田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

メキシコは社会の分断を乗り越えられるか?

2017-07-31 20:09:38 | 大学公開講座
 メキシコは麻薬が大きな社会問題となっているという。麻薬密輸組織間の抗争、さらには「国家 対 麻薬組織」間の争いと、内戦ならぬ「犯罪戦争」の様相を呈し、この10年間の争いによる死者は10~15万人に上るともいわれる。はたしてメキシコはこうした社会の分断を乗り越えられるのか? 

 北大公開講座の新しいシリーズが始まった。法学研究科附属高等法政教育センターが主催する「社会の分断をいかに乗り越えるか?」のシリーズ(4回講座)が始まった。
 7月27日(木)夜、その第1講が開講した。第1講は「メキシコの麻薬戦争」と題して法学研究科の馬場香織准教授が担当した。

                    

 メキシコは経済発展が著しく、2016年度のGDPは世界16位、ラテンアメリカではブラジルに次いで第2位だということだ。
 ところが一方で、近年、麻薬をめぐる暴力の激化が国内では大きな問題となっているという。その要因はメキシコの地政学的条件が関係しているのだが、麻薬消費国であるアメリカと国境を接しているため、メキシコは古くから麻薬の供給地として、あるいは密輸の経由地の役割を担ってきたという。

 こうした背景の中で、メキシコ国内では麻薬売買の縄張りをめぐって麻薬密輸組織(カルテル)間の抗争が激化するとともに、カルテルを撲滅しようと策する国とカルテル間の争いも激しさを増しているらしい。
 何せこの10年間の麻薬抗争による累積死者数は10万人以上、行方不明者数が約3万人といわれ、この数はシリア内戦に匹敵する数字だというから、相当に激しい抗争が展開されているようだ。

               
               ※ 講義中の馬場香織准教授です。

 講義は、このように抗争が激化した背景には、①民主化、②大物ボス排除戦略、③コロンビアからのコカイン供給の減少、④貧困・格差と経済危機の4点があるとした。
 ①の民主化についてだが、メキシコでは2000年にそれまで70年間にわたりメキシコを支配してきた制度的革命党(PRI)の一党支配はカルテルをいわば黙認していたのだが、民主政権の誕生によって、これまでのある種の不文律と均衡が崩壊したことが原因の一つとして挙げられる。
 ②の大物ボスの排除も民主政権がカルテル壊滅のために実行したのだが、そのことによって組織が細分化され、組織内の争いや犯罪の多様化を産んだようだ。
 ③のコロンビアからのコカイン供給の減少は、コロンビア政府の対麻薬政策が功を発したことによって、コカイン価格が上昇したこと、コロンビアなどからの犯罪集団の流入したこと、などによって縮小したパイをめぐる争いが激化したとみられている。
 ④の貧困・格差と経済危機については、1990年代発効したNAFTAなどグローバル化の波が零細な農業に影響を与え、若者たちの職を奪い、若者たちが麻薬組織に組み込まれる構造を作ってしまったという背景があるようだ。

 こうした状況の中で、はたしてメキシコの国の「分断」を乗り越える妙策はあるのだろうか? 講師の馬場准教授も妙案は持ち合わせてはいないようだった。そのような中で、馬場氏は次の2点をその方途を探る策の一つとして提案した。
 一つは、「麻薬をめぐる『南北問題』について理解」すること、とした。現在、消費は先進国、生産は途上国という状況を理解し、そこからの解決を模索すること。
 さらには、メキシコ側からアメリカへ麻薬や不法移民が移動していることに対して、アメリカからメキシコへ麻薬の収益や、武器、移民の送金が行われるといったサプライチェーンが構築されている現状にどうメスを入れるかという問題など。
 そしてもう一つは、カルテルに対する強硬策の負の影響を考慮した政策形成・国際援助の必要性があるとした。

                    
          ※ 馬場准教授がメキシコの麻薬戦争の実態を知るうえで理解できる映画として推薦した映画「皆殺しのバラッド」のポスターです。
 
 麻薬をめぐる問題が、国の深層部に深く根を張っているメキシコにおいて、それを解決することは容易な問題ではないようだ。しかも、麻薬の消費国アメリカと供給国メキシコの間に構築されているサプライチェーンの存在など、その解決への道はかぎりなく遠いようにも見える。
 しかし、人を蝕み、地域を蝕み、ひいては国をも蝕む“麻薬”は地上から姿を消すまで関係者が努力し続けるべき問題なのだと思う。
そしてそのことに私たち一般市民も関心を持ち続けるが大切なことだと思う。

