田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

モエレ沼公園を読み解く Vol.2

2024-05-18 16:55:01 | 大学公開講座
 モエレ沼公園の北端に立つ直径2メートルもの太さのステンレスの円柱を三角に組み上げたモニュメントが目立つ。この「テトラマウンド」もまたノグチにとっては記念碑的な作品であるという。その意味について解説を聴いた。

  
  ※ モエレ沼公園の北端に立つ「テトラマウンド」です。

 昨日、私が受講している札幌学院大のコミュニティカレッジの第2講が開講された。講座名は「モエレ沼公園の歩き方 イサム・ノグチの『レジャー空間の彫刻』を読み解く」、
そして第2講のテーマは「《テトラマウンド》という枯山水」と題しての講義だった。
 モエレ沼公園の「テトラマウンド」を見た時、三角に組み立てられた円柱も目立つが、その下部に大きく丸く盛り上がった土塁のように盛り上がった地形も目立つ。

       
  ※ 「テトラマウンド」に近づいてみると、彫刻の下に土塁のような盛り土があります。

 ノグチは1979年にアメリカ・デトロイトのハートプラザに “ドッジ噴水” と称するテトラマウンドを彷彿とさせる鉄柱から水をふんだんに噴出させる噴水を完成させている。また、1970年に開催された大阪万博においても水をふんだんに使った噴水の彫刻を完成させている。

     
 ※ 写真は悪いですが、デトロイトの「ハートプラザ」に造られた「ドッジ噴水」です。

 講師の児玉氏のお話から、ノグチは水が持っているエネルギーに着目したようだ。モニュメントから勢いよく飛び出す噴水の様子から自動車産業景気に沸く街デトロイトをイメージしたようである。また伸長著しい(1970年当時)日本を象徴すべく、会場に噴水公園を造成したようである。

    
    ※ こちらは大阪万博の際に公開された「噴水広場」の様子です。

    
    ※ 講師を務められた児玉哲明氏です。
   
 しかし、「モエレ沼公園」の「テトラマウンド」に噴水はない。その代わりのように丸い形の土塁が築かれている。
 ノグチはその後、アメリカ・インディアン築造の土塁に興味をもったという。 
 さらには京都・龍安寺の枯山水庭園にも興味を示し、龍安寺を訪れた際にたくさんの写真を熱心に撮ったとも云われている。
講師は言及されたかどうか記憶にはないのだが、私はこの話を聴いてノグチ氏の心の変化を感じた。つまり若い頃は水がほとばしる噴水に逞しい生命力のようなものを感じて盛んに噴水彫刻を創ったノグチ氏だが、彼自身が長ずるに及んで逞しい生命力にもいつかはそれが衰えることを感じて、土塁や水のない枯山水庭園に興味をもったのではないかと…。
その思いが、“ドッジ噴水” の様式を継承しながらも水は配せず、しかもテトラマウンドの下に土塁様のものを築いたのではないか、と考えたのだが…。
しかし、この思いは私の浅はかな感想でしかない。底にはもっともっと深い意味が込められているのだろうが、私のように考えるものがいてもいいだろう的な思いが発露してこうした感想を抱いてみた。
 講師の児玉氏が、今回の講義のテーマを「《テトラマウンド》という枯山水」と付けた理由の一端を私も考えてみた、ということである。
 さて、第3回となる最終講義は来る5月21日(金)である。テーマは「空から見る芸術としての《モエレ山》」である。どのようなお話が聴けるのだろうか?楽しみである。    

モエレ沼公園を読み解く Vol.1

2024-05-17 19:12:45 | 大学公開講座
 日系アメリカ人のイサム・ノグチの最後にして最大の作品が札幌にある「モエレ沼公園」であることは多くの札幌市民の知るところである。その「モエレ沼公園」を学術的に読み解くという札幌学院大のコミュニティカレッジに参加した。

