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田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

夢と消えるか?みちのく潮風トレイル1,000キロ

2021-05-07 16:29:39 | ロングトレイルフットパス

 今回のロングウォークの失敗は私にとって大きなショックだった。それは長年温めてきた企てからの撤退を覚悟しなくてはならないことだったからだ。しかしそこから一日を経て、私はタイトルに?マークを付けてみた。

       

 私のある無謀なる企てについて、あるいはお見通しだった方もいたのではないか、と思われる。というのも、拙ブログで昨年4月27日に「幻と消えた『みちのく潮風トレイル』踏破計画」と題する一文を投稿していたからだ。(その投稿はこちら⇒

 その中で私は宿の少なさを嘆いた。というのもトレイルのルートは東北の海岸線をなぞるように南下するルートなのだが、沿線には大きな町は少なく、旅人が止まれる宿の数が極端に少ないのだ。そのため自然歩く距離も長くなり、到底私には無理だなぁ、という印象だったのだ。そのことをブログで投稿したところ、歩き旅の達人で今は故人となってしまった坂口一弘氏より「車を使って車中泊をしながら尺取り虫のように進む方法がある」とのアドバイスをいただき。故坂口氏も「2020年には『みちのく潮風トレイル』に挑む予定だ」とのことをうかがった。その坂口氏が今年2月10日に突然逝去されてしまった。

 坂口氏については私が言うまでもなく多くの方が知るところだが、歩き旅の達人というよりは登山愛好家として知られ日本三百名山の頂を制覇された他、北海道、東北の山々のほぼ全てを登られた方である。また歩き旅でも五街道を始め、全国の道を歩かれるなど、アウトドアライフ全てにわたって達人である。そのような坂口氏と私は6年前に幸運にも知己を得ることができ、以来坂口氏が札幌へ来られるたびに懇親を深めさせていただき、また坂口氏のアドバイスをいただきながら、坂口氏には及びもつかないレベルの低い登山や歩き旅を真似させてもらっていた。

 そのような坂口氏が志半ばで逝去されたことで、「これは、私が坂口氏の代わりに『みちのく潮風トレイル』をやらねばならないのではないか」との思いに至ったのである。

 以来、自分なりに雪上ハイクやロングウォークなどに取り組み、身体的トレーニングを積んできたつもりだった。また、「みちのく潮風トレイル」の踏破計画も見直し、前後半の2回に分けて踏破する計画を立て、前半は八戸の鮫駅から釜石駅まで約380キロを車中泊や民宿泊を伴いながら19日間で踏破する計画を立て、順調にいけば今月下旬にも出発する予定にしていたのだ。この計画では一日平均20キロだからそれほど無理な計画ではないと考えていた。

 ところが今回のようなていたらくである。私はすっかり自信を失ってしまった。今もそこから立ち直れないでいる。     

 ただ、長年温めてきた計画を一事の躓きで諦めてしまっていいものか?という思いも捨てきれないでいる。再度立ち上がるだけの気力が果たして今の自分に残っているのか否か?たとえ可能性は低くとも、希望の灯だけは消したくないなぁ、との思いが正直な今の自分の思いである…。その思いがタイトルに?マークを付けた所以である。


ロングウォーク 国道12号線を往く 第3日

2021-05-06 17:14:42 | ロングトレイルフットパス

 覚悟はしていたのだが…。今朝いきなり敗北宣言を強いられた思いだった。足を一歩踏み出す度に足裏の小指・薬指が痛むのだ。これで30キロ歩行は無理だと悟り、潔く(?)撤退を決意した。無念だが仕方がない…。

   

  ※ 今回の国道歩きは写真のような直線道路が続く中を淡々と歩く単調なウォークだった。

 今朝4時過ぎ、第3日目のゴールに予定していた滝川市江部乙の道の駅で目が覚めた。早速、車外に出てコンディションを確かめようとした。天気は穏やかでウォーキングには絶好と判断した。しかし、足の方が全くダメだった。歩き出す度に足裏の小指・薬指が痛むのだ。体の方は疲労が残っていたものの気力で押し通すことはできると思ったが、歩き出す度に痛む足を引きずっての30キロは我慢の限界を超えていると観念した。

   

   ※ 私が車中泊をした一つ「三笠 道の駅」です。

 無念だが撤退を決意せざるを得なかった。その撤退とは、今回のロングウォークだけではなく、私が第1日目に明らかにした「無謀とも思える、ある企て」からの撤退も意味した。今回のロングウォークがその企てのためのテスト的意味合いをもっていたのだから、つらい決断だがしかたがない。(このことについては明日にでも詳述したい)

 撤退を決めた後の私の行動は早かった。直ぐに車を走行仕様に切り替え、札幌に舞い戻った。無念な思いを抱えながら家のベッドの中で爆睡した。 

 さて、簡単にこの二日間を私流に振り返っておくことにしたい。二日間の凡その行動についてはすでにレポート済みなので、印象的だったことを写真と共にレポートしたい。

◇単調な風景

 国道12号線というと北海道の大動脈である。(もちろん現在は並行して高速道が走っているが)トラックや乗用車がブンブンと飛ばしている脇を歩くことになる。歩道はしっかり確保されているので特別な危険は感ずることなく歩くことができた。ただ、殺風景な風景が続くのには閉口した。農地が見えてもまだ本格的農作業の前と見えて、水田には水が張っていなく、畑もまだ耕す前の状態だった。そんな中、秋撒き小麦が緑の畝を呈していたのが印象的だった。

   

   ※ 畑はご覧のようにほとんどが耕す前の状態でした。

   

  ※ 水田も一部に水が張られている状態です。遠くに雪を被る山々は暑寒別連山と思われます。

   

   ※ 唯一緑色を呈していたのは秋撒き小麦の畝でした。

   

   ※ 「子どもの日」の前日とあって千歳川を跨いで鯉のぼりが泳いでいました。

   

