田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も12年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道低山紀行 92 北広山

2019-07-16 18:59:53 | 北海道低山紀行 & Other

 意外にあっさりと山頂に達した感があったが、山頂からは樽前山、紋別岳、イャンコッペ山などが望め、それなりの達成感を味わわせてくれた山だった。

          

          ※ 「北広山」の山頂標識です。ガイドブックではここにベンチがあることになっていましたが…。

 このところ山へ向かおうとする意欲が持続している。ということで、近郊では未踏だった「北広山」を目ざした。我が家から車で50分、25キロ走り北広山の登山口に着いた。登山口は国道36号線の北広島大曲から道々790号線に入り、約6キロまっすぐ走り舗装道路から砂利道に変わりさらに2キロほど走り、2番目のゲートのところが登山口だった。登山口のところにはけっこう広い駐車スペースがあった。

          

          ※ 登山口の近くにあった駐車スペースです。かなりに車が駐車できそうです。

          

          ※ 登山口の標識ですが、この右側には「熊に注意!」の表示がたくさんありました。

 午前7時、準備を整え出発した。登山道は最初平坦な道を沢に沿って進む。ところどころで沢に注ぐ小さな流れが何か所かあった。特に問題はなかったが融雪期などはけっこうな流れになるのかな?と思われた。そうして歩いているとき、ズドーンというお腹に響くような音が聞こえた。考えてみると、近くに自衛隊の島松演習場があり、そこでの射撃訓練の音が伝わってきたようだった。

          

          ※ 初めは右側の沢の流れを横に見ながら、緩やかな登りです。

 やがて沢と別れ、やや本格的な登りとなる。といってもそれほど厳しい登りではない。コースはしっかりと整備されているが、両脇のクマザサが覆いかぶさるようなところがあり、ちょっと不気味な思いを抱きながら登り続けた。やがて平坦なところに出た。あたりはダケカンバが目立つ。すると一本の木に「白樺平」と書かれた表示が目に入った。ここまで30分を要した。まだまだ疲れを感じるところではなかったが、林の中の湿度が高かったため、背中には汗が滲んでいた。

          

          ※ 沢と別れて本格的な登りが始まりました。

          

          ※ 唯一目にした山野草です。クルマバソウかな?

          

          ※ 写真のようにササが覆いかぶさっているところはちょっと不気味でした。

          

          ※ 「白樺平」の標識です。

 「白樺平」を過ぎると、またそれなりの登りが待っていた。「さあ、これからが本格的な登りかな?」と思いながら登り続けた。やがて林が消えて空が見え始め、「これからは眺望の効いた中を登るのだな」と思って、気合を入れ直したところ登山路脇に「北広山 487.8m」という看板が見えた。さらにその先にも「北広山」と書かれた茶色い標柱があった。どうやらこの地点が北広山の山頂らしい、と気づいた私だった。白樺平からはわずか15分しかかかっていなかった。なんだかあっけない登頂だった。

          

          ※ 「白樺平」を過ぎると少し本格的な登りが続きました。

          

          ※ 木が無くなり視界が広がるかな?と思われたところにご覧のような山頂標識がありました。

 山頂を過ぎると、そこには「防衛省用地 立入禁止」と書かれた看板が立てられ、近くにはレーダサイトの建物が見えた。

          

          ※ 「防衛庁用地 立入禁止」と標識が立っていました。

          

          ※ 自衛隊のレーダサイトのようです。

 空は雲に覆われていたが、けっこう眺望が効き遠くには樽前山、紋別岳、イチャンコッペ山などが遠望でき、眼下には清田地区の市街地も望むことができた。

          

 ※ ピントが甘くなりましたが、左手奥に見えるのが樽前山、中央のピークが紋別岳、右側のピークがイチャンコッペ山のようです。

 このところ6/28、7/3、7/7、7/12、そして今日7/16と、登頂、未登頂は別にして低い山を主としてコンスタントに山を目指している。近年の私にしては珍しいことだ。このことは万全とは言えないながらも、体調が良い証拠なのだと思う。無理せずに目標とする100登頂を目指したい。

【北広山 登山データ】
標 高  487.8m (標高差 202m)

駐車場  第2ゲートの手前に10台近く停まれる駐車スペースがある。
行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
     登山口→(30分)→白樺平→(15分)→北広山々頂→(10分)→白樺平→(20分)→登山口

時 間  上り(45分)  下り(30分)  

天 候  曇り、弱風

登山日  ‘19/07/16

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SAPPORO CITY JAZZ 2019 PARK JAZZ LIVE

2019-07-15 20:45:06 | ステージ & エンターテイメント

 13、14日の二日間、私はSTVホールに入り浸った。トリオあり、ソロあり、そしてビックバンドありと、札幌内外で活動するミュージシャンたちが思い思いに演奏する音を二日間にわたって楽しんだ!