ライナー・キュッヘルのロビーコンサート

2017-07-30 19:56:08 | ステージ & エンターテイメント
 ウィーン・フィルの至宝だったヴァイオリン奏者のライナー・キュッヘルが札幌市役所でロビーコンサートを行った。担当者も記憶にないというほどの聴衆が詰めかけ、大盛況の中キュッヘルの円熟の演奏に酔った。 

                    

 7月28日(金)午後、「市民ロビーコンサート」としてPMFアカデミーの指導で来日しているヴァイオリン奏者のライナー・キュッヘルのコンサートがあった。
 PMF関連の数あるフリーコンサートの中で、「これだけは聴き逃すまい」と思い、札幌市役所に駆け付けた。
 すると、開演50分前にもかかわらず用意された椅子は満席状態で、私はかろうじて最も後ろの席に座ることができた。その後も聴衆は次々と訪れ、多くの立見席の中でのコンサートとなった。

               

 ライナー・キュッヘルは、オーストリアの名門オーケストラ、ウィーン・フィルのコンサートマスターを45年もの長きにわたって務め、昨年65歳の定年を迎えて退団した方である。
 そして奥さまが日本人ということもあり、親日家としても知られ、PMFにはここ10年連続して来札し、若手演奏家を指導している。私は数年前から彼の存在を知り、できるだけ彼の演奏を聴くように心掛けてきた。

 この日は、ピアノ伴奏に佐久間久子さんを従えて、次の二曲を披露してくれた。
 ◇サラサーテ/アンダルシア・セレナード 作品28
 ◇ヴュータン/バラードとポロネーズ

               

 いずれも私にとっては耳慣れない曲だったが、私の想像ではロビーコンサートとあって、キュッヘル氏もリラックスされて、氏にとって比較的気軽な曲を選択されたのではないだろうか?
 そう私が想像したのは、特に「バラードとポロネーズ」において、曲の途中に和音(コード)を壊したような部分があったり、奏法において左手で弦を爪弾きながら、同時に弓でも奏でたりと、ふだんはあまり出会えない曲であり、奏法だったからだ。

 キュッヘル氏はいつも気難しい顔をして、近寄りがたい雰囲気を醸し出していたが、今年のPMFオープニングコンサートではコミカルな面も見せてくれ、新たなキュッヘル氏を発見した思いだったが、この日もリラックスした中で、キュッヘル氏独特の繊細な音で聴衆を虜にしてくれたひと時だった。

中田美知子が語るラジオの時代

2017-07-29 21:02:06 | 大学公開講座
 中田美知子氏は北海道のラジオ界においてパーソナリティとして一世を風靡したらしい。(私は同年代でありながら彼女のことは詳しくない)彼女は自ら「私はかつてカリスマと呼ばれていた」と冗談交じりに学生に語ったが、学生はどう受け止めただろうか…。 

 札幌大学公開講座「地域創生入門」の第15講が7月26日(水)午後開講された。長かった一連の講座の最終講義である。
 最終講義の講師は、FM北海道の常務取締役を務めた後、札幌大学の客員教授を務める中田美知子氏「昭和に輝いた地域メディア ラジオの可能性を探る」と題して講義された。

                    

 話は彼女の履歴から始まった。
 1974年、大学を卒業してHBC(当時はラジオ放送しかなかった)にアナウンサーとして入社した。しかし、2年後には退社してフリーのアナウンサーとして活動していたが、1982年に開局したFM北海道のパーソナリティとなる。そして1988年にはFM北海道に正式入社したという。
 彼女が自らをカリスマといったのは、1995年にギャラクシー賞のラジオ部門でDJパーソナリティ賞を受賞したことによるようだ。

 以降、彼女はFM北海道において、アナウンサーから制作側にポジションを移し、さらに経営の立場にも立って、同社の常務取締役まで務め2015年に退社している。
 つまり彼女はラジオの世界に45年在籍したことになると自ら述べていた。