   ※ 江別市の特産のレンガを使用した立派なバス停です。

◇JRの嘆き

 JR北海道の不振が伝えられて久しい。今回私は上幌向駅⇒森林公園駅間と茶志内駅⇒上幌向駅と二度の一番列車に乗った。確か6両編成とか、8両編成だったはずだが、私が乗った車両にはお客さんの姿が見当たらなかった。他の車両も大同小異と見えた。なんだか申し訳ない気がした。ウォーク中も国道は鉄路と並行するように走っているので、通過する列車を見ることができたが、車窓からお客の姿はほとんど見ることができなかった。言葉は悪いが、まるで空気を運んでいるかのようだった。コロナ禍も手伝ってはいるのだろうが、事態は深刻のように思えた。国道の方は連休ということもあってだろうか、絶え間なく車が行き交っているのに…。まあ、私自身も移動はほとんど車での移動なので「お前に云われたくない」と云われればそれまでなのだが…。時代の趨勢はJR北海道をますます苦境に追い込むのだろうか…。

   

   ※ これは極端な例かもしれませんが、全く客の姿が見えない車内です。

   

   

◇無人駅

 前項と関連するのだが、私が利用した駅はことごとく無人駅だった。省力化を進めるJRとしては当然の措置なのだろうが、駅舎の中には栄華を誇った時代もあっただろうと思われる駅(茶新内駅)もあっただけに寂しい想いは隠せなかった。

 私はこうした駅を選択したのは、駅前での駐車が容易だろうという思いがあった。その目論見通りに上幌向駅前にも、茶志内駅前にも駐車することができ、安心してウォーキングに集中することができた。

   

   ※ 「森林公園駅」です。

   

   ※ 「上幌向駅」です。

   

   ※ 「茶新内駅」です。

   

   ※ 鉄道が物流の主流だったころの名残の倉庫です。今では無用の長物のようです。

◇地方都市の衰退

 このことも以前から叫ばれていることだが、今回歩いてみて改めて感じさせられたことだ。特に岩見沢市を通過する際、バイパスとなっている国道12号線を外れ、中心街を通る道を歩いた。中心街には栄華を誇った時期に造られたアーケード街もあったが、閑散とした印象だった。朝早かったこともあり、行き交う人もまばらで寂しい感じは否めなかった。各自治体ともに街の振興策に知恵を絞ってはいるのだろうが、人口減少という事態に対して有効な手立てはなかなか見いだせないというのが現実なのだろうか?

   

   

◇靴の失敗

 最後に一つの愚痴を。今回、足の小指、薬指を痛めたり、豆を作ったりした原因は、私が使用したシューズにあったと反省している。今回は国道歩きということでモンベルのローカットシューズを使用した。ところがこのモデルが街歩き仕様にもなっていて、靴幅が狭いモデルだったようだ。(その辺りのチェックの甘さを反省している)ふだんのトレッキングで使っているミドルカットのシューズではそうしたことはなかった。このことは大きな反省材料である。

   

   ※ 見るからに先細のシューズですね。失敗でした。

 以上、思いつくまま二日間の印象を並べてみたが、文章を綴りながらも無念さは増すばかりである。これからどう気持ちを立て直していこうか?う~ん。難問を抱えてしまった…。

 

 


ロングウォーク 国道12号線を征く 第2日

2021-05-05 15:58:00 | ロングトレイルフットパス

◇上幌向駅 ⇨   茶志内駅 31.3km

   上幌向駅を7時20分にスタートして、昼食時間や昨日より多くの休みを取りながら14時30分に茶志内駅に着きました。
 歩き終えて今夜の車中泊地に着いた今、かなり弱気になっています。というのは、私はもともと両足の小指と薬指に弱点を持っています。足が幅広のためか、小指と薬指が重なってしまいます。それを避けるために、登山とかウォーキングのときは両指をテーピングしています。それでも足をつくたび痛みが走るので、途中で靴下を脱いでみたところ、見事に(?)豆ができていました。テーピングを工夫して歩き続けましたが、痛みは取れません。
 足の痛みだけではなく、身体全体の疲労も積み重なっています。3/4世紀生きてきた身体はそれなりに制度疲労が積み重なっているのかもしれません。
よほど今日で帰ろうかと考えたのですが、ここは計画したことを無理してもやり遂げた上で、企みについての最終決断を下すべきと考え、思い直しました。
 今日は一日気温も上がらずにウォーキングには適した一日でした。タイトルで「国道12号線を征く」としていますが、岩見沢市内だけは12号線を外れ、市の中心部を歩きました。バイパスの影響もあってでしょうか、中心部の衰退が進んでいるように見えました。
美唄市の手前から「直線道路日本一」という区間に入り、ひたすら真っ直ぐな道路を歩き続けましたが、これも疲労に輪をかけてくれました。添付した写真はその道路の始まりを示す道標です。
 16時現在、こちらは雨が降っています。明日の天気も心配です。今日も早く寝ます。
 
◇今日歩いた距離 31.3km     歩数 42,212歩

ロングウォーク 国道12号線を征く 第1日

2021-05-04 13:50:19 | ロングトレイルフットパス

 今日から三日間、国道12号線をひたすら北に向かって歩くことにした。その理由は、私にとっては少し無謀とも思えるある企てが、はたして可能なのか否かを推しはかりたいと思ったからだ。ある企て?そのことについては、私がその企てに挑む決心がつくまでは秘密としておきたい。

 私はこの三日間歩くことによって、はたして私の体力が耐えられるのか?膝は持つのか?さらにはその間の車中泊に耐えられるのか?等々を確かめたいと思っている。

 それで、今回の三日間については、次のように計画している。  

 第1日 森林公園駅 ⇨   上幌向駅

 第2日    上幌向駅  ⇨   茶志内駅

 第3日 茶志内駅  ⇨   江部乙駅

三日間ともに、歩行距離は30キロ前後である。これまでのロングウォークで距離的には体験しているが、連続しては一度も体験がない。そのあたりがどうなるかである。

 今回は車中泊についてのデータも収集したいと思っている。そのために今回は、自称「尺取り虫方式」で前進する方法を取っている。「尺取り虫方式」とは、例えば本日の場合、私はまず車で上幌向駅まで行った。そこからJRで「森林公園駅」まで戻り、そこから上幌向駅までウォークした。某所(敢えて場所をボカします)で車中泊をした後、明日は茶志内駅まで車を移動し、JRで上幌向駅まで戻り、そこから茶志内駅に向かってウォークする、といった具合です。