                   

 PMFと並んで今や札幌の夏の風物詩となった感のある「サッポロシティジャズ 2019が7月7日から8月25日の間で開催されている。(冬にもあるようだが)その中でも私が毎年楽しみにしているのは「パークジャズライブ」である。

 「パークジャズライブ」はHPによると全国から1,500名、300組のミュージシャンが二日間にわたって札幌市内13ヵ所に分かれてライブを繰り広げるイベントである。私は昨年から、それまでと違ってホールで楽しむことにした。その理由はホールの場合比較的ビックバンドの会場に割り当てられることが多いと気づいたからだ。昨年は札幌市教育文化会館で楽しんだ。しかし今年、同館は会場となっていなかった。そこで今年はそれに代わったのであろう「STVホール」で楽しむことにした。

          

     ※ 7/13の2番手で登場した「Flavor」のウィンドシンセサイザーがとてもドライブ感のある演奏をしてくれた。

 7月13日(土)、この日のライブ開始時間の11時35分STVホールに赴いた。最初に登場したのは女性のボーカルを中心としたロックバンド「BLUE 2nd」だった。各バンドの持ち時間は30分、大体のバンドがおよそ4曲程度を演奏して、次々と登場した。ところがこの日は、私が期待するビックバンドはいっこうに登場せず、3~6人程度のバンドがほとんどだった。音楽的にもジャズというよりはロック系が多かった。

          

          ※ 8番目に登場した「トンキッシュ」のリードギターの技量が素晴らしかった!

 唯一のビックバンドは7番目に登場した「SP JSビックバンド」という16人のバンドでようやくジャズ系の音を聴かせてくれるバンドだった。

 結局、この日STVホールでは14のバンドが出演したが、私は11のバンドの演奏が終わったところで帰宅した。

 翌7月14日(日)、再び私はSTVホールに出陣(?)した。この日STVホールでは11時より16団体が出演予定だった。バンド名を見るとJazz Orchestraとか、ジャズバンド部という名が並び、期待を抱かせてくれた。その期待どおりこの日のSTVホールはジャズバンドのオンパレードだった。大人のバンドあり、若者のバンドありで、さまざまなジャズの名曲を聴かせてくれ、大いに楽しませてくれた。その中でも私の耳に出色と思えたのは「室蘭市立翔陽中学校ジャズバンド部」だった。編成は18人だったが、一人一人の確かな技量に裏打ちされた自信に満ちた演奏が見事だった。翔陽中ジャズバンド部は、旧鶴ケ崎中ジャズバンド部が母体で、そのころから「室蘭に鶴ケ崎中ジャズバンドあり」と有名だったが、彼らはその伝統をしっかりと受け継いでいるようである。

          

          ※ 抜群の技量を発揮した室蘭市立翔陽中ジャズバンド部です。

          

          ※ 各パートがソロで演奏する場面が多くあったが、誰もが確かな技量を発揮していた。

 さらには、翔陽中ジャズバンド部のOB、OGで編成された「Muroran₋Flaps Jazz Orchestra」の演奏も見事だった。彼らは全員が高校生年代と見たが、中学校時代に培った技術を生かした演奏が素晴らしかった。

          

          ※ 翔陽中ジャズバンド部のOB,OGで構成したMuroran-Flaps Jazz Orchestraの演奏です。

 その他に登場したビックバンドもそれぞれが特色を出した演奏を披露してくれ大いに楽しませてくれた。

          

          ※ 大人の演奏を披露してくれたWorld Mercy Jazz Orchestraです。

 結局、私は二日間で22のグループの演奏を聴かせてもらった。仕事や学業の合間を縫い、一生懸命に取り組んだ成果を市民に無料で提供してくれるこのような機会は私にとっていつも楽しみに待っているイベンドである。これからも「パークジャズライブ」を楽しませてもらいたいと思っている。

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北大全学企画公開講座№4 認知科学とスポーツ

2019-07-14 18:51:32 | 大学公開講座

 スポーツの世界で経験的に感じていたことやメンタル面のことなどについて、認知科学の面からそうした現象について実験を交えながら解き明かしてくれるという興味深い講義だった。 

 北大の全学企画公開講座「いま感じる、生かす、スポーツの力」の第4回目が7月11日(木)夜開講された。第4回目は観(み)る、視(み)られる、省(かえり)みる:認知科学から覧(み)るスポーツ」と題して、北大教育科学研究院の阿部匡樹准教授が講師を務めた。

          

          ※ 講義をされる阿部匡樹准教授です。

 阿部氏はタイトルどおりに、①他者を「観る」②他者に「視られる」③自己を「省みる」の構成で講義された。

 ①の他者を「観る」ということに関しては、他者の運動を観察する際に、私たちは同じ運動を脳内でシュミレーションし、それを重ね合わせることでその運動を理解しようとしているとのことだ。そのことをミラーシステムと称しているそうだ。脳内でシュミレーションするには、私たちはその前に獲得したその運動のプログラムがあって初めてシュミレーションが可能になるとも言われた。

          

※ この図は、阿部氏が私たちに対して行われた実験の一つであるが、少し長くなるが説明すると・・・。阿部氏は「画面に出た絵と同じ手をできるだけ早く挙げほしい」と指示され、最初に右側の図を見せられた。全員素早く同じ方の手(右手)を挙げた。そのうえで次に左側の図を見せられたところ、私たちはかなりの時間を要して手を挙げた。このことは人がミラーシステムを活用しようとするとき、できるだけ早く自身の身体とイメージを重ね合わせる時に留意すべき点の一つということが言えそうである。

 続いて②の他者に「視られる」に関しては、私たちは他者の視線に敏感であり、他者の視線が私たちの運動に影響を与えるということだ。このことは私も体験から理解できる分析である。試合本番で「アガル」という現象などはまさにこのことである。他者の視線によって注意の方向が変わったり、他者の存在によってパフォーマンスが変わったりすることはよくあることである。

