11月19日(火)夜、エルプラザにおいて北海道山岳会主催の「安全登山シンポジウム」が開催され、この夏に80歳の高齢にして3度目のエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎氏がゲストスピーカーとして招かれ講演したのを聴く機会を得た。
シンポジウムはその名のとおり、安全な登山について三浦氏以外の二人の方からお話をうかがったが、ここでは三浦氏の話に絞ってレポートする。
失礼な話であるが、三浦氏の話は前後の脈絡なく話があちらこちらへと飛んでしまうことで有名である(少なくとも私の中では…)。その話を再構成するのはけっこう骨が折れることではあるが試みてみることにする。
プロスキーヤーとして富士山滑降や、エベレスト滑降などに挑み有名だったが、年齢を重ねて引退状態となってからは不摂生な生活からメタボ状態になっていたという。
60歳を過ぎたころ、三浦氏の父親が高齢にもかかわらず国内外のスキー場を元気に滑る姿に刺激を受け、65歳の時に「5年後にエベレストに登ろう!」と決心したという。
それからは外出時に両足に重りを付け、20キロの荷物を背負いトレーニングを続けたそうだ。そうしたトレーニングも30代の時に北アルプスの立山でボッカ生活を送り、最終的には100キロ近くの荷物を山小屋まで背負い上げる日々を経験したことが可能にしたということだった。結果的に三浦氏は体重を20キロ近く落としメタボから脱却したそうだ。
そうして2002年、70歳の時に目標通りエベレスト山の登頂を果たした。(当時の世界最高齢登頂)
※ 講演は今回の登山中のこのような映像を流した後に講演された。
三浦氏は心臓に欠陥をもち不整脈に襲われることがしばしばあったが、75歳の2度目のエベレスト挑戦を前にして2度の心臓手術を受けたが、それを克服して2008年、医師のサポートも受けながら2度目の登頂を果たした。
そして今回、80歳にして3度目の挑戦をしたのだが、実は76歳の時テイネハイランドでスキー中の事故で骨盤と左大腿骨を骨折するという重傷を負ったが、これも強い意志でリハビリに努め約1年で普通の生活ができるほどに回復したそうだ。
今年2013年5月23日、三浦氏は三度目の世界最高峰に立ったのである。80歳にしてのエベレスト登頂はもちろん世界最高齢での登頂である。
三浦氏は思っていたよりはやや小太りな体型で、髪はもちろん真っ白だったが、自身の偉業を淡々と語るという感じに見えた。
三浦氏の言葉で印象に残ったのは、「年寄り半日仕事」という言葉を何度か使った。つまり年寄りは半日行動、半日休養くらいがちょうどよい。できることをゆっくりと、ということだった。
そして「夢をあきらめない」というスポーツ人が良く発する言葉だった。
しかし、三浦氏がその言葉を発すると、それは非常に説得力をもって聞こえてくる。
私より年上の三浦氏が自らの夢をあきらめず、夢に向かって努力した結果、その夢を実現したということは大きな励みとなる。
おおいに刺激を受けた講演だった。
世界大戦の敗戦により突然故郷を奪われた元樺太居住者たち…。彼らにとって“樺太”は紛れもなく恋い焦がれた「聖地」に違いない。講師は故郷“樺太”に参ずる巡礼者たちに同行しながら彼らにとっての「聖地」を考えた。
※ 講師の宮下教授が訪れた樺太の恵須取(ロシア名:ウルレゴルスク)は黄色の点のところです。
北大公開講座「現代の『聖地巡礼』考」~人はなぜ聖地を目指すのか~」の第四講は11月18日(月)夜、「故郷『樺太』への巡礼者」と題して、北大大学院メディア・コミュニケーション研究院の宮下雅年教授が講師を務めた。
「故郷」という概念は近代日本社会となって生まれた言葉だと宮下氏はいう。それは近代になって人々が“移動”(移り住む)という概念が生まれたことによるらしい。
つまり「故郷」と「郷土」は似て非なる概念だということだ。
「故郷」は生まれた土地から一度離れて、他の土地に暮らしたことがある者にとっての存在であるが、「郷土」は生まれ育ったところから一度も離れずに現に住んでいても、その人にとって郷土は郷土である。
そういえば「故郷は遠きにありて思うもの」という室生犀星の言葉もあった。
ところが「故郷」は空間的隔絶感を伴ったときにはじめて「故郷」になりえるのであって、現代のように気軽に日本中を往来できる時代となっては、「故郷」が無意味化しつつあるのではないかと宮下氏はいう。
それに対して元樺太居住者たちの“樺太”は行きたくとも簡単には行けないところとなってしまった。それこそまさしく本来の意味での「故郷」ではないかという。
