田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も12年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

AMOEBA MEETING 2019

2019-08-04 21:03:57 | その他

 今年もまた、私たちの夏の出会いが昨日、本日と二日間にわたって行われた。今回で22回目の会合である。わずか5人の会合であるが、一人も欠けることなくここまで続いてこられたことを内心誇らしくも思っている。

  「この会は、網走地方の片田舎である○○小学校にある時期(昭和61~平成4年頃)、必然のなせる業か、それとも偶然の悪戯か、名もなき5人の教師が巡り合った。」との書き出しで始まる会の趣旨が書かれている。5人はただ単に意気投合しただけではなく、仲間を募り教師業に関する自己研鑽のグループを作り定期的に研修を深めていった。5人はそのときの中心メンバーだった。時は過ぎ、5人はそれぞれ別の地に散っていたが、誰からともなく「年に一度、あの日に帰りたい」という声が沸き上がり、2000年の年末に○○小学校のある町に集ったことが始まりだった。以来、一年も欠かすことなく今日まで「サークルアメーバの会」は続いている。

           

          ※ パワースポット巡りでは北海道神宮にもお参りしました。

 会発足から22年も経つと、それぞれのメンバーも年齢を加え、今年はメンバーの最年少の二人が来春には定年定職の年齢となってしまった。そこで今回の幹事役を担った会の三男坊のN氏が二人に記念品を用意して無事の退職(すると思われる)お祝いした。そしてN氏がたてた今年のAMOEBA MEETINGの内容は次のとおりだった。

〔8月3日〕

 ◇札幌市内の三大公園巡り(中島公園、円山公園、大通公園) & パワースポット巡り

 ◇大通公園ビアガーデンでの懇親交流

 ◇スポーツバーでサッカーJ1リーグ「札幌 vs 広島」戦をパブリックビューイングで観戦

〔8月4日〕

 ◇エルプラザの一室で各自の一年間の実践交流

 ◇駅地下の飲食店街で昼食交流

というスケジュールだった。

          

          ※ 大通りビアガーデンでの懇親交流の様子です。 

 この会の最大の特徴は単なるノスタルジーに浸って懇親交流するだけでなく、それぞれの一年間の実践をレポート提出することを約束事としていることである。当初は全員が現役だったため教科指導法や学級経営に関するレポートだったが、徐々に学校経営に関するレポートになり、最近は退職した者が多くなり自己の周りに関するレポート多くなってきたのはいたしかたないことである。そうした状況にあって今年提出されたレポートは…。

 ◇S氏「再び教壇に立ってみて」

 ◇Y氏「退職を半年後に控えて」

 ◇N氏「第二の職場での工夫と今後の生き方」

 ◇T氏「自治会長の仕事を進めるにあたって」

    ※レポート名については内容を類推しやすいように一部手を加えている。

そして私は、今年初めに完成した「冬の石狩川河岸を遡る~6年間の取り組みを振り返る」についてパワーポイントを使用して発表した。

          

          ※ エルプラザのある一室において、各自のレポートを交流しました。

 それぞれが今与えられている環境で、真摯に生き方を模索していることが伝わってきた。そうした仲間のフロントランナーとして恥ずかしくない生き方を提示しながら、私もまた彼らから元気をもらいたいと思った今年のAMOEBA MEETINGだった。なお、この会は全員が元気でいるかぎり、これからもできるだけ永く続けようと約束して解散した。 

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一瞬の夏

2019-08-01 16:39:29 | その他

 北国北海道もこのところ連日気温が30度以上の真夏日に見舞われている。このことを私は“一瞬の夏”と呼んでいる。北海道で70年以上生活してきた私にとって、7月下旬から8月上旬の僅かな期間だけ人々は「暑い!暑い!」と嘆くが、やがて早々と秋が到来することを知っているからだ…。 

