goo blog サービス終了のお知らせ 

田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌市交通資料館を覗いてみました!

2025-07-30 17:00:56 | 札幌(圏)探訪
 大正7年に札幌の街に始めて登場した木製電車が、昔懐かしいボンネット型バスが、地下鉄開通のために走った試験車両が…、いずれも今は見ることができない歴史的な公共交通機関の車両が資料館内外にずらーっと展示されていた。

 昨年リニューアルオープンしたという「札幌市交通資料館」ですが、なかなか訪れる機会がありませんでしたが、一昨日の「自衛隊真駒内駐屯地」見学の際に併せて見学することができました。

 「札幌市交通資料館」は、地下鉄「自衛隊前」駅横の高架下を利用して建っています。
 私は旧資料館は過去に一度だけ見学したことがありましたが、昨年リニューアルオープンしてからは訪れたことがありませんでした。
 一昨日、「自衛隊真駒内駐屯地」見学を前に、早めに現地に着き、駐屯地見学前に訪れてみたというわけです。

    
    ※ 札幌市交通資料館の前面です。 左側に歴代のバスが展示されていました。

 「札幌市交通資料館」は地下鉄南北線の高架に寄り添うようにして白い真新しい姿で建っていました。その前には、札幌市交通局が市営バスを運行したいた頃(市営バスは2007年に廃止されています)のバスが4台展示されていました。

    
    ※ 歴代のバスは高架下を利用して4台が展示されていました。

 そして「札幌市交通資料館」本館です。
 本館に入館したところ、いきなり目に飛び込んできたのは「木製22号」と称する市電です。

    
   ※ 館内に入りいきなり目に飛び込んできたのが「木製22号」の電車でした。

 この電車は1917(大正7)年、札幌市内を初めて走った電車だそうです。
 市電マニアで、まち歩き研究家として活動している和田哲氏が、その「木製22号」のことについて詳しく説明してくれたことを思い出しました。
 和田氏によると「札幌では1917年に開道50周年北海道博覧会」の開催を期して、それまでの馬車鉄道から電気鉄道(市電)に切り替えることになり、車両をイギリスから輸入する予定にしていたのですが、第一次世界大戦のため輸入できなくなり、代わって名古屋電気鉄道から車両24両を譲り受けて計画どおり運行することができたのですが、その車両の一つが『木製24号』です」と説明を受けたことを思い出しました。
 その際、運転席前面にガラスは無かったのですが、雪国札幌のために前面をガラス張りに改造したというお話も聞きました。

 資料館内は、その他札幌市の市営交通に関する歴史や、市電や地下鉄に関する展示、子どもが興味を抱く模擬体験などができるコーナーなどがありました。

    
    ※ 館内全体を見渡したところです。やや狭い印象でした。

    
 ※ 館内の展示説明図です。

 しかし、私は時間がなかったこともあり、館外に展示されている歴史的な車両を見て回ることにしました。
 それら歴史的な車両は、高架下を利用して展示されており、上手に高架下を活用していました。
 展示されていた車両は30~40代くらいはあったと思いますが、その中から代表的なものを写真の収めましたので、それらを写真と共に紹介します。

    
    ※ 札幌市地下鉄南北線の営業車第一号の車両だそうです。
    
    ※ 札幌市地下鉄の第4次の試験車ということです。
    
 ※ 時代は分かりませんが、除雪車です。札幌市独特の竹のブラシを使用した「ササラ電車」
ですね。

 見学を終えての率直な印象は、本館は意外に小規模だなぁ、という思いでした。いろいろと制約もあっての結果だとは思いますが…。
 ただ、館外の高架下を利用した歴代の様々な札幌市の交通車両の展示はなかなか充実している印象でした。マニアにとってきっと垂涎の車両も含まれているのでしょう。
 館内を素通りしてしまった私としては、機会があれば再訪して、じっくりと見学してみたいとも思っています。


今どきの小学校を見聞する

2025-07-17 21:13:40 | 札幌(圏)探訪
 学校からプールが無くなりつつあるって? 生成AIを授業に生かしているって? 運動会から紅白選手リレーが無くなった理由ってそんな理由だったの? 久しぶりに今どきの小学校を訪問して昔日の感を深くした…。

 本日は、私が所属する退職組織の年に一度の「会員研修会」でした。
 所属する退職組織は、①学校訪問、②近隣の公共施設訪問、そして③懇親会と、いわゆる3点セットで実施しています。
 今年の研修会は①札幌市立三角山小学校、②本郷新記念札幌彫刻美術館、③近隣の中華料理専門店というコースで実施されました。
 本日は気温が最高33.6度まで上昇したこともあり、交通機関を利用しても三角山小学校に辿り着くまでが一苦労でした。さらには、学校にはまだ冷房設備が稼働していなかったこともあり、けっこう大変な訪問となりました。

 学校訪問の内容は、まず校長先生から学校の概要の説明をいただき、幹部職員による学校の教育の取り組みについての説明をいただいた後、実際に校内を巡って子どもたちのが学習しているところを見学させていただくといった内容でした。

