田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も12年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

落葉

2007-10-31 20:21:41 | 環境 & 自然
 「落葉」と書くと、なんとなく暗く、ネガティブな印象を抱く場合が多い。
 しかし、私は今秋、落葉がこれほど美しく、色鮮やかであることをこの歳になって初めて知ることができた。

 写真は、私の話の中に度々登場するミニ大通の歩道上に降り積もった落葉の様子である。
 褐色、黄色、赤色、そして緑の葉まで・・・、さらにはそれらの葉の一枚一枚が濃淡に彩られ・・・。
 それはまるでグラデーションに彩られたカーペットが歩道上に敷き詰められたような光景である。

 目を上げれば、まだ落葉せずに色とりどりの葉をつけている木々が目に飛び込んでくる。
 まさに天も地もが、自然が創りあげた極上の作品だとさえ思えてくる。

 私は今まで自然豊かな地方に長い間住んでいながら、どうしてこうした光景を目にしていなかったのだろうと振り返ってみた。
 一つには、自然豊かな地方に住んでいたとはいえ、木々が生い茂る近くへ行く機会が私自身少なかったことがあげられる。
 あるいは目にしていたとしても、私自身に景色に見入る余裕がなかったこともあるかもしれない。
 また、地方の自然林は落葉樹より常緑樹の割合が多いことも一つの要素のような気がする。

 それに対して、都市の公園(ミニ大通も公園の一つ)は意図的に落葉樹(広葉樹)を配しているように思えるのだ。
 そして、ビル群と自然の対比が一層の効果を伴って私の目に飛び込んでくるのだろう。

  秋の紅葉がこれほどまでに人を感動させてくれるものだったとは、今さらながらに気づかせてくれる今年の紅葉でした。

 春から夏、そして秋と・・・、私の通勤をいつも楽しませてくれたミニ大通とも間もなくお別れとなってしまうことがなんとも残念である。
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化学変化が始まった?

2007-10-30 22:45:41 | 札幌生活
 私の中で化学変化が始まったようだ・・・。

 私は札幌へ出てくる前「私の中での化学変化を楽しみたい」と思い続けていたし、公言もしていました。
 その化学変化とは、私が札幌と出会い、札幌と触れ合う中で、これまで自分が培ってきたものと内的な融合をしていく過程において、私の中に何かが生まれてくるのでは・・・、と自分自身に期待しているところがあったのです。

 その変化がいよいよ始まったような気がしてきました。
 キーワードは以前にもちょっと触れたことのある「環境・自然」ということです。
 特別意識したわけではなかったのだが、今月末から11月にかけての私の行動予定を整理してみたら、いつの間にか「環境・自然」のオンパレードになっていることに気づきました。

 昨夕(29日)、私は北海道新聞が主唱する「野生生物基金」を支援し、十数年にわたって活動を続けているフォークシンガーの高石ともやさんのワイルドラン2007コンサートに行ってきました。

 本日30日は、環境活動家として世界的に著名なセヴァン=スズキさんの「あなたが世界を変える日」の講演を聴講し、先ほど帰宅したところです。

 11月10日には、「地球温暖化防止をめざす環境学習セミナー」で家電やAO機器のリサイクル工場を見学します。

 11月14日には、今やシンガーとしてより環境問題に深い関心を寄せていることで知られる白井貴子さん、上田札幌市長などが講演、パネルディスカッションをする「地球を守るシンポジウム」に参加することにしています。

 さらにさらに、11月15日から5週にわたって開講される夜間講座「地球環境の過去・現在・未来」への参加を検討しています。

 また、前回見逃してしまい悔しい思いをした映画「不都合な真実」が11月下旬から札幌市内で再上映されることが決まり、期待でワクワクしているところです。

 11月25日の立松和平氏の講演会も「魂の置き場所・・・知床を語る」という演題ですから、自然をテーマにとする講演会となるでしょう。

 こうしてみてくると今月末から11月にかけての私は「環境・自然」一色に塗りつぶされそうな状況です。
 なぜこのように環境や自然に関心を抱くことになったのか、私には判然としないところがあるのです。
 ただ一つ、札幌へ来てからサタデーテーリングという主に小学生が取り組んでいるものに、物好きにもおじさんも参加してみたのです。その目的ポイントの一つに「北海道環境サポートセンター」というところがあり、そこを訪れました。
 あまりビジターがいなかったこともあり、そこの職員が熱心にレクチャーしてくれました。そのことがずーっと心のどこかに引っかかっていたことは間違いありません。
 そして、それが私の中で熟成され、私を突き動かしたのではと思っています。

