田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

酪農学園大学ブルーグラス研究所コンサート

2019-06-30 12:28:59 | ステージ & エンターテイメント

 あの特徴のあるブルーグラスの音をたっぷりと堪能した3時間だった。技量的にはマチマチの感は否めなかったが、それが学生のサークルの特徴か?コンサートでは酪農学園の学生気質のようなものを見え隠れして興味深かった。

 

          

          ※ 開演前のステージの様子です。

 

 昨夜(6月20日)、江別市の「ドラマシアターども」において「酪農学園ブルーグラス研究所」「新入生歓迎コンサート」があり、物好きにも参加した。

          

          ※ ドラマシアターどもの外観です。ステージは2階に造られています。(ちょっと写真が斜め)

 

 ドラマシアターどもは、江別駅の近くの廃業したビルを再活用したもののように見えた。内部は観客が100人も入ればいっぱいのような小さな空間に、ステージもそれほど大きくないものが設えられていた。

                

               ※ ステージ横に立てられたサークル名が書かれた木標です。     

 

 私は確か新聞で、ブルーグラスを聴くことができると知って、懐かしさに駆られて江別市まで出かけたのだった。私がブルーグラスに出合ったのは、フォークグループの「高石友也とナターシャーセブン」がコンサートで盛んにブルーグラスを取り上げていたことがきっかけだった。

 

 ちなみにブルーグラスをよくご存じでない方のために、この日配布されたプログラムに載っていたものを紹介すると…。

 

「アメリカ南部発祥の音楽で、主にカントリーやブルース、ゴスペル、アイリッシユなどを基盤として発展してきたジャンルです。フィドル(バイオリン)、フラットマンドリン、五弦バンジョー、アコーステックギター、ウッドベースなどで構成され、そのアコースティックなメロディーから古き良きアメリカの風景を感じ取ることができます。明るく軽快なメロディーとは対照的に、歌の内容は失恋や死別といった悲しいものが多いのも特徴です」

となっていた。

          

          ※ トップバッターを担った「はんぺん丸」の演奏です。なかなかの実力とみました。

 

 酪農学園のブルーグラス研究所には今年15名の新入部員が入ったという。それで部員の合計は40名を突破したそうだ。これは大変な人数である。けっしてメジャーではないブルーグラスという音楽を追求するサークルに40名以上も集まったのは何なのだろう?と考えた。やはり酪農学園という大地(農地)を対象するとする学問を究めようとする若者たちにとってブルーグラスはどこかで通底するものがあるのでは、と思ったのだがどうなのだろう?

 

 ブルーグラス研究所では、サークル員同士でバンドを結成して練習に励むようだ。この日は9つのバンドがそれぞれ曲を披露した。だいたいは学年別に編成されていたため、その技量もそれに応じていたように聴こえてきた。

 

 1年生は部員が多いだけに4つのバンドが出演したが、やはり入学から3ヵ月しか経っていないのだからブルーグラスの良さを表現するには無理があったようだった。まだまだブルーグラス特有の軽快さを表現するまでには至ってなかった。

          

          ※ 一年生バンドの「キムチハーモニー」の皆さんです。外国出身が二人加入しています。

 

 2年生になると、それがもう立派なブールグラスバンドに成長していた。2年生のどのバンドもしっかりプルーグラスの良さを表現していたように聴こえた。1年生たちがこれからの1年間でどこまで成長するのか確かめたい思いになった。

 

 紹介などをきいているかぎり、3年生部員は少ないようで、3年生だけで組んだバンドはなかったようだ。4年生のバンドは「さすが!」という、いわばこなれた演奏を披露してくれた。

          

          ※ さすがの技量を披露した4年生バンドの「ヒチュジウンマーズ」です。ただし一番目立つ

            右から2番目の彼は2年生だそうです。

 

 特徴的だったのは、演奏の合間、バンドが交代する合間のMCである。私からみると、誰もが口ベタの印象を受けた。まったくステージに慣れていない、たどたどしい説明であり、おしゃべりなのだ。私は思った。彼らは物言わぬ大地や動物たち(獣医学科)を対象とする学問を究めようとしている学生たちである。そこではコミュニケーション能力などというものはそれほど問題ではないのだ。彼らの多くは素朴で、どちらかといえば朴訥な若者が多いのだろうと…。そのことに私はとても好感が持てた。

          

          ※ 右の彼の腰のところを見てください。長い布がぶら下がっています。演奏の合間に、布で

            楽器に付いた汗などをぬぐっていましたが、多くの奏者がそうしていたことを見ると、ブルー

            グラスの奏者たちのファッションなのではとにらみました。

 

 酪農学園ブルーグラス研究所…、彼らが楽しくブルーグラスを追求するとともに、仲間づくりに励み、また私たちに素敵な音楽を届けてほしいと願った夜だった。

 

           

          ※ コンサートの最後に一年生が勢ぞろいして抱負などを語ってくれました。

 

※ 何の因果か?本日はまた北大のブルーグラス研究所のコンサートを聴きにこれから出かけようと思っている。また、そのことをレポすることができたらと思う。

 

 

 

 


ちゃれんがワークショップに参加した

2019-06-29 16:07:06 | 講演・講義・フォーラム等

 お話をただ伺うだけではなく、今回のワークショップのように自ら手を動かし、体験してみる講座は心楽しいものがある。子どもたちも参加する楽しい講座を体験した!