 さて、今日です。6時28分に森林公園駅をスタートして、小休止を3度取ったものの、案外順調に12時38分に上幌向駅に着きました。

 ◇歩いた距離 31.2km   歩数 41,783歩

 後半はやや辛かったものの、なんとか歩き通せました。しかし、一度休んだ後は下半身を筋肉痛が襲っています。明日までに少しでも回復するように早寝します。

 それにしても覚悟はしていたものの、国道歩きはつまりません。目に入るのは私の脇をバンバン飛ばす車ばかり。周りの風景もまったく魅力がありません。それでも敢えて写真を添付します。(写真を入れることができません。投稿したあとチャレンジしてみます。何度も試みましたが、私の力量では無理なようです。諦めました。帰宅してから写真を披露します。)

 

 

 


幻と消えた「みちのく潮風トレイル」踏破計画

2020-04-27 16:10:45 | ロングトレイルフットパス

 かなり真剣に考え、実現寸前にまでこぎつけたのだが最後の一歩が踏み出せなかった。今ではこの計画も幻に消えてしまうのか?今の自分に計画をこなしうる能力(知力、体力、気力を含めて)があるのかと考えるとちょっと悲観的になってしまう…。

       

 長年温めてきたプランだった。環境省の担当部局から2度もトレイルマップを取り寄せ、何度も検討して昨年第一次(八戸・鮫駅 ➪ 宮古・浄土ヶ浜 215.8キロ)の踏破計画を作成し、スタートしようとも考えていた。問題は宿泊先だった。道中は意外に宿泊施設が整備されていない。そのこともあり、一日に26キロ、29キロ、36キロと私の能力には過酷すぎる距離を稼がねばならない区間がたくさん存在した。

 最も私を困惑させたのが、スタート2日目(旅日程では3日目)の階上町 ➪ 小舟戸漁港間の42キロであった。実はこの区間は太平洋沿岸を離れ大きく内陸を迂回するコースである。途中に宿泊施設があるような集落は一つもない。関係役場に問い合わせても「宿泊施設はない」という。唯一の解決策はコース中盤にあるキャンプ場である。しかし、ここには貸テントとか、貸キャビンなどのサービスはないという。こうなると最悪何も設備のない中での野宿しか考えられない。

 この問題をひとまず棚に上げたまま、目的地の宮古・浄土ヶ浜までの踏破計画を立ててみた。実現する、しないは別として、計画を立案すること自体は楽しい作業であった。あれこれと可能性を探り、関係当局に問い合わせをして、とその作業をしている間は実に楽しい時間であった。

 そうした出来上がった計画は以下のとおりである。(計画内に日付が入っているが、それは私が昨年秋に実施しようとしていた日程である)

 

みちのく潮風トレイル 踏破計画 (1年次)

◆ 第1日目 <9月25日(水)> 札幌 ➪ 八戸(フェリー)

  札 幌 ⇒ 苫小牧 都市間バス(苫小牧フェリー下車)利用  1,310円

    18:00  札幌駅前ターミナル 乗車

    19:54  苫小牧フェリー   下車

  苫小牧 ⇒ 八 戸 シルバーフェリー「シルバープリンセス」利用 2等A寝台 7,500円

    21:00 苫小牧港フェリーターミナル 乗船

           4:45 八戸港フェリーターミナル  下船

 

◆ 第2日目 <9月26日(木)> 八戸 ➪ 階上町 

    八戸港フェリーターミナル ⇒  JR本八戸駅 シャトルバス利用(南部バス)

           5:40 八戸港フェリーターミナル       乗車

      5:55  八戸中心街ターミナル5番(六日町)  下車

            ※ バス停を移動し、

     6:39  八戸中心街ターミナル5番(六日町) 乗車 (八戸市営バス)

     7:02  鮫                 下車

 ※ 別案

    6:12  八戸中心街ターミナル(八日町)   乗車 (八戸市営バス M20)

          6:35  鮫小学校通             下車

 

  ◎鮫駅前よりトレッキング開始

    鮫駅 ⇒ 5.9キロ ⇒ 大須賀海岸 ⇒ 6.1キロ ⇒ 高岩展望台 ⇒ 4.5キロ ⇒ 塩釜神社 ⇒ 約3.0キロ ⇒ 階上駅(はしかみ駅)       合計 19.5キロ

  《宿泊》階上町民宿泊 「民宿 つるや」 三戸郡階上町道仏榊山11

                 TEL 0178-88-3311        5,700円~

 

◆ 第3日目 <9月27日(金)> 階上町 ➪ 小舟戸漁港

    階上駅 ⇒ 7.8キロ ⇒ トチの木 ⇒ 8.3キロ ⇒ 階上岳山頂 ⇒ 1.5キロ ⇒つづじの森キャンプ場 ⇒ 7.1キロ ⇒ 灯明堂跡 ⇒ 3.6キロ ⇒  大銀杏の木 ⇒ 3.7キロ ⇒ 小舟戸漁港               合計 42.0キロ    ※ 区間に宿がないため最大の難所

  《宿泊》 階上町民宿泊 「民宿 つるや」 三戸郡階上町道仏榊山11

                 TEL 0178-88-3311        5,700円~

 

◆ 第4日目 <9月28日(土)> 階上町 ➪ 洋野町玉川

    階上駅 ⇒ 2キロ ⇒ 角の花駅 ⇒ 7.5キロ ⇒ 種市海浜公園 ⇒ 約3.5キロ⇒ JR玉川駅 (玉川駅から国道を500m南下したところに民宿)  合計 13.5キロ

  《宿泊》 洋野町民宿泊 「民宿やすらぎ」 九戸郡洋野町種市10地割28-1

                                        TEL 0194-75-3591(FAX  0194-75-3681)

 

