田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

フランスを、そしてフランス文化を学ぶ

2023-08-31 22:37:15 | 講演・講義・フォーラム等
 いかにもパリジャンといった風貌、そして雰囲気を纏ったフランソワ氏は、雄弁にパリを、そしてフランスを語った。懐の深いフランスの文化の一端を直接フランス人から伺うという貴重な体験だった。
      
   ※ 写真はフランソワ氏が提供してくれたパリ市の紋章だそうです。
 継続して受講を続ける「中央区いきいき講座(高齢者講座)」も折り返し点を過ぎ、第10回目の講座となった。第10回目の講座は昨日8月30日午前に開講されたが、今回はフランス人のフランソワ氏を講師に迎え「パリ文化と観光を学ぶ」と題しての講座だった。
 フランソワ氏がどのような形で在札されているのかについての詳しい説明はなかったが、話の中からはすでに5~6年は札幌に住まわれて、フランス語などを教える仕事に従事していると話された。
 フランスを、パリを、1時間半で語りつくそうなどということはどだい無理な話である。したがって、話はあちらこちらへと跳び回った感がある。それで私のレポもトピック風に記憶に残ったことを記すことにする。
 日本では「花の都パリ」と良く称するが、フランス人は「愛の街」とか「光の街」と称することが多いそうである。そして私のノートにはなぜかフランス人はパリを称して「パナマ」とも称すると書いてある。これはパリが歴史上に登場してきた頃、パリの男たちは誰もがパナマ帽を被ってパリの街に出没したことから、そう呼ばれることになったということだった。
 フランソワ氏は札幌市とパリ市を比較した。どちらも人口は200万人内外である。(札幌市約195万人、パリ市約210万人)ところが面積は全く違う。札幌市が1,121㎢に対し、パリ市はたったの105㎢とおおよそ1/10の面積に札幌市以上の人々が住んでいることになる。ちなみに人口密度は札幌市が1,748人/㎢に対してパリ市は20,382人である。
 パリの象徴といえば「エッフェル塔」であるが、エッフェル塔が建設されたのは1889年開催されたパリ万博の目玉として建設されたが、その後は直ぐに取り壊すことが決定していたという。ところが、当時世界一の高さを誇ったエッフェル塔は観光客が押し寄せ大人気になったこと、人気が陰ると電波塔としての役割を与えられるなどして取り壊しを逃れ、今ではパリ観光にはなくてはならない存在となっている。130年を超えて存在し続けるエッフェル塔ははたしていつまで立ち続けるのだろうか?
    
    ※ これもフランソワ氏が提供してくれたパリ市の空撮写真です。
 フランソワ氏はフランスを、そしてパリを知るには「フランス映画を観ることだ」と言われた。そして「アメリ」、「パリタクシー」、「ノートルダム 炎の大聖堂」の三本の映画の題名を挙げた。
話はフランス料理についても及んだのだが、私にはいま一つピンとこなかった。
 それより面白いと思ったのは、フランス人は墓地に出向いて有名人のお墓と対面する習わしがあるということだ。歴史上で著名な人の墓地はネット上にも公開され、誰もが墓参できるようになっているということだった。
講義の最後には来年開催される「パリオリンピック」のことにも及んだ。パリオリンピックのイメージ動画を流しながら、バリオリンピックをPRすることも忘れなかった。
 ちょっと驚いたことがあった。講義の最初にフランソワ氏が「フランス(パリ)を旅行した経験がある方は?」と問うたところ、なんと講座に参加していた方の約半数が経験者だったことだ。日本人もそれなりに豊かなんだなぁ、と思わせられたシーンだった。
 ところでフランソワ氏である。リード文で「いかにもパリジャン…」と表現したが、氏自身パリ郊外で生まれ育ったというが、その容貌からしてフランス人そのものといった感じの方だった。そして何より氏自身がフランス人であることを何より誇りに思っていることがその言葉から、醸し出す雰囲気から感じ取ることができた。
  
  ※ 講義を担当されたフランソワ氏です。
 私がこれからどこかの国で日本のことについて語る機会など考えられないが、もしそうした機会があったときに、フランソワ氏のように日本人であることを誇りに思って語る自分でありたいと思わせられた。
 ユーモアを湛えながら話すフランソワ氏の話をまたどこかでお聞きしたいものと思った。     

都市型水族館AOAOを覗いてみました!

2023-08-30 19:34:42 | 札幌(圏)探訪
 いかにも街中にできた水族館である。通常の海辺にある水族館とは一味も、二味も違うコンセプトで造られた水族館はある意味でとても興味深かった。と同時に、いつまで市民の関心を惹き付けられるのか?永続性は?そうした疑問も頭をよぎった。
  
※ 入館の際に配布されたパンフレットです。AOAOのデザイン化された文字が印象的です。
 昨日(8月29日)午後、スケジュールが空いていたことから「いつかは行ってみたい」と思っていた狸小路に新装オープンした複合ビルのmoyuk SAPPORO内の4~6階に設置された水族館「AOAO」に行ってみた。オープンから1ヵ月余、夏休みも終わり開業時の混雑が一段落したのでは?との思いもあり覗いてみることにした。狙いは的外れではなかった。展示物(水生生物)を見て回るのにストレスを感ずることなく見て回ることができた。
 AOAOの構成は次のようになっていた。
 4階は、エントランスを入ると、いきなり「人工海水製造機」が据え付けられていた。海から遠い札幌では海洋性の生物を飼育するには必須の製造機である。
  