 今夕、「酪農学園大学ブルーグラス研究会コンサート」を聴くために江別市に来ています。

 コンサート開始時刻は午後6時で少々時間があるので、カフェに入って本日のブログを投稿することにしました。
 今日はただ江別市へコンサートだけを聴くために車を走らせるのは能がないと思い、その前に北海道博物館で開催された「ちゃれんがワークショップ」に参加することにしました。「ちゃれんが」とは、北海道博物館の外壁に江別市特産のレンガが使用されていて、その色が茶色のためにそうした愛称が付けられたようです。

          

          ※ 今回の講師は北海道博物館の女性の学芸員の方でした。


 今日のワークショップは「ノコギリでネームプレートを作ろう」というものでした。内容的には、
 昭和初期に北海道の造材事業で活躍したノコギリについて学んだ後、そのノコギリを用いて細い丸太を自ら切り出して、ネームプレートを作るという内容でした。
 ノコギリといっても、その用途によってたくさんの種類があることを再認識しました。例えば、差切鋸(さしきりのこ)、かがり、鴨居挽鋸(かもいひきのこ)、廻挽鋸(まわしびきのこ)、胴付鋸(胴付鋸)、両歯鋸、片歯鋸、氷切鋸…、といった具合にそれぞれの造作に対応した鋸があったようだが、現代は全て機械が造作してしまいますが、昔はひとつひとつの木材の造作にとても苦労したことが偲ばれました。

 鋸の種類と共に、私が不明だったことは、鋸には横挽きと縦挽きの鋸があることだった。横挽きは山に立っている木を丸太にするさいに使用する鋸で、縦挽きは丸太を木材に加工するために使用する鋸だったということだ。昔は鋸という道具を使用したとはいえ、その原動力は全て人力である。相当に過酷な労働だったことが分かった。

          

          ※ 横挽きの鋸です。細くて長いのが特徴かな?

          

          ※ 縦挽きの鋸です。幅がとても広くなっています。とても重いのが特徴です。

 さて、ネームプレートの方ですが、自らノコギリで丸太を切り出し後、紙ヤスリで断面を滑らかなるまでこすり、その後に絵付けをして、最後に紐を付けて完成という、まあそれほど難しいものではありませんでした。(但し、絵付けのセンスは問われますが…)

          

          ※ 写真のように自分で使用する材料を切り出しました。実際にはもっと小さなノコギリで…。

          

          ※ 切り出した材料の表面を紙やすりで舐められにしています。共に参加した知人のO氏です。


 ということで、私が完成させたネームプレートはお見せ出来るようなものではないのですが、アリバイ証明のために掲載することにします。

          

          ※ はい。私の作品です。絵心のない私は見本どおりに描いただけです。


 それでは、これからコンサートが行われる江別市の「ドラマシアター ども」に向かうことにします。


北海道低山紀行 朝里天狗岳(未登)  

2019-06-28 17:06:00 | 北海道低山紀行 & Other

 「なあ~んで、こんな霧の濃い日に山に登らなきゃならないんだ」と、私は自分に毒づきながら登り続けた。これには私ならではの理由があるのだ。しかし、タイトルにあるようにこの日私は山頂に立つことができなかった…。 

 登山に関して私には今、ささやかな目標がある。それは、できれば今年中に「北海道低山紀行」のナンバーリングを100まで伸ばしたいという思いがあるのだ。(現在№89です)そのためには、私自身が意欲的になれる日、登山に割ける日にはできるだけ山に登りたいと思っている。問題は意欲的になれる日である。体力の衰えを自覚することが多くなった今、山に向かおうと思う日が徐々に少なくなってきている。今日はそういう意味では珍しく「山へ行こう!」という思いが強くなった日だったのだ。(そうなると天候はあまり問題ではなくなる) 

 朝6時に家を出て、小樽・朝里に向かった。道新版「夏山ガイド」に掲載されている札幌圏の山は全て制覇したものと思っていた。(夏山では登れない奥手稲山を除いて)ところが先日その「夏山ガイド」を眺めていると、「朝里天狗岳」には登っていないことに気が付いた。そこで本日、意欲が出てきたところで朝里に向かったのである。

 朝里から朝里峠に向けて車を走らせ、少し苦労はしたがなんとか登山口を見つけることができ、そこからあまり離れていない空き地に車を停め、午前7時に登山を開始した。

          

          ※ 登山口は送電線が道路と交差する下にあった。

          

          ※ 道路脇にぽっかりと開けられたところが登山口でした。(表示は特になし)

          

          ※ 登山口と確信したのは、枝や幹に付けられた赤や青のテープでした。

 ガイドブックには登山口の標識があると書いてあったが、いくら探しても見つからなかった。ただ、木や草を刈り分けたところの木に赤や青をテープが見えたので「間違いない!」と判断し、そこを登り始めた。

          

          ※ 登り始めは写真のような緑のトンネルを往くようなルートでした。

 ルートは送電線下の作業道ということだが、いきなりけっこうな急登が続いた。階段こそないものの、階段を設けてもおかしくないくらいの急登で、私の体からは汗が噴き出した。ルートは作業道だからだろうか?よく整備されていて下草や枝払いもされていた。

          

          ※ 作業道だからでしょうか?このように枝払いもしっかりされていました。

 辺りは霧に覆われていて、山頂での眺望はとても望めないコンデションだった。

          

          ※ この日の天候を象徴するような一枚です。見方によれば幻想的?

