田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈11〉伊勢堂岱遺跡(北秋田市)

2023-10-31 15:41:21 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
 「伊勢堂岱遺跡」も環状列石(ストーンサークル)が発掘された遺跡だった。4つの大きな環状列石が一つのところにかたまって発掘されたが、ガイドの方の説明がなかったことで外観を眺めるだけの見学となった。
        
 「伊勢堂岱遺跡」は、縄文時代後期前葉の紀元前2,000年から1,700年前の遺跡と考えられている。ここの遺跡の特徴は何といっても4つもの環状列石(ストーンサークル)が隣接して存在することだ。
私はこの日(10月15日)、朝一で遺跡のガイダンス施設である「伊勢堂岱縄文館」を訪れた。縄文館は大きな施設でないこともあってだろうか無料で開放されていた。
  
  ※ 「伊勢堂岱縄文館」の建物です。逆光のようで写真がはっきりしませんね。
  
  ※ 駐車場も環状列石をイメージして(?)円形に駐車するようになっていました。
 今回北東北の縄文遺跡を巡っていて、どの遺跡でも多くの人たちに関心をもってもらうためだろうか?出土品からデフォルメしたり、キャラクターに仕立てたりしてアピールしているところが多かった。この「伊勢堂岱遺跡」においてはちょっととぼけた表情をした「板状土偶」(愛称:いせどうくん)を一押ししていたようだ。縄文館の展示室の入口にはその「いせどうくん」を本物の確か8倍にした大きな「いせどうくん」が迎えてくれた。
  
  ※ 展示室入口には大きくデフォルメされた「いせどうくん」が出迎えてくれました。
 展示室にはその他、伊勢堂岱遺跡から発掘された「遮光器土偶」や「笑う岩偶」も展示されていた。
  
  ※ こちらが本物の「板状土偶」の「いせどうくん」です。
  
  ※ 「遮光器土偶」はいろいろな遺跡から発掘されたようです。
  
  ※ こちらは「笑う岩偶」です。縄文人もユーモアがあ???
 その後、縄文館からは少し離れたところにある環状遺跡に向かった。小高い丘の上にあった遺跡は確かに4つの環状遺跡が並んでいた。(一つは円が欠けた状態だったが)4つもの環状遺跡が発見されたのはこの「伊勢堂岱遺跡」だけであるところに価値があるようだ。環状を描いている石は主として近くの米代川の川原石が使われたとされている。
  
  ※ 環状列石全体を見ることができないので、HPの空撮写真をお借りしました。
  

  

  
  ※ 発掘当時のまま川原石が並べられていました。
 ところでこの「伊勢堂岱遺跡」は、大舘能代空港の近くにあるのだが、空港へのアクセス道路を建設していた際に見つかった遺跡だという。そのためにアクセス道路は計画を変更して遺跡を迂回するように建設されたそうだ。遺跡の敷地の中には、道路建設のために敷設されたコンクリートの建造物が残っていたが、そこは遺跡の野外ステージのバックとして活用しているとのことだった。
  
  ※ 空港へのアクセス道路が建設されていた痕跡が残るコンクリートの壁です。遺跡では野外イベントの際のステージのバック壁として利用しているそうです。
 前述したが、ここではガイドの説明を伺うことができなかった。しかし、ガイドブックではガイドのサービスがあるとの記述があったので、事前に申し込んだところ一度は承諾されたのだが、後日になって「団体のガイド要請があったのでお断りさせてください」と連絡があった。ガイドに余裕がなかったのかもしれないが、残念であった。
 その後、私は私のボーンヘッドによって日程変更を余儀なくされ、遠く青森県つるが市の「亀ヶ岡石器時代遺跡」と「田小屋貝塚」を目ざして車を遠く走らせたのだった…。

 ガイダンス施設「伊勢堂岱縄文館」 秋田県北秋田市脇神小ヶ田中田100-1                
  ◇入館料 無料
  ◇訪問日 10月15日(日)

アイヌ音楽ライブ マレウレウコンサート

2023-10-30 16:03:42 | ステージ & エンターテイメント
 何ともいえない不思議な感覚だった。3人の音の重なりが妙に心地良いのだ。それは一種の “トランス感覚” だという。北海道博物館でのマレウレウ(MAREWREW)のコンサートを楽しんだ。
  
  ※ ウェブ上から借用したマレウレウの三人です。
 昨日(10月29日)午後、北海道博物館の記念ホールで開催された「アイヌ音楽ライブ マレウレウコンサート」を聴いた。
 マレウレウは、アイヌの伝統歌 “ウポポ” を現代に蘇らせた女性ボーカルグループである。マレウレウとはアイヌ語で「蝶」を意味するという。発足当初は4人のグループだったそうだが、現在は一人が休まれていて3人(REKPO、HISAE、MAYUNKIKI)が登場しておよそ1時間にわたってさまざまな “ウポポ” を聴かせてくれた。
  