 本日、そのコミュニティカレッジの2回目の講座があった。
 講師は北海道芸術学会員でジャーナリストの児玉哲明氏で、1930年代のニューヨークとイサム・ノグチについて長く研究を続けられてきた方という紹介があった。
 講座は5月10日(金)から3回に分けて毎週金曜日に開講されることになっている。その講座名は「モエレ沼公園の歩き方 イサム・ノグチの『レジャー空間の彫刻』を読み解く」と題して、各回のテーマを次のように設定している。
 ◇第1回 二つの《プレイマウンテン(遊び山)》
 ◇第2回 《テトラマウンド》という枯山水
 ◇第3回 「空から見る芸術」としての《モエレ山》
 私がこの講座を受講しようとした動機は、私にとって「モエレ沼公園」は広々としたロケーションと、そこに散在するイサム・ノグチが設計した造形群が魅力的であり、レジャーグランドとしても他の公園とは一線を画す魅力を感じていたのだが、その「モエレ沼公園を学術的に読み解くとはどういうこと?」という素朴な疑問からだった。また新設なった札幌学院大の新札幌キャンパスを一度見てみたいという思いもあった。
 新札幌キャンパスは、地下鉄「新札幌駅」に近接した「札幌市青少年科学館」の裏手に近代的な建造物として屹立していた。内部も近代的装いが施され、学生たちにとっては学びやすい、憩いやすい空間ではないかと思えた。

    
    ※ 新設なった札幌学院大学の新札幌キャンパスの外観です。

 さて今回は第1回講座の「二つの《プレイマウンテン(遊び山)》」の講義のみについてレポしたい。
 「モエレ沼公園」内には、「プレイマウンテン(遊び山)」と「モエレ山」という二つの山がノグチの作品としてあるが、今回児玉氏は高い方の「モエレ山」(標高52m)ではなく、敢えて低い方の「プレイマウンテン」(標高30m)をその対象とした。というのも、「プレイマウンテン」の方は、ノグチ氏が長年抱きながら実現できなかった構想を、「モエレ沼」において実現できたというストーリーがあるからだったようだ。

※ プレイマウンテンを北側から見た図です。この緩やかな道を辿ると頂上に導かれます。

 そのストーリートは、ノグチ氏は自らの芸術を模索する中で、自らの作品は抽象彫刻であるが、それを子どもの遊び場(プレイグランド)としてつくることに執念を燃やした芸術家だったという。

   
   ※ 反対の南側は、花崗岩をピラミッドのように階段状に積み上げています。
 
 その構想は1930年代からあって、1933年にノグチ氏はニューヨーク市に対して構想を具体化したプレイマウンテン(遊び山)を提案したが受け入れられなかったという。ノグチ氏にとって1930年代は氏が30歳代と若い時期である。それからの紆余曲折の中、ノグチ氏は彫刻家として大成していくのだが、プレイマウンテン構想は実現せぬまま時が経過していた。
    
    
   ※ イサム・ノグチ氏が1933年にニューヨーク市に提案したプレイマウンテンです。
      モエレ沼公園のプレイマウンテンによく似ています。

 ノグチ氏の晩年、札幌市からゴミ集積場だったモエレ沼の公園化の話が持ち掛けられ、そこに彼の念願の構想が実現することとなった。1988年11月、ノグチ氏は「モエレ沼公園」の模型(マスタープラン)を完成させた。ところがノグチ氏は同年12月急病によって急逝してしまったが、後継者の手によって建設が進められ2005年グランドオープンした。

   
   ※ プレイマウンテンの頂上からモエレ沼公園を俯瞰した図です。真ん中の白いものは
     コンサートなどを開催できるミュージックシェルです。ここプレイマウンテンで野
     外コンサートなどをぜひ体験したいと思います。
    
 そうした背景を知り、次回「モエレ沼公園」を訪れた時には、これまでとは違った目でプレイマウンテンを見ることになるだろう。
 なお、Wikipediaではプレイマウンテンについて次のように説明している。
「ノグチが1933年(昭和8年)に発案したセントラル・パークに遊園地をつくるプランの『遊び山』の構想が初めて実現したもの。ピラミッドをモチーフにした99の石段を積み上げた斜面と、白い1本の道が頂上へと続く斜面がある山(高さ30m)」


グレン・S・フクシマ氏 日米間の協調の必要性を強調!