 45年も在籍したという思い入れがあるからだろうか?彼女の話はラジオの良き時代を懐かしみ、ラジオを礼賛する話となっていった。
 曰く、「ラジオは自己表現手段として最高のメディアだ」、「カメラがないので緊張することがない」、「声の大きい者が勝ち」、「テレビに比べて、自社制作番組比率が高い」等々…。

 そして当時の代表的なラジオ番組であるエフエム東京の「ジェットストリーム」を流し始めたのである。私たち世代であれば、パーソナリティの城達也の素晴らしいナレーションとイージーリスニングが流れる番組は、航空機で旅する自分を夢見ることができる人気番組だった。
 しかし、それを今の若者に聞かせたところで、彼らは何を感ずるだろうか?大人のノスタルジーに付き合ってくれるだろうか?

 さらに、ラジオのドラマは聞く側がイメージを膨らませることができると強調し、一つのラジオドラマを流した。確かに中田氏が言うことも一理あると思うが、はたして若者は素直に受け取ってくれただろうか?

 中田氏はラジオの利点を並べ立てた。ラジオが他のメディアと違い、それなりの存在意義があることは私も認めたい。しかし、これからラジオがメディアの主流に復活することなどあり得ないだろう。
 中田氏には、そうした締め括り方をしてほしかったと思ったのだが…。

観光ボラ的ガイドを初体験?

2017-07-28 21:16:38 | ボランティア
 行きがかり上、観光ボランティア的ガイドをしなければならないことになってしまった。でも、おかげで初めて知り得たこともあり、私にとっては得難い初体験だった…。 

               

 7月25日(火)、「めだかの学校」の7月の野外学習があった。今回の学習対象は「道立施設三館巡り」と題して、いずれもが近隣に立地する「道立近代美術館」、「知事公館」、「道立三岸好太郎美術館」の三館を巡るという企画だった。
 この三館巡りの企画担当に私が充てられていた。
 三館を巡るにあたって、課題が浮かび上がってきた。それは「知事公館」は一度に多くの人が入館できない、という問題があった。(今回の企画の参加希望者は34名だった)

 そこで企画担当としては、参加者をA、Bの二つのグループに分けて、一方が知事公館を見学する間に、もう一方のクループは知事公館の庭園に散在する石碑や彫刻、さらには庭園内に残る竪穴式住居跡を見ていただくことにした。
 問題は、それを誰が案内するか?ということだった。結局、企画担当である私が俄か勉強をして、その任に当たることになったのである。
 
 それでは俄か勉強をした成果をもとに順に、知事公館の庭園にご案内します。

               

 初めに、知事公館の庭の奥の方にある【竪穴住居跡】をご案内します。
 知事公館の庭園内には今から約1,000年前の擦文時代に先住民が住んでいたとされる「竪穴住居跡」がたくさん残されています。研究者によると、その住居跡は17ヵ所とされていますが、素人の私たちが明らかにそれと分かるのは2ヵ所ほどです。都市化が進んだ市内中心部にこうした住居跡が見られることは世界的にも珍しいということです。

               
               ※ 芝地のかすかな凹みが竪穴住居跡です。

 続いて、庭園内の林の中の目立たないところに立っている【桑園碑】です。知事公館の敷地を含む開拓使本庁(現在の道庁)の西側一帯は、北海道開拓期には桑畑が広がり、一帯は「桑園」と呼ばれていました。面積21万坪にも及ぶ桑畑を開墾したのは、昭和8年に入植した鶴岡藩の氏族約160人で、わずか三か月で開墾したということです。
 そうした桑園の縁を記念して昭和40年に有志によってたてられたそうです。

                    

 しかし、「桑園碑」にはその元になった碑が存在します。それは【国富在農碑】です。庭園の一番東側に立っていますので、今日は行きませんが、明治時代に立てられたものと言われています。

                    

 続いて、知事公館の入口近くに立っているのが【村橋久成胸像 残響】です。村橋久成は道民にはあまり知られた存在ではありませんでしたが、実は開拓使ビールの創設の他、七重勧業試験場、琴似屯田兵村、葡萄酒醸造所、製糸所、牧羊場などの創設に関わり、北海道の産業の礎を築いた人だそうです。北海道在住の作家・田中和夫が村橋の業績を掘り起こし、小説「残響」として著したことにより、その名が知られるようになったそうです。
 平成15年、村橋の業績を知った高橋はるみ北海道知事が道政執行方針演説で取り上げたことが縁となって平成17年に現在地に胸像が建立されました。

