田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も12年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道開拓の村ボランティアの力量

2019-09-13 18:11:41 | 講演・講義・フォーラム等

 開拓の村ボランティアは現在189名が登録されているという。ボランティア組織としてとても整っている組織との印象を受けたが、そのボランティアの方の一人一人の力量にも素晴らしいものを感じさせられた。 

 9月12日(木)午後、北海道開拓の村において「道民カレッジ称号者セミナー」が開催された。このセミナーの開催目的は、道民カレッジで学士や修士、博士などの称号を得た人たちが、道民カレッジで学んだ成果を他に生かすキッカケを掴んでほしいという目的でもって開催されていると私は理解している。そこで今回は、「北海道開拓の村ボランティア」の実践に学ぼうというものだった。

 セミナーは最初に北海道開拓の村館長の中島宏一氏より、ボランティアの組織や活動内容について説明を受けた。それによると、現在ボランティアとして登録している人は189名で、最高齢は87歳、平均年齢は71.8歳という高齢者の集まりであるとされた。

       

       ※ 中島宏一開拓の村館長の話を聞く受講者たちです。

 北海道開拓の村は昭和58年に開館(開村)したが、職員不足を補う目的でもって昭和62年からボランティア制度を導入したということだった。当初は文字どおり職員不足を補う助手的立場であったが、平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災において自然発生的に、自らの創意工夫で活躍したボランティアの存在によって、ボランティアそのものの質の変化があったという。以来、開拓の村においてもボランティアが助手的立場ではなく、自分たちで創意工夫し、より良い開拓の村の在り方について提言し、実践するボランティアに生まれ変わってきたという。現在の活動内容は、①村内施設の解説・案内、②各施設における演示、③行催事への協力・参加、④曜日班の運営、と多岐にわたっているという。研修制度も充実していて、定期的な研修会の他、道内、道外、時には海外へまで足を伸ばし、同種の施設見学を実施して資質の向上を図っているそうだ。

       

   ※ ガイドの中瀬氏(青いズボンの方)によると、入村者はまずこの案内図のところで巡るコースを検討するとのことです。

 活動のメインである村内施設の解説・案内について、ボランティア一年目は単独での解説・案内はさせず、先輩について一年間の研修を終え後で初めて独り立ちするという。ということで、その後に私たちを案内したのは、敢えて二年目のボランティアを担当として充てたという説明だった。

       

       ※ アメリカの建築様式を模した旧浦河支庁舎です。

 中島館長の説明を終えた後、開拓の村巡りに移った。ガイドはボランティア2年目の中瀬清という方だった。中瀬氏は若々しくまだ60代前半ではと思われたが、その説明ぶりは堂に入ったものである。その説明ぶりからは相当に研鑽を積んでいることをうかがわせてくれた。その研鑽の一つとして道民カレッジで学んだことも披歴してくれた。

       

       ※ 村内を巡る馬車鉄道がちょうど運行していました。

 私自身はガイドをするだけの力量を有しているとは思われないし、また年齢的にも無理であるが、道民カレッジに学んだ方でまだ若い方は挑戦してみるべき価値のあるボランティアではないか、と思えた…。 

 

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「さっぽろの古を訪ねて Ⅱ」 ~ 北大構内のクラーク像

2019-09-11 18:27:07 | 講演・講義・フォーラム等

 北大構内には五つのクラーク像があるとされている。その全てを観るという願いは叶わなかったが、三つの胸像と二つのミニ胸像を観ることができ、最終回の講座を無事に終えることができた。 

       

       ※ 講座開始にあたり、ボランティアガイドの梶本氏から緑陰にてレクチャーをいただきました。

 「めだかの学校」が企画運営する講座「さっぽろの古を訪ねて Ⅱ」の第6回講座(最終講座)を昨日10日(火)、北大構内を会場に開催し、無事終了することができた。

 今年度のテーマは「お雇い外国人の事績を辿る」として、

◇第1回が講座全体のレクチャーと大通公園のホーレス・ケプロン像と黒田清隆像の見物

◇第2回がW.ホイラーやW.P.ブルックスの事績を辿って北大の第二農場へ

◇第3回が幌内鉄道を敷設したJ.U.クロフォードの事績を訪ねて小樽市総合博物館へ

◇第4回がクラークの影響で創立された札幌独立キリスト教会を訪ね

◇第5回がW.ホイラーの計画で建てられた旧札幌農学校演舞場とお雇い外国人に関わる絵画で展示されている道庁赤れんが庁舎を訪れた

そして、最終回の今回である。

 最終回はお雇い外国人として最も著名で、後世への影響力も大きかったW.S.クラーク博士を取り上げることにして、北大構内にあるクラーク像を巡ることにした。北大構内のクラーク像は、