 最後の③の自己を「省みる」である。私たちは自分の能力を過大評価する傾向があるそうだ。このことを認知科学の世界では「平均以上効果」と称するという。こうした傾向は、能力の低い人ほど強く、反対に能力の高い人は自身を過小評価する傾向があるという。このことを「ダニング=クルーガー効果」と呼ぶそうである。

 以上のようなことについて、私たちは経験的になんとなくそう感じていることも多いのではないだろうか?そうしたことを認知科学の世界では、さまざまな実験や、データの集積によって解明してきたという。

          

        ※ 年代別の「車の運転に自信があるか」を問うた時の割合である。想像以上の数字に驚いた。

 阿部氏が提示されたたくさんのデータの中で非常に興味深いものがあった。それは③に関することであるが、運転技術に関して「自分は車の運転に自信がある」と答えた割合が60歳から80歳にかけて年齢と共に「自信がある」と答えた割合が増加しているという結果が出たということだ。このことなどは、自己の能力の低下を顧みず、自己を過大評価している典型のような気がする。阿部氏が講義の最後に指摘された「自身の能力を適切に見積もることは、思っているほど容易ではない」ということを心に深く受け止めたいと思った今回の講義だった。

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映画 242 飛べ!ダコタ

2019-07-13 19:01:45 | 映画鑑賞・感想

 史実をもとにして制作された映画だそうである。太平洋戦争終結後5ヵ月、イギリス空軍の輸送機「ダコタ」が佐渡島に不時着した。その際の島民たちと飛行機の乗員との交流、そして不時着機を再び飛び立たせようと力を合わせる島民たちの姿を描いた感動的な映画である。 

※ 映画タイトルの前にナンバーリングを付けた。この数字は私が2007年に札幌に転居後に観た映画の通算の数である。「映画は最高のエンターテイメント」と考える私にとって、これからも有料・無料にかかわらずできるだけ映画を観ていこうと思っている。

                

 7月11日(木)午前、久しぶりに札幌市生涯学習センターの「ちえりあ映画会」に参加した。今回取り上げられた映画は、2013年に制作・公開された「飛べ!ダコタ」という映画だった。

 リード文で紹介したように、映画は実際にあった話題を題材として制作されたもので、タイに現存していた飛行機(ダコタ DC-3)を佐渡島に移送してロケを行ったそうである。

 映画は虚実(おそらく)織り交ぜて数々のエピソードが挿入されながら進行する。その底流にあるのは日本人の優しさ、佐渡島人の人の好さが流れていた。不時着した浜の村長が「困っている者を助けるのが佐渡の者(もん)だ」という言葉に日本人の良さを感ずる。何せあの大戦争での敗戦から5ヵ月しか経っていない時の言葉であるから、その心根を同じ日本人として誇らしく思う。

            

 映画は滑走路のない佐渡島で島民が力を合わせて浜に石を敷き詰めて500メートルもの滑走路を造り、再び飛び立たせた。

 主演は村長の娘役を演ずる比嘉愛未という沖縄出身の女優さんであるが、彼女の恋人(窪田正孝)は軍隊に行き足を失くしてしまう。その彼が「戦争中、足を失くして、もう戦争にはいかなくて済む、そんなことを悦ぶ時代にはもう戻りたくない…」というセリフには泣かされた。

 この映画は、声高には叫ばないものの戦争の悲惨さ、愚かさを静かに訴える映画でもあった…。

               

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北海道低山紀行 91 盤渓山〈夏〉

2019-07-12 16:52:45 | 北海道低山紀行 & Other

 小さな山だったが、雨模様ということもあり、かなり自分自身を急き立てた。さらには眺めの良いはずの山頂は厚い雲に覆われ眺望はゼロだったためか?帰宅した私は疲れと落胆から昼寝を決め込んだのだった…。

           

          ※ 盤渓山の山頂標識です。

 私には前回の朝里天狗岳と同様にリベンジしなければならない山が残っていた。それがこの「盤渓山〈夏〉」である。その経緯は次のとおりである。

 2016年の冬(2016/1/14)に私はスノーシューで盤渓山の登頂を果たしていた。続いて同年の夏に盤渓山に登ろうと山に向かった(2016/7/23)。冬に登ったのだから容易だろうと思ったのだが…。ところが周りの様相は一変していて盤渓山への取り付き口が一向に分からないのだ。登山口の周辺であちらこちらへと右往左往しながらも、とうとう取り付き口を発見できずに敗退したのだった。

 本日(7月12日)、天気は良くなかったがそれでも近景は眺めることが出来るだろうとリベンジ登山に出掛けた。

          

          ※ 盤渓市民の森の入り口にはこのような駐車帯があります。

           

          ※ 市民の森入り口からしばらくは車道を上ります。        

 8時20分、盤渓市民の森の入り口に車を停め登山を開始した。約350mの車道を上ると緩く右にカーブする地点に小さなゲート(丸太が2本)があり、そこから左の沢へ下りていく。すると、幅広く下草刈りをした道が現れた。私はすっかりそこが登山道だと思い込んだ。その下草刈りをした道を進んでいくのだが、いっこうに沢の方に下っていかないので「?」と思った。記憶では丸太のゲートのところからグングンと下って行くのに…。私は再び前回と同じ過ちを犯しているらしいことに気づき、ゲートのところまで戻ってみた。するとゲートから10mも離れていないところに左に折れる微かな踏み跡を見つけ出した。頭上を見るとピンクのテープも招いていた。「間違いない!」と確信して、微かな踏み跡を辿り沢へと下りて行った。

