田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

冬の石狩川河岸を遡る 2 前編

2014-01-31 21:47:26 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

石狩河口橋 ⇒ 札幌大橋 トレッキング月日 ’14/01/30

  身体がうずく? いや身体ではない、身体はもう十分に老化している。心がうずくのだ。心がうずいた私は懲りもせず、また石狩川河口に立っていた…。

          
          ※ 今回、私が歩いたのは石狩河口橋から札幌大橋の間の右岸沿いを歩きました。

 しばしばコメントをいただく出ちゃっ太氏からは「ニュースで事故に遭った私の名前を見るのはイヤ」とやんわり注意されたり、妻からは「いい歳をしたおじいちゃんが…」とあきれられたりしながらも、1月30日(木)朝、私は再び石狩川河口に立っていた。

 前回、計画どおりに歩けなかった。そして何よりスノーシューをもっと楽しみたい。そんな思いが再び私を駆りたてた。
 30日朝、前回と同じように中央バス札幌ターミナル発6時45分発の厚田行のバスに乗り込んだ。途中、ちょっとしたアクシデントがあり、石狩の街でバスを降車する事態に遭ってしまった。石狩からバスを乗り換え、前回スノーシューを脱いだ場所に最も近い「矢臼場」というバス停に降り立った。(8時45分)

          
          ※ 私が降り立った〔矢臼場〕というバス停です。

 そこから徒歩で前回スノーシューを脱いだ〔石狩河口橋〕の右岸の袂に向かった。天候は雪交じりの強風。
 全長1,412mの石狩河口橋は長い! 橋の途中で眼のところだけ出し、あとは全身を覆った同年代(?)の婦人と出会った。「よし!元気よく、こちらから挨拶しよう!」と思って近づいたら、彼女の方から大きな声で「お早うございます!」と先を越されてしまった。彼女は何のために歩いていたのだろう?健康のためか、まさか石狩川左岸を歩こうというわけではあるまい。

          
          ※ 長い、長い、そして長~い〔石狩河口橋〕です。

 35分をかけて石狩河口橋の右岸の袂に着いた。「さてスノーシューを付けよう」と思ったのだが、よく見ると堤防上が除雪されている。これはラッキー、と思い9時15分、スノーシューを付けずにウォークを開始した。
 しかし、200mも行かぬうちに除雪された堤防は終わっていた。よく観察してみると、そこは石狩川の河原に設置された雪捨て場に至る道路だったのだ。

          
          ※ 石狩河口橋の右岸の袂です。写真左側の道(堤防)が除雪されていたのですが…。

 いよいよスノーシューウォークの開始である。
 雪交じりの天候は回復したが、強風は相変わらずである。私はメモに「天気晴朗なれど風強し」と記した。
 前回の徹を踏まないためにと、初めは堤防上を歩いた。雪は適度に締り、踏み込んでも足首程度しか埋まらない。快適なスノーシューウォークが始まった。

          
          ※ 除雪区間が終了し、いよいよスノーシューの出番です。

 しかし歩き続けているうちに、堤防上を歩くなら何も冬でなくともできるではないか。冬だからこそスノーシューを使い、河岸近くを歩く醍醐味が楽しめるのではないかと思い直した。ということで、あまり危険と思われるところまでは近づかずに河岸沿いを歩くことにした。
 河岸に近づき石狩川を眺めたのだが、石狩川は全面結氷していて、その表情を見せてくれることはなかった。辺りは白一色、人一人見当たらぬ雪原を一人黙々と進む。私にはこの時間が何ともいえず心地良い時間なのだ。
 時に灌木の間を抜け、ブッシュを踏んで進むところもある。聞こえてくるのは風の音だけ…。
 豊平川を遡ったときには辺りに建物や構造物が見えたりしたのだが、ここでは何も見えない。

          
          ※ 私の行く手はご覧のように何もない白い雪原です。

          
          ※ 雪原にはときどきこうした野生動物の足跡が見られます。

          
          ※ 石狩川に近づいてみましたが、写真のよう全面結氷していました。

          
          ※ 時にはこうした灌木地帯の中を往きました。

 1時間ほど歩いたとき、石狩川に注ぐ小さな流れがあり水門があった。近づいてみると〔北生振七合ひ門〕と書かれた表示があった。時計は10時15分を指していた。
 ここで一休みと思ったのだが、風が強くて適当な休み場所がない。それでもひ門のところで多少は風を避けた形で、温かい紅茶と持参したきびだんごを口にした。(ちなみに、きびだんごはかちんかちんに固かったが、ちぎって口の中に入れ、温めてから飲み込んだ。)

          
          ※ 雪原の中に唯一見えた建造物〔北生振七合ひ門〕です。

(※ 続きは明日へ)


子どもたちの土曜日はどうなる?