2023-12-06 16:11:14 | 大学公開講座
 日系三世で、米国通商代表部に籍をおくなど大変な経歴をお持ちのグレン・S・フクシマ氏のお話を聴いた。時間不足の感もあったが、アメリカ側から見た日本と米国の協調の必要性を強調されたお話と受け止めた。

 昨日午後、札幌大学ブレアホールにて札幌大学と北海道インターナショナルスクール(HIS)が共催する講演会が開催されたので聴講の機会を得た。
 講師はその経歴を拝見しただけで眩暈がしそうなほどの輝かしい経歴をお持ちのグレン・S・フクシマ氏「次世代が築く日米間の政治、経済、外交、ビジネス、教育分野における共通ビジョン」と題して講演された。
        
 まずフクシマ氏の学歴であるが、スタンフォード大、ハーバード大大学院、さらにハーバード大のビジネススクール(M.B.A.)、ロースクール(J.D.)を卒業(修了)した上、慶応大留学、東大法学部での研究の実績もあるなど学歴だけでも輝かしい。
 実社会においては、大手法律事務所、米国大統領府通商代表部に席を置き、日本担当部長を歴任するなど、日米の経済問題を担当された。
 通商代表部を辞した後は、AT&T社(米国電話電信会社)の副社長を務めたり、米国を代表するような会社社長を次々と歴任したりするなど、経済、法律に精通した素晴らしい実績と経歴の持ち主である。
 フクシマ氏は「日米間には主として七つの課題が横たわっている」とした。その七つとは、①経済(Economy)、②ビジネス(Business)、③技術(Technology)、④政治(Politics)、
⑤軍隊(Military)、⑥外交(Diplomacy)、⑦教育(Education)、の七つであると指摘した。
 フクシマ氏のお話を伺って驚いたのは、まるで日本生まれではないと思われるほどの流暢な日本語を話されたことだ。聴衆の中にアメリカからやってきた留学生もいたので、話の合間には彼らに英語でも解説を加えながらの講演だった。
       
 さて肝心の講演の内容であるが、日米間(あるいは日本と世界)に横たわっている多岐にわたる課題をわずか1時間で言及するのはどうしても無理がある。したがって、各論において深く言及するよりは、メディアを通じて専門家が言及することをおさらいするよう内容になった面は否めなかった。
 その中でフクシマ氏が何度も口にした言葉は “連携・協力” という言葉だった。例えば、経済において「経済安全保障を確立するためには多国間との協力が必要である」とか、ビジネスにおいて「企業が競争力を発揮するためには、他企業との連携・協力が欠かせない」といったように…。そのことは技術面においても、日本の安全保障の問題についても同様だった。
 それはフクシマ氏の認識が、グローバル化した現代において「一国主義などは、もはや通じない」と言っているように思えた。フクシマ氏も言及したが、1970年代の日本は米国の社会学者エズラ・ヴォーゲルが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といった著書を著すなど飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、もはやそうしたことの再現は望むべくもないと指摘したものと受け止めた。
 世界が、企業間が連携・協力を推し進めねばならない時代に、日本の若者の海外志向が萎んでいる現状をフクシマ氏は嘆いた。フクシマ氏は我々日本人を励ました。「日本の初等教育は高いレベルにあるのだから、高等教育においてもそれは継続できるはずだ」と、そして若者たちは積極的に海外を目指すべきだと…。
        
 最後に、多くの札幌大学の若者たちが受講する場で「日米の若者がリーダーシップをとって日米間、あるいは日本と世界が連携・協力する体制を構築していくような世界を目ざしてほしい」と強調された。
 輝かしい経歴をもち、多くの貴重な現場を体験されたフクシマ氏のお話はとても魅力がある。今回のお話はその入り口に過ぎなかったのではないだろうか?できれば再びフクシマ氏のお話を拝聴してみたい。

江川紹子さん、日本のメディアを叱る!

2023-12-03 18:47:29 | 大学公開講座
 それほど激しい言葉ではなかったけれど、ジャーナリストの江川紹子さんは日本のメディアアの腰の引けた報道ぶりを突いた。成熟した(?)日本社会においては、どうやらメディアに属する人たちもおかしく成熟しまった??

       
 昨日(12月2日)午後、北大大学院のメディア・コミュニケーション研究院主催の市民公開講座が開催され参加した。テーマは「メディアの沈黙とジャーナリズムの力」と題するものだった。
 その冒頭に、ジャーナリストとして度々メディアの姿勢に対して問題提起をされている江川紹子さん「オウム事件取材から旧統一教会・ジャニーズ問題まで」と題して基調講演をされた。講座は、その後江川氏を始めとして、北大から東大に転じた遠藤乾教授、HBCTVで「ヤジと民主主義」を制作した報道部の山崎裕侍氏が登壇してパネルディスカッションが行われた。本稿では、江川氏の講演に絞ってレポすることにする。
        