 急登は続く。送電線下とはいっても直線的にはルートづくりが難しかったのだろう。途中からはジグを切るようにルートが造られていた。一つ、二つと送電線を繋ぐ鉄塔の下を潜りながら登りが続いた。途中、小さな沢がありそこを越えての登りが続いた。

          

          ※ このようにいくつもの鉄塔の下を潜りぬけて進みました。

 ガイドブックでは、作業道から分かれて左に折れるところに「天狗岳➪」のサインが太い幹に付けられているとのことだったので、注意しながら登り続けた。

          

          ※ 登るにつれて斜度は増し、このようにジグを切るようにして登り続けました。

          

          ※ ホッと一息。ツルアジサイでしょうか?

          

          ※ こちらは虫たちを待ち構える蜘蛛の糸です。

          

          ※ こうした小さな流れを越えて…。

 「なかなかサインが現れないなぁ」と思いながら登り続けたが、私の登りでも50分を越えたころには不安になってきた。というのも普通の足では30分前後で分岐に至るはずだったからだ。4つ目の鉄塔を超えたあたりから斜度が緩くなり、5つ目の鉄塔に至ったときには平らになり、そこに車が走れるような砂利道が姿を現した。その一方で作業道のような道も並行してあった。私はその作業道を先に進んだ。すると先に行ってその作業道と砂利道が交差した。「これかおかしい!」と思い、鉄塔のところまで引き返した。そのときすでに登山を開始して60分が経過していた。先に行って分岐を見つけるか?引き返すのが賢明か?少し悩んだが、どうやら私は途中でサインを見逃したのではないかと判断し、引き返すことにした。

          

          

          ※ 5つ目の鉄塔に至ったときでした。前方には作業道が続いていました。

          

          ※ かたや目を転じると、向こうには車が通ることのできる砂利道が走っていました。

 帰り(下山)の際は、分岐点を見つけようと、そしてサインを見落とすまいと、慎重に、慎重に降りることにした。しかし、私の目は節穴だったのだろうか?サインを見つけられぬまま登山口に至った。山中での行動時間約2時間、私はむなしく帰宅するしかなかった。

 朝里天狗岳に近づいた印に、せめてもと思い「魚留ノ滝」(往復20分)を眺めてから帰宅の途に就いた。名前のとおり、とても魚たちが乗り越えられるような滝ではなく、魚たちは先へ進むことはできなかったであろう立派な滝だった。往復約20分という一見気軽な滝見物だが、ルートはワイルドである。もし行かれる方はトレッキング仕様でお出かけすることをお勧めしたい。

           

          ※ 「魚留ノ滝」に至る道の入り口です。

          

          ※ 写真って面白いですね。一見登りのようですが、先の道は下っています。

          

          ※ 滝に至るには、こうしたワイルドな道も行かねばなりません。

          

          ※ 「魚留ノ滝」の全貌です。高さ10メートルくらいかな?

          

          ※ 望遠を効かして迫力ある流れを撮りました。

 帰宅してから、ネット上で朝里天狗岳体験者の投稿をチェックしてみた。すると、ある投稿者の体験記に「三つ目の鉄塔のところから左に折れる」とあった。やはり私は作業道を登りすぎていたようだ。今回は未登だったのでナンバーリングには加えることができない。きっと山の神様が「もっと良い天気の時に再チャレンジせよ!」と無言の激を飛ばしてくれたのかもしれない。そう考えて、できれば今年中に再チャレンジしたいと思う。 


ワンコインランチ紀行 63 タイズ 札幌パセオ店

2019-06-27 17:05:02 | ワンコインランチ紀行 

  「タイズ 札幌パセオ店」はタイ料理のレストランである。タイの雰囲気を模した店内でタイ料理の定番ともいわれる「ガパオガイ」を食した。

          

 「タイズ 札幌パセオ店」は、JR札幌駅地下の飲食店街に位置していた。札幌駅直結の飲食店街というと私はアピアの方が思い浮かぶが、パセオの方も結構充実していることが今回訪れて分かった。ただ、私のような者にとってはアピアとか、パセオとか、紛らわしいのが困ったことである。

 駅地下の飲食店は通りを往く客の目を引かせるためにどこも派手な外観のところが多いが、「タイズ」も例外ではなかった。

 店内に入ると、レイアウトなどでタイの雰囲気を醸し出していた。入店した時は昼時だったが、店内には若い女性が目立っていた。

          

 この店のランパスメニューは「ガパオガイ、サラダ、ドリンクバー」(通常価格980円)のセットである。オーダーの時に「辛さ」を聞かれたが、辛みの苦手は私は「辛味1」(4段階?)をお願いした。