                    

 残りは、知事公館の中庭の芝生の上に設置された二つの彫刻作品です。
 一つは、美唄市出身でイタリアの白大理石を使った彫刻で知られる【安田侃作 意心帰】です。「意心帰」とは、英語で「Shape of mind」と表記され、「自らの心に帰るところ」という意味があるそうです。安田侃は、有珠山噴火の際の泥流によって犠牲になった方々を鎮魂する意味からこの作品を創ったと言われています。
 安田侃の作品は、札幌市内でも多数見られることができますね。

               

 最後は、中庭に立つ二つの立像 【流政之作 サキモリ】です。流政之は特に北海道に縁のある方ではないようですが、北海道各地に彼の作品は数多くあるようです。道立近代美術館前にも「雲の砦 jr.」という作品があります。
 流政之は「サキモリ」の作品について次のように言っています。「私の代表作の一つである『サキモリ』シーリーズは内臓部分が空洞になった人型の作品だ。私が作るまで、そういうヌードはなかった。空洞の中に、生命とか、夢を入れて考えるんだ。サキモリは文字通り『防人(さきもり)』が題材。防人は守る側で、自分からは攻撃しない。防衛する存在だ」と言っています。流氏は自身が少年時代に特攻兵だったことに強い嫌悪感を抱いていることが創作活動の原点になっているようです。

               

 概ね、私は以上のようなことを説明しながら、二つのグループを案内した。
 心掛けたことは「簡にして要を得る」説明だった。素人なのだから、へんな知ったかぶりは危険である。見学者の中に私より詳しい人が何人もいたはずである。だからいらないことは言わないように気をつけた。そういう意味では「まあまただった」のかな、と自己評価している。

 今回のガイドをするにあたって、私は初めて「村橋久成」の存在を知ることができたし、「国富在農碑」も初めて目にすることができた。そういう意味では、私自身も収穫のあった観光ボランティア的ガイドの初体験だった。

橋本五郎さん、またですか!?

2017-07-27 20:49:24 | 講演・講義・フォーラム等
 多少バイアスがかかっているとはいえ、「どうなる!?日本の政治」という演題に今後の日本の動向を見るうえで参考になるかな?との思いから参加した講演会だったが、五郎氏は、またまた自分の自慢話、そしておふくろさん礼賛に終始した形だった…。

                  

 7月24日(月)午後、札幌ビューホテル大通公園(旧札幌ドームホテル)において「読売北海道セミナー」が開催され、知人からの誘いもあり参加した。
 実は4年前にも橋本氏は「読売北海道セミナー」の講師として来札した際に、私は氏の講演を聞いていた。その際の感想をレポしたものを読み返してみたが、今回も感想としては全く同じものしか残らなかった。(その時のレポはこちらをクリックすると開きます⇒)

 橋本氏は日頃よりTVなどメディアを通じて政権寄りの言説を繰り広げていることは承知していたが、その氏から見た今後の日本の政治についてぜひ聞いてみたいと思って参加したのだが…。
 冒頭、安倍現政権の支持率が急落したのは予想外であったとし、それは安倍一強による緩みである、と分析してみせた。しかし、それは誰もが指摘するところであり、目新しいものとは言えなかった。
 だからそこからの橋本氏の切り込みを期待したのだが、「安倍氏は女性に不人気であり、女性に人気があるのは小池氏である」などと、話題を都政に振り替えて、都議選の結果を面白可笑しく解説してみせる、など話題があちこちへと飛び、現政権の今後を占うことを敢えて避けているようにさえ見えた。

 そして最後に安倍現政権の問題点は、地方への思いやりに欠けるという持論を展開し始め、日本の政治に欠けているものは「心」であると指摘した。
 その「心」を体現しているのは、あたかも自分(橋本氏自身)であるかのように話し始めたのだ。ここからは、4年前の話のおうむ返しのように滔々と語り始めたのだ。
 私は悟った。氏はこの話をするために、一度ならず二度までも札幌へ来たのだと…。
 そう思ったとたん、私のメモする手は止まり、彼の声も私の中には届いてこなかった。

 私は拙ブログでもいつも言っている。政治的に右寄りの方の話でも、左寄りの方の話でも、謙虚に耳を傾け、自分の判断材料にしたいと…。
 しかし、今回のようなご自身の自慢話めいたことを聞かされるのはゴメンである。

最新の校舎は複合校舎が主流?

