いや~、それはカタツムリの歩みのごとく、とでも表現すれば分かってもらえるだろうか? 遅々として前に進まない観覧者の列の中、予定されていた1時間45分の時間ではとても全てを観ることができなかった。大混雑の中「徳川美術展」を観た。
美術にはまるで疎く、関心も薄い私だが、毎年開催される道立近代美術館の特別展だけはチェックすることにしている。
今年の特別展は尾張・名古屋に在る「徳川美術館」所蔵の数々の財宝の展覧会である。この徳川美術館の所蔵品の素晴らしさは、1616年駿府城で逝去した徳川家康の遺品を「駿府御分物」として徳川御三家に分けられたものを散逸させることなく、今日まで維持管理してきた貴重な品々を展示している点にある。
私はこの機会により深く展覧会を味わいたいと思い、石狩市民カレッジで開講された「さっぽろアート散歩」を受講して、展覧会を担当学芸員からのレクチャーを伺ってから展覧会を観ようと計画した。
7月8日(火)花川北コミュニティセンターで講義が行われた。道立近代美術館の土岐美由紀学芸員によると、「徳川美術館」の館外展は江戸東京博物館、国立九州博物館に続いて国内3ヵ所目ということだった。前記二つの博物館比べ、施設の古い道立近代美術館(設立25年になるという)は展示に苦労するという裏話も聞かされた。またこの種の展覧会開催のためには準備期間に2~3年を要しているとも話していた。
今回展示されるのは約230点ということだが、その中に4点の国宝が含まれているということだ。その中の「源氏物語絵巻」については、19代当主徳川義親の英断によって、絵巻物を場面ごとに切り離し、ケースに入れて公開に耐えうるものとして一般公開をしたという。
※ 7/21までしか展示されない国宝「源氏物語絵巻」 竹河(一)です。
そうしたレクチャーを受けた後、7月15日(火)、石狩市民カレッジの受講者たちと一緒に「徳川美術館展」を観賞した。
ところがこれが前述したように大変だった。押しかけたたくさんの観覧者が一つ一つの展示を丁寧に観ようとするあまり、観覧者の列が遅々として前に進まないのだ。
入場者の数そのものは過去の特別展と比較したとき、もっと混雑した特別展もあったと記憶しているが、これほど前に進まない展覧会は記憶がなかった。やはり観覧者にとっても徳川家康の遺品ということで関心が高いということかもしれない。家康の威光恐るべし!といった感じである。
展覧会は、第一章「尚武」、第二章「清雅」、第三章「教養」、そして「至宝」とテーマ別に展示されていたが、第一章「尚武」を観終えた時点で入場から1時間が過ぎていて、とても全てを丁寧に観ることが不可能になっていた。
第二章から私は列から離れ、列に並ぶ人たちの肩越しに遺品を観るという形になった。こうなると深く味わうということは不可能だった。
集合時間までの1時間45分を慌ただしく見て回って、私の「徳川美術館展」は終わった。
※ 最初に展示されていた徳川家康画像(東照宮大権現像)です。
さて、そんな中で丁寧に観ることができたのは「尚武」のコーナーだった。そこでの雑駁な感想だが、武具刀剣類が単なる武器としてではなく、そこに施された装飾の素晴らしさが印象に残った。特に徳川家の家紋である葵の印はあらゆる武具に記されており、さすがに将軍家の武具という印象だった。一方で、生きるか死ぬかという戦いの武具にそこまで装飾を施す意味があるのかという率直な疑問も覚えた。
また、国宝である「源氏物語絵巻」を広く公開するためにと、絵巻物を切り離すという英断をした徳川義親の凄さにも驚くばかりだ。その義親の英断があったからこそ、今日私たちでも「源氏物語絵巻」の実物を目にすることができたわけである。絵の特徴である「引目鉤鼻」もしっかり確認することができた。