◆ 第5日目 <9月29日(日)> 洋野町玉川 ➪ 侍の湯きのこ屋

    JR玉川駅 ⇒ 2.5キロ ⇒ 宿戸漁港 ⇒ 10.6キロ ⇒ 中野熊野神社 ⇒ 3.0キロ⇒ 陸中中野駅 ⇒ 6.3キロ ⇒ 侍の湯 きのこ屋                合計 22.4キロ

《宿泊》「侍の湯 きのこ湯」 〒028-7801 久慈市侍浜町向町7-133-5

                                                      TEL 0194-75-3591

 

◆ 第6日目 <9月30日(月)> 侍の湯きのこ屋 ➪ 小袖海女センター

    侍の湯きのこ屋 ⇒ 6.8キロ ⇒ 厳島神社 ⇒ 5.3キロ ⇒ 陸中夏井駅 ⇒ 3.5キロ ⇒ 諏訪神社 ⇒ 6.1キロ ⇒ 小袖海女センター              合計 21.7キロ

           ※ 小袖海女センターからタクシーで久慈市内へ

《宿泊》 久慈ステーションホテル  〒028-0061  久慈市中央3-2

                    TEL  0194-53-5281

 

◆ 第7日目 <10月01日(火)> 小袖海女センター ➪ 国民宿舎えぼし荘

     ※久慈市内から再びタクシーで小袖海女センターに戻り

    小袖海女センター ⇒ 13.9 ⇒ 陸中野田駅 ⇒ 8.5キロ ⇒ 玉川海岸 ⇒ 4.9キロ ⇒ 国民宿舎「えぼし荘」                                  合計26.3キロ

  《宿泊》 国民宿舎「えぼし荘」泊   〒028-8202  九戸郡野田村玉川第2地割62-28

                           TEL  0194-78-2225

 

◆ 第8日目 <10月02日(水)> 国民宿舎「えぼし荘」 ➪ 国民宿舎「くろさき荘」

    国民宿舎「えぼし荘」 ⇒ 2.5キロ ⇒ 堀内駅 ⇒ 5.0キロ ⇒ 白井海岸 ⇒ 5.4キロ ⇒ 普代駅 ⇒ 6.6キロ ⇒ 国民宿舎「くろさき荘」    合計 26.1キロ

《宿泊》 国民宿舎「くろさき荘」 or 味ん宿みちあい 泊

 

◆ 第9日目 <10月03日(木)> 国民宿舎「くろさき荘」 ➪ 岩泉

    国民宿舎「くろさき荘」 ⇒ 9.1キロ ⇒ トレイルセンター「北山崎ビジターセンター」 ⇒ 10.4キロ ⇒ 田野畑駅 ⇒ 2.8キロ ⇒ 鳥越駅 ⇒4.9キロ ⇒ 鵜ノ巣園地 ⇒ 約9.0キロ ⇒ 岩泉                 合計 36.2 キロ

《宿泊》 岩泉町災害ボランティアセンター 小本サテライト 090-2270-0246

                                            岩泉町小本支所 0193-87-2651

                    ※ 宿泊先未解決?

        

      ※ 道中の見どころの一つ「鵜の巣断崖」の絶景です。(ウェブ上より拝借)

◆ 第10日目 <10月04日(金)> 岩泉小本駅 ➪ 田老駅

    岩泉小本駅 ⇒ 7.7キロ ⇒ 摂待駅前産直 ⇒ 6.0 ⇒ グリーンピア三陸みやこ ⇒10.6キロ ⇒ 真崎展望所 ⇒ 4.9キロ ⇒ 田老駅       合計 29.2キロ

  《宿泊》 民宿「善助屋 支店」  〒027-0307 宮古市田老字川向125

                                                   TEL  0193-87-2651

 

◆ 第11日目 <10月05日(土)> 田老駅 ➪ 浄土ヶ浜ビジターセンター

    田老駅 ⇒ 6.3キロ ⇒ 松月浜 ⇒ 6.3キロ ⇒ 休暇村宮古 ⇒ 1.0キロ ⇒ 潮吹穴 ⇒ 6.6キロ ⇒ 浄土ヶ浜 ⇒ 0.7キロ ⇒ 浄土ヶ浜ビジターセンター    合計 20.9キロ

        ★ ホテルルートイン宮古  〒027-0029  宮古市藤の川15-38

                                              TEL  050-5847-7500                                    

                  第一年次コース全体総計 215.8キロ

 

◆ 第12日目 <10月06日(日)> 宮古港 ➪ 室蘭 ➪ 札幌

    シルバーフェリー「シルバークィーン」

       宮古 9時25分発  室蘭 19時25分着  2等 6,000円    

       JR北海道「室蘭」駅  20時10分 or  20時48分 発

 と9月末から10月上旬にかけての12日間の計画を立てたのだが、私は出発しなかった。その最大のネックは何といっても体力の問題だった。42キロは問題外としても、私にとっては26、29、36キロも現在の私の体力のリミットを超えている。途中でリタイアしてもという考えもあったが、私は躊躇してしまった。ここで躊躇するということは、この先体力の増強など望めない私にとってはこの計画からの撤退を意味することになる。

 もっと日程を細分化しては?という考えもあるが、そうすると宿泊先の目途が立たない。

 唯一すがりたいのは、こうして私の思いを公表することによって「いやいや、こういう方法もあるよ。宿の問題はこんな解決方法もあるよ」というアドバイスがもしかしたらいただけるのではないか、という微かな望みである。条件としては、体力のある若者のようにザックにキャンプ用具一式を背負い込んでのトレッキングはできないということだ。

 どなたからか有効なアドバイスをいただけることを願っている。


古の道を往く旅を振り返る 終章

2016-04-13 18:25:47 | ロングトレイルフットパス
今回の旅は、ただ自分の記憶に刻みこまれただけではなく、自らの肉体にも強烈な思い出を刻みこんだ「熊野古道トレッキング」だった。これまでも印象的な旅を経験してきた私であるが、それに優るとも劣らない今回の旅だった。そのような旅を今一度振り返ってみたい。 

