定評のある札幌西区オーケストラが定期演奏会でチャイコフスキーの遺作となった「悲愴」に挑んだ。指揮者の熊倉亮太氏に率いられた87名の大演奏陣は難曲「悲愴」を見事に演奏し切り、聴衆から喝采を浴びました。
一昨日(4月26日)夜、札幌コンサートホールKitaraにおいて「札幌西区オーケストラ 第37回演奏会」があり、友人たちと一緒に鑑賞しました。
一昨日(4月26日)夜、札幌コンサートホールKitaraにおいて「札幌西区オーケストラ 第37回演奏会」があり、友人たちと一緒に鑑賞しました。

※ プログラムの写真はもちろんチャイコフスキーの横顔です。
西区オーケストラについては、道内のアマチュアオーケストラとしては北海道交響楽団と双璧をなすオーケストラだと私は思っています。(但し、札幌市以外のオーケストラについてよく承知していないのですが…)
過去に何度も西区オーケストラの定期演奏会、ファミリーコンサートを聴かせてもらっていますが、北海道交響楽団に優るとも劣らない実力を有するオーケストラだと思います。
この夜、演奏された曲目は次のとおりでした。
◇シベリウス/交響詩「春の歌」作品16
◇ニールセン/アラジン組曲 作品34
1.祝祭行進曲
2.アラジンの夢と朝霧の踊り
3.ヒンズーの踊り
4.中国の踊り
5.イスパハンの市場
6.囚人の踊り
7.黒人の踊り
《 休 憩 》
◇チャイコフスキー/交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴」
第1楽章 Adagio-Allegro non troppo
第2楽章 Allegro con grazia
第3楽章 Allegro molto vivace
第4楽章 Adagio Iamentoso
〈アンコール〉◇チャイコフスキー/エフゲニー・オネーギン(ワルツ)
いずれの曲の演奏も私の耳にはとても心地良く入ってきました。
シベリウスの「春の歌」は、北国フィンランドの長い冬を越えて迎えた春の喜びを感じさせてくれる雰囲気を感じさせてくれる一曲でした。
また、ニールセンの「アラジン組曲」は、いかにもアラビアの世界を彷彿とさせるメロディーが耳をくすぐると共に、7つに分かれた組曲それぞれの違いを感じ取ることができるような演奏でした。特に5番目の「イスファンの市場」の場面では、オーケストラを4つのグループに分け、それぞれ全く別の音楽を演奏するという変わった奏法が目新しく思いました。
西区オーケストラについては、道内のアマチュアオーケストラとしては北海道交響楽団と双璧をなすオーケストラだと私は思っています。(但し、札幌市以外のオーケストラについてよく承知していないのですが…)
過去に何度も西区オーケストラの定期演奏会、ファミリーコンサートを聴かせてもらっていますが、北海道交響楽団に優るとも劣らない実力を有するオーケストラだと思います。
この夜、演奏された曲目は次のとおりでした。
◇シベリウス/交響詩「春の歌」作品16
◇ニールセン/アラジン組曲 作品34
1.祝祭行進曲
2.アラジンの夢と朝霧の踊り
3.ヒンズーの踊り
4.中国の踊り
5.イスパハンの市場
6.囚人の踊り
7.黒人の踊り
《 休 憩 》
◇チャイコフスキー/交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴」
第1楽章 Adagio-Allegro non troppo
第2楽章 Allegro con grazia
第3楽章 Allegro molto vivace
第4楽章 Adagio Iamentoso
〈アンコール〉◇チャイコフスキー/エフゲニー・オネーギン(ワルツ)
いずれの曲の演奏も私の耳にはとても心地良く入ってきました。
シベリウスの「春の歌」は、北国フィンランドの長い冬を越えて迎えた春の喜びを感じさせてくれる雰囲気を感じさせてくれる一曲でした。
