初めから参加し、座学(「映像で綴る昭和の記録」視聴)を中心に取り組んでいる「めだかの学校」が夏になり、戸外へも飛び出す学習機会を設けるようになった。
6月24日(火)、バスを駆って余市方面に見学旅行に出かけたのである。
訪れたところは次のところだ。(順に)
1)旧下余市運上家
2)よいち水産博物館
3)ニッカウィスキー余市蒸留所
4)旧余市福原漁場
以上、4ヵ所の見学だった。
※ 旧下余市運上家の前面入口です。質実な造りが印象的です。
特筆すべきは、1)、2)、4)の三つの施設で一人の「よいち水産博物館」の学芸員の方が先乗りして説明に就いてくれたことだ。このことは、ただパンフレットを見ながら見て回るのとでは、関心度・理解度に大きな差がある。
三つの施設が全て余市町で維持・管理していることで実現したのだろうが、私たちの担当者が交渉したことが大きいのではと思われた。
※ よいち水産博物館に入ると直ぐに目に入る「弁財船」の1/3のミニュチャアが目を惹きます。
訪れた四つの施設の中で、1)旧余市運上家と、4)旧余市福原漁場が、私には目新しい施設で興味があった。
運上家(屋)とは、蝦夷地特有の流通制度である「場所請負制」を行う場所として蝦夷地内に85ヵ所設けられたそうだが、当時の建物が現存しているのはここ「旧下余市運上家」だけだそうである。運上家は当初アイヌとの交易を主としていたが、やがて漁場の経営も行うようになったそうだ。
建物としてはけっして広壮なものではなく、主人の部屋と漁場で働く人たちが寝起きする広間だけという実用第一の造りだが、そこでの交易の様子や漁場に働く人たちの様子を彷彿とさせる建物内部だった。
※ 昼食を摂った「海鮮工房」、余市のある意味の名所かな?
もう一つの「旧余市福原漁場」は、ニシン漁を行っていた福原家が所有していた建物群がしっかりと保存されている施設である。主人家族と漁場で働く人たちが寝起きする「主屋」、藁製品や食料を保管していた「米味噌倉」、書類や衣類が保管されていた「文書庫」、漁で使う網などが保管されていた「網倉」、その他、ニシン粕やその卵(数の子、白子)を干す「干場」などが一画にしっかり保存されている。
特に「網倉」はニシン漁の漁具などが展示され、ミニ博物館的要素も備えており、近くへ行った人には必見の施設のように私には映った。
※ ニシンの干場の方から建物群を撮ったものです。右が「主屋」、左手前が「網倉」、左手奥が「文書庫」です。
他の二つがつまらなかったということではなく、蒸留所は昨年訪れていたこと、博物館の方は類似的な施設をこれまで数多く見た経験があったために、あえて特筆しなかったということである。
私のように不真面目な人間にとっては、「めだかの学校」はきわめて真面目に学ぼうとする姿にちょっと驚いている。私のような人間がいつまで付いていけるか疑問だが、できるだけ迷惑をかけないようにしながら付いていこうと思っている。
あまり深く考えもせず、準備もせずに旅立った今回の2泊3日の小トリップ(ことりっぷ)だった。ずっと南の島にこだわっていた私としては、「北の島にもいつかは…」という思いがあった。初夏の北の島は爽やかに私を迎えてくれた。
※ 本日のブログでは今までのレポートでは使用しなかった写真5枚を掲載することにした。
近年の私は南の島にこだわっていたように思う。それを振り返れば次のようになる。
◇2008年 沖縄本道
◇2009年 八重山諸島(石垣島、与那国島、波照間島、竹富島)
◇2010年 屋久島・種子島
◇2014年 奄美群島(奄美大島、徳之島、沖永良部島、与論島)