 今回の旅でこれまで触れてこなかったことで、印象的なことが一つある。
 それは熊野古道沿いの住民たちが、旅人に対して非常にフレンドリーであったということだ。
 道ですれ違った人の誰もが、先方から「コンニチハ!ご苦労さま」と声をかけてくれたのだ。それに気づいた私は、今度は私から積極的にあいさつをするようにしたのだが、誰一人無視するような人はなく、誰もが気持ちの良いあいさつを返してくれた。
 東京オリンピック招致の際に日本人の「お・も・て・な・し」が話題になったが、まさに私はこの地域の方々から、心のこもった「おもてなし」をいただいた気持になった。
 このような体験は沖縄の先島諸島を旅していたときに、地元の中学生から受けた挨拶以来だった。私にとって、沖縄の波照間島が忘れられないように、熊野古道も忘れられないところとして、私の中の記憶に長く残ることだろう。

 私はいつも「旅のスタイル」にこだわって旅してきた。
 私の旅は、全てを自分でプロデュースするところにある。いわゆる旅行社というところには一切お世話にならない旅なのだ。
 そのことをくだんの岡崎市のお二人と話をしたのだが、T氏は「計画の段階から旅を楽しんでいるんですね」とズバリ私の思いを言い当ててくれた。
 そうすることで、旅の印象が一段と色濃く私の中に沈殿し、残っていくことを私は知ってしまったのだ。
 さすがに妻と旅行するときは、そうはいかないのでツアーなど準備されたものを利用するのだが、そうするとその印象はまるで陽炎のように淡くしか残らないことに私は気付いてしまったのだ。
 これからも私の一人旅は、自らプロデュースする旅を選択していくことだろう。

 リード文にも記したが、今回の旅は、自らの肉体を駆使した旅という点でも印象深かった。そうした旅の体験を思い出すと、2010年の屋久島・縄文杉トレッキング、2011年の木曽路11宿トレッキング、昨年の北根室ランチウェイトレッキングなどがそれにあたるだろう。
 それらに比べ、今回の熊野古道トレッキングは最も身体に負荷のかかるトレッキングだった。それはもちろん加齢による影響も大きいのだが…。
 正直なことを吐露すると、帰宅してから疲れがどっとでたようだ。帰宅して一週間くらい、疲労感に包まれていた。
 このような旅のスタイルの魅力を再発見した今、私はまたいつかこのような旅を、と妄想するのだが、はたして身体がついていけるかどうか、そんなことが心配な年齢となってきた。
 まだまだ今回のような旅のスタイルにこだわりたいのだが…。

 旅の思い出になる品を購入することは頑としてしない主義の私である。
 しかし、今回はその掟を破り、「八咫烏」のお守りが旅の記念として私の手に残った。

                  

古の道を往く旅を振り返る 7

2016-04-12 16:59:23 | ロングトレイルフットパス
出会いが旅を豊かにする

 ライブレポ19で「旅の醍醐味は出会いである」と記したが、今回の旅でも思わぬ出会いを経験することができた。そうした出会いの中から三つのエピソードをレポすることにする。(このテーマでの写真は撮っていない。そこで直接関係はないが、今まで掲載できなかった旅の写真を挿入することにしたい) 

            
            ※ 今回の旅では「桜」ばかりを話題にしてきたが、所々に「梅」の花も愛でることができた。

 一つは「ライブレポ19」でもレポした新宮市の小口集落の食料品店での女主人と客の男性との出会いだった。
 店の前で缶ビールを片手に所在無げの男性が佇んでいた。地元の人だと見た私は、翌日の「大雲取越」の登り口のことなどに問い掛けた。そこから話が弾み、私が「北海道から来た」というと、男性は女主人に「北海道から来たんだって」と話したところ、女主人も興味を抱き、私が購入したビールを「ここで飲んでいけ」と椅子を勧めてくれた。
 まさか、店先で購入したアルコールを口にするなど、体験したことがなかったが、「これは地元の人と話ができるチャンス!」と思い、勧めに従った。

            
            ※ 田辺駅前に立っていた弁慶像である。弁慶はこの地方の出身という伝説があるようだ。

 店がある小口集落は谷間にある小さな集落だが、お話によると昔(江戸時代?)はもっと栄えていたということだった。熊野本宮大社詣での人たちにとっての中継地と栄えたのだろう。また、熊野の山中に住むイノシシやツキノワグマなどの生態についても話を聞いた。
 店の一隅を見ると、一枚の賞状が掲示されており、それを見ると店の名が「南方商店」とあった。私は「あの南方熊楠と関係があるのか」と問うと、遠戚筋とのことだった。そして女主人は、いかに南方熊楠が立派な人だったかを滔々と語ったのだった。

            
          ※ 熊野古道沿いには、古道を歩く人を慰めようとしてだろうか、このようにデコレーションしてある所があった。


 二つ目の出会いは、愛知県岡崎市から来た二人のトレッカーだった。彼らの一人と小口自然の家のお風呂で出会った。二人きりの風呂だったので、話しかけるとけっして能弁ではなかったが、リタイア後に山登りを主としてあちこちに出かけていると語った。
 夕食時には、相方も含めて話が弾み、彼らがこの日歩いた「大雲取越」がけっこう困難なルートだった話し、互いの翌日の健闘を誓ったのだった。

                    
                   ※ 熊野那智大社の境内に立っていた伝説の鳥「八咫烏」の像です。

 私は「大雲取越」を越えて「熊野那智大社」へ、彼らは反対に「小雲取越」を越えて「熊野本宮大社」へ向かった。
 私は「熊野那智大社」に到着後、バスで新宮市に向かったのだが、那智町というところで乗り換える必要があった。その時である!
 思いもしなかった彼らと再会したのである!
 経緯はこうだった。彼らは岡崎市からマイカーで那智町で来て、そこから「熊野那智大社」に向かい、「大雲取越」、「小雲取越」を歩き、「熊野本宮大社」まで到達した後、バスで那智町まで折り返したところで、私と再会することになったのである。
 オーバーにいえば奇跡の再会である。車のオーナーT氏は、私が隣町の新宮市まで行くことを知ると「これは奇遇だから、ぜひ乗っていけ」と同乗を勧めてくれた。
 私は遠慮なく同乗させてもらい、奇遇に因縁を感じ、名刺を渡した。そのことでT氏はその後拙ブログにコメントをくれたり、メルアドを交換したりと、今後のお付き合いを約束したのだった。