 テーブルにあったメニューを見てみると、ランチメニューはどれもリーズナブルで、若い女性が目立ったことに納得した。ドリンクはコーヒー、紅茶、ウーロン茶、ジュースなどから自由に選択できるシステムとなっていて、私はアイスコーヒーを選択した。

          

          

 先にサラダが提供され、それから少し間をおいて「ガパオガイ」が提供された。

          

 「ガパオガイ」は鶏ひき肉とバジル、野菜を炒めて、長粒米である「ジャスミン米」の上に乗った目玉焼きを崩して混ぜてから食する。初めてのタイ料理とあって、好き嫌いの激しい私には大丈夫かな?と思われたが、とても美味しくいただけた。あるいは日本人向けに多少はアレンジしてあるのだろうか?私は長粒米もあまり好きではないのだが、まったく苦にならなかったのは、あるいはガパオガイのような混ぜご飯だったからだろうか?          

 いずれにしても大変美味しくいただけ、満足の一皿だった。 

【タイズ 札幌パセオ店 データー】 

札幌市北区北6条西2丁目 パセオウエストB1

電  話  011-213-5667

営業時間  11:00~23:00

      (ランチパスポート可能時間11:00~17:00)

定休日   パセオに準ずる 

座席数   30席(カウンター席・テーブル席)

駐車場   施設駐車場(2,000円以上で2時間無料)

入店日  ‘19/06/20

 

※ この日の「タイズ 札幌パセオ店」で、3/20~6/21までだったランチパスポート札幌の春編(?)は終了した。この間、私は23店の入店を果たした。いずれもが初めて訪れるお店だった。その点では、札幌のまだ見なかった顔(お店)をこの企画を通して見ることができたと思っている。23店の中で私にとって最も評価の高かったお店は、№54の「じき 南2条店」の「親子丼」である。再訪したいと思いつつも、あの混みようを考えると二の足を踏んだ。23店の中で唯一再訪したのは№50の「そば処 一紗」である。このお店の「肉ぶっかけ蕎麦」も絶品だった。

          

          ※ じき 南2条店の「親子丼」です。

          

          ※ そば処 一紗の「肉ぶっかけ蕎麦」です。

 なお、前回に倣ってお得度を計算してみると、通常価格で18,480円のところ11,500円を支払っていた。差額が6,980円だが、ランチパスポート代が1,058円だったので、 5,922円のお得という計算となる。この評価は??

 昨日、STVテレビでこのランチパスポートを取り上げていた。シニア族に大人気だそうだ。なるほど、ランチパスポートは昼時の混み合う時間帯、また土日祝日などは利用が制限される。現役世代はなかなか利用が難しいところがあるが、時間の制約がないシニア族にとっては、時間が制限されたとしてもそれほど影響を受けないところが人気になっているという点もうなづける話である。

 また、新しいシリーズが始まったら、新しいお店の発見の旅に出ようかな?と思っている。


映画 それから №240

2019-06-26 16:28:04 | 映画観賞・感想

 文豪夏目漱石の同名の小説の映画化である。明治の時代に道ならぬ恋(?)に身を焦がす主人公とその恋人の物語である。監督(森田芳光)の力量やキャスト(松田優作、藤谷美和子など)の好演によって、上質の映画に仕上がった作品と映った。

                

 昨日(6月25日)午後、北海道生涯学習協会が主催する「懐かしのフイルム上映会」の6月編が開催された。

 今回取り上げられたフイルムは、夏目漱石原作森田芳光監督「それから」だった。

 時代は明治後期のである。映画は、学歴はありながらも定職には就かず、本家の援助を受けながら裕福な生活を送る永井大助(松田優作)が友人の平岡常次郎(小林薫)の妻である美千代(藤谷美和子)とともに生きる決意をするまでを描いたものである。

          

 明治の時代の良家のゆったりと流れる生活の様子を若き日の松田優作(当時35~6歳)が好演している。淡々と流れる映画の前半はむしろ私には退屈にさえ思えたが、後半になってにわかに緊張した流れとなっている。

 それは若き日のころ、相思相愛だった大助と美千代だったが、さまざまな葛藤の末に大助は友人の常次郎に美千代を譲ったのだった。しかし、さまざまな事情の末に再会したとき、大助は悩み苦しんだ末に美千代と生きる決意をして、美千代に打ち明けたところ、美千代の同意を得たのだったが…。

 時代は明治である。しかも良家にあっては許されるはずのない大助の決断だった…。映画はここで終わるのだが、はたして「それから」はどうなったのだろうか?

          

 これが現代の話だったらどうだろうか? たとえ現代であっても一般的には許される話ではないと思う。それが道徳や倫理により厳しい明治の時代にあって、二人の行く末は茨の道だと想像される。映画を観た人たちは二人の悲しい結末を予想したのではないだろうか?

 そんな予想をたてたくなるほど、主演の松田優作の静の中に含まれた狂気と諦念の演技は素晴らしい。また、明治の時代の哀しい女を演じた藤谷美和子も美しさと哀しさを見事に表現していたと思った。

 1985(昭和60)年、森田芳光監督と、松田優作のコンビが素晴らしい映画を世に出していたことを今ごろになって知った…。

 


アイヌ語の解釈には間違いがある??