  ※ ステージ上の3人の写真を最後に撮らせてもらいました。
 彼女らの歌の特徴は「ウコウク」という独特の輪唱形式の歌が多いことだ。彼女らが紡ぎ出す歌声はアイヌの伝統歌独特のどこか物悲しいメロディーと共に、輪唱形式による音の重なりによって妙に心に響いてくるのだ。
 さらに彼女らも言っていたが、博物館の天井の高い記念ホールの会場がどこの会場よりも歌声が響いてくるという。そうした状況の中で私たち聴衆は一種の “トランス状態” に陥っていたらしい。不思議な感覚だった。
  
  ※ 会場の記念ホールの天井の高さを撮ったものです。
 彼女たちは敢えて(?)自己紹介はしなかった。だから私は誰が誰なのか特定できないままコンサートを聴いていたことになる。彼女らの過去の活動を見てみると、海外でも演奏活動をし、12月には四国公演も予定されているなど、今やその世界では相当に有名な存在であるというプライドがそうさせたのかもしれない。
 コンサートでは二人の方がアイヌの伝統楽器の “ムックリ” の演奏も披露してくれたが、さすがにプロである。“ムックリ” の演奏もまた、特別感のある演奏に聴こえてきた。
 残念だったのは、彼女らが披露した歌が何という題の歌だったのか、ほとんど理解できぬままだったことだ。(題名の紹介はあったのだが、メモできぬままだった…)アイヌ語をまったく解しない私にとっては、彼女らが披露する歌がどれも同じように聴こえてきたところがちょっと残念な点だった。
  
  ※ コンサートの最後は聴衆も輪になって彼女らの歌声をバックに踊りました。
 しかし、アイヌの伝統がそうであるように無伴奏で聴衆を魅了する歌声を披露する「マレウレウ」の三人に感嘆の拍手を送った私だった。

ヘルシーウォーキング㉒ in 砂川ハイウェイオアシス館と、すながわスイートロードウォーク

2023-10-29 18:52:41 | JRヘルシーウォーキング
 かつて東洋高圧という大企業が立地していた街だからだろうか、小さな街と思っていたが(人口1万5千人余り)、思っていた以上に広がる市域を巡り歩くコースだった。秋深く、肌寒いくらいの天候だったがウォーキングにはむしろ心地良いコンディションの中でウォーキングを楽しんだ。 
      
 10月28日(土)、個人的には10回目となる「イベントウォーク」砂川コースに参加した。(残りの14回は「いつでもウォーク」での参加である)
 札幌から列車を利用し、午前9時にスタート地点の「砂川駅」頭に立った。天候は薄曇り、気温はやや肌寒かった。
  
  ※ 砂川駅の駅舎です。
 スタート地点では、「すながわスイートロード協議会」の方が、参加者に「ちょっぴりプレゼント」と称し、お菓子を配布していた。いただいたパンフレットによると、砂川には菓子メーカーとして有名な「北菓楼」を始めとして17軒もの菓子店やスイーツを提供するカフェがあるという。それらが主として国道12号線沿いに並んでいるため「スイートロード」と呼んでいるようだ。
  
  ※ 「すながわスイートロード協議会」が提供してくれたお菓子とパンフレットです。
  
  ※ 国道12号線です。
  
  ※ 砂川市の消防の望楼だと思われます。砂川市の公共施設には写真のような三角屋根の建物が目立ちました。
 コースは砂川駅をスタートして国道12号線を一時南下して数件の菓子店を横目に過ぎるが、直ぐに反転して国道の裏の道路を北上する。国道の裏はもはや商店街ではなく住宅街が続く道をひたすら北上した。途中、左手に「北光公園」という大きな公園があり、その中には「北光沼」と称する大きな沼も見えた。
  
  ※ 「北光公園」の「北光沼」です。
  
  ※ 見事に色付いた街路樹を写してみました。
 長々と北上を続けたコースはやがて国道12号線に導かれるが、それでもなお北上を続けた。すると道路沿いにちょっと厳めしい感じもする「北菓楼本店」があった。
  
  ※ こちらは黄葉したイチョウの並木です。
  
  ※ 「北菓楼本店」の建物です。
 「北菓楼本店」を過ぎるところで思わぬ出会いがあった。私が所属する「めだかの学校」の会員がこのウォーキングに参加している方に出会ったのだ。この出会いから以後ゴールまで一緒することにした。いつもヘルシーウォークは独りで参加していたが、この日はこれ以降、あれこれと話をしながらのウォークとなった。
 コースは国道と別れてJR函館本線を跨ぐ「石山跨線橋」を渡っていわば砂川市の裏側に出る。すると道路際の広々とした敷地に我が国唯一の馬具メーカーであり、革製品メーカーとしても名高い「ソメスサドル」本社工場が視界に入ってきた。
  
  ※ JR函館本線を跨ぐ「石山跨線橋」です。
  
       「ソメスサドル」の本社工場です。         
 さらに北上するコースの脇に今年3月に閉校したばかりの「旧石山中学校」の校舎が目に入った。校舎の窓には最後の生徒たちが窓にさまざまなメッセージを書いたものを掲げていた。最近の北海道は過疎化によって閉校する学校が増加しているようだ。閉校のニュースを聞くのは寂しい限りである。
  
  ※ 閉校記念の石碑が立つ旧石山中学校です。
 コースはやがて「道央自動車道」を跨ぎ、高速道のPA「砂川ハイウェイオアシス館」に導かれる。ハイウェイオアシス館は、スイーツの街砂川らしくお菓子類を中心に品揃えが豊富なように見えた。
  