  こうした私の行動がさらなる変化を促すのか、それとも単に物見高いだけで腰の引けたものになるのか、それは私自身にも分からないことです。
  私は私の心の動きに我が身を委ねようと思っています。けっして無理はすることなく・・・。
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船木和喜の哀しみ

2007-10-28 22:51:02 | スポーツ & スポーツ観戦
 その男の顔には哀しみが漂っていた。
 その男の背中は心なしか小さく見えた。

 10月28日、第1回伊藤杯サマーファイナル大倉山ジャンプ大会を観戦した。
 ライブでスポーツ観戦をするとき、テレビでは味わえない観戦の仕方を心がけるようにしている。
 今回、私は飛び終えた選手がスキーを外し、控え室に向かう通路のところ、いわゆるミックスゾーンのところで観戦した。
 そこは飛び終えた選手がゴーグルやヘルメットを外し、一瞬の素顔を見せてくれる場所である。

 多くの選手はあの目も眩むような高いところから飛び降りるという恐怖との闘いを終え、ホッとした表情を見せてくれる。
 中には、ミックスゾーンで家族や関係者の顔を見つけ談笑する姿も見える。
 そんな中、私は一人の選手に注目した。

 一時「世界で最も美しいフォーム」で飛ぶ選手、日本ジャンプ界の至宝と呼ばれ、オリンピックの金メダルはもちろんのこと、ワールドカップでも何度となく勝ち続けていたのに、この3~4年、その輝きをすっかり失ってしまった船木和喜選手に注目した。

 有力選手よりはるかに早いゼッケンナンバー58番、船木選手はスタートした。
 場内アナウンスが、他の選手にはかけない「カモン!船木!」という声援をかけた。
 誰もが彼の復活を願っていることを場内アナウンサーも知ってのことだろう。
 しかし、その声援も船木選手は追い風にすることなく、わずか80mのラインに落ちた。

 飛躍を終えた選手は、誰もが直ぐにミックスゾーンに来てスキーを外すのに、船木選手はなかなかミックスゾーンにやってこなかった。
 それは自分のぶざまなジャンプを早く忘れてほしいとでもいうかのように、彼はブレーキゾーンにとどまった。
 そして、後から飛んだ選手と重なるように、目立たぬように、彼はミックスゾーンを通過した。
 その顔には哀しみが漂っているように私には感じられた。
 見送った彼の背中は心なしか小さく見えた。

 ミックスゾーンの外れにいたTVクルーが彼にインタビューしようと近寄った。
 しかし、彼は弱々しく手を振り、インタビューを断り控え室に向かった。
 船木選手が輝き続けた過去を知っているだけに、その後姿が一層哀しく見えた。

 大会は船木選手より3才も年長の35才になった葛西紀明選手が140mの大ジャンプで見事優勝した。
 船木選手もまだまだ老け込む年齢でないはずだ。
  再び輝きを放つ船木和喜選手が帰ってくることを熱望したい。
  カモン!船木!

※写真は寂しそうにミックスゾーンを通過する船木選手です。
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具体的比較論(札幌VS地方) ゴミとカラスと

2007-10-26 21:19:25 | 札幌学 & ほっかいどう学
 札幌と地方の比較論をこれまで展開してきました。
 比べるべきテーマはまだまだあると思いますが、ひとまず今回のテーマをもって一段落したいと思います。
 これからもテーマが浮かぶ度に不連続でレポートしていきたいと思っています。

 さて、私は札幌に転居して半年が経過したわけですが、転居したことには概ね満足し、札幌での生活を堪能できているとこの半年間を総括しています。
 満足している札幌の生活の中で眉をひそめねばならない点もいくつかあります。
 その一つがゴミの問題です。

 秋になって気温が下がったためあまり気にならなくなりましたが、夏の間とても気になることがありました。
 それは出勤時にマンションの側を通るとき、ゴミ置き場から漂う生ゴミの匂いです。
 生ゴミの匂いはどこの街でも収集日には匂うものですが、大規模の集合住宅であるマンションから排出されるゴミの量は、住んでる人の数に比例しますから相当量のゴミとなります。その上、マンションそのものが狭い地域に林立していて、それぞれから匂いが漂うのですから、かなり気になる匂いなのです。