     
    ※ 三角山小学校の学校長から学校の概要の説明をいただきました。 

 札幌市立三角山小学校は、札幌市中央区の山の手、宮の森に位置する学校です。
 児童数は242名、普通学級10学級、特別学級3学級と、札幌市としては小規模となる学校です。それだけに大規模校にはない、小規模校の特色を活かしてきめ細かな教育を目指しているとのことでした。

    
    ※ 三角山小学校の校舎です。壁には「三角山家族」の表示がありました。

 その具体的な例の一つが、地域・家庭・学校が子どもを真ん中にして、共に育てていこうとするためのスローガンとして「三角山家族」と謳い、標榜していることだとの説明があり、校舎の壁にもその文言が表示されていました。
 また、札幌市では今年度より本格的に動き出したというコミュニティ・スクール(学校運営協議会)を積極的に導入し、父母や地域の力を学校教育に生かしていこうとしているとのことでした。
 さらには、近隣の宮の森中学校、大倉山小学校、盤渓小学校とパートナー校区を組み、学校間の連携を図る取り組みもスタートしたとのことでした。

    
    ※ 小高い丘に立つ三角山小学校の屋上からは札幌の市街が見下ろせました。

 私も在職当時は、世の中の進展に伴い、その中で成長していく子どもたちに生ずる課題に対応することが求められました。現在の学校もそうしたことへの対応力が常に求められていることを痛感させらた学校訪問でした。

 ところでリード文で呈した疑問について説明を受けたので、その内容を記しますと…、
 学校にプールが無くなるということは、個々の学校でプールを維持管理することのコストが大変な時代となって、老朽化したプールは再建することなく、プール授業が外部のプールを利用する時代になってきたということでした。(民間プールの利用も含めて)

 次に生成AIを活かす授業については、生成AIを利用すると、利用の仕方によって子どもの疑問に簡単に 答えが出てしまうが、それでは考える力が育たないので、質問の仕方を工夫させて利用しているとのことでした。子どもたちの学習している様子を拝見した際、図工の時間でしたが、それぞれがタブレットを手にして、図案の検討の資料とすべく検索をしている姿に今の教育の一端を見た思いでした。

    
    ※ タブレットを活用した授業の様子を拝見することができました。

 選手リレーが無くなった理由の一つとして、選手に選ばれた家庭の保護者が「なぜ、自分の子が他の子より早く登校して練習しなければならないのか」といった苦情を寄せられたことがその一因であったとのことでした。私の現職時代には考えられないような苦情にも対応しなければならない現在の学校現場のご苦労を垣間見たような思いもしました。

    
    ※ ドジャースの大谷選手から全国の小学校の贈呈されたグラブを見せていただきました。なお、日ハム時代に大谷選手は三角山小学校を訪問したことがあるそうです。

 僅か1~2時間の滞在で、現在の教育の現状を分かったなどというつもりはありません。ただ、少し垣間見ただけでも、その時々の課題に向き合いながら教育を進めている教育現場の皆さんに温かいエールを贈りたいなぁ、と思いました。



都市型水族館AOAOを覗いてみました!

2023-08-30 19:34:42 | 札幌(圏)探訪
 いかにも街中にできた水族館である。通常の海辺にある水族館とは一味も、二味も違うコンセプトで造られた水族館はある意味でとても興味深かった。と同時に、いつまで市民の関心を惹き付けられるのか?永続性は?そうした疑問も頭をよぎった。
  
※ 入館の際に配布されたパンフレットです。AOAOのデザイン化された文字が印象的です。
 昨日(8月29日)午後、スケジュールが空いていたことから「いつかは行ってみたい」と思っていた狸小路に新装オープンした複合ビルのmoyuk SAPPORO内の4~6階に設置された水族館「AOAO」に行ってみた。オープンから1ヵ月余、夏休みも終わり開業時の混雑が一段落したのでは?との思いもあり覗いてみることにした。狙いは的外れではなかった。展示物(水生生物)を見て回るのにストレスを感ずることなく見て回ることができた。
 AOAOの構成は次のようになっていた。
 4階は、エントランスを入ると、いきなり「人工海水製造機」が据え付けられていた。海から遠い札幌では海洋性の生物を飼育するには必須の製造機である。
  
  ※ 入館料を払って入場するとすぐに海水製造機が目に入ります。
 続いて、AOAOのコンセプトに一つである「北海道の脇役を主役に!」ということで、道内の川に棲息する、二ホンザリガニ、キタサンショウウオ、エゾトミヨが展示されていた。展示されていた二ホンザリガニは私が良く知っているウチダザリガニよりはるかに小型で、在来の二ホンザリガニが絶滅危惧種になっていると聞くが、「ちょっと敵わないなぁ」という感じだった。4階にはその他にミュージアムショップが入っていた。
 エスカレーターで5階に上がると、まずは 緑色が眩いばかりのアクアリウムが確か5ヵ所くらい各所に展示されていた。いわゆる熱帯魚が棲む川中をイメージしているようだった。ここのレイアウトの見事さはAOAOの売りの一つではないだろうか?
  
