11月29日(水)午前、道立近代美術館において「北海道生涯学習協会賛助会員のつどい」が開催された。
北海道生涯学習協会の賛助会員とは、公益財団法人である北海道学習協会が団体・個人からの会費や寄付金によって、より多くの充実した事業を行うための会員制度である。いわば北海道生涯学習協会の応援団といったところか。そうした会員のために年に一度のつどいがこの日に開催されたということだ。
今年度は、そのつどいを道立近代美術館で開催中の「高倉健 追悼特別展」に合わせて開催された。
つどいは、近代美術館の学芸員より特別展の説明をいただいた後、特別展を自由観覧するかたちだった。そして最後には全体で楽しい交流会も実施された。
学芸員から説明は追悼特別展の開催が東京ステーションギャラリー、北九州市立美術館、道立釧路芸術館、道立帯広美術館、に次いで5館目の開催であるということ、この後には函館での開催が予定されているという説明のほか、高倉健が1955年にデビュー以来205本の映画に出演し、そのうち北海道がロケ舞台になった作品は34本に上ったことなどについての説明があった。
※ 追悼展はもちろん写真はNGである。追悼展のエントランスは写真可能(?)だった。
そして追悼特別展の観覧へと移った。
展示会場に入ると、いきなり映像が流れていた。もちろん、映画ポスターや、使用した脚本、そして高倉健の年譜などが掲示されていたが、何といっても大小のプロジェクターで映像が氾濫(?)しているといった状況がこれまでの展覧会と趣を異にするところだった。
その映像が高倉健の出演した年譜に沿った形で流されていたのだが、初期から中期にかけては東映映画の任侠もの、ヤクザものがほとんど(全て?)といっていいような感じだった。
※ 展示会場の出口に唯一記念写真撮影のための場が用意されていました。
詳しく調べたわけではないが、おそらく全作品の3/4くらいはそうした作品だったのではないだろうか?何せ映画全盛期ということもあったのだろうが、10年以上にわたって年間10本前後の映画に出演し、そのほとんどがそうした作品だったのだから…。
そうした作品によって高倉健はスターの座に駆け上った。しかし、一方ではそうした映画に出演し続けることに対して、高倉自身の中に疑問が湧きだしたと何かの本で読んだ記憶があるが、今回の追悼展を見ていて、それは当然の思いだったのではと思われた。
※ 高倉健の代表作の一つ「幸せの黄色いハンカチ」のDVDパッケージです。
そして高倉は1976年、さまざまな葛藤、軋轢を経ながら独立を果たし、それ以降は高倉自身が納得する作品を選びながら出演するようになっていったようだ。
高倉健が真の意味で国民的俳優の座を勝ち得たのは、独立を果たした後の映画出演によってではないか、と私は考える。
私も彼の出演した映画を見だしたのは、独立以降の作品ばかりである。「君よ憤怒の河を渉れ」、「八甲田山」、「幸せの黄色いハンカチ」、「遥かなる山の呼び声」、「動乱」、「駅 STATION」、「居酒屋兆治」、「鉄道員(ぽっぽや)」、「ホタル」、「あなたへ」等々である。
※ 美術館売店のところに、これまでの追悼展会場の記念スタンプが置かれていました。
私にしては珍しく1時間半も展示室内にとどまった。東映時代の映画にはあまり関心ないが、独立以降の作品は懐かしさも手伝い、映像の前に留まって映像に魅入ってしまった。
高倉健のファンはもちろんのこと、ファンではない方でも一見の価値があるのではと思う。「高倉健 特別追悼展」は来年1月21日まで道立近代美術館で開催されている。