2019-06-25 18:24:52 | 講演・講義・フォーラム等

 「イランカラプテ」…、私たちにとってはかなり馴染みとなった言葉である。この言葉を「こんにちは」と解するには無理がある、と講師は冒頭に言った。「えーっ!?」と思いながら講義を拝聴した。 

 6月23日(日)午後、「北海道博物館ミュージアムカレッジ」を受講した。この日の講義は「アイヌ語由来の標語・愛称を再考する」と題して、札幌学院大学教授で、北海道博物館の非常勤研究職員も兼ねる奥田統己氏だった。奥田氏は言語学者であり、アイヌ語研究の歴史は長く、その道ではかなり高名な方らしい。(詳しくは分からない)

 奥田氏はまず、この日の主題について話された。それによると①「イランカラプテ」はアイヌ語の「こんにちは」なのか。②「ウポポイ」では誰が歌うのか。と問題提起された。

           

 「イランカラプテ」は、私たち一般人にはアイヌ語で「こんにちは」という意味で今や広く知れ渡っている。さらにはアイヌを祖先にもち、アイヌ語研究もされ「萱野茂のアイヌ語辞典」も著している萱野茂氏が「イランカラプテ」とは「あなたの心にそっと触れさせていただきます」という意味が込められているとしたことから、この言葉を北海道のおもてなしの合言葉にしようというキャンペーンが繰り広げられている現状がある。

 しかし、奥田氏はいう。そもそもアイヌ語には「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」というような区別のある言葉はなく、「イランカラプテ」を「こんにちは」と解するには無理があるとし、言語学的に縷々説明された。その内容は多岐であり、私には難解なためにここで紹介することはできないが、アイヌ語研究者の間では通説となっていることなのだろう。

     

 奥田氏はまた2020年4月に白老町に開館する「民族共生象徴空間」(国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園)の愛称が「ウポポイ」に決まった。その選考は一般からの投票によったそうだが、その募集段階において「ウポポイ」は「おおぜいで歌うところ」とされていたようだ。ところが言語学者らから異議が出た結果、決定の時点では「おおぜいで歌うこと」に書き改められていたと奥田氏は主張された。この「ところ」なのか「こと」なのかについても言語学的に細やかに説明されたのだが、省略したい。 

 最後に奥田氏は次のようにまとめられた。「イランカラプテ」を「こんにちは」と訳すのは日本語の文化と想像力に基づいたものであり、「ウポポイ」の訳(ところとしたことについて)は日本語の構造と意味を下敷きにしていると指摘した。つまり二つの事例は、多数者である国民にとって操作しやすく、決定プロセスが行政にとって扱いやすいものになっているとした。そして、「アイヌ語やアイヌ文化の将来を決めるのはアイヌ民族自身であるべきだ」と主張された。

 一方で奥田氏は、研究者たちが言語学的に分析したものが、そのままアイヌ語の将来を拘束するものではないとも述べた。このことは「言葉は生きている」ということを意味したのだろうか? つまりアイヌ民族自身が納得した場合は、 言葉の意味が変わったり、変化したりすることもあり得るということを述べられたものと理解したい。

 いずれにしても、今後はアイヌ語やアイヌ文化がこれまで以上に国民の中に広まっていくことが考えられる。そうしたとき、その意味や意義についてアイヌ民族の意思を尊重しながら、研究者の意見も十分聴取したうえで、正しい意味や意義を国民一般に広めてほしいと願いたいものである。


札幌の下水道事業を観る

2019-06-24 20:02:32 | 「めだかの学校」関連

 タイトルはいささか大げさだが、「札幌市下水道科学館」を見学して、札幌市の下水道の実状に多少は触れることができたかな?と思えた「大人の社会見学」だった。

           

      ※ 「札幌市下水道科学館」の外観です。受講者たちは見学先の「水再生プラザ」に向かっています。

 本日(6月24日)午後、私が学ぶ「めだかの学校」のもう一つの野外講座「大人の社会見学」で札幌市北区の「創成川水再生プラザ」に併設された「札幌市下水道科学館」を訪れた。下水道科学館は、札幌市の下水道事業について市民に広く広報し、啓蒙するための施設である。特に小学生をはじめとして学校の児童・生徒の見学箇所として機能しているようだ。

          

     ※ カラー版のマンホールは、札幌市内にはここともう一か所の2か所しかないそうです。もう一か所はどこ?