  ※ 暗い空間に緑が鮮やかなネイチャーアクアリウムです。(下の写真も)
   
 続いての部屋は、都市型水族館の真骨頂とばかりに小型の水槽がコーナーごとにズラーッと並んで、小型の海洋生物が展示されていた。これもまたAOAOのコンセプトである「海の脇役を主役に!」という展示に思えた。
 ここでの呼び物は、頭を下にして群れになって泳ぐ「ヘコアユ」、そして砂の中から頭を出して体をくねらせている「チンアナゴ」が見ものである。
  
  ※ 頭を下にして泳ぐヘコアユです。
  
  ※ 砂の中からニョロニョロと揺れるチンアナゴです。
 ここの展示で私は大きなドジを踏んでしまった。というのは、各水槽の脇には生物の名称が記されているのだが、「モサモサ」とか「ニョロ」という名の生物がたくさん展示されていた。私は「面白い名前の海洋生物がいるものだなぁ」と思いながら、その生態を面白がって見て歩いた。「モサモサ」は確かにその形状がモサモサとした感じだったが、そんな「モサモサ」が10種類以上展示されていた。そして今度は「ニョロ」だった。こちらもたくさんの「ニョロ」が展示されていた。その中にはヘビの仲間も混じっていた。さすがにここまで来て「あれっ?」と思った。全てが「モサモサ」や「ニョロ」という名の生物なのだろうかと…。そしてよく表示を見てみると、「モサモサ」や「ニョロ」という表示の下に正式名が記されているではないか!「モサモサ」や「ニョロ」というのは水族館側がその形状から名付けた愛称のようなものだったのだ。う~ん。いっぱい喰わされた思いである。(表示が小さいために見づらかったこともあるのだが…)
  
  ※ もさもさの仲間です。
  
  ※ こちらももさもさの仲間です。
  
  ※ この表示では「もさもさ」と間違いますよねぇ。正式名が上に小さく表示されています。
 そして最後は6階のフロアのAOAOとしては最もPRしてきた「イワトビペンギン」の展示場である。イワトビペンギンは多種いるペンギンの中でも小型のペンギンだそうだが、20羽近くが展示されていただろうか。そのほとんどは六角形のブロックに立ったまま少しも動いてくれなかった。あるいは夏休み・お盆の大混雑の来館者に驚き、疲れたせいだろうか?とさえ思ってしまった。
  
  ※ いっこうに動いてくれないペンギンさんたちでした。
 同じ6階には、透明に近い白色のミズクラゲが優雅に水中を漂う姿があった。大小16個もあるという水槽はなかなか見事だった。
  
  ※ ゆったりと水中を漂うクラゲには癒されますねぇ。
  
 以上がおおよそのAOAOの全体像であるが、同じ都市型水族館である新札幌にある「サンピアザ水族館」と比べても、いわゆる魚類の展示が圧倒的に少ない感じである。    
 さて、AOAOへの再訪はあるか?と問われると、私の場合は、正直に言って「それはないだろう」と思う。はたしてこれまで訪れた札幌市民はこの問いにどう答えるだろうか?私が再訪するとしたら、展示内容が大幅にリニューアルした時だろう。
 AOAO側としてはこの課題に対する対策は当然考えられているだろう。例えば、館内にはカフェが出店しているが、時間によって照明を変化させるなどして若い人たちが憩う場としての演出も考えられているようだ。
 札幌市民の入館が一巡した後、はたして水族館として永続的に存続する道を見つけることができるのか、素人なりにちょっと心配な点である。オープンしたばかりなのに、そんな話は時期尚早とお叱りを受けそうだが、最悪の事態を想定して予め布石を打っておくことは企業存続のためには必須なことと思われる。AOAOが札幌の特徴ある一つの顔として永く存続することを切に願いたい。
 なお、NHK北海道では9月2日(土)朝9時から総合テレビで、AOAOのことを特集した「北海道道」を再放送するそうである。興味のある方は視聴されることをお勧めします。
 

北海道立埋蔵文化財センターを訪れた!

2022-02-11 16:40:30 | 札幌(圏)探訪

 ちょっとした理由から江別市にある「北海道立埋蔵文化財センター」を訪れてみて、自分の食わず嫌いを思い知らされた。なかなか興味深い展示がされていて認識を新たにした。

    

※ 北海道立埋蔵文化財センターの大きな建物ですが、展示室はこの建物の影の部分にありました。  

 埋蔵文化財などというのは私から最も縁遠い世界と思っていた。在札15年にもなるのに、隣に立つ「北海道博物館」には何度も足を運んでいるのに、昨日野幌森林公園の雪上ハイクの後、公園の近くにあるセンターに初めて訪れてみた。

   

※ センターのエントランスにセンター名が掲示されていました。

 センターの建物はかなり大きなものだったが、その主たる部分は埋蔵文化財の研究施設が占めているようで、その一角に展示施設が併設されているという感じだった。展示施設では常設展示とともに企画展「森と人」が行われていた。さらにはエントランスホールでは昨年世界遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の紹介展示も催されていた。実は私が今回訪れた理由は、今年の夏にできれば世界遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の現地を巡ってみたいと思っている。そのためには北海道の遺跡発掘に関するセンター的機能を有している(?)北海道立埋蔵文化財センター」を訪れないわけにはいかないだろう、というのが訪れた主たる理由だった。

        