2014-01-30 22:05:13 | 講演・講義・フォーラム等
 学校週5日制が定着した感に見えたのですが、今その見直し論議が喧しいようです。果たして子どもたちの土曜日の過ごし方はどのような姿が望ましいのか、教育現場の空気を感ずるべくフォーラムに参加してみました。 

               

 本日(1月29日)午前から午後まで、ホテルライフォート(南10西1)において北海道教育委員会が主催する「北海道教育支援活動推進フォーラム」という会議に参加してきました。
 参加した動機はその内容に興味があったことはもちろんですが、道民カレッジの単位が取得できるということも参加を後押ししてくれました。

 現在、学校では教育活動等に父母や地域の方々の力を借りたいと思うときには、そうした方々に応援をしていただく制度があります。また、学校外において子どもを守り育てる取り組みも徐々に広がってきています。フォーラムはそうした活動に関わっている関係者たちの情報交換的な意味合いで開催されたようです。
 しかし、主催者の意図はそれだけではなく、もう一つの意図もあったように思われました。

 そのもう一つの意図とは…。
 学校の土曜日復活論に対して国の社会教育の側からの対応策のように感じられる施策案を説明したことにその意図を感じました。
 説明者として登壇した文科省の地域学習活動企画係長の入江優子氏は、学校教育の担当者ではありませんから直接学校の土曜日復活には触れず、説明の主たる内容は「土曜日の教育支援体制等構築事業」についてでした。

 入江氏は言います。子どもたちの土曜日の過ごし方の実態調査の結果から見ると、子どもたちが健全な過ごし方をしていないことが明らかとなり、対策を講ずる必要があると…。
 その対策とは、「地域の多様な経験や技能を持つ人材をコーディネートし、土曜日ならではの活きたプログラムを実現!」することだとして来年度に予算を計上したということです。

 そしてその具体的な取り組みとは、「土曜教育コーディネイター」と称する人が地域のさまざまな人材を指導者として発掘・依頼してその方々を「土曜教育推進員」とし、各学校において土曜教育を展開するというものです。実践例としては、例えばエンジニアによる算数・数学講座、あるいは研究者による科学実験教室、在外経験者による英会話教室等々ということです。
 さらには「教育課程に位置づけることも可」という注目すべき記述もありました。
 これはもう、学校の土曜授業再開に向けてなんとかソフトランディングさせたいという意図の表れではないのかと汲みとめざるを得ない内容でした。

 ただし、参加者の中に一部教員はいたものの、多くは市町村の社会教育行政担当者や学校外で子どもの指導に関わる方々でした。
 そのこともあってか、後半の情報交流の場ではそうした動きに関心を見せる人は少なく、現状に対する対応策に話のほとんどが割かれていたようです。

 日本の子どもの現状、あるいは少子高齢化、グローバル化が進展する中で学校の土曜授業再開の声が出てきたことは理解できるような気もしますが、学校週5日制の意義を地域や父母に説き続けた自分としては複雑な思いを感じながら参加していました。

沢木耕太郎的文章の紡ぎ方

2014-01-29 20:38:41 | 本・感想

 沢木耕太郎“的”という表現は間違いである。なぜなら、それは沢木耕太郎そのものの文章なのだから…。我が敬愛する沢木耕太郎の文章を久方ぶりに読んだ気がする。それくらい彼は寡作の人であり、私も最近はチェックを怠っていたのだが…。 

 久しぶり書店を覗き、ノンフィクションコーナーに立ち寄ったとき沢木耕太郎が新刊を出していることに気づいた。「旅の窓」という小冊子である。
 世界を旅する沢木耕太郎が世界の街角で撮った一枚のスナップ写真に短文を寄せたものである。あとがきによると、ある雑誌の連載だったようだ。その「旅の窓」には81編の写真と文章が載られていた。

 どれもが沢木らしいモノの見方・考え方に溢れた文章の紡ぎ方だった。そうした中からさらに選りすぐって「これぞ沢木!」という文章を探した。そして私はその一つを見つけた思いだった。その文章を紹介してみたい。(81編のうちの1編だから盗用にはあたらないですよね)
 その前にまえがき的に題名の「旅の窓」について触れているので、その文章も紹介する。

 私たちは、旅の途中で、さまざまな窓からさまざまな風景を眼にする。それは飛行機であったり、汽車の窓からであったり、バスの窓からであったり、ホテルの窓からであったりするが、間違いなくその向こうにはひとつの風景が広がっている。しかし、旅を続けていると、ぼんやり眼をやった風景のさらに向うに、不意に私たちの内部の風景が見えてくることがある。そのとき、私たちは「旅の窓」に出会うことになるのだ。その風景の向こうに自分の心の奥をのぞかせてくれる「旅の窓」に。 

 というまえがき的なものがあり、次からは写真と共に「窓から見た旅の風景」(?)が語られていく。それでは私が最も気に入った1編を。


          

           そこから、どこへ? 