  ※ 入館料を払って入場するとすぐに海水製造機が目に入ります。
 続いて、AOAOのコンセプトに一つである「北海道の脇役を主役に!」ということで、道内の川に棲息する、二ホンザリガニ、キタサンショウウオ、エゾトミヨが展示されていた。展示されていた二ホンザリガニは私が良く知っているウチダザリガニよりはるかに小型で、在来の二ホンザリガニが絶滅危惧種になっていると聞くが、「ちょっと敵わないなぁ」という感じだった。4階にはその他にミュージアムショップが入っていた。
 エスカレーターで5階に上がると、まずは 緑色が眩いばかりのアクアリウムが確か5ヵ所くらい各所に展示されていた。いわゆる熱帯魚が棲む川中をイメージしているようだった。ここのレイアウトの見事さはAOAOの売りの一つではないだろうか?
  
  ※ 暗い空間に緑が鮮やかなネイチャーアクアリウムです。(下の写真も)
   
 続いての部屋は、都市型水族館の真骨頂とばかりに小型の水槽がコーナーごとにズラーッと並んで、小型の海洋生物が展示されていた。これもまたAOAOのコンセプトである「海の脇役を主役に!」という展示に思えた。
 ここでの呼び物は、頭を下にして群れになって泳ぐ「ヘコアユ」、そして砂の中から頭を出して体をくねらせている「チンアナゴ」が見ものである。
  
  ※ 頭を下にして泳ぐヘコアユです。
  
  ※ 砂の中からニョロニョロと揺れるチンアナゴです。
 ここの展示で私は大きなドジを踏んでしまった。というのは、各水槽の脇には生物の名称が記されているのだが、「モサモサ」とか「ニョロ」という名の生物がたくさん展示されていた。私は「面白い名前の海洋生物がいるものだなぁ」と思いながら、その生態を面白がって見て歩いた。「モサモサ」は確かにその形状がモサモサとした感じだったが、そんな「モサモサ」が10種類以上展示されていた。そして今度は「ニョロ」だった。こちらもたくさんの「ニョロ」が展示されていた。その中にはヘビの仲間も混じっていた。さすがにここまで来て「あれっ?」と思った。全てが「モサモサ」や「ニョロ」という名の生物なのだろうかと…。そしてよく表示を見てみると、「モサモサ」や「ニョロ」という表示の下に正式名が記されているではないか!「モサモサ」や「ニョロ」というのは水族館側がその形状から名付けた愛称のようなものだったのだ。う~ん。いっぱい喰わされた思いである。(表示が小さいために見づらかったこともあるのだが…)
  
  ※ もさもさの仲間です。
  
  ※ こちらももさもさの仲間です。
  
  ※ この表示では「もさもさ」と間違いますよねぇ。正式名が上に小さく表示されています。
 そして最後は6階のフロアのAOAOとしては最もPRしてきた「イワトビペンギン」の展示場である。イワトビペンギンは多種いるペンギンの中でも小型のペンギンだそうだが、20羽近くが展示されていただろうか。そのほとんどは六角形のブロックに立ったまま少しも動いてくれなかった。あるいは夏休み・お盆の大混雑の来館者に驚き、疲れたせいだろうか?とさえ思ってしまった。
  
  ※ いっこうに動いてくれないペンギンさんたちでした。
 同じ6階には、透明に近い白色のミズクラゲが優雅に水中を漂う姿があった。大小16個もあるという水槽はなかなか見事だった。
  
  ※ ゆったりと水中を漂うクラゲには癒されますねぇ。
  
 以上がおおよそのAOAOの全体像であるが、同じ都市型水族館である新札幌にある「サンピアザ水族館」と比べても、いわゆる魚類の展示が圧倒的に少ない感じである。    
 さて、AOAOへの再訪はあるか?と問われると、私の場合は、正直に言って「それはないだろう」と思う。はたしてこれまで訪れた札幌市民はこの問いにどう答えるだろうか?私が再訪するとしたら、展示内容が大幅にリニューアルした時だろう。
 AOAO側としてはこの課題に対する対策は当然考えられているだろう。例えば、館内にはカフェが出店しているが、時間によって照明を変化させるなどして若い人たちが憩う場としての演出も考えられているようだ。
 札幌市民の入館が一巡した後、はたして水族館として永続的に存続する道を見つけることができるのか、素人なりにちょっと心配な点である。オープンしたばかりなのに、そんな話は時期尚早とお叱りを受けそうだが、最悪の事態を想定して予め布石を打っておくことは企業存続のためには必須なことと思われる。AOAOが札幌の特徴ある一つの顔として永く存続することを切に願いたい。
 なお、NHK北海道では9月2日(土)朝9時から総合テレビで、AOAOのことを特集した「北海道道」を再放送するそうである。興味のある方は視聴されることをお勧めします。
 

