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田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

道民カレッジ「学びカフェ」を今年もお手伝いしています!

2025-08-22 19:13:44 | その他
 年齢を問わず誰もが参加できる学びの場として、昨年度から道民カレッジが全道各地で開催している「学びカフェ」の指導のお手伝いとして昨年から参加させていただいていますが、今年も過日の夕張市に続き、本日室蘭市でお手伝いをしてきました。

        

 道民カレッジでは、・気軽に立ち寄れる ・暮らしに役立つまなびがある ・それぞれのペースで学べる ・新しい出会いがあるかもしれない そんな、あたたかみのある居心地の良いカフェのようなまなびのスペースを参加される皆さんといっしょに創りたいと考えています。
 
 という謳い文句で、今年は帯広市、夕張市、稚内市、室蘭市の4市で「道民カレッジ まなびカフェ」を、すでに開催したり、これから開催を予定しています。
 私はそのうち、夕張市と室蘭市の指導のお手伝いを依頼されました。
 そして過日8月5日(火)に夕張市の「拠点複合施設りすた」において、最初の授業を担当してきました。
 教科は、昨年は「国語科」だったのですが、今年は「理科」を担当することを依頼されました。

    
    ※ 夕張市の会場「拠点複合施設りすた」です。

 どのような内容を取り扱うか、事務局と相談して小学校3年生の「電気の通り道」という学習を実験学習を中心とした内容で組み立てました。
 まずは私たちがふだん手にしているコインは「電気を通すだろうか?」という問いを発し、予想を立ててもらってから、実際に乾電池と豆電球を用意して確かめてもらいました。
 コインは、1円がアルミニウム、5円が真鍮、10円が銅、50円、100円が白銅、500円がニッケル銅と、全てが金属製ですから、実験の結果は全て「電気を通す」という結果になり、参加した皆さんも納得でした。

    
    ※ このような教材を用意して学習に臨みました。

 そこで中間のまとめとして「全てのコインは電気を通しました。これは、コインが全て金属だったからです。金属は電気を通すのですね」とまとめた後、次の問いを発しました。
 「それでは私が用意した次のものは電気を通すでしょうか?」と問い、次のようにものを提示しました。
 その用意したものとは?
 ◇ゼムクリップ、◇アルミカップ、◇鉛筆の芯、◇金色の折り紙、◇銀色の折り紙、◇仁丹、◇スチール缶、を用意しました。

    
    ※ 夕張会場で予想を立てている皆さんです。手元に飲み物を用意して気軽に学習に臨めるよう配慮しています。

 さて、どのような結果になったでしょうか??
 こちらも初めに予想を立てていただいてから、確かめの実験をしてもらいました。
 その結果については、ここでは秘密にしておきましょう。
 面白いのは、金色と銀色の折り紙では違う結果だったということです。さて、皆さまはお分かりですか?
 不安に思われる方は、百均ショップに金色と銀色の折り紙が販売されていますから、お確かめください。

 このような簡単(?)な学習を本日も「室蘭市生涯学習センターきらん」に集まっていただいた9名の皆さまと一緒に学習してきました。(夕張会場は14名でした)

    
    ※ 室蘭市の会場「室蘭市生涯学習センターきらん」の外観です。
       両会場ともに立派な施設でした。

 どちらの会場も参加していただいた方々が嬉々として取り組んでくれたことが私には嬉しいことでした。

    
    ※ 室蘭市会場でもう一つの教科の学習に取り組む皆さんです。

 私はさらに10月にもう一度室蘭市でお手伝いすることになっています。さて、次はどのような教材で皆さまと一緒に学習しようか?と頭を悩ましてみたいと思っています。

趣味の世界の極み? 帆船模型展

2025-08-21 19:46:56 | 作品展・展覧会等
 趣味の世界もいろいろあるが、これも一方の極みではと思われる「帆船模型展」に足を踏み入れてみた。細かな木材や針金、糸などを操って仕上げる忍耐力は相当なものではないか思わせられた。私とはまったく縁遠い世界に遊ぶ方々の作品をため息をつきながら眺めつづけた私だった。

      

 本日午後、特に予定のなかった私は北海道銀行本店の「らいらっく・ぎゃらりい」で開催されている「第35回 帆船模型展」に足を運びました。
 前述したように、私にとっては細かな部材を注意深く、忍耐強く組み立てていくなどということはまったく縁遠い世界です。