  ※ 道央自動車道を金網越しにパチリと。左手向こうに砂川ハイウエイオアシスが かすかに見えます。
  
  ※ 砂川ハイウェイオアシス内のデコレーションです。
 ハイウェイオアシス館を過ぎるとコースは単調な田舎道が続いた。コースの周りは刈り取りを終えた水田が広がる光景が続いた。その中で、北海道の穀倉地帯に水を供給する。「北海幹線用水路」が見えたが、かなり幅の広い川のように見えたが、農閑期とあって水量はほとんどない状態だった。
  
  ※ コース後半は写真のように役割を終えた田んぼが広がっていました。
  
  ※ 「北海幹線用水路」です。水量は最も少ないようでした。
 その他は特にレポするような光景に出会わず、同行した「めだかの学校」の会員と会話をしながらゴールの「砂川駅」におよそ2時間半後に到着した。歩行距離は約12Kmだった。
  
  ※ 砂川駅の駅裏です。公民館的施設が駅舎と繋がっていました。
 前回の「いつでもウォーク」で歩いた「新函館北斗コース」の際は腰痛に悩まされ不安があったが、今回はどこにも異常が出ず気持ち良くウォーキングを終えることができてホッとした。今シーズンは残り一つの「イベントウォーク」の参加を予定している。

北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈10〉 大湯環状列石(鹿角市)

2023-10-28 16:24:19 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
 「大湯環状列石」は、大きな二つのストーンサークルからできていた。秋らしいとても気持ちの良い天候の中で、ここでも熱心な女性のボランティアガイドの案内で楽しく見学させていただいた。
        
 「大湯環状列石」は、二つの環状列石(ストーンサークル)を主体とする遺跡で、紀元前2,000年から1,500年前の縄文後期に発達した遺跡と考えられている。この頃の環状列石と集落は離れていて、環状列石があるところはいくつかの集落の共同墓地であり、共同祭祀場だったと考えられている。
 この日(10月13日)は宿をとった青森県田子町から国道104号線を走って鹿角市の「大湯環状列石」を目ざした。ところが国道とはいっても道路は細く、青森県から秋田県へと県を跨ぐため県境の峠道などは細いうえに曲がりくねった道が続き、緊張の連続のドライブだった。
  
  ※ 「大家環状列石」のガイダンス施設である「大湯ストーンサークル館」のエントランスです。
 「大湯環状列石」は鹿角市の街の中心に入る手前の郊外に展開していた。私がちょうどガイダンス施設の「大湯ストーンサークル館」に着いたとき、館内を案内する女性のボランティアガイドの方が夫妻を相手に説明を始めていた。そこに同行させていただき説明を伺った。「大湯ストーンサークル館」は比較的小規模のもので、遺跡から出土した遺物もそれほど多いとは思われなかった。その中で一つ特徴的な物があった。それは通称「どばんくん」とも呼ばれている土版である。僅か5~6cmの土版なのだが、その表裏に1~6までの穴が付いているのだ。ガイドの方は「あるいは子どもに数の概念を教える道具だったのでは?」と説明されたが、本当のところは謎のようだ。
       
       ※ 「どばんくん」の表にはヒトの顔を象りながら1~5までに数の穴が付けられています。

       
       ※ 裏側には6つの穴が…。
 また、大きな土器も展示されていたが、それは「土器棺」として使用されていたものと説明があった。おそらく子どもを埋葬するために使われたのでは、とのことだった。
  
  ※ 幼子など小さな子供の死体を入れたと思われる「土器棺」です。
 続いて遺跡の「大湯環状列石」の現地の見学に移った。そこで先の夫妻はガイドから離れたために、私はここでもマンツーマンで案内を受けることになった。「大湯環状列石」は二つの環状列石から成っており、それぞれに「野中堂環状列石」、「万座環状列石」と命名されていた。私たちはまず「野中堂環状列石」に赴いた。
  
  ※ 「野中堂環状列石」の全景です。二重円になっているのがお分かりになると思われます。
 「野中堂環状列石」は60基以上の石で二重の環状を形成しているのだが、その中に明らかに日時計を意識した組石が見て取れたのが印象的だった。
  
  ※ その環状列石の内側に写真のように日時計と思われる長い石が立っていました。
  
  ※ 今回の遺跡巡りをしていて、こうしてクリの木を意識的に植えているところが目立ちました。クリの木は縄文人にとって大切な木の一種でした。
 続いて、道路を隔てて「万座環状列石」の方に移った。こちらの方は100基以上の石が遺されていてより鮮明な形で環状列石の跡を確認できた。周りには建物も点在していて当時の様子を彷彿とさせてくれた。しかし、それらの建物は住居とは言い難く、ガイドの説明によると、祭祀に訪れた人が休んだり、墓守のような人が仮眠をとったりする建物だったのではないか?ということだった。
  