その故郷“樺太”への再訪団に宮下氏は一昨年、今夏と二度にわたって同行した。
そこは旧日本領の南樺太でもかなり北上した位置にある恵須取(というところである。恵須取には旧王子製紙恵須取工場があり、たくさんの日本人が居住していたらしい。
工場は恵須取に暮らしていた日本人にとってのシンボルであり、誇りだったそうだ。その旧工場は朽ち果てながらも旧島民たちに語られることを待っているかのようだったと宮下氏はいう。
旧島民たちは1989年に現地に「鎮魂碑」を建立したということで、宮下氏が同行した時、その碑の前で線香を手向ける旧島民の姿を氏が撮影した映像で見せていただいた。
※ ウェブ上から旧王子製紙恵須取工場の写真を捜し出しました。
宮下氏は云う。日本においては社会の変容と共に徐々に「故郷」が喪失していったが、樺太の場合はあっという間に住むところを失い、そこを訪れることもままならない「故郷」になってしまった。それだけに旧島民にとって、樺太はまさに『聖地』そのものとなっていったのだと…。
と講義の内容をまとめみたが、実際の宮下氏の講義はこれほど簡単ではなかった。今回のレポートは私が理解できた範囲においてそれを繋ぎ合わせたに過ぎない。
あるいは宮下氏が伝えようとしていたことに反するような内容になってしまったかもしれないことをお断りしておきます。
カーボンオフセットとは…、他で説明されていることを引用すると「不可避的に排出してしまった二酸化炭素などの温室効果ガスを、別のところで吸収あるいは削減して、排出に見合った分の埋め合わせをしようという概念」ということになる。その概念を実現化するために、CO2を排出する側と吸収・削減する側の間をとりもつ団体・機関を通じて、クレジット(オフセットのための証明書)を売買することによって、地球全体のCO2の増加を〇(ゼロ)あるいは〇に近づけようとする取り組みである。
11月18日(月)、北海道地域カーボン・オフセット推進ネットワークが主催する「北海道の未来を守る現場見学バスツアー」なるものが実施された。何にでも興味を抱く私はカーボンオフセットのことについて深く知りたいと思い友人を誘って参加した。
ツアーは、二か所の現場見学とセミナーという構成だった。
※ 見学した「北清企業」の工場内です。「バイオディーゼル STATION」の看板が誇らしげに掲げられています。
現場見学は、①リサイクル事業、特に家庭のてんぷら油の廃油を回収してバイオディーゼル燃料の精製・活用に取り組む(株)北清企業(東区丘珠5-4-5-7)と、②市有林の造成を通して地球温暖化防止に寄与することでカーボンクレジットを提供する事業に参加している石狩市の市有林、の2ヵ所を見学した。
①の北清企業ではてんぷら油の廃油からバイオディーゼル燃料を精製するプラントを見せていただいたが、思いのほか小さく簡単な装置だったが一日1,000リットル以上の燃料を精製しているとのことだった。北清企業では自社で所有するゴミ収集車のほとんどを精製したバイオディーゼル燃料で賄っているという。コストについて伺ったところ、精製技術の進歩と最近の制度の改正(助成金?)でなんとか採算が取れているということだが、問題は廃油の回収率を上げ、回収のコストを下げることではないだろうか。
※ 意外に小さかった北清企業のバイオディーゼル燃料の精製プラントです。
②の石狩市の市有林(石狩市浜益区幌 遠かったぁ~)は、造林によってCO2を吸収するとともに、森林が面する石狩の海を森林を整備することで滋味豊かな海にすることを狙った取り組みということだった(ニシンが群来る海)。森林そのものはアカマツを植林したところを見せていただいたのだが、一見何の変哲もないごく普通の森林だった。
※ 石狩市の市有林地に植樹され10年を経過したアカマツの林です。
二つの例のうち①はCO2の排出を削減する取り組みであり、②はCO2を吸収する取り組みである。両者ともにクレジットを提供する側であり、企業などからのクレジット購入を期待する側である。
見学の後のセミナーでは、同じように北海道内でクレジットを提供している例が紹介されたが、北海道の特長である広大な大地を活かした森林造成事業によるクレジット提供の例が多いようであった。ツアーには紋別市や浦河町の担当者も同乗していて、自市町の森林造成によるCO2吸収プロジェクトをアピールしていた。
先進国において経済的効果を伴った温室効果ガスの削減・吸収する取り組みが試みられ始めたことを歓迎したいと思う。しかし、「カーボンオフセット」という言葉そのものが一般にはまだまだ馴染みの薄い言葉ではないだろうか?