※ 遠軽町・白滝から産した黒曜石の30倍の大きさの模型が展示されていました。

 展示室はそれほど広くはなかったが、常設展示では「木の道具」、「土の道具」、「石の道具」、「装いとこころ」、「動物とひと」などテーマごとにコンパクトにまとめられて展示されていた。展示の中でも目立ったのがやはり「土器」だった。縄文時代の前期(草創期)、後期、擦文時代、と分けられていて、時代を経るごとに土器の制作の技術の進歩を見て取ることができ、興味深かった。

   

※ 縄文時代前期の土器です。

   

※ 縄文時代後期には注ぎ口が付いたような複雑な土器も作られていたようです。

   

※ 擦文時代の遺跡から発掘された土器です。大型化が目立ちます。

 「企画展」の方は「森と人」というテーマだったが、木の種類によって特質の違う性質を巧みに活用していることが分かる展示だった。例えば、舟を作る木としてはハリギリが適していることを縄文人はすでに知っていたようだ。また、現在バットの素材として有名なアオダモの木もすでに当時に打撃の道具として利用していたようだ。

   

※ 遺跡から発掘された木製の舟の一部です。

 今回は私自身が「縄文遺跡群を訪ねるために」という漠然とした目的で訪れたために、成果も漠然としたものにしかならなかった。次回はもっと訪れる縄文遺跡群のことを学んでから、より目的を明確にして訪れたいと思う。

《北京冬季五輪寸評》

 今日のハイライトは何と言ってもスノボーの男子ハーフパイプの平野歩夢選手の念願の初優勝だろう。門外漢の私にとってはクルクルと空中を舞う歩夢選手はまるで異次元の人のように思えた。前回、前々回と銀メダルに終わっていた歩夢選手にとってはようやく王者ホワイトを抑えての金メダルは本望だっただろう。他の日本人選手は残念な結果となったが、歩夢選手の弟の海祝選手が一本目に見せた6mを超える高さのジャンプを見せてくれたことは将来に可能性を感じさせてくれた大ジャンプだった。

 その他では、昨日夜のスピードスケート女子5000mに日本から押切、佐藤の両選手が出場した。二人ともよく健闘して自己新を出すことはできたが、レベルの違いはいかんともし難く押切選手の8位入賞が精いっぱいだった。

 次に期待される女子カーリングのロコ・ソラーレがいよいよ登場した。昨日の第1戦はスウェーデンに惜敗したが、今後の健闘に期待したい。


当別名所めぐり 亜麻畑 & スウェーデンヒルズ

2021-07-20 21:15:40 | 札幌(圏)探訪

 亜麻の花が午前中に開花するとは知らなかったぁ。スウェーデンヒルズの建物はやや画一化しすぎてはいないだろうか?そうしたことを思いながら、伊達邦直たちが開拓した広々とした当別を巡り歩いた。 

 7月16日(金)、映画「大地の侍」ゆかりの地を巡り歩いた私たちは、当別の名所でもあるタイトルの二つの地を訪れることにした。

 まず「亜麻畑」の場所を教えていただくため当別町観光協会(役場観光課)を訪ねた。すると場所は教えていただいたものの、「亜麻の花は午前中に咲くんですよね」と言われてしまった。う~ん。これは勉強不足だった。それでも一応教えていただいた当別町郊外の亜麻畑に向かった。

 亜麻畑の傍には幟が立てられていて、場所は容易に見つけられた。ところが!亜麻畑のところに行ってみてもあの薄紫の爽やかな花がまったく見当たらないではないか!観光協会の方のアドバイス通りだった。それでもあきらめきれずに傍に寄ってみると、閉じ忘れたかのように2~3輪の花を見ることができた。

   

   ※ こうして幟を立てていることを見ると、当別町として亜麻畑をPRしているんですね。

   

   ※ 全く花が見えない亜麻畑の畝です。

   

   ※ 亜麻に近寄ってみたところです。手前にチラッと青いものが…。

   

   ※ わずかに閉じ忘れた(?)亜麻の花が二つ三つ咲いているのを見つけました。 

 観光協会の方の話では、亜麻の花の開花時期そのものが終りに近いということでもあった。できれば来年出直してみたい。

 続いてスウェーデンヒルズに向かった。実は私は退職前に道央への移住候補地の一つとしてスウェーデンヒルズスを一度訪ねたことがあった。だから10数年ぶりの再訪ということになる。スウェーデンヒルズは当別町市街地からおよそ6~7km離れた丘陵地にスウェーデンの北欧型建築の家が立ち並ぶ住宅地である。Wikipediaによると2017年現在782人が居住しているとのことだ。

   

   ※ スウェーデンヒルズの中核的存在(?)の交流センターの建物です。

   

   ※ 交流センター内にはスウェーデンの家庭の様子がレイアウトされていました。

   

※ 交流センターの隣のガラス工房で制作されたスウェーデングラスが展示されていました。

 スウェーデンヒルズに建つ北欧型住宅は全てが北欧風のかわらで葺かれた屋根を持ち、外壁はえんじ色に白い柱がアクセントになった外観で統一されている。いかにも北欧風といった趣であるが、過去に3カ月ほどスウェーデンで暮らした経験のある私からすると、「確かにそうした住宅もたくさんあったが、そればかりではけっしてない」ということである。以前耳にしたことであるが、スウェーデンヒルズの造成を進める建築会社(?)が意図的に統一を図っていると聞いたことがある。ヒルズは以前に私が訪れた時よりははるかに住宅が増えていたが、静かな落ち着いた佇まいの雰囲気だった。