 デジタルカメラではなく、フィルムを使っての写真撮影には、現像して初めて気がつくようなカットが入っていることがある。 
 その日、私は埼玉の河川敷で行われる鷹狩りに参加させてもらっていた。何人かが勢子役になり、竹藪にいる雉を追い立てる。やがて、雉がそこを飛び立つと、正面で待ち構えていた鷹匠が鷹を放つ。鷹は見事に一撃で獲物を仕留める。
 私は、その一部始終をカメラに収めていたが、現像してみると鷹狩りとはまったく関係のない一枚が撮られていた。土手の上をひとりの男性が歩いている。ただそれだけの写真だが、いまの私には珍しい鷹狩りの写真より心に響く一枚となっている。
 
 単なる散歩の途中なのかもしれない。しかし、このままどこか遠くへ行ってしまいそうに見えなくもない。そして、その後ろ姿に引き寄せられ、私の心も遠くに連れ去られていきそうになる……。 


 ブログの話題に事欠いた私は沢木の文章に助けられた…。


コメント 待っています!

2014-01-28 18:40:55 | その他
 冬子さんから拙ブログにコメントを入れるのに苦労したというお話を聞きました。友人から「どうやってコメントを入れるの?」と聞かれました。そこで本日はgooブログのコメントの入れ方の紙上講座を開設します!
 

 1月22日付の拙ブログに次のようなコメントが入りました。

   コメントが消えた?(冬子)

   とってもステキなブログですのに、
   気楽にコメントを書くことはできないのですね。

   昨日、ドキドキしながら書いたコメントが
   消えてしまいました。

   これも消えちゃうのでしょうね。。。

 冬子さんはまったく面識のない方なのですが、コメントを入れるのに苦労されたようです。
 また、先日ある会合があって「ブログを読んではいるんだけど、コメントを入れられない」というお話も伺いました。
 あるいは同様の思いをしている方がいらっしゃるのかなあ? という思いから本日のようなタイトルや内容を思い立ちました。
 私が投稿しているgooブログのコメントの入れ方はとても簡単ですので、感想などおありでしたら是非ともお聞かせいただければと思います。
 それではコメントの入れ方の紙上講座を開設します。

《gooブログへのコメントの入れ方》
 ① その日のブログの文章の最終行に〔コメント(0)| トラックバック(0)〕とあるところの〔コメント〕の部分を左クリックします。
 ② すると、〔コメントを投稿〕という頁が現れて、〔名前〕〔タイトル〕〔URL〕〔コメント〕を入れる欄が出てきます。〔名前〕は愛称でも、略称でも何でもかまいませんので必ず記入ください。〔タイトル〕はご自分のコメントのタイトルを表記するのですが、特に考え付かなければ無記入でもかまいません。〔URL〕欄もホームページなどをお持ちの方はアドレスを記入しますが、ここも無記入でかまいません。
 ③ そして〔コメント〕です。私のブログに対しての感想やご意見など私宛に伝えたい内容を記入する欄です。つまり、〔名前〕欄と〔コメント〕欄だけ記入すればコメントを送ることができます。
 ④ 次に〔コメント利用規約に同意の上…〕となっていますが、この部分についてはチェック欄もないようですので通過してかまいません。
 ⑤ 最後に4ケタの数字が表示されていますから、それと同じ数字を半角英数で入力し、〔コメントを投稿する〕欄を左クリックして終了です。

 以上、とても簡単ですのでぜひコメントを入れてみてください。
 コメントをいただくことは投稿する側にとってはとても励みになります。アクセスカウント数から見ると、毎日400人以上(時には500を超えることも)の方が拙ブログにアクセスしていただいているようなのですが、今のところしばしばコメントをいただいている「おなら出ちゃっ太」さん以外からのコメントがないのが寂しいかぎりです。他のブログと比べ地味目のブログですのでコメントも入れづらいかもしれませんが、よろしくお願いします。
 但し、この欄を通じて論争などに発展することは望んでおりません。大変申し訳ありませんが、そうした恐れがあると私が判断した場合はコメントが反映されない場合もありますので、その点はご承知おきください。

総合診療を知っていますか?

2014-01-27 20:02:14 | 講演・講義・フォーラム等
 医療の現場もいろいろと改革を進めているようだ。札幌医科大学大学院の先端医学公開講座を受講した。 

 1月25日(土)午後、かでるホール(北2西7)で「総合診察を知っていますか?」というテーマの公開講座が開催され受講しました。
 講座は札医大大学院の地域医療総合医学を専門としている山本和利教授が「こんなふうに話を聴きます」、若林崇雄大准教授が「こんな診療をします」と題されてそれぞれお話されたが、内容的にはお二人のお話には通ずることの多いお話だった受け取りました。

          
          ※ 講演をする山本和利教授です。

 「総合診療」を一言で表すと、これまでの「医師中心の医療」から「患者中心の医療」に変えていく変革の糸口にしようとする診療方法のようだ。
 つまり、これまでの医療は必然性もあり徐々に専門化していったが、そのためともすれば患者は置き去りにされ、医師が自らの専門性に立脚した診察・医療が行われていたきらいがあったという。そのことの反省から、患者の悩みや背景を十分に聴き取ったうえで、最善の治療方法について患者と相談し、患者の納得いく治療方法を紹介していく、とする診療方法ということである。

