田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

いまだ健在!高石ともやフォークコンサート

2023-04-30 17:10:58 | ステージ & エンターテイメント

 御年81歳である。表情にやや老いを感じたものの、その声、そのギターテクニックには衰えを感じさせないステージだった。因縁浅からぬ高石ともや氏との思い出を交えながら昨日のコンサートをレポートしたい。

        

 昨日(4月29日)、ヘルシーウォーキングを終えた私は、帰宅して昼食を摂るも間もなく、市民交流プラザ・クリエイティブスタジオで午後1時から開演する「高石ともやコンサート」に足を運んだ。

 因縁浅からぬ、と表現はしたが私と高石の最初の出会いは、私が大学2年生の時に彼がギター一本で広い体育館のステージでワンマンライブを行ったのを聴いたのが初めてだった。その時私が20歳だから、彼は25歳、デビュー間もない時期だったと思われる。途中休憩も取らずに2時間歌い切ったことを鮮明に記憶している。

 そして私は道東地方(網走管内、現在はオホーツク管内と称している)の一教師として勤務していた。当時の網走管内には高石ともやファンが多数いたようだ。津別町、置戸町、生田原町…。高石ともやは彼たちの要望を受け、網走管内にしばしば訪れていた。私はその度に駆け付け、彼の歌に耳を傾け、いわゆる彼が歌う元祖フォークソングの魅力を感じていた。そして「いつかは私も彼のステージを…」との夢を育んでいた。

 やがて夢は、私が社会教育主事という職務で東藻琴村(現在は大空町)教員委員会に派遣されたときに実現することになった。村の青年たちと交友を続けていた私は、彼たちに私の夢を語った。すると青年たちは高石ともやの存在を誰一人知らなかったが「やりましょう!」と賛成してくれたのだ。彼らの応援を受け、人口2,900人の村で600人を「高石ともやとナターシャセブンコンサート」(コンサートのテーマ「光と風とナターシャと」)に集めることができ大成功を収めた。(1982年)

 コンサートは私の仕事として取り組んだのではなく、あくまで余暇を利用しての活動だったが、翌年には私自身の仕事(社会教育主事)の一環として高石ともやを村民大学の講師として招請し、「自然と歌と子育てと」というテーマで村民にお話してもらったのも懐かしい思い出である。(1983年)

 そして私は再び教師に戻り、網走市の能取小学校という学校に勤務していた。その時高石ともやはサロマ湖100キロマラソンに参加し、その足で札幌まで走り通すという「ワイルドラン」に取り組むことを知った。能取小学校はそのコースの途上にあったので、私は子どもたちに彼の持ち歌「私の子どもたちへ」(高木透 作詞・作曲)を教えて、彼が通る時にその歌を全校合唱して彼の挑戦を声援したのだった。彼の動静を伝える民放の番組がテーマソングのように子どもたちの歌声を流してくれたのも懐かしい思い出である。(1994年)

 おーっと思い出話ばかりが長くなってしまった。昨日のコンサートである。彼は生ギター一本を手にステージに登場し、15分間の途中休みを挟んで2時間半にわたってのワンマンライブを繰り広げた。その間もちろん立ちっぱなし、ノー原稿、ノー楽譜で観衆を魅了し続けた。声の張りも、ギターテクも衰えは感じさせなかった。彼の故郷・雨竜町での祖父や父との交流のこと、田舎暮らしのこと、そこに彼の持ち歌を交えながら…。もちろん私にとっての思い出の歌である「私の子どもたちへ」も歌われた。童謡の「さっちゃん」はなぜかフルコーラスで3度も繰り返したその意味は今一つ掴めなかったが…。

 ジョンレノンの「イマジン」、笠木透作詞・作曲の「我が大地の歌」「拝啓大統領殿」「陽のあたる道」「陽気に行こう」「谷間の虹」…。メモし切れないほど多くの懐かしい歌を次から次へと披露してくれた。もちろん曲の合間には高石節をふんだんに織り込みながら…。

 まだまだ元気な高石ともやの歌を聴くことができたことは大きな喜びだった。しかし、何百回となくフルマラソンを走り切った高石の強靭な身体だが、ステージから降壇する際の足元がやや不安定に見えたのが気がかりだった。やはり膝・腰には長年の無理が影響しているのだろうか?

 一抹の不安も感じたが、できればまた彼の歌を聴く機会が訪れてくれることを願いつつ今回のレポを閉じることにします。


ヘルシーウォーキング① in 春の訪れを感じる、安春川と新川さくら並木ウォーク

2023-04-29 19:36:58 | JRヘルシーウォーキング

 「安春川と新川さくら並木ウォーク」という触れ込みだったが、春の早い今年は安春川こそ一部満開だったが、新川沿いは残念ながら葉ザクラ状態だった。それでも春の心地よい風を感じながらのウォーキングは快適だった。

 JR北海道が鉄道利用客増と地域住民の健康増進を図って「JRヘルシーウォーキング」という取り組みを実施していることを知ってはいたが、これまで参加したことはなかった。その取り組みに今年は参加してみようと思い立った。というのも、体力の衰えを自覚し始めたことで登山は難しくなった。かといって、「北海道を歩こう」(33km)とか、各地の歩こう会が主催するツーデーマーチ(30kmとか20km)のような超長距離のウォーキングも大変である。その点、ヘルシーウォーキングはおおよそ12~13km程度の距離がほとんどである。今の私にはちょうど良い距離なのでは、と思ったのだ。