 

   ※ スウェーデンヒルズ内の住宅を数枚撮りました。

   

   

     

 住まわれている人たちはリタイア組が多いのだろうか?だとしたら、買い物などに自家用車の運転は必須である。冬季の除雪も大変だろう。とすると、60歳でリタイアして居住を始めたとしても15年程度が限度ではないだろうか?いらぬお節介かもしれないが、その辺りの実状はどうなっているのだろうか?ちょっと気になった…。

   

   ※ スウェーデン・レクサンド市との姉妹提携記念として造成されたレクサンド公園です。

   

   ※ 公園内にはレクサンド市のシンボルマーク(?)と木馬が置かれていました。

   

   ※ レクサンド公園から当別方面を望んだところです。

 それにしても当別の地は広々とした広大な大地が広がっている。まさに農業適地だと思う。伊達邦直たちはよく良い土地を探し当てたものだ。その慧眼と幸運が今の当別の礎となっていることを改めて思い知らされた当別訪問だった。

                              


映画「大地の侍」ゆかりの地を訪ねる

2021-07-16 16:23:00 | 札幌(圏)探訪

 「大地の侍」を観て感動を受けた私は、さっそくゆかりの地である当別の街を訪れてみた。原作者である作家・本庄睦夫の「生誕の地碑」、そして領主伊達邦直が建てた「伊達邸別館」、「当別伊達記念館」と訪ねてきた。

 本庄睦夫生誕の地碑

 「大地の侍」の原作となった「石狩川」を著した本庄睦夫は当別町の出身である。その生誕の地は当別町の中心からは遠く離れたビトエという農村地区にあるとあった。ビトエという漠然とした地区名だけではたどり着けない。ところが幸いなことに、そのビトエという農村地帯に菓子会社「ロイズ」がふと美工場を建設していて、工場直売店を経営していた。疎この直売店で訪ねると、なんと工場敷地の一角に立っていると教えられた。

 なるほど工場敷地の南東角に石碑は建っていた。直売店の方は「正確な生誕の地ではないが…」と言いながら教えてくれたが、広大な地で生まれ育ったことには違いなかった。なお、本庄は伊達家の岩出山藩の出ではなく、佐賀藩士の末裔であるということだ。

   

   ※ 当別町の広大な畑の真ん中に建つロイズふと美工場の外観です。 

    

   ※ 工場直売店の店内には本庄睦夫に関してのいわれなどの説明板がありました。  

   

   ※ 工場敷地の一角に建つ「本庄睦夫生誕の地碑」です。 

       

       ※ 石碑の裏側です。

 当別町伊達記念館

 「当別町伊達記念館」と「伊達邸別館」は隣り合っていたが、こちらは番地まで明示されていた(当別町元町105番地)のでナビに導かれ容易に見つけることができた。ところが!「伊達邸別館」の入口には頑丈なカギがかけられていた。一方「当別町伊達記念館」の方の入口には「当別町民以外は入場をお断りします」という掲示がかけられていた。ガーン!このように表示されていては仕方がない。一緒に行った妻と「帰ろうか」と話をしていたところ、記念館から学芸員のような方が姿を見せ、「どうぞ、どなたもいらっしゃらないので館内を見ていってください」と案内していただいた。思わぬ僥倖に私たちは喜んで館内を見学させていただいた。

   

   ※ 記念館の建物としてはやや寂しい外観の「当別町伊達記念館」です。

 館内の展示は主として伊達邦直公、並びに奥方の遺物の展示だった。当時の困難な交通事情の中で、人力によって運ばれたと思われる数々は国主としての矜持を保つためにも欠かせぬものだったと思われた。

   

   ※ 伊達公の奥方様の化粧道具一式です。明治初期でも高貴な方はしっかり化粧していたとみえます。

   

   ※ 展示品の一つ、陣羽織や裃などです。

   

   ※ こちらは戦に備えての軍備品でしようか?

 館内の一角には岩出山藩の開拓の様子がたくさんの版画によって描かれていたが、それは映画の内容と重なるところが多かった。

   

   ※ 東北からの移動の大変さ、開拓の困難さを伝える版画です。

 

伊達邸別館 

学芸員の方は私たちを「伊達邸別館」へも案内してくれた。この「伊達邸別邸」は名士が来村した際の宿泊、懇談や村政執行のため諸会議に使用するため1880(明治13)年に建設されたそうだが、岩出山藩が当別に開拓の鍬を入れたのが1871(明治4)年であるから、開拓も一段落して安定期に入ったころに建設されたことがうかがわれる。別館は意外に小規模で、二階建てであるが一・二階にそれぞれ二部屋しかない小規模な建物であったが、造りはしっかりしたものであった。

   

   ※ 「伊達邸別館」の前には、その由来を伝える説明書きがありました。

   

   ※ 意外に小ぶりな「伊達邸別館」の外観です。

   