多くの企業・団体がこうした取り組みを応援し、こうした取り組みが広がりをみせ、やがて社会全体として温室効果ガスの削減の意識が広まっていくことを期待したい。
11月17日(日)午後、プリンスホテル国際館において“文理共鳴”というテーマのもと「一橋大学・東京工業大学合同移動講座」が開催され、聴講の機会を得た。
移動講座は、それぞれの大学の同窓生が一人ずつ基調講演を行い、次いで両大学の学長がそれぞれの大学の特徴などについて講演するものだった。私は二つの基調講演のみ拝聴した。
ここでは、一橋大学卒業生である浜氏の講演についてレポートすることにする。
浜氏の正確な講演テーマは「さらばノウハウ、さようならハウツー、立ち去れ短絡的今日性:知的探求で未来を抱きとめよう」というものだった。
浜氏の問題意識は、世の中が実務礼賛の空気に満ちていることに対する問題提起だった。
グローバル化の時代を迎え、企業は他に後れを取るまいと即戦力の人材を求めている。若者はそれに応えるためにハウツーやノウハウに満ちた資格を得ることに血道をあげている。大学もまたそれに呼応するようにビジネススクールのような教育に力点をおいていると浜氏は指摘する。
なぜこうした状況になったのかについて、浜氏はその要因を次のように挙げる。
〔要因1〕グローバル時代の大いなる誤解、〔要因2〕企業のひるみとあせり、〔要因3〕大学の迎合主義と敗北主義、となかなか勇ましい。
そして浜氏は自らの主張を次のように解説した。
グローバル時代は、厳しい競争時代である。弱肉強食、強い者が勝利するサバイバルの時代。それはグローバルジャングルとも、ヒューマンジャングルとも称されるものである。人も金も容易に国境を超える時代。国境なき時代にあって、国境を前提としている政治の世界だけが右往左往している。
そうした中、企業は即戦力を求め、実学を尊ぶ傾向がある。そうした企業の志向性が教育に影響を及ぼしている。
教育界は顧客ニーズに応えるために実学教育に力を入れることになる。浜氏自身、同志社大学においてロシアビジネススクールの校長を兼務している立場として内心忸怩たるものがあるという。
実業の世界においても、教育界においても“隣がやっているか止められない”的な心理が働いているという。
しかし、と浜氏は言う。
グローバルジャングル=大競争の場 それをマクロの視点で見てみると、そこに〔共生〕の生態系という底面が見えてくるという。
現実のジャングルにおいて、動物たちの間には〔共生〕の原理が働き、それぞれが捕食し、捕食される関係ながらも、誰も一人(単一種)だけでは生きていけないという掟のもとで動植物は生きているという。
かつての日本企業は国内で製品として完成させてから、世界へ送り出していた。
しかし、現代は外地で材料を調達したり、外地の人の手を借りたり、日本から外地へ部品を持ち込んで製品化したりして、それを販売している。いわゆる〔made in JAPAN〕から〔made by 日本企業〕になっている。このことをとってみても大いなる〔共生〕の世界となっている、と主張する。
つまり、誰もが、誰かから何かを借りることによって成り立っている世界だと…。
世界的に見て、個人の豊かさで上位にランキングされる国はおしなべて〔人のふんどしで相撲を取る〕国々だという。それはルクセンブルクであり、ベルギーであり、アイスランド、オランダ、デンマークなど小さな国が多いと…。これらの国は大きな企業を誘致することで人々を富ませているという。
アジアにおいてはシンガポール、香港、台湾、インドネシアが同じような態様だという。
それでは日本のような国はどうすれば良いのか?浜氏は次のように言う。
日本のように資本のある国は〔人の土俵で相撲を取らせてもらう〕のだと…。土俵を借りるのだから、当然分かち合いの精神がなければならない。
グローバルジャングルでは〔人のふんどしで相撲をとるか〕、〔人の土俵で相撲をとるか〕ではないか。そしてグローバルジャングルの善き住民となるために掲げるべき言葉は《シェアからシェアへ》である。以前のシェアは市場占有率(人から奪い取る)を指したが、これからのシェアは分け合う(分かち合う)時代へと移行することが望ましい。
グローバルジャングルの時代にあっては、多様性と包摂性(包容力)こそ求められる。これまでの日本は人と違うことが許さない世界で、多様性の部分が弱かった。
奪い合いの世界から、分かち合いの世界へ、感覚的な今日性に惑わされずに進むべきである、と浜氏は締め括った。
聴いている分には大変面白いお話だった。そして「奪い合いの世界から、分かち合いの世界へ」というスローガンにも共鳴できた。しかし…、現実に厳しい競争にさらされている企業人たちの心を捉えることはできただろうか?