     

 そのヘルシーウォーキングの今年度第1回目が本日実施された。コースは新川駅をS&Gとする距離11.5kmのコースだった。コースの謳い文句は「春の訪れを感じる、安春川と新川さくら並木ウォーク」というものだった。

   

   ※ 新川駅構内にはJRの担当者が受付(といってもマップを渡すだけ)をしていた。

 新川駅に降り立つと、駅舎にJRの担当者がいて、コースマップを渡してくれると早速スタートである。受付が終わると参加者は次から次へと五月雨式にスタートしていく。私がスタートしたのは午前8時15分だった。まずはJR学園都市線の高架下を通って安春川に向かった。天候は薄曇り、気温はやや低めだったがウォーキングには適温に思えた。

   

   ※ 早速スタートしてJR学園都市線の高架下を歩く参加者たちです。

 新川沿いはこれまで何度も歩いているが、いつ歩いてもとても整備された川沿いのコースは気持ちが良い。途中、川に覆いかぶさるように咲き誇る桜が見事だった。

   

   ※ 良く整備された安春川沿いを歩く参加者です。

   

   ※ 安春川沿いにはこうして満開に咲いたサクラを目にすることができました。

 そこから周りに住宅地が広がる中に今もなお牧草を育てている(ネットで確かめてみると、小学生が見学に来た際に対応できるよう乳牛3頭も育てているそうだ)近藤牧場を横目に見ながら新川に向かった。

   

  ※ 周りが住宅街なのですが、ぽっかりと牧草地やサイロが目を楽しませてくれました。

 新川はサクラ並木が札幌では有名だが、残念ながら一部を除きほとんどは葉ザクラ状態だった。主催者としては例年の開花期を狙って企画したのだろうが、特に今年は記録的な早さで開花したために、参加したものとしてはちょっと残念だった。

   

   ※ 新川沿いのサクラはご覧のように残念ながら葉サクラ状態でした。   

 なお、私はコースの近くに「新川皇大神社」を見つけたので、ちょっと寄り道をして「御朱印」をいただいてきた。(後日レポ)

   

   ※ 私が個人的に御朱印をいただくために立ち寄った新川皇大神社です。

 長い新川沿いのコースを終えて、あとはゴールの新川駅にまっしぐら。10時45分に新川駅にゴールした。

   

   ※ 新川の最も札幌都心に近いところのサクラがまだ花を付けながらも、散り始めていました。

 初めてヘルシーウォーキングに参加した印象を記しておきたい。まずは、規制がほとんどない点が大きな特徴のように思われた。参加者は地図を受け取り、基本コースか、短縮コースを選定し、誰の指図を受けるのでもなく自らの判断で、自らの足でウォーキングに取り組み、ゴールをしたら、自分のカードをスタンプ機に差し入れてポイントを加算すれば全て終了という方式である。つまりJRはコースを設定し、コースマップを用意するが、ウォーキングそのものは自己責任において行ないましょうという方式なのだ。個人の名前や連絡先さえ登録する必要はないというのだ。私と主催者側との繋がりは「JRヘルシーウォーキング会員カード」という無記名のカード一枚だけである。このカードが貴重というわけだ。私としてはおかしな規制や登録があるイベントよりはずーっと心地良い方式である。

   

   ※ コースの分岐点などにはこうした主催者の道案内のマークが設置されていました。

 ヘルシーウォーキングは札幌市近郊ばかりではない。全道各地に広がっている。時間が許すかぎり、都合がつくかぎり、今年は出来るだけ参加してみたいと思っている。

 次回は直ぐである。5月3日(水・祝)新札幌駅S&Gで予定されている。参加する計画である。

 


札幌の枝垂れザクラめぐり Vol.2

2023-04-28 16:15:00 | 環境 & 自然 & 観察会

 一昨日に続いて本日もまた札幌市内の枝垂れザクラ巡りをしてきた。ジャストタイミングだったところ、もう少し時間が必要なところと、様々だったが新しい枝垂れザクラスポットも見つけることができた。

【中島公園の枝垂れザクラ】

 前回、26日に訪れたことで「満足することにする」と書いたのだが、やはり気になったので今日いの一番に訪れてみた。するとまさにジャストタイミングだった!これ以上望むのは無理というくらい見事に枝垂れたサクラの花を見ることができ、写真に収めることができた。私がこれまで巡ったかぎりにおいて、札幌市内では最も優美な枝垂れザクラではないかと思っている。

   

   

        

        

   ※ 札幌市内で見ることのできる最も優美な姿を誇る枝垂れザクラではないだろうか?

【北大構内の枝垂れザクラ】

 前回同様に北大附属病院前に立つ枝垂れザクラは、前回26日のときよりはかなり開花が進んでいた。しかし、満開という状態となるまでは天候に恵まれたとしてもあと2~3日必要のように思われた。

   

   ※ 庫の枝垂れザクラが満開の時にはどのような姿を見せてくれるのだろうか?

