21日のカトリック教会の頂点に立っていたフランシスコ教皇が逝去された。その教皇が残された数々の言葉が私の中に深くささった。拙ブログは私自身の体験を書き続けるものだが、本日はその禁を破って教皇の残された言葉を反芻してみたい。
21日午前7時35分(日本時間同日午後2時35分)、フランシスコ教皇が逝去されたことが世界中を駆け巡りました。
購読している北海道新聞にも大きく取り上げられました。その記事の片隅に「教皇の主な発言」と題する言葉の数々が紹介されていました。それを読ませていただき、私はいたく感動してしまったのです。どの言葉も深い人類愛に満ちた言葉で埋め尽くされていたのです。
私はキリスト教徒でもなく、宗教にはいたって淡白な市井の人間です。だからだろうか?私は教皇の残された言葉を素直に読むことができたのです。
フランシスコ教皇は、けっしておごらず、生活は質素で、庶民的な人柄で世界を魅了したそうです。 そんな教皇が残された言葉を噛みしめるとともに、私の中に長く残したいと思い、新聞に紹介された言葉の数々を紹介します。
21日午前7時35分(日本時間同日午後2時35分)、フランシスコ教皇が逝去されたことが世界中を駆け巡りました。
購読している北海道新聞にも大きく取り上げられました。その記事の片隅に「教皇の主な発言」と題する言葉の数々が紹介されていました。それを読ませていただき、私はいたく感動してしまったのです。どの言葉も深い人類愛に満ちた言葉で埋め尽くされていたのです。
私はキリスト教徒でもなく、宗教にはいたって淡白な市井の人間です。だからだろうか?私は教皇の残された言葉を素直に読むことができたのです。
フランシスコ教皇は、けっしておごらず、生活は質素で、庶民的な人柄で世界を魅了したそうです。 そんな教皇が残された言葉を噛みしめるとともに、私の中に長く残したいと思い、新聞に紹介された言葉の数々を紹介します。

◇教皇の務めは、最も貧しく弱い人たちに手を差し伸べ守ることだ。
(2013年3月、バチカンでの就任ミサで)
◇神を求める同性愛者を裁くことはできない。
(2013年7月、ブラジルからの帰途、記者団に)
◇女性が軽んじられている世界は貧弱な不毛の地だ。
(2015年3月、「国際婦人デー」に)
◇一つやりたいのは、誰にも気づかれずに外出してピザを食べること。
(2015年3月、教皇選出2年に合わせたテレビインタビューで)
◇壁を築くことだけを考え、橋を架けよう考えない人物はキリスト教徒ではない。
(2016年2月、メキシコ訪問を終え、米大統領候補だったトランプ氏について)
◇あなたたちは一人ではない。希望をなくさないで。
(2016年4月、難民が押し寄せるギリシア東部レスボス島訪問で)
◇全てのイスラム教徒をテロリストと見なすのは公平ではない。
(2016年7月、欧州各地のテロを受け)
◇世界が無関心であることを謝ります。
(2017年12月、バングラデシュに避難しているミャンマーのイスラム教徒少数民族ロヒンギャ難民と面会して)
◇今こそ共に取り組み、あらゆる手段を取ってこの悪事を根絶しよう。
(2019年2月、バチカンで開いた「未成年者保護会議」で聖職者による性的虐待問題について)
◇核なき世界の実現は可能であり必要不可欠だ。
(2019年11月、長崎で演説)
◇核兵器を保有することも倫理に反する。
(2019年11月、広島で演説)
◇原発は完全に安全が保証されるまでは利用すべきではない。
(2019年11月、訪日を終えた教皇特別機上の記者会見で)
◇未曽有の事態だ。
(2020年3月、世界での新型コロナウイルス感染拡大を受けて)
◇時代錯語の権力者が戦争を引き起こしている。
(2022年4月、マルタを訪問した際、ロシアのウクライナ侵攻について)
発言な中には、一見政治的な発言が含まれているようにも見えますが、しかし全体の発言を見た時、それが深い人類愛から発せられたものであることが良く分かります。言葉を変えれば人類愛に反することについては、例え政治にコミットするような発言も臆せず発していることにフランシスコ教皇の覚悟も見る思いがします。

世界の現況を見たとき、歩みは遅くとも徐々に、徐々に一人ひとりを大切にする世界に向かっているかな?と見ていたのですが…。その歩みがここにきて逆の方向に向かい出したのではと危惧する日々です。
フランシスコ教皇の言葉が世界の人たちの中に深く刺さってくれることを願いたい思いでいっぱいです。