 ただ、私にとって模型の世界は縁遠い世界ですが、現物の帆船や昔の軍艦については、多少関りがありその姿を見ることは嫌いではありません。
 船乗りを志向する学生たちの練習帆船として有名な「日本丸」が石狩湾新港に寄港した際には実際に見学したことがありますし、幕末に江差沖で沈没してその後引き揚げられ、現在「開陽丸記念館」に展示されている開陽丸本体を見学した体験もあります。
 そして本年6月には、スゥエーデンを旅した際に、1626年に軍艦「バーサ号」が沈没したものを1961年になって引き揚げられ、完全復活させた船体を「バーサ博物館」で実際に目にすることができた体験もあり、船そのものには無関心ではないのです。

   

 さて模型展の方ですが、「札幌帆船模型同好会」という団体が主催し、あまり広くはない「らいらっく・ぎゃらりい」に同好会の皆さまが出品された11の帆船模型が展示されていました。
 展示されていた模型は、初心者の方はキットを買い求めて、ヴェテランは自ら材料を自作して、それぞれ帆船模型を完成させていました。
 制作期間は短いもので6カ月、長いものだと5年もかけて制作したものもありました。
 ともかく、細部までこだわり、緻密に制作されている一つ一つの帆船は見事な完成度でした。

 それでは展示されていた11点のの中から、5点をカメラに収めてきましたので、それらを紹介することにします。

 ① 船名:ラ・クロンヌ  フランス船  1636年 
            製作日数:3年 製作者:富山亜男さん

   

 ② 船名:ジーベック  イタリア船  1753年
         製作日数:6カ月   製作者:元木孝一さん

   

 ③ 船名:74門艦  フランス船  1760年 
   製作日数:2年3ヵ月 製作者:柴田雄吉さん

   

 ④ 船名:HMS エンデバー  イギリス船  1768年 
   製作日数:9カ月  製作者:高橋進さん

   

 ⑤ 船名:ルビーⅡ  イギリス船  1810年 
   製作日数:2年4ヵ月 製作者:大城正孝さん

   

 ※ ②、③、⑤は、材料を自作された作品です。

大学連携コンサート by 北海道教育大学岩見沢校

2025-08-20 20:22:17 | ステージ & エンターテイメント
 時代は第二次世界大戦時、当時のナチス・ドイツから「退廃の烙印をおされた作曲家たち」の作品ばかりを集めたコンサートという触れ込みだった。確かに、ちょっと耳慣れない旋律の曲が多いように思われたが、そうした曲目に積極果敢に挑んだところに本コンサートのねらいがあったとみました。

      


 本日午後、市民交流プラザの1階SCARTSコート「大学連携コンサート(北海道教育大学岩見沢校)」があり参加しました。
 本コンサートは、札幌文化芸術交流センターが連携協定を結ぶ大学(北海道教育大学岩見沢校、札幌大谷大学)で学ぶ、次世代を担う若い音楽家に発表の機会を提供し、札幌の音楽文化の発展に資することを目的に実施しているコンサートです。

 標記のような目的があるからでしょうか?過去のコンサートのアーカイブを見ても、かなり野心的な内容のコンサートを実施してきたようです。
 今回のテーマも「退廃の烙印をおされた作曲家たち」というテーマでのコンサートでした。

 解説によると、ナチス・ドイツはユダヤ人の作曲家の作品だからとか、ジャズの手法を取り入れた作品だからとか、前衛音楽の手法を施した作品だから、というだけで退廃したものであると烙印を押し、排斥したそうです。

 今回はそうした作品を集めてのコンサートでした。その曲目とは…、( )内は演奏者名です。
 ◇ベーラ・バルトーク/ルーマニア民族舞曲 (フルート~柾矢春音、ピアノ~永瀧陽菜)
 ◇ベーラ・バルトーク/ピアノソナタ Sz.80 第1,3楽章 (ピアノ~中山美南)
 ◇ハンス・アイスラー/ドイツのミゼラーレ
 ◇ハンス・アイスラー/ひとりのコールガールの歌
 ◇クルト・ヴァイル/ ‟三文オペラ”より 
     〇メッキ―メッサのモリタート
     〇海賊ジェニー  
     〇セックスの虜のバラード      以上は(メゾ・ソプラノ~鈴木萌々夏、ピアノ~鈴木沙英)
 ◇アルバン・ベルク/ピアノ・ソナタ ロ短調 Op.1  (ピアノ~永瀧陽菜)
以上でした。

