田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も12年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌ぶらり散歩 83 藻岩山散歩

2019-04-24 18:53:27 | 札幌ぶらり散歩 & Other

 アウトドアシーズンを迎えて左膝が不安である。ふだんの歩行には何の不安も感じないのだが、自転車に乗ると左膝が痛み出すのだ。いったいどういうこと?との思いもあり、藻岩山に繰り出してみた…。 

 札幌は今日(4月24日)桜の開花日を迎え、穏やかな天気だった。他の予定もあったのだが、上記のようなこともあり急遽予定を変え、藻岩山散策に切り替えた。散策とはいっても実際は登山なのであるが…。

 9時過ぎ、登山口(慈啓会口)にはたくさんの車が駐車していた。陽気に誘われて多くの人たちが登山を楽しんでいるようだった。

        

     ※ 登山口の駐車場にはまだ雪が残っているところがあったが、登山道の下の部分はほんどん乾いていました。

 リハビリトレーニングを兼ねての登山だったので、ゆっくりゆっくり登ることにした。

 登山口から登り始めていきなり目に飛び込んできたのは青色のエゾエンゴサクだった。青い色や紫色の可愛い花を付けたエゾエンゴサクは今が満開のようだ。登山道の両端をまるで回廊のようにして私たち登山者を出迎えてくれた。(少しオーバーな表現かな?)中に一輪だけ白いエゾエンゴサクを見つけることができた。

        

        ※ このようにエゾエンゴサクの群落がいたるところで見られました。

        

        ※ エゾエンゴサクの三態です。それぞれ涼しい色が特徴のようです。

        

        

         

 さらにエゾエンゴサクの群落の中に、小さな花なのだが存在感十分の黄色い花が目立った。調べてみるとキバノアマナという種だということが分かった。

        

        ※ 色の濃い黄色が存在感を強めているキバノアマナです。

        

        

 キバノアマナほど存在感を発揮してはいなかったが、白いエゾイチゲも可憐な花を付けて登山者たちを歓迎(?)してくれた。こちらはまだ数は少なく、最盛期はもう少し先のようである。

        

         ※ 数は多くありませんでしたが、白い花が可憐なエゾイチゲです。

 花たちを愛でながらゆっくりと登山を継続したが、膝の方は特に異常はない。登山道の方は下の方は乾いていたが、高度が上がり馬の背近くになると日陰になっているようなところにはまだ雪が残っていて、注意しながら登り続けた。

        

        ※ 藻岩山も上部へ行くと、ところどころにこのように雪渓がまだ残っていました。

        

 天気は穏やか、多少汗ばみながらも心地良い登山である。山の木々はまだ葉を付ける前で、登山道も明るかった。

        

        ※ 登山道沿いにはコブシの花はなく、望遠でとらえたコブシの花です。

 陽気に誘われてだろうか?エゾリスが目の前に姿を現しエサを啄んでいた。警戒心の強いエゾリスが登山者の前に現れるのは、あるいは人慣れしたエゾリスなのかもしれない。シャッターチャンスにも十分(?)応えてくれた。

        

        

        ※ 幸運にもエゾリスが逃げずにカメラに収まってくれました。

        

        

         ※ 冬の間に動物たちが生き永らえた食痕ですね。

 いつもは休まない、腰を下ろすところがある「スキーリフト跡地」のところも、「馬の背」に至ったところでも、しっかり休養を取りながら登り続けた。

        

        ※ 慈啓会口から登ると、最初の休憩ポイントでもあるスキーリフト跡地です。

 結局いつものペースの1.5倍の時間をかけて登頂した。膝の方はまったく異常を感じなかった。下山の方は少しスイッチが入ったこともあり、一度も休憩を取らず息が上がるくらいペースアップしたのだが、それでも膝に異常は現れなかった。いったいどうしたというのだろう?

        

        ※ 頂上直下にある「水かけ地蔵」ですが、まだ水はおいてありませんでした。

        

        ※ 山頂からの札幌市内です。うっすらと靄がかかった感じですね。

 明日の投稿でそのあたりのことについてもう少し言及してみたいと思っているが、とりあえずはアウトドアに向かうことには問題ないと素人判断し、今後いろいろとスケジュールを組んでみたいと思っている。

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札幌ぶらり散歩 82 星置界隈をぶらりと散歩

2019-04-22 16:51:31 | 札幌ぶらり散歩 & Other

 これというテーマは設けなかった。「ミズバショウ観察会」に参加した後、春らしい陽気に誘われてなかなか訪れる機会のない星置界隈をぶらりと散歩してみた。 

 4月14日(日)午前に星置緑地を会場に開催された「ミズバショウ観察会」に参加し、そのまま帰宅するのも芸がないと考え、なかなか訪れる機会のない星置界隈をぶらりと散歩することにした。 

 車を郊外型店舗が集中しているショッピングモールの駐車場に停車して、星置地区から海岸の小樽ドリームビーチを目ざし、その後は海岸線を横切り、方形に歩いて帰ってくるコースを自分の中で設定してスタートした。

       

      ※ 数えなかったけれど、相当多くの郊外型店が集まり、広大なショッピングモールを形成していました。

 星置の住宅街から海岸を目ざして歩き始めたが、住宅街をちょっと離れるとそこはもう畑地だった。このあたりは砂地のためかスイカなどの生産が盛んと聞いている。

        