 江川さんは最初、「ジャニーズの性加害」問題を主としながら日本のメディアについて語った。
 江川氏によると、ジャニーズ問題について週刊誌が盛んに報じたにも関わらず大手メディアは一向に報じず沈黙したままだったが9月7日にジャニーズ側が初めて性加害を認めたことでNHKが番組「クローズアップ現代」において検証番組を初めて報道したという。
 その中の証言で、「性加害(被害)というと女性の問題」という意識が関係者の中で働いていた。週刊誌が報じる芸能ゴシップはニュース性がない。といった意識と共に「ジャニーズには触れない。触れると大ごとになる。やり過ごした方がいい。」といった空気が関係者間では共通した認識だった、といったような証言が報じられた。
  

 そしてその後、民放各社も次々と検証番組を報じたが、江川氏によるとそれらはNHKのものと大同小異だったという。
 このことは何を意味するかというと、メディアの中に厳然として存在している ヒエラルキー(階級意識)だという。江川氏によるとその順列は①全国紙、②NHK、③地方紙、④民放、⑤週刊誌という順だそうだ。つまり、全国紙、NHKが報じないものは報じないという同調圧力的なものがメディア界を覆っている現状があるというのだ。したがって、週刊誌が報じることなどにはニュース性がないと無視する空気も存在するという。
 また、メディア界には「警察が動かねば報じない」という空気も存在するという。警察が発表して初めて事件が報じられるケースも増えているそうだ。メディアが独自に動いて報道する調査報道の数は減少しているともいう。
  このようにメディアが肝心の伝えねばならないことに対して “沈黙” するケースが増えていると江川氏は指摘する。テーマにもあるようにオウム問題、旧統一教会問題、ジャニーズ問題、さらには最近の宝塚問題についても言えるのではないかという。
 なぜいま、そうした傾向が強まっているのか?お話を聴きながら考えてみると、メディアに属する人たちの中に「危険はおかしたくない」、「提訴されるようなことは避けたい」、「ほかのメディアと同調するほうが安心」等々、という風潮が広がっているのではないかと思ってしまう。
 こうした風潮に対して明確な対処策は今のところ見つかっていないようだ。 
 その後のパネルディスカッションで、誰もが発信できる現代にあってSNSなどさまざまな手段を使って勇気あるメディアを後押しする(応援する)ことが必要ではないか、といった提言もあったが、有効な決定打はないのが現状のようだ。
 成熟した社会が、真実が見えなくなる社会であってはならないのだが……。 

新人文主義のフロンティアとは??

2023-10-03 19:24:03 | 大学公開講座
 久しぶりに “アカデミック” な話題が交歓される空間に身を置いた。認知症が心配となる年代となった私には少々難しい問題だったが、久しぶりに知的な刺激を得たシンポジウムだった。

  
 9月30日(土)午後、北海学園大学において、同大学人文学部が学部開設30周年を記念してシンポジウムが開催されることを知り、怖さ知らずに参加してみた。
 テーマは「新人文主義のフロンティア-「耕すこと」と「食べること」から考える人文学の可能性―」と題して、京都大学の藤原辰史准教授が基調講演を行い、北海学園大学人文学部の小松かおり教授、郡司淳教授のお二人が発題するという形の構成だった。
 京大の藤原准教授「食と農の人文学 ~人間を深く考えるための人間中心主義批判~」と題して講演された。藤原氏の講演内容を要領よくまとめることはできないが、藤原氏は地球の食の未来に相当な危機感を持っており、そのことに警鐘を鳴らした講演と受け取った。それは人間の歴史において農業の改革・改善の積み重ねによって大規模単作農業、大規模畜産が普及することで「食権力」が誕生した。その食権力者が地球環境を破壊し続け、地球環境問題を生起させたと指摘した。この問題について研究し、指摘するのが “人文学” の役割であると藤原氏は強調した。その結果として現在、遅効的で弱目的的な方法で、食権力に対する集団や芸術の方法が登場していると藤原氏は言う。
  