これから「徳川美術館展」をじっくりと観賞しようと思っておられる方は、せめて3時間、できれば一日いっぱいかけるつもりで訪れられることをお勧めします。
美術にはまるで疎く、関心も薄い私だが、毎年開催される道立近代美術館の特別展だけはチェックすることにしている。
今年の特別展は尾張・名古屋に在る「徳川美術館」所蔵の数々の財宝の展覧会である。この徳川美術館の所蔵品の素晴らしさは、1616年駿府城で逝去した徳川家康の遺品を「駿府御分物」として徳川御三家に分けられたものを散逸させることなく、今日まで維持管理してきた貴重な品々を展示している点にある。
私はこの機会により深く展覧会を味わいたいと思い、石狩市民カレッジで開講された「さっぽろアート散歩」を受講して、展覧会を担当学芸員からのレクチャーを伺ってから展覧会を観ようと計画した。
7月8日(火)花川北コミュニティセンターで講義が行われた。道立近代美術館の土岐美由紀学芸員によると、「徳川美術館」の館外展は江戸東京博物館、国立九州博物館に続いて国内3ヵ所目ということだった。前記二つの博物館比べ、施設の古い道立近代美術館(設立25年になるという)は展示に苦労するという裏話も聞かされた。またこの種の展覧会開催のためには準備期間に2~3年を要しているとも話していた。
今回展示されるのは約230点ということだが、その中に4点の国宝が含まれているということだ。その中の「源氏物語絵巻」については、19代当主徳川義親の英断によって、絵巻物を場面ごとに切り離し、ケースに入れて公開に耐えうるものとして一般公開をしたという。
※ 7/21までしか展示されない国宝「源氏物語絵巻」 竹河(一)です。
そうしたレクチャーを受けた後、7月15日(火)、石狩市民カレッジの受講者たちと一緒に「徳川美術館展」を観賞した。
ところがこれが前述したように大変だった。押しかけたたくさんの観覧者が一つ一つの展示を丁寧に観ようとするあまり、観覧者の列が遅々として前に進まないのだ。
入場者の数そのものは過去の特別展と比較したとき、もっと混雑した特別展もあったと記憶しているが、これほど前に進まない展覧会は記憶がなかった。やはり観覧者にとっても徳川家康の遺品ということで関心が高いということかもしれない。家康の威光恐るべし!といった感じである。
展覧会は、第一章「尚武」、第二章「清雅」、第三章「教養」、そして「至宝」とテーマ別に展示されていたが、第一章「尚武」を観終えた時点で入場から1時間が過ぎていて、とても全てを丁寧に観ることが不可能になっていた。
第二章から私は列から離れ、列に並ぶ人たちの肩越しに遺品を観るという形になった。こうなると深く味わうということは不可能だった。
集合時間までの1時間45分を慌ただしく見て回って、私の「徳川美術館展」は終わった。
※ 最初に展示されていた徳川家康画像(東照宮大権現像)です。
さて、そんな中で丁寧に観ることができたのは「尚武」のコーナーだった。そこでの雑駁な感想だが、武具刀剣類が単なる武器としてではなく、そこに施された装飾の素晴らしさが印象に残った。特に徳川家の家紋である葵の印はあらゆる武具に記されており、さすがに将軍家の武具という印象だった。一方で、生きるか死ぬかという戦いの武具にそこまで装飾を施す意味があるのかという率直な疑問も覚えた。
また、国宝である「源氏物語絵巻」を広く公開するためにと、絵巻物を切り離すという英断をした徳川義親の凄さにも驚くばかりだ。その義親の英断があったからこそ、今日私たちでも「源氏物語絵巻」の実物を目にすることができたわけである。絵の特徴である「引目鉤鼻」もしっかり確認することができた。
これから「徳川美術館展」をじっくりと観賞しようと思っておられる方は、せめて3時間、できれば一日いっぱいかけるつもりで訪れられることをお勧めします。