 下水道は、道路や上水道と共に社会の重要なインフラである。特に下水道は発達した文明社会にとっては不可欠な大切なインフラの一つと云えるかもしれない。その下水道普及率が札幌市の場合99.7%とお聞きして、その普及率の高さに改めて驚くとともに、ある種の誇りさえも覚えた。          

 見学はまず、下水道事業をPRするDVDを視聴した。内容は小学生にも理解できるように作成された易しい内容で、私にもよく理解できた(??)。

 続いて、科学館々長直々の案内で「創成川水再生プラザ」内を見学して回り、市内の家庭、工場などからの排水を浄化するシステムを実際に見て回った。この工程についてはこれまでも何度か見学したことがあり格別新しい発見はなかった。

          

       ※ 「創成川水再生プラザ」の建物ですが、この地下に下水道の水を再生するシステムが埋まっていました。

          

          ※ 館長(黄色のベストの方)直々の案内で水再生プラザ内を見て回りました。

          

          ※ なにやら大型の機械がびっしりと占めています。おそらくモーター類だと思われます。

 それより私が感心したことがあった。それは見学に際して、一人一人にトランシーバーのようなものが手渡されたことだ。それは案内者(ガイド)が発する案内をそれぞれが耳元で聴くことができるシステムだった。理由の一つは再生プラザ内が機械音などで案内が聴きづらいということがあるからだ、と説明された。こうした見学の場合、ガイドの傍でなければ聴き取れないことが多いのだが、このシステムだとそうしたストレスから解放される。多くのところで採用してほしい方法である。

          

          ※ この端末からガイドの声を聞くことができ、非常にクリアな案内を聴くことができました。

 最後は科学館の2階で、さまざまな機器を使って下水道の仕事を体験するコーナーであるが、小学生たちに興味をもってもらう施設として、子どもたちにはきっと人気の施設なのだろうと思われた。

          

          ※ 科学館2階にあった体験コーナーです。

 札幌市内全域に整備された下水道であるが、問題は今後であろう。下水道管をはじめ施設の老朽化に伴う維持・更新の費用が今後は膨らんでくると予想される。下水道ばかりでなく、各種インフラにおいても人口減少傾向が続く我が国においては大きな問題となってくるであろう。いただいた資料によると、いわゆる下水道事業の運転予算(収益的収入・支出)において収入の部では下水道使用料によって賄われている収入は全体の40%である。残りは税などによる負担である。また、施設設備の事業にかかる費用はまるまる税の持ち出しとなっている。この辺りが今後どう推移していくのか、大いに気になる問題である。

          

          ※ 科学館の地下4階にある雨水貯留管です。口径が5mとか?窓越しの撮影でした。

             雨水が少し溜まっていますね。そのため直接に観ることは叶いませんでした。


ワンコインランチ紀行 62 ラーメン薫(くん)薫(くん)

2019-06-23 16:48:20 | ワンコインランチ紀行 

 ランパスメニューの「アルプスのパワーラーメン」は、そのネーミングにからちょっとは期待したのだが、やや名前負けでは?との印象をまぬかれない感じだった。私には少々塩辛い印象が残った…。 

          

          ※ 「ラーメン薫薫」の外観です。カウンター席10席の小さなラーメン店です。

 この日は午後から講座を受講するために、早い時間から開店し、なおかつ講座会場から近いところという制限の中で、狸小路の一角に開店している「ラーメン薫薫」を選んだ。

狸小路とはいっても8丁目だから狸小路の西はずれにあった。店は外観も内装も、いかにもラーメン店といった感じの店だった。平日の昼時だったが、先客は一人だけとちょっと寂しい感じだった。

          

          ※ いかにもラーメン店といった「ラーメン薫薫」の店内です。

 この店のランパスメニューはリード文でも紹介したように「アルプスのパワーラーメン」(通常価格700円)という塩ラーメンだった。ネーミングの由来はスープに「ドイツの岩塩」を使用しているということのようだ。

          

          ※ メニューには一応、醤油、味噌もありますが、あくまで塩ラーメンがメインのようです。

 ラーメンが出てくる前に店主が「サービスです」と言ってゆで卵一個が提供された。店内の掲示をみてみると、全ての客へのサービスのようだった。

          

          ※ 見たところあっさり系に見えるのですが、私にはやや塩辛かったぁ…。

 やがて「アルプスのパワーラーメン」が出てきた。外見は普通の塩ラーメンと何ら変わりなく、トッピングにはチャーシュー、シナチク、ゆで卵、ナルト、麩、長ネギ、海苔というようにどこでも見られる塩ラーメンだった。スープを一口含んでみると、「ん?やや塩辛いな」という印象だった。麺は特に印象に残らなかった。ネーミングからどこか印象に残るラーメンなのではという期待があったが、残念ながら私には特に印象に残るものではなかった…。

【ラーメン薫薫 データー】 

札幌市中央区南3条西8丁目 遠藤ビル1F

電  話  011-219-8186

営業時間  ランチ  11:00~15:00

      ディナー 19:00~24:30

      (ランチパスポート可能時間11:30~14:00)

定休日   日曜日 

座席数   10席(カウンター席)

駐車場   無

入店日  ‘19/06/18

 


コンサドーレ 雨中の対戦で快勝!