  ※ 「万座環状列石」の全景です。やはり二重円になっています。
  
  ※ こちらは環状列石の傍に建物を復元していました。しかし、住居ではありません。祭祀の際に使われた施設だと思われます。
  
  ※ その建物の一つに入って説明するボランティアガイドの方です。
 私が「おっ!」と思ったことがあった。それは二つの環状列石(ストーンサークル)の間に道路が通っているが、鹿角市や秋田県では将来この道路を廃止し、う回路を設けることになっているという話だった。遺跡と道路という関係では、北海道・千歳市の「キウス周堤墓群」 は墓域の上を道路が通っている。道路が建設された当時は遺跡の存在が確認されていなかったから仕方がなかったといえば仕方がなかったのだが、千歳市あるいは北海道はこの残念な現状について善後策を検討されているのか否か気になるところである。
 遺跡の見学が終わりストーンサークル館に帰ったガイドが「館が用意している映像資料を見ていってほしい」と言われたので、視聴させていただいた。その中に一コマで、縄文人が土器を使って食物を火にかけて食していたとの説明に続き、さまざまな食物を一度に土器に入れて食していたのではとの説明から「縄文人はごった煮が好きだったようだ」との説明がされたが、きっと調査からそうした証拠も見つかっているのではと思われた。

 ガイダンス施設「大湯ストーンサークル館」
                秋田県鹿角市十和田大湯万座45                
  ◇入館料 320円
  ◇訪問日 10月13日(金)

今年の清掃ボランティア無事終了!

2023-10-27 16:21:58 | ボランティア
 今年の夏も早朝に、二週間に一度の割合で道立近代美術館前の歩道の清掃を続けてきたが、去る10月24日(火)に計16回の活動をもって今年の活動を終了した。会に集ってくれた皆さんは地域に対するささやかな貢献に満ち足りた表情で来年の再会を約し別れた。

 私たちが勝手に近代美術館前の歩道の清掃を始めてから今年で14年目となるが、今年の活動も特段の事故もなくこの度無事に終了することができた。
 14年前、私たちが近代美術館前の新築マンションに入居した時、近代美術館前の歩道は雑草が蔓延り、とても醜い状態となっていたり、歩道に覆いかぶさる広葉樹の葉が絶えず路上に落ちていたりする様子を見て、市内はもとより全道各地から美術展を観覧に来た人たちがその様子にがっかりするんじゃないだろうか?との思いがあった。
  
  ※ いつもの清掃活動の風景です。
 近代美術館前庭の緑に癒されている私たちとしては雑草や落ち葉を何とかしたい、という思いから「早朝に清掃をしませんか?」呼びかけたところ、10数名の賛同を得た。中には「活動に参加は出来ないけれど、会費などで応援したい」と名乗り出てくれる人もいて会員は当初20名を超えていた。
 以来、毎年4月~10月までの7か月間、2週間に一度のペースで路上清掃を続けてきた。その間、高齢のために活動を離れていった方もいたが、会員は活動開始からの方がほとんどだが15名の会員を維持して今日に至っている。
  
  ※ 春の花苗の定植作業の様子です。
 今年は春3月24日に第1回目の活動を開始して以来、先日10月24日まで計16回の活動を行った。その間、清掃活動と共に、マンション周囲の花壇への花苗の定植、ポプラの綿毛からクサツゲを護るためのネットの設営、そして除去、さらにはART文字やMUSEUM文字を象るクサツゲの整枝、スピレアマジックカーペットの整枝作業なども同時に行ってきた。
  
  ※ MUSEUM文字を象るクサツゲを整枝した後の様子です。
 特に今年は花壇に定植したインパチェンスの成長が素晴らしく、これまででも最も見事な花壇となったことが嬉しい出来事だった。
  
  ※ こんもりと小山のように成長したインパチェンスの花壇です。
 しかし、寄る年波には勝てない。最近は活動を終えた後はグッタリすることが多くなった。それは私だけでなく、会員のほとんどが同年代であるから他の方も同様だと思われる。新入会員の勧誘も行ってきたが、思うように加入してはもらえなかった。
  
  ※ 花壇は今、来春に備えて春の花の球根を植えて整地された状態です。
 そろそろ「引き時かなぁ…」と考え始めた。会員の皆さんともそうした会話を交わすようになった。「来春にまた会いましょう!」と言って解散したが、会員の皆さんの考えも聴きつつ会の活動の継続云々について考えていきたいと思う今日この頃である…。   

北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈9〉 御所野遺跡(一戸町)

2023-10-26 14:00:35 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
 「御所野遺跡」は、遺跡そのものも、ガイダンス施設も、そこにいたるエントランスも、「三内丸山遺跡」に優るとも劣らないもので、私が巡った17遺跡の中で双璧を成すと言っても過言でないほど充実した遺跡だった。
        