 ◇北大中央ローン

       

       ※ クラーク像の中でも最も有名な中央ローンのクラーク像を観る受講者です。       

 

 ◇北大本部会議室

 ◇クラーク会館   

                        

           ※ クラーク会館三階に置かれているクラーク像です。

 ◇北大文書館

       

       ※ 北大文書館内の展示物を見る受講者たちです。

       

       ※ 北大文書館内に設置している石膏製のクラーク像です。

       

  ※ 文書館内には新渡戸稲造書の「Boys Be ambitious」の書です。これはレプリカですが、真書も保存しているとのことです。

       

       ※ 北大では成績優秀者にミニクラーク像を贈呈していたそうです。これはその一つではと思われます。

 ◇保健センター

の5か所にあるとされている。私たちは事前に見学が可能か否かを尋ねて歩いたが、本部会議室と保健センターは外部公開をしていないとのことで断念し、残り3ヵ所と、文書館と総合博物館にあるミニ胸像を観て回ることにした。案内は前回同様に札幌市の観光ボランティアガイドの梶本孝氏にお願いした。梶本氏は私たちの期待に応えていただき、今回も素晴らしいガイドぶりを披露していただいた。5つのクラーク像を観て回るだけなら、30分もあれば終わってしまう。ところが梶本氏はクラーク博士についての蘊蓄をあれこれと披露していただき、2時間たっぷりと使って私たちをガイドし、引率してくれた。その蘊蓄の一つに、クラーク博士が日本から帰国後に事業に失敗したりして失意のうちに人生を閉じることになってしまったことなど、私がこれまで知らなかったあれこれを教えていただくことができた。

       

       ※ 北大総合博物館内のクラーク博士コーナーに設置されているミニ胸像です。(右手)

 以上6回にわたって「お雇い外国人の事績を辿る」というテーマのもとに講座を組んできたが、お雇い外国人が北海道を開発する初期において果たした役割には大きなものがあるが、さすがそれから150年近く経過するとそれらの痕跡を辿ることにも難しさがあった。訪れることができたところは、微かな点に過ぎず、その全てを今に観ることなど不可能である。私は最後に受講者に向けて「今回観たことを、皆さんのこれまでの知識と、これから得る知見を加え、それらを融合することによってお雇い外国人の事績をより深く理解していただければ…」と訴えた。それはまた、私自身への課題でもある。

 今回の講座においては毎回受講者にアンケートをお願いしてきた。幸い毎回受講者からは高い評価をしていただいた。今は一連の講座を無事に終えることができ、ホッと安堵しているところである。

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またまた合田一道節に酔う

2019-09-08 14:35:07 | 講演・講義・フォーラム等

 ノンフィクション作家の合田一道氏のお話を伺っていると、それまでセピア色に見えていた歴史上の人物が、俄かに色彩を帯びて生き生きと立ち上がってくるように感じられる。今回もまた、松浦武四郎の生きざまを鮮やかに物語ってくれた。

              

             ※ 松浦武四郎の唯一残っている肖像写真です。

 9月5日(木)午後、「ほっかいどう学」かでる講座の9月編(第6回)が開講された。

今回の講師はノンフィクション作家で、ほっかいどう学を学ぶ会の顧問を務められている合田一道氏「松浦武四郎の短歌でたどる北海道」と題するお話を伺った。

 合田氏はまず松浦武四郎について、次のように評価した。松浦武四郎は探検家であり、収集家、文筆家、浮世絵師であって歌人でもあった。天文学や植物学などにも通じ、さらには旅の資金を得るために篆刻までもやったという、まさに全てに通ずる超人であったと評した。

       

       ※ 武四郎著「石狩日誌」の写本を手に講演する合田一道氏です。

 松浦武四郎は私人として3度、公務で3度蝦夷地に赴き、約150冊もの調査記録書を遺したにもかかわらず、江戸において「蝦夷日誌」と呼ばれる数々の著作を発行したのだが、そこには虚実織り交ぜての内容が含まれているとの評価からその実績が正当に評価されてこなかったきらいがあるという。しかし、合田氏は自らが新聞記者出身ということもあり、武四郎をジャーナリステックな視点から見ると非常に興味深い人物であると高く評価した点が印象的だった。