  ※ 特別講演をする京都大学人文科学研究所の藤原辰史准教授です。
 続いて、北海学園大学の小松教授「アフリカの農から考える人文学」と題して、アフリカのコンゴ盆地での農業の実態をフィルドワークした結果を報告した。コンゴ盆地での農業の実態は、まさに藤原氏が主張する遅効的で弱目的的な農業そのものである。言葉を変えると非効率的な農業であり、自分たちが必要な分しか作らない農業である。これこそ食料主権が住民自らの手にある農業だという。まさに藤原氏の主張と重なるところである。
 そして同じく北海学園大学の郡司教授「食の日本近代史―「自分」を「主語」とした人文学の試み―」と題して発題したが、残念ながらマスク越しの発言だったこともあり、言語不明瞭なこともあって、郡司氏のお話はまったく私には届かなかった。
 そこで、藤原氏、小松氏のお二人のお話から、私が感じ取ったことを簡単にまとめて本日のレポとしたい。
 そもそも “人文学” とは、私もはっきりとその学問分野を理解しているわけではない。自然科学、社会科学といった分野はある程度理解しているつもりだが、“人文学” となるとあやふや感が付きまとう。ネット上で調べたところ自然科学や社会科学が定量的な学問であるのに対して、人文学は定性的な学問であるという。定性的とは数値であらわせないために、いわばあやふや感が漂うというのである。そのことに対して、人文学関係者の間ではある意味で危機感を抱いているのかな?と感ずるところがあった。
 そうした中、北海学園大学人文学部では〈新人文主義〉を標榜し、教育と研究を実践していくという。〈新人文主義〉とは、ヨーロッパに由来する〈人文主義〉の優れた遺産を受け継ぎつつ、そこにふくまれる西洋中心主義や人間中心主義という問題を見据えつつ、人間が人間であるために人文学は何ができるのかを北海道(フロンティア)から発信していこうという高邁な理想を掲げたようだ。特に「耕すこと」と「食べること」に特化して教育と研究を実践していくという。北海学園大学人文学部の意欲的な試みを注視したい。
 などと書き進めてきたが、私自身どれだけ内容が理解できたうえで書き進めたのかかなり妖しい。よって、本日の投稿に関してはそっと見過ごしていただきたい。

ドキュメンタリー映像作家・久保田徹 ミャンマー情勢を語る?

2023-08-04 20:36:36 | 大学公開講座
 クーデターにより軍事独裁政権を敷くミャンマーの実状を知りたいと思い、会場に足を運んだ。しかし、実際に登壇したのは久保田氏一人ではなく、N HKディレクターの家坂徳二氏と二人によるドキュメンタリー論の交換が主だった…。
  
 久保田徹氏というと、2022年7月にミャンマーにおいて撮影中に 国軍によって拘束され、111日間の獄中での生活を経て帰国した体験を持つフリーランスのドキュメンタリー映像作家である。その久保田氏が札幌に来て「ミャンマー情勢講演会」の講師を務めるということで、8月2日(水)夜、会場の北大学術交流会館に足を運んだ。
 主催は北大大学院メディア・コミュニケーション研究院で、テーマが「ミャンマー情勢から映像作家への思いを語る」ということを会場へ行って初めて知った。そして登壇者は久保田氏一人ではなく、NHKディレクターの家坂徳二氏も登壇され、メディア・コミュニケーション研究院の学術研究員である下郷紗季氏が司会を担当して対談するという形だった。
 家坂氏はNHKのディレクターとして、久保田氏を被対象者としてドキュメンタリー番組NHK・BSスペシャル「君はなぜミャンマーを撮り続けるのか 映像作家・久保田徹 拘束からからの日々」を制作した当人である。
 しかも二人は慶応大学において同じ映像制作のサークルの先輩・後輩という関係にあり、学生時代に二人でミャンマーに赴き、ロヒンギャ問題で共に取材をした間柄だという。(家坂氏が一年先輩で29歳、久保田氏28歳)
 そうしたことから、私が期待していた「ミャンマーの現状を知る」というよりは、お二人による「ドキュメンタリー論」の交換という趣きの対談という色彩のものだった。
  
  ※ フリーランスの映像作家で拘留経験のある久保田徹氏
 久保田氏は、これまでは専ら「撮る側」だったが、BSスペシャルでは「撮られる側」に立ったことで、撮られる側の人間は意外に撮る側の意図が理解できたことが一つの収穫だったと語った。そしてドキュメントとは、撮る側に制作意図が存在するのが常であるが、撮られる側はその意図を汲んで撮られている場合が多いという。つまり撮られる側はカメラが回っていることを分かって(理解して)カメラの前に立っていることをドキュメントを見る側も分かってみることが必要である、ということを言っているのだな、と私は理解した。
  