 北東北の縄文遺跡群巡りの第2日は、遺跡間が離れていることもありこの日は「御所野遺跡」一つを見学するにとどめた。そのため時間的に余裕もあったために、八戸市の国の天然記念物の指定を受けている「蕪島ウミネコ繁殖地」を訪れたり、「御所野遺跡」へ向かう途中の三戸町の「三戸城跡」を見学したりしながら「御所野遺跡」へ向かった。
 「御所野遺跡」は縄文中期後半の紀元前2,500年から2,000年に栄えた遺跡であるという。
 一戸町にある「御所野遺跡」は、国道4号線沿いを三戸町、二戸市を通って一戸町の中心街も通過した郊外に位置していた。するとそこに三角屋根の建物が見えたので、そこがガイダンス施設かと思ったのだが、それは「ききのつりはし」という木製の吊り橋が架かっている入口だった。屋根付きの木道「ききのつりはし」は深い谷を跨ぐように造られていたが、一戸町の説明では「谷の向こうにある数千年前の縄文時代の景観に向かうためのタイムトリップ装置としても機能し、弧になって曲がっているため見通しのきかないところが不安と期待を喚起し、外光の入る明るい部分と板張りの暗い部分が交互に体験することで、時間を圧縮した感覚を味わうことができる」とあったが、まさにそのとおりで「どんな遺跡が待っているのだろう!」という期待感に胸を膨らませながら遺跡に向かった私だった。
  
  ※ 国道4号線沿いに建っていた「ききのつりはし」の入口の建物です。
  
  ※ 「ききのつりはし」の内部は写真のように弧を描いていました。
  
  ※ HPから借用した「ききのつりはし」の全景です。谷の向こうに遺跡がありました。
 つり橋を渡り終わると、そこには遺跡のガイダンス施設である「御所野縄文博物館」が待っていた。この博物館もまた素晴らしく、遺跡からは直接見えないように配置され、屋根は芝生で覆われているといった凝りようだった。
  
  ※ 「ききのつりはし」を渡り終えると「御所野縄文博物館」がお出迎えです。
 博物館に着いたのが予定より早かったために、「予約したガイドを早めていただけないか」とお願いしたところ、ガイドと連絡を取ってくれて予定より早くガイドしていただけることになった。ここでもガイドの方は退職された男性のガイドの方だったが、私と1時間以上にわたり博物館内、そして遺跡を案内していただいた。
 まず博物館で印象的だったのが、縄文人の生活の様子を再現したプロジェクションマッピングだった。一年間の生活の移り変わりを分かりやすく再現したところは多少デフォルメされているところがあったかもしれないが、縄文人の生活の様子を理解するうえでは素晴らしい映像だったと思われた。
 また博物館内も観覧する側の立場に立った展示が素晴らしいと思えた。その中でも有名なものの一つに「鼻曲がり土面」という個性的な表情をした土面と、妊娠した女性を表現した「縄文ぼいん」とも称される土偶が有名とのことだった。
  
  ※ 御所野遺跡を代表する出土品の一つ「鼻曲がり土面」です。
  
  ※ こちらは妊娠した女性を表した通称「縄文ぼいん」だそうです。
 つづいて博物館から遺跡へ移動して説明を受けた。御所野遺跡は広々とした台地に広がっていた。というのもこの時代は居住域と墓域、祭祀場が分かれていたことも広いところが必要だったと思われる。遺跡には竪穴式住居をはじめ、祭祀を行う集会場と思われる施設、などが復元されて遺跡の各所に建てられていた。また、明らかに墓石と思われる「配石遺構」も何ヵ所か復元されていた。
  
  ※ 広々とした台地の広がる「御所野遺跡」です。
  
  ※ 再現された土盛の竪穴式住居です。
  
  ※ こちらは木の皮で造った貯蔵庫のような働きをした建物です。
  
  ※ 死者を弔う石の配列だと思われます。
 ここの「御所野縄文博物館」ばかりではなく、今回の旅の中で度々出てきた言葉で「アオトラ石」という言葉が出てきた。この石は緑食岩と呼ばれる堅い石で、石斧(せきふ)に使われた石だったという。鉄の無い時代、堅いアオトラ石で縄文人は木を切り倒していたという。その産地が北海道の日高山脈からしか採れなかったそうだ。このような貴重な石が海を渡って東北各地に伝来されたというから非常に興味深い。御所野遺跡内においても 現代人がアオトラ石を使って倒された木株の跡が残っていた。
        
        ※ 北海道日高産のアオトラ(青虎)石です。
  
  ※ そのアオトラ石で木株を切り倒した跡です。相当な重労働を伴ったと考えられます。これはもちろん現代人がアオトラ石を用いて木株を切り倒した跡ですよ!
 最後にガイドの方はもう一度博物館に戻り、説明したりなかったことを詳しく説明してくれるなど終始親切なガイドぶりが印象的だった。
 そして私は最初に渡った「ききのつりはし」を再び渡り現代に還ってきたのだった。

 ガイダンス施設「御所野縄文博物館」 岩手県一戸町岩舘御所野2                
  ◇入館料 300円
  ◇訪問日 10月13日(金)


統一教会の体験談を聴いた!