 “一瞬の夏”というと、ノンフィクションライターの旗手である沢木幸太郎が1980~1981年にかけて朝日新聞に連載した「一瞬の夏」を著したことで、私は一瞬にしてこの言葉の虜になった。

 ノンフィクション「一瞬の夏」は、天才ボクサーと言われながら優しい性格が災いしてチャンピオンに届かなかったカシアス内藤を再起させようと沢木幸太郎自身がマッチメークに奔走するなど、内藤と共に闘い続けた夏を描写する作品である。結果はやはり最後の最後に内藤の優しさが彼の戴冠を阻んでしまうという結末を迎える。その夏の一連の出来事は沢木幸太郎にとってはまさに「一瞬の夏」のような感覚にとらわれたのだろうと思うと、沢木ファンである私でなくともこの言葉の魅力を感ずるのではないか!

 以来、私は北海道の夏を想う度にこの“一瞬の夏”という言葉を思い出していた。

        

 真夏日が続く札幌で、私がどのような状態かというと…。昨日、今日と午前中は児童館で子どもたちの学習支援をしているのだが、ただ立っているだけで汗がじわっと浮き上がってくるのだ。私がしていることといえば、子どもたちの学習の様子を後ろから眺めていて、躓いている子にアドバイスを与えるだけなのだが…。私の中では早く帰宅してエアコンの効いた部屋に身を置きたいと願望していることに内心驚いている私だった。

      

 また、一昨夜、昨夜と札幌は熱帯夜を記録したという。吝嗇家を自認する我が家だが、二日共にエアコンをフル回転したまま一夜を過ごした。おかげて快適な夜を過ごせたのだが…。

 というように、一年の中でもそうそう体験できない暑さを今体験している。

      

 それでもこの暑さは“一瞬”なのだろう。8月も中旬を迎えると「あの暑さはどこへ行ったんだろう?」と思われる時がやってくるはずだ。それまでの“一瞬の夏”を楽しみながら、十分に味わおうと思っている。あ~あ、それにしても暑~いよ~!

       

 ※ 本日の写真は、私たちがボランティアで維持・管理している街路樹升内の花壇の花の写真を挿入した。

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変形性膝関節症

2019-04-25 16:41:59 | その他

 ふだんの歩行には何の支障もない。しかし、自転車に乗ると左膝に重たいような痛痒い症状がずーっと続いていた。(昨年秋くらいから?)思い余って整形外科の門を叩いた私だったが…。

  春、来るアウトドアシーズンを前にして思い悩んでいることがあった。それは日常の歩行には何の支障もないのに、自転車に乗ると必ずと言ってよいほど左膝に痛みを感じていた。こうした状態ではたして登山や長距離ウォークが可能なのだろうか?不安が募った。

 3月の末、膝の診療では定評のある(?)桑園整形外科病院を訪れた。この病院の院長先生は膝に関する市民公開講演会を定期的に開催し、講演されている方である。そうしたこともあってだろうか?患者が多い病院である。

 患者が多いためか院長は大変忙しそうだった。私は症状を一生懸命説明するのだが(自転車に乗ったときだけ痛みを感ずると)、院長は「レントゲン写真を撮りましょう」と言い、レントゲン写真を見て即断で「変形性膝関節症です」と診断され、「手術の必要はありません。リハビリの方法を聞いて家で実践してください」というお話をいただき、診察終了だった。う~ん。私は診察事例が多い院長から、何故自転車に乗ったときだけ痛みが出るのかを聞きたかったのだが…。忙しそうに立ち回る院長にそれ以上聞くこともできなかった。

 それから私はリハビリテーション室へ行き、理学療法師からリハビリの方法を教わって帰宅した。その後、私には珍しく真面目に朝夕2回、ほぼ毎日リハビリに努めているのだが、今のところまだその効用は感じられず、相変わらず自転車に乗ると症状が出てきている現状である。

               

