田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も12年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

快適なローソンスカイシート そして日ハムのサヨナラ勝ち!

2016-07-31 21:32:04 | スポーツ & スポーツ観戦
 札幌ドームを見下ろす位置から野球観戦を楽しんだ! 選手の表情、ボールの行方は見づらいものの、快適なシートに座り、空から見下ろすような野球観戦はこれまでとは趣きの違った楽しさを実感した。その上、痺れるような試合展開の中、日ハムのサヨナラ勝ちという願ってもない展開の中で溜飲を下げた私たちだった。 

          
          ※ 勢いのあるボールで5回1/3 2失点と好投した高梨投手の力強いフォームです。

 昔職場を共にした5人が年に一度集まる会がすでに18年間も続いている。毎回近況を報告しあうとともに、毎回何かのイベントに参加することを旨としている。
 今年は日本ハムファイターズ戦を観戦することにしていた。

          
          ※ 私たちの席から、3塁側内野席のファンが風船飛ばしをした瞬間です。

 当初は、昨年別のグループと体験した「セブンイレブンくつろ升席」で観戦を、と考えていたのだがチケット販売開始日の午後には完売となってしまい、入手に失敗してしまった。そして次善の策として選んだのが「ローソンスカイシート6人席」だった。
 その観戦日が昨日7月30日(土)の対ソフトバンク戦だったのだ。

          
          ※ この日は不発だったが一番DHの大谷選手の迫力ある打撃フォームです。

 「ローソンスカイシート6人席」はエレベーターで3Fまで上がる。すると、レフト内野席と外野席の上に特別席のようにシートが設けられていた。そのエリアはローソンチケットを持った人しか立ち入れないエリアだった。
 6人席は、前列に2人の椅子、後列に4人用のソファの席が設えられていて、前列と後列の間にテーブルが設置されていた。席は一般席のような固いプラスチック席ではなく、柔らかな座りやすい椅子であり、ソファだった。

          
          ※ これが着席前の「ローソンスカイシート(6人席)」です。
           (白いダストボックスの中には観戦用の双眼鏡が備えられていました)

          
 席はその名のとおり、まるで上空から野球観戦をするような札幌ドームの最上階から見下ろすような位置だった。私たちは食料をどっさりと買い込み、ビールを介しながら野球を楽しみ、会話を楽しんだ。

          
          ※ テーブルに食料とビールを置いて歓談する友人たちです。

 試合のほうは、投げては新鋭高梨投手が2点に抑え、その後のリリーフ陣もよく耐える中、打ってはこの日の一番大谷選手から快音は聞かれなかったものの、主力への階段を上りつつある岡選手の同点タイムリーで追いつき、最終9回には満塁から代打の切り札矢野選手が痛~いデッドボールでサヨナラ勝ち、という日ハムファンにとってはたまらない試合展開で勝利した!

          
          ※ 日ハムラッキーセブンの攻撃前にフラッグとともにグランドを疾走するBBです。

 この「ローソンスカイシート」と同じフロアには、試合開始前、5回終了時のグランド整備時のインターバル、そして試合終了後にドーム内を浮遊する「飛行船」の発着所が設けられていた。好奇心の塊の私はその発着の様子をしっかりと目撃した。

          
          ※ 飛行船の発着所と飛行船を無線操縦するスタッフの人たちです。

 あまりにも高く、遠い位置にある「ローソンスカイシート」。選手の表情、ボールの行方が見づらい「ローソンスカイシート」。しかし、そうしたハンディもなんのその、高い位置から球場を俯瞰し、試合を見下ろすように見ることができる「ローソンスカイシート」は快適で、楽しい席だった。一緒に観戦した友人たちもとても満足してくれたようだった。
 家族や、グループで観戦するにはお勧めの席である。

          
          ※ 痛~いデッドボールで勝利打点を挙げ、ヒーローインタビューに答える矢野選手です。
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アイヌ民族の歴史を学ぶ

2016-07-30 11:07:13 | 講演・講義・フォーラム等
 和人の蝦夷地への進出によって、蝦夷地の先住民族であったアイヌ民族は和人と同化される運命を辿ったことは、これまでも断片的に学んできたが、今回改めてアイヌ研究の第一人者からその全貌について話を聞くことができた。 

 かでる講座の7月講座は、7月26日(火)午後、札幌大学々長の桑原真人氏が「北海道の開拓とアイヌ民族」と題してお話され、受講した。

                

 今回の桑原学長の講義は、アイヌ民族について、その誕生から現在に至るまでを2時間で概観するものだった。
 私の中で一つの疑問として残っていたことは、はたしてアイヌ民族が誕生したのは何時のことだったのか、ということだった。その点について、桑原氏は北海道には縄文文化の遺跡等は残っているものの、それがアイヌの起源と特定することはできないというのが研究者間の統一見解だと話された。
 はっきりとアイヌ文化として歴史上に登場するのは、13~14世紀頃の擦文文化を基盤としてオホーツク文化と融合するあたりからアイヌ民族社会が成立したと云われているそうだ。