南の島に魅せられながらも、北の島もいつか訪れてみたいという思いが募っていた。
島にこだわる理由については、いつか本ブログで述べたこともあるが、人々の生活が島という限られた中である種完結しているところに、私たちとは違う生活の匂いのようなものを感ずることができる点が私を呼び寄せているような気がしている。
※ 焼尻島で見たエゾスカシユリに似ているが、こちらはエゾカンゾウだと思います。
さて、北の島は距離的に近いこともあり、あまり構えることもなく、今回もパアッと旅立ってしまった感じだった。長雨が続いた中、天候が回復してきたので「今だ!」と思い、宿だけ予約して旅立ったのだった。
旅の目的も、当初は島内一周ウォーキングを考えていて、体力養成的な意味合いが強かった。
ところが旅立ってから、「やはり見るべきところはしっかり見なければ」と思い、自転車に切り替えてしまうという節操のなさを見せてしまった。
結果、見るべきところが多かった焼尻島は正解だったように思われるが、天売島の方はウォーキングでも良かったかな?と振り返っている。
※ 焼尻島の奇木・珍木の一つ、「天狗の腰かけ」と命名されたナラの木です。
二つの島を訪れた感想は、時期的に最も良い時期を選んだこともあって大満足の小トリップだった。晴れてはいいても海から吹く風が心地よく、夏の海特有の紺碧の海を見ながらのサイクリングは最高だった! そして、二つの島ともに島ならではの光景を随所に見せてくれたし、島ならではの教育事情にも触れることができた。
※ 天売島にももちろんオロロン鳥の歓迎塔が立っていました。
島を訪れた際にいつも思うのだが、もう少しゆったりした日程であれば、島の人たちともう少し触れ合うことができるのでは、と思うのだが…。もう少し…、と思いつつ後ろ髪をひかれる思いで島を後にするのが“旅”なのかなぁ、と思ったりしている私である。
※ 帰りに天売島から羽幌港まで乗った高速船です。フェリーよりはぐっと小さいですが、速かったですね。
島であるなしに関わらず、これからも事情が許すかぎり、日常を離れ旅することを志向したいとの思いを強くした小トリップ(ことりっぷ)だった。
赤岩展望台のところが最高到達地点ではなかったが、そこから少し上った後はゴールのフェリーターミナルがある集落まで楽ちんの下り道だった。天売島の残り半分にもビューポイントがたくさんあった。
赤岩展望台を後にし「海鳥観察舎」に向かった。ここに至るまでが意外に難渋した。というのも、私は「海鳥観察舎」とは、スタッフが常駐するような立派な施設だと思い込んでいた。そう思ったのは、前日のウトウの帰巣風景の観察のとき「海鳥観察舎には50倍もの望遠鏡が備えられている」と聞いていたからだ。
実際に自分が走った距離感覚とマップから考えて「この辺りでは?」と目星を付けて海辺に向かうと小さな小屋が見えた。しかし、「そんな小さな小屋ではあるまい」と考え、折り返して前に進んだのだ。進んでも、進んでもそれらしきところがない。「あれっ?もしかしたら…」と思い、引き返してみた。何の案内もなかったが、先ほどの小さな小屋に向かったところ、中には誰もいなく、望遠鏡が1台ポツンと置かれていた。私の完全な思い過ごしだった…。
※ 私がイメージしていたものとは大きく違い、こんな小さな観察舎でした。
海鳥観察舎からは断崖絶壁の崖とその前に立つ「カブト岩」の絶景が素晴らしかった。その崖の中腹が、絶滅が心配されているオロロン鳥(ウミガラス)のコロニーということだったが、望遠鏡で見るとオロロン鳥のデコイが見えるだけだった…。
