笑いを交えて楽しく、そして真摯にアップダウンの二人は ‟原爆” を語った。 悲惨な原爆被害を題材とする漫才はとても難しいと思われるのだが、二人は臆せず果敢に挑まれたことに心から敬意を表し、彼らのますますの活躍を祈らずにはいられなかった…。

昨日午後、北広島市芸術文化ホールにおいて北広島市の「平和の灯を守る市民の会」の主催で「平和の灯記念事業」が開催され、参加してきました。
記念事業は、◇第1部 短編アニメ映画「ふたつの胡桃」の上映、◇第2部 アップダウン原爆体験伝承漫才「希望の鐘」 の構成でした。
さらにホール前のホワイエでは◇広島市立基町高校生徒制作の「原爆の絵」の展示、◇VRゴーグル「原爆被害等疑似体験」、◇広島市へ贈る折り鶴制作、が同時開催されていました。

※ 広島市の高校生が描いた「原爆の絵」が約10点ほど展示されていました。
短編映画は、東京大空襲を題材に取ったアニメでしたが、空襲当時と現代が交錯するという、いかにもアニメ的な内容でしたが、そこに戦争の残酷さ、惨さを映し出した映画でした。
題名の「ふたつの胡桃」は、過去と現代の主人公が交錯する際の重要なアイテムとして扱われました。
そして第2部のアップダウンの漫才です。アップダウンの二人は札幌出身の漫才コンビとして知られる阿部浩貴さん(ツッコミ)と竹森巧さん(ボケ)の二人組で、コンビを結成以来、30年になろうとするベテランの域に達する漫才コンビです。
私がこのイベントに参加を決めたのは、2年前の8月に札幌市で開催された「平和のつどい」にアップダウンの二人が特攻隊をテーマとした音楽劇「桜の下で君と」という二人芝居を観劇して、彼らの真摯な演技と取り組みに感動した体験があったからでした。
二人のステージはまず、主題とは直接関係ない話題で笑いを取ろうと、あれこれ話を振るのですが、客席の大部分は私と同年代の高齢者が多くなかなかノッテくれません。ダウンタウンの二人にとってはかなりやりづらいステージだったかもしれません。
それでも彼らはプロです。それを気に留める風もなく、活舌の良いおしゃべりを続けて私たちを和ませてくれました。
短編映画は、東京大空襲を題材に取ったアニメでしたが、空襲当時と現代が交錯するという、いかにもアニメ的な内容でしたが、そこに戦争の残酷さ、惨さを映し出した映画でした。
題名の「ふたつの胡桃」は、過去と現代の主人公が交錯する際の重要なアイテムとして扱われました。
そして第2部のアップダウンの漫才です。アップダウンの二人は札幌出身の漫才コンビとして知られる阿部浩貴さん(ツッコミ)と竹森巧さん(ボケ)の二人組で、コンビを結成以来、30年になろうとするベテランの域に達する漫才コンビです。
私がこのイベントに参加を決めたのは、2年前の8月に札幌市で開催された「平和のつどい」にアップダウンの二人が特攻隊をテーマとした音楽劇「桜の下で君と」という二人芝居を観劇して、彼らの真摯な演技と取り組みに感動した体験があったからでした。
二人のステージはまず、主題とは直接関係ない話題で笑いを取ろうと、あれこれ話を振るのですが、客席の大部分は私と同年代の高齢者が多くなかなかノッテくれません。ダウンタウンの二人にとってはかなりやりづらいステージだったかもしれません。
それでも彼らはプロです。それを気に留める風もなく、活舌の良いおしゃべりを続けて私たちを和ませてくれました。
そして本題です。
演題の「希望の鐘」とは、長崎医大教授で放射線医療を専門とする永井隆博士という方がおりました。博士は専門の研究を進める中で白血病に侵されながら仕事に邁進していました。
そうした中、昭和20年8月9日、長崎に原爆が投下された際に被爆し重傷を負いました。それでも博士は自分の身を省みずに原爆被災者支援のために奔走するのです。
その支援活動の最中に、原爆で吹き飛ばされてしまった浦上天主堂にあった二つの鐘のうちの一つが無傷で地中から発見されたのです。それを見た永井博士は「一年後にこの鐘を鳴らそう!」と周りを勇気づけたというのです。約束どおり一年後に、約束の鐘は長崎の街中に響き渡ったということです。
藤山一郎さんが歌い日本中に広まった歌謡曲「長崎の鐘」は、永井博士の思いを汲み取った詩人サトー・イチローさんが作詞された歌なのです。
このお話を取材するため、アップダウンに二人は二度も長崎を訪れ取材を重ね、その上で原爆体験伝承漫才「希望の鐘」を完成させたということです。
このエピソードを漫才として披露するアップダウンに二人は、笑いなどは忘れたかのように真摯に原爆の悲惨さを伝えようとしゃべり続けました。
そして彼らは聴衆に訴えます。「私たちは今回知り得たことをこうした形(漫才)でお伝えした。私たちの話(漫才)を聴いた人は、また誰かにどのような形でもかまわないので伝えてほしい。そうして原爆の悲惨さを伝え続けていくことが大切ではないだろうか」と…。
彼らの思いを受け止めたいと思いました。
このお話を取材するため、アップダウンに二人は二度も長崎を訪れ取材を重ね、その上で原爆体験伝承漫才「希望の鐘」を完成させたということです。
このエピソードを漫才として披露するアップダウンに二人は、笑いなどは忘れたかのように真摯に原爆の悲惨さを伝えようとしゃべり続けました。
そして彼らは聴衆に訴えます。「私たちは今回知り得たことをこうした形(漫才)でお伝えした。私たちの話(漫才)を聴いた人は、また誰かにどのような形でもかまわないので伝えてほしい。そうして原爆の悲惨さを伝え続けていくことが大切ではないだろうか」と…。
彼らの思いを受け止めたいと思いました。

※ 漫才を演ずるアップダウンです。(右が阿部浩貴さん、左が竹森巧さんです)
記念事業では、上述したようにその他の取組みもホワイエで展開されていました。
その中でも、VRゴーグル「原爆被害等疑似体験」は、私も体験させてもらいましたが、とても興味深いものでした。
広島原爆が投下された直後の悲惨な様子が映し出され、そこから起ちあがって現在の広島市になるまでの変遷を約5分間程度にまとめた映像でしたが、改めて原爆被害の悲惨さを実感させられました。

※ VRゴーグルを体験している市民の方です。
また、公演を終えて帰る際に、折り鶴を折ってみることにしました。折り鶴を折るなんて、何十年ぶりでしょうか?それでも私の指は記憶していました。
一心におり続けたところ、傍にいた担当のご婦人が「あらっ!お上手ですね」と言って「広島市に送らせてもらいます」と言ってくれたことが、年甲斐もなく嬉しかったですね。
また、公演を終えて帰る際に、折り鶴を折ってみることにしました。折り鶴を折るなんて、何十年ぶりでしょうか?それでも私の指は記憶していました。
一心におり続けたところ、傍にいた担当のご婦人が「あらっ!お上手ですね」と言って「広島市に送らせてもらいます」と言ってくれたことが、年甲斐もなく嬉しかったですね。

※ 私が折った折り鶴です。
こうした多くの体験をさせていただき、遠く北広島市まで遠征して「良かったなぁ…」と思いながら帰りの電車に乗った私でした…。
こうした多くの体験をさせていただき、遠く北広島市まで遠征して「良かったなぁ…」と思いながら帰りの電車に乗った私でした…。