 和人とアイヌの接触が始まったのは、14~16世紀の鎌倉・室町時代に和人が蝦夷島に移住し、蠣崎氏が松前に拠点を築いたころからのようである。
 アイヌと和人が衝突した最初の事件は「コシャマインの戦い」(1457年)である。この戦いを蠣崎氏が平定したことにより、和人の優位な立場が確立したようだ。
 やがて蠣崎氏は中央政権(豊臣氏、徳川氏)から公認される立場となり、松前氏を名乗るようになる。そしてアイヌから搾取する構造が出来上がった。
 松前氏によるアイヌ民族の分断・支配、あるいは搾取の構造に対して、アイヌの首長シャクシャインをリーダーとしてアイヌ民族が松前氏に反旗を翻したのが「シャクシャインの戦い」(1669年)であり、「クナシリ・メシナの戦い」 (1789年)である。
 桑原氏は、もしアイヌ民族が国家を形成するとしたら、「シャクシャインの戦い」に勝利した場合にその可能性があったとした。しかし、例え国家として誕生したとしても長くは続かなかっただろう、と語った。
 二つの戦いは激しい戦いではあったが、政権の後押しを受けた松前氏が平定することとなり、アイヌは急速に力を失っていくこととなった。

          

 明治に入り、政府は本格的に蝦夷地(北海道)の開拓に着手した。時の開拓使はアイヌに対して同化政策を実施し始める。それは有無を言わせぬほど厳しいものだったようだ。アイヌは住む土地を追われ、アイヌ文化は否定されるなど、今から見るとずいぶん乱暴なものだった。それはアイヌ民族のことを「旧土人」と称したところに端的に現れているような気がする。

 明治32年には「北海道旧土人保護法」なるものが制定されたが、保護の名のもとに財産を没収したり、同化政策を推進したりするためのものだったそうだ。具体的には
 1.アイヌの土地の没収
 2.収入源である漁業・狩猟の禁止
 3.アイヌ固有の習慣風習の禁止
 4.日本語使用の義務
 5.日本風氏名への改名による戸籍への編入
という酷いものだった。

            

 この法律が平成9年に「アイヌ文化振興法」が成立するまで法律として残っていたということは、信じ難いほどである。(そのことを知らなかった自分も恥ずかしい)

 世界は今、先住民族の文化を尊重し、それを手厚く保護する方向に向かっている。私が訪れた経験のあるニュージーランドではマオリ族の言語のTVチャンネルが放送されていた。聞くところによると、オーストラリアなどは数十の言語のTV放送をしているとも聞いた。
 すでに絶滅に瀕しているアイヌ語のTV放送が日本(北海道)で放送される日など来るのだろうか?


※ 今日は一年に一度、昔職場を共にした5人の元同僚と再会し、旧交を温め、未来を語り合う日である。他の4人からおおいに刺激を受けてきたい。そのため早目の投稿となった。

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バーンスタイン・レガシー・コンサート

2016-07-29 17:01:16 | ステージ & エンターテイメント
 PMFアカデミー生で編成するPMFオーケストラを若さに溢れる演奏と受け止めるのか、まだ発展途上の未熟な音と受け取るのか、微妙ではあるのだが、ひと時彼らの演奏を楽しんだ。 

              

 PMF(Pacific Music Festival)の創始者であるレナード・バーンスタインを偲んで、彼の遺産を引き継いでいこうというバーンスタイン・レガシー・コンサートが27日(水)夜、キタラで開催され、若きPMFオーケストラの響きに耳を傾けた。

 7月から8月にかけて、札幌市内外では各種のPMFコンサートが開催されているが、その詳細について門外漢である私には分からない。それは、PMFの指導陣の演奏会だったり、PMFアカデミー生のコンサートだったりしているようだ。
 私が気にしているのはPMFオーケストラである。PMFの開会の数日前に顔が揃い、16日(土)のオープニングコンサートなどは僅かな時間の音合わせだけで演奏したのではないだろうか?それでもオーディションを通ったアカデミー生の一人ひとりの確かな技量が破綻の無い演奏を可能にしたのだと思う。

 そして会期中に一流の指導陣から指導を受けることによって、彼らは一段と技量をアップさせてそれぞれのホームグラウンドに帰っていくということなのだろう。
 そういう意味では、27日のレガシー・コンサートもまた、指導を受けながらの途上で行ったコンサートなのだろうと推測できる。

                

 この日PMFオーケストラが演奏したのは、アカデミー出身者のダニエル・マツカワさんの指揮によって次の7曲+1曲が演奏された。
 ◇ブラームス/大学祝典序曲 作品80
 ◇バーバー/悪口学校 作品50
 ◇コープランド/エル・サロン・メヒコ
 ◇ビゼー/カルメン 第1組曲
    ~ 休   憩 ~
 ◇バーンスタイン/「ウエストサイド・ストーリー」序曲
 ◇バーンスタイン/オーケストラのためのディヴェルティメント
 ◇バーンスタイン/「オン・ザ・タウン」から3つのダンス・エピソード
 (アンコール)◇バーンスタイン/「キャンディード」序曲