 ブログを通して知ることとなったA氏のブログで北大総合博物館の横にも枝垂れザクラがあることが判明して行ってみた。確かに2本の枝垂れザクラが立っていた。こちらは樹高がかなり高い枝垂れザクラだった。こちらも5分咲きといった感じで、満開まではもう少し時間が必要と思われた。

   

   ※ ちょっと樹高が高い総合博物館横の枝垂れザクラです。

【円山公園の枝垂れザクラ】 

 ここでなんとも奇跡の出会いがあった。前回26日訪れた時にまだまだ蕾状態だった円山パークセンター横の枝垂れザクラは「満開はまだ先だろう」との思いがあったが、一応覗いてみることにして出かけた。その時、私の前で一人の男性がカメラを構えていた。すると件の男性が「あれっ?」と声をかけてきた。なんとその男性とは?私と道東地方で同じ職種の仕事をしていたF氏だったのだ!F氏は現在江別市在住で、F氏は私のブログを、私はF氏のフェイスブックをお互いにチェックし合う同士でもあった。しかし、何の打ち合わせもなしに突然出会うとはまさに “奇跡” と称して良いのではないだろうか?(少しオーバーですかな?)

 さて、肝心の円山公園の枝垂れザクラは一部開花した花もあったが、やはり全開まではまだまだといった感じだった。

 私は北大構内、円山公園の枝垂れザクラが満開の様子を目撃するためにもう一度枝垂れザクラ巡りをしなければなるまい。

   

   ※ いかにもまだまだ若いといった趣きの円山公園の枝垂れザクラです。

   

   ※ まだほんの数輪しか開花していませんでした。

【北海道神宮の枝垂れザクラ】

 奇跡(?)の出会いをしたF氏としばし歓談し、F氏が円山公園、北海道神宮を訪れるのは初めてとお聞きし、一緒に界隈を案内して歩いた。坂下公園野球場周辺のソメイヨシノ、北海道神宮境内の梅の花がそれぞれ満開状態だったこともありF氏は喜んでくれた。そうして案内する中で、北海道神宮の神門前のところに一本の枝垂れザクラが目に入った。こちらはほぼ満開状態の枝垂れザクラだった。F氏を案内することで思わぬ幸運に与ったというわけである。

   

   ※ こちらもまだまだ若い枝垂れザクラの樹ですね。

   

   ※ 開花の方はかなり進んでいると見ました。

 さて、私のスケジュールからいくと次回は5月2日あたりにもう一度枝垂れザクラ巡りをしようかな?と思っているが…。


特殊詐欺…狙われるシニア世代!

2023-04-27 19:17:32 | 講演・講義・フォーラム等

 いや~、現代機器に弱い私たちシニア世代には生きづらい世の中になったものだと痛感する日々である。今回の講座を受講し、「ボケてなんていられないわい」とつくづく感じた90分間だった…。

 昨年一年間、都合がつくかぎり受講してきた社会福祉総合センター主催の「わたしの生き方セミナー」を今年も出来るだけ受講しようと思っている。その第1回講座が昨日4月26日(水)午前に開講された。

 今回のテーマはタイトルにあるように「特殊詐欺…狙われるシニア世代!~豊富な事例で手口を知る~」と題して、消費者ネット北海道の監事であり、弁護士である鈴木賢治氏が講師を務めた。

         

 講座の冒頭から、私の未防備さを露呈した。というのは、現代は契約社会ともいわれているが、その「契約」の基本的知識の無さを露呈してしまったのだ。冒頭に鈴木氏は「契約が成立する時点はいつ?」という問いを発し、3択で答える問題を出された。その3択とは、① 商品を受け取った時 ② 代金を支払った時 ③ 店員が「はい、かしこまりました」と言った時 のどれでしょうか?という問題だった。私は迷いなく②の代金を支払った時を選択した。しかし…、正解は③のお互いが契約内容(商品の内容・価格・引き渡し時期等)について合意するだけで「契約」は成立するということなのだ。それはたとえ「口約束」だけでも成立するということで、私は講義の冒頭からいきなりガツンと頭を殴られた思いだった。

   

 というように、私は現代社会においていかに無防備な状態で生きているのかを痛感させられながら講義を聴く羽目となった。詳述はできないが、スマホをはじめとした生活に便利な機器が世の中に広く出回っていることで、そのことを悪用するさまざまな手口の詐欺が次から次へと生起しているという。それらの手口を羅列するだけでも驚くほどさまざまな詐欺が社会を騒がしているという。それらを羅列してみると…、

 ① 電話勧誘販売

 ② 訪問販売

 ③ インターネット通販

      

 ④ かたり商法(身分詐欺)

 ⑤ 劇場型勧誘

 ⑥ ワンクリック請求

 ⑦ 無料商法

 ⑧ 還付金詐欺

 ⑨ 次々商法

 ⑩ 訪問購入

といった具合で、よくもまあ次から次へと思いつくものだと思うのだが、人間は悪知恵が発達している動物だとつくづく思ってしまう。

 鈴木氏はトラブルに遭わないためにとして次の点に留意してほしいと強調された。

  • うまい話、甘い話に気を付ける。
  • 内容、契約書をきちんとチェックする。
  • はっきり、きっぱり断る。
  • 困った時には相談する。相談先を知っておく。