          

       ※ 車道をそのまま行くと「妙福寺」というお寺に至ります。登山道は左の丸太のゲートから入ります。

          

          ※ 丸太のゲートを通過すると写真のような刈り取りされた道があり、つい誘われてしまいます。

            しかし、登山道は手前の草むらから下の方へ下った行くのが正解でした。

 下りていく途中、この登山で唯一の山アジサイが見事な紫色の花を付けていた。後にも先にもこの時だけ目にした花だった。やがて小さな渡渉地点を渡った。冬の時も水は涸れていた確かに渡った渡渉地点だった。もう間違いはない!このまま踏み跡を辿ればいい!と確信した。

          

          ※ 緑一色の山中で唯一目に入った山アジサイの花です。

          

          ※ ピンクのテープが登山道であることを示しています。

          

          ※ おぼろげに覚えていた渡渉点に至り「間違いない!」と確信しました。

 渡渉地点まで下った登山道はそれから尾根に向けての急登に入った。休む間もない急登で一気に汗にまみれながら登り続けた。ようやく尾根に出て、けっこうな時間登り続けたと思ったが、時計で確認するとそれほどの時間ではなかった。

          

          ※ 渡渉点の後、尾根に向かっての急登が続きました。

 尾根に出てからは緩急を繰り返しながら高度を上げていく。特にポイントとなるところもなく、登り続けた。登りながら、他の登山道では見られない異変(?)に気づいた。それは、登山道のところどころに何やら同じような植物の欠片(?)が固まっておかれてあるのだ。いくら登って行ってもそれが目に入る。「何だろう?」と思い、たまらず手に取ってみた。するとそれはササの先にあたる生長点のところを抜き取ったものだと判明した。それが結局登山道の全体におかれていた。私にとっては初めて見る光景だった。いったいあれは何なんだろうか?山の事情に疎い私は次のように推察してみた。ササの生長点を抜き取ることによってササの生長が止まり、登山道がササに覆われてしまうのを防ごうとしているのではないか?ちょっとガセネタっぽいが、私にはそうとしか考えられないほど、登山道のいたるところにそうした光景が広がっていた。そして、私も真似してササの生長点を抜き取り、先においた固まりの上に置いて行ったのだった。

          

          ※ 尾根に至ると、こうした緩やかなところもありました。

          

          ※ 周りの木は樺の木や広葉樹が多かったようです。

          

          ※ このような草の固まりがいたるところで見られました。何だろう?

          

          ※ 手に取ってみると、ササの生長点のところでした。

          

          ※ 私も真似して生長点を抜き取り、こうした登山道上に置きました。

 登山道の方は相変わらず緩急を繰り返しながら高度を上げていた。ガイドブックでは最後の急登に汗をかく、と書かれていたので「ここが最後の急登?」と何度も騙されながら何度目かの急登の後、ようやく山頂に到達することが出来た。

          

          ※ この「火の用心」と書かれた石標は何でしょうか?水溜には小さいし???

          

          ※ 山頂近くの急登の一つです。

          

          ※ 山頂手前にケルンが積んでありました。

          

          ※ 私には珍しい自撮りの写真を掲載しました。

          

          ※ 山頂はご覧のように眺望はゼロでした。

 山頂は、朝自宅を出た時よりも雲が厚く覆っていて、眺望はゼロだった。私は冬に登ったときに眺めた見事な眺望を思い浮かべながら自分を慰めた。

 眺望の効かない山頂での長居は無用である。10分後には山頂を後にしていた。下山開始後まもなく、雨がぽつりぽつりと私の頬を叩いた。本格的な降りとなる前に下山を完了したいと先を急いだ。結局、最後までぽつりぽつり以上の降りにはならず、下山を完了した。標準のコースタイムでは1時間というコースを珍しく私は50分で完了した。標準タイムを上回るなんて珍しい。雨が私を追い立てたのだ。

          

          ※ 下山時には雨がポツリポツリと落ちてきました。雨に濡れた葉です。

 帰路、盤渓山の近くにある幌見峠のところにある札幌の新名所「ラベンター園」を覗いて帰宅した。

           

          

          

【盤渓山〈夏〉 登山データ】
標 高  604m (標高差 334m)

駐車場  盤渓市民の森の入り口に5~6台が駐車できるスペースがある。
行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
     市民の森入り口→(70分)→盤渓山山頂→(50分)

時 間  上り(1時間10分)  下り(50分)  

天 候  曇り、弱風

登山日  ‘19/07/12

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北大全学企画公開講座№3 膝関節のスポーツ障害

2019-07-11 15:21:19 | 大学公開講座

 スポーツ選手が膝関節に障害を抱えるという話はよく聞くが、スポーツ選手ばかりでなく一般人にとっても経年劣化による膝痛に悩む人は多い。(私もその一人)膝関節の障害の治療に取り組む講師のお話を聴いた。

           

          ※ 正常な膝の状態の左の方、に対して右の方は典型的な変形性膝関節症の方である。

 北大の全学企画公開講座「いま感じる、生かす、スポーツの力」の第3回目が7月8日(月)夜開講された。第3回目は「膝関節のスポーツ障害」と題して、北大医学研究院の近藤英司特任教授が講師を務めた。