    
※ 「演奏中の写真撮影はNG」とのアナウンスがありましたので、演奏前にステージの様子を一枚撮らせてもらいました。

 バルトークの2曲は、既成のクラシック曲とは一線を画すような旋律の曲のように私には聴こえてきました。しかし、音楽家たちは絶えず新たな試みを試行するところから、新しい音楽を生み出してきたのですから、それを規制しようというナチス・ドイツの独善さが彷彿とします。
 
 私にとっては難しい曲の演奏が続きましたが、その中から敢えて聴きやすい(?)曲だったと言えばクルト・ブァイルの ‟三文オペラ” よりの三曲だったでしょうか?
 調べたところ、ハンス・アイスラーとクルト・ヴァイルはユダヤ系の作曲家だったようです。

 最後のアルバン・ベルクのピアノ曲も私には難しい曲の一つでした。
 
 クラシック初心者の私にとっては、なかなか難しいコンサートでした。しかし、このようなテーマで開催することが本コンサートのねらいなのだと私は納得しました。
 なので、私はアンケートに次のように記しました。
 「私にとっては難しいコンサートでしたが、若い音楽家たちが意欲的に未知の音楽に取り組む姿勢には好感が持てます。若き音楽家たちが新しい音楽に挑むことには大賛成です」と…。

映画 「Dr.カキゾエ 歩く処方箋」 №406

2025-08-19 19:44:34 | 映画観賞・感想
 齢82歳の高齢のがんの専門医であり、自らもがんサバイバーである垣添忠生氏が青森県八戸市から福島県相馬市までの「みちのく潮風トレイル」1,025キロを歩くというロードムービードキュメンタリー(こんな言葉があるのかな?)である。その道中は観る者にいろいろな示唆を与えてくれるものであった。

     

 ※ 「がんサバイバー」とは、「がんの告知を受けてこれから治療する人、治療中の患者さん、治療が終了した人、あるいは患者さんの家族や友人など身近な人々を指す」ということです。

 本日午前、またまたシアターキノに赴き、表記映画を観賞しました。(今月シアターキノへは4度目です)
 この映画を観ようと思った動機は、私が一時期真剣に「みちのく潮風トレイル」を踏破しようと計画しながら、 自らの体力不足を痛感させられ断念した経緯があったことから、「82歳の高齢で、どうやって踏破したの?」という秘訣を知りたくて「観てみよう!」と思い立ったのでした。

 ところが私の願いは空振りに終わりました。
 というのも、映画は確かにスタート地点の岩手県八戸市の蕪島をスタートし、福島県相馬市の松川浦環境公園にゴールしていますが、果たして何日間かかって歩いたのか?一日平均どれくらい歩いたのか?宿はどうしたのか?経費はどれくらいかかったのか? 等々…、私が知りたいと思った情報は何一つ得ることができなかったのです。

    

 帰宅してから調べたところ、実際には一気に歩き通したのではなく、全体を4回に分けて、2週間続けたのが2回、1週間を1回、3日を1回、というように分けて足掛け4ヵ月かけて歩いたそうです。
 一日の行程を20キロを目安にしていたということですが、それも凄いことです。私などは一日30キロを3日間連続して歩こうと試みましたが、2日間で挫折してしまい、計画を断念してしまったのです。(垣添氏より10歳も若い頃でした…)

 さて映画の方ですが、映画の主人公・垣添氏は東大医学部を卒業後、国立がんセンターに勤められ、国立がんセンター総長の任に就いた後、現在は退職されて国立がんセンター名誉総長の称号を受けられるというがん研究の権威者なのです。(現在、日本対がん協会会長)
 その垣添氏は、自ら二度のがんに侵されますが早期がんだったために、現在は健康に過ごされています。ただ、垣添氏の最愛の奥さまは2007年に甲状腺がんで亡くなっています。その際、垣添氏は悲しみのあまり酒浸りの日々を送ったと言います。

    
   ※ 震災後に建設された防潮堤に描かれた壁画に見入る垣添氏です。

 しかし、「それではならじ」と思い直し、ガンサバイバーを支援することに力を注ぐことにしたということです。
 そこで思い立ったことが、「みちのく潮風トレイル」を踏破しながら、がんサバイバーを励まそうということだったとのことです。