経済学者としてのグローバル時代を生き抜くための浜氏の具体的な処方箋を聞きたかったのではないだろうか?などとも思ったのだが…。
その問い自体がノウハウを求める短絡的今日性である、と浜氏は言うのだろうか?
※ コンサの熱烈サポーター席からは12月1日~8日かけて行われるプレーオフ進出を信じての文字が描き出されたのだが…
今日(11月24日)はサッカーJ2リーグの最終戦。我らがコンサドーレは勝ちをものにすればPO(プレーオフ)に進出できるという期待もあって、スタジアムには今シーズン最多の24,813人が詰めかけた。
相手は格下と見られるギラヴァンツ北九州、しかもコンサはこのところ3連勝と絶好調だった。私を含めてほとんどのサポーターはコンサの勝利を信じてスタジアムに足を運んだはずだ。
※ 試合前に整列したコンサとギラヴァンツのイレブンです。
ところが、試合が始まってみるといっこうに2週間前の対神戸戦のような躍動する動きがなく、体が重そうにさえ見えるコンサイレブンだった。そんなイレブンからはゴールの匂いを感じさせてくれることなく、いたずらに時間だけが経過していった。
「そのうちにきっと…」と思いながら試合を見つめていたのだが、反対に北九州の方が「あわや」という場面を何度か作る始末である。
唯一会場が沸いたのは、試合後半に相手ゴール前でFKを得て、ベトナム人選手のレ・コンピンの蹴ったボールがゴールマウスのバーを叩いたときくらいだった。
※ 本日のキックオフセレモニーは来日中のレ・コンビン選手の奥さんが務めました。遠くて顔は拝見できませんでした。
2週間前、格上と見られた神戸に対して素晴らしいサッカーを見せてくれたのに…。今日は明らかに格下と見られる北九州に対して見ている側をイライラさせるような場面ばかりだった。選手たちは最終戦にPO進出が懸っているということからプレッシャーがあったのだろうか?
試合は0対0のドロー、試合終了のホイッスルが鳴り響くと会場内は何とも言えない虚脱感に包まれたようだった。そしてピッチを見ると、コンサの選手たちの多くが芝生に突っ伏していた。想像以上の重圧の中で戦っていたのかもしれない。
かくてPO進出は潰えてしまった。
前回の投稿(「コンサは進化していた?」)でも書いたが、私は今シーズンのコンサはPOに進出するだけで十分で、J1への復帰などは期待してはいなかった。J2でしっかりと力をつけて、J1で十分に戦えるような力が備わったときにJ1復帰を果たしてほしいと思っていた。そうした意味では今回は残念だったが、次年度以降を見据えてチーム強化に励んでほしいと願うばかりだ。
嬉しいことが一つあった。
それはスターティングイレブンのうち5人が北海道出身の選手だったことだ。この他にもチームには北海道出身選手が相当数在籍している。これはコンサがユース選手を上手に育成している証しである。来春もユースからの入団が報じられている。
経営的に厳しいと聞いているコンサにとって、ユースの選手をチームの主力に育てることが最も現実的な強化策である。
来年以降、こうしたコンサユース出身の選手がチームの主力に台頭し、チームとして飛躍することを期待したい。
※ レジェンドマッチ終了後にインタビューに答える中山選手です。例によって会場を沸かせていました。
それと、今日は試合前に以前コンサに在籍していた往年の選手たちが集い、2チームに別れて「レジェンドマッチ」と称する催しがあった。中山ゴン選手や、吉原宏太、曽田雄志、などといった懐かしい選手の姿を見ることができ楽しいひと時だった。
この日11月16日(土)、私は北海学園大学の講座を受講したその足で、「エンジョイサッカーセミナー」が開催される新札幌の羊が丘病院へ向かった。夜の開催だったにもかかわらず、病院のホールはいっぱいの聴衆で溢れかえっていた。
羊が丘病院は整形外科、特にスポーツ整形の世界ではかなり高名な病院らしい。理事長の倉秀治氏はサッカーJ1の柏レイソルのメディカルアドバイザーに就任しているということで、スポーツには大変関心の高い方のようだった。