 もう少し詳しく言うと、「総合診療医」は単に疾患や病を探求するだけではなく、患者の悩みや背景など患者を全人的に理解することに努め、医師と患者との共通基盤を確立することに意を注ぐという。その上で相談しながら治療方法を決定するそうだ。
 そして「総合診療医」は年齢・性別・臓器を問わず、よくある疾患についての専門的な知識を有し、一般住民に起こりうる健康問題の80~90%に対応できる医師であり、残り10数%の専門的知識を必要とする疾患については専門医に紹介するというのが総合診療医だと若林准教授は説明した。

         
         ※ 歯切れの良い講演をされた若林崇雄大准教授です。

 実はイギリスでは病気を患った場合は、まず総合診療医にかかることが制度として義務付けられているという。その上で専門医の紹介を受けるそうだ。私も以前にスゥエーデンの医療制度についての講演を聴いたことがあるが、その際にも同様のことを紹介されたことを思い出していた。
 現在、日本では原則どこの病院で受診することが可能なフリーアクセス制というある意味で世界に例のない素晴らしい制度を誇ってきた。しかし、どうやらその制度が制度疲労に陥ってきたことがこうした総合診療という仕組みが生まれる背景にはあるように思われた。

 総合診療の理念は、お話を聴くかぎり私たち患者にとって悪い仕組みとは思われない。問題は長い間日本に根付いてきた慣習を拭い去り、直ぐにそうした仕組みが定着するかどうかという問題である。特に医師たちの意識改革が求められているような気がする。
 関係者の努力で、「総合診療」という考え方や仕組みが日本の中に定着することを望みたいものと思ったのですが…。

クロカン第2戦 滝野ニューイヤー大会

2014-01-26 23:16:10 | スポーツ & スポーツ観戦
 えーっ!?こんなにローカルな大会だったの? と思わずにはいられないくらい先週の大会と比べると参加者も少なく、寂しい大会だった…。しかし、コースの雪質は良く、楽しく参加できた大会でした。 

                  

 クロカンスキーの今シーズン第2戦は、今日(1月26日)滝野公園歩くスキーコースで開催された「ニューイヤー歩くスキー大会」でした。
 我が家から車で約50分、会場に着いたところ意外に参加者が少ないのに内心驚いていました。受付をしたところ大会プログラムも発行されていないようなのです。いろいろな大会に出場していますが大会プログラムがなかった大会は記憶がありません。

          

                 
 いろいろな疑問が開会式の大会長の挨拶で分かりました。「ニューイヤー」と称しながら1月下旬の開催になってしまったのは、近年の雪不足で年初め早々の開催が困難になったということです。当初は1月3日に開催されていた大会だということでした。
 また、参加者数については主催者にとっても悩みの種のようで(私が見たところでは参加者は200人を切っていたのではないかと思われました)、大会参加費(2,000円)だけで大会運営を賄っている運営はかなり厳しいようです。そんなことが大会プログラムの発行も省略することになってしまったのかも知れません。

          

      
 私が参加したのは、今大会も最短の6キロの部に出場しました。
 コンディションは雪が絶え間なく降り続く天候でしたが、風はなく、気温はマイナス1℃前後と寒くなく、雪質も良好でした。
練習を全くしていない私は無理することなく、集団の後方をゆっくり行くことにしました。コースの前半はほとんどが上りの連続です。 ゆっくりと言いながらも上りの連続で体力を消耗してしまいました。できれば休まずに完走するつもりでしたが今回もダメでした。
 後半は上った分だけ下るところも多くなり、それほどの辛さを感ずることもなくゴールすることができました。

          

 ゴール後には主催者が用意してくれたおにぎりと豚汁に舌鼓を打ち、ホッと一息ついた後、家路につきました。

          

 私のクロカンスキーについてのキャリアについてこれまで述べたことが無かったように記憶していますが、以前はけっこういろいろな大会に参加していました。
 旭川市のバーサー大会の30キロの部や、オホーツク歩くスキー20キロの部など比較的長距離の大会に参加していました。
 特筆すべきは湧別原野オホーツククロスカントリースキー大会です。距離85キロという超長距離の大会です。この大会には4度参加し、全て完走することができました。最後は50歳の時でしたが、あの頃と比べると5キロとか6キロの参加とは我ながら情けない思いですが、それだけ体力が衰えているということなのでしょう…。

 過去の栄光(?)を披歴し始めるということは年老いた証拠だと揶揄されそうですが、そんな過去の栄光(?)にちょっとだけ帰ってみたいという思いが、今でもこうして短い距離ながら大会に参加しようとしている要因のように思っています…。

雪まつり大雪像制作見学会

2014-01-25 20:16:17 | イベント
 へぇ~、インドやマレーシアの現地まで出かけてイメージを膨らませているとは知らなかった…。たくさんの発見があったわけではなかったけれど、自衛隊の人たちが制作する大雪像の制作過程を興味深く見学させもらいました!