そして相談窓口について紹介してくれた。北海道(札幌)の方にはお役に立つかもしれないので記述しておきたい。

〈1〉消費者ホットライン 「188」

〈2〉札幌市消費者センター 「011-728-212 1」

〈3〉北海道立踵腓生活センター 「050-7505-0999」

〈4〉札幌弁護士会 「011-251-7730」

〈5〉法テラス 「0570-078374」

生産力のない今の私にとって、なけなしの財産(と言えるほどのものもないのだが)をかすめ取られてしまうと生きていくことさえ困難となる。ボーッとしてなどいられない。ボケないために常に緊張しながら生きていかねば…。


札幌の枝垂れザクラめぐり Vol.1

2023-04-26 17:58:54 | 環境 & 自然 & 観察会

 今春は枝垂れザクラにこだわっている。22日、23日、昨日、そして本日とこれまで4日間にわたって札幌市内で枝垂れザクラがあるというところ巡って歩いた。その結果、“まずまず” のところもあれば、“まだまだ” のところもあった…。

 私が枝垂れザクラ桜にこだわることに特に大きな理由はない。ただ、枝垂れザクラの場合はその木が一本でもあれば、それで十分に楽しめるところがあると思っている。対して、その他のサクラの場合はある程度まとまって咲いていて初めて美しいなぁ、と感ずるところが私にはあるように思えるところから、ちょっと枝垂れザクラにこだわってみようと思ったのである。

 そこで私が事前に持っていた情報、そしてネットで調べた情報から、次の5ヵ所を枝垂れザクラ巡りのポイントと狙いを定めた。その5ヵ所とは…、

① 中島公園

② 円山公園

③ 発寒公園

④ 北海道大学構内

⑤ 旧軽川沿い

の5ヵ所である。

 まず22日(土)である。中島公園の日本庭園内にある枝垂れザクラは、開花はしているもののまだまだという感じだった。

 続いて、23日(日)、旧軽川に行ったのだが、旧軽川に至る前に中の沢川を歩きはじめたら雨が降ってきたこともあって、わずかに歩いただけで断念した。ただ、引き返す際に近隣の住宅地を車で走っていると、見事な枝垂れザクラに出会った。個人宅の庭だったが、周辺では有名なようで何人かの方が写真を撮っていた。サクラの樹の下には「糸桜」という札が書かれていた。残念ながらとっさのことだったので場所が特定できないのが残念である。

   

        

 昨日25日(火)、地下鉄を使って精力的に巡り歩いた。まずは北大附属病院前を訪れたが、枝垂れザクラはほんどがつぼみ状態で “まだまだ” だった。

 続いて発寒公園を訪れた。こちらはどこに枝垂れザクラが?という感じで、地元の人らしい方に伺うと、「池の周りに植わっているでしょう」と言われて確かめてみると確かに枝が枝垂れている樹が何本か確認できた。しかし、いかにも小さい。件の地元の方も「まだまだ小さくて、それほどではないですよ」とのことだった。こちらが見ごろとなるには、最低でも十数年後のことかもしれない。

 訪れるかどうか迷ったのだが、一応中島公園にも寄ってみた。すると満開とは言えないかもしれないが8分咲き程度で十分に美しい状態だった。これ以上のジャストタイミングを図るには日参する必要がありそうなので、私としてはこれで満足ということにしたい。

   

   

        

 最後に円山公園に向かった。ここの枝垂れザクラはまだ青年の樹といった感じなのだが、ネットでの写真を拝見すると十分に観賞に耐えられると思いリストに加えた。そこで行ってみたのだが、北大附属病院前のものよりさらに固いつぼみ状態だった。素人診断では満開状態になるのはゴールデンウィークに入ってからではと思えるほど “まだまだ” の状態だった。

 そして本日午後、旧軽川に向かった。旧軽川は直線化された軽川にその役目を譲り、河川としての役割はほぼ終えた感じの小さな流れだった。ところがサクラ並木は素晴らしかった。高い河壁の上から覆いかぶさるように咲き誇る桜並木は、私がこれまで見た札幌の並木のなかでは最も素晴らしいのではないかと思われた。

   

   

   ※ 旧軽川沿いに咲いていたこれらのサクラは枝垂れザクラではありません。   

 そんな並木の中を福島県の「三春瀧桜」のクローンだという枝垂れザクラを探したのだがなかなか見つからない。初めは左岸を遡ったのだが見つけることができなかった。上流の旧軽川の行き当たりから折り返して右岸を下流に向かって探し続けたところ、川の中盤付近でようやく発見することができた。枝垂れザクラは運良く満開状態だった。樹の根元には「天然記念樹  三春の瀧桜」と記されていた。枝垂れザクラの樹としてはまだ小ぶりであるが、枝垂れたサクラの様子は将来本家の福島県の「三春瀧桜」のような姿になるのだろうか?それはともかく、苦労して見つけ出しただけに、満足一杯の思いで帰路についた。なお、場所的には手稲区前田8条4丁目辺りではないかと思われる。