 私は今のところ、私の症状を次のように解釈して、アウトドアを楽しみながら改善を図っていきたいと考えている。

 歩くことに関しては特に不都合はない。ただ、自転車に乗ったときにだけ痛みを感ずる現状である。このことは、自転車に乗った際の膝の動きが歩く時とは違った動きになることから、その際に膝関節同士が接触して痛みを生ずるのではないかと思っている。したがって対策としてはできるだけ自転車には乗らず、リハビリを根気強く続けることで膝関節周辺の筋肉を増強させることに努めて、回復を待ちたいと思っている。一方、歩く方は支障がないので、歩く、登る運動については特に制限なく実施していきたい、というのが現時点での判断なのだが…。

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新元号は「令和」

2019-04-01 16:03:13 | その他

 新元号が「令和(れいわ)」に決定した。菅官房長官から発表があったときには、なぜかピンとこなかった。意外感があったからだ。しかし、時間の経過とともに「わりあいいいかも」と思い始めている。 

          

          ※ 官房長官の発表は予定より10分遅れて11時40分から始まった。

 やはりこの話題に触れないわけにはいかないだろう。メディアが大騒ぎをした新元号が本日決定した。私もメディアに踊らされて、朝からテレビにかじりついていた。発表予定とされていた11時30分より約10分遅れて菅官房長官から「新しい元号が『令和』に決定した」と発表した。発表された時には正直に言ってピンとこなかった。というのも、メディアがあれやこれやと騒がしく予想していた中には含まれていなかったからかもしれない。また「令和(れいわ)」の響きから、なんとなく固いイメージを抱いたからかもしれなかった。しかし、その出典や意味を伺ううちにそうした思いも薄れていくのを感じた。

          

          ※ 新元号の「令和」の文字を掲げる菅官房長官です。

 出典は日本最古の歌集「万葉集」の中に歌われた和歌に由来する言葉だとの説明があった。その和歌とは…、

 「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」

の中から二文字を取ったということだった。

 さらに「令和」の意味として、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という意味であるとの菅官房長官の言葉に「あゝ、きっとこの元号は国民に受け入れられる」との思いを強くした。

               

 今後さまざまな方面からの評論が姦しいと思うが、そのような評論も含めてきっと私たち国民の中に定着していくだろうと思う。私は「令和」の時代をどれだけ生きられるか分からないが、できれば健康で少なくともあと20年くらいは「令和」の時代を生きてみたいと思うのだが…。

 

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「さっぽろの古を訪ねて」Ⅱ 企画案完成!

2019-02-01 17:11:17 | その他

  昨年末から取りかかっていた「めだかの学校」の来年度野外講座の企画がこのほどようやく固まった。百点満点とはけっして思ってはいないが、それなりの企画ができたのでは?と思っている。はたしてあなたの採点は??

  私が所属する「めだかの学校」は自分たちで企画を立て、お互いに学び合うグループである。時には外部の方にも呼びかけて、共に学ぶ場も設けている。

 私の企画担当は昨年に引き続き野外講座「さっぽろの古を訪ねて」を担当することとなった。昨年は「札幌の成り立ちを訪ねる」ということで札幌市内の各所を巡ったが、来年度はテーマを「お雇い外国人の事績を辿る」として、見学先をいろいろと検討した。 

 検討してみて意外なことが判明した。北海道には明治初期(明治4~14年)の短い期間にアメリカを中心として78名ものお雇い外国人が北海道の開拓のために来道し、北海道発展のための礎を築いたのだが、その足跡が意外に残っていないことが分かった。このことは北海道命名から150年を経た今、日本や北海道の近代化が著しく、彼らが残した多くの施設や建物などが新しく更新されてしまったことを意味するのかもしれない。 