 生ゴミと関係があるのでしょうか、札幌はカラスの数が多いような気がします。そして札幌のカラスは人馴れしているというか、地方のカラスと比べると一段とふてぶてしいように思われます。まあ、それだけ生存競争が激しいのかもしれません。
 私の住居の近く、そして通勤路は木々が多く繁っているせいかもしれませんが、たくさんのカラスが巣を作っているようなのです。
 夏の子ガラスの巣立ちの頃には、私たちを威嚇するように泣き喚くカラスに閉口しました。
 一度などはカラス様のご機嫌を損ねたのでしょうか?突然カラスの襲撃を受け戦慄を覚えたほどでした。

 ゴミとカラス・・・。う~ん、大都市が抱える頭の痛い問題の一つです。

  このように札幌では大都市ならではの問題も抱えていて、そのことが徐々に私の目にもあばたはあばたとして見え始めてきました。

 ひとまず、これにてこのテーマの幕を閉じることにします。
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具体的比較論(札幌VS地方) 文化の享受度

2007-10-25 19:08:39 | 札幌学 & ほっかいどう学
 文化を享受できる度合いについては、もう議論の余地もなく札幌が圧倒的に優位であると言えるでしょう。
 北海道の人口の約1/3が札幌に集中しています。他府県においては、これほど一極集中現象を見せているところはないそうです。

 それだけ一極集中しているということは、そのことに付随する文化活動やスポーツ活動、その他の活動など全てが札幌に集中してくることになります。
 実際に札幌に住んでみて感ずることは、札幌では非常に多彩な催しや活動が展開されていることを感じます。
 野次馬精神旺盛な私などは目移りしてしまって困ることも度々です。

 地方に住んでいたときはどうだったかというと、自分の置かれている立場が違いますから一概に比較することはできませんが、「行ってみようかな。参加してみようかな」と食指が動くことが少なかったように思います。

 最近感ずることは、地方出身の私の場合「文化」というものをマスメディアを通して吸収し、養ってきたんだなぁ、ということを感じざるをえません。
 それに対して、札幌に長く住まわれている方は、たくさんのチャンネルがあって、そこを通して得た情報から自分の感性にマッチしたものを選択しているんだろう、と思われるのです。
 私が聴いたこともない、私とは異次元にあるような催しやステージが数々行なわれているのを見聞きするとき、そのことをしみじみ感じます。

 情報化時代に突入した今、地方においてもたくさんのチャンネルを有するようになり、地方においても自らの感性にマッチした選択が進んでいくんだろうと思います。
 そして広域での移動がそれほど困難ではない現代においては文化の享受度の格差も小さくなってきているのかも知れません。
 そうした意味では、本稿の冒頭の言葉は修正の要がありそうです。

 都会に住んでいても、地方に住んでいても、
  文化を享受するには個々人が積極的にそれに接しようとする意欲こそが問われている
のではないかと思います。
 そうした意味で私はこれからも意欲的でいようと思っています。
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具体的比較論(札幌VS地方) 車のある生活

2007-10-23 19:39:47 | 札幌学 & ほっかいどう学
 車を手放すときが近いことを感じています。
 この具体的比較論の最初の投稿で「札幌では徒歩と公共交通機関を使えば(さらに自転車を併用すれば)、車は特別必要でなくなってきた」と記しました。

 就職したとき叔母の車を譲り受けて以来三十数年間、私は車があることを当然とする生活を送ってきました。
 地方の生活においては「車」を所有することは必須の条件の一つといえます。今やサラリーマン家庭においても一家に2台はごく普通の姿です。(私のところでも妻が仕事をしていたときは、2台所有していました)

 それが札幌においては少々事情が違っています。
 知人のA氏は退職と同時に札幌に転居し、車を手放したということです。公共交通機関で十分だとA氏は言います。
 またB氏はまだ若い方であるが、この方も必要なときにはレンタカーを借りることにして、車を売却したと聞きました。

  札幌の市街地においては車を所有することのメリット(利便性)より、デメリット(負担)の方がより大きいということなのだと思います。

 車を所有することでの負担を考えると、車の購入費用はもちろんのこと、毎年かかる経費として自動車税、任意保健。隔年毎にかかる経費に自動車重量税、自賠責保険があり、札幌ではさらに駐車場代がかかります。ランニングコストとしてのガソリン代、そのた諸々の経費がかかってきます。

 私が車を手放すときが刻一刻と近づいていることを感じています。
 問題は、私が「車があって当然」という三十数年の慣習からいつ抜け出す決心をするかということだけのようです。

 友人にこの話をすると「愛車というだろう。損得だけで考えるんじゃなくて、車を愛さなくちゃ」などと訳の分からぬことを言っています。
 私が車への愛が冷めるのは何時のことなのだろうか???