  ※ NHKディレクターで久保田氏と大学同窓の家坂徳二氏
 一方で、二人の立場に寄るドキュメンタリーに対する姿勢の違いのようなものも垣間見ることができた。久保田氏はフリーランスの映像作家として、できるかぎり真実に近づいたものを撮るという姿勢を貫こうとしていると伝わってきた。ところが家坂氏と一緒に仕事をしてみて、さまざまなことに配慮しながら制作している姿勢にもどかしさのようなものを感じたようである。(先輩に対する遠慮のようなものを滲ませながら…)対して、家坂氏は、「会社(NHK)の意向」、「“作品” というよりは “番組”」というようなことを発した。そこには立場という見えない壁が立ちはだかっているということなのだろうか?  
 私はNHKのドキュメンタリー番組を視聴する機会がかなり多いのだが、そうした制作者側の事情も考慮しながら今後番組を視聴していきたいと思う。
 久保田、家坂両氏がそれぞれの立場で活躍されることをお話を聴いたものと期待したい。

講演「争いを防ぐため、私たちにできること」

2022-09-24 12:42:36 | 大学公開講座

 国と国による深刻な争いが続いている今だからこそ、何かヒントになることが聴けるのではないか!との期待から手稲まで車を走らせたのだが…。素晴らしい事績をお持ちの講師なのだが、残念ながら私に響いてくるものは少なかった…。

         

 9月22日(木)夕刻(午後5時)から北海道科学大学において特別講演会が開催され参加した。講演は認定NPO法人REALs理事長の瀬谷ルミ子氏「争いを防ぐため、私たちにできること」と題して講演された。

 瀬谷氏が所属するREALsとは、世界中で生起している様々な国と国の争いに対して、行動を起こし、困難に瀕している人たちを支援したり、教育することによって争いを予防するなど、多彩な活動を展開して人と人が共存できる社会を創っていこうと活動している団体だということだ。

   

   ※ 瀬谷氏は高校3年生の時に、この一枚の写真に出会って開発途上国支援の道に入ることを決心したという。

 瀬谷氏はREALsに所属する以前から、国連PKO職員、外交官、NGO職員などとして紛争国に駐在し、平和構築、治安改善、兵士の武装解除・社会復帰などに従事されてきた方だという。私は彼女から実際に体験された生々しい実際の活動の数々を伺い、困難に遭遇している人たちに少しでも思いを寄せられることができるのではと期待して講演を拝聴した。

 現在REALsは6ヵ国ほどの問題に関与しているという。ところが彼女は理事長として組織のまとめ役になっているため現場とはやや疎遠になっているようだった。(彼女の口からそのことに対する言及はなかったが)そのため6カ国の問題をあれもこれも紹介したいという思いが強かったようだ。どの話も拡散的すぎて私の中で彼女の活躍の様子がリアルな画として描くことができず、聴いている私に響いてこなかったのが残念だった。

   

   ※ 北海道科学大学で講演中の瀬谷氏です。

 さらには、講演の目的の一つに大学生など(聴衆の中に高校生もいたそうだ)若い人たちに目的をもって人生を切り開くことの大切さを訴えることも含まれていたようで、彼女がこの道に入った経緯についても触れるなどしたために、なおのこと話の焦点がぼけてしまったきらいがあった。

 REALsのように諸外国への支援に取り組むNGOやNPOが我が国にはたくさんの組織があり、多くの若者が参加しているようだが、その意義と魅力についてもっともっと聴いてみたい思いがあったのだが…。

 世界には報道でも伝えられるように、さまざまな困難に直面しながら支援を必要とする生活をしている多くの人たちが存在している。そうした人たちに支援の手を差し伸べる日本の若者たちに対して、もっともっと称賛の声を上げることが必要だと思う。そのためにも瀬谷氏の今後の活躍を期待したい。


地域を活かし、地域と歩む北海道科学大学

2021-08-30 15:26:36 | 大学公開講座

 10月23日は「手稲山の日」だそうだ。それは手稲山の標高が1,023mという高さにちなんだ記念日だという。その日を北海道科学大学のメディアデザイン学科では積極的に研究活動に活用したり、支援していく計画だという。同学科の教員がその取り組みについて講義されたのを受講した。

         

 札幌市手稲区にキャンパスがある北海道科学大学はこのところ積極的に地域に働きかけているように思える。その一環として「まちかどキャンパス」と銘打って紀伊国屋書店札幌本店を会場にして、同大の教師陣が講師となってのさまざまな講座を開催している。