 そうした中で、私たちは苦労しながらも彼らの功績を讃えて建てられた銅像(ケプロン、クラーク、クロフォード)を巡ること、幌内鉄道の敷設に尽力したクロフォードの功績を展示する小樽市総合博物館を訪れること、クラークの構想のもとホイラーやブルックスが具体化した北大第二農場を訪れること、クラークの教えを形とした札幌独立キリスト教会でお話を聴くこと、などを巡る計画を立て、このほど関係の方々から了解を得た。(エドウィン・ダン記念館は昨年訪れたために除外)

  この企画は私たちだけでなく、広く受講者を募るために募集パンフレットを作成する必要があった。そして作成したパンフレットが下のようなものである。プロが作成するものと比べるとクドイという印象は免れないが、どうしてもその全てを知っていただきたいために説明的となってしまうが、しかたがない。

 さてどれだけの方から応募していただけるか?昨年同様定員いっぱいになることを願っているのだが…。

 しかし、私たちの企画が本当の意味で評価されるのは、実際の運営にかかっている。これから受講者募集、運営方法など考えること、準備しなければならないことは多い…。  

            

      ※ もう少し鮮明なものを、と思ったのですが、結局写真で取り込む方法しか思い浮かびませんでした。        

 

 

 

※ さあ、今夜はいよいよサッカーアジアカップの決勝戦である。宿敵カタールとどう戦うか?明日のブログで喜びの報告ができることを切に願いながら…。

 

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sakagさんとの愉しい一夜

2019-01-12 19:28:09 | その他

 sakagさんは、私にとってスーパーヒーローである。sakagさんは70歳中盤を迎えているにも関わらず非常にアクティブに生きている方である。そんなsakagさんと楽しく歓談できた一夜だった。

          

            ※ 案内した居酒屋の窓からは駅前通りが眺められた。次の写真と合わせると場所が特定されそうだ。                    

 昨夜(1月11日)、sakagさんから「札幌へ行くので時間があったら会いたい」との連絡があった。断る理由など微塵もない。直ぐに「了解!」の返答をした。

 昨夜、ススキノの某所に案内したが、久しぶり(2年くらい?)お会いしたsakag氏は相変わらず若々しかった。sakag氏は翌日から三日間、富良野地方の山で「北海道の山メーリングリスト」の仲間たちと雪山スキーを楽しむということだった。

  なぜ私にとってsakag氏がスーパーヒーローかというと…。例えば昨年の氏の一年を振り返ってみると、3月から4月に43日間かけて四国お遍路(逆打ち)を完歩。7月には海抜0メートルから村山古道を通っての富士山登山。10月には10日間かけて奥州街道を竜飛崎から盛岡まで歩いている。その他にも冬には道内で開催される五つのクロカンスキー大会に出場・完走したり、マラソン大会にも参加したりしている。しかし、氏の本当の趣味は山登りなのである。氏によればすでに北海道内で登る山はもうないほど何度も登られ(氏の統計によると北海道の山708座登っているそうだ)、最近は登山道もないような山に何度も登っているようだ。

 というようなアクティブな日々をここ数年、いや数十年(?)続けている方なのだ。いやいや凄いお方である。

 

 そんな方と私がなぜ知己になれたかというと、私が偶然にsakag氏が綴るブログ「癌春(がんばる)日記 by 花sakag」を見つけ、そのことを拙ブログで紹介したところ、それをsakagさんが見つけていただいたことが始まりだった。すると、氏と私が現役時代同じ業界に属していたことが判明し、私がsakag氏の足元にも及ばないものの、アウトドア志向があることから近づきになれたということなのだ。

                

               ※ ススキノのランドマークのNIKKAの大看板が見えます。

 氏に今年の目標をうかがった。すると、まずは奥州街道を二回に分けて盛岡⇒江戸間を完歩したいということだ。さらには、北海道の山はすでに登りつくしたことから、東北の山々にねらいを当てているという。氏は「東北百名山」のうちにすでに60近く完登しているため、それを目標にしようかなと語っていた。(氏は「日本三百名山」も早くに完登している)また、新しい年号が始まる5月1日を期して利尻山に知人を案内することも決まっていると語っていた。 