 彼らはダニエル・マツカワ氏の指揮のもと、十分に素晴らしい演奏を聴かせてくれた。 
 ただ、私も最近はクラシックを聴く機会が増えて、多少は贅沢になってきたところがあるようだ。クラシックというと、私の中では札響である。(札響以外のプロのオーケストラの演奏を残念ながら聴いたことがないのだが…)したがって、どうしてもクラシック(それもオーケストラ)の場合、札響と比べて聴いていること多い。今回もそうであった。

 プロである札響の演奏と、これからプロを目指そうとしているアカデミー生の演奏を比べること自体が失礼な話なのだが、やはり札響と比べると若干なのであるが、まだ洗練されていない部分が見え隠れするように私には感じられた。
 特に管楽器にその違いを私は感じ取ったのだが…。また、は弦の響きにおいても札響の演奏に一日の長を感じたのだが…。

 しかし、短期間のうちに多くの曲をオーケストラの一員として演奏するアカデミー生の技量の素晴らしさを感じさせられたコンサートでもあった。
 今回の演奏曲目はダニエル・マツカワさんの選曲ということだ。前半の曲もバーンスタインが生前様々な形で関わりのあった曲だということだ。
 後半はもちろんバーンスタインの作曲によるものだが、演奏を聴いてアンコールの「キャンディ序曲」以外の曲は、バーンスタインらしい挑戦的な曲で、旧来のクラシックとは一線を画するような曲調であったのが印象的だった。ダニエル氏も言っていたが、バーンスタインの曲は、演奏するアカデミー生にとっても挑戦的な曲であり、演奏の幅を広げる意味合いが大きいということだった。

 アカデミー生たちが、爽やかな札幌でひと夏を過ごし、技量を一段とアップし、札幌に良い思い出を残し、それぞれのホームグラウンドに帰ってほしいと願いたい。

          

 それにしても、この日の私の後ろの席に座ったヤンキー?いやヤンキーは蔑称だということだから、米国風の若者と言い直そう。彼にはマイッタ。
 アカデミー生が登場するや否や、大声で嬌声を発するのである。私の直ぐ後ろの席だからたまらない。まるで耳をつんざくほどだ。
 それが一曲終わるごとに発するのである。時には「ブラボー」の声も交えて…。
 これがアメリカ流(アメリカ人と確認したわけではないが、アメリカ風のとても大柄な
若者だった)だと言わんばかりに…。
 でもなあ、あの広いキタラの中でそんな嬌声を発していたのは彼だけだったんだよな~。
 郷に入っては郷に従えとも言うんだけれどもねぇ~。
 いや~、ファンキーなヤンキーに参りましたわ。
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ゴミのリサイクル問題を考える

2016-07-28 16:36:12 | 大学公開講座
 講師は強調した。ゴミのリサイクルについて否定はしないが、現在各自治体が取り組んでいるリサイクルにはあまりにも問題が多い、と指摘する。あらためてゴミのリサイクル問題について考える機会を得た。 

 北大全学企画講座「『国のかたち』を案ずる時代の知恵」シリーズの最終講座(第8回)は、7月25日(月)夜に開講された。
 最終回は「よいリサイクルかどうかの見分け方」と題して、工学研究院の松藤敏彦教授が担当する講座だった。

               

 松藤教授の講義の概要は次のようだったと私は理解した。
 ゴミの廃棄物の処理方法は1997年頃までは、可燃ゴミ、不燃ゴミ、粗大ゴミ、資源ゴミに分別され、それぞれ焼却、埋立、資源化に分けられたが、その後は持続可能に社会へ向けた総合的な取り組みへと変わってきている。それは、温暖化防止を目的とした「低炭素化社会」の実現、資源循環をねらった「循環型社会」の実現、廃棄物を可能な限り再利用する「自然共生社会」の実現などによって、持続可能な社会を目指すとした。

 そうした持続可能な社会の実現の要はゴミのリサイクルである。
 そのリサイクルにあたっては、次の3点が克服されなければならないという。その3点とは、(1)回収したものがきちんと使われなければエネルギー節約にならない【物質収支】、(2)質の高い用途(生産エネルギーが必要なもの)に使われなければならない【利用の質】、(3)リサイクルプロセスがエネルギー多消費であってはならない【エネルギー収支】
ということだ。

 ところがリサイクルを推奨する立場の自治体の取り組みには首を傾げざるを得ないような事例が数多いと松藤教授は指摘する。
 例えば、札幌市では電動生ごみ処理機の購入助成をしていて?年間で5,000世帯に助成するため1億円の予算を計上したという。このことで札幌市の生ごみが減る割合はわずか0.2%だそうだ。目的と効果の不一致は一目瞭然だと松藤教授は指摘する。
 さらに札幌市が進めているゴミ減量のための新たな取り組みについても厳しく指摘する。
新たな取り組みである「標語・キャラクター」の制定を、松藤教授はイメージのみの効果の見込めない施策であるという。
 札幌市ばかりではないが、自治体の施策には目的と効果が明確でない、ただのアリバイづくりのような施策が多すぎると批判する。