念願だったNHK交響楽団を聴く

2023-08-29 20:41:19 | ステージ & エンターテイメント
 我が国オーケストラの最高峰とも称せられるNHK交響楽団(N響)のコンサートを初めて聴くことができた!奏でられる柔らかな音色は “さすが!” との思いだった。また客演の松田華音さんのピアノの超絶技巧には驚くばかりだった…。
    
 昨夜(8月28日)、札幌コンサートホールKitaraにおいて「NHK交響楽団演奏会」が開催された。       
 札幌に住む私たちとしてはプロのオーケストラというと札幌交響楽団を聴くのが常である。他のオケと聴き比べたいと思っても、なかなかその機会はない。今回N響が数年ぶりに来札するということを知り是が非でもとKitaraに駆け付けた。
 この夜のプログラムは、
 ◆チャイコフスキー/ピアノ協奏曲 第1番 変ロ長調 作品23
       Ⅰ アレグロ・ノン・トロッポ・エ・モルト・マエストーソ
       Ⅱ アンダンティーノ・センブリチェ
       Ⅲ 終曲:アレグロ・コン・フオーコ
 ◆チャイコフスキー/交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴」
       Ⅰ アダージョーアレグロ・ノン・トロッポ
       Ⅱ アレグロ・コン・グラーチア
       Ⅲ アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ
       Ⅳ 終曲;アダージョ・ラメントーソ
 最初の曲、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲」の始まりは、聴き覚えのある弦のメロディーで始まった。その音色の柔らかなこと、「これがN響の音か!」と思わせるほど私にとっては衝撃的だった。そこから後は、ピアノの松田華音さんの世界だった。あの細身の身体のどこからあれだけのエネルギーがほとばしるのか?というほどの超高速の指さばきは、適切な表現かどうかは別にして、まるで絶頂期のアスリートのプレイを見せられているようでもあった。いったいあのような超絶技巧をいつまで続けることができるのだろうかと思い、彼女の年齢をネットで調べてみたところまだ27歳だということ分かった。しばらくはあの超絶技巧を聴くことができるようだ。
         
 一曲目は、松田華音さんのピアノに意識を奪われ、N響の音を堪能できたとは言い難かった。しかし、2曲目のチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は、N響の音を十分に堪能することができた。「悲愴」は私からみると面白い構成だと思われた。第1楽章はこの曲の主題を表現するようにゆったりとした、それでいてどこか物悲しい雰囲気だったが、第2楽章ではワルツふうの軽快な調べが心地よく耳に届いた。そして第3楽章では曲は大いに盛り上がり、あるいは終曲ではないかと思われるくらい盛り上がって楽章を終えた。そして第4楽章はこの曲が「悲愴」と命名された所以だろうか?静かに、そして物悲しく演奏が終わる構成だった。
 肝心のN響の演奏だが、その安定した演奏はさすがに「N響の音!」という思いで私は聴いた。ただ、私の耳では札響との明確な違いを聴き分けることはできなかった。
 指揮を務めたのはラドヴィア人のアンドリス・ポーガという巨漢の方だったが、表情豊かに90名を超えるN響のメンバーを良く統率していたと私はみた。
        
 何年ぶりなのか承知していないが(ポスターに4年ぶりと表示されていた)、「N響が札幌に来演する」ということはクラシックファンにとってはビッグニュースに違いない。満席の客席がそのことを何より物語っていた。私にとっても念願がかなった演奏会だった。

大通オータムコンサートを楽しむ

2023-08-28 12:49:21 | ステージ & エンターテイメント
 音楽好きのアマチュアミュージシャンが集ったコンサートが札幌市資料館で開催された。技量的にはそれぞれの4組のグループが楽しく演奏する姿はほのぼのとして聴く側もリラックスして楽しめたコンサートだった。
      
 昨日(8月27日)午後、札幌市資料館において「さっぽろアコースティックコンサート実行委員会」なる団体が主催する「オータムコンサート」が開催され参加した。
 私はこの団体のコンサートを聴くのは確か3回目である。詳しくは分からないのだが、この実行委員会というのは一人の音楽好きの方が音楽仲間に声をかけて開催しているコンサートのようである。
 今回登場した4組のグループとは、演奏順に①DP&M、②福寿草、③CJ、④ ダブルリバーは山の麓、の4組だった。
 「DP&M」は、PPMのコピーバンドで全ての演奏がPPMの曲だった。DP&Mとはメンバーの頭文字から取ったものと思われる。
 「福寿草」は3人のメンバー(この日は事情で2人だけの演奏だった)が還暦を迎えたというグループで、全てが彼らのオリジナル曲を披露したフォークグループだった。実は今回欠けた年長のメンバーの方の優しい歌声が私の好みだったのだが、その方の歌声を聴けなかったのは残念だった。
 「CJ」も二人の愛称の頭文字から名付けたものだが、ChicoのボーカルにJerryがギターで伴奏するグループで、中島みゆきの曲やあいみょんの曲を披露した。
 「ダブルリバーは山の麓」は、フルート、キーボード、ギター、ベース、パーカッションの5人のグループで、歌入りの曲や、インストルメンタルの曲を披露した。
 前述したように、登場したグループの力量はそれぞれだったが、登場する人たちが楽しそうに演奏するのを間近で見て、聴いて楽しめたのが何よりだった。特に「ダブルリバーは山の麓」のボーカルの方が、本当に楽しそうに歌う姿が印象的だったし、歌そのものも十分に他人に聴かせるだけの力量を備えたものだった。
 こうしたアマチュアミュージシャンの歌声や演奏を聴くのも時にはいいものである。肩が凝らずにリラックスした気分で聴けるコンサートをこれからも楽しみたいと思っている。 