   

   ※ 思っていたよりは小ぶりでしたが、まぎれもなく探していた枝垂れザクラでした。

   

   

 “まだまだ” 状態だった残り2ヵ所の枝垂れザクラをこの後も追ってみたいと思っている。


御朱印収集巡り №12 白石神社

2023-04-25 16:52:04 | 神社参拝・御朱印収集関連

 白石神社は札幌神社(現在の北海道神宮)が仮社にあった時の社殿を引き継ぎ、白石に移転して誕生したという、北海道神宮との結びつきが強い神社のようだ。境内も他の神社とは趣の違った立派なものだった。

        

 白石神社は「白石歴しるべウォーキング」の際、チェックポイントの一つとなっていたため、その際に訪れることができた。そのためもあって、事前の下調べが十分でなく、後になって特に境内についてはもっと詳しく調べてから訪れるべきだったと反省している。

   

   ※ 神寄谷に入るところに建てられていた鳥居です。

 というのも白石神社には「神寄谷(かみよりだに)という境内より一段と低くなったところ(谷)が森となっており、そこに数々の神が祭られていたのだ。そしてその最も低いところには古より湧き出る泉水が池を造っているのである。何も予備知識のなかった私はただ珍し気にそれらを眺めるだけで、祀られている神々に関心を抱くこともできぬままに見て回るだけだった。

   

   ※ 神寄谷の底部には池が造られていました。

 さて肝心の御朱印の方だが、いつものように「直筆の御朱印がいただけるか?」と事前にお聞きしたのだが「当社は書置きしかしていない」というご返事しかいただけず、止むを得ず書き置きの御朱印をいただくことになった。

   

   ※ 白石神社の手水舎です。

 リード文で札幌神社の仮社を移築して社殿としたということだったが、その後改築や焼失などがあり、現在の社殿は5代目のようである。

     

   

【白石神社 情報】

◇旧社格:村社

◇所属:北海道神社庁

◇住所 札幌市白石区本通14丁目北1-12    

◇御朱印:あり(書置きのみ 初穂料500円)

◇参拝可能時間:24時間

◇社務所受付時間: 9:00~16:00

◇例祭日:9月11日

◇駐車場:有り

◇アクセス:地下鉄東西線「南郷13丁目駅」3番出口から徒歩約10分(約700m)

            その他、バス便などさまざまなアクセス方法あり

◇創建: 1872年(明治5年)    

◇代表的ご利益: 〇国家安泰 〇縁結び・恋愛成就 〇安産祈願・子授かり・子宝

        〇合格祈願・学業成就 〇夫婦円満・家内安全 〇商売繁盛

◇御朱印記帳日 4月19日


歩いて巡ろう札幌の公園 Vol.1 大通公園

2023-04-24 19:22:27 | 「めだかの学校」関連

 とても肌寒い一日だった…。私が所属する「めだかの学校」では今年度上半期の学習の一つとして、座学から離れウォーキングを兼ねて札幌市内の主だった公園を訪ねるシリーズをスタートした。その第1回目の案内役を私が担った。

 私が所属するシニアの生涯学習グループ「めだかの学校」は、今年度上半期の学習として、一つは終活学習「人生のフィナーレを悔いなく」(4/10にレポ済み) と、もう一つが戸外学習の「歩いて巡ろう札幌の公園」の2本立てで行うこととして、本日午後その「歩いて巡ろう札幌の公園」の第1回目として「大通公園」の彫像、石碑、モニュメントなどを見ながら巡り歩いた。

   

   ※ ウオーキング開始前、参加者と打ち合わせをしているところです。

 この企画の具体策を私ともう一人の会員で担当したこともあって、今回の案内役を私が担うことになった。以来、今日の日のために下調べとして大通公園を実際に歩くこと3回、巡り歩く順、時間などについて検討を重ねてきた。同時に、公園内にある彫像、石碑、モニュメントについて参加者に説明するための資料作りも行ってきた。

   

   ※ サクラの花も見頃でした。私の説明を聞いてくれている参加者たちです。

 札幌の大通公園は、なんといっても札幌市の中心に位置する都市型公園で、多くの市民、観光客が憩う札幌を代表する公園である。そうしたこともあって彫像、石碑、モニュメントの類も多い。今回私が説明した箇所は29件に上った。そこを2時間かけてで巡り歩く計画を立て、本番に臨んだ。その29件を記録のために記してみると…

   

   ※ 公園内で最も古い記念碑「開拓記念碑」を見ている参加者たちです。

①「希望」の像 ②花の母子像「愛」 ③「ベンソンの水飲み」碑 ④「北海道電話交換創始の地」碑 ⑤「開拓の母の像」 ⑥「石川啄木像」と歌碑 ⑦「牧童」の像 ⑧西3丁目 噴水 ⑨「泉の像」 ⑩西4丁目 噴水 ⑪「聖恩碑」 ⑫日時計 ⑬「開拓記念碑」 ⑭「奉仕の道」 ⑮「漁民之像」 ⑯西7丁目 噴水 ⑰「ブラックスライドマントラ」 ⑱プレイスロープ ⑲「ホーレスケプロン像」 ⑳「黒田清隆像」 ㉑「マイバウム」 ㉒西11丁目 噴水(地下鉄通風口) ㉓「若い女の像」 ㉔「法の女神テミス像」 ㉕「有島武郎文学碑」 ㉖「集団帰国記念」碑 ㉗「札幌の木 ライラック」歌碑 ㉘「朔風」 ㉙豊平川水位表示塔  