 講座は講演テーマにもあるとおり、松浦武四郎が蝦夷探検中に創った短歌を味わいながら武四郎の蝦夷探検に思いを馳せるというものだった。しかし、合田氏は自らも述べたように歌人でもなければ、古文書の専門家でもないという。それは合田氏の講演を何度もうかがっている自分としては承知のことであり、短歌や古文書を正確に読み取るというよりは、その短歌や古文書から武四郎の思いや探検の大変さを思い起こすというところに合田氏の真骨頂があると私は思っている。今回の講座においても武四郎が創った50首以上の短歌を紹介していただき、それを順次読み進めながら武四郎の偉業に思いを馳せるとともに、武四郎の蝦夷や蝦夷人(アイヌ人)への想いに迫るものだった。

       

       ※ 「石狩日誌」は版木でもって印刷され発行されたが、写真のようにカラー版だったようだ。

 数多くの短歌を紹介していただいたが、その中から私が特に心に残った2首を書き写し本レポートとしたい。

玉ほこの 陸奥(みちのく)こえてみまほしき 蝦夷が千しまの 雪のあけぼの

蝦夷人とて いかでへだてん心して 撫(なで)れば同じ御代の民草

 

 それにしても合田氏はお元気である。確か当年85歳のはずだが、矍鑠(かくしゃく)として2時間の講座を苦も無く乗り切った感じだった。道民カレッジ事務局によると、来年度の「かでる講座」での講演も決まっているという。またまたまた合田節を楽しみたい。

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いしかり市民カレッジ 日高路の旅

2019-09-06 21:43:09 | 講演・講義・フォーラム等

 今回の見学旅行のハイライトは何といっても「むかわ竜」の里、むかわ町立穂別博物館を訪れたことだろう。穂別地区が「むかわ竜」だけではなく、クビナガリュウやモササウルスの化石が産出された化石の宝庫であることを初めて知った。

        

     ※ 「むかわ竜」の発掘化石のレプリカが博物館の壁に展示されていました。早速、新属新種名も掲示されています。

 このところ「いしかり市民カレッジ」づいている。本日、いしかり市民カレッジがバスを使用しての見学旅行「日高路の旅」を開講したので参加した。見学先は、「二風谷アイヌ文化博物館」「旧国鉄富内駅跡」「むかわ町立穂別博物館」の三か所だった。 

 最初の「二風谷アイヌ文化博物館」は私にとっては二度目の見学だった。博物館は1992(平成4)年に開館しているが、かなり整理されて展示がされている。専門的に見ると二風谷アイヌ独自の事物の展示もあったのかもしれないが、私の目には他のアイヌ関係の博物館、資料館などとの大きな違いは感じられなかった。

      

      ※ 二風谷アイヌ文化博物館のエントランスです。

      

      ※ 敷地内には大きさの違うチセが九つ展示されていました。

      

      ※ アイヌ民族がイオマンテ(儀式)の際に使用する祈りの道具です。 

 私にとってむしろ興味深かったのは、隣に建っていた「沙流川歴史館」だった。二風谷ダムが建設されたのを機に開館したと思われるのだが、沙流川流域全体の歴史や自然に関する展示が興味深かった。

      

      ※ 沙流川歴史館の半地下形式のエントランスです。

      

      ※ 沙流川歴史館の裏側からは二風谷ダムを望むことができました。

 続いて「旧国鉄富内駅跡」であるが、旧穂別町では1947(昭和22)年に初の民選町長として30代後半の横山正明氏が当選した。横山氏は宮沢賢治の精神で村づくりを進めると決意し、着々と村づくりを進めたが財政がひっ迫して途中で夢は挫折する。しかし、横山の思いは村人に受け継がれ、村人たちは旧宮内駅を「銀河ステーション」と呼称し駅舎やレールの活用を図ったそうだ。そして駅舎の近くには賢治が設計した「涙ぐむ眼」の花壇が今も住民によって作られ続けているという。残念だったのは、時間の関係からバスを下車することができず車窓からの見学のみだったことだ。それでもなんとか写真だけは撮ることができた。

      

      ※ 通称「銀河ステーション」の旧富内駅です。

      

      ※ 宮沢賢治設計の「涙ぐむ眼」の花壇です。(後の建物は集落の会館だと思われます)

       

      ※ 宮沢賢治作「銀河鉄道」が鉄路を空へ伸ばしていることを模したものと思われます。

 最後は「むかわ町立穂別博物館」である。2003(平成15)年に発見された草食恐竜「むかわ竜」は関係者・ファンの間で大きな話題となっていたが、おりしも本日の道新で「むかわ竜は『カムイサウルス』」という新属新種であることが認定されたというビッグニュースが飛び込んできた日に地元の博物館を訪れることができたという僥倖に恵まれた。もっとも、現在むかわ竜の発掘された化石は国立科学博物館に展示中で、穂別博物館にはレプリカが壁に展示されていた。

       