※ アレッ?カブト岩が頭の部分しか写っていませんね。6/27にi-phoneで投稿した写真の方が良いですね。
※ 6/27のi-phoneから投稿した写真はこちらから⇒
※ こちらちょこんと見える岩は「女郎子岩」だと思います。これ以上前に出て撮ることはできませんでした。
そこからまた走ること約10分、こんどは「観音岬展望台」である。
ここから見る景色もまた素晴らしかった。「カブト岩」とその対岸の崖を、海鳥観察舎とは反対側から見る感じだった。
※ 遠くに小さく会場に見えるのがカブト岩だと思います。
※ 振り返ると遠くに「天売島灯台」が見えました。
ここで天売島の観光とはまったく関係のない話を…。
マップに「なぜかここだけインターロッキングの歩道あり」という記述があった。
確かに観音岬展望台からフェリーターミナルに向かう途中の道路の一部に歩道が設けられていた。それがインターロッキングの歩道ということだ。
インターロッキングとは何ぞや?と思い、帰宅して調べてみると、ブロック状になったコンクリートを敷き詰めた歩道のことを指すということが分かった。なるほど、その歩道は街中でも良く見られるブロック状のコンクリートが敷き詰められた歩道だった。
※ どこでも見られる歩道ですね。欠点はブロックの隙間から雑草が生えることだとか、その欠点が目立ちます。
集落に向かう小高い丘のところに、ちょっとした広場と東屋風の休憩舎があった。そこからは天売島の北端に立つ「天売島灯台」が見えた。そして、広場の端には「天売島周辺海域 海難遭難者慰霊碑」が建っていて、遭難者の氏名が記されていた。
※ 島内一周の最後、高台から見える天売港の様子です。
フェリーターミナルがある集落へ戻ってきた。最後に訪れたのは「海の宇宙館」である。
海の宇宙館というネーミングに「?」と思ったので少し調べてみた。すると、この館が島在住の写真家・寺沢孝毅氏が私財を投じて建設した施設であることを知った。
寺沢氏のことについては多少の知識があった。もともと天売小学校に赴任した教師だった人で、絶滅危惧種のウミガラスをはじめとする海鳥の保護・調査活動を熱心に行ううちに、教師を辞して天売島に永住を決心し、それらの活動と共に自然写真家として本格的に活躍している方である。(現在の彼はワールドワイドに活躍しているようだ)
その寺沢氏が、海の宇宙に浮かぶ小さな星「天売島」で、私たちの星のことを考えられるスポットにしたいという思いを込めて創られた施設ということで納得することができた。
※ 右奥の建物が「海の宇宙館」です。入館料は無料です。
※ 「海の宇宙館」の管内展示の一部です。
「海の宇宙館」自体はそれほど大きな施設ではなかった。館内には寺沢氏が撮影した海鳥をはじめとした自然を写し取った写真が大きくディスプレイされ展示されていた。
そして幸運にも、訪れたときに寺沢孝毅氏本人にお会いすることができた。
来客に応接中だったため、多くは話せなかったが、一つだけ質問をさせていただいたところ丁寧に質問に答えていただいた。
その質問とは、島内で開花期を迎えていた大きな野草のことだった。異常に大きな花をもつその野草はセリ科の「エゾニュー」という種だった。
※ これはまだ全開前のエゾニューです。こんな大きな花は初めて見たような気がします。
※ こらは全開したエゾニューの花です。
今回の旅ではそれほど多くの方と交わることができなかったが、最後になっていわば天売島を象徴するような方にお会いできたのは幸運であった。(私がNHK・BSで彼が旅したアラスカ紀行の番組を観たことを伝えると嬉しそうに応えてくれた)