          

          ※ 講義をされる近藤英司特任教授です。

 近藤教授は膝関節に関わる研究者であると同時に、整形外科医として臨床にも携わっている医師のようである。

 近藤氏はまず、膝関節の治療に関して、最近は鏡視下手術が非常に発達している現状を話された。そして、半月板損傷、関節軟骨損傷、前十字及び後十字靭帯損傷の鏡視下手術の様子を動画で見せていただいた。実際の手術の様子を臨場感いっぱいに映し出される様子を見ることが出来た。

 鏡視下手術が発達したことにより、痛みや入院期間が大きく減少し、患者の負担が小さくなった利点を強調された。実際に半月板損傷の患者が鏡視下手術の後、歩いて手術室を出ていく様子には驚かされた。(場合によっては、入院の必要もないという)

          

          ※ 写真左から正常な膝関節、中は変形性膝関節症の初期症状、右は重度の膝関節です。

 さて、私にとっての関心事は「変形性膝関節症」である。膝関節症は激しい運動の繰り返しによっても引き返されるとされるが、それよりはむしろ経年劣化、つまり老人に多い症状といわれている。「変形性膝関節症」の場合、重度の場合には人工関節への置換など鏡視下手術などではなく、膝関節を開いて置換する手術が必要な場合もある。しかし、軽度の場合には薬物療法(消炎鎮痛剤、骨そしょう症治療剤、ヒアルロン酸注射)や、理学療法(温熱、電気療法、筋力訓練、装具療法)があるという。私の場合は、現在筋力訓練を毎日心がけることで快方に向かっているようだ。

          

          ※ 変形性膝関節症は女性に多い病気だということです。

 ここでも人口関節への置換手術の様子が動画で紹介されたが、あまりにも生々しく素人にはなかなか正視するのが大変な様子が映し出された。

 お話が少し専門的過ぎて、私には理解できないところが多々あったが、医学の分野は日進月歩の世界である。スポーツ選手の障害ばかりでなく、私たち老人にとってはいろいろな部位が障害を抱えることが多くなってくるが、医学の進歩がそれをカバーしてくれているようだ。また、単なる障害を除去するだけではなく、障害を生じないようにケアする予防医学も発達してきている。そのことがスポーツ選手の活躍年数が長くなってきた一因のようである。          

 近藤特任教授が強調されたことがあった、それは市販のヒアルロン酸系の錠剤の効果は疑わしい。ヒアルロン酸は注射でなければ効かないということを2度おっしゃったことが印象的だった。

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映画音楽と共に名作を振り返る

2019-07-10 18:57:19 | 講演・講義・フォーラム等

 北海道に映画館ができて、映画の上映が始まって122年が経つという。その間の映画館の変遷、そこで上映された名作の数々を音楽と共に振り返る講座は、講座の構成も巧みであったために興味深く拝聴することができた。

     

 

 本日(7月10日)午後、「ほっかいどう学」かでる講座の第4回講座が開講され受講した。第4回目の講座は「映画音楽で甦る 映画館と名作の風景~北海道に映画館が上陸し122年~」と題して、シネマエッセイストのたかやまじゅん(本名:松本昇)が務めた。

          

          ※ 講演をされるたかやまじゅん氏です。

 たかやま氏によると、日本に映画が上陸したのは1896(明治29)年に神戸に日本最初の映画館が開館したそうだが、北海道では翌年の1897(明治30)年に函館において道内第一号の映画館が開館し、今年で122年目だそうだ。当時の函館がいかに文化的に進んでいたかをうかがわせるエピソードである。

 その後、映画は庶民の娯楽として歓迎され雨後の筍のように映画館が林立していき、最盛期(1960年代)には道内に604館が存在し、その数は東京に次いで第二位の映画館数だったそうだ。北海道の場合、炭坑における従業員たちの大切な娯楽施設であったことから館数も多かったという。

 しかし、テレビの出現が映画を娯楽の王座から追いやられることになり、1980年代には157館まで激減したということだ。

 その後の講義は、まず日本映画の名作について映画音楽とともに振り返るという構成だった。取り上げられた映画は①「喜びも悲しみも幾年月」、②「君の名は」、③「夜霧世今夜も有難う」、そして加山雄三の「若大将シリーズ」の④「エレキの若大将」で歌われた「君といつまでも」が流れた。さらには⑤「フーテンの寅さん」シリーズのテーマ音楽と共に寅さん映画を振り返った。

     

     

      

 たかやま氏は相当な映画マニアであり、映画グッズの収集マニアのようだ。そうした中からマニアック(かな?)な言葉を一つ披露してくれた。それは日本の映画製作の黎明期に活躍した映画監督の牧野省三が映画製作のモットーとしていた「1.スジ、2.ヌケ、3.ドウサ」の三大原則を掲げ、その3つを重要視したという。その意味は、スジはシナリオのこと、ヌケは撮影・現像の技術のこと、ドウサは俳優の演技のことを指したそうだ。 

 話は洋画に移っていった。洋画も日本映画同様に全体を振り返りながら、時代を代表する名作を音楽と共に取り上げてエピソードなどを披露してくれた。取り上げた映画は①「第三の男」、②「カサブランカ」、③「シェーン」、④「太陽がいっぱい」、⑤「ベン・ハー」、⑥「エデンの東」、⑦「風と共に去りぬ」と取り上げた。