 昨日、その一環として同大メディアデザイン学科の道尾淳子准教授「都市型低山登山と地域の記念日を楽しむ」と題して講義したのを受講した。

 講義は時間はわずか1時間の中に、北海道科学大学のこと、ご自身が所属するメディアデザイン学科のこと、そして主題のことと、内容を詰め込んだがためにやや散漫な印象が拭えなかった。しかし、こうした類の講座の場合にはそれも致し方のないことと理解しなければなるまい。近年の北海道科学大学は他の大学と比べても積極的に大学をPRし、地域と共に歩もうとしている印象を受ける。

   

※ 講義をする道尾淳子准教授です。

 さて、主題についてであるが10月23日を「手稲山の日」と制定した経緯については詳しく聞けなかったが、調べてみると2014(平成26)年に手稲区と地域住民の協議する中で設定された日のようである。そうした背景の中で、手稲区にキャンパスがある北海道科学大学が地域に溶け込む一環として「手稲山の日」を積極的にPRしていこうとさまざまな取り組みを展開していると受け止めた。

 同大のメディアデザイン学科では「地域社会の当事者として新たな価値をデザインする」を学科のモットーとして、地域と大学の在り方、低山登山の意義、記念日を盛り上げることで地域の一体感を醸成する、等々、さまざまな視点から研究、そして実践を積み上げてきたということだ。

 その実践として、これまでに学生による10月23日の手稲山登山、10月23日にこだわらず手稲山の深緑を楽しんだり、雪中を歩くイベントに取り組んだり、昨年は手稲山トレイルランの催しを開催したりしてきたという。そうした実践を繰り返す中から、10月23日の手稲山登山は、すでにこの時期は手稲山山頂が雪に見舞われることがあることから、一般市民参加の行事としては難しいという判断に至ったようだ。そこで今年度は、9月23日に手稲山登山を含んだ20kmウォークイベント」を、10月23日に「『手稲山の日』記念イベント」として6kmウォークと映像上映会、ワークショップの開催を予定しているとした。

 私としては大いに興味をそそられるイベントであるが、コロナ禍に見舞われている現在、残念ながらイベントは学内限定として予定されているようだ。

 まだまだ手探りの段階のようであるが、こうした試みを粘り強く続けることによって、北海道科学大学がこれまで以上に地域住民から受け入れられる大学となっていくことを期待したい。そのことを私は見守っていきたいと思う。


北大講座「ウィズコロナの時代をどう生きるか」第6回

2021-07-10 16:26:38 | 大学公開講座

 がん治療の最前線は著しく進歩を遂げていることを再確認した講義だった。しかし、医療の進歩によって平均寿命は延びたが人の生涯においておよそ1/3が癌に罹るという事実は消えていないという。癌に “備える” 術を聴いた。

 ※ 実は北大講座の第5回講座を受講したのだが、哲学の話とあってレポするには荷が勝過ぎて、私の手には余ってしまった。そのためこの回はやむをえずパスすることにした。

 北大の全学企画である公開講座「ウィズコロナの時代をどう生きるか 備えるの第6回講座が7月8日(木)にオンラインで配信された。第6回講座は「がんに克つ ~現代の武器を知る~ と題して、北海道大学病院准教授樋田泰浩氏が講義を担当された。

        

 樋田氏はまず「がんが発生する原因は、遺伝子の異常であるが、それは細胞が分裂するたびに起きる可能性があり、完全にがんの発生をゼロに抑えることはできない」とした。

 そしてがんの主要因は「喫煙、感染、飲酒」にあり、これらはいずれも遺伝子の異常を引き起こし発がんを促すとした。喫煙、飲酒については個々人の自覚に任される側面が大きいが、感染によるがんについてはウィルスや治療薬の開発が近年進んでいるとした。具体的には肝がんの肝炎ウィルスを叩く肝炎の治療薬、胃がんのピロリ菌を除菌させる方法、子宮頸がんのワクチンの開発などである。

 がんは早く発見することで治る確率が高まり、治療の負担も軽く済ませることができることは今や多くの人が知るところである。そのため勧められているのが「がん検診」である。このことに関し樋田氏が強調されたことは、「がん検診の最大のメリットはがんが早く見つけられることだが、デメリットとしてがんが100%見つかるわけではないこと、また不要な検査や治療を招きかねない」ことがあり、現時点では国が推奨する「胃がん」、「子宮頸がん」、「肺がん」、「乳がん」、「大腸がん」の五つの検診で良いのではないかとされた。