      ※ 無造作に置かれた(?)巨大なアンモナイトの化石です。      

 そのことより私にとっては、そもそも穂別博物館が海生のクビナガリュウの化石の発見を機に建設されたことを知ったことだ。さらに海生のモササウルスの化石も発見されていることも知った。そして大量の大きなアンモナイトの化石もずらりと並んでいたのも壮観だった。まさに穂別地区は化石の宝庫であることを改めて知ることができた。特に、日本において真の意味での恐竜の化石の発掘は少ない中、今回の陸生の恐竜「むかわ竜(カムイサウルス)」を発掘したことは大きな意味があると思われる。

      

      ※ クビナガリュウやアンモナイトが棲息していたころの想像図ですね。

      

      ※ 巨大なクビナガリュウの化石の完成予想レプリカです。

       

      ※ モササウルスの復元模型です。

 今回の見学旅行は長い移動を伴う旅だった。運転手さんに伺うと「250キロは走ったのでは」ということだった。長いバスの旅だったが、幸いだったのは大学の同窓のK氏が参加していたことだった。予想もしていないところでの再会に近況や互いの学びなどあれこれと話が弾み退屈しないで済んだ長い旅だった。

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流通の最先端を観る~石狩湾新港

2019-09-05 17:32:29 | 講演・講義・フォーラム等

 倉庫内を無人のフォークリフトが縦横に動く、精米され袋詰めされた米袋が倉庫内を無人の滑車が走り回り、立体化された倉庫に次々と積んでいく…。流通の最先端では無人化が、AI化がどんどんと進んでいるようだ。 

 9月2日(月)午前、いしかり市民カレッジが主催する「発展する石狩湾新港の役割」の第2回講座に参加した。今回のテーマは「流通の最先端を観る」ということで、石狩新港内に進出する二つの企業を見学した。その二つとは、株式会社エースの「石狩第7物流倉庫」と、ホクレンの「ホクレンパールライス石狩工場」である。

       

       ※ (株)エースの第7物流センターの外観です。

 最初に見学した(株)エースは北海道を中心として(最近は東北、関東にも進出している)一般貨物運送事業と労働者派遣事業を主たる業務としている。その貨物運送事業の一環としてロジステック業務にも力を入れているということだ。見学した第7物流センターは完成間もないということだったが床面積3,000坪の大きな倉庫だった。その倉庫の一部が完全無人エリアとなっていて、そこでAGFという無人フォークリフトがレーザー誘導方式によって倉庫内を縦横自在に動き、荷物の出し入れをしていた。こうした方式は、北海道では全ての業界で初であり、物流業界では全国初の試みだということだ。

       

       ※ AGF無人フォークリフトです。こうしたリフトが3台鎮座していました。

       

       ※ 稼働中のAGFウォークリフトです。

       

       ※ 高いところにある荷物を積んだパレットを引き出そうとしているところです。

 自動車業界においては現在自動運転化の研究が急ピッチで進められているが、担当の方の話によると、フォークリフトの自動運転化について日本は遅れているとの説明があった。

        

       ※ ホクレンパールライス石狩工場の外観です。

 続いて見学したのが、ホクレンパールライス工場であるが、ここでは玄米の貯蔵、精米、袋詰め、貯蔵と一連の工程がすべて自動化された工場だった。最近のいろいろな工場見学の例に漏れず、私たちが見ることができるのは機械の外観ばかりであまり興味が持てない。そのことは機械化が進んで今は当たり前のことであり、仕方がないことである。

       

       ※ 見学者(修学旅行生)に米についてのあれこれを楽しく説明した「ごはんミュージアム」です。

       

       ※ 精米工程のところですが、ご覧のように見えるのは機械だけです。

 私が興味をもったのは、袋詰めされた米袋がパレットに積み上げられ、それが滑車によって運ばれ、立体化した倉庫に自動的に貯蔵される様子だった。そこにもちろん人はいない。コンピュータによって制御された滑車が、私からみたら無秩序にあちこちと走り回って倉庫内の空いているところに積み上げていく場面だった。

        

       ※ 写真は、袋詰めされた米袋をパレットに積み込むロボット(バイタイズロボット)の稼働中の様子です。

 想像はしていたが、生産や物流の場面ではこうして機械化、AI化がどんどんと進んでいることを実感させられた。今後、研究・工夫が進み、私たちが考えてもいなかった労働の場面まで機械化、AI化が進出していくのだろうなぁ…、と思わされた今回の見学だった。

 

 見学の帰り、札幌中央卸売市場の近くを通ったのだが、運転手を乗せたフォークリフトが忙しく立ち回っていた。あのような光景もやがて無人に変わっていくのだろうか?