※ 大会終了後、代表旗、賞状を受け取った札幌日大高校です。写真中央が主将の松田選手です。
予想していた以上の完勝である。本日の札幌支部予選Dブロック代表決定戦 対立命館慶祥戦のランニングスコアは次のとおりである。
《立命館》 000 000 00 0
《札日大》 100 020 22x 7x ※8回途中コールドサヨナラゲーム

※ 打順の一部入れ替えはあったものの札幌日大不動のラインナップです。
この試合、まず特筆すべきはエース佐藤の抜群の投球ぶりであろう。準決勝の対尚志学園戦とは大違いだった。
自信満々(に見えた)の投球は、一昨日に完投した疲れなど微塵も見せず、ストライク先行で打者を討ち取っていった。バックもそれに応え、三塁手西や中堅手松田の好守備が佐藤を支えた。散発4安打、奪三振5は文句のつけようのない投球である。

※ 試合後、クールダウンをする佐藤投手です。
そして札幌日大高自慢の打線は今日も健在だった。何より主軸松田が爆発したことが大きい。これまで2試合でそれぞれ本塁打を放ち存在感は見せていたが、同時にもろさも垣間見せていた。しかし今日は全打席ヒット(4打数4安打)と文句のつけようのない内容である。特に第3打席は右手一本(彼は左打者)でワンバウンド柵越えのエンタイトル二塁打を放ち、あの細身の体のどこにそんなパワーがあるのかと思わせるほどの素晴らしいバッティングだった。
さらに今日は1番菅原の活躍が光った。最初の2打席は2回とも二塁手エラーを誘い、3打席以降は3打数3安打、うち右越え3塁打、そして8回にはコールドゲームを決める右越え2打点本塁打である。
6番西野も2打数2安打、1四球、1犠飛と抜群の働きだった。
その他の打者もそれぞれの役目を果たしていた。

※ 主砲松田選手の力強いバッティングフォームです。
結局、札幌日大高は予選3試合を、対三愛戦5対0、対尚志学園戦10対3、対立命館戦7対0と、いずれも危なげなく勝利して南北海道大会へ駒を進めたことになる。
そこで目立つのがエース佐藤の安定感である。先日記したように尚志学園戦の失点3もバックのエラーによってであって、三試合自責点0で切り抜けたのだ。
1・2試合目は自責点0とはいえ、どこか頼りなさのようなものも感じたが、本日の投球ぶりは実に堂々した投球ぶりに見えた。
今日のような強気の投球を貫けるとしたら、期待は大きく膨らむ。私は佐藤投手の今日のような投球を札幌第一高との練習試合でも目撃することができた。ぜひとも今日の投球を忘れることなく南北海道大会に臨んでほしいものである。
打線は何度も言及しているが、自慢の打線である。(と私が言っているだけなのだろうか?)今大会でも、8安打、13安打、11安打と非常に活発である。その上4本塁打、3三塁打、6二塁打と長打力もあり、北海道内の高校としては屈指の打撃のチームと思われる。かなりの豪球投手、あるいは極端な軟投型でないかぎり、かなりの得点は期待できる打線である。
ここにきてエース佐藤が安定してきたことにより、札幌日大高はかなり期待がもてる存在なってきた気がする。
7月17日から始まる南北海道大会での札幌日大高の躍進が楽しみである。
※ 西選手の打撃三態 先日の対尚志学園戦で西選手のバッティングフォームだけ撮り忘れてしまった。そこで本日は西選手の打席の様子を三枚載せることにした。