2017-07-26 20:35:41 | 札幌(圏)探訪
 小学校の校舎に、児童会館、さらにはまちづくりセンターに、地区会館と…。さまざまな機能を併せ持った新設の札幌市立二条小学校の校舎を見学した。このような形態の校舎が今後の主流になるのだろうか?
 

               
               ※ 公立の小学校の体育館としては床面積がかなり広い体育館です。

 ちょっと話が古くなったが、7月14日(金)午後、私が所属する退職組織の札幌市中央支部の研修会があった。研修会は例年、一つの学校と公共施設を訪問・見学することが恒例となっている。
 今年の研修先は、数年前から改築工事が行われ、本年4月から改築がなった校舎で授業が開始された札幌市立二条小学校を見学することになった。
 改築された二条小学校は、入口のところに「札幌市立二条小学校」「大通・西まちづくりセンター」「大通・西会館」「二条はるにれ児童会館」の4つの施設名が同時に掲示されていた。
 今年はこの4つの施設を見学することで研修会の目的が達成されるというわけである。

               
               ※ 建物のエントランスに掲げられていた4つの施設名です。

 冒頭の挨拶には、二条小学校長、まちづくりセンター長、はるにれ児童館長の三人が顔を揃えられて挨拶された。
 挨拶の中で、札幌市にはこれまで二つの複合の機能を有した学校が建設されたが、まちづくりセンターが入った複合施設は札幌市では初めてのケースだと説明があった。

 見学は、まず「大通・西まちづくりセンター」と「大通・西会館」から始まった。
 「まちづくりセンター」とは、札幌市が住民主体の地域づくりを進めていく観点から、それを札幌市が積極的にサポートしていく拠点として作られた施設であるが、同時に行政の出先機関として各種行政サービスを行うところである。併せて地域住民が各種会合などに利用する会館が併設されている。
 コンパクトではあったが、集会室、会議室、調理実習室などがまちづくりセンターの事務室と共に設置され、住民が活用している様子もうかがうことができた。

 つづいて「二条はるにれ児童会館」を見学した。ちょうど児童の下校直後とあって、学校から同じ棟の児童会館に移った子たくさんの子どもたちが自習をしているところだった。
 新しい施設であったが、二条小学校の多くの児童が利用するためか、相当に窮屈そうだった。札幌市内の児童会館、ミニ児童会館はみな事情は同じようである。
 実は私は、この児童会館に、この後夏季休業期間中に子どもたちの学習を支援するために何日か訪れて、お手伝いすることになっている。

               
               ※ 児童会館の子どもたちは学習時間とあって、みんなが机に向かって自習をしていました。

 最後に、二条小学校の教室などの施設を見学した。
 さすがに校舎は近代的な造りをしていた。
 最も大きな特徴と思われたのは、教室と廊下の壁である。教室と廊下を隔てる壁全体が移動可能な造りとなっていた。つまり必要に応じて、教室と廊下がオープンになったり、クローズになったりする方式だった。
 これは一時流行したオープンスペースの教室の利点を生かすとともに、欠点を是正できる優れた造りだと思われた。

               
               ※ 校舎は4階建てでしたが、こうして吹き抜けになっているところもありました。

 贅沢な造り(いや、贅沢と言ってはいけないのかもしれない)だと思われたのは、少人数指導をするための教室が別に用意されていたことだった。
 ある教科の、ある学習内容を複数(2人あるいは3人)の教員で指導する必要が生じたときには、普通教室から移動して、特別な教室において児童を二分割、あるいは三分割にして指導できる教室が用意されていたのだ。これは理想的である。

               
               ※ 写真の教室は少人数指導のために用意されている教室です。

 その他にも、校舎の4階部分にはプールが設置されていて、水温の調節が可能(?)な仕組みとなっていたり、音楽教室が二つ用意されていたり、地域図書館にも負けないような立派な図書室があったり、と新設校舎ならではの素晴らしい施設・設備が整えられていた。