            
            ※ 那智の大滝を遠くに望み、この時期ならではの満開の桜を前景とした滝の様子も素晴らしかった。


 三つ目は、新宮市から伊勢市に向かう列車(特急南紀4号)の中だった。私が乗った新宮市の次の停車駅の熊野市から乗った男性が私の隣りの席に座った。
 男性は熱心に新聞を読んでいた。私は鉄路のトンネルの多さに内心驚いていた。鉄路は海岸線を走っているというのに、トンネルの連続でトンネル以外の区間がほとんどないような路線だった。
 あまりにも多いトンネルに私は思わず隣の男性に「地元の方ですか?」と問いかけると「そうだ」という答えだったので「この辺りはずいぶんトンネルが多いですねぇ」と話しかけた。すると男性は「この辺りは昔、それぞれの集落が孤立していたんです」と答えた。
 無理もないと思った。これだけ山が多く、海岸線まで迫っていると、集落同士が行き来するのは相当に困難だったはずだ。
 それをきっかけに男性は積極的に話しかけてきた。それは、この辺りの集落が「限界集落」化していることについて、その深刻さを語るものだった。
 彼があまりに熱心に限界集落のことを語るものだから、「もしかして公のお仕事をされている方ですか?」と問うた。すると彼は「いや、新聞社の者です」と答えた。彼は地元・中日新聞の熊野通信局長だと言って名刺を渡してくれた。
 彼は名古屋本社に向かう途中で、私が「多気」という駅に降り立つまで2時間近くあれこれと話し込んだ。

            
            ※ 大雲取越の最高点「舟見峠(883m)」の表示はあまりにも簡素で拍子抜けの感だった。

 この他にも出会いはあったが、特に印象的だった三つの出会いについて記した。
 二件目の岡崎市のT氏との出会いは今後の発展も望めそうな出会いとなった。
 他の二つは、地元のことをよく知る方との出会いで、旅した地域を理解し、旅を豊かにするうえでかけがえのない出会いとなった。
 今回の旅で私はあまり出会いを期待してはいなかった。そのことより、熊野古道を予定していとおり完歩することが最大の目標だったからだ。
 しかし、思わぬ出会いは今回の旅をより豊かにしてくれた素晴らしい出会いだった

            
            ※ 写真の最後は「熊野本宮大社」の近くの「大斎原(おおゆのはら)」の満開の桜で〆たい。

古の道を往く旅を振り返る 6

2016-04-11 19:23:16 | ロングトレイルフットパス
熊野古道の宿 

 熊野古道トレッキングはかなり人気が出てきたとはいえ、私の体験からも言えるようにまだまだ一般の観光客が好んで歩くルートではない。したがって、宿泊施設も必ずしも充実しているとはいえないのが実態のようだった。 

 今回の私の旅は全体で7泊8日の旅だった。
 そのうち、熊野古道外の4泊は都市での宿泊だったためビジネスホテルを利用した。
 熊野古道トレッキングはかなり人気が出てきたとはいえ、私の体験からも言えるように一般的な観光ルートではない。したがって、宿泊施設も必ずしも充実しているとはいえないのが実態のようだった。
 古道トレッキングをした3泊を熊野古道内の宿泊施設を利用したがその宿泊事情についてレポしてみる。。

 難関だったのは、一日目の宿泊だった。当初は二日目の負担を少しでも軽くするため「継咲王子」の近くにある野中という集落に宿泊を予定した。そこには確か3軒ほどの宿があった。2ヶ月前に予約を入れたが、どこも満室だった。一つの宿のキャパがかなり小さいようだった。
 しかたなく、約4キロ手前の「近露王子」の集落の「民宿ちかつゆ」に宿泊を予約した。         

 「民宿ちかつゆ」は民宿らしい民宿と云えようか?夕食の時に主人が私たちに親しく話しかけてくれて、翌日の歩くルートについても詳しく情報を伝えてくれた。
 主人によると、最近の宿泊客の3/4は外国人だということだ。事実、この日も私を含めて日本人は3人、外国人が8人という状況だった。
 このことはライブレポでも触れたが、西欧諸国の人たちの健康志向と、東洋の神秘的な雰囲気に憧れる人たちが増加していることをうかがわせてくれた。
 「民宿ちかつゆ」は小さいながらも温泉を併設していたこと、一人宿泊だったこともあり、一泊二食付で9,870円とそれなりの宿泊料だった。

            

 二日目は「熊野本宮大社」のある本宮町という集落だった。ここも私の情報では宿泊施設は2ヵ所しかなく、その一軒「蒼空げすとはうす」というB&B形式のビジネス風の宿泊施設にその日の宿をとった。
 熊野本宮大社を参詣する人たち(観光客)は、近くにある温泉場(3ヵ所くらいあるようだ)のホテルに宿泊するらしい。
 この宿は、前日の民宿とは違い、バス・トイレ付のいわばビジネスホテル形式の宿だったが、一泊朝食付きで7,000円だった。
 夕食が付かないので、本宮町の町中で摂らなくてはならないのだが、ここの集落全体の店の閉店時間が早く、私が着いたときにはたった一店しか開いていなく、ちょっと不便を感じた。

           
          
           
            
 三日目の小口集落も宿泊施設は一軒の民宿と、私が宿泊した「小口自然の家」しかなかった。「小口自然の家」は旧中学校を改造した宿舎ということだったが、部屋は一般の日本旅館のようだった。
 熊野古道を歩く人のほとんどは、この「小口自然の家」を利用しているようだ。事実、夕食に集まった人たちは全て熊野古道トレッキングの人たちばかりだった。
 ここの宿泊料は一泊二食付で8,000円だった。