               
               ※ 今年の第65回さっぽろ雪まつりのポスターです。

 札幌市が企画した「雪まつり大雪像制作見学会」に応募したところ、運良く当選したため、妻と一緒に見学会に参加しました。
 これまで何度か応募していたのですが、人気が高いらしくなかなか当選の通知が舞い込みませんでしたが、応募ウン回目にしてようやく当選通知が舞い込みました。
 1月24日(金)午前、分厚く防寒具を纏い見学会に参加しました。見学会には約50人の市民が参加していたようです。

          
          ※ 見学会には市民約50人が参加していました。

 見学会は自衛隊が制作担当している3基の大雪像を巡りながら説明を伺うというものでした。
 それは、5丁目の「ウィンタースポーツ王国!北海道」、7丁目の「スルタン・アブドゥル・サマド・ビル」、8丁目の「イティマド・ウッダウラ(インド)」の3基です。
 各所では制作活動を指揮する方や、広報担当者が制作過程や工夫のポイントなどを丁寧に説明してくれました。

          
          ※ それぞれの制作会場ではこのように担当者が丁寧に説明してくれました。

 リード文で「たくさんの発見があったわけではない…」と記しましたが、実は以前に私は2年間にわたって大雪像の制作をするボランティアに加わっていた体験があったため、おおよそはその過程や制作方法について知識としてあったからでした。
 しかし、私が参加していたのはいわば寄せ集め団体の大雪像制作団です。今回見学したのはその制作技術のノウハウを蓄積し、高い技術を誇る自衛隊の制作チームです。統率のとれた中で制作スケジュールどおりに着々と進行しているといった感じでした。

          
     ※ 5丁目会場の「ウィンタースポーツ王国!北海道」の女子アイスホッケー選手はかなり出来上がっていました。

          
          ※ 7丁目の「スルタン・アブドゥル・サマド・ビル」の制作に取り組む自衛隊員の人たちです。

          
          ※ その「スルタン・アブドゥル・サマド・ビル」の完成模型です。

          
          ※ 8丁目の「イティマド・ウッダウラ」の制作に取り組む第18普通科連隊の皆さんです。          

 私にとってあらたな発見は、制作の担当者は単に雪像の制作だけではなく、その下絵、そして模型づくり、と約半年前から準備にかかっているとの説明に「なるほど」と思わされました。さらに、マレーシアのスルタン・アブドゥル・サマド・ビルやインドのイティマド・ウッダウラなどの施設(建物)の制作にあたっては、担当者の代表を現地まで派遣して、イメージを膨らませているとお聞きしたことでした。「そこまでやるのか!自衛隊さん」思ったものでした。まあ、それだけ真剣に、責任をもって制作にあたっているということなのでしょう。

          
          ※ 大雪像を制作している傍らではこのような小さな部品を作っている人もいました。

 一つ残念なニュースは、そのようないわば大雪像づくりのプロのような集団が、来年からは制作する雪像を一基少なくするというニュースです。内部事情から止むを得ない措置とは思いますが、高い技術を持つ自衛隊の雪像が一基減るのは残念な気がします。

 第65回目となる「さっぽろ雪まつり」は2月5日~11日の間、7日間開催されます。

冬の石狩川河岸を遡る 1 後編

2014-01-24 14:55:43 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

石狩川河口 ⇒ 石狩河口橋 トレッキング月日 ’14/01/22

 危うく難を逃れた私だったが、危険はまだ去っていなかった。河原がこんなに危険だったとは…。一作昨年に豊平川を遡ったときには経験しなかった罠が私を待っていた。と同時に、深雪がじわじわと私の体力を奪っていった…。 

 危険を回避しホッとしてスノーシューイングを続けた。
 ときどき吹雪がふっと止むこともあったが、それは気まぐれの一服という感じで時が経つとまた雪が降り出すという感じだった。
 石狩川を絶えず右手に見ながら、流れから付かず離れずの距離を保って歩き続けた。(流れが見える河岸からは2~30mはあったと思う)
 私の左手には灌木が繁っていたが、私が歩いているところは一面の雪で前を遮るものもなく平坦な雪原が続いていた。

          
          ※ 写真のような平坦な雪原が淡々と続いていると思っていたのだが…。

 河原の様子には特に変化はない。淡々と歩き続けるだけである。
 そうした中で、私の中に小さな変化が起こってきた。なんだか大腿部に張りが出てきたように感じられたのだ。夏にいくら長距離を歩いても感じられない異常な感覚である。何だろう?と考えてみたが、どうやら深い雪の中で埋まった足を引上げる動作を繰り返すうちに大腿部に疲れが溜まり始めたのだろうか、素人考えなのだが…。

          
          ※ 川面には砕けた氷が漂い、対岸には石狩浜に立つ灯台が見えた。

 どれくらい時間が経ったろうか?時間を記録するのを失念してしまった。
 気づくと、私の左手、つまり河岸とは反対側のちょっとした崖の縁に水面が見えた。「えーっ、自分が歩いているところは川の上なのか!?」半信半疑ながらも私は歩き続けた。

          
          ※ えーっ!雪の裂け目から水面が!ということ立っているところは川の上??