     

     

     

     

 そのエピソードの中で、石原裕次郎の代表作の一つ「夜霧よ今夜も有難う」は、洋画の「カサブランカ」を日本版に翻案したものだったそうだ。私は初耳だったが、事情通にとっては有名な話のようだ。

     

 ※ 左が「夜霧よ今夜も有難う」、右が「カサブランカ」であるが、その配役、構図がそっくりである、とたかやま氏は指摘した。

 たかやま氏はこうした話をポスターや写真をふんだんに使い、音源もオリジナルのものを集められて、2時間が短く感ずるほど多くの映画を取り上げ、たくさんのエピソードも披露してくれた。

 私は映画青年ではなかったが、取り上げられた映画のほとんどは何らかの形で一度は観た記憶のある映画だった。それだけにとても懐かしく、映画の良き時代を回顧することが出来た楽しいひと時だった。

 

※ 掲載した写真は、たかやま氏の顔写真を除いて、講演中に映し出されたスライドを写させてもらったものです。

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「さっぽろの古を訪ねて Ⅱ」 ~ 札幌独立キリスト教会

2019-07-09 18:34:12 | 講演・講義・フォーラム等

 クラーク博士の教え子たちが苦難の末に創立したという札幌独立キリスト教会を訪ねた。案内していただいた大友浩主管者からはいろいろ興味深いお話を伺うことができ、さらにはクラーク像の原像となった石膏像との対面も叶った。

          

          ※ 大通西22丁目に建てられている第4代目の札幌独立キリスト教会の外観です。

 「めだかの学校」が企画運営する講座「さっぽろの古を訪ねて Ⅱ」の第4回講座を昨日8日(月)、札幌独立キリスト教会を会場に開催した。

 教会では現在教会を主宰(?)する大友浩主管者が対応してくれた。大友氏からは札幌独立キリスト教会の来歴について詳しく説明いただいた。それによると…、

          

          ※ 礼拝堂で大友主管者のお話を聴く受講者たちです。

 札幌独立キリスト教会は、その名が示すようにキリスト教のさまざまな宗派とは一線を画し、独立した存在の教会である。それはクラークの在札中に、彼の教え子である一期生(16名)、二期生(15名)はクラークが起草した「イエスを信ずる者の契約」に署名し、入信した。彼らは、クラークが帰国してからも熱心にキリスト教について学び、教えを守った。(確認はできていないが、クラークはプロテスタントだったと思われる)彼らはキリスト教(プロテスタント)の学びを深める中で、非常に多くの宗派が存在し、同じキリスト教徒でありながら分かれていることに疑問を抱き、そうした既存の教会とは一線を画して独立した教会を持ちたいとの思いから、さまざまな苦難を乗り越えて自前の会堂を入手したことから「独立」という名を冠したのだと思われる。

          

          ※ お話をされる大友浩主管者です。

 そうして1881(明治14)年10月、今の南2西6の地に「白官邸(しろかんてい)」と呼ばれる会堂を創設し、それまで別れ別れになっていた教え子たちが合流して礼拝を始めるようになったという。これらの若者たちのことは「札幌バンド」と呼称されていたともいう。さらには第2代目の教会となる「アカシアの教会」と呼ばれる教会を南3西6の地に建設している。

 さらに教会の建物に関しては第3代として1922(大正11)年に大通西7丁目に「クラーク記念会堂」と冠して建設しているが、その会堂は「蔦の教会」とも呼ばれたようである。現在の建物は第4代目で1963(昭和38)年、現在地である大通西22丁目に「クラーク・宮部記念会堂」として建設され、現在に至っている。

 その間のエピソードとして、最初の会堂を建てる時に当初は函館のメソジスト教会(プロテスタント系)が資金を提供してくれたそうだが、彼らが既存の宗派から“独立”すると知って、返金を要請されたためにその資金作りに相当に苦労したという裏話をうかがった。また、その際にはクラーク博士がアメリカから援助してくれたというお話もうかがった。

          

          ※ 礼拝堂前に設置されているクラークのブロンズ像(2013年設置)です。

 さらには、「札幌バンド」と先述したが、明治の初期、国内には「札幌バンド」、「横浜バンド」、「熊本バンド」と三つの源流があったそうだ。しかし、「熊本バンド」は長くは続かずに解散に追い込まれたという。(系譜は京都の同志社に受け継がれるが)それは熊本の地が歴史があり、古くからの因習にとらわれていた地のため多くの迫害を受けたことで長続きしなかったようだ。対して北海道・札幌はそうしたしがらみが薄く、クラークの思想や生まれ故郷のマサチューセッツの文化がそのまま持ち込めるような土地柄だったということがいえるのではないかと語られた。

 大友主管者のお話は静かな語り口であったが、多くの興味深いお話を伺うことができ、受講者も熱心にお話を聴いていたようだ。

 質疑応答に移り、私が「礼拝堂の前のクラークのブロンズ像の原像は存在するのでしょうか?」と問うたところ、「資料室に保存されています」と言って、その原像を拝見する機会を得た。そこでも一つのエピソードが披露された。原像は1926(大正15)年に田嶼磧郎(たじませきろう)が制作した白い石膏製だったのだが、長年の保存でホコリが付着したり、変色が目立ったりしたそうだ。そこで信者の一人に靴屋さんがいたそうだが、その方がなんと!黒い靴墨を塗ってしまったという。(Oh my God! あ~あ…)私たちは真っ黒に塗られたクラーク原像と対面ということになった…。

          

          ※ こちらは資料室に保存されていたクラーク像の原像(石膏製)黒いのが残念!