 氏は函館地方では何度も氏の体験を講演されていると聞いている。なんとか氏の講演を聴いてみたいと思って、関係者にもお願いしているのだがなかなか実現できていない。ここは自らがその講演会を企画したい思いに駆られている。実現を模索したいと思っている。

 そのような氏との歓談は時間を忘れるほど楽しいひと時だった。 

 sakag氏と表現してきたが、氏のお名前は函館市在住の坂口一弘氏である。坂口氏は長らく北海道新聞に「山楽紀行」を連載され、現在も道南版で連載を続けられ、その方面では相当に名の知られた方である。

 氏の生き方に刺激をいただきながら、私もアウトドア志向を忘れない生活をしたいと思っている。

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一年の計

2019-01-02 19:00:34 | その他

 風邪の調子が良くない。何をする気も起きなく一日中ごろごろしていた。年の初めからピンチである。何せ年賀状に「ブログ毎日更新中」などと言いながらこの体たらくである。窮余の一策、柄にもなく「一年の計」に思いを巡らせた。 

 私はまったく計画的な人間ではない。凡その行動は「思いついたら即実行」的なところがほとんどである。そもそも仕事をリタイアして、気ままに生きるということは、そこに計画などというものが存在しないから気楽なのであり、その自由性を楽しんでいるのが現在の自分である。

 それでもまったくの無計画といかないのは、リタイアしたとはいえ若干の人々とのかかわりの中で生きているため多少の計画に縛られることはある。 

 ここで自分の日々を振り返ってみると、第一に拘束されるのは退職組織の全道規模の役職を担わされていることがある。年間のスケジュールを組み立てる時、これらの会議に出席することが第一優先される。この関係が年間20日くらいあるだろうか?

 次は、拙ブログに時おり顔を出すシニアの生涯学習グループ「めだかの学校」の運営や学習への参加である。これも毎月2回、年間24回に及ぶ。

 あとは全くフリーである。その自由な中に道民カレッジの講座の受講計画を組み込んだり、さまざまな形で情報収集したりする中から興味あるステージを懐と相談しながらスケジュール表に組み込んでいく。登山やフットパスの計画は、上記二つのスケジュールに支障のない範囲の中で、私の体調・意欲と相談しながらこれもスケジュール表に組み込んできたのがこれまでの私の生活だった。

 そんな私だから、遠大な計画など立てようもないし、構想する能力もない。それでも今夜は敢えて少しだけ、遠くを見つめて今年一年を計ってみようか?と考えた。

 

 私の中で、現時点で具体像を伴って公にできることは限られている。(それくらい私の中には計画というものがないということだ)で、公にできることは…。

 ◇「冬の石狩川河岸を遡る」を完成する。

 ◇「夏の石狩川河岸を遡る」を完成する。

 この二つについてはすでに拙ブログでも何度か触れているが、「冬」の方は上川町まで達しているので残り4日をかければ目的地の大雪ダムに到達できるのではないかと思っている。「夏」については昨年奈井江町まで到達している。「冬」とは違い、「夏」の場合は距離が大幅に稼げるので、こちらもなんとか来るシーズン内に大雪ダムまで到達したいと思っている。 

          

 ◇「北海道低山紀行」を再開する。

 昨年は体調不良も重なって一座も登ることができなかった。年齢と共に厳しさを増しているが、念願は「北海道の低山100座達成である」(100名山ではない)現在81座、今シーズン再開できれば、今年と来年の2シーズンで到達できそうなのだが…。

     

 ◇今年も「島旅」を!

 私の中でテーマの一つとしている「離島の旅」を今シーズンも実行できたらと思っている。具体的にはまだ公表できる段階ではないので敢えて伏せるが、なんとか実現したいものと思っている。

          

 ◇「道民カレッジ」2,000単位取得!