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ラグビー元日本代表 吉田義人氏は語る

2019-09-04 20:18:52 | 講演・講義・フォーラム等

 小柄ながらも抜群のスピードと、プレーのキレで一世を風靡した伝説のプレイヤー吉田義人氏は饒舌だった。来るラグビーWC2019のこと、選手時代のこと、そして自らが取り組むラグビーを通しての人材育成、等々…。吉田氏は饒舌に、そして情熱的に語った。

            

 

 昨日(9月3日)夜、ウイングベイ小樽内の「ヲタル座」においてラグビー元日本代表の吉田義人氏の講演があると知って、小樽まで出かけて行って拝聴してきた。

        

 吉田氏は自らの肩書について次のようにスライドで説明した。「ラグビー元日本代表・世界選抜」、「元明治大学ラグビー部監督」そして現在は「一般社団法人 日本スポーツ教育アカデミー理事長」と華々しい経歴と現在の立場を語った。さらには「ラグビーワールドカップ2019 開催都市特別サポーター(神奈川・横浜)」の任にも就いているそうだ。

 講演のテーマは「ラグビーW杯の楽しみ方 ラグビーに学ぶ人材育成と組織マネジメント」と題して多方面について語るものだった。

       

 前段のW杯の楽しみ方で、吉田氏のお話で特徴的だったのは、ラグビーの魅力が日本においてはまだまだ伝わっていないという嘆き(?)の声だった。吉田氏のようにラグビーW杯に2度出場したり、フランスにおいて日本人初のプロ選手となったり、と海外事情に詳しい吉田氏から見ると、日本がまだまだラグビーを楽しむことにおいては後進国であることを強調された。来るラグビーW杯2019においては海外、特にヨーロッパからはラグビーファンが大挙来日して、日本人を驚かせるだろうと語った。こうしたまたとない機会に日本人も大いに盛り上がって楽しんでほしいとし、特に今回の日本代表はかつてない力を付け、大いに期待できると語った。吉田氏もTVの解説でラグビーの素晴らしさを伝えたいと語っていた。

 一方、吉田氏が現在関わっている日本スポーツ教育アカデミーについては、子どもたちにラグビースポーツが持つ特性を生かした人間教育に力を入れていきたいと語った。面白いデータを示してくれた。現在、横浜市で登録している少年チームの数が野球400、サッカー200に対して、ラグビーはわずか4チームだそうだ。まだまだ危険なスポーツとの認識から親御さんの理解が得られていない現状であるが、吉田氏はこの現状をなんとかしたいと日々いろいろな取り組みを進めているそうだ。

       

 ラグビー精神で有名な言葉として“One for All, All for One”という言葉がある。また、ラグビー憲章では「品位、情熱、結束、規律、尊重」の五つが大切な精神と強調されているという。こうした精神をぜひ子どもたちに受け継いでいってもらいたいと強調された。

       

 今回の来道も新聞報道によるとその活動の一環のようである。札幌、および小樽において子どもたちに直接ラグビー指導をしながら、そうした精神を説いて歩いたようだ。

          

 ラグビーWC2019の開幕がいよいよ迫ってきた。私の感じでは国内(道内)の盛り上がりは今ひとつかな?とも思われるが、開幕して、その上日本チームが健闘するときっと盛り上がってくるのではないだろうか?

 私も22日(日)のイングランド vs トンガ戦を生観戦することにしているが、それ以外もTV席で大いに楽しみたいと思っている。

 

 それにしても会場となった「ウイングベイ小樽」の巨大な建物には驚いた。建物の巨大さに比して買い物を楽しむ人たちの数の少なさが気になったが…。

 

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札幌山の手高校ラグビー部監督は語る

2019-09-03 13:23:03 | 講演・講義・フォーラム等

 能弁というよりは訥々と語る姿に説得力があった。ラグビーWC2019大会の日本代表のキャプテン:リーチ・マイケル選手を育てた札幌山の手高校の佐藤幹夫監督はラグビーを、人間教育を、そしておのれの人生を語った。 

 9月1日(日)午後、札幌市西区が主催する「札幌山の手高校ラグビー部佐藤監督の講演会」が西区民センターで開催されたので参加した。会場は西区住民を中心にして満員の盛況だった。(新聞報道では300人とか)

             

            ※ 体はがっちりとしていますが、けっして上背が高くはない佐藤監督です。      

 佐藤監督は「私流ラグビーを通じた教育」と題して、自らのラグビー人生、山の手高校におけるラグビーチームの強化、あるいは人間教育などについて語られた。佐藤監督はけっして能弁ではなかった。むしろ訥々とユーモアも交えながら自らの実践を振り返った。