「尊厳死」を考える講演会を聴く

2023-08-27 19:31:11 | 講演・講義・フォーラム等
 尊厳死とは「患者が自らの意思で,延命処置を行うだけの医療をあえて受けずに死を迎えること」とされている。それが今、日本ではまだ法的に受け入れられていない現況だという。その状況を変えようと活動している日本尊厳死協会の方々のお話を聴いた。
     
 昨日(8月26日)午後、共済ホールにおいて日本尊厳死協会北海道支部の方々による講演会とパネルディスカッションが開催されたので参加した。
 講演は3名の方が、それぞれ20分間という短い時間の中でお話された。その3名のテーマとお名前は…。
 ◆「やすらかな最期を迎えるために」尊厳死協会の北海道支部長であり、江別すずらん病院の認知症疾患医療センター長である宮本礼子氏
 ◆「コロナ禍での最期~尊厳ある最期とは~」(株)ティ・エム代表取締役の田村麻由美氏
 ◆「人生、後悔しないで生きる方法」キャスターの佐藤のりゆき氏
いった布陣であった。       
 実は私は宮本、田村両氏については過去に(2017年度)に札幌大学の公開講座「地域社会における介護と看取り」という講座で一度お話をお聴きしたことがある二人だった。その際、お二人のお話に深く感銘したことを憶えている。また、佐藤氏については別な機会に何度かお話を聴いた方である。 
 それぞれが僅か20分間という話ではあったが、内容が濃くて私がそれぞれのお話の内容をレポするには手が余る。そこで、パネルディスカッションでの内容も含めて、私が特に印象に残ったことを書き記すことにする。
  
 ※ 講演者と司会の北大名誉教授の西村氏によるパネルディスカッションの様子です
 この問題を考えるためにはまず言葉の定義をはっきりさせておくことが重要である。
 まず「尊厳死」と似たようなニュアンスの言葉として「安楽死」がある。「尊厳死」リード文でも前述したように「自らの意志で」「延命だけを目的とした医療を受けない」そして「人間としての尊厳が保たれているうちに自然な死を迎える」という概念に対して、「安楽死」は「末期患者の苦痛を除去するため」「死期を早める処置」をすることと解することができる。
 尊厳死協会が社会に訴えていることは「安楽死」ではなく「尊厳死」を法的に認めてほしいという訴えなのである。
 このことについて諸外国の状況を見ると、イギリス、ドイツ、フランスなど欧米各国では「尊厳死」が法的に認めている国が多いという。アジア各国の状況は詳しく分からないが、隣国韓国では認められているという。
 さらに「安楽死」についても欧米ではスイスを始めとしてオランダ、ベルギー、あるにはアメリカの一部の州、カナダなどでは法的位置づけがなされている現況だそうだ。
 さて、今日本の医療の現場はどうなっているのだろうか?現職の医師である宮本氏が詳しく話してくれた。延命治療として、①人工栄養、②人工呼吸器、③人工透析があるというが、その中でも①の人工栄養の実態が酷いと思われた。人工栄養とは、口から食事を摂って栄養がとれなくなった患者に、血管に栄養剤を点滴する方法と、チューブで胃に流動食を流入する(胃ろう)方法がある。この状態から患者が回復することはなく、管で繋がれた患者は人間としての尊厳などはなく、自らの意思を表すこともない存在だという。こうした状態で死を迎えることが本当に人間として相応しいことだろうか?と宮本氏は訴えた。そうした状態になった患者の写真も見せられたが、私には憐れみを覚えるだけだった。
 日本尊厳死協会では、そうしてまで命を永らえたくないと考え、「回復の見込みがないのなら、安らかにその時を迎えたい」と考える人たちに、自分の意思を、自分が元気なうちに「リビングウィル(人生の最終段階における事前書)」の作成を勧めている。
 日本においては例え「リビングウィル」を作成していたとしても、法的な保証はされない現状であるが、家族に対して自分の意思を伝える重要な手段とはなり得るというのである。
     
     ※ 講演前や休憩時にはアコーディオン奏者の長崎亜希子さんが演奏して会場を和ませてくれました。
 講演会、パネルディスカッションは、その他さまざまな話題に及んだが、上記したことがこの日の尊厳死協会の最大の目的だったと私は判断した。講演をされた佐藤のりゆき氏も「リビングウィル」を作成されているという。私もその作成を考えたいと思った意味ある講演会だった。