 現在1,500単位前後を取得している道民カレッジの単位だが、これまでと同じペースで受講していくとすれば年末くらいには達成できるのではとの見通しがあるのだが…。

          

 ◇「自分史に挑戦!?」

 最後の最後に、この際思い切って公表してみることにした。特別強い決意があるわけではない。こうして公表することで何かが変わるキッカケになるのでは、との期待感から公表してみた。計画性のないまま日々流されるいる自分に喝を入れる意味で公表してみたということで、自分に対する期待は極めて薄いのだが…。

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50年前のスライド発見!

2018-10-02 15:18:19 | その他

 発見!とは少し大仰な表現かもしれない。しかし、私にとっては記憶の中から消えかかり、ロッカーの奥深くに眠っていた50年前のスライドが、あることがキッカケとなって再び日の目を見ることになったのだ。

           

          ※ 私が撮ったスライド写真の一枚をあらためて写真に撮って再生しました。パリのルーヴル美術館です。以下何枚か載せます。

 私が集う「めだかの学校」で、来たる10月22日(月)にみんなの前でお話しなければならないことになっている。題して「私の青い春 欧亜貧乏旅行回想録」である。

 拙ブログで何度か触れたと思うが、私は学生だった1968(昭和43)年から翌年1969(昭和44)年にかけて10か月間にわたりヨーロッパ、中近東、アジアといった国々を放浪して歩いた体験がある。

 そのときの体験をみんなの前で話さなければならないことになっていた。

           

          ※ チェコの首都プラハの第一の観光名所ヴルタヴァ川(ドナウ川)にかかる「カレル橋」です。

                だいぶん色が退化しています。その上写真上部の黒い墨はカビのようです。

 それでその準備を一か月前くらいから始めていた。

 当初は話の要旨をパワーポイントで表示しながら話をしよう、と考えて原稿づくりを始めた。ところが文字ばかりではつまらない、そこに写真などの絵が欲しいなあ、と思った。ところが私はその旅ではほとんどプリント写真を撮らなかったのだ。写真は全て帰国してからの報告のことを考えてスライド用の写真ばかり撮っていた。事実、帰国してからは各所で報告会をさせていただいた。

                

               ※ ノルウェーを旅して何度もお目にかかったフィヨルドです。

 しかし、帰国して1~2年も経つと報告会のようなものもなくなり、スライドはお蔵入りとなってしまった。私はスライド写真はすでに整理され捨てられたものとばかり思っていた。

 ところがある日、妻にそのことを話したら「いや、もしかしたらあるかもしれない」というではありませんか!

 マンションの小さなロッカーの中を探してみると、なあ~んとしっかりと保管されていたのです!

 小躍りしたのもつかの間、次なる問題が生起した。

 それはスライドを投影する映写機が無いのだ。

 

 ある考えが閃いた。それはネット上で中古の映写機が手に入るのではないか、という考えだ。さっそくアマ〇ンのページを繰ってみるとあるある。それも私の小遣い程度で購入できる価格だった。早速注文したところ過日その映写機が届いた。

          

          ※ 買い求めた中古のCABIN製のスライド映写機です。

 さっそく投影してみると…、う~ん50年という年月はやはり色を退化させていた。中にはカビを蓄えているスライドもあった。しかし、見られないほどではない。私はスライドの使用を決めた。

 この旅で撮ったスライドの枚数は約1,100枚である。その中から数十枚を厳選して使用するつもりである。そのため現在はまず全てのスライドに目を通すことを始めた。

          

          ※ 旅の中で撮りためたスライド写真は約1,100枚になりました。

 この作業が楽しい! 当時の旅が鮮やかに蘇ってくるのだ。

 そうしたこともあり、作業は遅々として進まないが、なんとか当日までには間に合わせたいと思っている。

                

               ※ スウェーデン・ストックホルムのオリンピック記念陸上競技場に立つ私です。

                       50年前もパンツは比較的細かったんですね~。

 スライド&トーク「私の青い春 欧亜貧乏旅行回想録」の準備作業は、私にとって心楽しい日々である。

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胆振東部地震ロス?