セミナーはまず倉秀治氏のスポーツ障害の現状とその治療実態についてお話だった。氏によると学校スポーツにおいて障害件数が多いのは、バスケットボール、サッカー、野球の順だということで、やはり高校生に人気のスポーツが上位を占めているとのことだった。
氏は特に足・膝関節障害に関する専門家であるが、現代では治療方法が飛躍的に進歩し、回復度合いもとても早くなっているとのことだった。
続いて登場した田部学氏は履歴を見ると39歳ということだったが、とても若々しくいかにもスポーツ青年!という印象だった。
田部氏は小中高と北海道でサッカー少年として過ごし、筑波大体育専門学群に進学しサッカー部に所属しながらコーチング理論などを学んだという。
大学院を経て、サッカーJ1のFC東京の育成部でコーチを務めていたところ、札幌大谷高校がサッカー部を創設することに伴い要請を受けて監督に就任したという。
田部氏は言う。大谷高の監督要請を受けたのは「地元札幌に帰って、サッカーを通じてスポーツの価値を高めたい」との思いを強く持ったからということだ。また「北海道のサッカーを盛り上げたい」とも語った。
さて、その札幌大谷高校サッカー部だが、2009年に部を創設した時は部員が11人で、初の公式戦は0 対 16で惨敗したそうだ。
2010年になって公式戦に初勝利、2011年には初めて3学年全ての部員が揃い、その翌年の2012年には高校総体の予選で準優勝し、全国を経験している。
そして今年、正月に行われる全国高校選手権の北海道大会において見事優勝を飾った、というのが田部氏、そして札幌大谷高校サッカー部のざあっとした概観である。
田部氏が心がける指導の重点は、「個を伸ばす!」、「個が伸びる環境づくり」を心がけているということだった。その中で何度も使ったのが〔内発的動機付け〕という言葉だった。
〔内発的動機づけ〕とは好奇心や関心によってもたらされる動機づけであり、賞罰に依存しない行動である。
つまり田部氏はサッカー部員に対して、サッカーに対する好奇心や関心を高めるためにいつも配慮しているという。
だから田部氏は、チームが強くなることも大切だが、その前に「個人がうまくなること・成長すること」が大切だと強調します。
田部氏の考え方で特徴的だったのは、「対戦相手の戦力分析をするか?」という質問に対して、基本的には「相手のチームの分析はしない」と答えたことだった。チームの勝利を願うのであれば、対戦相手の分析は欠かせないはずであるが、田部氏はそれより「自分たちの良さを出すことを優先したいので、相手チームの分析はしない」と語った。
創部わずか6年目にして全道制覇を達成するには語られない奥義のようなものもあるのかもしれないが、しかし指導の根幹はあくまでも「個」であると言う。「個」が伸びる環境を整え、「個」を伸ばすと…。
“一人ひとりの顔が見えるサッカーを”
“強く & 愛されるチーム”
がチームコンセプトだという。
新しい考え方の指導者 田部監督に率いられた札幌大谷高校サッカー部の正月の高校サッカー選手権での活躍を期待したい。
11月16日(土)午後、北海学園大学において同大が開催した市民公開講座「“老活のすすめ”~あなたは〔老前〕〔老中〕〔老後〕どっち?~」に参加した。
※ 講座の最後に登場した朝倉前学長は80歳を超えられているとはとても思えないはつらつとした姿でお話しされた。
全体で4時間の講座で5講座用意されていた。1講座が30分で、講座毎に10分間の休憩が入っているという公開講座だった。1講座が30分というのはやや細切れの感じもしたが、それぞれの展開が早いこと、そのうえゆったりと休憩が入っている点は高齢者には優しい配慮だったのかもしれない。その5つの講座テーマと講師は次のとおりだった。
◇講座1 「高齢者の体力とトレーニング」 亀井伸照 法学部教授
◇講座2 「終活に向けた法律問題」 内山敏和 法学部准教授
◇講座3 「高齢者介護の現状と課題」 中囿桐代 経済学部教授