時計台のある街コンサート

2023-08-26 11:49:40 | ステージ & エンターテイメント
 久しぶりのフォークソングだった。やっぱり我々世代にはフォークソングが一番ピッタリくる思いがした。抒情あふれる詩と、浅沼修さんの歌声にしばし耳を傾けたひと時だった…。
     

 昨夜、さっぽろ時計台ホールにおいて第42回時計台まつり記念演奏会「時計台のある街 コンサート」があることを知り駆け付けた。
 コンサートの主役は17歳の時に「時計台のある街」を作詞・作曲した浅沼修さんというセミプロ(?)のミュージシャンだった。
  
 ※ コンサート前のステージです。会場全体に古風な雰囲気が醸し出されています。
 浅沼さんが創った「時計台のある街」は、その後作者不詳のままユースホステルなどで若者たちに歌い継がれていったという。そうした中、「時計台のある街」は関係者の知るところとなりプロ歌手の芹洋子さんやダークダックスによってレコーディングされることになったそうだ。私も昨夜浅沼さんの唄を聴いていて、確か芹洋子さんが歌っていたことをおぼろげながら思い出していた。                                                                                                                                                                                
     あまい匂いの すずらんの花 風に揺れてた 僕のふるさと
     あれはいつの日 友と歩いた アカシア並木 続くあの街よ
     今ごろは 夕焼けの中で 林檎が 熟している
     いつか帰ろう 僕のふるさと 時計台の 鐘の鳴る街へ

 浅沼さんはプロのミュージシャンではなかった。紆余曲折を経て50歳になろうかという2000年に音楽活動を再開し、FMラジオ局などで自身の唄を披露したり、パーソナリティとして活動したりしながら、作詞・作曲も精力的に始めたそうだ。
  
  ※ 御年74歳の浅沼修さんです。
 昨夜はそうして創られた曲のうち数曲を披露してくれた。題名だけを羅列すると…、
  ◇アカシアは見ていた
  ◇月の舟
  ◇愛の調べ
  ◇潮騒 ~東日本の青い海と蒼い空~
  ◇つばめよ空へ ~難民と流浪の人々のために~
  
  ※ 御年74歳の浅沼修さんです。
 浅沼さんは言う。自ら紡ぎ出す歌の全ては「抒情」がテーマであると…。確かに披露された曲は優しいメロディーと浅沼さんの甘い歌声で、切なさや哀愁を感じさせる情感豊かな曲だった。
ただ、少し残念だったなぁと思われたのは、歌詞がはっきりと届いてこなかったことだ。「抒情」がテーマだということは、何より詩が大切だと思うのだが、あるいは音響に問題があったのだろうか?
 そこで改めて浅沼さんのプロフィールを確かめてみると、なんと1949(昭和24)年生まれで、当年74歳だということが判明した。難しい願いだったのだろうか?
  
  ※ 素晴らしいサポート演奏を披露した江成翼さんです。
 コンサートで一つの発見があった。浅沼さんと一緒に活動されているバックのギタリストの江成翼さんのギターテクニックである。江成さんはまだまだ若い方であるが、浅沼さんの歌声を見事にサポートするギターの音色を紡ぎ出していると私は思った。はたして江成さんのギターテクがどれくらいの評価を得ているのかは全く分からないが、少なくとも私にはとても魅力的に聴こえてきた。
 時には懐かしいフォークソングを楽しむのもいいなぁ、としみじみ思えた昨夜のコンサートだった。

 ※ コンサートの最中の写真撮影について特段の規制がなかったので、その時の様子を写した数枚をアップすることにします。

中央区高齢者講座⑨「エゾシカの6次産業化を目指して」

2023-08-25 13:39:12 | 講演・講義・フォーラム等
 世の中には元気なお年寄りがいるものである。齢73歳にして、まだ産業として目途の立っていない野生のエゾシカを獲って、肉や皮を加工し、さらにはそれら製品を販売するという6次産業化を目指して会社を起ち上げようと奮闘する方の話を聴いた。
        
 札幌をはじめ北海道内に発令されている「熱中症警戒アラート」のために、私が代表を務める「めだかの学校」も臨時休校を余儀なくされる羽目となった。というのも、本来であれば本日の午後、「歩いて巡ろう!札幌の公園」の第5弾として「西岡公園」を巡る予定となっていた。この企画も、今回だけは公園管理事務所が市民向けに行っている「おさんぽガイド」に相乗りする形で行うことにしていたのだが、管理事務所から「熱中症対策の意味もあり、今回は中止したい」という連絡があり、止むを得ず「めだかの学校」としても中止せざるを得なくなったということなのだ。北海道内を襲う熱波恐るべし!といったところだ。
 さて、本題に戻ろう。毎週水曜日に受講している「中央区高齢者講座」の第9弾は「エゾシカのお話~エゾシカ6次産業化の勧め~」と題して、音威子府村在住で、N PO法人エゾシカネットに所属する秋山實氏を講師に招いて開講された。
   