       ※ 住宅街からほんの少し離れると写真のような畑が広がっていました。 

 さらに海岸を目指すと小さな橋を渡った。すると橋には「山口運河」と銘板が貼ってあった。「山口運河」とは、明治27年、道庁により銭函-花畔間に掘削された「銭函運河」延長6.5キロの排水兼輸送用水路だが、そのうちの手稲村山口地区の部分を指すという。海岸に近い砂の多い湿地のため土手の崩壊などで水路は浅くなりやすく、また海岸に沿っているため高低差も少なく効果は薄かったため短命に終わったという。しかし、地域の人たちはその歴史を消すまいと整備、維持管理に努め、学校の児童生徒とともに「手稲山口運河まつり」を毎年開催し、歴史を語り継いでいるという。

       

       ※ きれいに整備された「山口運河」です。往時とは違い河岸も整備されています。

 さらに行くと辺りに住宅はほとんど見えない中に目に入ったのが小学校だった。校名を確認すると「手稲北小学校」と判明したが、校舎の屋上に「開校127周年」と書かれていてちょっと意外な思いがした。というのも、周辺は新興住宅街でそんなに古くから拓けていたとは思われなかったからだ。帰宅して調べてみると1892(明治25)年に「山口村立山口尋常小学校」として開校したとあった。つまり始まりは小さな農村の学校が始まりだったようだ。なお、学校の紹介では札幌市で海に最も近い学校(海岸から1.5km、標高5m)としても紹介されている。

        

       ※ 意外と歴史のある「札幌市立手稲北小学校」の校舎です。

 海岸へは星置地区から真っすぐ伸びているが、道々337号線の広い道路を横切ると建物はほとんど見えなくなる。唯一(唯二?)あったのが造園業者とその向かいに何かの会社の建物があった。

       

       ※ 道々337号線を越えると、写真の造園業者と道路向かいの会社の建物しかありませんでした。

そこから少し行くと、私立学校(高校?大学?)が取得したのではないかと思われるグランドが目に入った。しかし、今は使われていないのだろうサッカー用のゴールが見えたが、グランドには雑草が生い茂っていた。

        

       ※ 今はもう使われなくなったグランドです。

 さらに海岸への道は真っすぐ伸びていた。周りは海岸が近づいたことを示すように防風用の灌木が生い茂っていたが、その隙間から「小樽カントリー倶楽部」のグーリーンが垣間見えた。海岸に近く、砂地の多い土地では他の利用価値があまりないと思われるが、ゴルフコースには最適なのかもしれない。

       

       ※ 道路は海岸に向かって真っすぐ伸びていました。

       

       ※ 海からの風を防ぐための防風林でしょうか?灌木が生い茂っていました。

        

       ※ そんな灌木の林の中からぽっかり顔を出した「小樽カントリー倶楽部」のグーリーンです

       

       ※ こちらも同じくゴルフ場ですが、前の写真とは反対側からプレー中の人が写る写真が撮れました。

 そうするうちに周りが開け海岸に出た。小樽ドリームビーチの一角である。(ちょうどドリームビーチの真ん中付近と思われた)好天も手伝って海岸には釣り人や海を眺めに来た人たちが何人かいたが、まだまだ静寂そのものだった。遠くには海に浮かぶ船も何艘か見えた。私は海を右手に見ながら小樽方面(南西方向)に向かって歩いた。ドリームビーチは最近浸食が激しいと聞く。海岸段丘が海の近くまで迫ってきているところもあった。

       

       ※ 小樽ドリームビーチの海岸段丘の上の砂浜です。

       

       ※ こちらは海辺まで降りたところの写真ですね。

       

       ※ かなり望遠を使って遠くの船を写しました。釣り船でしょうか?

       

       ※ ご覧のように海岸段丘が海辺まで迫っています。砂浜が削られているのでしょう。

       

       ※ 中にはこのように土留めをして崩壊を防ごうとしているところもありました。

 カラスが海岸に流れ着いた(?)カレイの死骸を啄んでいた。また、釣り人がちょうどカレイを釣り上げているところにも遭遇した。好天の中、波の音を聞きながら波打ち際を歩くのは心地好かった。

       

       ※ カレイの死骸を啄むカラスくんです

       

       ※ このように釣りを楽しむ人に3人ほど出合いました。

       

       ※ 釣った魚はカレイ2匹ですね。ちょっと小ぶりのようですが…。

 やがて星置川が日本海に注ぐ河口のところに至った。

       

       ※ 星置川が日本海に注ぐ河口です。

 私はそこから海に別れを告げ、星置川沿いを星置の街に向かって舵を切った。川沿いはまだ春が浅く、雑草も茂っておらず、遠くには手稲山の山並みも望めてこの辺りの散歩もまた気持ちの良かった。

       

       ※ 星置川沿いは写真のようなのどかな散歩道が続いていました。

       

       ※ 手稲山が良く見えました。スキーコースにはまだ雪が残っているようです。

 やがて星置川沿いに広がる「星観緑地」の端に到達すると、左折して車を駐車したショッピングモールまで一路真っすぐである。一か所だけマップに気になるところがあった。星置川沿いに大きく水色に塗られた沼地状の図があった。そこを確かめるため横道にそれて確認したのだが、そこに沼地はなかった。あったのは低地に広がる広場のようなものだった。近くにお住まいの方がいたので聞いてみると、どうも沼地ではないらしい。冬には雪捨て場になるということで特に利用されてはいないようだ。

       

       ※ 「星観緑地」に到達です。川向うでは少年たちがサッカーを楽しんでいます。

       

       ※ この低地はいったい何に使われているのか?舗装されているようですが、その用途は謎です?