2019-06-22 20:03:20 | スポーツ & スポーツ観戦

 間断なく降り続く雨の中での観戦は大変だった。合羽の中に雨が浸み込んでくるし、体は冷え切って寒くなってくるは…。それでもコンサドーレは3対1と快勝したので、気持ちよく帰路に就くことができた。

           

       ※ 雨の中でも熱烈サポーターたちは元気です。対戦中ずーっと声を張り上げ、飛び跳ねていました。

 今日の札幌は朝から雷鳴が響き渡り、それに雨も伴っていたので「あゝ、これではサッカー観戦は無理だな…」、「TV中継もあることだし、観戦は止めよう」と思っていた。

 ところが昼近くになると、雨は小降りになり、さらには傘を差さないで歩く人も見え始めたことから、やはり観戦しようと決め、一応雨具を用意して厚別競技場に向かった。

          

          ※ 試合前、雨具を羽織りピッチ練習を見るサポーターです。私の雨具は右側二人のものと同じです。

 厚別は雨だった…。駅を出るところから、コンササポ用の赤いポンチョ型の雨具(10数年前に購入したものだ)を羽織り、傘もさして競技場に向かった。

          

      ※ メインスタンドはご覧のようにかなり空席が目立ちました。バックスタンドは埋まっていました。        

 座席はバックスタンド側に陣取った。バックスタンド側、そして熱烈サポーター席は埋まっていたが、メインスタンド側はかなり空席が目立った。雨の中でも熱心にスタジアムに駆けつけるのは、比較的料金の安い席の熱心なサポーターで、高い席を購入するような人は今日のようなコンディションの場合は観戦を控えるということなのだろうか?

          

          ※ 試合前のトレーニングをするチャナテップ選手です。

          

          ※ 同じく鈴木武蔵選手です。

          

          ※ 同じくGKのク・ソンユン選手です。

 雨が降り続く中、午後2時キックオフの笛が吹かれた。

 コンサの先発メンバーは、南米選手権に派遣されている菅、怪我で長期離脱の主将・宮澤、それと福森が外れていたのは累積警告のためか?その他ではロペスがベンチスタートだったが他は現時点でのベストメンバーといえる陣容だった。

 試合開始後は両チーム一進一退の攻防が続いた。そうした中、コンサは二つのCKを見事に生かした。19分に石川が左足で、31分にはジェイが頭で、それぞれフェルナンデスのCKに合わせて得点した。福森の代役としてコーナーキッカーを務めたフェルナンデスのキックの質が高いということか?前半は2対0で折り返した。雨はいっこうに止む気配を見せなかった。

          

       ※ だんまくが気になり写しました。「そうここは我らの厚別見せろお前の情熱」と書かれてあります。

 依然として雨が降り続く中後半に入ったが、目には見えなかったが芝の中に雨が溜まりピッチはかなりスリッピーとなっていたようだ。選手が足を取られて転倒する場面も出てきた。傑作だったのは、フェルナンデスがスローインをしようとしたときボールが滑って後ろへボールが転がってしまった場面だった。

 後半に入ったが、雨のコンディションもあったのだろうか?両チームともにペースが上がらない。このまま2対0で終わってほしいと思い始めた後半25分、長いクロスのこぼれ球に反応した鳥栖・金崎にゴールを決められてしまった。いや~な予感が漂った。サッカーで2対0という点差は、時にはひっくり返されてしまうケースがけっこうあるという。楽勝ムードがにわかに緊張を帯びたものに変わってきた。

 そうした雰囲気の中、私イチオシの鈴木武蔵がやってくれた!後半39分、チャナテップからのパスに反応して、ゴール前で切り返しを入れ、左足を一閃、見事にゴールを決めてくれた!愚直にグランドを走り回る武蔵にサッカーの神様がプレゼントをしてくれたようにも思った。札幌のそれまでの2点はいずれもコーナーキックからの得点だったが、流れの中からの得点シーンを見ることができて良かった。(セットプレーから2点も得点できたことは札幌のストロングポイントとしてこれからも武器になるが…)

          

          ※ 試合中の唯一の写真です。鈴木選手を祝福するコンサの選手たちです。

 この得点で試合は「決まり!」の感があった。札幌は疲れが見えた選手を次々交代させ、目論見通り逃げ切り、快勝という結果を我々サポーターにプレゼントしてくれた。雨中の対戦で、観戦する方は大変だったが快勝という結果に体は濡れていても、心は満足して帰路に就いた。

 

 エピソードを二つほど…。大谷地駅から競技場に向かうときだった。信号待ちしているとタイ人と思われるグループに出合った。普段話しかけることなどしない私がなぜか「どこから来たのか?」と話しかけた。「タイ」からだと言う。「オー、チャナテップ」と声をかけると、嬉しそうに「イエス、チャナテップ」と応えてくれた。それの様子を見ていたグループの中の若い子が、私が英語を話せると見たようだ。私の赤いポンチョ型の雨具を見て「それはどこで買ったのか?」と聞いてきた。前述したように10数年前に買ったことをどう説明すれば良いのか、私の拙い会話力ではどうにもならなかった。それでも「たぶんスタジアムへ行けば買えると思う」となんとか取り繕うことができた。

 競技場のバックスタンドに座ったときだ。私から一人置いた席に二人組の明らかにタイ語で会話する若者がいた。雨の用意などできなかったのだろう。半袖のTシャツ姿で、頭に買い物袋をかぶって観戦していた。相当に寒かっただろうに…。

 というように、チャナテップ人気もあってタイ人が相当数コンサの試合に駆けつけてきているようだ。どうせならドームでの試合を観戦予定に組めばよいものを、と思うのだが余計なお世話か?