   ※ 講演中の秋山氏です。とても若々しくエネルギッシュな方でした。
 実は私は3年前に一度秋山氏のお話を伺ったことがあった。秋山氏は数奇な生き方をされてきた方のようだ。数奇と言っても別に怪しい生き方をしてきたということではない。東京電力に勤められたり、インターネット関連の事業を起こしたり、東北大学で博士号を取得したりと興味関心が多岐にわたる方のようである。そうした中で秋山氏がたまたま北海道で一か月ほど山登りなどを楽しんだ際に、北海道においてエゾシカが異常繁殖していることを知り、この問題を何とかしようと2016年、一念発起して音威子府村に移住したということなのだ。
 それから猟銃免許を取得し、エゾシカ肉を加工する免許(管理栄養士)を取得するために名寄市立大学に4年間通い免許も取得したという。そして野生のシカ肉を流通に乗せるためには一刻も早く処理するための食肉処理場が音威子府周辺には無いことから、自ら私営の食肉処理場を手造りで建ててしまったという。いやいや、恐るべきエネルギーである。
 その間の生活の糧は音威子府に「カフェ咲来」を開店して生計を立てているという。
     
 ※ 秋山氏が開発したシフォンケーキが人気のカフェ咲来だそうです。右は秋山氏です。
 秋山氏のお話によると、いよいよエゾシカの6次産業化を目指して講演の翌日にも「咲来合同会社」の設立申請を提出するということだった。
 秋山氏は講演中に何度も「政治家を紹介してほしい」、「政治を動かしたい」といった趣旨のことを話されていた。詳しくは承知しないが、秋山氏が考える6次産業化を推し進めるにはまだまだいろいろな隘路があるということのようだ。秋山氏の事業が軌道に乗ることを期待したい。そのことが増えすぎる道内のエゾシカ対策にもなることなのだから…。
 それにしても私は秋山氏のエネルギッシュな生き方には驚いてしまった。齢73歳である。外見も若々しいが、その考え方、行動力はまるで若々しい起業家のようである。
 講演後の質疑応答時に私は思わず質問してしまった。「事業は息子さんが引き継いでくれるのですね」と…。すると「いや、息子の意志は分からない。私は100歳まで生きるのだからまだ17年もあります」とまだまだ前向きだった。なお、息子さんは近くの自治体で地域起こし協力隊の一人として活躍し、狩猟免許も取得済みだという。きっと父親の素晴らしい生き方から大きな影響を受けていると思われる。きっと、彼が秋山氏の意志を継いでくれるであろう。
 いやいや、私には秋山氏のような生き方はともてできないが、とんでもない刺激をいただいたことだけは確かである。もしこの後、生き方に躓いたときは、この日伺ったお話を反芻し私自身に勇気を注入したいと思った。                        

気温33℃ 炎天下での野外奉仕活動

2023-08-24 20:20:21 | ボランティア
 いや~、暑かった。全道一円に熱中症警戒アラートが発せられる中、私たち70歳を超えたお年寄りたちは、大通公園の花壇の花がら摘みなどの奉仕活動に汗を流した。私は密かに活動中止指令を待っていたのだが…。
  
  ※ 私たちの花壇の維持管理活動の様子です。
 4月から始まった大通公園の花壇への花の植栽、そして花たちの維持管理活動は班別に毎月一度程度の割合で活動を続けているが、本日は5回目の活動日だった。
 私はここ数日、北海道(札幌)が過去にないほどの猛暑日が続いていることから「あるいは活動が中止になるのでは?」という淡い期待を抱いていたのだが、そうした連絡は届かなかった。
 集合は午前9時30分。私は9時に自宅を出て、自転車を駆って大通公園の管理事務所(大通公園西7丁目)に向かった。9時とはいえ、ムッとするような熱気に包まれた。
 管理事務所で活動の用具をリアカーに積み込み、私たちが維持管理を受け持っているのは大通公園西3丁目のボーダー花壇という道路に沿って真っすぐに造られた2本の花壇に植えられた花々の維持管理活動である。
 管理事務所の担当の方が「今日は暑いので、マリーゴールドの枯れたのを摘み取るだけで、早く切り上げましょう!」と言ってくれた。私たちの班は確か10名だったはずだが、自主的に休んだ方もいて、今日の出動は6名だった。
 活動を始めたのは9時半すぎだったが、ビルの壁に表示されている温度計はその時すでに33℃を指していた。ちょっと動くだけでも汗が噴き出てくる。私は早く切り上げたいばかりに懸命にマリーゴールドの枯れた花を摘み取ることに専念した。女性の方たちはさすがに丁寧である。マリーゴールド以外の花でも気になる部分には手を入れていた。
  
  ※ ビルの壁の温度計が気温33℃を示しています。
 1本目のホーダー花壇の手入れを終え、休憩を挟んでもう一本のボーダー花壇の手入れを終えたのは11時前だった。いつもは12時近くまでかかるのだが、今日は簡単な手入れで済ませたので、早めに切り上げることができた。それでも活動を終えると皆汗まみれの様子だった。
  
  ※ もう一本のボーダー花壇の様子です。
 私たちが活動する大通公園の3丁目は特に観光客に姿が目立つ。彼らの目に私たちはどう映っているのだろうか?願わくば「札幌はきれいな街」、「優しい街」と記憶に刻んでほしいものだ。私たちが観光客として他の街の観光地を訪れ、きれいに整えられた街を見たた時に感ずるように…。
  