 「さっぽろの古を訪ねて」シリーズも4回を終え、残り2回となった。おかげさまで今までのところ受講者からは好評をもって受講していただいている。残り2回、できるかぎりの準備をして、みなさんに満足していただけるよう講座運営をしていきたいと思っている。

      

     ※ 新渡戸稲造直筆の書です。

 ※ なお資料室には新渡戸稲造の直筆の書が掲示されていた。その書の「With malice toward none, With carity for all」と記されていた。意味を調べてみた。「誰にも悪意を持たず、慈悲の心でみんなに接する」という意味だそうだ。

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北大全学企画公開講座№2 スポーツ・ツーリズムとは?

2019-07-08 16:42:48 | 大学公開講座

 近年“スポーツ”は観光のコンテンツの一つとして注目されているという。いわゆる“スポーツ”を媒介として地域の観光を盛り上げようという発想である。スポーツと地方創成を結びつける研究を進める講師の興味深いお話を聴いた。

  北大の全学企画公開講座「いま感じる、生かす、スポーツの力」の第2回目が7月4日(木)夜開講された。第2回目は「スポーツ・ツーリズムによる地方再生」と題して、北大観光学高等研究センターの石黒侑介准教授が講師を務めた。

          

          ※ 講義をされる石黒准教授です。

 石黒氏によると、“スポーツ・ツーリズム”とは、さまざまな解釈があり、一つの定義はなされていない現状だが、Gibson.H.Jが主唱した①アクティブ・スポーツ・ツーリズム、②イベント・スポーツ・ツーリズム、③ノスタルジア・スポーツ・ツーリズムの三種に分けて考えるのが一般的とされているとのことだ。誤解を恐れずに私なりに解釈すると、①は自ら“する”スポーツ。②は“見る”スポーツ、③はスポーツに関する博物館や記念の現場を訪れる旅など、ということになろうか?

 石黒氏は独自にスポーツ・ツーリズムを次のように定義している。「一定の競技性が見込めるスポーツを観光対象として消費することを基本的な動機とした旅行行動または観光形態」としたが、石黒氏はこの定義を「試験的再定義」としていて、さらなる変化(進化)を予想している。

 石黒氏はスポーツ・ツーリズムが観光業にとって優位な点として「スポーツ・ツーリズムのMICE特性」を挙げた。MICEとは、Meeting(企業会合)、Incentive(報奨旅行)、Convention(大規模会議)、Exhibition(展示会)の頭文字を取ったものだが、一般的には企業の会議やセミナー、学会、展示会、見本市など多数の人数の移動を伴う旅行を誘致する際に使われる言葉だが、それをスポーツの分野にも適用しようとする動きである。スポーツの大会を誘致したり、創設したり、あるいはスポーツ合宿やスポーツ体験の場を設けたりすることで観光業、ひいては地域の発展に繋げようとする動きである。

          

          ※ ツーリズムにおいてMICE特性を活かすなら観光客が減少する冬に仕掛けるべきという。

 また、プロスポーツチームが外国人、特にアジアの選手を入団させることによるインバウンドの誘致という例もある。日本ハムに陽岱鋼選手が在団していた際は台湾からの観光客が札幌ドームに目立ったし、現在はコンサドーレ札幌のチャナテイップ選手の活躍によりタイからの観光客が急増しているといった具合で、球団もそのあたりを意識した選手誘致を図っているようだ。今年の日本ハムの王柏融選手の獲得もそうした思惑があるようである。

          

          ※ 年度別の来日観光客数(インバウンド)の変遷です。

 最後に講義のテーマである「スポーツ・ツーリズム」に関する石黒氏の研究の一端が披露された。それは、一地方自治体が単独で取り組むのではなく、広域に連携して取り組むことにより地域全体を浮揚させようという研究である。

 研究対象は空知管内、特に南空知・中空知の各市町村が連携する取り組みである。例の一つとして、各市町村にある野球場を挙げた。夕張市、岩見沢市、美唄市、赤平市、芦別市、三笠市、滝川市、砂川市、歌志内市、深川市にはそれぞれ立派な野球場を有している。宿泊施設としては夕張市、岩見沢市、芦別市が比較的多人数が収容できる宿泊施設を有している。さらには、上記の市にはスポーツ以外の観光資源も充実している。

 研究によると、一般的に滞在型の観光における日帰り周遊券は半径50kmとされているそうだ。その範囲内に収まる空知管内の各市町村がスポーツイベント、あるいはスポーツ合宿などで連携する意義は大きいと石黒氏は言う。

 私が知るかぎり、空知管内においてそうした動きはまだ出てきていないように思われる。スポーツ合宿においても本道の各市町村はかなり盛んであるが、空知管内が突出しているという話も聞いたことがない。石黒氏ら研究者の提言を聞き、それを政策に生かし、今後空知管内がスポーツ・ツーリズムにおいて注目される地域とになっていくのかどうか注視したいと思う。