 佐藤監督は元香蘭女子高校が男女共学となって「札幌山の手高校」が誕生した1988(昭和63)年に赴任されたそうである。赴任早々にラグビーを立ち上げ、問題を起こすような生徒をラグビー部に勧誘し活動を開始したという。当初はなかなか成績が伴わなかったが徐々に力をつけて全道大会に出場しても、当時全盛だった函大有斗高校には歯が立たなかったそうだが、苦節12年、2000年にようやく函大有斗高校の壁を破り、以来全道大会(南大会)15連勝を飾り、強豪校に育て上げたことは有名である。

       

 そうした強化を続ける中で出会ったのがリーチ・マイケル選手である。2004年、15歳で札幌山の手高校に入学したマイケルは佐藤監督の下でたくましく成長した。今や日本代表になくてはならない存在である。そんなマイケルは佐藤監督のことを「最も尊敬する人」と言って憚らないという。その理由として「幹夫先生はいつも自分のことより生徒の力になろうと考えていた。困っている人がいたら体を張ってサポートしてくれる」と言っているという。ここに佐藤監督の監督哲学、人間哲学が表されているように思われる。

 札幌山の手高校ラグビー部は北海道でこそ強豪と言われる存在となったが、全国ではまだまだ強豪校とは言えない存在である。ラグビー部監督としては、やはり全国の強豪校の一つに名を連ねることが願いだという。そしてあわよくば全国制覇することだという。そうした夢を描きながら、生徒たちの心も体も技術も鍛え、これからも邁進していきたいと語った。

 会場には恩師(監督)のお話を聴こうと、現役の選手たちも聴講していた。講演後にその選手たちをモデル役としてラグビーの基本的なルールや戦術などを解説した。フォワードの選手たちの体格の良さ、バックスの選手たちのいかにも俊敏そうな体つきが良く見て取れた。そうした中、現在もニュージーランドからの留学生が4~5人在学していることも分かった。

       

       ※ ラインアウトの様子を実演してくれた札幌山の手ラグビー部の部員たちです。

       

       ※ こちらはラックの様子を演じてくれました。

 札幌山の手高校ラグビー部のユニフォームの胸に輝くチームロゴは「No Pain No Gain」(痛み(苦労)なくして、得るものなし)だそうである。まさにラグビー精神そのものである。「No Pain No Gain」の合言葉で是非とも全国の強豪校にのし上がってほしいと願いながら会場を後にした。

 私はこの講演会に続いて、本日(4日)夜、小樽市内で行われる元日本代表の吉田義人選手の講演会を聞きに行くことにしている。

 なお、区民センター内の別会場においてラグビーWCの「特設パネル展」が開催されていたので、その様子を撮った写真も併せて掲載することにする。

       ※ ラグビーWCの「特設パネル展」の様子です。

        

              

       

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石狩湾新港を観る!

2019-08-25 17:19:52 | 講演・講義・フォーラム等

 石狩湾新港を船とバスを駆って、内からと外から観て回る機会を得た!初めての機会とあって、観るものすべてが新鮮で心楽しいひと時だった。

       

      ※ 港湾の代表的風景の一つである荷揚げ用の大型クレーンです。

 8月23日(金)午前、いしかり市民カレッジが主催する「発展する石狩湾新港の役割」という講座に参加した。いしかり市民カレッジに参加するには、車で往復2時間近くを要するのだが、興味ある講座を開講していることが多く、内容によって時折り参加している。

      

      ※ 講座開始前のレクチャーです。説明している方はいしかり市民カレッジの運営委員のお一人です。

 

 本講座は2回連続の講座なのだが、今回が1回目ということで、テーマが「北海道の国際物流を支える港湾の役割」と題して、タグボートによって石狩湾新港湾内を巡り、併せてバスで新港沿岸に展開する各企業などの様子をバスの車窓から見て回るという内容だった。

      

      ※ 石狩湾新港管理組合の職員の方の説明を受けながら港の施設・設備を見て回りました。

 タグボートは本来人を乗せる船ではないので、定員が11名と少ないため、受講者を3班に分けて乗船させ湾内を巡った。私は第3班だったこともあり、初めはバスで沿岸を巡る班だった。案内は今回の見学会全体を引き受けたであろう「石狩湾新港管理組合」の職員の方が行ってくれた。それによると、石狩湾新港の沿岸全体の面積は幅10km、奥行き3kmで、3,000haということだった。その面積は札幌ドーム570個分に相当するという。新港工業用団地には735社が土地を取得し、そのうち659社が実際に進出しているそうだ。内訳は、リサイクル関連、エネルギー供給、コンテナ航路、各種貨物の物流基地として機能しているとのことだ。私たちはそれらの各種施設を巡って歩いたのだが、バスで通り過ぎるだけだったので、深く印象には残らなかったのは少々残念だった。