 持続可能な社会を実現するため、ゴミのリサイクルは欠かせない要件であるが、ゴミの処理計画を立てる上で次の点を明確にした上で取り組むべきだと最後に指摘した。その要件とは…、
(1)何が目的化(ゴミの減量か?それとも啓蒙か?)
(2)何を、どれだけ、どうするか(対象物、量、方法)
(3)その方法は可能か?(どれだけの効果があるのか?つまり、目的が達成できるか?)
そして検証することを忘れてはならないとした。
 検証の上、改善・見直し、規模拡大などの検討が必要であり、場合によっては見送り、中止もあり得ることとした。

 私たち一般市民は市役所からのお知らせや告知に盲従してしまうようなことが多々あったように思われる。ここでも、市民は一主体者となって市が取り組むことに関心を持たねばならないということなのだろう。

                   

 この回で全8回にわたった北大全学企画公開講座「『国のかたち』を案ずる時代の知恵」シリーズは終了した。私は第7回講座を除き、他7回は受講することができた。
 受講する私の理解力にも問題はあろうが、テーマに沿っていて聴き応えのあった講座は、第1回の「自然災害は予測できるか」、第4回の「戦後民主主義の思想と冷戦終焉後の変容」、第5回の「IT・ロボット技術が支える新しい農業の姿」、第6回の「海洋生物資源を理解して上手につきあう」などが記憶に残った講座だった。
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渋いなぁ…、辻村達生 フォークライブ

2016-07-27 16:32:56 | ステージ & エンターテイメント
 辻村達生…、当年とって66歳である。プロフィールを見ると、あの伝説の(?)ライブハウス「パフ」の歌い手兼スタッフだったという。すると私は若い時の彼に出合っているはずだ!しかし、容貌が変わった(失礼!)彼を思い出せなかった。でも唄の方は渋く聴き応えがあった。 

 かでる2・7では一階の展示ホールで定期的にコンサートを開催している。そのコンサートの一環として昨日(7月26日)、フォークシンガーの辻村達生のミニライブが行われ聴くことができた。

          
          ※ 辻村達生登場前のステージです。

 渡されたプログラムの中に辻村氏のプロフィールが載っていた。それによると辻村氏は音楽店「パフ」の歌い手兼スタッフとして在職していたという。さらに、旭川市に音楽店「BOOFOOWOO」を設立し、そこでも歌い手の一人としてステージに立っている。
 私は在職時代はずっと地方勤務だったが、出札の度に「パフ」に立ち寄ることが楽しみだった。そして旭川市にあった「BOOFOOWOO」にもスタッフの紹介で訪れたことがあった。

          
          ※ 若いときの面影はどこにもうかがえない辻村達生オンステージです。

 意外な繋がりに期待しながらライブのスタートを待った。
 現れた辻村氏は見事な禿頭の上、小太りのおじさんだった。若い頃の面影は消え失せていたからだろうか、私には辻村氏を思い出すことはできなかった。
 しかし、辻村氏の唄声には人生を積み重ねた深みを感じさせてくれた。
 わずか5曲だけ歌うというミニライブだったが、辻村氏の渋い魅力がたっぷり詰まった素晴らしいライブだった。

               
               ※ 辻村達生氏のHPから拝借したポートレートです。

 1)おじいさんの古時計
 2)傘がない
 3)吾亦紅
 4)親父(オリジナル)
 5)生きてりゃいいさ

 「吾亦紅」は彼の唄声に嵌った渋さが出た良い曲だった。さらにオリジナルの「親父」もじっくりと聴かせてくれる名曲だった。
 そして私の目を釘付けにさせたのが、伴奏を務めた深川忠義さんのギターテクニックだ。辻村氏の唄声とほどよくマッチして効果を高めていた。

          
          ※ ステージ左側がギター伴奏の深川忠義さんです。

 わずか30分間のミニライブだったが、私にとって満ち足りた30分間だった。
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科学技術の発展を政治はどう制御すべきか?

2016-07-26 22:38:27 | 大学公開講座
 科学技術の発展は、戦争の道具の発展でもある側面が強い。そのような科学技術の発展を国家としてどう制御すべきなのか?技術者とともに、政治家・官僚の責任が問われる問題である。このことについて研究者の話を聞いた。 

 講義の内容をどうレポすれば良いか、と呻吟するうちに時間が経ってしまった。遅まきながらまとめてみたい。

 受講する北大の公開講座の日程が重なってしまった。この日は「『国のかたち』を案ずる時代の知恵」の第7講が開講される日だったが、同じ7月21日(木)より、高等法学研究センターが主催する「テクノロジーと法/政治」という講座が始まった。
 両方の受講を申し込んでいた私は、前者を欠席して後者を受講することにした。

 テクノロジーと法や政治は、一見何の関わりもないように見えるが、実は大きな関わりをもっているという。そのことについて、4回シリーズの講座で説いていくのか本講座である。(私は第2回講座を欠席しなければならないが)

 その「テクノロジーと法/政治」の第1講が「科学技術と政治」 と題して、大学院法学研究科教授であり、公共政策大学院の教授でもある鈴木一人氏が講義した。
 鈴木教授が所属する公共政策大学院とは、「文系」、「理系」の教員が集い、お互いの専門性を活かしつつ、国や地方公共団体などの政策立案をできる人材を養成していくところだそうだ。

            