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風の神(レラカムイ)

2007-10-21 22:56:18 | スポーツ & スポーツ観戦
 風の神(レラカムイ)が北海道の地に舞い降りた!

 具体的比較論のシリーズを中断して、プロバスケットボールの話題を…。

 北海道にコンサドーレ、ファイターズに続いて、プロスポーツチームとして三番目となるレラカムイが誕生した。
 そのレラカムイの北海道初戦となる対日立サンロッカーズ戦が昨日、今日と札幌の月寒ドームで開催され、観戦した。
 連日観戦したのは、チームが北海道初戦ということで二日続きのチケットが格安で事前に販売されたからだ。

 二日間とも満員の観衆の後押しを受け、連勝するという最高のスタートを切った。
 特に二戦目の試合はバスケットボールの醍醐味を十分味わわせてくれるスリリングな試合内容だった。
 試合終盤、残り一分を切って両チーム同点。ここからの攻防が手に汗握る接戦だった。
 両チームはワンプレー毎にタイムアウトを取り合い、その度に勝利の女神はあっちへ行ったり、こっちへ来たりと目まぐるしく動き回るのだ。
 最後は残り1.9秒、北海道出身の菅原選手のフリースローで決まるという、まるで絵に描いたようなシュチュエーションでレラカムイが勝利した。
 会場は大興奮に包まれ、レラカムイはこれ以上はないという素晴らしいスタートを切ることができた。
 私は心からレラカムイの勝利を喜びながら帰宅の途についた。

 プロスポーツ不毛の地だった北海道に三つものプロスポーツチームが存在することになり、北海道のスポーツシーンは全く様変わりした。
 プロスポーツチームの存在は、アマチュアの選手たちを刺激しレベルの向上を促すことになるだろう。さらには、今までスポーツには無縁だった多くの人たちの目をスポーツに向けさすことにも繋がると思う。

  自分たちの地元のプロチームの戦績に一喜一憂し、毎日の生活の中にスポーツの話題がある。こうした状況こそがスポーツ文化が北海道に根付いたということになるのだろう。

 我が愛するコンサドーレも、ファイターズも、そして新生レラカムイも、それぞれがファン開拓に励み、共存共栄を願うばかりだ。


※写真は試合後の両チーム選手の交歓風景である。試合中の撮影は禁止なのだ。
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具体的比較論(札幌VS地方) 自然環境

2007-10-20 20:05:26 | 札幌学 & ほっかいどう学
 「自然」という言葉を思い浮かべただけで、これはもう都会よりは地方(田舎)ということになるかも知れません。
 事実、リタイアされた方の中で都会を後にし、地方(田舎)に居を構える方が増えていると聞きます。
 こうした方たちは、コンクリートジャングルの中の生活に疲れ、自然豊かな田舎を求めたのでしょう。

 さて、札幌における自然環境について考えてみます。
 『札幌人』という雑誌(2007年夏号)の中で、ルネッサンス サッポロホテル支配人である酒井俊樹氏が札幌のことを次のように語っています。
 「文化的な施設が充実していますので、大都市としての生活を満喫することができます。加えて身近なところに雄大な自然が広がっている。(中略)札幌は都心で楽しんだ後、1・2時間も移動すれば大自然の中に身を置くことができます。これは他の大都市では味わえない魅力です」

 酒井氏の言葉は、人間が自然を求める根源的なことに言及しているように思えます。つまり、人間は便利で快適な生活を味わった後には、自然の癒しを求めるのだと・・・。
 そして札幌は、その両方を手に入れることができる街であると述べています。

 私は田舎に住んでいたときには、自分の周りに自然が広がっていることを当然のことと捉えていましたし、それをあまりありがたく思ってもいませんでした。
 それが今、こうして都会に身を置くと、自然の大切さにも気づかされます。
 そうした意味において、札幌の街の魅力を改めて感じるのです。

 明日(28日)私はその札幌の街の魅力を堪能することになりそうです。
 午前中は円山の自然観察会に参加し、午後はプロバスケットボールのレラカムイの戦いを観戦するために月寒ドームに出かけることにしています。

  人は適度な利便性と豊かな自然を求める貪欲な生き物なのだと思います。
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具体的比較論(札幌VS地方) 利便性

2007-10-19 19:41:00 | 札幌学 & ほっかいどう学
 都会と地方の生活で一番違うことは?と問われれば、多くの人が「利便性」の違いを挙げるでしょう。
 本当にそうだろうか、という観点から論を進めてみることにします。