   

   ※ ドイツ・ミュンヘン市から贈られた「マイバウム」の前の参加者です。

 これを2時間で巡るのだから時間配分が大変だった。結果は寒くて休憩を取る間もなかったこともあり、2時間弱で無事に巡り終えることができた。

 各所における説明もくどくならないように気を付けながら説明することができたと振り返っている。ウォーキングの後半になったころに、一人の会員から「ずいぶん事前準備をされたんですねぇ」とねぎらいの言葉をいただいたことが嬉しかった。

   

   ※ 西12丁目広場に立っている「若い女の像」を見る参加者たちです。

 また、巡り歩いた後で「拙い説明でしたが、無事終えることができてホッとしています」とお話したところ、参加者の皆さんから拍手をいただいたが、たとえ義理の拍手だったとしても有難く思えた。ともかく今は無事に第1回目を終えることができ、ホッとしている。私は続いて5月第4月曜日に実施する「中島公園」の部の説明役を担うことになっている。こちらもしっかりと準備して当日に備えようと思っている。


白石歴(れき)しるべウォーキング №4

2023-04-23 18:03:21 | 札幌ウォーク & Other Walk

 白石歴しるべウォーキングの最終回となる№4のDコース(東札幌・白石中央通り)4.7Kmは、白石区複合庁舎をスタート&ゴールとする7ポイントを巡り歩くコースだった。

        

 今回のチェックポイントは、(続き番号で)㉒横丁通 ㉓白石のリンゴ園跡    ㉔エゾオオカミ捕獲の場所 ㉕白石村水田発祥の地 ㉖納豆博士・半澤洵生誕の地 ㉗豊平外三ヵ村聯合用水路 ㉘望月寒川 の7ポイントである。

 今回はスタート地点の白石区複合庁舎から南郷通を西に向かうコースだったのでスムーズにコースに乗ることができた。

   

   ※ 白石地区の中心に建つ改築されて数年しか経っていない白石区複合庁舎です。

㉒横丁通

 白石区複合庁舎から南郷通りを真っすぐ西に向かうと、現在「米里行啓通」という大きな通りと交差する。その「米里行啓通」こそが、その昔「横丁通」といわれた通りである。このウォーキングのCコースで「白石村1番」のことに触れたが、その白石村1番から白石神社までの間を1番から50番まで区角割りをして住民が住んだのだが、1番から7番までの区画が雪解け水で浸水することから、居住地として適さないことが分かり、住民が移り住んだところに造られた道路を「横丁通」と呼ばれるようになったそうだ。その後、昭和35(1960)年の町名変更で「横丁通」との名称は廃されたそうだ。

   

   ※ (元)横丁通りの名に相応しくない(?)広い通りです。

㉓白石のリンゴ園跡

 明治初期、北海道の開拓を担った北海道開拓使はアメリカから輸入した果樹の栽培を奨励したという。その中でも白石村ではリンゴの栽培が普及したが、その中心が先の「横丁通」界隈だったという。そのリンゴ園も徐々に宅地化が進むことによってやがて廃れていったそうだ。

「白石歴しるべ」の標識は、先の「横丁通」と共に「きよみず公園」内に並べて立てられていた。

   

   ※ 住宅街の中に、突然このような畑地が現れリンゴ園だった名残が伺えます。

   

   ※ 「横丁通」と「リンゴ園跡」の標識が同じところに立っていました。   

㉔エゾオオカミ捕獲の場所

 エゾオオカミが捕獲されたということは、開拓が始まったばかりの明治初期の白石地区は原始林や荒地が多く、ヒグマ、エゾオオカミ、エゾシカなどがかっ歩する世界だったそうだ。エゾオオカミは明治20年頃に害獣として駆逐され絶滅されたが、この場所で捕獲されたエゾオオカミは明治10年にこの場所で昼寝をしているところを村人に火縄銃で撃ち取られたという。その剥製は世界でただ1頭のエゾオオカミの雄の標本として北海道大学附属植物園の博物館に展示されているそうだ。 

   

   

   ※ 標識は(株)池田製菓の本社工場兼店舗の脇に立っていました。

㉕白石村水田発祥の地

 開拓当初、北海道では稲は育たないと言われていたが、この地に入植した旧白石藩の人たちは故郷から種籾を取り寄せ、失敗を続けながらも諦めることなく米作りに挑み続け、ついに明治16年に初めて米を収穫することに成功し、白石米第一号が誕生したという。その地が国鉄函館本線に近い「白生公園」一帯だったそうだ。

   