               
               ※ 校舎4階に設けられていたプールです。

               
               ※ 広々としていた図書室です。地域の図書館も顔負けです。

 それにしても、もう10数年前になるが、TV番組「3年B組金八先生」のあるシリーズで中学校と老人施設が併設し、中学生と老人が交流する場面を描いていた。当初は若干の違和感もあったが、国内的にはそうした複合校舎が増えているようである。
 土地の有効利用や施設建設費の縮減というハード面の利点と共に、学習する児童・生徒が社会との関わりを学びながら成長するというソフト面の有意さからも、今後こうした校舎建設の在り方が主流となっていくのかもしれない。

「非常識」が照らし出す私たちの未来

2017-07-25 22:41:57 | 大学公開講座
 北大の全学企画講座「『非常識』が照らし出す私たちの未来」の全8講座がこのほど終了した。これまで5年間にわたり全学企画講座を受講してきたが、今回ほど私にとって難解だった講座は記憶にない。今回はレポすることが困難なほど打ちのめされた思いである…。

                    

 受講していた北大の公開講座「『非常識』が照らし出す私たちの未来」全8講座がこのほど終了した。具体的な日時、講義題目、講師は次のとおりである。

 ◇第1回(7/3) 「触媒で不可能を可能にする」 触媒科学研究所 福岡  淳 教授
 ◇第2回(7/6) 「クマに学ぶ ~草食を選んだ肉食獣~」 獣医学研究院 坪田 敏男 教授
 ◇第3回(7/10) 「『コンピテンス基盤型教育』は日本の教育改革の劇薬となり得るか?」 高等教育推進機構 鈴木  誠 教授
 ◇第4回(7/13) 「統計学によると…の非常識」情報基盤センター 水田 正弘 教授
 ◇第5回(7/17) 「『デモクラシー』の常識を問い直す」公共政策学連携研究部 空井  護 教授
 ◇第6回(7/17) 「正常細胞ががん細胞を駆逐する!~世界初のがん予防薬開発を目指して」遺伝子病制御研究所 藤田 恭之 教授
 ◇第7回(7/20) 「現代の金融政策」   公共政策連携研究部 代田豊一郎 准教授
 ◇第8回(7/24) 「流動化時代の人間関係」     文学研究科 結城 雅樹 教授

 私がかろうじてレポできたのは、第1回、第2回の講座だけだった。(それもかなり怪しいものだったのだが…)
 私にとってショックだったのは、多少なりとも私の専門領域であると考えていた第3回の教育に関する講座だった。鈴木教授が話される内容がまったく私の中へ入ってこなかったのだ。鈴木教授が日本の教育の何に危機感を抱いているのかさえ、私には理解できなかった。
 このことが私の中では一つの契機となってしまった。
 以降、それなりに真剣に耳を傾けていたつもりだったが、私の中には???が渦巻くばかりだった…。

 このような事態になったことについて私なりに、自分を弁護してみたい。それは、今回のテーマに一つの要因があったように思えてならない。全体のテーマを説明する文章の中に、次のような下りがある。
 「従来の『非常識』があらたな『常識』になるプロセスは自動的に進行するわけではありません。『非常識』な現象を追認し、これを『常識』として受け入れるべきか。あるいは、『非常識』を批判して『常識』を回復するべきであるか。多くの場合に、そのような選
択肢が存在しています。『非常識』の時代においてこそ、私たちの知性と主体性が試されることになるといえるでしょう」

 講師の方々は、この一文をかなり意識されて講義に臨んだようである。事実、何人かの講師の方は講義前にそのことについて言及していた。つまり、これまではご自身の専門分野を説明的に講義すれば良かったものが、否応なくテーマを意識した講義内容に組み替えねばならないという作業が入ったのではないか。そのことが、講義内容を一段と難解なものにしてしまったように思えてならない。
 などと、言い訳めいたことを述べてしまったが、率直に言えば、私の中に講義を受けるだけの素養が備わっていなかった、ということになるのだろう…。
 う~ん。今回は打ちのめされた思いである……。といいながら、今週からまた別の講座が始まる。気を取り直して受講しようと思っている。

建築家・安藤忠雄が語る「自由と勇気」

2017-07-24 22:20:45 | 講演・講義・フォーラム等
 安藤忠雄氏の講演を聴きながら、今さらながらだが気付いたことが一つあった。それは、建築家とは思想家でもあるという事実だった。氏は言う。建築は世界で起きているさまざまな現象と大いに関わりがあると…。
 