   ※ 応接室兼会議室です。

   

   ※ こちらは書斎兼控室だったようです。   

   

   ※ 二階の日本間で客人の寝室ですが、写真では伊達公と奥方、それに開拓の状況を報告する家臣が人形で表現されています。

当別神社 開拓記念樹

 別邸の直ぐ近くには、領主邦直が御祭神として祀られている「当別神社」がある。そこへもまた件の学芸員氏が案内してくれた。学芸員氏は、神社横に立つ「開拓記念樹」について説明してくれた。ここに立つイチイの木は、当初入植した聚富(しっぷ)が開拓に適さない地だったことから当別の地を調査した踏査隊が露営したという樹齢350年という大木で、開拓当時に村人が心の拠り所とした木だったことから「開拓記念樹」とされたようだ。しかし、数年前に上部が朽ち果て倒れてしまったという。今も根元だけは残っていたが、根元だけでも十分にその大木ぶりを見て取れた。

    

    

    ※ 残念ながら上部が欠けてしまった「開拓記念樹」です。   

 そしてその奥に建つ「当別神社」は広大な敷地の中にあり、岩出山藩士たちの末裔が支える神々しさに満ちた神社だった。

    

    ※ 第一鳥居から見た「当別神社」の本殿です。

                                       


岩見沢市の公園巡り③ 玉泉館跡地公園

2021-07-06 16:24:57 | 札幌(圏)探訪

※ 一昨日(4日)好天に誘われて岩見沢市まで遠征した。そして①いわみざわ公園、②あやめ公園、③玉泉館跡地公園と三つの公園を巡ってきた。一つずつレポしてきたが最後の「玉泉跡地公園」をレポする。

 ちょっと変わった名称の公園である(その理由は後述する)が、小さいながらも静かな日本風庭園が広がっていた。公園の中心に位置する「心字池」にはたくさんの睡蓮の花が咲き誇っていた。

 「玉泉館跡地公園」は、岩見沢市のスポーツ施設が集中する広大な「東山公園」の近くにひっそりと佇んでいた。

 その公園名に特徴があるので調べてみると「その昔、真冬でも凍結しない池があり、鹿や鳩などが群れをなして生息し傷などを癒していたという。そこは岩見沢唯一の鉱泉が湧き出るところだった。そこに1903(明治36)年、「山鳩の湯亭」として料亭旅館が開業し、翌年「玉泉館」と改称したという。その由来は、メタンガスと共に湯が玉のように湧出することから名付けられたという。以来、温泉旅館として市民に愛されたのだが、1970年代になって旅館が閉鎖されたことにより辺りは荒廃したのだが、市民の要望により整備を進め、2001(平成13)年に「玉泉館跡地公園」として公開されるに至った」そうだ。

   

   ※ 公園東口には公園の全体図、注意事項などが掲示されていました。

 私たちは駐車場がある東口から公園に入った。入って直ぐに池が目に入った。公園の中心には「心字池」が配されていた。池の中には二つの島が配され、「八ツ橋」、「太鼓橋」で結ばれていた。その中の大きな島の方には「玉泉庵」という茶室があった。

   

   ※ 東口から入って直ぐに見たところです。林の向こうに「心字池」が広がっています。

   

   ※ 「心字池」とそこに咲くスイレンの花、そして向こうに茶室が見えます。

   

   ※ 「玉泉庵」と称する茶室です。市民が茶会をすることも可能のようです。

   

   ※ 池に架かっていた太鼓橋です。

   

   ※ 写りは良くありませんが、遠目に見たスイレンの群落です。

   

   

 また池を見ると、白色や紅色のスイレンが大きく花びらを開いていた。遠くには無数のスイレンの花が咲き誇っていた。

   

   ※ 公園の一角には東屋もありました。園内はとてもきれいに整備されています。

 園内をざーっと一周して帰ろうとしたところ、園内の除草作業をしている方に出会った。園内はきれいに整備されていると見えたのに、さらに除草作業に汗を流していたのだ。見ていると、散策路に僅かに伸びた雑草を除去していたのだ。私は思わずその方に声をかけた。「日曜日なのにご苦労さまです。岩見沢はどの公園もきれいに整備されていますね」と…。するとその方は「日曜日でも皆さんみえますからね。休みは交代制で取っています」と話され、さらに「岩見沢は公園整備に力を入れていますよ」と誇らしげに語ってくれた。 

   

   ※ 公園の一角には「冷泉井戸跡」が残されていました。                           

 各自治体の財政難が囁かれる今、こうした公園整備の予算を確保することは大変なのではと想像されるが、市民の心身の健康維持のためにもこうした公園や街角など公共的空間の美化にもぜひ努めてほしいと願うものである。

 岩見沢市の三か所の公園巡りを終え、芝生が広がる西洋風の公園も良いが、「玉泉館跡地公園」のような和風公園も捨てがたいなぁ、と心から思った日本人の田舎オヤジでした。


岩見沢市の公園巡り② あやめ公園

2021-07-05 16:30:30 | 札幌(圏)探訪

※ 昨日(4日)好天に誘われて岩見沢市まで遠征した。そして①いわみざわ公園、②あやめ公園、③玉泉館跡地公園と三つの公園を巡ってきた。一つずつレポすることにしたい。