 ですから、垣添氏はトレイルの実施中、「がんサバイバーを支援しよう」、「3・11を忘れない」と書いた幟を常に手に持ちながらトレイルを続けました。
 そして道中、がんサバイバーの方々、そして東日本大震災で被災された方々、と対話を重ねながら歩き続けます。
 そうした対話を重ねる中から、垣添氏は「がんでも、震災でも、人は逆境にたたされても、必ず復活する力を持っている」と確信します。

    
    ※ がんサバイバー、そして東日本大震災について語る垣添氏です。

 映画の中で、ガンサバイバーの方も、震災で被災された方も、垣添氏と対話する中で誰もが力強く前向きに生きようとする意志が伝わってくる思いがしました。
 垣添氏はきっと…、そうした姿を映画を通して多くに人たちに訴えたかったに違いないと思わせてくれました。

 東北地方の海岸線の美しさと共に、垣添氏の素晴らしい生き方に接することができた素晴らしい映画でした。


花壇の花を植え替えました!

2025-08-18 20:06:42 | ボランティア
 花が暑さのために夏負けしてしまうなんてことがあるんだろうか?今年私が取り組んだ北一条通り沿いの街路樹枡花壇に植栽したインパチェンスが見るも無残な姿となり、堪りかねた私はついに今日、花を入れ替えることを決断し、極めて一般的なベゴニアに植え替えたのでした…。

 私がこれまでの経緯から、マンション周囲の4つの街路樹枡花壇の植栽・管理を申し出て、管理組合から苗代を拠出していただき花の植栽をしたことは、拙ブログで5月末にお伝えました。
 その際に植栽した花の種は、マンション東側の三つの花壇には、周りにアサギリソウを配し、中央にブルーサルビアを植えました。一方、南側の一つの花壇には昨年、一昨年と植栽したインパチェンスを三色混合で植栽しました。

 その後、例年のように3~4日に一度は水をたっぷりと潅水することを続けてきました。ところが、アサギリソウやブルーサルビアの方は順調なのに、インパチェンスの方がどうも順調とはいえない状況でした。
   
    
    ※ マンション東側の花壇、周りがアサギリソウ、中央がブルーサルビアです。

 東側の三つの花壇は、朝方は陽が当たりますが、午後になると日陰になります。一方、北一条通り沿いは一日中太陽の光を浴び続けます。
 その上に今夏の異常な暑さです。インパチェンスはかなりのダメージを受け続けたようです。花は咲いたものの、直ぐに花びらを落としてしまう状況が続き、最近はついに花の茎ばかりが目立つ状況となってしまいました。
 昨年はしっかりと花を咲かせてくれ、夏にはこんもりと盛り上がった状態になってくれたのに…。
 私は管理上の責任を感じずにはいられませんでした。

    
    ※ 昨年の北一条通り沿いの街路樹枡花壇に植栽したインパチェンスです。

 過日、ホームセンターの寄ったところ、季節外れのベゴニアがまだ売れ残っていました。
 それを見て、私は植え替えを決断しました。
 妻は「いまさら…」とも言ってくれましたが、私としてはこれ以上無残なインパチェンスをさらしたくないと思いました。
 そして本日、ホームセンターに出向いて、白色のインパチェンス30株を私の小遣いで買い求めました。(30株が揃った色は白色しかなかったのです)

    
    ※ 見るも無残な状態の北一条通沿いの今年のインパチェンスでした。

 夕方、凌ぎやすい気温になってから、一人でインパチェンスの苗を整理し、花壇を再び耕した後に30株の苗を植栽しました。
 これで少しは責任を回避することができたかな?ホッとしているところです。
 できれば植栽したベゴニアが秋の花壇を華やかに飾ってくれることを祈るばかりです。
 そのためにも、潅水等に気を配りながら管理を続けていきたいと思っているところです。

    
    ※ 本日植栽した白色のベゴニアです。無事に育ってくれればいいのですが…。
 
 私も長い間、花壇のお世話をしてきましたが、こんなことは初めての体験です。
 いや~、花も夏負けするですね…。



北大・商大マンドリンクラブ合同演奏会

2025-08-17 21:16:07 | ステージ & エンターテイメント
 奇をてらわず、真摯にマンドリンオーケストラの王道を往く二つの大学のマンドリンクラブが初めての合同演奏会を開催した。初めてということだったのだろうか?やや硬さも感じられたが、たくさんの聴衆にも恵まれ、初回としては大成功だったのではないだろうか?