※ 前戦ては3番だったが、この日は上に上がって2番打者を務めた西選手です。

※ この日は前打者の菅原選手が何度も無死の走者で出たためバントのケースが多かったが、西選手はことごとくバントに失敗していたのはいただけなかった。

※ この日、西選手は結局4打数1安打だった。
天売島の外周も焼尻島同様激しいアップダウンの道路だった。この日(6月27日)も空は晴れ渡り、全身に汗をいっぱいかきながらのサイクリングとなった。天売島はしかし、焼尻島ほど見どころはなかったように思われた。
小トリップ(ことりっぷ)最後の日である。
私は荷物をまとめ、宿に主人にフェリーターミナルまで送っていただき、そこでレンタサイクルを駆り、さっそく島内一周に出発した。
まずは島の守護神、「厳島神社」で最後まで旅が安全に完遂するよう祈願した。
続いて道路沿いにあるはずの「天売高校」を探したが見つからない。周りに人がいなく聞くこともできなかったが、ようやく通りかかった人に「ちょっと奥まったところにあります」と助言をいただき見つけることができた。
高校は夜間定時制ということで閑散としていた。聞いた話では生徒数は8名で、全員が3年間での卒業を目ざしているということだった。
※ ちょっと時代を感じる木造の校舎である。
高校から少し行ったところに「天売小中学校」があった。こちらは平成17年に小中併置校になるさい校舎を新築したとのことで、高校とは違い真新しい校舎だった。
小中学校の道路向かいに「天売郵便局」があり、マップには「天売到着証明書が入手できる」とあったので、小休止も兼ねて寄ってみた。葉書の切手代で自宅に送付できるという。自分あてに「天売郵便局来局証明書」を送ってもらうことにした。
※ 葉書には「本日、あなたは日本有数の『海鳥の楽園』天売島に上陸し、天売郵便局に来局されたことを証明します」とあった。
天売島は前日のウトウ観察ガイドによると人口が348人と言っていた。やはり徐々に人口は減っているとのことだ。道路沿いにも廃家となった家をところどころで見ることができた。
やがて人家がまったく見えなくなり、赤岩灯台に向かっての厳しい上り坂になった。
遠くの高いところに、目ざす「赤岩灯台」が小さく見える。
どのくらい厳しい上り坂なのか写真に撮ったが、私の実感としてはもっと急のように思えたのだが…。そんな坂で無理することはない。私は自転車をずーーーっと押して上ったのだった。(その距離約3キロとか?)
※ ずーっと遠くの丘の上に小さな白い点を見つけられるだろうか?目ざす赤岩灯台である。
※ この坂道、かなりの勾配です。
何度も休みながら上っていると眼前に灯台が見えた。目ざしていた「赤岩灯台」である。前日夜にウトウの帰巣風景を観察に来たところだ。
あたりにはウトウが掘った巣穴が無数にあったが、それはとても奇妙な風景だった。
しかし、そのように見えるところは巣穴全体から見ると実は少数で、ほとんどはイタドリの群落が生い茂る下に作られているとのことだ。イタドリが生長していない春先はそれら全てが見渡せる、とガイドが話していた。
※ 灯台の手前の道路上に白い点々が目立ちます。ウトウの糞だと思われます。
※ この光景は一見異様ですよね。
※ このイタドリの群落の下に無数のウトウの巣穴があるとのことです。
赤岩の展望台からは、「赤岩」はもちろんのこと、日本海を望む素晴らしい景色を望むことができた。
※ 天売島の海岸風景を象徴する赤岩の奇岩です。「赤岩展望台」から眼下に見えます。
(コースはここで島を半周したことになる。後編にて残り半周分の様子をレポートする。)