 あやめ公園にはアヤメ、カキツバタ、ハナショウブなど約1万2千株が栽培されているという。満開の時までにはまだ少し日を要するようだったが、それでも一部の花々が艶やかに咲き誇っていた。

   

 私は今回岩見沢市を訪れるまで「あやめ公園」の存在は知らなかった。私たちは「いわみざわ公園」を楽しんだ後、「玉泉館跡地公園」を目指して車を走らせていた。すると、道路脇の標識に「あやめ公園」という表示が目に入った。とっさに「これはぜひ見ておかねば!」と判断し、標識に従ってハンドルを切った。

 「あやめ公園」はメインの道路を外れ、住宅街の奥まったところに位置していた。公園は「南利根川」沿いの低地に広がっていた。公園内は散策路が整備され、園内を巡りながらアヤメなどを愛でられるように設計されていた。駐車場に車を停めると遠目からも紫色や黄色のあやめが目に入ってきた。

   

 栽培されている株数が約1万2千株というから、それはなかなか壮観である。ところが花を付けていたのは残念ながらその一部だった。多くの株はまだ蕾の状態だった。最盛期は一週間後くらいだろうか?

   

   

   

 ところで私はあやめなどを “栽培” していると表現した。子細に観察するとあやめたちは自生しているのではなく、明らかに 人の手によって大切に栽培されているように見受けた。園内全体は花たちはもちろんのこと、周りの芝生もとても良く手入れされていることがうかがえた。天気が良かったせいもあり、若い女性たちが芝生にシートを敷き、弁当を頬張りながら談笑している姿が微笑ましかった。

   

 公園には一部に観賞池もあり、そこに架かった紅色の太鼓橋が情緒を醸し出していた。また園内には人工的なせせらぎも造成されていた。ただ、私たちが訪れた時は水が流れていなかった。もっと暑い時期になると水が流されるのだろうか?

   

 園内には集会場(「あやめふれあい館」)、小規模のパークゴルフ場、木製コンビネーション遊具なども整備され、単なる観賞用の公園だけではなく、地域住民の憩いの場としても機能しているようだった。

 しかし、満開の時の「あやめ公園」は見事だろうなぁ…、と思われてくれる規模のあやめ群だった。              


岩見沢市の公園巡り① いわみざわ公園

2021-07-04 19:45:38 | 札幌(圏)探訪

※ 好天に誘われて岩見沢市まで遠征した。そして①いわみざわ公園、②あやめ公園、③玉泉館跡地公園と三つの公園を巡ってきた。一つずつレポすることにしたい。

 気持ち良いほど広大な公園が広がっていた。その一角に北海道内でも有数のバラ園は満開の時を迎えていたが、会場には多くの市民が色とりどりのバラの花を愛でていた。

   

   ※ バラ園の一角、整形式ローズガーデンです。

 「いわみざわ公園」は岩見沢市郊外の広大な土地に広がっていた。その面積は162.6haだという。私が調べたかぎりでは、札幌市内でこれ以上の面積を有しているところは国営の「滝野すずらん丘陵公園」(395.7ha)だけだった。札幌市の公園としては「モエレ沼公園」(104.3ha)が最も近い面積だったが、「いわみざわ公園」には及ばなかった。

   

   ※ いわみざわ公園の全体図です。

 その広大な「いわみざわ公園」には、私が調べてみたところ次のような施設が点在していた。①バラ園、②室内公園「色彩館」、③レストラン「ハマナスの丘」、④パークゴルフ場「ローズパーク」、⑤キャンプ場/オートキャンプ場、⑥トリムコース、⑦ふれあい広場、⑧見晴台(展望台)、⑨野外音楽堂「キタオン」、⑩岩見沢郷土科学館、そして最大の特徴である遊園地⑪「北海道グリーンランド遊園地」が入っている。また、公園の一角は冬になるとスキー場としても活用されているようである。

 今日の私たちは、その中から「バラ園」「ふれあい広場」のドッグラン、そして「見晴台(展望台)」を訪れた。

 「バラ園」は公園の東端部分に広がっていた。その広さは約4haもあるそうで、その中におよそ630種のバラが栽培されているとのことだが、確かに今まで見たことのない品種にも数多く出会った。その様は好事家にとっては垂涎の的なのだろうが、私は「猫に小判」状態でぼーっと見つめるだけだった。そんな私でも一見の価値を感じた「バラ園」だった。

   ※ バラ園で開花していたバラのほんの一部です。

   

   

   

   

   

   

 

 ※ 下のバラは妻が見つけた「プリンセスミチコ」というバラです。1966年にイギリスで作出されたとありますから、美智子皇太后さまのご成婚を祝っての命名と考えられます。

   

   ※ 以下の3枚は「これもバラ?」と思われるような変種のバラではと思われます。

   

   

   

   ※ バラ園のところどころに張られた天幕ですが、いかにもイギリス風の趣です。

   