 すると、今度はやはり左手に船が陸揚げされているのが見えた!これはもう完全に私は川の上を歩いていると確信した。つまり、石狩川の河岸が凍っていて(あるいは砕け氷が固まって)、私はその上を歩いているということに初めて気が付いた。

          
      ※ 左手に船が陸揚げされているのを見て、立っている位置が川の上であること確信したのでした。

 そのうちに雪原になにやら裂け目のような線を見つけた。その近くを歩いているとき、スノーシューがズボッと雪を踏み抜き、私は転倒してしまった。足元を見ると水面が見えるではないか!石狩川は凍ってはいても完全に氷結しているわけではなさそうだった。
 危険を感じた私は慌てて陸地とおぼしきところまで河岸からさらに離れたのだった。

          
          ※ 雪面に不気味な裂け目が走っているのを確認しました。

          
          ※ すると間もなく、スボッと足を取られ水面が顔を出しました。、

 対岸には夏に何度も訪れた石狩浜の弁天町の建物が見えるが、一向にその景色が変わらないほど歩みは遅々としていた。それでも遠くに〔石狩河口橋〕の鉄塔が見えるようになってきた。「あの橋の橋脚のところで昼にしよう!」と考えて歩を進めたのだが、大腿部は絶えず痛みを感ずるようになり、継続して歩くには辛さが増し、休み休みの歩みとなってしまった。
 橋の鉄塔は見えても一向に近づかない。そして歩いているところは川面が開いているところから遠く離れているのに、辺り一帯は低地があったり、ちょっとした丘があったりして、先ほどまで見えていた船や作業小屋なども見えなくなってしまった。
 後から分かったことなのだが、橋が近づくにつれて川幅が広がり、橋のところでは川幅が1,500m近くにも広がっていたということだ。(川幅というよりは、川に続く低地帯が広がっていると解釈した方が正確な言い方のようだ)夏の間は低地には水が入り込み、湿地帯のようになっていると思われる。

          
          ※ 遠くに石狩河口橋の鉄塔が見えてきたのですが、ここからが遠かったぁ…。

          
          ※ 橋が近付くにつれ、灌木が生い茂った湿地帯(?)の様相を呈してきました。

 12時を過ぎても一向に近づかない橋、さらには大腿部の痛み、私はこの時点でこの日の目的地の〔札幌大橋〕まで行くことをあきらめ、〔石狩河口橋〕で終えることに計画を変更することにした。
 痛んだ脚を休み休み騙しながら、雪原を歩き続け〔石狩河口橋〕の橋脚のところに到達したのは12時50分だった。
 風を避けるようにして橋脚の風下に入り、調理パンを温かな紅茶で流し込んだ。

          
          ※ 昼食を摂ったあたりから、国道へ出るためには写真のずーっと向こうまで歩かねばなりません。

 〔石狩河口橋〕で本日の行動を止めることにしたが、問題は帰りの足だった。計画では〔札幌大橋〕からJRで帰ろうと思っていたのだが、〔石狩河口橋〕からだとバスしかない。しかし、札幌行のバスが比較的多く出ているのは石狩市内からである。〔石狩河口橋〕から石狩市内まではまだ6~7Kmくらいある。歩くほかないと覚悟を決め、さらに25分かけて国道に出た。(13時30分)

          
          ※ 国道に出て、〔石狩河口橋〕の橋の上を25分間かけて歩いて渡りました。

 国道に出て、スノーシューを外したところ雪が積もってはいてもやはり歩きやすい。長い〔石狩河口橋〕を通過するのに25分もかかった。助かったのは歩道が除雪されていたことだ。雪が降る中、黙々と歩く。その姿を見たドライバーたちは「バカなことをしているおっさんがいるな」とでも思っただろうか。
 歩いているとバス停が見えた。一応、バス時刻を確かめてみようと近づいたところ、なんと14時40分台に札幌行きのバスが通過することが分かった!時計を見ると14時近くだった。止まっていては体温の低下を招くので、歩きながら前方のバス停を目ざすことにした。何ヵ所かのバス停を過ぎ、14時30分を過ぎたところでバス停があったので、そこから乗車することにした。
 14時49分、〔3線〕というバス停から乗車し、16時少し前に札幌バスターミナルに着いたのだった。

 疲労困憊の顔で帰宅したところ、妻から「おっさんが一人雪原を歩くなんて、それを見た人はどう思っているんでしょうね」とあきれた様子で呟いていた。私も妻の思いは分かりすぎるほど分かる思いだ。しかし、同時に私にとってはこれほど楽しいことはないという思いもあるのだ。誰もいない、一つの足跡もない雪原を一人往く…。それは理屈抜きで私を愉悦の極地へと導いてくれる…。ただし、危険は極力避けねばならないが…。