      

 本日午後、札幌市生涯学習センター「ちえりあホール」において、「第一回 北大・商大 常夏の合同演奏会~札幌にトレモロを響かせて~」と題したコンサートが開催されたので友人と一緒に鑑賞しました。

 出演は北大チルコロ・マンドリニスティコ「アウロラ」が53名、小樽商大プレクトラムアンサンブルが24名(指揮者、賛助出演も含めて)でした。
 それぞれのクラブ名ですが、チルコロ・マンドリニスティコ「アウロラ」とは、マンドリン発祥の地イタリアに敬意を表して全てがイタリア語ということですが、「マンドリン奏者のクラブ『オーロラ』」という意味だそうです。
 一方、「プレクトラムアンサンブル」とは、イギリス英語で表記したそうですが、Plectrum(プレクトラム)とは、アメリカ英語でPick(ピック)のことです。つまりマンドリンを爪弾く大切な道具名をクラブ名としたということのようです。さすがに大学生、両者ともにこだわりがありますね。

さて、演奏曲目ですが…、
【第Ⅰ部 商大ステージ】
 ◇ 商大応援歌 宮内泰/若人逍遥の歌
 ◇ G.Manente/Sinfonia
 ◇ 久石譲/Oriental Wind
【第Ⅱ部 北大ステージ】
 ◇ 北大寮歌 赤木顕次/都ぞ弥生
 ◇ K.Wölki/序曲第1番イ長調
 ◇ L.Rosenman/エデンの東
 ◇ G.Puccini/歌劇「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」
【第Ⅲ部 合同ステージ】 
 ◇ 椎根真太郎/シンフォニック・ファンタジア 海の冒険詩
 ◇ 丸本大悟/杜の鼓動Ⅱ ~2.ある雪の日の記憶~
 ◇ U.Bottacchiari/彷徨える霊
 ◇ 末廣健児/Beyond The skies   
《アンコール》  
 ◇ 荒井由実/飛行機雲

   
 ※ 演奏中の写真撮影はNGでしたので、休憩中のステージの様子を写しました。

 私はマンドリンの音色がとても好きです。ですから期待して今回のコンサートに味を運びました。
 ところが、どうも聴いているうちに私のようなレベルの者には、どの曲もみな同じように聴こえてくるのでした。
 その原因は、演奏のスタイルが全て同じように思えたからです。

 一緒に聴いていた友人が私に語りかけます。「北大の演奏はいつもこのような演奏なのですか?」と…。
 私は以前にも一度「アウロラ」の演奏を聴いたことがありましたが、今回と同様でしたので「そうですねぇ」としか答えることができませんでした。
 演奏会全体においても、奏者たちの演奏の様子を見ても、指揮者の指揮ぶりを拝見しても、伝統ある学生団体の律義さを垣間見るようでした。
 そうした中、「海の冒険詩」にパーカッションが入ったことで曲にアクセントが付いたり、その次の「ある雪の日の記憶」では、Ⅰst.マンドリンがトレモロ奏法ではなく、ピッツィカート奏法を使って弦を爪弾く奏法がとても新鮮に感じることができました。
 彼らには彼らの流儀があると思いますが、出来る範囲で運営や構成に変化を付けるようにされると、なお親しみ深くなれるのでは、と何も内情を知らない私は思ったのですが…。

 と少々生意気なことを述べてしまいましたが、全体としては第一回合同演奏会は彼らが考えていたとおりに進行し、特に破綻もなく、観客もたくさん入り成功だったのではないでしょうか?
 来年度以降も合同演奏会が継続されることを願いたいと思います。



映画 「東京裁判」 №405

2025-08-16 20:22:28 | 映画観賞・感想
 昨日8月15日、シアターキノの終戦の日80周年特集のハイライト「東京裁判」を観た。上映時間が4時間37分にもおよぶ超長編だった。その4時間37分間は、私の歴史認識に対する浅さを思い知らされた長~い、長~い4時間37分間でもあった…。

       

 昨日午後、シアターキノで待望の「東京裁判」を観賞しました。
 シアターキノの狭いホールは、若い方の顔もありましたが多くは私と同年代のシニアの方で占められ、およそ70人の観客で立錐の余地なく満員状態で、かなりの方が当日券を求めていましたが満員で断られていました。

 ホール入場前に館主の中島洋さんが軽いジョークを飛ばし、観客の方を和ませていました。中島さんは「昨年も8月15日に上映したのですが、昨年は20名程度だったのですが、今年は終戦80年ということで沢山の方々に観ていただけるんですねぇ」と…。