               

 7月18日(火)夜、北大工学部の「鈴木章ホール」にて建築家として名高い安藤忠雄氏「自由と勇気」と題する講演会があり、受講する機会を得た。
 安藤氏の学生に対する人気は相当なもののようで、ステージ上や階段にまで学生がびっしりと詰まった中での講演会となった。

 ところが…。講演が始まって気付いたのだが、安藤氏の活舌がけっして良いとは言えないことが分かったのだ。音響のせいもあると思われるのだが、氏の話す半分くらいの言葉が私には判別することができなかった。
 したがって今回のレポは、私が判別することができた部分のみのレポとなることをお断りしておく。

 安藤氏は若い北大生へ伝えるメッセージを強く意識されたようだ。
 冒頭、安藤氏は若い人たちに対して、次のようなメッセージを発した。
 「君たちはまだ苗木だが、自力で大きくなってほしい。自分で考え、自分を鍛え、自分で大きくなってほしい」と…。

 そして安藤氏は、1997年に採択された「京都議定書」がないがしろにされている感があるが、地球の温暖化が進行していることは厳然たる事実だ。そうした状況の中で「建築」の立場から温暖化に対処したいし、若い人たちも果敢に挑戦してほしい。建築は世界で起きているさまざまな現象に関わっていかねばならない、と説いた。

 さらに安藤氏の言葉で、思想家的な発言をされたのは、学生たちに「地球儀を持っているか?」と問われた時だ。それは、世界で生きていくためには、地球儀を見ながら「地球を、世界を概観する」ことが大切だと諭されたときだった。「Think global, Act local」という言葉があるが、氏はそのことを学生たちに諭したのでは、と私は推測する。

 講演は、安藤氏の建築作品や地域を創造した作品を写し出しながら進んだ。
 その中から、私が判別できた安藤氏の言葉を紹介しておくことにする。
 ◇人の真似をするな
 ◇発想力と、それを持続する力が大切
 ◇自分が目標を持っている人には運が向いてくる。
 ◇死に物狂いで半年くらい働いてみたら
 ◇仕事をするときは、味方を作らねば。その土地に誇りを持たねば
 ◇二度と見られない風景をいくつ自分の中にもっているか
 ◇人間をキャッチすることが大切(人との出会い)

          
          ※ 安藤氏が内装設計を担当した北菓楼札幌本店の2階レストラン・カフェホールです。

 今回の講演会は、安藤氏が札幌・北菓楼札幌本店(旧北海道文書館)の内装をデザインした縁で、(株)北菓楼の支援によって実現したようだ。
 安藤氏は北菓楼以外にも、真駒内霊園の「頭大仏殿」を設計し、2016年にオープンしたという。

 安藤忠雄 1941年生まれの75歳。すい臓癌を克服し、まだまだ旺盛な制作欲である。今後どのような独創的な作品を私たちに提示してくれるのだろうか?まだまだ話題を提供してくれそうである。

札幌麺紀行 123 幌加内そば 八右ヱ門

2017-07-23 20:48:49 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 う~ん、これは旨い!さすがにそば処幌加内のそば店である。適度にこしのあるそばの喉越しの良いこと…。すっかり気に入った私たちは、追加の注文をして幌加内そばを堪能したのだった。

               

 札幌の麺店ではないが、特別バージョンとしてレポすることにした。

 「幌加内に来たらそばでしょ!」ということで、朱鞠内湖にキャンプに赴いた息子と私は、昼食に蕎麦の栽培面積日本一を誇る幌加内でそばを食することにした。
 町内には数店のそば店があったが、ネット上で評判の「八右ヱ門」を訪れることにした。
 「八右ヱ門」は国道から東にそれた幌加内町役場の道路向かいにあった。黄色の壁に「八右ヱ門 手打ちそば」と大書されているので分かりやすい。

               

 入店したのは12時少し過ぎたころだったが、席が満席だったため、待たされることになった。人気店のようで、私たちの後からも入店してくる人が次々と現れた。

               
               ※ 店の入口に戸外でも食する席が設けられていた。

 注文は息子が店のスタッフがお勧めの「天とろ(天ぷらととろろが載ったそば)」(1,250円)、私はとろろが苦手のため「なめこおろし」(880円)とした。
 少し待って出てきたそばは、適度にコシがあってとても喉越しの良いそばだった。つゆも辛くなく、甘くなく…。