また、ニールセンの「アラジン組曲」は、いかにもアラビアの世界を彷彿とさせるメロディーが耳をくすぐると共に、7つに分かれた組曲それぞれの違いを感じ取ることができるような演奏でした。特に5番目の「イスファンの市場」の場面では、オーケストラを4つのグループに分け、それぞれ全く別の音楽を演奏するという変わった奏法が目新しく思いました。

※ 写真は今回のものではなく、過去の演奏会時のものをネット上から拝借しました。
何と云ってもこの夜の真骨頂はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」です。本人にその意志はなかったものの、曲が完成して初演してからわずか9日後にチャイコフスキーは帰らぬ人となってしまい、結果としてチャイコフスキーの遺作の曲となったとプログラムの解説で紹介されていました。その交響曲に「悲愴」という題が付されたことに、何か運命的なものを感じます。
演奏は時に重低音が響く重々しい展開の場面、時に激しく情熱的な場面、等々抑揚に満ちた演奏が続きました。
配布されたプログラムの解説は各楽章の演奏の特徴を良く捉えられた解説であったために、それを追いながら聴いたのですが、演奏を理解するうえでとても役立ちました。
曲全体は前述したように、チャイコフスキーの感情の起伏を表現しながら展開したのですが、曲の最後は全体が消え入るようにして曲が終わりました。そして会場は一瞬の静寂の後、盛大な拍手に包まれました。
マイクを手にした指揮者の熊倉氏は「難しい挑戦だった」と述懐しましたが、私には素晴らしい演奏だったと感じました。
どなたかが、今回の演奏会に参加した後に、すぐにブログで発信されているのを目にしました。それによると…
たぶんオケの皆さんの多くが
仕事や家事をこなしながら
その合間に練習をしているわけで、
それって大変なことよね〜。
きっと
好き!とか
楽しい!とか
情熱みたいなものがなければ、
ああいう演奏をできるように
ならないんじゃないかな。
(めっちゃ難しそうな曲でした)
ステージにいる人達が
すごく輝いて見えたし、
単純にすごいな!と思いました。
という、とても素直な感想がありましたが、私もまったく同感です。
札幌西区オーケストラの皆さんの益々のご活躍を祈念いたします!
何と云ってもこの夜の真骨頂はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」です。本人にその意志はなかったものの、曲が完成して初演してからわずか9日後にチャイコフスキーは帰らぬ人となってしまい、結果としてチャイコフスキーの遺作の曲となったとプログラムの解説で紹介されていました。その交響曲に「悲愴」という題が付されたことに、何か運命的なものを感じます。
演奏は時に重低音が響く重々しい展開の場面、時に激しく情熱的な場面、等々抑揚に満ちた演奏が続きました。
配布されたプログラムの解説は各楽章の演奏の特徴を良く捉えられた解説であったために、それを追いながら聴いたのですが、演奏を理解するうえでとても役立ちました。
曲全体は前述したように、チャイコフスキーの感情の起伏を表現しながら展開したのですが、曲の最後は全体が消え入るようにして曲が終わりました。そして会場は一瞬の静寂の後、盛大な拍手に包まれました。
マイクを手にした指揮者の熊倉氏は「難しい挑戦だった」と述懐しましたが、私には素晴らしい演奏だったと感じました。
どなたかが、今回の演奏会に参加した後に、すぐにブログで発信されているのを目にしました。それによると…
たぶんオケの皆さんの多くが
仕事や家事をこなしながら
その合間に練習をしているわけで、
それって大変なことよね〜。
きっと
好き!とか
楽しい!とか
情熱みたいなものがなければ、
ああいう演奏をできるように
ならないんじゃないかな。
(めっちゃ難しそうな曲でした)
ステージにいる人達が
すごく輝いて見えたし、
単純にすごいな!と思いました。
という、とても素直な感想がありましたが、私もまったく同感です。
札幌西区オーケストラの皆さんの益々のご活躍を祈念いたします!