2023-10-25 16:49:35 | 「めだかの学校」関連
 お一人は若い時に一週間のセミナーに参加した体験談を、そしてもうお一人は信者だった知人の娘さんを親元に連れ戻すまでの体験談を、それぞれ語ってくれた。お二人にお話を伺い、改めて統一教会の凄まじさを知る思いだった…。
   
 私が所属するシニアの生涯学習グループ「めだかの学校」は、10月から本年度後期の新しい学習に入った。その一つは、映像資料を用いた学習で、北海道を舞台とした大泉洋さん主演の三部作と、産経新聞制作の「平成三十年史」をミックスして、視聴後に感想を語り合う学習と、もう一つが「トーク&ディスカッション」と称して、会員がテーマを設定して30分間程度にわたってお話をし話題提供をした後、全体で語り合うという学習である。
 10月23日(月)は、その「トーク&ディスカッション」の第1回目が行われた。
 最初に登壇したK氏は、60年前の若き頃に路上で「唯物論と唯心論の総合理論のセミナーに興味ありませんか?」と問いかけられ、さらに「キリストが復活し、予言のとおり現代に生まれ変わられたのですが、おとうさまと呼んでおります。是非とも研修セミナーに参加を」と誘われてそのセミナーに参加したそうだ。一週間のセミナーだったそうだが、K氏はそこでセミナーのうさん臭さに気付いたそうだ。K氏はセミナーの内容そのものについては詳しく触れなかったが、そこにはその後に旧統一教会が財産家を狙う勧誘や高学歴の学生を勧誘すること、あるいは高額献金、霊感商法、原理研究会、合同結婚式、等々に繋がる原風景があったという。
 続いて登壇したM氏はおよそ30年前の体験談を語った。M氏の会社の上司が仕事が手に着かないほど焦燥している原因が、娘さんが旧統一教会の信者となって家に寄りつかなくなったことだと分かり、上司や知人と共に娘さんを旧統一教会から離脱させるために奮闘した経緯をお話された。M氏によると、家族や関係者が信者を離脱させるための動きを始めると大変な警戒をするそうだ。M氏たちは何度も何度も失敗を繰り返した後になんとか娘さんを取り戻すことができたそうだ。娘さんは大きな病院の看護師をされていたそうだが、そこで先輩の看護師から勧誘されたという。
 お二人のお話を聴いてから、私がコーディネーターを務めながら会員同士のディスカッションに移った。すると会員の中から、「実は私も半分信者になりかけた体験があります」という発言があった。その方にお話によると、当時は病気がちで体調に不安があったところをついて非常に親切に近づいてきたという。そして時をみて、教会の高額商品の購入を勧めてきたという。断り切れずに最も低額の壺を購入させられそうだが、低額とはいっても云十万円だったそうだ。そのことでその方は相手方のねらいに気付き、強く拒否したことでそれ以後近づいてこなかったことで難を逃れたという。
 話題が話題だけに、話し合いとしては盛り上がった話し合いとは言い難く、進行の難しさも感じたが、そのことより私たち10数人の小さなグループの中で、これほど旧統一教会に関する体験談を聴かされるとは思っていなかった。
 旧統一教会は今、文科省大臣から解散請求が裁判所に提出されたと聞いている。しかし、旧統一教会がすでに「世界平和統一家庭連合」と名を変えたように、今後も名を変え、手段を変えて、私たちの前に現れることは十分に予想される。信仰は本来自由なものではあるが、私たちはその本質を見抜く目が要求されるということなのかもしれない。う~ん。難しい世の中ですなぁ…。
 ※ 今回はコーディネーターを務めていたこともあり、写真を撮る余裕がなかったのでイラストでお茶を濁すことにします。

北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈8〉 是川石器時代遺跡(八戸市)

2023-10-24 15:49:16 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
 是川石器時代遺跡は縄文晩期の遺跡ということで、それ以前よりは高度な技術がほどこされたものが発掘された遺跡である。特に、赤いベンガラを塗った漆製品が数多く発掘された遺跡として知られている。
         
 午前中に七戸町の「二ツ森貝塚」の見学を終えた私は八戸市に舞い戻った。八戸市には「長七谷地貝塚」という関連資産があり寄ってみたのだが、ただの原っぱで看板があるのみで見るべきところもなかったのでパスして、もう一つの遺跡「是川石器時代遺跡」へ向かった。
 「是川石器時代遺跡」は、現在遺跡自体が整備工事中ということだったが、「是川埋蔵文化財センター 是川縄文館」をガイドが説明してくれるというので訪れることにしていた。
  
  ※ 是川石器時代遺跡のガイダンス施設の「是川埋蔵文化財センター 是川縄文館」
の建物です。
 ガイダンス施設である「是川縄文館」はなかなか立派な施設だった。私が「是川縄文館」に到着すると、やはり男性のお年を召したボランティアガイドが待っていてくれた。
 ガイドは「二ツ森貝塚」のガイドと同様、能弁に「是川石器時代遺跡」について語ってくれた。特に、特色の一つである漆(ウルシ)の収集方法については、漆の木から漆を収集する道具も展示されていてその方法を詳しく説明してくれた。その製品の一つで完全な形で出土したわけではないが「木胎漆器」と題する漆塗りの赤い木の器が「是川石器時代遺跡」から出土した代表的なものとして紹介されている。ベンガラの赤色を混ぜた漆を土器や木器に塗ったものは祭祀に用いたとされているが、そもそも縄文人が赤色を好んだのは、赤色が生命の力を象徴する色として尊び、人の死と再生を意味するのではないかとガイドは説明された。
  