2018-09-09 20:42:58 | その他

 これが地震ロスというのだろうか?地震発生によってその後のイベント、講座類が全てキャンセルになった。そのため私は何をする気もおきなく、この数日漫然と日を過ごしている。これじゃダメだと思っているのだが…。

 

 昨日の投稿で地震については一区切りをつけようと思い、あのような投稿をしたのだが、正直なところ私の中で本当の区切りはついていないようだ。

 全てのスケジュールがキャンセルとなったが、以前の私なら直ぐに切り替えて別な計画を立て、即実行していたのだが…。

 今回だけは何としても立ち上がれないでいる。体調が十分ではないということも影響しているのだが…。

 

 記録のために、キャンセルとなったイベント、講座類を列挙してみると…。

 ◇9月6日(木) ブリリア会第11回清掃活動(早朝)

 ◇9月7日(金) 退職組織の事務局会議(午後)

          キリンチャレンジカップ2018 サッカー日本代表 vs チリ代表戦(夜)

       

       ※ 最も安価な席だったが、苦労してゲットしたチケットだったので是非とも観戦したかった…。

 ◇9月8日(土) 孫娘の保育園運動会(午前)

 ◇9月9日(日) 北海道さっぽろスポーツフェスティバル(午後)

 ◇9月10日(月) 「めだかの学校」運営委員会(午前)

          「めだかの学校」DVD視聴学習会(午後)

          「めだかの学校」給食会(夕方)

 

 これらのことがキャンセルとなり、私が何をしていたかというと、ほとんど家の中でテレビを見たり、読書をしたりして過ごした。外出したのは、地震が発生した日と昨日買い物に出たくらいである。

 これまでもレポしたように、私のところでは地震による物的被害は皆無であり、影響として停電を27時間経験したぐらいなのだが、私の中で何かがくるってしまったようだ…。

 以前の私であれば、予定がキャンセルになったなら、きっとフットパスを計画したり、低山に登ったりと考えたはずだ。そうしたことを考える気すら起こらないのだ。

 

 私の中で何かがくるってしまった…、それは何だろうか? いい歳をしてそのことを明らかにできない自分が情けない。

 私なりに考えてみると、先述したように私自身には特段の被害はなかったものの、ごく身近なところでたくさんの人が亡くなる地滑りが多発したり、液状化現象で道路が陥没したり家が傾いたことは、はっきりいって大きなショックだったことは間違いない。

 特に、厚真町の山体崩壊の図は大きな驚きだった。

          

          ※ 正直言って、この写真に私は大きな衝撃を受けた。

 そのショックが尾を引いているわけではないと思いたい。単なる私の怠惰な性格によるところが大なのだろうと思っている。

 あゝ、早くいつもの日常に戻らなくちゃ…。

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地震騒動始末記

2018-09-07 16:29:18 | その他

 私が暮らす地域の停電は結局今朝6時ころ解消した。ひとまず一件落着といった感じであるが、全道的にはまだまだ停電状態のところが多いという。一時も早い復旧が望まれるが、およそ27時間の停電を経験し、私たちの生活が‟電気“があることを前提とした生活であることを改めて強く認識させられた一日だった。

           

          ※ コンビニで食料品などを求めて行列を作る人たちです。

 とりあえず私のところは一段落したということで、昨日未明からのことを振り返ってみることにする。

 

 眠りの浅かった私は最初の小さな揺れに気づいた。妻に「地震ではないか?」といったところ、妻は脱兎のごとく居間に走った。何事か?と思ったが、私は布団の中で大きな揺れを感じていたが、「まさかマンションが倒壊することはあるまい」とは思いながらも、一瞬恐怖が走ったことも事実だった。