  ※ 活動を終え、札幌テレビ塔をバックに参加者一同で記念の一枚です。
 それにしても炎天下の活動は身体に堪える。帰宅した私は軽い睡眠をとって疲労を取り、午後から予定していた講座の受講に向かったのだった。

北海道・札幌2030冬季オリンピック・パラリンピック公開討論会

2023-08-23 19:44:12 | 講演・講義・フォーラム等
 8月3日(木)夜の「道新フォーラム」に続いての札幌冬季五輪開催の賛否を考える討論会である。今回も多士済々の論客が登壇した。特に杉村太蔵氏と佐藤のりゆき氏のやりとりは賛成、反対論者の考え方の違いを浮き彫りした論戦だった。

 一昨日(8月21日)夜、共済ホールにおいて札幌青年会議所主催の表記討論会が開催されたので参加した。今回は「道新フォーラム」の時よりはたくさんの聴衆を集めて(新聞報道によるとおよそ参加者は360名とあった)の討論会となった。討論会の登壇者は次のとおりだった。
 ◆秋元克広 氏(札幌市長)
    
 ◆田原総一朗 氏(ジャーナリスト ※オンラインでの参加)
    
 ◆杉村太蔵 氏(タレント)
    
 ◆佐藤のりゆき 氏(TVキャスター)
    
 ◆大川哲也 氏(弁護士)
    
 ◆船木和喜 氏(長野オリンピック金メダリスト、経営者)
    
 ファシリテーター 佐藤麻美 氏(フリーアナウンサー)
    
 登壇者の札幌冬季五輪に対する賛否の色分けは、田原氏、杉村氏、船木氏が賛成、佐藤氏は反対、大川氏は懐疑的といった色分けだった。また、秋元氏は招致の当事者であるから当然のように招致に市民の賛意を得たいという立場である。 
 このような中で、リード文でも触れたように両方の立場を代表するような形で、杉村氏と佐藤氏がそれぞれの考え方の違いを浮き彫りにしてくれたので、そのことを中心としてレポすることにしたい。
 その前に、「道新フォーラム」をレポする際も、私の立ち位置について述べた。(その時の内容は8月7日の拙ブログをご覧ください)私はこの問題に対してどちらかというと消極的賛成、あるいは条件付き賛成という立場であることをはっきりさせておきたい。だから、私のレポには多少バイアスがかかっていることを前提にしてお聴きいただければと思います。
 杉村太蔵氏は言う。「札幌市は施設については更新時期に来ている施設は整備するが、五輪のために施設を新設することはない。運営費についてはスポンサー資金(民間資金)で運営すると言っている。そのことを信用して開催を後押ししてほしい」と訴えた。それに対して佐藤氏は「いざ開催が決まると、計上された予算の3倍はかかり、無駄な税金を投入することになるから誘致を返上すべきだ」と訴えた。これに対して杉村氏は「札幌市は運営費に税金は使わないと言っている。それほど札幌市を信用できないのなら、佐藤氏自身が組織委なり、組織内部に入って眼を光らせれば良いのではないか?」と問うたが、それには佐藤氏は答えなかった。
 このことを皮切りに佐藤氏は、秋元氏が挙げた「五輪開催によって札幌の国際的な地位をさらに向上させたい。そして札幌へのインバウンド客の増加策の一つとしたい。etc.…」について佐藤氏は「札幌はSNSなどで認知度は十分に高まっている。今さらオリンピックでもない。観光客が来ることなどない。税金の無駄遣いは許せない。」などとことごとく反論し、さらには「秋元氏は公にはできない密約をどこかとしているのではないか」などと述べ、あきらかに秋元氏の感情を逆なでするかのような発言に終始した。こうした佐藤氏の発言に対して秋元氏は敢えて反論することもなく大人の対応をしていた。
 私は議論を聴いていて、佐藤氏のような手法(論法)を苦々しい思いで聴いていた。論争をする際、論争相手の感情を逆なでするような手法(論法)は方法としてはあり得るのだろう。しかし、冷静に議論を聴こうとしている第三者には、そうした手法(論法)は聞き辛いだけである。
 対して杉村氏はどうだったかというと、そうした佐藤氏の発言に乗ることはなかった。杉村氏は「薄口評論家」などと有難くない代名詞をマスコミから与えられているが、長年テレビでコメンテーターを務める中で鍛えられ(?)、けっして偉ぶることなく我々一般人の代弁者としての役割を務められるようになったと思う。
 その他の登壇者はどうだかったというと、弁護士の大川氏は法律家としての立場から慎重論に終始したが、非常に分かりやすい解説だった。その賛否については明らかにしないまでもあくまで慎重論に終始していたと感じた。
 田原氏はオンライン参加のためか、どうも氏の発言は今一つかみ合わないまま終始した感じだった。
 そして船木氏の場合は、直接議論には加わりたくないといった意志が感じられ、「札幌で開催してほしいが、選手の立場としては歓迎されない中で競技はしたくない」的な発言をされていた。
 会場には、先の「道新フォーラム」の際もそうだったが、今回も明らかに反対派だと思われる人たちが一定数に入場していて、佐藤氏の発言に拍手を送っていたのが目立った。
 この北海道・札幌2030冬季オリンピック・パラリンピック誘致の問題は、まだまだどうなるのか予断を許さない状況だと思われる。今後の推移を注意深く見守っていきたいと思っている。