幽玄なる世界~東山魁夷展

2019-06-21 15:35:40 | イベント

 壮大なる幽玄の世界だった。東山魁夷が描く唐招提寺の障壁画は何枚もの襖絵が連なる壮大なスケールで描かれたものだった。美術に疎い私であるが、その幽玄に満ちた壮大な障壁画には圧倒される思いだった…。

           

  ※ 会場入り口の展覧会名が掲示されていて、唯一撮影が許されるものです。他の写真はウェブ上から拝借しました。

 何度も同じセリフを呟くが、美術に疎い私にとっては私の住まいの近くにある美術館(北海道立近代美術館)は近くて遠い存在である。その美術館で現在「東山魁夷」の展覧会が開催されている。美術に疎い私でも東山魁夷の群青と緑青に彩られた独特の世界観を表す作品は覚えていた。特に画の中に白い馬を配した「緑響く」という作品は私でもよく知っている。

             

            ※ 東山魁夷の代表作の一つ「緑響く」です。作品は会場に展示されています。

 「東山魁夷の世界に浸るのも悪くないなぁ…」と思い、昨日(6月20日)「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」が開催されている近代美術館に足を運んだ。

 唐招提寺はご存知のように中国・唐から渡日した高僧・鑑真が建立し、晩年を過ごした寺院ある。その唐招提寺内にあり、鑑真和上座像が安置されている「御影堂」は、もとは興福寺の子院だったが、その後幾多の変遷を経て1964年に唐招提寺に移築されたそうだ。

 その際、実際の経緯については調べ切れていないが御影堂の障壁画やふすま絵を描くことが東山魁夷に依頼されたということのようだ。魁夷はそれから10年の歳月をかけて全68面の膨大な障壁画やふすま絵を完成させたということだ。

          

          ※ 障壁画の一つ「濤声」です。

 会場内は御影堂内部を模したように畳が敷き詰められ、まるで一つの部屋のような造りの中に襖(ふすま)が何枚も立てられたスケールの大きな絵が並べられていた。障壁画は全部で6作(全68面)であるが、うち2作は東山魁夷の世界ともいうべく群青と緑青に彩られたものであるが、残り4作は水墨画であった。会場内の解説によると、群青と緑青に彩られた2作は日本海を表したものであるのに対して、残り4作は鑑真の故郷の中国の風景を描いたもので、依頼があった当初から魁夷は中国の風景は水墨画で描くと決意していたという。

 魁夷の青の世界はもちろん素晴らしいが、水墨画の世界も深淵なる世界を表していて惹きこまれる思いだった。

          

          ※ 作品は「桂林月宵」です。障壁画としてはこのような水墨画が多かったです。

 私にとって大きな発見は、「御影堂障壁画への道程」というコーナーだった。魁夷はスケールの大きい障壁画を描くために、実に7つの過程を経てようやく完成させるという大変根気強い制作過程を踏んでいたことを知った。私のメモによるとそれは、①スケッチから始まり、②小下図、③中下図、④割出図、⑤大下図、⑥1/5サイズの試作、⑦本制作という過程を経て完成させたことを知って、人々を感動させる画が完成するまでには制作者の膨大なエネルギーが注がれていること知った。その制作過程の作品も見ることができるのが本展覧会の見どころの一つでもあると思われた。

 ともかく美術に疎い私が画を見て感動するなどという体験はいつ以来だったろうか?と思い出せないくらいだが、本展覧会は久々に興奮し、感動できた展覧会だった。

 

 展覧会を観賞中に思わぬ出会いがあった。私が解説を読んでいるときだったと思う。「あの~○○(私の名)先生ですね?」と男性から声をかけられた。「私は○○です」という。そう言われて件の男性を見ると、私が2001年から2004年にかけて網走市の某小学校に校長として勤務していた時のPTAの方だった。およそ20年前に出合った方から声をかけていただいたのだ。よく憶えていてくれたものだ。展覧会の会場内だったため、多くの話はできなかったが、声をかけていただいたことには感激した。もし反対の立場だったら、私は彼に気づくことはなかったと思う。感激した私は帰宅してから件の学校のHPを何度も見返し、当時に思いを馳せたのだった。

 

 購入手続が完了いたしました。

  昨日は待っても待っても繋がらなかった東京オリンピックのチケット購入手続きでしたが、本日ブログ投稿後にトライしてみたところ、簡単に購入手続きが終えることができ、見出しのようなメッセージが届きました。

 入場者の再確認の後、紙チケットにするのか、モバイルチケットにするのか、ホームプリントにするのか、問われたので「ホームプリント」を選択、その後VISAカード支払いか、コンビニ支払いかを問われたのでVISAカード決済を選択して、すべて終了でした。それぞれの選択理由は、選んだ項目が手数料等が発生しないためです。(紙製のチケットを請求すると、それだけで1,000円以上請求されるそうです)

 後は来年5月以降にホームプリントが可能となるまで待つだけということになりました。これでまずはホッと一息です。