◇講座4 「若者たちの雇用環境」 佐藤哲身 工学部教授
◇講座5 「高齢者時代を活き活きと生き抜く」 朝倉利光 前学長
それぞれの講座は各講師が誠実に準備されことが窺え、傾聴すべき内容も多かった。
このレポートでは、その中でも特に印象深かった朝倉前学長の講座と、一見私たち高齢者には関連がないと思われる「若者たちの雇用環境」についてレポートする。
「若者の雇用環境」についてだが、北海学園大学のキャリア支援センター長を兼務する佐藤教授から卒業生の就職状況などについてお話があった。
若者の雇用環境はメディアでも伝えられているとおり、私たち世代の頃と比べると確かにに厳しい環境にあり、現状では中高年の失業率を上回るように状況で続いているが、それは外的環境にばかり原因があるとは考えていないということだった。
どういうことかというと、就職支援に関わってみると、能力や職種のミスマッチ、勤労観の変化など、若者自身に起因する問題も多々あるという。
特に佐藤氏は「勤労観の変化」を憂慮していたようだ。そこで勤労観をはじめとして、働く意義や職業の種類などについて、若者と話し合う場を多く持ってほしいと訴えた。若者たちは仕事について家族と相談したがっているという。
我々中高年にとっても、子どもや孫の相談に乗る出番がありますよ、というお話だった。
すでに80歳を超えているというが、実に生き生きとした話し方が印象的だった朝倉前学長の話は、日本人の寿命がどんどん延び、今や人生90年時代に突入した(死亡数の最頻値は男性が85歳、女性が90歳だそうだ)時代の生き方についての提案である。
人生90年というと、65歳にリタイアしたとして男性で約20年間、女性で約25間という実にたくさんの時間が私たちにはあるということなのだ。その期間の〔生活の質の向上〕を図り、豊かな人生を送ろうという呼びかけであった。
その〔生活の質の向上〕のための構成要素として氏は、①長寿、②高い生活の質、③社会貢献の三要素をあげた。
これだけでは少しに分かりにくい。私なりに解釈すると、「長寿」は心身を健康に維持しようということか?
「高い生活の質」とは、個人を取り巻く生活環境や人的環境を指すように思われる。
「社会貢献」は、文字どおり引き籠ることなく、社会にとって必要ある存在であり続けることの大切さを指摘しているものと考えられる。
そして、高倉氏は次のようなフローチャートを示された。
【人生90年の生活設計】
〔 自立して健康で生きがいある豊かな人生 〕
↓
〔 “健康” ⇒ 健康で何をするか? 〕
↓
〔 自分らしく高齢時代をいきいき生き抜く 〕
↓
《老いを美しく生きる》
「老いを美しく生きる」ねぇ…。う~ん、課題ですねぇ。そうありたいと願いながら毎日を過ごしていきたいと思いますなぁ~。
※ 女子の準々決勝戦 札幌大谷 対 旭川大高の試合の一コマです。
昨日の投稿でも触れているが、最近は講演・講座の受講ばかりが続いていた。それはそれで自分なりに納得はしているのだが、なんとなく自分らしくないな、とも思っていた。
そこで本日もある講座を受講予定だったのだが、急遽予定を変更して「春高バレー」の北海道大会を覗いてみることにした。
正式大会名は「第66回全日本バレーボール高等学校選手権大会 北海道代表決定戦」という長~い名前らしい。11月19日~22日までの4日間日程で「北海きたえーる」を会場に行われていた。私は大会三日目、男女の三回戦と準々決勝戦を観戦した。
リード文のことについてなのだが、私は高校生の全道大会なのだから会場の内外に高校生が溢れていて、若さが充満しているのではと予想しながら会場に向かった。ところが地下鉄駅直結の「きたえーる」館内に入ったところ予想に反して、閑散といってもいいほどに高校生の姿が見えなかった。このことについては後述するが、田舎者の私の勘違いがその原因だったようだ。
そしてその足で試合会場のアリーナに足を踏み入れてみると、選手たちの掛け声や、応援の生徒や家族の声援する声が響いていて、高校生の大会らしい雰囲気に一変した。