           
            
 以上のように、熊野古道の中辺路ルートをトレッキングしようとする者にとって宿泊先の選択肢は、今のところほとんどないに等しいかもしれない。
 それでも熊野古道における宿は、唯一トレッカー同士が触れ合うところである。
 事実、「民宿ちかつゆ」では、大分から来た夫婦のトレッカーと、「小口自然の家」では私とは反対方向から進んできた岡崎市の二人組の人と親しく情報交換をすることができた。

 旅は、出会いと別れの連続である。「一期一会」とは、良く言ったものである。「民宿ちかつゆ」で出会った大分の夫婦は、翌日バスを利用しながら熊野本宮大社を目ざすと云っていた。
 「小口自然の家」で出会った二人は、私とは反対方向に向かっていたのに、その後奇跡的な再会を果たすことになる。(そのことについて詳しくは明日の投稿で)
 その他にも出会った人はたくさんいたが、まさに「一期一会」…、一瞬の出合が私の旅を豊かにしてくれた…。



古の道を往く旅を振り返る 5

2016-04-10 19:36:14 | ロングトレイルフットパス
三日目・四日目(小雲取越・大雲取越)写真集
 
 三日目・四日目は小雲取越・大雲取越という大きく二つの難所を乗り越えていくルートだった。生憎両日とも雨の中を往くトレッキングとなった。しかし、それもまたポジティブに考えれば、ある種幽玄の中を往く趣のあるトレッキングとなった。 

 トレッキング第三日(4/1)は熊野本宮大社(請川)から小口集落までの、通称「小雲取越」15キロだった。続く第四日(4/2)は小口集落から熊野那智大社までの、通称「大雲取越」(14.5キロ)だった。

 4月1日は天気予報でも雨と予報があったので覚悟していたのだが、晴れの予報の翌4月2日まで雨天となってしまったのは予想外だった。
 私は両日ともに、上下にレインウェアを着込み、手には傘を差してのトレッキングとなった。傘を差しての登山やトレッキングは初体験だったが、これがなかなか心地良いことを発見することができた。

 4月1日の「小雲取越」はもっぱら杉林の中を往くトレッキングで、唯一見晴らしが効く「百ぐら」というところがあるのだが、私が行った日は霧に隠されてしまい眺望は残念ながらゼロだった。
 この日の思い出は、トレッキング中に和歌山県地方に地震があったことだ。携帯したスマホが、地震があることをけたたましく報じたが、私は何も感じなかった。ところが、遠く北海道にいた妻がテレビを見て心配の電話をかけてくれたのが興味深かった。
 妻が心配してくれたことは嬉しいことなのだが、世界が狭くなったというか、旅の質が変質してきている象徴的な出来事のような気がした。

 4月2日は「大雲取越」といって標高883メートルの峠を乗り越えるという難所があり、ガイドブックでは古道の最難関と載っていたので、身構えたところもあったが、3月31日の「近露王子~熊野本宮大社」間の険しさに比べると、私の中では「そうでもなかった」というのが実感だった。

 両日ともに雨に見舞われる結果になったが、林間に漂う霧が一種独特の雰囲気を醸し出し、それはそれで神域を往くというムードを醸し出すルートだった。


 それでは、まず第三日の請川~小口集落間の印象に残った写真をレポします。

            
 第三日目「小雲取越」のスタート地点の請川集落からのいきなりの階段で、斜面を上っていきます。

            
 この写真もまだまだスタート直後の登り道です。

            
 「松畑茶屋跡」です。古道に所々にこうした茶屋跡がありました。熊野三山詣りが大流行した江戸時代にはこうした茶屋や旅籠がたくさんあったとガイドブックは説明しています。

            
 スタートから上り続けること7.5キロ、この日のピークでもある「百ぐら」に到達しました。しかし、眺望は霧のためゼロ。残念ながら何も見えませんでした。

            
 晴れた日の「百ぐら」の眺望です。ウェブ上から拝借しました。

            
 熊野古道は霧のため、写真のようなちょっと神秘的な幽玄ともいえる情景を現出していました。

                   
 特に「小雲取越」、「大雲取越」で目立ったのが、こうした歌碑でした。すべてをチェックしたわけではありませんが、私が判読できるものはできるだけチェックするように心がけました。この歌碑には「どちらへも 遠き山路や おそ桜」と刻まれていました。

            
 だいぶん標高が下がってきた午後、雲が若干切れてきましたが、まだ遠方は望むことができませんでした。

            
 さらに標高を下げると、この日の宿泊地の小口集落が眼下に見え始めました。

            
 下り坂の石畳です。雨に濡れて光っているのが認めらると思います。注意をしていたのに、私は不覚にも足を滑らせてしまいました。

            
 最後はやはりお決まりの桜です。ライブレポで何度も触れましたが、古道内で桜を見ることは稀でしたが、里へ下りてくるとこのように満開の桜が出迎えてくれました。


 続いて、第四日の小口集落~熊野那智大社間の写真集です。

            
 大雲取越ルートの出発直後の上り道です。
            
            
 スタートから1キロあまり、大雲取越ては唯一の見どころの「円座石(わろうだいし)」です。ライブレポでは三人のお坊さんが談笑した場所と伝えましたが、ガイドブックを見直してみると、正確には熊野三山の神々が談笑したところというのが正しいようです。巨大な石に三つの梵字が刻まれていますが、それは三つの座布団と見立てているとのことです。

            
 大雲取越の激しい上りの途中に「楠の久保旅籠跡」があり、そこに東屋がありました。雨のトレッキングでは、雨が避けられるこうした東屋はとても貴重です。私もゆっくりと休憩を取りました。傍の歌碑には「鯉のぼり 大雲取の 一軒に」と刻まれていました。ということは周りに何軒かの旅籠があったということでしょうか?