               
               ※ 息子が食した「天とろ」そばです。

 天とろの息子の方も気に入った様子で休みなく箸が動いていた。
 すっかり気に入った息子は、さらに「もりそば」を注文しようと私に提案し、二人でさらに「もりそば」(680円)を食したのだった。
 ここでは大盛がお勧めのようだ。

               
               ※ 私が食した「なめこおろし」そばです。

【幌加内そば 八右ヱ門 データー】
雨竜郡幌加内町字幌加内
電  話   0165-35-3521
営業時間   11:30~19:00
定休日    木曜日
座  席   27席
駐車場    有(10台程度駐車可能)
入店日   ‘17/07/20


山崎夏生の一途一心の野球道

2017-07-22 22:09:57 | 講演・講義・フォーラム等
 北大の野球部を出て、プロ野球に関わりたい一心から、プロ野球審判員を目ざして一途に努力し、歩んだ29年間の審判員人生、そしてその後8年間の技術員人生を、ユーモアを交えながら語った山崎夏生氏だった。

                    

 北海道博物館で現在、特別展として「北海道と野球をめぐる物語 プレイボール!」展が開催されている。その特別展の関連イベントの第一弾として7月16日(日)午後、プロ野球審判員だった山崎夏生氏「一途一心の野球道(みち)」と題して講演するのを聴く機会を得た。

 ところが私は、昨年11月に山崎氏の講演を道新ホールで一度聞いていた。お話の内容に若干の違いはあるものの、ご自分の審判員人生を語るものであり、大意に大きな違いは感じなかったので、興味のある方は、前回の「山崎夏生のプロ野球審判員人生」を参照していただくことにして、野球関連の別の話題に触れることにする。

 実は息子とキャンプに行った夜のたき火のもとでの会話の中で、息子から「今年は高校野球を観戦に行かないの?」と問いかけられた。
 高校野球は、私の関心事の一つなのだが、ここ数年球場観戦から遠ざかっている。
 観戦するとしたら、大会の全試合を観戦したいと思っているので、相当な覚悟が必要だからだ。私は2010年、2011年と2年続けて南北海道大会の全試合を観戦した体験がある。
 その際感じたことは、夏の大会を観戦するには相当な体力が必要である。あの炎天下で連日3試合も観戦し続けるには体力、さらには忍耐力を要求されるが、私の中にそれに耐える自信がなくなってきたような気がする。

 そしてもう一つ。この年2010年の観戦記(ブログ)を超える観戦記を綴ることはもうできないのではないか、という思いがある。今読み返しても、あの夏の感動が蘇ってくる。それを超えることはもうできないのではないか、という思いが自分の中にあるのだ。事実、翌年の観戦記の中で、私はそのことに触れている。
 もし、よければ2010年の私のブログを読んでいただければ、と思います。(その日のところをクリックしてください)
 ◇“熱闘甲子園”を目ざして! 第一日 
 ◇“熱闘甲子園”を目ざして! 第一日
 ◇“熱闘甲子園”を目ざして! 第三日 
 ◇“熱闘甲子園”を目ざして! 第四日
 ◇“熱闘甲子園”を目ざして! 休養日 
 ◇“熱闘甲子園”を目ざして! 第五日(準決勝)
 ◇“熱闘甲子園”を目ざして! 第六日(決勝戦) 
 ◇“熱闘甲子園”を目ざして! エピローグ編

 特にエピローグ編は自信作であり、私の高校野球への想いが凝縮されたものとなっているように思える。これを超えるものが私の中で紡ぐことができるか、と問われると自信がもてないのだ。

 と言いながら、高校野球への関心はいささかも衰えてない。今日も北北海道大会の決勝戦と、南北海道大会の準決勝戦を、チャンネルを交互に操作しながら見入っていた。
 北北海道大会決勝戦は接戦の末に滝川西高校が見事甲子園に駒を進めた。
 明日の南北海道大会は東海大札幌高校と北海高校の名門校対決となった。はたして甲子園に駒を進めるのはいずれだろうか?TVの前で固唾をのんで見守りたい。