 元の道に戻り、車の往来は激しいが、人の通りは少ない道をショッピングモール目ざして歩を進めた。途中、星置中学校、星置養護学校の校舎が見えたが、写真は撮らなかった。距離にして約9.5キロ、やや物足りない思いもしたが「ぶらり散歩」を終えることにした。

 新しい住宅街はどこも同じ表情の建物が並んでいて、私が期待するような興味ある物件には遭遇しない。それでも新しいところは、私自身の経験値を広げるうえで無駄ではない。これからも時間と心身に余裕があるかぎり、あちこちと出没してみたい。

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札幌ぶらり散歩 81 マンション名に頭を悩ませる?オーナー

2019-04-10 14:54:02 | 札幌ぶらり散歩 & Other

 札幌市の地下鉄北24条駅界隈には独身者向けの小型のマンションが目立った。その一つ一つにマンション名が付けられているのだが、昭和生まれの私には意味不明のマンション名も少なくなかった。そこにはマンション名に頭を悩ませるオーナーの顔が見え隠れするようだった…。

  まず今回提示した最初の写真3枚を眺めていただきたい。私が三日間かけて地下鉄北24条駅界隈を3日間かけて50キロ強を歩いた際に気になって撮りためたマンション名の一部である。みなさんはこれらのマンション名の中からはっきり意味を理解できるものがどれくらいあるだろうか?昭和男の私にはそのほとんどを理解できなかった。

          

 小型のマンション名というと以前は、「コーポ」、「ハイツ」、「コート」などという名称を用いる場合が多かったようだ。もちろん現在もそうした名称を冠に使用しているところは多かった。しかし、利便地である北24条駅界隈は大型、小型を問わずマンション乱立の様相を呈している。すると、もう他が使用していないマンション名がなかなか思い付かないというのが実状なのかもしれない。そこでマンションのオーナーは、どなたかに相談してマンションのイメージを高め、かつ若者受けするような名前を他に求めるということなのだろうと想像される。

          

 こうした傾向は札幌のみならず、全国的な傾向なのではと想像される。そうしたものの中には珍名さん的なマンション名も存在するのかもしれない。

          

 しかし、こうなったら逆に開き直って下の写真のように「あいみマンション」(奥さん、あるいは娘さんの名前?)とか、「三十二条マンション」(立地番地をそのまま)と、開き直った命名の方が潔いとも思ったりするのだが、なかなかそうもいなかい事情があるんだろうなぁ~。これからも「札幌ぶらり散歩」ではマンション名をできるだけチェックしながら歩いてみたいと思う。

          

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札幌ぶらり散歩 80 名は体を表す?いや体は名を表す?

2019-04-09 16:09:30 | 札幌ぶらり散歩 & Other

 “名は体を表す”とはよく聞く言葉だが、街を歩いていると“体が名を表している”のではないかと思われる建物に遭遇することが何度かあった。皆さまも本投稿をお読みになると「ある!ある!」と膝を打つ経験があるのではないだろうか? 

 北26条西8丁目界隈を歩いているときだった。深緑色とエンジの色を大胆に塗り分けた若者向けのマンション風の建物が何棟も建っているのが目に入った。傍に近づいてみると、どうもマンションではないようだった。それじゃ何なのだろう?と気になった。さらに建物に近づくと、建物の入り口に「北海道芸術デザイン専門学校F館」と記されていた。なるほど建物そのものをデザインしたということのようだ。「F館」と記されている通り、周辺には同じような建物が何棟も建っていた。

           

 別の日に北30条を東に向かって歩いていた。場所ははっきりと記憶していないのだが、遠目から見てもかわいいデザインの建物が目に入ってきた。傍へ寄ると保育園の建物だった。保育園などの建物としては比較的おとなしいくらいである。

          

 他日である。豊平区の月寒周辺を歩いていた時、やはり可愛らしい建物と遭遇した。近寄ってみると、「幌南学園幼稚園」という表示が見えた。逆光だったが、いかにも幼稚園という建物に見えたのでシャッターを一枚切った。市内にはもっと他の建物とは一線を画したような幼稚園や保育園の建物もあるようである。

          

 最後は明るいカラーリングを施した若者向けのマンションである。私たち年配の者が入居するにはちょっと腰が引けるところだが、若者にとってはポップな感じのカラーリングを施した建物は歓迎するところなのだろう。

           

 例としてはもっと相応しい建物も札幌市内にはたくさんあるように思える。これからの“ぶらり散歩”で収集してみたい。

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札幌ぶらり散歩 79 札幌飛行場跡が…

2019-04-04 17:41:25 | 札幌ぶらり散歩 & Other

 札幌市内に飛行場があったことは、いつか聞いたことがあった。しかし、その位置がどこにあったのかについてはまったく知らなかった。それがこのほどの“ぶらり散歩”で期せずしてその場に立つことができた。

  地下鉄北24条駅界隈を彷徨っていた時、北27条の通りを西8丁目あたりから東へ向かって歩いていた。その車道はかなり広い幅だった。(2車線?)ところがその車道の横に遊歩道が付いているのに気が付いた。よく見ると細い公園のようにも見える。そしてその遊歩道が道路を挟んでずーっと続いているのだ。途中には東屋があったり、ベンチが配されたりしていた。

          

 しばらく進むと、一人の老人がいたので話しかけた。「ここは公園なのでしょうか?」と。するとその方は「いや、公園ではなくて歩道でしょう」という回答だった。その時、その老人が「ここは昔飛行場だったからねぇ」と話された。そうか!飛行場の滑走路を道路に転用するとき幅が広かったので、その一部を遊歩道にして地域の住民の憩いの場を提供したのだな、と理解した。老人には「こうして憩う場がお宅に近くにあるっていいですねぇ」と語りかけると、老人は満足そうに微笑んでくれた。