 鈴木教授の講義の大意を私は次のように理解した。
 科学技術の発達は、生産の向上に寄与するとともに、戦争の道具として利用されてきた。
 技術開発にはコストがかかるが、それを誰が負担するのか、という問題がある。
 ここで問題になるのは、税金を使った国家による技術開発である。国家による技術開発を推進する場合、主権者(国民)による支持と、技術に対する信念・理解が必要となる。

 話を分かり易くするため、日本が直面している「原子力発電所事故」の問題を例にとりながら話を進めると、原子力開発を進めるか否かについて主権者(国民)は政治家にその選択を委ねた。その結果、原子力開発はCO2を発生しない技術として認められ開発は承認されてきたが、福島でご存じのような事故を起こしてしまった。
 この過程において、科学者たちは「技術者の共和国」(原子力ムラ)を形成してしまい、技術者独自の関心と研究目的を設定して、政治(政治家・官僚)と対峙した。
 しかしながら、政治家は一般的には科学技術の素人であり、官僚も専門的知見を有するとはいうものの、技術的な審査、理解が十分とは必ずしも言えない現実がある。
 こうした科学的・技術的知見の欠如によって、研究者(技術者)が優位な立場となる。
 その結果が、想定もしていなかった福島原発事故を招いた一側面ではないか(と、鈴木教授は明言されなかったが)と私は受け止めた。

 冒頭に記述したように、科学技術の発展は戦争の道具としての発展という側面も強い。とすると、国家が科学技術の発展のためとしてそれを承認し後押しするのか否かという意味は大きいものである。
 科学技術が暴走しないためにどうすべきかについて、鈴木教授は最後に次のように提言した。
 一つは、透明性の確保ということだ。意思決定過程で知識・データを公開していく仕組みを作るべき、という。
 二つ目に、当事者としての決定を可能にすること、説いた。ここは説明が難しいので、鈴木教授の提言をそのまま転写する。当事者の一人である統治者は事故の起こる確率からの判断が求められる。一方、リスクを受ける側である国民は、公開された情報と必要な知識に基づくリスク計算をした上で行動(投票?)を決定すべきである、とした。

 私は今回の講義を聴いていて、以前聴いた「デュアルユース」の問題を思い出していた。
 研究者は自らの科学的研究にのみ関心行ってしまい、その研究結果(成果)の行方には関心をもたない場合もあるという。あるいは、自らの研究成果が思わぬ利用をされる場合もあるだろう。

 大変な発展を遂げた現代の科学技術であるが、それを生かすも殺すもそれを利活用する人間次第である。
 民主主義の世界においては、どこかに、誰かに、全てを委ねるのではなく、一人ひとりがそれなりの関心を持ち続けねばならない、と私は理解した。
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思わぬことで「簾舞学びの森」を歩く

2016-07-25 22:14:46 | フットパスウォーク
 焼山(豊平山)の登山口を探していた私は、どうやら別の山に向かっていたようだ。(山の名は不明)ゲートのところで車を降り、車道を上り続けること40分、私は「簾舞学びの森」に出た。すでに登山口を見つけることを諦めていた私は、その「学びの森」を歩いてみることにした。 

 「焼山は登山禁止になっていますよ」と道端の婦人に教えられた私は、諦めきれず、せめて「登山口から行けるところまで行ってみよう」と思い、登山口を探して車を前方に走らせた。
 民家が途絶えて、さらに先に進んだところ車止めのゲートが見えた。「あゝ、これが登山禁止の措置か?」と思って車を止めて、辺りを見たが「登山禁止」の文字は何もなかった。
 しかし、そこから前に車は進めないので、降りて歩くことにした。

          
          ※ 写真のような頑丈なゲートで行く手を阻まれ、ここからはトレッキングでした。

 車道(林道)はずーっと続いていた。車道の右手に鋭い頂を備えて聳えているのが焼山(豊平山)だろう。右手の沢を渡る登山口が見つかるはず、と思いながら車道を上り続けた。
 15分経ち、30分経っても登山口らしきものが見つからない。砂利道ではあるが、車が難なく走れる車道が続いていた。
 30分を経過し、焼山らしき山からも遠のいたように思われた。車道は上がり続けている。「これはもう登山口は見つからない。こうなったら車道が続くところまで上がってみよう」と歩き続けた。40分を経過した頃だった。車道は続いていたが、車道から分岐したところに看板が立っていた。看板には「簾舞学びの森 観察コース、学習コース」と表記されていた。そしてコース一周は約2.5kmと出ていた。

          
          ※ ゲートの後にも、このような立派な道路が延々と続きました。

          
          ※ 林道を行く右手に焼山と思われる鋭いな山容が顔を覗かせていました。

          
          ※ 道路脇ではガクアジサイの花が今が盛りとあちこちで咲き誇っていました。

          
          ※ 観察コース起点という表示を見つけて俄然興味を抱きました。

          
          ※ 観察コースの起点に立てかけられていた案内板です。

 車道はまだ上へと続いていたが、私はこのコースをトレッキングすることに目標を切り替えた。コースのポイント、ポイントに看板が立っていて、周りの森のことについて学ぶことができるらしい。