            
 こうした石が敷かれた道は古の昔にはあったでしょうか?私は登山靴など厚底の靴が開発された後になってでは、と思われるのですが…。草鞋や足袋ではとてもこの上を歩けないでは、と思うのですが…。

            
 ここは下り道ですね。この日のコースは尾根に上がってからの険しい上り下りはなかったものの、小さな上り下りはけっこうありした。雨に濡れた石が光っていて上り道以上に注意を払いながら下ることが求められました。

            
 ルートの中盤過ぎに、この日二つ目の東屋ならぬ、本格的な休憩所がありました。ここでは先行していたグループの人たちも休憩を取っていました。私もここでしっかり休憩を取りました。
                    
            
 かなり後半になって、写真のように霧が古道の中を覆い始め、一種独特な雰囲気が周りに漂い始めました。

            
 これはもう、那智の大滝がかなり近くなってからの一枚です。

            
 最後の下りのこのゴツゴツした石畳はかなり神経をすり減らす下り道でした。 
           
                   
 私にとっては最終ゴール地点、反対側から往く人にとってはスタート地点になる熊野那智大社の傍ある「青岸渡寺」脇の階段です。お世話になった「杖」を記念写真に収めました。

 こうして私にとっては激闘(?)の四日間を写真と共に振り返ってみたが、今でも私の体の中にはその激闘の余韻が色濃く残っている感じがする。
 古人たちは私の年代よりもっと体に力がある年代に熊野古道を往ったのではないかとも思われるのだが、はたしてどうなのだろうか?いや、江戸時代など庶民に熊野三山詣でが流行したころは、やはり一線を退いた年寄りが多かったのだろうか?だとすると、今よりもっともっと厳しい条件の中で、あの険しい熊野古道を往った人たちの体力・精神力は相当なものだったと素直に思えてきた…。

 もう少し、このシリーズにこだわりたいと思う。

古の道を往く旅を振り返る 4

2016-04-09 12:03:00 | ロングトレイルフットパス
第二日(近露王子~熊野本宮大社)写真集 

 四日間のトレッキングで最大の試練となった近露王子~熊野本宮大社間の27.5キロの記録である。合せて四つの山坂を上り下りするルートは体力のない私の身体を苛め抜いた。それだけに思いも一段と深い。

 まずはこの日出会ったさまざまな形状の熊野古道を羅列する。いろいろな貌をもった古道は、時には優しく、時には苛烈に私を迎えてくれた。

          
 この道は熊野古道の典型の一つかもしれない。古道はこうした木立ちの中を縫うように造られていた。この道は近露王子からぐんぐんと高度を増していったところである。

          
 古道沿いには、こうした民家が点在しているところもある。そうしたところは写真のように舗装されているのだが、この細い舗装道路が生活道路である。車が交差するのは困難と思わるのだが…。

           
 古道の一部は平成23年の豪雨で決壊し、迂回路が用意されていた。その迂回路の一つの山道である。私の体力はこのあたりでピークを迎えていた。     
         
          
 この写真も熊野古道の典型である。ともかく杉林が多かった。杉林は植林されていると思われ、あるいは昔の情景とは違っているのかもしれないが、古道一帯は杉林がとにかく目立った。

          
 ちょっと急登になると、こうした階段が設けられていたが、これも近現代になってから設けられたものと考えられる。古の人々は足を滑らせながら急登を登ったのではと想像される。

          
 山中に造られた古道は、ときとして山の斜面に造られることもある。そうしたときには写真のように石積みをして道を確保したようだ。しかし、これもまた近現代になってからの造作ではないのだろうか?

          
 写真ではその雰囲気がいま一つ出ていないが、午後3時過ぎの映像である。杉林の中はすでに夕闇の様相を呈し始め、私はかなり心細くなり始めたころの写真である。

          
 熊野本宮大社が近くなってからの古道の様子です。道幅がかなり広くなっています。大きな石が敷かれてあるが、けっして歩き易い道ではありませんでした。

 
 続いて、道中で印象残った光景を。

          
 この日(3月31日)朝、近露集落からぐんぐん高度を増して、ふっと振り返った時に出会った光景です。熊野の山並みの深さがうかがえる一枚です。

           
 道中のいたるところにこうした標識が設置されていて、迷う心配は皆無と云って良いくらい完備され、心強いかぎりだった。ただし、三日目・四日目の小雲取越・大雲取越の方は枝道もないことから、あまり目立たなかったが…。

                  
 「野中の一方杉」と称されて、杉の木の枝が一方だけにしか伸びていません。地元の人の話では、日光のせいではないか、ということでした。この辺りにはこうした一方杉がたくさん繁茂していたようです。ところが明治政府が伐採を命じたとき、地元の博物学者として著名な南方熊楠が猛反対をしてかろうじて数本(確か9本と聞いたが)が伐採を逃れたということだが、写真の杉もその一本である。


          
 この写真はライブレポでも紹介したが、この日ルートがいかに険しいものだったかを表す一枚である。写真中央に見える山を上り下りして、谷底に下り、さらにそこを登り返したところから撮ったものである。(このルートは迂回ルートの一部である)
          
          
 写真はおそらく平成23年の暴風雨の際に削られた斜面を修復したところだと思われる。そうした説明表示がないかと辺りを探したが見当たらなかった。

               
 ある集落を通りかかったところ、掲示板があった。良く見てみると、2週間後に熊野本宮大社の本宮祭が行われることが告知されていた。

          
 狭い山間で何を生産しているのか不思議でしたが、その一つはこうして茶畑を造り、お茶の生産をされていることが分かった。

          
 熊野古道から熊野本宮大社に至る道は、大鳥居から入るのではなく、裏門のようなところから境内に入る道が続いていた。境内に入ってまず目についたのが、満開の枝垂桜だった。
          
          
 この日の目的の熊野本宮大社には拝殿の奥に四つの社殿が並んでいた。後から気付くのだが、熊野三山の他の二つの大社が朱塗りの鮮やかな社殿なのに比べ、熊野本宮大社のそれは自然の木の色を生かした古色蒼然とした落ち着きある雰囲気を醸し出していた。

 長々と第二日目を振り返ってきたが、熊野古道のさまざまな道を写真を通して振り返るだけで、山道で悪戦苦闘している私が蘇ってくる。私にとっては貴重な体験だった…。