          

 老人と別れ遊歩道の東側の終点のところまで行くと「北27条公園通り」と記された看板が設置されていた。その看板は「北区歴史と文化の八十八選」の一つに選ばれた理由が記されていた。それによると「ここは、旧札幌飛行場の防風緑地帯であったが、この跡地を道路用地として処分を受けた際、幅10メートル、長さ400メートルの防風緑地帯用地を残し、地域の人たちが戸外において気軽にふれあえる施設をということで、コミュニティ道路として昭和59年(1984年)に開園した。遊水広場や遊戯広場(4枚のモザイク)などがあり、子供たちや地域の人たちの憩いの場となっている」と記されていた。遊歩道は滑走路の跡ではなく、防風林の跡だったということだ。

           

 後日である。私は北24条通りをやはり東に向かってウォークしていた。西8丁目付近に差しかかったとき、なにやら周囲にはそぐわない古い門柱が目に入った。その門柱を子細に見てみると「札幌飛行場」という文字が認められた。近くにあった説明を読むと、門柱は旧札幌飛行場の正門だと記されていた。旧札幌飛行場は北24条から北27条に跨っていたということだから、けっこうな規模だったことが分かる。

  •            

 帰宅して旧札幌飛行場のことを少し調べてみた。すると、旧札幌飛行場は1927(昭和2)年に札幌タイムス社(現在の北海道新聞社の前身)が造成したということだ。その後、軍用に転用されて第二次世界大戦でも使用されたようだが、終戦とともに飛行場としての役目も終えたようだ。

 この投稿文を書いていて一つ思い出したことがあった。私のブログの昨年11月14日にも投稿しているが「90年前の札幌を伝えるフィルムを観る」のことである。そのフィルムの中で、札幌で遊覧飛行をしている様子が映っていた。おそらく札幌飛行場が開場して間もないころのフィルムだったと思われる。

 思わぬ歴史に出合えた「札幌ぶらり散歩」だった。

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札幌ぶらり散歩 78 建物の壁が広告媒体に!?

2019-04-03 16:39:30 | 札幌ぶらり散歩 & Other

 この10日ほどの間に日をおきながら3日間地下鉄24条駅界隈を彷徨った。長距離ウォークのトレーニングを兼ねながら、いまだ未知の街を探訪し、興味ある物件を見つけてレポしようという試みだった。3日間合計で50キロ強歩いた。しかし、思惑は外れたようだ。以前歩いた円山地区や八軒地区のような興味ある物件にはなかなか出会わなかった。「へえ~!?」というような物件は皆無で、「あ~、あるある」的なものがほとんどだった。これから何回かに分けて、その「あるある」的物件についてレポすることにする。

  いゃ~、壁全体を宣伝媒体としているのはススキノ交差点のところくらいかと思っていたが、なんとなんと!北24条駅界隈にも似たような物件が数多くあったのだ! 

 地下鉄北24条駅で降り、地上に出たときいきなり大きな看板が目に飛び込んでくる。4階建てくらいの建物の壁いっぱいに居酒屋やレンタルDVDなどの店の看板が派手に描かれているのだ。他は?と見ると、それほど派手な看板は見当たらなかった。私は「あゝ、そこまで派手な宣伝をするところはそれほどないんだ」と思っていた。

          

 ところが後日!北24条駅からほど近い西5丁目・樽川通(旧電車通り)を歩いていた時だった。またまた壁いっぱいに店名や業種を描いた建物が次々と現れた。まるで広告合戦をしているかのように…。これには度肝を抜かれた。壁いっぱいの広告というとすすきの交差点のところが有名だが、それもその一帯だけである。むしろ北24条界隈の方がそうした看板は多いのではないだろうか?

          

          

           

 壁も建物も派手なことでは、某賃貸物件紹介業の派手な建物が有名だ。しかし、私にはどこか街から浮き上がっているようにも見えた。ところが北24条界隈の壁いっぱいの広告を目にしたときは、「これから日本の繁華街はますますこのような傾向になっていくのだろうか?」と少し憂鬱にもなってきた。

 私には街の景観に対する原体験がある。それはもう50年も前の話になるが、私は学生時代にヨーロッパ・中近東・アジアを彷徨って歩いた体験がある。その際、私はソ連から北欧、そして中欧へと順に巡って歩いた。その際にフィンランドやスウェーデン、ノルウェーなどの街を見たとき、繁華街においてビルなどに広告の類を一切目にしなかった。街全体が落ち着いた色合いで、カラフルな色はビルのウィンドーの中だけで、人々はそれらを眺めながら散策するウィンドーショッピングを楽しみにしているようだった。ドイツ、イギリスでも同様だった。少し変化が見えてきたかな?と思われたのはフランス、イタリアに入ってからだった。それとても日本のような派手な広告を目にすることはなかった。この時の体験が私の中では色濃く残っているのだ。

 なぜこれほどヨーロッパの街と日本の街では違うのだろうと思ったのだが、それはきっとアメリカの影響なのではと思われる。つまり、戦後において日本はあらゆる面においてアメリカナイズされる中で、街の景観もアメリカに似てきたのかな?と思われる。そしてそうした光景に私たち日本人は不感症になってしまっているのかな?と思ったりしている。

 日本は外国人から「街がきれいだ」と言われることが多いと聞く。はたして日本の看板などの広告媒体についてはどう思っているのだろうか?