 

 揺れが収まり居間へ行ってみると、妻が生け花の器(といっても細いガラスの器に木の枝を突っ込んだだけのものだが)を支えていた。

 な~るほど、頭でっかちの細い器は地震などの揺れには簡単に倒れ、居間は水浸しになってしまう。地震と聞いて、妻はそのことが真っ先に頭に浮かんだようだ。

                

               ※ こんなに細い器ですから妻が焦るのも分かります。

 揺れの後、少しの間は電気が通っていて、テレビも点いていた。しかし、それも間もなく停まってしまった。それからの情報収集は携帯ラジオに頼ることとなった。

 食糧に関しては我が家は比較的買い置きがあり、二人暮らしなのでそれほど心配はしなかった。

           

          ※ 私たちが情報源として頼ったちゃっちい携帯ラジオです。

 水については、停電のため水を屋上に揚げる装置が使えないため各戸は断水となった。ただ、階下の水道栓を開放してくれたために容器を持っていき飲料水は確保できた。

 トイレの水については、幸い風呂に水を張っていたため、その水を利用することで不便はあまり感じなかった。

 

 昼近くになり、妻がカセットガスのボンベがない、と言い出した。ホーマック(ホームセンター)まで自転車を走らせて購入してくることになった。

 戸外へ出て初めて知った。コンビニやショッピングセンターの前にはどこも長い列ができていた。みなさん食糧や生活必需品の購入に走っていたのだ。

          

          ※ ショッピングセンターに並ぶ人々です。

          

          ※ こちらはドラッグストアで生活用品や化粧品、薬などを求める人の行列のようです。

          

          ※ 主な交差点では、写真のように警察官が交通整理を行っていました。

 妻に「できたら水も」と頼まれていたので、どこかのコンビニかショップで購入しようとしたが、長い列を見ただけで購入意欲が削がれた。唯一、人の列が見えないコンビニがあったので入ってみると、店内に長い行列ができていた。そして、商品の食料関係や水関係の商品棚のほとんどは空状態だった。私はしかたなく、残っていたお茶のペットボトルを購入するだけだった。

           

          ※ 私が立ち寄ったコンビニの店内の商品棚です。見事に商品がありません。

 そして、ホーマックに着いたところ、そこはコンビニやショッピングセンター以上に長い行列ができていた。その列の後ろに並んだのだが、やがて店のスタッフが「トイレットペーパ、電池、ガスボンベ、……は既に売り切れです」と行列の人たちに伝えていた。これでは並んでいる意味がない。諦めて帰路についた。

           

          ※ ホーマックの店の前はこれまでのどの店よりも長い列ができ、写真に納まりきれないほどでした。

 結局、我が家ではキャンプ用のガスコンロで代用することにした。

 夕食はまだ明るいうちに終えることにした。冷凍のなべ焼きをコンロで温め、昨日から残っていたご飯をおにぎりにして簡単夕食とした。 

           

          ※ キャンプ用のコンロで、冷凍なべ焼きを解凍して、温めて食しました。

 夜はやはりキャンプ用ランタンを灯りとしたが、不便この上ない。早々に布団に入った。

 

 今回の地震で私が住んでいる地域では地震による直接被害はほとんどなかった。しかし、全道的な停電によってすべての人が大きな不便を強いられることになった。

 現代の社会そのものが“電気”の存在を前提として成り立っていることを改めて強く認識させられた今回の地震だった。

 北海道にとって、主力電源を震源地近くの厚真火力発電所に頼っていたということが露呈されたが、このことによって発電体制の在り方が今後かしましくなっていくことが考えられるが、その行方が気になることでもある…。

 

 テレビが見られるようになって、災害の様子が明らかとなり、想像していた以上に大変な状況となっていることに気付かされた。亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、被災された方々の環境が一日も早く復旧されることを願いたい。

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