十勝岳連峰の山中から何度か投稿を試みたのですが、残念ながら全て圏外でした。
さて、肝心の登山のことですが、なんとか予定のコースを踏破することが出来ました。しかしどうもこのイベントはついていないようで、今年も山霧の中の登山でした。眺望は全く効かず、ひたすら登山道を征くという感じでした。それでも上富良野岳、上ホロカメットク山、十勝岳の三つ山の山頂に立てたことは大きな喜びです。
明日から登山の様子を少し詳しくレポート出来たら、と思っています。
スタジオジプリ作品の美しい画面構成はいつものとおりだった。一部に戦争賛美の作品などと言われているが、私にはまったくそうしたことは感じられなかった。飛行機づくりに全てを捧げた一人の男の生きざまをファンタジックに、そしてどこかに空しさも内包しながら描いた作品と私には映った。
久しぶりの映画観賞だった。
今日の午後、宮崎駿監督作品の新作「風立ちぬ」をユナイテッドシネマ札幌で観た。
宮崎駿監督が5年ぶりに制作する長編映画とあって、早くから注目を浴びていたが、ユナイテッドシネマでも力を入れていて、館内2ステージで併映する力の入れようである。
集客もまあまあだろうか?私が見た№4スクリーンは定員321人となっているが、およそ1/3くらいの入りだったろうか。平日の午後としてはまあまあ入りであろう。
映画は良く知られている(?)ように、零式艦上戦闘機(略称:ゼロ戦)をはじめ、第二次世界大戦で使用された数々の戦闘機を設計したことで知られる実在した堀越二郎氏をモデルにした映画である。
幼いころから飛行機づくりの夢を追いかけた二郎は、時代から要請される中、戦闘機製作の設計に携わることになる。自分の夢のため、会社からの要請に応えるため、二郎は一心不乱に優秀な戦闘機づくりに邁進する。
そんな中、不治の病を持つ菜穂子に出会う。(この部分は宮崎駿のオリジナルということだ)菜穂子との短い逢瀬の時間も惜しんで自らの使命に心血を注ぐ二郎に、自らの命を悟った菜穂子は二郎に別れを告げぬまま二郎のもとを去っていく。
映画のラストシーンは二郎が心血を注いだ“ゼロ戦”が無残にも残骸の山となって画面いっぱいに広がるシーンである。このシーンに宮崎監督は二郎の心の内を映したかったのではと思われた。
全てのスタジオジプリの作品を観るほど熱狂的なファンではないが、スタジオジプリの絵はいつ見ても素晴らしく、ファンタジーに溢れ、画面を見ているだけでも価値がある。
韓国のネット上でこの作品が「戦争賛美である」との批判がされているそうであるが、どこにそうしたメッセージが隠されているというのだろうか?まったく理解できない。宮崎監督はむしろ反戦を鮮明に表明している方だと聞く。だからといって、この映画にはそうしたメッセージも描かれてはいない。
一人の男の夢を追い続けた姿を宮崎流に、ファンタジックに、描いた佳作と私は受けとめた。
毎月開催されている「北のシネマ塾」だが、今回は暑い夏に相応しく怪談物の8ミリフィルムが上映された。その後、お二人のゲストによる札幌市内の映画館全盛時代が語られた。
7月20日(土)午後、北の映像ミュージアムが主催する「北のシネマ塾」の7月例会が開催された。今回取り上げられた作品は暑い夏に相応しく(?)怪談物で「怪談 佐賀屋敷」(昭和28年制作)の8ミリフィルムで、30分のダイジェスト版が上映された。
フィルムの保存状態があまり良くなく、セリフも聴き取りにくかったが、ストーリーは鍋島藩の殿の理不尽な怒りをかって殺められた家臣の母親が猫に化けて恨みを晴らすというストーリーだけはなんとか理解できた。
荒唐無稽とはいえ、当時は怪談物の映画が次々と制作されているところを見ると、人々からの支持もそれなりにあったということだろう。
※ 対談するお二人です。左が浦田氏、右が和田氏です。
映画上映後、街並み画家の浦田久さんと北のミュージアム事務局長の和田由美さんのお二人が「映画館グラフィティー」と題して映画館華やかし頃の思い出をいろいろと語ってくれた。
趣旨は気軽な対談ということだったようで、話があちこちと飛んでしまいメモする方は大変だったが、お二人が語ったことを断片的にレポートすることにする。
浦田さんは昭和3(1928)年に札幌に生まれて、以後札幌市内でずーっと生活されている方のようだ。物心ついたころ映画は無声映画とトーキの映画が半々の状況だったという。
その無声映画には弁士が付きものだが、最盛期には札幌にも約20人の弁士が活躍していたらしいが、当時の弁士は金回りも大変良かったとも語った。
映画は、サイレント → パートトーキ → オールトーキ と時代とともに変遷していったということだが、それとともに弁士の姿も消えていったという。
怪談映画についての話だが、怪談映画が上映されるときは、きまってステージ上に笹が飾られ、餅がまかれたという。それを拾うことが子ども心に楽しいひと時だったと浦田さんは語る。
浦田さんは子どもの頃から、そして成長して勤め人(公務員?)となってからも、こよなく映画を愛したらしい。時には札幌で見られない映画のために、勤めを休んで東京まで映画を見に行ったこともあるというすこぶる付きの映画好きである。
だから映画に関する記憶は驚くほど鮮明であり、数多く存在した札幌の映画館名についてもすらすらと口をついて出てきた。(その映画館名があまりにも多くメモすることができなかった)
浦田さんが話された中で印象的だったことは、現代の映画は1本の映画が無意味に長くなってしまい、テンポが良くないと指摘したことだ。往年の映画は短く、テンポが良かったという。だから2本立て、3本立ての映画が普通であったと…。
浦田さんの指摘について私はその是非を論ずることはできないが、一聴に値することなのかな、と思った二人のトークだった。