 傑作(?)だったのは「室内公園『色彩館』」だった。熱帯性の植物を展示しているようだったが、せっかくなので覗いてみようと思った。そこは有料施設だったのでチケット売場で購入しようとしたとき、「どこから来たのか?」と問われて、「札幌から」と答えたところ、「札幌の方は入場をお断りしています」とのことで入場を拒否された。コロナ禍の中、全道的に「まん延防止等重点措置」が発せられている中、特に感染者数の多い札幌市からの流入を警戒しているようだったが、これも仕方あるまい。

   ※ 札幌市民ゆえに入場を断られた「室内公園『色菜館』」の前景です。

   

   ※ 室内公園「色彩館」の前におかれていた柑橘類です。北国の人間にとってはとても珍しく感じられたものですから思わずパチリと…。

   

   

 続いて東側エリアの「ふれあい広場」、「トリムコース」、「キャンプ場」などを見たいと思ったが、駐車場の傍にあったドッグランのコース以外は長距離の徒歩を強いられるようだったので、まだ脚に自信のない私は諦めた。

    ※ ドッグランでは犬たちが伸び伸びと駆け回っていました。

     

 続いて、「見晴台(展望台)」は展望台の直ぐ近くまで車でアクセスできそうだったので、行ってみることにした。見晴台への道は、細い道を折れ曲がりながら急角度で高度を上げていったところに駐車場があった。私の想像では、駐車場から見晴台までの道は道路が造れないほどの急斜面の山道を登らねばならないのではと考えていた。ところが駐車場からの道は上るどころか若干下り道の上、幅広い立派な木道が取り付けられていた。そしてその先には、これも予想外に立派な展望台が聳えていた。(高さが20mくらい?)

   ※ 駐車場からは写真のような立派な木道が延びていました。

   

   ※ そしてその先には写真のようなとても立派な展望塔が聳えていました。

   

   ※ 以下の3枚の写真は展望台から望んだ風景です。

   

   

   

 展望台からは岩見沢市内や岩見沢の田畑が非常に良く見渡せた。ただ快晴の場合には札幌市街地まで見通せるとのことだったが、空には若干霞がかかっていたためにそこまでは見通すことは出来なかった。

 私たちが訪れたところは「いわみざわ公園」のほんの一部である。ゆっくり見て、しっかり遊ぼうと思えば、一日では足りないくらい魅力の詰まった公園のように思えた。

 なお、公園内にある野外音楽堂「キタオン」には、これまで私は2度ほど訪れて野外コンサートを楽しんだ体験がある。                               

                                 


きのとやファーム店に行ってきました

2021-06-20 17:49:46 | 札幌(圏)探訪

 「ファーム店」…、その名のとおりケーキ店「きのとや」のコンセプトを最も具現化した店舗であるファーム店に行ってきた。家に籠りがちでストレスをためていた妻も私も久しぶりの外出で多少はストレスを解消することができた!?

   

   

   

 「きのとや」は、日高山麓の平取町に直営農場を経営しているという。そこで 平飼いしている鶏から生まれた有精卵を自社製品に活用しているという。ファーム店ではその卵をケーキに活用し販売するだけではなく、卵そのものも直売している。また、農場で飼育している乳牛から摂れる牛乳やヨーグルトも販売するなど、いわば旗艦店的要素を有した店舗のようである。

 その「きのとやファーム店」は、札幌都心からはかなり離れた(車でおよそ30分?)清田区に2019年11月なオープンした。

 私は以前にオープン後まもなく訪れたことがあったが、妻はまだ訪れたことがなかったので、出不精の妻を誘っての再訪となった。訪れたのは正午すぎだったが、店の人気は高いようで、お客さんが会計を済ませるために列をなしていた。私はできれば店に併設されているカフェで、カフェ名物の「卵かけご飯」を食したいと思っていたが、カフェは このご時世とあって閉鎖されていたのは残念だった。

 残るは買い物である。妻のねらいは「平飼いたまご」だった。聞いたところ15個セットのものを購入したそうだ。価格は税込みで615円だったという。これが高いのか?安いのか? おそらく店の方が「平飼い」、「有精卵」と強調しているのだからスーパーなどで売られているものよりは高価なのではと思われる。

   

   

   

   

その他には「飲むヨーグルト」(500ml)、ケーキの「オムレット(フローマージュベリーオムレット)「パフェ(ダブルプリンパフェ)をそれぞれ買い求めて退店した。

   

   ※ 直営牧場で精製された「飲むヨーグルト」です。

   

   ※ 左がプリン、右がオムレットです。

 札幌(北海道)はスイーツ王国と称されているようだ。あまり出歩かないデパ地下などに行くと、ケーキ店が軒を連ねている。おそらく牛乳、卵、小麦、豆類、甜菜糖など、さらにはフルーツなど優良な素材が手に入りやすいことがその要因の一つと考えられる。スイーツ王国と称されることは、別の角度から見ればスィーツ戦争の様相もあるのではないだろうか?そうした中で勝ち残っていくためには、「きのとや」のような戦略が必要となってくるということだろう。

 スイーツにそれほど関心があるわけではないが、お互いの切磋琢磨によって札幌(北海道)がスイーツ王国としてこれからも君臨していってほしいと思うばかりである。

   

   ※ お店の庭に印象的な木の花が満開だった。「ヤマボウシ」という種だった。