 さっそく森に入っていったが、これがけっこう難しかった。コースが造成されてもあまり利用はされていないためか、コースの始めの沢沿いのところは踏み跡が見つからず、雑草もかなり繁茂していた。
 それでもあちこちと睨みながら、慎重に歩を進めていると何か人工物が目に入った。傍に寄ってみると「ポイント1」と記された柱が立っていた。他に周りには何もなかった。「ポイント1」と言われても、それだけじゃ森の学習にも何もならない。説明板などどこにも見当たらなかった。

          
          ※ 観察コースはいきなり沢渡りから始まるワイルドなコースです。

          
          ※ 起点近くはコースも判然としないくらい雑草が繁っていました。

          
     ※ ポイント1の印を見つけてホッとしたのも事実です。それくらいコースは判然としていなかった。

 説明板はなかったが、コースとしてはなかなか面白いコースだった。沢を渡り、山を登り、とよく考えられたコースで、変化に富んでいる上、ワイルドなコースだった。ここで子どもが学習するにしても飽きることはないであろう。いや、少し厳し過ぎるかな?
 ポイント、ポイントには柱が立っていて、それがトレッキングをしていて励みにもなる。
 柱が「最終ポイント」と記されたところに出た。2.5kmとしては物足りないと思った。それもそのはず、私が歩いたのは、後から調べてみると「観察コース」(約1km)だけだったようだ。 
 柱にポイント番号しか記されていなかったのも、学習者にはあらかじめ説明冊子が配られていて、それを持参してポイントにおいて冊子の説明を読んで学習する、という方式だったようだ。ポイントでは、〔木の生命力〕、〔更新倒木〕、〔森の土の働き〕などについて学べるようになっていた。

          
          ※ このように階段道路が整備されているところもあれば…。

          
          ※ 倒木が行く手を阻むようなところもあったりして…。


          
          ※ 脇を見れば、谷が深く切れ込んでいたり、とワイルド感いっぱいでした。

          
          ※ すると突然「終点」の表示が…。もう少し長くても良かったかな?          
  
 わずか1kmのトレッキングだったが、変化に富んだワイルドな楽しいコースだった。
 そこからまた私は40分かけてゲートのところまで戻った。
 戻るときにも周りを注意深く観察しながら下りたのだが、焼山の登山口らしきところは見当たらなかった。車道(林道)は木漏れ日の中のウォーキングで心地良かった。

          
          ※ 帰りの下り道も木漏れ日の中を心地良いトレッキングを楽しみました。

 車に乗った帰り道である。件の婦人に登山口を聞いたところより少し上の地点で小さな看板を認めた。車を止めて良く見ると「豊平山 登山禁止」という小さな看板が木に打ち掛けられていた。その看板は下から上がってくる車には到底認められないような位置に立っていた。
 そして登山口のところはしっかりとゲートが取り付けられていた。その向うの登山道は誰も足を踏み入れないからだろう、雑草が繁茂していた。

          
          ※ 帰り道、車の中からこの小さな看板を発見!!

          
          ※ ゲートはしっかり閉じられていました。

 あゝ、残念! という焼山(豊平山)物語でした。
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残念な結果となった二つの山行

2016-07-24 21:05:19 | 北海道低山紀行 & Other
 昨日(23日)、今日(24日)と空はスカッと晴れ上がり絶好の登山日和だった。私は札幌近郊で未踏だった盤渓山と焼山(豊平山)の登頂を目ざした。ところが!? 私は二つの山とも登頂を果たせずにスゴスゴと退散したのだった。なぜ? 

 北海道新聞社が発行する「夏山ガイド(道央の山々)」の改訂版には朝里天狗岳、焼山(豊平山)、盤渓山、稀府岳が新たに追加されたと記されていた。
 私は昨年で札幌近郊の山は全て制覇したと思っていたが、稀府岳を除いては全て札幌近郊の山である。これは是非とも踏破せねば、と思ったのだ。

          
          ※ 夏山の盤渓山の頂上です。(ウェブ上から拝借した)

 そこで昨日、まずは我が家から近くにある「盤渓山(604m)」を登ることにした。盤渓山は今年1月にスノーシューで一度登ったことはあるが、夏山は未踏だった。
 道道82号線から妙福寺の看板のところから脇道に入り、「盤渓市民の森」の駐車場に車を置き、車道を少し上ると小さな杭が立っていて、そこから左の沢へ下りていく。
 ところが!小さな杭が立っている入口から雑草が登山道を覆い尽くすように繁茂している。微かな踏み跡を探しながら歩くのだが、どうもガイドブックにあるように盤渓川支流の沢に下りていかない。冬の時も確かすぐに沢に下りたように記憶していた。「おかしいなぁ?」と思いつつ、さらに踏み跡のようなところを辿るのだが、どうも妙福寺に近づいているような気がした。
 そのうち、とうとう踏み跡が分からなくなるほど雑草が濃くなった。「これは違う!」そう結論を出し、戻ることにした。

 登山道に入ったところまで戻ってみると、反対側にかなり整備された道が見えた。「あれっ?こっちに新しい道を造ったのかな?」と思い、そちらを辿って行ったのだが、200mも行かないうちに道は行き止まりになっていた。
 ここで私の気持ちはすっかり萎えてしまった。こんなに雑草の濃い中で、もし道に迷うようなことがあったら、大変なことになる。ここは素直に引き返そう、と決心した。

 結局、盤渓山の夏山は人気がない山なのだろうか?草生していたことがそのことを物語る。いつか、どなたかに同行する以外に登頂の道はないのだろうか?