   ※ 標識は「開田碑」と並んで立っていました。

㉖納豆博士・半澤洵生誕の地

 北海道帝国大学の教授であり応用菌学の権威である半澤洵氏が誕生したのは札幌郡白石村だった現在地(白石区中央1条5丁目)だったそうだ。

 半澤氏はそれまで雑菌も含む稲わらでの納豆づくりを、純粋な納豆菌の培養に成功し、経木(薄皮)の容器を使用することで衛生的な納豆の量産化を確立し、納豆博士と親しみを込めて周りから呼ばれるようになったそうだ。

   

㉗豊平外三ヵ村聯合用水路

 飲料水などの生活用水路として精進川から取水して豊平川へ注ぐ平岸用水路が明治6年に造られたが、稲作が盛んになると、この用水路からさらに豊平、平岸、白石、上白石の各村へ注ぐ1号~4号用水路が豊平外三ヵ村聯合用水路組合によって造られたという。表示板が立っている「もつき公園」は1号用水路が流れていたところだそうだ。

   

   

   ※ 1号用水路が流れていたという「もつき公園」です。

㉘望月寒川(モ・チキサップ川) 

 白石の母なる川モ・チキサップ川は、真駒内南部の丘陵を源として、白石一帯を流れ月寒川に合流する12キロの二級河川である。川を流れる水は地域住民の生活用水、農業用水として欠かせないものであったとともに、大雨時などは家屋浸水、田畑の水没などの害ももたらしたモ・チキサップ川は白石村民にとって喜びと悲しみをもたらした忘れえぬ川だという。現在は周りをコンクリートで固められ地域の住民との関連も希薄になっているという。

   

   

   ※ この日のコースで最も下流にあたる望月寒川です。

   

   ※ 反対に最も上流にあたる望月寒川です。

 以上で「白石歴しるべウォーキングマップ」に掲載されていた28ヵ所の歴標(標識が掲示してある場所)の全てを回ったが、巡り歩いている中で「白石歴しるべ」に登録されている物件は他にもあるらしいことが分かってきた。ウォーキングマップに載ったところは、ウォーキングコースとして抱合されるに相応しいところがリストアップされた結果のようだった。

 そこで私は Dコースを終えた後、白石複合庁舎内の地域振興課に伺い「白石歴しるべ」の資料の提供をお願いした。すると、かなり分厚い資料をいただくことができた。それを参考に調べてみると、私がまだ訪れていないところとして①北都団地、②旧本通倶楽部、③北海道暗渠排水施設発祥の地、④逆川、⑤大谷地駅跡、月寒駅跡、⑥菊亭公爵入植跡地、⑦板橋地区跡、などが残っていることが判明した。これらの跡地等がどこに位置するのかはまだ分かっていないが、おそらく白石区内の各所に散在しているものと考えられる。一度ではとても廻りきれないものと思われる。あせらずにじっくりと巡りながら白石の歴史にもう少しこだわってみることにしたいと思っている。                          


トリック × イリュージョンアーティストトーク

2023-04-22 19:04:34 | 講演・講義・フォーラム等

 道立近代美術館の特別展「トリック × イリュージョン!」展の開会に合わせて、出品者の一人である須田悦弘氏が自らの作品について語った。氏はインスタレーション作品といわれる手法で数々の不思議な作品を提示しているようだ。

 本日(4月22日)から6月11日までの会期で北海道立近代美術館では特別展「トリック × イリュージョン!」展が始まった。その開会に合わせて本日午前、同館講堂において出品者である須田悦弘氏によるアーティストトークがあり、参加して須田氏のお話に耳を傾けた。

          

          ※ 講師を務めた須田悦弘氏です。

 須田氏は前述したようにインスタレーション作品といわれる手法で数々の作品を世に出している芸術家である。インスタレーションとは、ごく簡単に言うと「展示作品を含めて全体を作品とし、見ている観客がその『場』にいて体験できる芸術作品のこと」を指すそうだ。

 須田氏の場合は、本物と見紛うほどの精緻な花や草を木彫でつくり、それらを思いがけない場所に設置して、空間全体をインスタレーション作品とする手法で作品を産み出している。

     

     ※ 草など生えてこないような床から雑草が芽を出した図です。

 具体的には、けっして草などが生えてこないような床に本物まがいの草があたかも植えられているような図を提示したり、江戸時代の日本画でスズメの絵が描かれている作品では、スズメの目線の先に米粒を配したり、瀬戸内海の直島に造られた美術館の壁から雑草が伸びているような図を描いたり、と一種の「面白がり精神」のようなものを私は感じたのだが…。須田氏はさらに、トリックとは「悪だくみ」、「だまし」とも受け取られると話された。

  

  ※ 上部は江戸時代の作品です。その中、右側の2羽のスズメの目線の先に米粒を配した作品です。

 しかし、須田氏はそうした思いではなく、既成の概念を壊すことでそこにあたらしい価値を産み出そうとしていると言っているのではないかと私は受け止めた。

 さて、本展で須田氏はどのような作品を出展しているのだろうか?興味深いが、私は特別展を実際に鑑賞するのはもう少し先に延ばそうと思っている。というもの、私には美術を鑑賞するという基本的な素養に欠けていると自己分析している。幸い、地の利を生かして道立近代美術館で開催される関連イベントには参加しやすい条件下にある。

   