    

    ※ この図は講義で使用されたものではなく、ウェブ上から拝借しました。

 続いて、がんが見つかった場合についての患者として心構えについて述べられた。がんが見つかった場合、医師はその種類と進み具合を診断し、適切な治療法を選択するが、現在では国内、国際的なガイドラインが整備されていて「標準治療」が公表されているという。「標準治療」とは、数多くの治験、臨床実績の中から、確かな実績によって認められてきた最高の治療法と考えてもらいたいと樋田氏は説かれた。そしてネット上で出回る風説や民間療法などに惑わされてはいけないと強調された。ただ、医師や医療機関によっては治療方針が異なる場合があるので。不安を感じた時にはセカンドオピニオンに頼ることも一つの方法であるとされた。

 講義の最後に樋田氏はがんの最新の治療法について触れた。がんの治療法は長い間「手術」、「放射線治療法」、「薬物療法」が三大治療と言われてきたが、2000年代に入り「抗体医薬」「分子標的薬」「免疫チェックポイント阻害薬」が登場して治療実績の向上に大きく貢献した。そして2020年に入って日本が世界に先駆けて「光免疫療法」なるものが発明したという。その発明に関わった一人が北大薬学部に所属する小川美香子教授だという。その他北大には「動体追跡陽子線治療法」を開発された白土博樹教授が在籍するなど、がん研究の最前線を担っているという、頼もしいお話を最後にされて講義を締めくくった。

 樋田氏の講義は、がん治療の最前線のお話を整理され、一般市民にも理解できるように配慮されながらお話され、非常に良く理解できる内容だったことを感謝したい。                                                                                                                                                             

 


北大講座「ウィズコロナの時代をどう生きるか」第4回

2021-06-26 18:24:51 | 大学公開講座

 農産物の種子や種苗が新たな品種改良によって収量や品質が改善されていることは見聞きしていた。その中でも公共財的な稲や麦類の品種改良に民間企業は参入できなく、公的機関だけがそれを進めている実態を初めて知ることができた。

        

 北大の全学企画である公開講座「ウィズコロナの時代をどう生きるか 備えるの第4回講座が6月24日(木)にオンラインで配信された。

第4回講座は「食料生産の未来に備える ~農業研究開発制度の今~」と題して、北大農学院講師齋藤陽子氏が講義を担当された。

 正直に吐露して今回の講義についての私の理解度はかなり低いと言わざるを得ない。ということの第一の要因は、私自身が齋藤氏の提示した課題設定に対する関心度が低かったことにある。農産物の種子や種苗の品種改良は将来の食糧危機に備えるには欠かせない重要なことであることはボーッと生きている私にとっても関心事ではある。しかし、齋藤氏が研究されている種によって品種改良が制度の壁のために公的機関だけで進められ、民間企業が参入できない実状にあるという開発制度をどうすべきか、という問題について関心を持てと言われても、私には難しい問題であった。したがってこの日の私は齋藤氏の言葉が右の耳から入り、左の耳に抜けていく状態であった。

 私が今回の講義でかろうじて分かったことは、稲や小麦などのいわば公共財的な特徴の強い種が研究開発によって生み出された技術知識は「公共財(非排除・非競合)」という考え方が一般的であり、農業者は自らの手で種を採取し栽培が可能でもあるということだ。対して野菜などは民間企業が競って新種開発に取り組み、それがF1種というような形で、毎年農業者は種を購入しなければならない仕組みとなっており、民間企業が利益を生む構造になっているという違いがあることが分かった。                                     こうした構造となっている現在の制度の中、近年になり公的機関への投資額が減少する傾向にあり品種改良が停滞気味となっていることから、民間企業の参入を期待する声もあるが、現在の制度ではそれも難しい状況だという。

 この問題に対する齋藤氏のお考えは示されなかったように私は受け止めたのだが、あるいは私が聞き逃してしまったのかもしれない。

 以上、苦し紛れながら講義の様子を描こうとしたが、私の聞き逃し、あるいは誤解などが含まれていてけっして満足なレポとはなっていない。なんでそんなものを投稿するのかと問われれば返す言葉がないのだが、私としてはこのような苦い思い出も書き記しでおきたいと思い、敢えて投稿した次第である。