※ 対尚志学園戦に勝利して校旗の掲揚を見守る札幌日大高ナインです。
本日の円山球場の第2試合、対尚志学園戦のランニングスコアをまず示す。
《札日大》 122 010 13 10
《道尚志》 200 000 10 3 ※8回コールドゲーム
このゲームを新聞記事風に記すとしたら、次のように表現されるだろうか?
札幌日大は難敵と思われていた尚志学園のエース横田を難なく攻略し、3回途中に早くも降板させ、救援の下向にも攻撃の手を緩めず、山崎、松田両選手の本塁打を始めとして合計13安打を両投手浴びせて10得点を重ね、自慢の打線が本領を発揮した試合だった。
一方、守ってはエース佐藤が相手打線に10安打を喫するものの要所を締めるピッチングで3失点に抑え完投した。
ところが、札幌日大の躍進を期待する私の目からすると、いろいろと注文をつけたくなる試合でもあった。
まずエース佐藤である。今日はどうもピリッとしたところがなかった。体が重そうな様子でボールも走っていなかったようだ。私の目からはなんだか打者に対して恐る恐る投げているようにさえ見えた。
ただ、今日の試合で彼は自責点0なのだ。後述するが3点はバックのミスであり、調子が悪いなりに抑えるところは彼の投球術の優れたところだろうか? 序盤に3度もノーアウトのランナー(いずれも安打で)を出し、自ら苦しんでいたのはいただけないが…。
次にセカンドの守備である。
今日の試合で二塁手の東海林は記録に表れた失策が2個、記録にはなっていない失策が1個あった。記録上の2個の失策は1回、7回といずれも札幌日大が失点したケースにおけるタイムリーエラーである。
私は札幌日大の二塁手(遊撃手)の守備について昨年もその奇異さを指摘している。
守備に就いたとき、特に走者が出たときに動き過ぎなのだ。少し長くなるが、この点について私が感ずるままを書いてみる。
相手攻撃において塁上に走者がいた場合、投球間において捕手から投手にボールを返球する際、ボールが逸れて投手が捕球できないような場合に備えて遊撃手、二塁手が投手後方をケアするような守備は現代の高校チームならどのチームにも徹底されている。しかし、札幌日大の場合はそれが極端なのだ。東海林君の場合などは投手の真後ろまで回ってグラブを構えてまでいるのだ。当然動く距離は長くなる。それが私にはとても無駄な動きに見えてくる。そうした動きが守備位置にも影響を与えているように思える。自然に守備位置が2塁ベース方向に近づいた位置になっているのだ。
他のチームはと注意深く見ていると、もしもに備えてケアはするものの、それは突発事態に備えるといった感じで体を投手の後ろ方向に移動させているものの真後ろまで行くようなことはなかった。
次いで、走者が2塁々上にいる場合である。この時も走者の牽制を意識するあまり、意識が半分以上走者にいっているように思われる。自然に守備位置もベースに近い位置となっている。
7回の失点は確か一死走者2塁のケースだったと思う。打者は相手4番の左打者である。
当然、右方向への打球が予想される場面である。しかし、相変わらず2塁走者の牽制にかなり意識がいっていたのではないか。その結果、痛烈な2塁ゴロをはじいてしまい3点目を献上してしまった。
二塁手の守備は最も難しいと言われている。いわゆる単に打球を捕球するということだけではなく、さまざまな連係プレーの核となったり、打者によって守備位置を微妙に調整したりと、いわば内野手のキーマンである。それだけに指導者もきっと細かく神経を使って指導しているものと思われる。だから札幌日大の場合、昨年も今年も同じような印象を抱いたのだと思われる。指導者としては私が思っているようなことは当然考えながらもそう指導しているとしたら、外野の私がどうこういう問題ではないのだが…。
ただ、野手である以上、自分のところに来たボールを確実に処理することが何より優先されるはずである。その点、今日の東海林君の1回、7回のタイムリーエラー、そして得点には結びつかなかったが二塁手頭上にフラフラと上がった飛球に対して落下地点行くことが遅れて捕球できなかった守備はいただけない。失敗は誰にでもあるものだが、素人から見ても失敗の遠因のようなものを感じてしまったのだが…。
さて注文が長くなってしまったが、肝心の支部代表決定戦は予想どおり立命館慶祥高との対戦となった。
立命館も札幌稲雲高を9対1のコールドゲームで勝ち上がってきた。その立命館の投手が背番号1の八十科ではなく、10番を付けた高氏が投げていたのだ。記録を見ると、一回戦も八十科は1回しかもたず高氏に交代しているようだ。どちらが先発してくるのだろうか。高氏は上背もありスピードもそれなりで魅力的だが、球筋が素直のような気がする。札幌日大打線なら攻略する可能性大と見たがどうだろうか?
札幌日大の守りであるが、中1日の休養であるがここまで佐藤一人で来たことを考えるとやはり先発は佐藤だろうか? 今日、体が重そうだったことが気になるが、もし先発ということなら最後の夏だ!気力を振り絞って頑張ってほしい。
いずれにしても自慢の打線が絶好調の札幌日大高、代表決定戦でも打線が爆発し、勝ち抜いてほしいと願っている。
札幌日大高校が誇る自慢の打線の各自の打席の様子を本日の成績と共に紹介します。ただし、全員を撮ったと思っていたのだが、3番西選手だけは失念してしまったようだ。次戦は西選手を中心に撮ることにしよう。