 さて映画は第二次世界大戦で敗戦国となった日本の軍事指導者たちを裁いた「極東軍事裁判」(通称:東京裁判 1946/5/3開廷、1948/11/12閉廷)の様子を克明に追いかけたドキュメンタリーです。

    
    ※ 日本占領政策を指揮したマッカーサー連合国最高司令官です。

 映画は1983(昭和58)年に公開されたのですが、それはアメリカ国防総省が裁判の一部始終を記録として撮影し、保存して門外不出の扱いをしていました。しかし、そのフィルムが25年を経過したことから公開されたことにより、そのフィルムを小林監督が5年間もの歳月をかけて編集・制作し公開したものだということです。

 映画はまず第二次世界大戦の帰趨が見え始めた1945年7月、イギリス、アメリカ合衆国、ソビエト連邦の首脳が戦後処理を話し合うためにポツダムに集結したのですが、会議の席上でアメリカ・トルーマン大統領に原爆実験成功のニュースがもたらされ、トルーマンはその使用を決断し、日本に降伏を迫る「ポツダム宣言」を発したのでした。
 しかし、日本はそれを拒否したために、広島・長崎に原爆を投下されされたことで、ようやく降伏せざるを得ない状況となり、画面は昭和天皇が全国民に向けて発した詔書の朗読の場面に移ります。

 俗に「玉音放送」と呼ばれているものですが、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」というフレーズは私も聴いたことがありましたが、全文を聴いたのは初めてでした。
 伝えられたところによると、当時地面に伏して「玉音放送」を聴いた人たちは日本が連合国に対して降伏したとはよく理解できなかったと伝えられましたが、私も同じような感想でした。それは詔書そのものが「漢文訓読体」という国民が使い慣れない難しい言葉を使用したためたったからでした。

 ようやく裁判の場面が現れたのは映画が始まってから40分後のことでした。
 印象としては、戦勝国が敗戦国を裁くのですから、ある意味で結論的なことは決まっているとも思われるのですが、延々と2年3ヵ月もの月日も労して結審します。
 この裁判の中で意外と思えたのが、日本の被告に対してアメリカ人の弁護人が複数担当していたことです。その弁護人たちは、真摯に弁護していた姿が印象的でした。

    
    ※ 旧陸軍士官学校大講堂に設置された極東国際軍事法廷です。

 結果として極東軍事裁判において裁かれたのはA級戦犯として起訴された28人のうち、途中死亡した3人を除く25人に判決が言い渡されました。その内訳は、7人に絞首刑、16人に終身禁固刑、1人に禁固20年、もう一人に禁固7年が言い渡されて閉廷しました。

 映画を観終えて、私なりに感じたことが3点あります。
 一つは、A級戦犯(つまり戦犯として最重要人物)が、非常に丁寧な審理を経て判決を下されたのに対して、A級戦犯ほどの責任はないと目されたBC級戦犯の方々が、外地の裁判所などで簡単な審理で死刑に処せられたり、現地の人たちから虐待を受けたりしたところが理不尽に思えました。

 二つ目は、領土拡大妄想に取りつかれた日本軍部には満州国の樹立、士那事変で中国にも触手を伸ばし、最後は大東和共栄圏構想を打ち出すなど、軍部には当初から戦争回避などという選択肢は無かったのではないかと思われたことでした。

 そして最後に、日本の占領政策を指揮した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、日本をアメリカ同様の民主国に生まれ変わらせ、再び戦争をしない国に造り変えようと目論みましたが、当のアメリカはその舌の根も乾かないうちに朝鮮戦争に参戦したり、ベトナム戦争に深入りしたりと…、世界に混迷を与えるばかり…。
 そして今、世界はますます不安定を増した状況となっています。

 はたして世界は第二次世界大戦から何を学んだのでしょうか?
ともかく、その長さも、内容も私の中に長く記憶に残る映画となりました…。

筋肉が蘇る ‟ちょいトレ”

2025-08-15 10:00:18 | 講演・講義・フォーラム等
 筋肉は20代をピークに毎年1%ずつ減り続けるという。何もしなければ70代ではピークの50%減になるそうだ。そこで無理せずに ‟ちょいトレ” を継続することによって、筋肉の減少に歯止めをかけ、健康寿命を伸ばそうというのだが…。

 わずか30分間の講座ですが、「簡にして要を得ている」といつも思う札幌市の社会福祉総合センターが主催する「やさしさっぽろ健康講座」を昨日昼に受講しました。
 テーマは「〇〇しながらちょいトレ・アンチエイジング貯筋トレ」と題して、レイス治療院札幌南の代表の大越孝郎さんが講師を務めました。