          

          ※ 有名なすすきの交差点のところの壁の広告です。

 広告を出している業者に責任はない。法の範囲内で行っていることだろうから…。問題は街の景観をどう創っていくか、という立場の人たちがもっと議論を重ねてほしいと思うのだ。なにもかにも欧米を見習えなどと野暮なことを言うつもりはない。ただ、あの落ち着いた街の雰囲気というのは見習ってもいいような気がするのだが…。「ぶらり散歩」が思わぬところへ飛び火してしまった。

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札幌ぶらり散歩 77 エントランスはマンションの顔?

2019-03-21 16:34:26 | 札幌ぶらり散歩 & Other

「札幌ぶらり散歩」とは、札幌市内の歩道のできるだけ未体験のところを歩くことによって、新たな発見や心に留まった光景などをレポートしようとするものである。という書き出しで2014年から2015年かけて私は盛んにレポートしていた。それがナンバー76でぱったりと止まっていた。このところ運動不足を感じていた私は、はたとその当時のことを思い出した。「そうだ!夏に向けての体力づくりと、札幌の中の未体験ゾーンを探ってみようと、再び「札幌ぶらり散歩」を再開しようと決意し、本日早速北区界隈をぶらぶらと歩いてみた。 

 いたるところにマンションが林立している北区である。近くに北大があるからだろうか、若者向けと思われる意匠を凝らしたマンションが目立つ。そんな中、エントランスに特色を出したマンションに出合った。

  マンション風の建物の前に何やら意味不明の鉄骨が立っていた。青いペンキが塗られた鉄骨が2本交わるように立っていた。まったく実用性は感じられない。北大が近くにあるので、若者向けに特色を出そうとしたのだろうか?そうとしか考えられないマンションのエントランスである。

               

           

 続いて今度は、真っ赤に塗られた鉄骨の登場である。こちらはマンション自体の壁がコンクリート打ち出しのまま壁と真っ赤な鉄骨である。明らかに若者向けにアピールしたマンションではないか、と推測してみた。こちらの鉄骨はマンションの駐車場の出入り口に設置してあったから、あるいは高さ制限の意味もあるのかな?

               

           

 こちらは前記二つに比べるとややおとなしい感じを与える黄色い鉄骨(モニュメント?)である。それにしても、みんな原色を使用している意味が良くわからない。やはり若者向けということなのだろうか?

           

最後におまけで民家のエントランスを飾るアーチである。冬枯れの状態だが、夏になると蔓バラなどが彩るのだろうか?それとも蔦の絡まる歓迎アーチ??

          

 夏の長距離ウォークを想定して初日ながら16キロも北区界隈を歩き回ったのだが、気になる光景や新たなる発見が少なかったようだ。北24条付近は街が開発されてからまだ日が浅いということなのだろうか?もう少し北区にこだわり新たな発見をしてみたいと思う。

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札幌歴史散歩 11 中央区・創成川・鴨々川地区(2)

2017-11-21 16:59:29 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 「鴨々川」は、幌平橋付近の豊平川から分流して流れる創成川の上流ススキノの南7条までの約2.5kmの流路が蛇行している部分を指しているということだが、歓楽街ススキノや中島公園を通っているため歴史的にも興味ある流れだった。 

                    

 最初に掲載した古地図は1881(明治14)年に作成されたものだが、右側に見える豊平川の太い流れから、分流して蛇行しながら直線路の創成川に繋がっている様子が分かる図である。
 その鴨々川を跨ぐように楕円形に描かれているのは、中島遊園地(現 中島公園)にあった競馬場を表している。(古地図中央下部)

 創成川の直線路を遡ってきた川は、「南6条橋」を過ぎると、折れ曲がって住宅街の方へ折れ曲がった。

               
               ※ 「南6条橋」まで真っすぐに伸びてきた創成川は、写真右の南6条橋を過ぎると写真上のほうへ折れ曲がっていた。

 ⑩街区に合わせてできた河道 

               
               ※ いかにも人工川といった趣きの鴨々川は写真の上で直角に左に折れています。
 かつて豊平川から分流して自然に流れていた鴨々川だったが、街として整備するために川は街区に合わせて整備された。その結果、川は鉤十字のように直角に折れ曲がりながら流れるようになったようだ。そのように河道が変えられたのは大正14年頃といわれている。

 ⑪水路の形を残す千両小路 

               
               ※ 「千両小路」の入り口ですが、突き当りから左へ路が曲がっています。

               
               ※ 路を折れ曲がると、今も営業を続ける割烹「川喜」の立派゛な建物がありました。
 南7~8条の西3丁目付近にあるこの小さな小路は、札幌には珍しい“鉤の手”の形に折れ曲がっている。かつてはこの通りに沿って水路が流れていたそうだ。その界隈には水辺を借景として「千両」という割烹をはじめとしてたくさんの店が軒を並べていたそうだ。
 今回、私が訪れた時も由緒ありそうな割烹が営業していた。

 ⑫コイの越冬地 
 
               
 昭和55年頃から鴨々川に架かる「南8条橋」付近の流れの中に錦鯉が放流されるようになったようだ。平成18年に川底を一部掘り下げて「越冬池」を造成したことにより、毎冬に行っていたコイの引っ越しをしなくてもよくなったという。

 ⑬水天宮 

               

               
 私はこれまでこのお宮の存在を知らなかった。それもそのはず、中島公園と鴨々川を挟んで目立たないところに建っている小さな佇まいの神社である。
 この神社は、明治10年、渡道した旧久留米藩士によって、九州久留米水天宮本宮から分霊されたそうだ。1885(明治18)年鴨々川に祀られ、その後現在地に社殿が建立されたとある。
 この神社はその名の通り、「水」に関する神社で、水のパワースポットとして知られているそうだ。