  ※ これがパンフレットの表紙にも使われている「木胎漆器」です。本物は赤色がやや退色していますが、確かにベンガラの色が残っています。
  
  ※ 同じ赤色の漆がほどこされている土器の入れ物です。
  
  ※ 木製の櫛にも赤色の漆が塗られています。
 また、もう一つ「是川石器時代遺跡」を代表するものとして国宝にもなっている「合掌土偶」は縄文館の中でも特別な形で展示されていた。その他にも数々の貴重な遺物が展示されていたが、その数があまりにも多いために私はそれらを十分に消化することはできなかった。
  
  ※ 国宝の「合掌土偶」です。土偶で国宝に指定されているのは5体だそうです。
  
  ※ こちらは八戸市民に人気があるという「頬杖土偶」です。
 縄文館の入口付近に二つの胸像が建っていた。ガイドによると、お二人は地元の素封家だった泉山岩次郎と斐次郎という義兄弟だという。彼らは自らの畑から出土した貴重な遺物の数々を散逸しないよう自費でもって護ったことによって、現在縄文館に貴重な出土品が展示されることになった恩人であるということだった。
  
  ※ 是川縄文館内に建てられた泉山岩次郎と斐次郎の胸像です。
 最後にガイドの方は、現在整備工事中ではあったが「是川石器時代遺跡」を構成する遺跡の一つ「中居遺跡」に案内してくれて、柵の外から低地に小川が流れる遺跡を案内してくれた。
  
  ※ 泉山岩次郎の畑跡だという「仲居遺跡」です。(現在整備中とのこと)
 この遺跡においてもボランティアガイドの方が丁寧に遺跡について説明してくれたことが有難かった。

 ガイダンス施設「八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館」 青森県八戸市是川横山1                
  ◇入館料 250円
  ◇訪問日 10月12日(木)


平成5年度市民芸術祭 市民合唱祭 第2部

2023-10-23 16:54:13 | ステージ & エンターテイメント
 シニアの方々の合唱グループってたくさんあるなぁ…。札幌コンサートホールKitaraの大ホールはステージとしては大き過ぎたのかな? 熱心に練習に取り組んだ成果を発表する方々の合唱に聴き入った。
     
 平成5年度の札幌市民芸術祭の一つ、市民合唱祭の第2部が10月21日(土)午後、札幌コンサートホールKitaraで開催されたので、足を運んで聴いてみた。
 市民合唱祭は第1部と第2部に分かれていて、第2部を10月21日に、第1部を10月22日に開催された。私は当初2日間とも聴く予定を立てていたが、残念ながら10月22日の第1部の方は所用ができて聴くことができなかった。そこで第2部のみを聴いた感想を記すことにする。
 第2部はプログラムによると「札幌市内のPTAなどのコーラスグループ」となっていたが、どうやら少人数グループの発表だったように思われる。
私は全33組の出場グループの出場人数をたえずチェックし、私なりに評価させていただき三段階評価をさせていただいた。そのグループ名と出場人数を記すと…、(評価の方は私だけのものとしておきます)
 ① 北海道クリスチャンセンター聖歌隊 10名
 ② コーラス フェルマータ 22名
 ③ 札教大グリークラブOB合唱団 20名
 ④ マードレ マードレ 7名
 ⑤ Chor Keim 7名
 ⑥ 札幌なかまの杜クリニック ボイトレ部 16名
 ⑦ はまゆうコーラス 15名
 ⑧ Le Mardi 8名
 ⑨ 混声合唱団 Le Camarade 10名
 ⑩ コラル・ラ・フォレ 16名
 ⑪ 北海学園大学グリークラブOB会
 ⑫ 札幌聖心女子学院コーラス部 7名
 ⑬ ブルンネンコール藤 13名
 ⑭ おむすび 15名
 ⑮ Reve Dore  13名
 ⑯ 女声コーラス 花みずき 9名
 ⑰ ら・のーば 13名
 ⑱ 札退教合唱サークル「睦」 18名
 ⑲ 女声合唱 嶺の会 19名
 ⑳ かわいくてごめん 17名
 ㉑ ひまわり会 18名
 ㉒ 札幌童謡の会 33名
 ㉓ 西岡小PTAコーラス「ソレイユ」 18名
 ㉔ うたう会 あいの里コーラス 20名
 ㉕ 女声合唱団コーロ・ドルチェ 22名
 ㉖ すずかけコーラス 14名
 ㉗ わかくさコーラス 17名
 ㉘ コールふじの 9名
 ㉙ 混声合唱ニングル 31名
 ㉚ 栗山文昭コーラスサロン風雅斗 17名
 ㉛ さくらやま合唱隊 8名
 ㉜ コリデール・コール 20名
 ㉝ コール・ドルチェ 16名
総じての印象であるが、最も人数が多いグループで33名ということだったが、ほとんどが10数名というグループだった。あのKitaraの天井が高くて広い会場で10数名のグルーブではどうしても声量に欠けるところがあったのは否めなかった。特にシニアの方々には厳しかったと思われた。その点、若者たちの歌声には張りがあり、たとえ少人数でもそれなりに歌声が私のところまで届いたが、それは仕方のないことか?
 そのシニアの方々だが、多くの人たちが合唱に情熱をかけていることが窺われた。特に女性の方々は輝くばかりのドレスを纏い、晴れ舞台を楽しんでいるように見えた。いずれにしても生涯の趣味として末永く続けていただきたいと思った。
 さて、評価の方だが本日、教育文化会館のHPに結果が発表されていた。それによると、⑰の「ら・のーば」と㉚の「栗山文昭コーラスサロン風雅斗」の2団体が「芸術祭奨励賞」を受賞と発表されていた。私の評価では⑳の「かわいくてごめん」という若者のグループがダントツだったのだが…。ただグループ名が、そして指揮者が被り物をして登場するなど、やや悪ノリしていたところが審査員にどのような印象を与えるだろうか?と心配していたのだが、そのことが影響したのだろうか?それは別にして、受賞した二つの団体の私の評価はやはり三重マルだったので、順当というところだろうか?
 しかし、あの大舞台ではもっと多人数の合唱こそが合唱の良さを感得できるのだろう。今年は叶わなかったが来年はぜひとも第1部を聴いてみたいと思う。
 なお、写真撮影は厳禁とのことで一枚も掲載することはできない投稿となりました。