    
    ※ 講師を務められたレイス治療院札幌南の代表の大越孝郎さんです。

 ちょいトレ、貯筋トレの紹介に入る前、健康寿命を伸ばすという大きなテーマに触れました。
 大越氏はいわゆる東洋医学畑の専門家ですが、今や健康寿命を伸ばすためには東洋医学と西洋医学の利点を生かした「統合医療」の考え方が主流であると強調されました。
 それぞれの利点と欠点とは、東洋医学は即効性はないが、副作用や後遺症の心配がない。一方、西洋医学は即効性に優れているが、副作用、後遺症が心配されると…。それが統合医療が注目されてきた理由だとされました。

 さて、そうした統合医療の推進と共に、健康寿命を伸ばすポイントは次の4点に注目することが大切と述べられました。その4点とは、①血流改善、②骨、③腸内細菌、④メンタルヘルス、の4点を挙げられ、それぞれについて解説されました。
 その一つ一つの解説については割愛しますが、その中の③骨について、高齢化による転倒死が年間一万人以上に上ることが紹介され、その骨を自在に動かす「筋肉」を衰えさせないことの大切さを強調されました。

 前述したように筋肉は何もしなければ70代でピーク時から半減してしまうという調査結果が出ているそうです。
 そこで筋肉を鍛えることが求められているのですが、問題はいかに「継続」するかが課題だと指摘します。
 筋肉を鍛えることの重要性は理解できても、それを「継続」する難しさが現実であると大越氏は指摘します。
 そこで大越氏が提唱するのが「ちょいトレ」であり、「貯筋トレ」であると強調します。

 大越氏は自らの実践について披露されました。それは、TVを観ながらコマーシャルの時間帯を利用してちょっとした筋トレを取り入れることだ言います。また、家の中での移動の際、または街中を歩く際、ちょっとした工夫で筋肉が鍛えられると言います。
 そして実際に参加者たちと、その一部を実際に体験しました。

    
    ※ 「ちょいトレ」の実際を体験する参加者の皆さんです。

 人間の筋肉の7割は下半身に集まっていると言います。それは、大腿四頭筋であり、大臀筋であり、ハムストリングスです。これらを特に意識して「ちょいトレ」に取り組み、「貯筋」に励むことだと話され講座を終えました。
 
 怠惰な私にとって継続することが何よりの難題ですが、大越氏の言葉を脳裏から離さず、意識的に取り組まねばと思った私ですが…、はたして?



映画 「ジョニーは戦場へ行った」 №404

2025-08-14 16:11:23 | 映画観賞・感想
 映画は反戦作家と称されたダルトン・トランボが1939年に発表した「ジョニーは銃をとった」を原作としたものをトランボ自身が1971年にメガホンを取って映画化したものである。内容としては実話ではないのだが、戦争によって負傷し視覚、嗅覚、言葉、聴覚の全てを失い、かつ両腕、両脚も切断され、生ける屍と化した一人の青年の生き様を描いた戦慄の映画である。

       

 昨日昼間、シアターキノで表記「ジョニーは戦場へ行った」を観賞しました。
 実は、シアターキノでは8月に入り、戦争関連の映画を特集的に取り上げ上映しています。
 私のその中から、先日レポした「野火」、そしてこの「ジョニーは戦場へ行った」、さらに15日には「東京裁判」を観る予定にしていて、私の中では個人的に「戦争三部作を観賞する」などとひとりごちしています。

 映画はこの映画の主人公であり、語り手であるジョー(ジョニーではない)が第一次世界大戦時、徴兵によって恋人のカリーンの「行かないで!」という嘆願を振り切ってヨーロッパ戦線へ向かうところから始まります。

    
    ※ 徴兵されヨーロッパ戦線に向かうジョーと恋人カリーンの別れの場面です。

 やがてジョーは不幸にも戦場で負傷し、前述のようにほとんどの感覚器官を失い、その上両手両足も失うという文字どおり生ける屍のような姿となり、医療機関の研究材料として生かされる羽目となってしまいました。
(ジョーは感覚器官を失いながらも、意識ははっきりしていたのだが、医療機関は意識そのものも喪失したと捉えていた)
 そこからジョーの葛藤が始まったのでした。