ウポポイ、ピリカコタン周遊バスツアー

2023-08-22 22:11:33 | 道内の旅
 ウポポイ、ピリカコタンというアイヌ文化を理解することができる施設を巡るツアーが交通費無料で実施されると聞いて、友人と共に三人で参加した。今日一日、アイヌ施設を巡りながらアイヌ民族について考える時間を持つことができた。
       
 私が6月に白老町にあるウポポイ(民族共生象徴空間)を訪ねたと知り、友人たちは俄かにウポポイに関心を抱いたようだ。そして「もう一度三人で行ってみないか?」とお誘いがあった。その話と前後するように、札幌市が主催する「ウポポイ、ピリカコタン周遊 日帰りバスツアー」が交通費無料で実施されることを知った。「これは良い機会!」とすぐさま本日8月22日(火)分を申し込んだのだ。
 本日のツアーには36人の申し込みがあったという。参加者で目立ったのは女性のグループで、男性の場合は夫婦のペアで参加されている方がほとんどで、男性だけのグループというのは我々だけだったようだ。
          
 いただいた行程表によるとウポポイの滞在時間が昼食時間を含めて3時間30分(10時から13時30分まで)ということで、その間の行動は各自に委ねられるという。そこで3人で相談して次のように行動する予定を立てた。(ウポポイが提供する各種プログラムのタイムテーブルを睨みながら…)
 10:30~10:50 伝統芸能上演「シノッ」(体験交流ホール)
  
  ※ 開演前の体験交流ホールのステージです。開演中は前の窓は閉じられ、映像がふんだんに流れました。また、客席の方もほぼ満員状態でした。
 10:55~11:30 ちょっと早めの昼食(ウポポイ内フードコート)
 11:30~12:00 国立アイヌ民族博物館観覧
  
  ※ 国立アイヌ民族博物館内の一部の展示の様子です。
 12:00~12:20 シアタープログラム「アイヌの歴史と文化」(国立アイヌ民族博物館内)
 12:40~12:55 文化解説プログラム「ウパㇱクマ」(野外ステージ)
  
  ※ 野外ステージで狩猟の仕掛けの様子を説明する係員の方です。
 12:55~13:20 時間まで館内施設を自由観覧
 滞在時間が3時間30分ということを考えれば、これが精一杯の計画ではないかと思うが、私たちはこの計画どおりに行動することができた。その中で私が個人的に最も心を動かされたのはシアタープログラムの「アイヌの歴史と文化」だった。そのことについては後ほど触れたいと思う。
        
 ウポポイ(白老町)から2時間かけて札幌市アイヌ文化交流センター「サッポロピリカコタン」に移動した。
  
  ※ 札幌アイヌ文化交流センター「サッポロピリカコタン」の外観です。
 ここの滞在時間は1時間だったが、そのうち半分は「ストラップ製作体験」というワークショップに費やされ、残りの時間を館内観覧に充てられたので私たちが工夫する余地はなかった。
  
  ※ サッポロピリカコタンの内部の展示を見入る参加者たちです。
 朝8時20分に札幌駅からバスに乗り、18時に札幌駅で解散するまで残りの時間はバスの中だった。さすがにこの歳になると、長時間のバス乗車は疲れるものだが、「良い旅ができたなぁ…」という心地良い感慨に浸ることができたバスツアーだった。
 ところでリード文で触れた命題についてだが、私が今関心を持っているのは世界遺産に登録された「北海道・北東北の縄文文化」についてなのだが、ずーっと疑問に思っていたことがあった。それは「縄文人が…」という文脈では語られるのだが、「それは民族としては誰?」という私の疑問には答えてくれるものではなかった。北海道に和人が渡ったのは歴史的には室町時代から江戸時代初期ということになっている。その頃の北海道(蝦夷地)は「アイヌ文化期」と呼ばれていた。じゃあ、その前の続縄文時代、さらにその前の縄文時代に蝦夷地に住み縄文文化を開花させたのはいったい誰で、何という民族なのか?そのことが「北海道・北東北の縄文文化」についてのお話を聞いても、関連図書に眼を通してもいっこうにはっきりしないのだ。
 それが本日、シアタープログラムの「アイヌの歴史と文化」を観て、さらには国立アイヌ民族博物館の展示を見て、おぼろげながら縄文人というのは、アイヌ民族に繋がる先住民族らしいということが分かったような気がしたのだが…。
 そのことについて、なぜはっきりと明示したり、発言したりしないのだろうか?まったくの外野の人である私には少々気にかかるところが疑問として残ってしまった…。
  
  ※ おまけの写真。私たち友人3人組ですが、ポロト湖畔をバックにと思って撮ったのですが、なんと逆光でした。そのため誰が誰と分からないはずと思い無修正で添付しました。