          
          ※ 小さな山ですが、特異な形をした焼山(豊平山)です。

 そして今日(24日)、今度は簾舞地区にある「焼山〈豊平山〉(662.5m)」を目指すことにした。こちらは我が家からはけっこう遠い。国道230号線を走り、簾舞中学校のところから脇道に入る。住宅街を抜け、山に向かってどんどん進むのだが、途中何ヵ所か分岐点があったので不安になり、道端にいた婦人に尋ねた。「焼山の登山口はこちらでいいですか?」と…。すると件の婦人が「えっ?焼山は登山道が崩壊して登山禁止になっていますよ」、「ガーン!!!二日続けての敗退じゃん」と心の中で呟いた。

 そういえば、改訂版の中に小さな紙切れが挟まれていて、何かの注意を促していたようだ。それが「焼山(豊平山)」のことだったのだろうか、と思い出していた。

 しかし、ここで私は諦めなかった。50分もかけてやってきたのだから、その崩壊のところを見てみようと思い、そのまま登山口を目ざした。
 ところが…。行けども、行けども、登山口は見つからない。そうこうしているうちに、私は別の山の麓に辿り着いていたようだ。
 その結末は明日レポートすることにする。

 ともかく二日続けて登頂に失敗するとは情けない。それもこれも、私は「夏山ガイド」の情報だけに頼ってしまっているところがある。これからは、もう少し多様な情報をかき集めて、事前の準備をしなければならないことを痛感させられた思いである。
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食べて知ってカルチャーナイト

2016-07-23 15:47:27 | イベント
 「黒毛和牛の試食ができる!」というキャッチコピーに釣られて北海道総合研究プラザ(北19西11)までのこのこと出かけた。“食べる方”はしっかり味わったのだが、“知る方”はちょっと不満が残ってしまった。 

 札幌において「カルチャーナイト」が始まってからどれくらい経つのだろうか?当初は珍しさも手伝って、あちこちとイベントを渡り歩いていたが、最近はあまり関心が無くなっていた。
 ところが今年は、道総研が「食べて知る!道総研のおいしい研究」と題して、道総研の本拠地の北海道総合研究プラザにおいて“セミナーと黒毛和牛の試食”があると新聞に告知があったので、「面白いかも?」と思い参加してみようと思った。

          
          ※ 北大敷地の隣にあった北海道総合研究プラザの建物です

 北海道総合研究プラザは北大の敷地に隣接した北19条西11丁目にあった。初めて訪れた施設だったが、なかなか立派な建物で、そのプラザ内の吹き抜けになっている玄関ホールでセミナーが行われた。セミナーのテーマは「道産牛肉のおいしさ」と題して、道総研の畜産担当の研究員(氏名不明)が務めた。

 そのセミナーだが、リード文で触れたようにちょっと不満が残ってしまったのだ。というのも、吹き抜けのホールが災いしたのか、講師が発する細かな表現がまったく聞き取れないのだ。拡声装置を使用しなかったからか、はたまた講師の発音が不明瞭だったか?
 道総研のセミナーは、道庁ホールで開かれる「ランチタイムセミナー」をいつも興味深く拝聴していただけに、今回も期待していたのだが残念だった。

          
          ※ ご覧のような高い天井が講師の話を不明瞭にしていたように思いました。

 セミナーは、(1)「おいしさ」を感じるプロセス、(2)牛肉のおいしさを形作るもの、(3)「おいしさ」を調べる方法、(4)「おいしさ」を調べた研究の紹介、といったことについてのお話があったのだが、十分に聞き取れなかったこともあって、自信をもってレポすることはできない。

 ただ、講師が話しかったことは、国産和牛(黒毛)が輸入牛肉(米・豪)に比べて美味しいと言われるわけは、牛肉の旨味成分である脂肪の割合が圧倒的に多いということが理化学分析ではっきりしているそうだ。
 ただ、いま一つはっきりしなかったのだが、道総研の研究者が力を入れているのは道産の乳用種を肉牛として販路拡大することらしい。乳用種の脂肪分は、輸入牛と黒毛牛との中間にあるということだ。
 「おいしさ」もそれなりらしい。そこで乳用種の牛肉をどのようにプロモーションしていくべきか、が課題だということだった。(と私は聞いた)

          
          ※ 少し暗くなってからの撮影だったので、写りはイマイチですが、味は良かったですよ!