 ⑭水天宮裏の道

               
               ※ 写真の中の車が左方向へ進もうとしているのがお分かりと思います。
 この道は札幌市内では珍しくゆるやかに湾曲した細い道である。昔の川の流れに沿って造られた道のようだ。そのことは明治時代の古地図にも描かれており、札幌の中心街へと通じていたそうだ。

 ⑮中島橋 

               

               
               ※ 「不老松」の横に立っていた副碑と石灯篭です。
 現在では鴨々川に架かる橋は多数あるが、明治時代(明治22年)の古地図を見ると、この中島橋が唯一の橋だったようだ。当時は中島遊園地への正面入り口だったという。
 木製の橋であるところに由緒ある橋の面影を残している。

 ⑯豊平館

                
 こちらは私が語るまでもない札幌の代表的歴史的建造物である。
 中島公園の一角に建つウルトラマリーンブルーが印象的な洋館である。開拓使の“洋造旅館”として1880(明治13)年に創成川沿いの大通西1丁目に建てられたが、1958(昭和33)年に現在地に移築されたそうだ。建物は国の重要文化財に指定されている。

 ⑰不老松 

                    

                    
 中島橋から鴨々川沿いに通っている道路を遡っていくと、一本の大きなクロマツが立っている。かつてこの辺りには料亭「鴨川」と池泉回遊式庭園があったそうだ。その庭園のシンボリックな松だったこともあり「不老松」と命名されたのではと推測される。

 ⑱鴨々川の吐口工 

               
       ※ 鴨々川の「吐口工」は創成川のものと違い水平に置かれていました。この季節は流量が少ないと見え「吐口工」から水は吐き出されていませんでした。
 不老松を過ぎると、鴨々川は中島公園内へと入っていく。そしてちょうど現在の札幌コンサートホール「キタラ」の近くのところに鴨々川の「吐口工」が見える。創成川に設けられていたものと同じ目的で、中島公園内を流れる鴨々川の流れを親水公園とするために流量の調節ができるようにした施設である。

 ⑲競馬場の仮橋跡 

               
 その「吐口工」の近くにある橋が「競馬場の仮橋跡」である。中島遊園地内に競馬場を造成するにあたって、鴨々川の流れの上にコースを造成しなくてはならなくなって、仮橋を造ったということだろう。その痕跡(例えば案内板など)が残っていないかと探したが、残念ながら発見することはできなかった。なお、現在の橋は「白鶴橋」と称され、1996(平成8)年に完成したものだという。

 ⑳ひっそりたたずむ祠

                
 中島公園を離れ、中島庭球場の横を通り、ベーカリーレストランとカフェの駐車場の奥に札幌軟石で造られた小さな祠がある。伏見稲荷の分祠だそうだ。
 この辺り一帯は豊平川の氾濫原を物語るように起伏に富んだ地形がみられる。

 ㉑鴨々川の分水施設

               
               ※ ちょっと見にくいですが、右側の柵のところから水が取り込まれるようです。 
 地下鉄「幌平橋」の近く、豊平川沿いに建つマンションを横目に200mほど進むとこの施設が目に入る。
 先の「吐口工」まで分水して導水管で導き、鴨々川の流量を調節する分水施設である。
 
 ㉒創成川樋門 

               
 分水施設のすぐ近く、豊平川の堤防に建つ樋門である。
 豊平川から取り込んだ水を創成川(鴨々川)へ流すための施設の一つであると説明されている。位置としては鴨々川の最上流部にあり、増水のときはゲートを閉めて水害を防ぐ役目をするという。

 以上、二日間にわたって創成川、鴨々川の歴史的な史跡と現代の施設が混合するルートをレポしてきたが、札幌市の中心部にこのような興味ある散歩道が存在することが嬉しい。
 今回私は創成川から鴨々川の上流部へと遡るコースを取ったが、反対に地下鉄「幌平橋」で降り立ち、川の流れに沿って創成川に下り地下鉄「大通駅」から帰路に就く、というコースもある。

 これまで11回にわたり「札幌歴史散歩」と題してレポしてきたが、その目的は第一義的には私自身が楽しむことであった。しかし、もう一つの目的は「もし、高齢者を案内するとした場合、はたして体力的に無理はないだろうか?」という観点からの下見的要素もあった。そうした意味では収穫の多い「札幌歴史散歩」だった。
 札幌もとうとう雪が降り、冬の季節が到来した。「札幌歴史散歩」は一時お休みし、季節が良くなった再開したいなぁ、と思っている。

 
※ 昨日の投稿は何らかの原因でうまく投稿できなかったようです。本日再投稿しましたので、興味ある方は開いていただけたらと思います。
コメント (2)

札幌歴史散歩 11 中央区・創成川・鴨々川地区(1)

2017-11-20 20:46:35 | 札幌ぶらり散歩 & Other
  今回のコースはこれまでの史跡巡りとは趣を異にし、歴史的な史跡と現代の施設とが混合するコースだった。短い(約3km)コースだったが見どころ沢山のコースだったので、今回は創成川部分をレポすることにした。

                

 このコースは札幌市下水道河川局が発行する「創成川・鴨々川 川めぐりマップ」を片手に持っての歴史散歩だった。
 このコースの中で現代的な施設とは、創成川、鴨々川それぞれに設けられていた「分水施設」「吐口工」の存在だった。この施設はそれぞれの川を流れる水の量を調節する施設である。「分水施設」は川を流れる水の量を適量に抑えるために、一部の水を導水管で地下を通し、「吐口工」で再び川に合流させる施設である。
 札幌市によるとこの施設は平成23年に竣工されたそうだ。