北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈7〉 二ツ森貝塚(七戸町)

2023-10-22 13:42:07 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
  •  二ッ森貝塚は縄文前期から中期にかけて栄えた貝塚を伴うムラの跡である。つまり温暖期にあって縄文海進の時期にあたり、現在は貝塚からは遠くに望む「小川原湖」の湖岸が貝塚の近くまで延びて豊かな湖(海)の幸が豊富に獲れた地であったことが窺われた。
         
 今回の北東北の縄文遺跡を巡る旅の成果をどうまとめるべきか?少し迷ったところがあったが、結局昨年巡った北海道の縄文遺跡巡りでまとめた形を継続することが一貫性があることと考えた。これからは旅から帰宅後に体験する出来事も投稿しながら、断続的に縄文遺跡巡りについてレポしていくことにしたい。
 10月11日(水)朝5時に八戸港に着岸した私は仮眠をとらず、すぐに最初に訪ねる七戸町の「二ツ森貝塚」を目ざした。七戸町は八戸市からはおよそ70キロ北上したところにある。ナビに従い細い県道を北上した。まずは真っすぐにガイダンス施設の「二ツ森貝塚館」を目ざした。貝塚館に着いたのは7時を少し回ったところだった。開館時間は午前9時だからかなりの時間があった。
 私は場所を確認したので、貝塚生成に関わったと思われる近くの「小川原湖」に行ってみることにした。小川原湖は現在は、汽水湖であるが、縄文時代は海の一部となって、豊富な魚介類が獲れたと想像される大きな湖だった。
  
  ※ 小川原湖の湖面です。早朝らしく太陽の位置が低いですね。(下の写真も)
  
 午前9時、「二ツ森貝塚館」に開館と同時に入館した。「二ツ森貝塚館」は閉校された校舎を活用したガイダンス施設だった。入館すると、ボランティアガイドの男性の方が待っていた。ガイドの方はガイドの会の代表のかたということで退職されてガイドをしているということだった。
  
  ※ 廃校した校舎を活用した「二ツ森貝塚館」です。
 さっそく貝塚館の展示について解説していただいた。呼び物は貝塚の「貝層断面」を展示していた。素人にはただの貝層にしか見えないが、考古学の研究者にとっては縄文人の生活を探るうえで貴重な情報源であるという。
  
  ※ 貝塚の貝層をはぎ取り、展示した貝塚の様子です。(下の写真も)
  
 その他では「鹿角製の櫛」が櫛の先は欠けているものの見事に装飾を施された櫛の遺物は貴重であろう。さらには亀ヶ岡石器時代遺跡の「遮光器土偶」ほど有名ではないが、遮光器土偶も発掘されたようだ。また、取っ手の部分に「人面が象られた土器」も珍しい一品だった。
  
  ※ 鹿角製の櫛です。
  
  ※ 遮光器土偶です。(下半身が欠けているのが残念です)
  
  ※ 取っ手の部分に顔面を象った土器です。
 その後、貝塚館から数百メートルはなれたところある貝塚跡に向かった。貝塚跡は「二ツ森貝塚史跡公園」として整備されていた。貝塚そのものは発掘調査の跡は覆土されて、ただの緑の芝生が一面に広がっていた。その中に当時の竪穴建物が二棟復元展示されていて、内部も見学することができた。
  
  ※ 整備された「二ツ森貝塚史跡公園」の全景です。
  
  ※ 復元された当時の竪穴式の住居です。
  
  ※ 竪穴式住居の内部です。
 感動したことが一つあった。それはガイドの方が芝生の一部を指さすと、そこには白いしじみの貝殻が多数無造作に転がっていたことだ。もちろん貝塚に遺されていた貝殻の一部だという。それだけ貝塚が広く広がっていた証拠のように思われた。
  
  ※ 史跡公園の片隅にはこうして貝殻がこ転がっていました。
 感激したのは、ガイドの方の親切な説明だった。私一人のために親切丁寧に説明してくれる姿には頭が下がる思いだった。秋らしい晴れ上がった空の下、まずは快調にスタートを切った私の北東北の縄文遺跡を巡る旅だった。

ガイダンス施設「二ツ森貝塚館」青森県七戸町鉢森平181-26
 ◇入館料 無料
 ◇訪問日 10月12日(木)