※ 1番右翼手 菅原 4打数3安打 1四球 打点1

※ 2番遊撃手 西野 2打数0安打 1四球 2犠打
※ ごめん! 3番三塁手 西 4打数1安打 1犠打

※ 4番中堅手 松田 5打数1安打 1本塁打1打点

※ 5番一塁手 兼村 4打数1安打 1犠打

※ 6番二塁手 東海林 4打数1安打

※ 7番左翼手 山崎 4打数3安打 1本塁打3打点

※ 8番投手 佐藤 4打数1安打

※ 9番捕手 尾崎 4打数2安打
天売島は海鳥の宝庫として知られている。特にオロロン鳥(ウミガラス)は今や天売島にしか生息していなく、それも絶滅寸前と聞く。天売島に渡った私は最近増えつつあると言われるウトウの帰巣風景を観察するツアーに参加した。
焼尻島を巡り終えて、天売島に移動する最終便(15時10分発)で天売島に移動した。フェリーは羽幌港から乗ったのと同じフェリー「オロロン2」である。(写真)天売島は焼尻島から近くに見えただけに20分少々で着いた。
羽幌と二つの島の間は夏の間は高速船も含めて一日4便あるが、冬の間(10月~4月)は一日1便に減便されるようである。(一日1便とは厳しいですね)
天売港のフェリーターミナルも、焼尻島と同様ひなびた感じであった。
そのターミナルには、宿泊先の「旅館 オロロン荘」の主人が迎えに来てくれていた。
オロロン荘は旅の中でもレポートしたが、こうした離島の民宿風の宿としては想像していたよりずっと清潔な宿だった。その外観が次の写真である。
夜、ウトウの帰巣風景の観察ツアーに参加するため、早い時間の夕食となったが海の幸満載の内容だった。天売名物生ウニはもちろんのこと、各種のお造り、ナマコ酢、ツブなどなど…。生ウニは確かに甘味が感じられ最高だったが、基本的には生ものが苦手な私には猫に小判状態だった。
そして夕刻、各所の民宿宿泊者(希望者)をバスに乗せて「ウトウの帰巣風景」を観察するために赤岩に向かった。ウトウは非繁殖期は海上で生活しているが、繁殖期(4~8月)には地面に穴を掘ってコロニーを作って産卵からヒナが孵化するまで生活するという。
天売島はその繁殖地として世界最大とのことだが、バスの運転手兼ガイドによると、天売島では約80万羽、40万つがいが生活しているという。
赤岩のところにはウトウが掘った穴が無数に開いていた。
その穴のところに、ウトウが持ち帰った小魚を横取りしようとウミネコが待ち構えていた。
赤岩に着いたときには夕暮れ前、ちょうど夕陽が沈む前だった。雲に遮られて太陽がクリアには見えなかったが、それなりの夕景だった。
肝心のウトウの帰巣は辺りがくらくなった午後8時過ぎだった。ガイドによると、ウトウの餌であるイカナゴやカタクチイワシがだんだん獲れなくなり帰巣時間が遅くなっているということだったが、午後8時を過ぎたころから辺りが賑やかになってきた。
凄い勢いでウトウが頭上を飛び回り、自分の巣穴を目ざす。
鳴き声を上げるわけではなく、羽音だけをバタバタさせながら次々と降り立ってくる。
私たちは路上のすぐ傍のイタドリの下につくった巣穴に帰るウトウの姿を追った。ウトウは人や光をあまり気にしないらしく、懐中電灯の光を当てても逃げようとしない。(ただ
ウトウにストレスを与えないためにも過剰に光を当てることは避けてほしいとガイドからは言われていたが…)
そんなウトウをなんとかカメラに収めることができた。
ただ、私が見ることができた4~5羽のウトウはいずれも嘴に小魚を咥えてはいなかったようだ。
ガイドが言う。直ぐ近くの焼尻島に棲まなくて、天売島に海鳥が多く棲む不思議を語った。明確な理由は解明されていないようだが、ウトウの場合は穴を掘りやすい土の成分によるのではないかということだったが…。
ウトウは今のところ生育数は漸増傾向とのことだったが、オロロン鳥をはじめ海鳥たちにとって生育環境は、餌である小魚の確保が難しくなったり、天敵が増えたりと、厳しくなってきているようだ。
私たち観光客も彼ら海鳥たちにとっては迷惑な存在なのかもしれない。そのことを一人ひとりが自覚しながら、海鳥たちにストレスをかけないようにしなければ…。(チョット反省)