          
      ※ マップの「ここです」というところまでしか歩けませんでした。計画は国道337号線交わる〔札幌大橋〕だったのです。

 今回は計画した目標をクリアすることができなかった。ぜひとも残りの区間を再度チャレンジしてみたいと思っています。


冬の石狩川河岸を遡る 1 前編

2014-01-23 22:40:02 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

石狩川河口 ⇒ 石狩河口橋 トレッキング月日 ’14/01/22

 危うく我が身を石狩川に晒すところだった(冷汗) 間一髪だった…。踏み込んだ足元の雪が崩れ石狩川の川面が姿を現したのだ。足元をすくわれた私だったが、必死に残った雪にしがみついて難を逃れた…。そんなスリルを時には味わいながら、冬の石狩川河口を歩いた。 

 正月以来、初○○と称して、山登りやスキー、クロカンなどを体験してみたのだが、「もっとも今の自分に相応しいのはスノーシューかな?」との思いを強くしていました。スノーシューといっても山には危険が伴います。その点、河原を歩くことは迷う心配がなく、冬を楽しむには最適なのでは?と私一人が思っていることです。
 そこで思い出したのが、2011~2012年にかけてスノーシューで豊平川河口から定山渓まで河原を遡行した体験でした。
 まさかあれと同じようなことを石狩川でやろうとは思っておりません。あのとき体験したように少しだけ石狩川でもやってみようか、と思い立ったのです。
              
 私の計画では、石狩川の右岸を歩く計画でした。(左岸は昨年少し歩いていました)河口まではバスで近くまで行き、石狩川が日本海に注ぐところから、〔石狩河口橋〕を経由して〔札幌大橋〕まで直線距離で約14Kmを歩き、JR学園都市線の〔あいの里公園駅〕から列車に乗って帰宅するという計画でした。

                  
※ 私の計画では導流堤のところから石狩川右岸を河岸沿いに〔石狩河口橋〕を経て、さらにマップにはない〔札幌大橋〕まで行くことでした。

 1月22日(水)、私にしては珍しく朝5時に起床し、準備をして中央バスの札幌ターミナルから6時45分発の〔札厚線〕に乗り込みました。私が向かう〔聚富中央〕まで行くバスはこれを逃すと11時台までないのです。
 天候はものすごい大雪です。天気予報では晴れることになっていたのですが…。
 バス内が一杯になるほど乗っていた客も石狩市を過ぎると疎らとなり、私が下りた〔聚富中央(しゅっぷちゅうおう〕というバス停では私を含めてわずか3人でした。バスを降り立ったとき時計は8時15分を指していた。つまり札幌中心部から1時間30分かかったことになります。(バス代金810円)

          
          ※ 私が降り立った〔聚富中央〕のバス停です。

 バスを降りると外は吹雪模様だったが、私の服装はというと、下はズボン下に登山用のパンツ(夏山用)、その上に風除けの一枚物のウインドブレーカー、上は肌着に少し厚めのシャツ、そしてフリースを重ね、その上には下と同様にウインドブレーカーを羽織った。これで寒さはまったく感じなかった。
 早速、行動開始である。まずは河口へ向かって〔知津狩川〕という小さな流れに沿った取り付け道路を行く。この取り付け道路は日本海沿いの突端付近に造られた〔北石狩衛生センター〕に通ずる道である。歩いていると出勤する職員たちの車が何台も脇を通っていった。
 取り付け道路は国道から距離にして1.5キロくらいだろうか?スノーシューもはかず快適に歩を進めることができた。
 やがて衛生センターへ通ずる道と分かれるところまで来ると、そこから先は除雪されていなかった。8時55分、そこからスノーシューを付けて石狩川と日本海が合流するところを目ざした。本格的なスノーシューイングの開始である。

          
          ※ 日本海沿岸に立つ〔北石狩衛生センター〕の高い煙突が見えます。

 吹きっさらしの雪原は表面が固いところと、柔らかいところが混じっている。固いところは良いのだが、柔らかいところではスノーシューでもかなり埋まってしまう。ところによっては膝頭近くまで埋まってしまうところもあった。
 スノーシューを付けてからそれほど時間もかからず石狩川と日本海の合流点に到達した。吹雪模様のため日本海側はかなり荒れた海だった。石狩川の方は河岸に砕けた氷が打ち寄せている。昨年歩いた左岸側の突端も眺めることができたが、どこまでが陸地で、どこから海かが判然としなかった。風が吹き、荒れた海は冬の日本海らしい光景だとも思った。
 マップでは海岸から〔導流堤〕というものがあることになっているが、波が荒いためだろうか、確認することはできなかった。