 例えば一冊の新刊を購入したいと考えたときを想定してみましょう。
 私が住んでいた地方都市では、すぐに車を駆って広い駐車場が整備された書店に駆けつけることができました。
 現在住んでいる札幌では、徒歩か地下鉄で数十分かけて大書店が集中している札幌駅付近に出かけなければなりません。

 例えば住居に関する生活用品を求めたいと思ったとき、北海道内では誰もが大手のホームセンターを思い浮かべます。その店は地方都市にも札幌にももちろん出店しています。
 地方都市では、そこへ行くにも車を駆って簡単に行くことができました。
 しかし札幌では、私の住居から例え車を駆ったとしても交通量の多い道路を十数分走ってようやくたどり着くことができます。

 この他の物に関しても、生活必需品を求めるというのであれば、私は車を自在に使える地方都市の方がむしろ便利なのではと思います。

 大都市(札幌)の利便性は、そうしたことを指すのではなく、より深く、より広いモノを求めたときの利便性を指すのではないかと、転居して感じ始めています。
 つまり本を選定するのであれば、より専門的、より広範囲の中から自ら望む一冊を手にすることができるのはやはり札幌においてです。
 女性であれば、洋服を選ぶにあたって、より多くの品から、より多様なファッションの中から選択が可能なのが大都会だということが言えるでしょう。

 このことは単にモノの購入だけではなく、あらゆることに共通して言えることのように思います。

  利便性というのは単一の物差しで測るのではなく、利便性の質によって大都市、地方それぞれに存在する。

と考えられるのかな、と思っています。
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具体的比較論(札幌VS地方) マンション生活

2007-10-18 22:47:48 | 札幌学 & ほっかいどう学
 都会生活を象徴するものの一つがマンション住まいである。
 都会だって一戸建てに住む人はもちろんいるが、私のような一般人が都心近くに住むにはマンションしか選択肢はない。
 最近は地方都市にもマンションが建ち始めたが、まだまだ一戸建てが主流である。

 さて、そのマンションに生まれて初めて住み始めて六ヶ月が経過した。
 一戸建て(と言っても私の場合は、いわゆる公務員住宅であったが・・・)との大きな違いは、やはり多くの人が一つ屋根の下に住むという集合住宅であることによるさまざまな違いがある。

 一つは、エレベーターなどでマンション内の住民と接する機会が多い。しかし、関係は希薄である。顔を合わせたときにはお互いに会釈をするが、それすらしない人もいる。

 二つめに、防音設備が施されているとはいえ、夜間寝静まった後などでは隣家の物音が気になることが時々ある。これは集合住宅の宿命かもしれない。

 三つめに、やはり庭がないということだ。一戸建てであれば猫の額ほどではあっても、どの家にも庭があったが、マンションではそういうわけにはいかない。等々・・・。

 ここまでマンション生活のデメリット面を挙げてきたが、対してメリット面を考えてみる。

 メリットの一つは、マンションの売りでもあるセキュリティ面の確かさだろう。
 鍵を持っていなかったり、暗証番号が分からなければマンションに立ち入ることさえできない。その上で、各住居に入室するにはもちろん鍵が必要である。
 私の所は昼間だけであるが、中には24時間管理人がマンション入り口を監視しているところもあると聞く。

 二つめは、プライバシーが守られる点である。
 私がどこに勤め、何人家族であるかは、管理人以外には知られていないはずである。
 一方、私も他の人のことは全くといっていいほど知らない。このことが良いのかどうかは議論のあるところである。
 私は互いのプライバシーを保証しつつも、緩やかなマンションコミュニティーを形成すべきではないか、というのが持論なのだが・・・。

 三つめに、快適な生活環境を提供してくれたり、住居に関するメンテナンスがしっかりしている点である。
 特に札幌の場合、冬期間の除雪の負担が無くなる点は大きい。
 その他の自然災害に関しても安全性が高いのがマンションである。一時、大地震に弱いマンションが喧伝されたが、多くのマンションはしっかり安全性が確保されている。
 また北国の場合、冬に温かいのもマンションの優位な点ではないだろうか。一戸建てとは燃料費がずいぶん違うと聞いた。

 もっともっと比較検討すべき点はあるだろうが、素人としてはこのくらいで止めたい。
 ただ、どちらが良いのかという点については、それぞれの考え方があり、どちらということはもちろん言える問題ではない。

  それぞれが住まいのメリットを謳歌し、デメリットを是正したり、受け容れたりすることによって、楽しく豊かな生活を創造していくことが肝心
なのではないかと思います。
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