 

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北海道低山紀行 90 朝里天狗岳

2019-07-07 18:38:02 | 北海道低山紀行 & Other

 いわく付きの朝里天狗岳である。3度目にしてようやく頂上に立つことができた。教えられてみれば、登山ルートはきっちりと整備され、案内も完備されていた。ピーカンの空の下、360°の眺望を楽しめた。

          

          ※ 朝里ダムを望むループ橋から、きれいな三角錐の山容を見せる朝里天狗岳を撮りました。

 これまで2回にわたって山頂へ通ずる分岐点を見出すことができずに敗退を繰り返してきた朝里天狗岳である。私の泣き言を聞いた登山愛好家として著名な、私の敬愛するsakag氏が何度も何度もアドバイスをくれた。その結果、私の場合は登山口そのものが間違っているらしいことが判明した。私は「夏山ガイド」(北海道新聞刊)の中で次のように記されていたことを唯一の手掛かりとしていた。その記述とは「朝里峠から約4.2キロ下った地点で、横切る送電線が目安となる」という記述である。確かに私が入山したところは送電線が横切っていた。ところがsakag氏は近くにもう一か所送電線と道路が交差するところがある、と助言してくれたのだ。そして地形図まで送っていただいたところ、確かに近くに2本の送電線が道路と交差しており、私は本来のルートとは違う送電線の下を懸命に登って「分岐点が見つからない」と嘆いていたこと分かったのだ。

          

          ※ 私が以前確認した送電線とは別の送電線が確かに道路を横切っていました。

 半ば朝里天狗岳に登ることを諦めかけていた私だったが、親切なアドバイスをいただいたからには早いうちに登りたいという思いに駆られていた。すると、本日起床するとピーカンに晴れている空を見て、即実行を決めたのだった。

          

          ※ 登山口にはしっかりと案内板がありました。車で走っては視認することができませんでした。

 これまでの2回よりはやや遅れたが、7時40分、しっかりと「朝里天狗岳登山口」と書かれた看板に従い、登山ルートに入った。私が間違ったルート同様、初めから厳しい登りが始まり、たちまち汗まみれになりながら登り続けた。鉄塔1を通過し、鉄塔2まではぐいぐいと高度を上げるルートである。鉄塔2を過ぎると、下っているところがあったり、厳しい上りがあったり、けっこう大きな沢があったりと複雑なルートで高度を上げていく。そして25分、鉄塔3に到達した。Sakag氏のアドバイスでは鉄塔3を過ぎると間もなく分岐に達するとあった。注意深く伺うまでもなく、「山頂➪」の看板が目に入った。なんてこった!これほど容易だったとは!

          

          ※ 登り始めは、写真のような厳しい上りが連続していました。

          

          ※ 登山ルートの周りの立ち木を見ると、その斜度のきつさが分かっていただけると思います。

          

          ※ このような沢がルートの中に3ヵ所ほどありました。

          

          ※ 斜度のきついところには階段が付けられていました。

          

          ※ 待ちに待った鉄塔3です。光が突然飛び込んでこのような写真になったのでしょうか?

          

          ※ 分岐点の印もしっかりと表示されていました。

 分岐からは山頂へ向けてトラバースするかのように一時平坦な道が続き、体力的に休みを入れることができた。ガイドブックでは樹林下のルートは「踏み跡程度で迷いやすい」とあったが、いやいや立派に整備されていて迷う心配は少しもなかった。

          

          ※ 分岐点の後もこのように赤いテープによって迷うことなく山頂に導かれました。

          

          ※ 山頂が近くなってからの急登です。

 山頂に近づくころは再び厳しい上りが続いたが、そこを乗り越え樹林が消え、岩場が出てきたな、と思ってそこをひと越えするとそこが山頂だった。空が晴れ上がり見事な山頂だったが、そこからさらに「見晴台」の案内が出ていたので、そちら向かった。樹林を潜るようなルートをおよそ5分。山頂より見事が眺望の見晴台(天狗岳北峰)に立った。見晴台は360°の眺望が効き、特に眼下に見えたオタルナイ湖、そして朝里の市街地、その先の小樽湾が一望のもとに眺めることができる絶景だった。

          

          ※ 樹林地帯を抜け、山頂直下の岩場です。

          

          ※ 岩場の向こうに山頂標識が小さく見えます。

          

          ※ 朝里天狗岳の山頂標識です。

          

          ※ 山頂から約5分、見晴台と呼ばれる天狗岳の北峰の標識です。

          

          ※ 見晴台からオルタナイ湖、朝里市街、小樽湾が一望のもとに望めました。

     

     ※ この写真は見晴台から180°くらいのパノラマ写真です。

 この山頂、そして見晴台に立つために三度も訪れることになった朝里天狗岳は私の北海道低山紀行の中でも特別な山になった。そして北海道低山紀行はようやく№90を記すことができた!    

【朝里天狗岳 登山データ】
標 高  683m (標高差 298m)
駐車場  登山口に駐車場はない。登山口から500mくらい朝里峠に向かったところに5~6台が停まれる駐車スペースあり。    
行 程  《グランドシニアの足とお考えください》
     登山口→(25分)→分岐点→(40分)→山頂→(25分)→分岐→(20分)→登山口

時 間  上り(1時間05分)  下り(45分) 

天 候  晴、風無

登山日  ‘19/07/07

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