 肝心の試食の方だが、セミナーを聴いている時間に、担当者が別のところで調理して受講者に配られた。
 分からないのは、試食した肉が「黒毛和牛」だったことだ。美味しかったことは美味しかったが、道総研のサービスだったのだろうか?でも、セミナーの内容との整合性には少々疑問ももったのだが…。

          
          ※ 写真のようにたくさんの人が詰めかけた道総研のカルチャーナイトでした。

 北海道総合研究プラザのセミナー会場は、用意された椅子席が満杯になるほど盛況だったが、昨夜のカルチャーナイトは各所で賑わったようだ。我が家の近くの札幌管区気象台もたくさんの親子が訪れて賑わっていた。
 札幌の街がもっている文化的資源を、一夜市民に開放するこうした試みが長く続いていることに札幌市民の一人としてとても誇りに思っている。
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海洋生物資源の持続可能な利用のために

2016-07-22 16:16:44 | 大学公開講座
 乱獲によって漁獲高が激減した、などというニュースを耳にすることがあるが、はたして本当のところはどうなのか?鮨をはじめ、日本食には欠かせない魚類であるが、その漁獲高が激減していることは、日本人としては気になる話題である。海洋生物の資源を調査研究している専門家から話を聞いた。 

 農業用ロボットの話を聞いた同じ7月18日(月)午後、北大全学企画公開講座「『国のかたち』を案ずる時代の知恵」の第6講は「海洋生物資源を理解して上手につきあう」と題して、北大北方生物圏フィールド科学センターの宮下和士教授が講師を務めた。

               
               ※ 講師の宮下和士教授です。(写真や図はいずれもウェブ上から拝借)

 宮下氏によると、海洋生物資源の量は確かに変動しているが、その要因は大きく二つに分けられるという。その二つとは「自然要因による変動」と「人為的要因による変動」だという。
 自然変動には、レジームシフトと称される10年~100年のスケールで起こる気候、海洋、生態系の変化で、それに伴い魚類などの生育環境が変わり資源に大きな変化が出てくるそうだ。また最近よく耳にする数年に一度の割合で発生するエルニーニョ、ラニーニャによる気候変動現象も資源の変動を引き起こしているという。

 一方、人為的変動であるが、こちらは,(1)過剰な漁獲(乱獲)、(2)混獲・投棄、(3)ゴーストフィッシング、(4)海洋汚染、(5)開発、(6)種苗生産・放流、などが考えられるとした。
 人為的変動の中で最も影響が大きいのは、やはり乱獲である。1952(昭和27)年から1980(昭和55)年までの世界の海の漁獲量の変遷の図を見せていただいた(資料が古い!)が、主たる漁場が日本近海から太平洋、そして全世界への海洋へと広がり、各海域での漁獲量が減少していることが一目で分かる。獲り過ぎの結果だと思われる。

 人為的変動要因の中で耳慣れない言葉がある。ゴーストフィッシングである。直訳すると〔幽霊漁業〕、つまり捨てられた漁具などが魚を捕え、さらにその魚を餌にしようとする魚が捕えられるという、捨てられた漁具がいつまでも魚を捕え続けるという悪循環を海のなかで繰り返されていることを指すことだそうだ。

 こうした、自然変動、人為的変動を受けて、我が国の漁獲量は1984(昭和59)年の1,161万トンをピークに、2013(平成25)年には376万トンとピーク時の1/3にまで激減しているという。提示された図からは、特に遠洋漁業、沖合漁業の落ち込みが激しいことが分かる。(沿岸漁業の変化の割り合いは小さい)

          
          ※ 我が国の漁獲量の変遷です。

 宮下教授は講義の冒頭で、海洋生物資源は「再生産が可能」だという特質を示した。化石資源などと違い、上手に付き合えば人類は悠久に恩恵を受けることが可能であるとした。
 ここが大切なのだと思う。〔上手に付き合う〕ためには…。
 海洋生物資源の資源管理が問題となってくる。

 資源管理の手法としては、(1)インプットコントロール、(2)テクニカルコントロール、(3)アウトプットコントロール、の三つの手法があるという。
 (1)は、操業隻数の制限、漁船のトン数制限、操業期間の制限など。
 (2)は、網目制限など漁具の規制、禁漁措置、禁漁区の設置など。
 (3)は、漁獲割当方式の設定、漁獲可能量(TAC)の設定、などが考えられるとした。
 TACとは、魚種ごとに漁獲できる総量を定めることにより資源の維持または回復を図ろうとする措置だそうだ。

 このTACの考え方は世界的な潮流となっているようで、排他的経済水域においては各国が設定しているようである。
 そのTACを導入するためにも欠かせないのが、海洋生物資源の計測手段を高度化することだと宮下教授は指摘した。そして、その計測手段の現状に話が移った。
 その計測手段としては、(1)直接計測、と(2)遠隔計測があるという。(1)の直接計測としては、潜水計測や採集計測がある。(2)の遠隔計測には、衛星計測、音響計測などがあるという。

 ここで最新の計測方法として〔バイオロギング〕なる方法が提示された。バイオロギングとは、生き物たちの行動を探るために、生き物にセンサーを持たせて各種情報を得る手段である。このバイオロギングが開発されたことにより、これまで謎だった生き物たちの行動がずいぶん解明されたということだ。

          
     ※ 写真のように魚や鳥、海獣などの背にセンサーを付けて行動を観察することをバイオロギングと言います。

 こうした海洋資源を計測する方法の開発によって、排他的経済水域のみならず、全世界の海域においてTACの考え方を広げることが喫緊の課題であろう。そうして人類が海洋生物資源と〔上手に付き合う〕日が一日も早く到来することを願いたい。
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