          
          ※ 手前の流れが知津狩川、向こうが石狩川、そのまた向こうが石狩浜の突端です。

          
          ※ 写真左側は日本海、右は石狩川に氷雪が溜まっているところです。空の暗さに注目ください。

          
          ※ 少し離れた河岸で撮ったものですが、冬の厳しさが現れている一枚です。

 ここから石狩川を遡るためには〔知津狩川〕を越さねばならない。しばらく来たコースを戻り〔知津狩新橋〕を渡り、再び河岸を目ざす。
 踏み跡のない、まったくの新雪は考えていた以上に足が埋まってしまう。私はスノーシューのときに雪が靴の中に侵入するのを防ぐ〔スパッツ〕を着用したことがなかった。しかし、この雪ではやがて雪が靴や靴下を濡らしてしまう恐れを感じてスパッツを着用することにした。
 これで万全、深雪ながら誰一人いない雪原を黙々と進んだ。

          
          ※ 休憩するときにはできるだけ風があたらないよう灌木の間に入り休みました。

 中に休憩も入れたので小1時間も歩いただろうか? 河岸にマップにも記されていないような小さな流れが視界に入った。
 さて?と思ったのだが、その先に手作りの橋のようなものが見えた。これは「ラッキー!」と思い、近づいたときだった。突然、足元の雪が崩れ、私は横倒しになった。「えっ?」と思って足元を見ると、川面が顔を出しているではないか!私は周りの雪にしがみつきながらそろそろと体を起こし、難を逃れた。危うく水浸しになるところだった。

 その後の手作りの橋を渡るのも大変だった。渡る橋の幅は20Cmくらい。橋にかかった雪が本体を隠してしまっている。踏み外したら大変である。橋にかかった雪を丁寧に落としながら、横向きなってゆっくり、ゆっくり慎重に渡り終えた。フーッ、一安心であった。

          
  ※ 恐怖の瞬間を思い出す一枚です。奥の雪が割れているところに危うく落ちそうになりました。そして手前の細い橋を渡ったのです。

 まだまだ今回のスノーシューイングは始まったばかり…。長くなってしまったので、続きは後編で…。


奇跡のピアノ 後編

2014-01-22 18:25:25 | 講演・講義・フォーラム等
 修復なった「フランツ・ヴィルト」をいよいよお披露目する段になった。その演奏陣が錚々たる顔ぶれだった。ラントシュ・イシュトヴァーン、黒山映、谷本聡子、そして当の高岡立子と…。私にとっては猫に小判であるが、後に調べてみると誰もが高名で、私は相当に優雅なひと時を楽しんだようだ…。

 修復なった「フランツ・ヴィルト」であるが、現代の「モダンピアノ」と対比して「フォルテピアノ」と称するそうだが、モダンピアノが7オクターブを備えているのに対して5オクターブまでだったり、ハンマーの仕組みが違っていたり、音量が劣っているなど、いわゆる古楽器に位置づけられるピアノだということである。

 さて、演奏陣であるが、「ラントシュ・イシュトヴァーン」氏はハンガリー・リスト音楽院の音楽院長を94~97年まで務め、諸外国にて演奏会を精力的にこなしている方のようです。
 「黒山映」氏は札幌大谷大学音楽科の准教授を務める傍ら、演奏活動も盛んに行っている方のようです。
 「谷本聡子」氏も札幌大谷大学音楽科の教授を務められていますが、むしろピアノ演奏家としての名声が高い方のようです。
 そして「高岡立子」氏です。長年札幌大谷大学で後進の指導にあたってこられた方です。
 いずれもが個人リサイタルを行えるほどの実力者ぞろいといえる演奏陣でした。

          
          ※ 演奏を前に話し合うラントシュ・イシュトヴァーン氏(右)と谷本聡子氏(左)です。

 コンサートはまずイシュトヴァーン氏が、ピアノがまだ無かった時代の鍵盤楽器チェンバロを演奏した。ピアノほど音量はないものの、その繊細な響きが魅力的だった。
 次に、黒山氏がお馴染みのモーツァルトのトルコ行進曲でモダンピアノ(スタインウェイ)と「フランツ・ヴィルト」を弾き比べる演奏をした。スタインウェイが大きく豊かな音を奏でるのに対して、音量は劣るもののどこか優しい音色が耳に心地良い感じがした「フランツ・ヴィルト」でした。

          
          ※ ラントシュ・イシュトヴァーン氏が奏でたチェンバロです。

 間に、高岡立子氏と谷本聡子氏の対談を挟んで、その二人がそれぞれ「フランツ・ヴィルト」での演奏を披露してくれました。
 お二人とも確かな腕前を披露してくれたのですが、それに加えて札幌大谷大学の「大谷記念ホール」が高い空間に木材をふんだんに用いた音響効果の素晴らしいホールでの演奏だったこともあり、一層素晴らしい演奏として耳に届いてきました。

               
               ※ 「フランツ・ヴィルト」を真ん中に高い天井の大谷ホールを写しました。

 数奇な運命を辿った一台の古いピアノが名修復師の手によって蘇り、そのお披露目の歴史的な演奏会に立ち会えたことにとても満ち足りた思いでホールを後にした私でした。



 ※ 今日、スノーシューで石狩川河口を歩いてきて疲労困憊の私です。しかし、それは心地良い疲労でもあります。その様子を明日レポートすることにします。