焼尻島は相当に風の強い島らしい。特に冬期間は相当なようで家々の囲いを見てもそのことが想像される。それがさらに島の内部に生育している木々の状態を見せられるとその凄さを実感させられる。
午後は焼尻島の内陸部を巡ることにした。内陸部にはオンコ(イチイ)などの奇木が群生していると聞いた。
その群生しているところへは島内各所から行くことができるが、集落が集まっているところからは羽幌町役場支所があるところからが一般的なようである。
私も役場支所のところから入ろうとしたのだが、その入口に「会津藩士の墓」というのがあった。それを見て、歴史に疎い私は会津藩が戊辰戦争に敗れ賊軍となり、藩士たちは塗炭の苦しみを味わう中、その一部が屯田兵として北海道に渡ったとは聞いていたが、それが焼尻島まで至ったのだろうか、と疑問に思った。
そこでその疑問を役場支所で明らかにしようと、役場支所に赴き質問したが支所員は答えを用意していなかった。(それは用意しておいた方がいいと思うよ)
彼は「4月赴任したばかりだから…」と言い訳を言っていた。そこで話を変えて、離島への赴任について話をした。すると、役場職員は2年の任期で島の支所に赴任するという。今の時代である。当然のように単身赴任だということだが、毎週自宅に帰れるかというとそうはいかないらしい。所員が2人ということで、どちらかは島に残り、緊急事態に備えなければならないという。離島を抱える自治体職員にとっては人事異動の季節は戦々恐々のようである。
あっ、ところで「会津藩士の墓」ですが、時代は戊辰戦争よりずっと前の1800年代初頭に江戸幕府から北方警備を命じられて樺太警備に当たっていた会津藩士が帰藩するさい時化に遭い遭難して焼尻島で弔った藩士の墓のようです。ちなみにお墓は写真のように二つ立っていました。
話が横へそれてしまった。さっそく、島の内陸部に足を踏み入れてみた。内陸部は草木が鬱蒼と茂っていて、陽の光も木洩れ日状態である。車が入る道はなく、簡易舗装された細い道を歩くか、自転車で見て回るしかない。噂に聞いていたが、なるほど曲がりくねったような木が目立った。
そうしているうちに、曲がりくねったりした奇木に名前が付けられている木が散見するようになってきた。それらを順に写真と共に紹介することにする。
最初は「鶴の木」と書かれたオンコの木である。
続いて、近くに「亀の木」と書かれたオンコがあった。亀の木と言われれば、なんとなく全体が亀の甲羅のように見えてくるが…。
次は「エゾ鹿」と書かれたナラの木である。どう見たらエゾ鹿のように見えるのだろうか?
次もナラの木で「知恵の輪」と書かれていた。こちらは一目見て納得である。
続いて「幻想の径」と名付けられたナラの木だが、同じように名付けてよいナラの木が周りにもたくさんあった。
そして「木精の舞」と名づけられたオンコの木である。
これら奇木・珍木が数多く見られる原因は、焼尻島に吹き付ける強烈な風のせいであろう。私自身これまで風が強いために傾いたまま成長した木を見たことは何度もあったが、ここまでひねくれてしまった(?)木を見ることはなかった。それだけ焼尻島に吹き付ける風は想像を絶するような強烈な風なのかもしれない…。
他にもまだ名付けられた木があったが、そこを抜けて「オンコの荘」というところに向かった。ここはオンコの木が焼尻島に吹き付ける日本海からの強く激しい季節風や雪のため、上には大きく伸びることが出来ずに、横へ横へと広がって成長したため、高さは2m足らずなのに直径が10m以上にも広がったオンコの木が集まって生えているところである。腰を屈めながらオンコの木の中に入ってみると、たくさんの枝が驚くほど横に伸びていた。
焼尻島には、この他にも写真的には紹介できなかったが「ウグイス谷」とか、「雲雀ヶ丘公園」など、自然を生かした魅力的なところが小さな島ながらいっぱいあり、予想外に魅力的な島だった…。
※ 高校野球選手権予選の小樽支部予選でまた番狂わせがあったようですね。昨年の甲子園出場校で、今年春の北海道大会を制した小樽北照高校が予選敗退をしたというニュースを耳にしました。選手権大会の北海道予選は波乱含みのようです。