       

      ※ 車窓から撮った一枚です。写真はガラスの砕片ですが、船への積み上げを待っています。     

 いよいよ私たちがタグボートKAMUI号(丸?)に乗船する番がやってきた。

       

      ※ タグボート「KAMUI」です。他に石狩湾には2隻あるそうです。    

 救命胴衣を着け、私たちが案内されたのは甲板から3階にあたる操舵室だった。

      

      ※ タグボート内でも管理組合の職員の方が説明してくれました。

 そこから管理組合の職員の方の説明を聞きながら湾内を巡った。コースは花畔埠頭から中央埠頭を展望しながら東埠頭まで巡るというコースだった。

      

      ※ 石狩湾新港には近年風力発電の施設が増えてきているようです。

      

      ※ 荷揚げを待つ鉄くずです。東南アジア方面に輸出しているとのことでした。

      

      ※ ロシアから輸入する液化天然ガスの貯留タンクです。

      

      ※ 移動ドックだとの説明を受けました。

 タグボートから液化天然ガスのタンクとか、相当に発電能力を持つ発電所、移動式のドック、荷揚げ用クレーンなどを見て回った。乗船時間約20分、下船のころには雨が激しく降るコンディションに変わった。

 下船後には、岸壁に積み上げられたコンテナ(ドライコンテナ)の中を覗いたり、そのコンテナの積み下ろし用のブルドーザーの実演、そしてマイナス30℃のリーファーコンテナの中に入る体験などもさせてもらった。

      

      ※ 岸壁に積み上げられたコンテナ(ドライコンテナ)です。

      

      ※ ドライコンテナの内部です。児童生徒だと100人は軽く入るそうです。

      

      ※ そのコンテナを船に積み込むブルドーザー(名称不明)です。

      

      ※ リーファーコンテナという温度を自由に設定できるコンテナの背後です。

 いずれもが個人的にはけっして体験することのできないことを体験させていただくことができ大満足の見学会だった。

 当初、このブログを「石狩湾新港を視る!」としたのだが、印象としては詳しく視るというよりは、港湾の設備をいろいろとたくさんの施設などを観せていただいた感が強かったので「石狩湾新港を観る!」とした。

 次回は「最先端の物流センターを見学しよう」というテーマで「ホクレンパールライスセンター」と「エースいしかり第7物流センター」を見学することになっている。こちらもとても期待大である。

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北海道生涯学習協会賛助会員の集い in 北大総合博物館

2019-08-09 19:30:58 | 講演・講義・フォーラム等

 これまで何度か訪れたことのあった北大の総合博物館であるが、博物館の専門スタッフ(副館長)に案内・解説していただきながらの観覧は初めてだった。これまで展示内容をいかに漫然と眺めていたかを思い知らされた。

       

      ※ 北海道大学総合博物館の正面です。

 北海道生涯学習協会の賛助会員とは、公益財団法人である北海道生涯学習協会の運営資金確保のために少しでも寄与しようとする人たちの集まりである。(個人会員の他、法人会員もいるようだ)そうした会員の研修と親睦を深めるために年一回実施されているのが「賛助会員の集い」である。その集いが本日(8月16日・金)北海道大学総合博物館を会場にして開催された。

 今回の集いには昆虫体系学を専門とされる北大総合博物館の教授であり、副館長を務める大原昌宏教授に案内・解説していただいた。

        

       ※ 私たちに案内・解説いただいた大原昌宏副館長(教授)です。

 まず総合博物館の外観であるが、開館したのは1999年と意外に歴史は浅い。そもそも外部への公開を目的とした大学の博物館という発想は歴史が浅いのかもしれない。博物館の建物自体は1930年に建てられた理学部の本館を転用したものである。だからその正面から見る建物自体は重々しく歴史を感じさせるものである。

 博物館の総床面積は9,000㎡だが、展示面積は3,000㎡で、残りは収蔵庫となっているそうだ。収蔵物はなんと約400万点に上るとのことだった。 

 博物館は2016年に開学140年を記念して耐震化とリニューアルを行い、北大の歴史を展示した4室(この部分は変わっていない)と、学内各学部による展示方法に変えたところが大きな変更だという。その各学部、研究機関の展示が1~2階に展示され、大原副館長によると展示内容を各学部に委ねることによって展示内容の充実が図られているとのことだった。

              

             ※ クラークコーナーには、クラーク博士の胸像のミニチュアが展示されていました。

 3階は収蔵されている各種標本を部屋別に展示されていた。地質学、生物分類学、考古学、科学技術史、医学などの分野の展示があった。私が興味を覚えたのは、某教授が作成したという地球の内部を輪切りにして現在科学的に解明されていることを図示した展示だった。地球全体から見ると、地表や海、大気圏がいかに薄いものであるかを実感できる概念図だった。