    
    ※ 戦闘で負傷し、生ける屍と化したジョーの病室でのシーンです。

 そして映画は、ジョーの独白で進んでいくのです。ジョーの回想シーン、そして思いが伝えられないもどかしさが交互に描かれていきます。
 そして結末は??? ここは秘密にしておきましょう・・・。

 映画の中に戦闘シーンはほとんど出てきません。
 しかし、戦争によって一人の人間がかくも無残に壊されことを痛むこともなく、研究材料として利用しようとする戦争という異常状態を色濃く映し出しました。
 映画「野火」も同じように戦争に引きずり込まれた人間が異常状態になってしまうことを映し出しましたが、映画「ジョニーは戦場へ行った」もまたそうした異常さを色濃く映し出した一編だったと言えると思います。
 
 なお、本作の主人公はジョニーではなく、ジョーだったことは前述しました。なのになぜ映画題が「ジョニーは戦場に行った」となったかというと、 第一次世界大戦におけるアメリカの志願兵募集歌「Over There」の中で「ジョニーよ、銃をとれ」というフレーズがあり、そのフレーズを絶妙に皮肉ったものと伝えられています。

多士済々「めだかの学校」の新しい仲間

2025-08-13 15:50:51 | 「めだかの学校」関連
 「北海道学」を15~6年間も学んできたという人。札幌市商工会議所のボランティアガイドをしていたという人。はたまた訪中体験50数回という強者も…。今年に入って「めだかの学校」の一員になった方々は多士済々であることが分かった。

 昨日午後、私が所属する「めだかの学校」の今月の1度目の学習がありました。
 学習内容は、これまで数年渡って学習を続けてきた「さっぽろの古を訪ねて 復習編」を予定していたのですが、その学習の前に、急遽このところ急増していた新会員を「お互いに知り合おう!」ということで、旧会員も含めて自己紹介をすることになりました。

 というのも、最近は会員の高齢化に伴い退会する会員が増え、前年度末には一度に4人もの退会者が出たことに危機感を感じた私は、会員募集をパンフレットを作成し市内各所に配架したり、道民カレッジの講座時に「めだかの学校」のPRをさせてもらったりしました。
 その効果があったのでしょうか?このところ入会希望者が次々とあり、現在7名の新会員が誕生したのです。
 7名もの新しい方々が入会すると、なかなか顔と名前が一致しません。そこで一日も早くお互いの顔と名前を知り合って親しくならなくては、と急遽お互いに自己紹介する場を設けたのです。
 その際、新入の会員の方には「なぜめだかの学校に入会しようと思ったのか?」、「めだかの学校でどのようなことを学びたいのか?」などについてもお話していただくことにしました。

    

 その内容を私がメモできた範囲で紹介すると…、
 ◇Aさん~営業職に就いていた。本州出身なので北海道のことを学びたい。新しいことに挑戦したい。
 ◇Bさん~満州で生まれ育った。電力関係の仕事をずっとやってきた。日中友好協会に所属し、訪中体験はプライベートを含め、50数回になる。
 ◇Cさん~看護士をしてきた。いろいろな講座を受講してきた。古代、とくに古墳に興味があり、毎年のように本州各地の古墳を見て歩いている。
 ◇Dさん~地区のシニア大学に学び、学ぶことの楽しさを知った。未体験のこと興味がある。
 ◇Eさん~北海道学を15~6年学んできた。歴史に興味がある。
 ◇Fさん~仕事をしながら札幌市商工会議所のボランティアガイドをしてきた。歴史を学びたいと思う。
 ◇Gさん~シニア大学で学んだ。東京に長年住んでいたので北海道のことを知りたい。
と新会員とて加入した方々は、これまでも様々な体験をされていて、まさに多士済々の方々だということが分かりました。

 聴いていた私は、「これは頼もしい」、「皆さん前向きだなぁ」という感想を持ちました。
 こうしたキャリアや意欲を持った方々が仲間に加わることによって、私たちの活動も一層活性化されるのではと期待が膨らみます。
 そして私たち「めだかの学校」の特色である、ただ活動に参加するという受け身の姿勢ではなく、積極的に企画に参加していただいたり、運営について意見を発信していただく会員の一人になっていただくことを期待しているのです。
 中には活動に参加する中で、「期待していたほどではなかった」、「考え方が合わない」という方が出てくることも予想されますが、それはそれで柔軟な対応をしながら、できるだけ長く共に活動してもらえるよう努めていけたらなぁ、と思った昨日の「めだかの学校」でした。