 コースは、創成川に架かる北二条橋の近くにあった「吐口工」から創成川、それに続く鴨々川を上流に遡るものだった。
 
 ①創成川の吐口工

                
                ※ 創成川の向かって左側の壁から水が噴き出しているのが認められます。これが「吐口工」です。

                
                ※ 「吐口工」を正面から見たところです。かなりの水量が創成川に合流しています。
 この吐口工は整備された創成川公園の北端のところにあった。創成川を覗いてみると、コンクリートで岸辺が固められた脇から水が勢いよく流れ込んでいた。

 ②開拓使工業局跡

                
 マップによると、この「開拓使工業局跡」は現在の中央バスターミナルのところにあたるようだ。何かその痕跡を残す表示などがないかと探したのだが見つからなかった。あるいは見当違いのところを探していたのかもしれない。
 なお、当時の工業局庁舎は「北海道開拓の村」に保存されているそうだ。

 ③創成橋 

               

               
 創成川に架けられた「創成橋」は、札幌都心部を区画した際に東西南北の基点となった橋である。明治23年に建設されたが石造りで下部の構造がアーチ橋となっているところから日本橋(東京都)にちなんで「札幌の日本橋」と呼ばれることがあるという。(初耳!)
 橋は平成22年に復元改修されている。「創成橋」と命名したのは第2代の岩村判官だそうである。
 また、両側の欄干には「擬宝珠」が取り付けられているのも特徴の一つである。
 
 ④「大友亀太郎」像

                
 「創成橋」の袂に望遠鏡を手にした「大友亀太郎」像が建っている。
 この像はもともと昭和61年に彫刻家・松田与一の手によって制作され、創成川のほとりに建てられていたが、創成川公園の完成に伴って平成23年にこの地に移設されたという。
 大友の業績については、いろいろにところで語られているので、ここでは割愛させていただく。

 ⑤北海道里程元標 

                    
 「北海道里程元標」は、明治6年に北海道の起点であることを示すために、創成橋の東袂に置かれたそうだ。当時の標柱は、トドマツ製で一尺角(約30cm)で、高さ一丈二尺(約363cm)あり、当時は遠方からもその存在が確認できたという。
 現在の標柱は、平成23年に当時の標柱(石柱)を復元して再建された。
 なお、標柱の東面には対雁と島松、西面には篠路と銭函までの距離がそれぞれ表示されている。
 
 ⑥「札幌建設の地」碑

                     
 この碑も「創成橋」の近くに設置されている。
 歴史的な碑というには近代的なデザインで、広井大地を表す球体の上に東西南北の方角を指し示す方形が載り、その上には将来を表現したオブジェが置かれた碑になっている。
 この碑ももともとは昭和42年に設置されたそうだが、創成川公園の完成に伴って現在に移設されたそうだ。

 ⑦開拓使本陣跡(クラーク博士居宅跡) 

               

               
 南2条東1丁目(創成川沿い)には現在ビルなどが立ち並んでいるが、ここが開拓使本陣跡(クラーク博士居宅跡)ということだ。跡地のところには小さな案内板が設置されていた。
 開拓使本陣は宿舎の役目を持ち明治5年に竣工し、建築面積800㎡の木造平屋で当時としては最大の建物だったという。
 そして、この本陣がクラーク博士の居宅であったそうだ。

 ⑧二条市場 

               
 私が参考にした「川めぐりマップ」には「二条市場」について次のように書かれている。「かつて創成川は舟運と物流の拠点でした。二条市場は明治後期につくられた「二条魚町」に由来し、漁師たちが始めた小規模な鮮魚店から市民の台所へと発展しました」と記されている。

 ⑨創成川の分水施設 

               
               <fon size="1">※ 左側の格子状の柵から一部の水が導水管に取り込まれるようです。            
 創成川を流れる水の量を調節する施設だが、ここの取り入れた水の一部は導水管に導かれて地下を通り、①の「吐口工」で再び創成川に合流させる施設である。
 創成川公園が創成川の水際まで降りていける仕組みの親水公園としての性格ももっているため、増水による事故などを抑止するために設けられたものと考えられる。
 このような施設が、創成川の上流にあたる鴨々川にも一ヵ所設けられている。

 以上が創成川部分である。川はここから折れ曲がり市街地の方へと遡っていき鴨々川と名称が変わる。その部分については後日(2)としてレポすることにする。
         
 

 
 
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札幌歴史散歩 10 中央区・北海道神宮(2)

2017-11-16 22:10:54 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 北海道神宮の(1)では献木と寄金とか、献納に関する碑が多いと記したが、本殿から離れる第三鳥居の近くでは少し様相を異にする石碑も目立ってきた。このあたりはやはり神宮側の配慮があるのだろうか?私が目にした残り11の石碑類を紹介することにする。 
 
               
               ※ 表参道の第二鳥居からは離れたところに立つ「円山公園口鳥居」です。
  
 もう少し「札幌歴史散歩」が続く。石碑の多かった北海道神宮の第2弾である。この日(11月31日)は火曜日で平日だったが、神宮はけっこうな人出があった。境内には出店も出ていたが、どうやら七五三のお祝いに訪れる人が多かったようだ。
 
 ①樺太開拓記念碑 
 
                     
 この碑をみつけるのに多少苦労したが、円山公園口鳥居をくぐると左手に進む道を辿ると高さ4メートルの大きな白御影石製の石碑が目に付く。これが「樺太開拓記念碑」である。
 ポーツマス条約によって日本に編入された樺太島の北緯50度以南の地域が日本領となり、多くの開拓移民が樺太にわたり開拓に励んだ。碑の背面には、樺太の開拓の歴史が綴られ多くの先人の偉業を称え、犠牲者の慰霊の碑として引揚者40万人の赤誠を結集して建立したと刻まれている。(赤誠=少しもうそや偽りのない心)