   ※ 空中に花が浮かんでいる図ですね。

 今回のアーティストトーク、そして5月に入って行われる予定の同館学芸員による「見どころトーク」などを拝聴した上で、ある程度理解を深めたうえで特別展に足を運ぼうと思っている。その際にはまた私なりの感想をレポートしようと思う。

※ 掲載した写真は全てウェブ上から拝借しました。


白石歴(れき)しるべウォーキング №3

2023-04-21 19:10:00 | 札幌ウォーク & Other Walk

 白石歴しるべウォーキング№3のCコース(菊水・菊水町巡り)5.2Kmは、地下鉄「菊水駅」に近接する「やよい公園」をスタート&ゴールとする6ポイントを巡り歩くコースだった。

        

 今回のチェックポイントは、(続き番号で)⑯旧国鉄東札幌駅周辺の工業地帯 ⑰宇都宮牧場跡 ⑱有島武郎邸跡地 ⑲北海道庁立札幌治療院 札幌市助産所跡 ⑳札幌遊郭(白石遊郭)跡 ㉑白石村1番 の6ヵ所である。

 今回もスタート地点であり、「旧国鉄東札幌駅周辺の工業地帯」の標識が立っている地下鉄「菊水駅」に近接している「やよい公園」を見つけるのに苦労した。

⑯旧国鉄東札幌駅周辺の工業地帯

 マップの案内によると、周辺は大正時代から昭和40年代にかけて、鉄工、ゴム、繊維、木材などの工場群が立ち並んでいたという。一帯は国鉄千歳線と定山渓鉄道が交差する東札幌駅があり原材料の運搬に都合がよく、そのうえ札幌の巨大市場が近くに控えているという立地の良さから工場が集まったそうだ。しかし、現在その辺りは工場の跡は見当たらず周囲はマンションなどの住宅街へと変身していた。(よく探索はしていないが…)

 「やよい公園」に植わっていたサクラが満開の時を迎えていた。

   

⑰宇都宮牧場跡

 「やよい公園」からそれほど離れていないところに明治35(1902)年から昭和2(1927)年まで面積20haを有する宇都宮牧場があったそうだ。牧場を拓いた宇都宮仙太郎はアメリカ留学を経て、当地でバターの製造や牛の品種改良を行うなど先進的な酪農を実践し、「日本酪農の父」と称された方だそうだ。

 現在辺りは当時の面影は跡形もなく、都市化されていた。

   

⑱有島武郎邸跡地

 豊平川に近い現在「豊平川河岸公園」となっているところに、東北帝国大学農科大学(現在の北海道大学)において英語講師を務めていた作家・有島武郎が明治43(1910)年5月から翌年7月まで住んでいたという。下世話な話だが、豊平川を挟んで当時の交通事情を考えると、通勤が不便ではなかったのでは?と思うのだがどうだったのだろうか?

 なお、当時の邸宅は「北海道開拓の村」に復元・公開されているという。(旧有島武郎邸はもう一軒あって、そちらは札幌芸術の森内で復元・公開されている)

   

   ※ 「白石歴しるべ」の標識の横に、「有島武郎邸跡地」の標識が立っていました。

⑲北海道庁立札幌治療院 札幌市助産所跡

 札幌遊郭の菊水地区への移転に伴い、性感染症の予防・治療をする札幌治療院もこの地に移転したそうである。場所は白石遊郭の道路向かいである。同治療院は戦後閉鎖されたが、全面改築後に札幌市助産所となって昭和44(1969)年に廃止された。現在その跡には軽費老人ホーム「札幌市菊樹園」となっていた。

   

⑳札幌遊郭(白石遊郭)跡

 ⑲北海道庁立札幌治療院 札幌市助産所跡の道路向かい、現在「菊水公園」となっているところが「白石遊郭跡」である。案内書によると、札幌の遊郭は初薄野地区に明治10(1877)年に開かれたが、薄野界隈の都市化によって大正9(1920)年に果樹園主らからの寄附を受け、菊水地区に移転したのが「白石遊郭」である。最盛期には30軒もの妓楼が軒を連ねたそうだが、昭和33(1958)年の売春防止法の施行によって姿を消したそうだ。

 現在は「菊水公園」として地域住民の憩いの場となっているようだ。なお、公園の一遇には「菊水神社」の小さな祠が建てられていた。

   

   

   ※ 「菊水公園」の一隅には「菊水神社」の小さな祠が建っていました。

㉑白石村1番

 「菊水公園」からはやや離れて国道12号線沿いに「白石公園」があるが、その一角が「白石1番」と呼ばれるところである。

 白石開拓の第一歩は、明治4(1871)年に旧仙台藩の白石城主の家臣が望月寒(も・きちさっぷ 当時の呼び方だそうだ)に移住したのが始まりとされている。彼らは最初に幅18m、長さ3,600m の道路(現在の国道12線)を造り、この道路を挟んで道路の右と左にそれぞれ1番から50番まで番号を付けて土地割りをしたという。その起点となったところが「白石村1番」とされている所だそうだ。

   

 白石地区の歴史を知るのが楽しくなってきた。と思い始めたが「白石歴しるべウォーキング」は残り1コースとなってしまった。残り1コースも楽しみながら巡りたいと思っている。