高校生のバレーボールの観戦は初めてではないはずだが、改めて観戦の難しさを感じた。それは、アリーナ内では4コート全てで同時進行的に試合が行われているのだ。私のように特定のチームを応援するわけでない者にとっては目移りがしてしまい、集中して観戦ができないのが困った。
※ ご覧のように広いアリーナでは4試合が同時並行で行われていた。
そんな中で私が何に注目していたかと云えば、素人が良く考えることで「誰かスーパースターの卵はいないものか?」といった興味だった。
私はアリーナの比較的高い位置から俯瞰するように全4コートに目を配りながら観戦をしていたのだが、結論から先に言うと残念ながらスター候補は私の眼には映らなかった。バッシバッシとボールを相手コートに叩き込み一人で試合を決定づけるという漫画の主人公のような選手の存在をどこかに期待していたのだが、それは所詮素人の浅はかな期待というものか…。
※ 動きの速いスポーツシーンを撮るのはなかなか難しいことです。何度もトライして撮った2枚です。
その中で、私が微かに可能性を感じたのが敗れはしてしまったが、旭川実業高の2番の選手だった。彼は上背もある上に身体もがっしりしたタイプで、ウォーミングアップでの打球の速さ・強さは同僚の中で群れを抜いていた。事実三回戦の対釧路工業戦ではエース格として存在感を発揮していた。しかし、準々決勝の対札幌藻岩戦ではいとも簡単に止められていた。スター候補とは云えない所以である。しかし、魅力十分である。捲土重来を期し練習に励んでもらいたいものだ。
※ 女子の優勝候補の一角札幌大谷の父母・生徒の応援団です。
違う意味で注目したのが男子の恵庭北高である。恵庭北が戦っているところを見ると、他のチームに見られるユニフォームの色が違った〔リベロ〕の選手が見当たらないのだ。そしてベンチをよく見てみると、なんと控えの選手も一人もいなく6人だけで戦っていたのだ。この人数で地区大会を勝ち抜き、本大会の一回戦も突破したのは立派というほかない。6人の体格もけっして恵まれていると言い難い中で、準決勝に進出した札幌藻岩に対して堂々と戦っていたのが印象的だった。頑張れ!恵庭北!
※ 恵庭北の6人の選手です。女子マネージャーが懸命に選手に涼を贈っています。
さて、大会の方はトーナメント表の四隅を占めるシード校が順調に勝上がってきたようだ。唯一その四隅の中から敗退したのは女子の部の広陵高校(幕別町)だけである。
大会規定では北海道から男女それぞれ2校ずつが代表として選ばれるということで、明日の準決勝戦が最も見応えがあるようだ。その戦いは、
男子が〔とわの森〕対〔尚志学園〕、〔札幌藻岩〕対〔東海大四〕、
女子が〔札幌大谷〕対〔帯広南商〕、〔札幌山の手〕対〔旭川実業〕
となっている。男女とも傑出したチームは見当たらなかった。接戦になるような気がするが、果たして全国切符を掴むのはどこの高校だろうか?
明日もぜひ観戦したいと思ったが、予定が入っていて断念しなければならないのが残念である。
※ こうした激励幕が会場のいたるところに飾られていました。
さて、勘違いの件である。
「春高バレー」はテレビでも中継され(地方大会は決勝戦のみ)、スポーツファンには注目度の高い大会である。一般紙である道新のスポーツ欄の扱いは小さいが、今日蕎麦屋で見たスポーツ新聞では大きく扱われていた。
田舎にいてメディアからの情報だけを頼りにしていたときには、その報道からきっと会場の内外は高校生が溢れかえり、賑やかな雰囲気に包まれているんだろうな、と想像していた。ところが実際に会場に足を運んでみると、想像は覆された。
考えてみると、高校の部活動の一つの大会である。選手の家族は夢中になるかもしれないが、その他の人や高校の同級生たちにとっては数あるスポーツや文化的な大会の一つに過ぎないということかもしれない。
私は高校野球にたくさんの一般市民が駆けつける姿を見ていて、他のスポーツでも「同じに違いない」と思い込んでいた節があったようだ。高校野球はやはり特別な存在ということだろうか…。