 ②札幌興風会歌碑

                
 「樺太開拓記念碑」の向かい側に位置するのがこの「札幌興風会歌碑」である。
 興風会は、北海道にさまざまある短歌の結社の中でも北海道神宮にとても縁の深い結社だそうだ。
 明治40年4月に発会し、以降一度もかけることなく短歌会を催し、歌集を発行してきたそうだが、平成2年5月に歌集が通巻1,000号になったのを記念して碑を建立したということだ。

 ③宮崎芳男歌碑 

               
 この碑は、やはり「札幌興風会歌碑」の近くに建てられていて、「われの住む 北乃(の) 一生は さだめならむ 空も神苑も みな 蒼無限 芳男」と刻まれている。
 宮崎芳男は、明治34年栗沢町に生まれ、大正9年に訓子府町小学校の教員となってから教員の道を歩み、昭和37年に札幌琴似高校の校長を務めて勇退したという。その傍ら短歌を詠み、昭和5年ら「新墾」に入社して多くの歌集を編んだという。

 ④長谷部虎杖子句碑

                     
 この碑も、「札幌興風会歌碑」や「宮崎芳男歌碑」の近くに建っている。
 長谷部虎杖子(本名 本名英二郎)は明治20年宮城県に生まれ、両親とともに来道し、帝国製麻本別工場長を退職後、札幌神社の神職となり札幌神社頓宮社掌を務めた。その傍ら作句活動に励み、昭和39年には北海道文化奨励賞を受賞している。
 碑には「今日のいのち 神の謝しつつ 東風にあり」と刻まれている。
 建立は昭和43年6月、北海道開道100年を記念して建てられたそうだ。

 ⑤中山周三歌碑 

               
 この歌碑も上記の歌碑群の同じところに建っている。
 中山周三は大正15年札幌に生まれた。国学院大学高等師範部を卒業後、道内高校、藤女子大などで教鞭をとる傍ら、歌誌「原始林」の創刊に参加以来、同誌の編集発行人を長らくと務め、昭和29年には北海道歌人会設立発起人にもなるなど、北海道の歌人の重鎮として活躍した業績を称え、平成11年9月に歌碑が建てられたという。
 歌碑には「木のもとに来て拾へるにひるのまの ほとぼり持てり沙羅のしろはな 周三」と刻まれている。
 
 ⑥白野夏雲顕彰碑

                
 この碑も同じように歌碑がたくさん建っている一角にあった。
 白野夏雲とは、第6代の札幌神社の宮司だそうだ。白野は札幌神社を官幣中社・大社に昇格させるために大きな功績があり、その功績を称えて明治43年に建立されたという。

 ⑦献植、創立二十周年(札専) 

               
 この碑も歌碑がたくさん建つ中の一つとして建っていた。
 由来等について調べたが、どうしても分からなかった。ただ、碑名からも札幌専門店会が創立20周年を迎えたことを記念して、境内に植樹をしたことを記念して碑を建てたと思われる。
 
 ⑧大典記念梅林碑(大正天皇)

                
 この碑は、歌碑群のところからは離れ、梅林が多く植えられている一角に建てられていた。
 ウェブ上を調べてみると、北海道庁の拓殖課技術員の研修を目的とした「甲寅會」が、大正天皇の即位を記念して、梅林植樹したのを記念した碑だとのことである。
 碑は上部に「大典記念」と刻まれ、その下に「梅林碑」と刻まれている。建立は大正5年5月ということである。

 ⑨吟魂碑 

               
 その「大典記念梅林碑」の近くに、この「吟魂碑」は大小色とりどりの自然石でできた台座の上に碑が置かれていて「吟魂碑」と大きく描かれている。
 碑は、昭和45年9月、日本詩吟学院岳風会北海道本部が創立30年を記念して建てられたようである。

 ⑩門人桜植樹記念碑

                
 この碑も梅林内に建てられていた。自然石でできた碑の碑面中央には「門人桜植樹記念」と刻まれている。碑は「北海道正調追分節隆城門人会」が師匠の須藤隆城の還暦を祝って建立されたそうだ。
 建立年は調べたが残念ながら分からなかった。

 ⑪開拓三神鎮座百年記念「明治の森」 

               
 この碑を見つけるのに多少苦労をした。というのも、「明治の森」と称するだけあって、木々が繁る林のやや奥に建っていたからだ。
 碑には「献木 明治の森」と刻まれている。
 碑は、島義勇が三神(「大国魂神」、「大那牟遅神」、「少彦名神」)を背負い札幌入りし、札幌神社に三神を鎮座してから100年を記念して建てられたそうだ。
 碑を建立しのは、札幌市老人クラブ連合会が昭和46年5月4日に建てられたと記されている。

 以上、今回は11の碑を紹介したが、その中で目立ったのが句碑も含めて歌碑の類の多さである。歌碑は市内各地にもさまざまなところに建っている。そうした歌碑と、神宮内に建てられる歌碑には何か違いがあるのだろうか?

 北海道神宮内に建てられている碑を(1)、(2)を通じて21の碑を私は自身の目で確認することができたが、先述したように北海道神宮境内には31基の石碑があるとも伝えられている。今期は冬が近づいていることもあり、これ以上の探索は無理だが、来シーズンにも機会があったら残りの石碑を探してみたい。 
                                            (2017/10/31)
 
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