       

      ※ 地球内部を百万分の一の縮尺で表現した図がとても興味深かったです。

 大原副館長の案内・解説はとても平易で、私たちシニアにも分かりやすく説明してくれた。今後も機会がある度に訪れたいと思わせてくれる解説ぶりだった。

 最後は学生食堂体験という主催者の粋な計らいで、美味しいカレーライスをご馳走になり解散となった。

 

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「さっぽろの古を訪ねて Ⅱ」 ~ 旧札幌農学校演舞場

2019-08-07 19:39:55 | 講演・講義・フォーラム等

 札幌農学校の1期生、2期生がいかに優秀であったかについてガイドの梶本氏は滔々と語られた。豊富な経験と確かな知識を持つ梶本氏の説明は聴くものを飽きさせず、内容の濃い2時間を過ごすことができた。

      

      ※ 札幌時計台に入館する前に、札幌農学校演舞場の歴史について受講者に説明する梶本孝氏です。

 「めだかの学校」が企画運営する講座「さっぽろの古を訪ねて Ⅱ」の第5回講座を一昨日5日(月)、旧札幌農学校演舞場と旧道庁赤れんが庁舎を会場に開催した。

 私たちが企画・運営する講座「さっぽろの古を訪ねて」は、基本的に見学する箇所の資料は私たちが準備する。しかし、現地における案内・説明はそれぞれの専門家や関係者にお願いすることにしている。例えば、前回の札幌独立キリスト教会で教会の主管者に、小樽市の総合博物館では学芸員の方に、というように…。

 そこで今回と次回は、札幌市の観光ボランティアガイドの梶本孝氏にお願いすることにした。梶本氏については、昨年の講座でお願いした際に、受講者から大好評をいただいた方だった。

       

 今回の現地見学は次のとおりだった。

 ◇旧札幌農学校演舞場(現札幌時計台)の展示室見学

 ◇同館2階のクラーク座像、時計台の仕組みを見学

 ◇札幌農学校演舞場跡記念碑見学

 ◇道庁赤れんが庁舎内のお雇い外国人に関する絵画の観賞

       

      ※ 札幌時計台の2階講堂において梶本氏の説明を聞く受講者たちです。

 梶本氏は最初からエンジン全開だった。旧演舞場(時計台)に入る前に、まずは戸外で演舞場が建てられた経緯を10数分にわたり説明された後、旧演舞場(時計台)の展示室に入って説明された。そこでは、札幌農学校の一期生、二期生で後年名をあげた佐藤昌介、渡瀬寅次郎、新渡戸稲造、広井勇、有島武郎などについて触れられた。特に、土木工学で名をあげた広井勇が貧しい中で苦学しながら勉学に励んだことを詳しく説明された。

 また、当時の授業がクラーク、ホイラー、ブルックスなどすべてがアメリカからやってきたお雇い外国人だったため、英語での授業で教科書もない中、学生たちは教師の言葉を書き写し、後刻そのノートを清書して教師に提出したという。その現物が展示されていたが、特に新渡戸稲造のノートは几帳面な彼の性格がにじみ出た素晴らしい筆跡だった。

 その後の梶本氏のさまざまな説明も、まるで立て板に水といった感じで途切れることなく滔々と続いた。

      

      ※ 中央区北1条西2丁目の歩道上にある「札幌農学校演舞場跡」碑を見る受講者と梶本氏です。

 私にとっては、自然に資料を作成したり、調べたりしていたことから、そのおおよそについては既に知識としてもってはいたが、梶本氏から伺うことによって、それまでの知識にさらに肉付けされる形で説明された思いだった。

 例えば、札幌農学校が札幌の地に建設される前の仮学校の時代のこと、例えば、赤れんが庁舎の絵画の中でケプロンと榎本武揚が意見の対立をみたとき、黒田清隆が中を取り持った図であったとか…。

      

      ※ 赤れんが庁舎2階廊下に展示されているクラーク博士「島松の別離」の図に見入る受講者たちです。

 暑い中で、移動を伴う厳しい現地学習だったが、その辛さを忘れさせられるくらいの梶本氏の熱の入った説明だった。おそらく多くの受講者も満足してくれたに違いない。この「さっぽろの古を訪ねて」も残り9月の1回となった。最終回は北大構内のクラーク像を見て回ることにしている。この最終回も案内を梶本氏にお願いしている。果たしてどのようなクラークの姿が梶本氏から語られるのだろうか?今から楽しみにしている。

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