仙台市青葉区霊屋下にある仙台藩の初代の伊達政宗公のお墓である瑞鳳殿に行って来ました。
仙台藩の基礎を築いた伊達政宗は、青葉山につながる小高い丘にある瑞鳳殿(ずいほうでん)という“お墓”に祀られています。
広瀬川が大きく蛇行する所に、“霊屋下”(おたまやした)という地名の場所があります(瑞鳳殿という“お墓”をつくってから地名が変えられたようです)。ここから、かなりきつい坂を上ります。
下側にある瑞鳳寺を過ぎると、かなり育ったスギ(杉)の大木が続く、うっそうとした森の中に入ります。瑞鳳殿近くの急な坂は、参拝者に試練を与えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/24/5c11fdfcf9326306926b09fcd9d11afc.jpg)
瑞鳳殿の入り口の涅槃門(ねはんもん)です。この門の名前はすごいです。この建物は青森のヒバ製だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/12/b6bdd0cba5df784684d9518956387b20.jpg)
涅槃門を抜けて、さらに急な石の階段を少し上ると瑞鳳殿にでます。ちょうど、ヤエザクラ(八重桜)の花が満開です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/25/6f732c64e500c1983a122387c3eefd42.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/44/b96cbec77850707cd08eb0249722d9e6.jpg)
瑞鳳殿です。寛永13年(1636年)に70歳で生涯を終えた伊達政宗の命により、翌年に瑞鳳殿が建てられ、祀られたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/85/3975dcbad242d0918c120a28e585e68f.jpg)
この瑞鳳殿は、江戸初期の桃山文化を取り込んだ廟建築(びょうけんちく)で、豪華絢爛な色彩です。
実物は、昭和20年(1945年)の空襲で焼失したのだそうです。現在の建物などは昭和54年(1979年)に再建されたものです。
瑞鳳殿から少し離れたところに祀られている仙台藩二代目藩主の伊達忠宗(だてただむね)を祀る感仙殿(かんせんでん)です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/ad/8c276d03e43383f348c83daa758e7cc4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/cd/2efc6a0cfe463db73c771184de97dcbf.jpg)
この感仙殿の周囲も、大きく育った杉木立です。
その隣には、仙台藩三代目藩主の伊達綱宗(だてつなむね)を祀る善応殿(ぜんのうでん)が立っています。
仙台藩四代目藩主以降は、普通のお墓として祀られています。
瑞鳳殿、感仙殿、善応殿の桃山様式の絢爛豪華な装飾は再建時に復元されたものです。
元々は現在の米沢市から東北南部の宮城県周辺を平定した伊達家は、ここにルーツを示すお墓として、瑞鳳殿を築きます。
当時の伊達家・仙台藩の繁栄を示す建物です。そして現在は、仙台市の重要な観光名所になっています。
仙台藩の基礎を築いた伊達政宗は、青葉山につながる小高い丘にある瑞鳳殿(ずいほうでん)という“お墓”に祀られています。
広瀬川が大きく蛇行する所に、“霊屋下”(おたまやした)という地名の場所があります(瑞鳳殿という“お墓”をつくってから地名が変えられたようです)。ここから、かなりきつい坂を上ります。
下側にある瑞鳳寺を過ぎると、かなり育ったスギ(杉)の大木が続く、うっそうとした森の中に入ります。瑞鳳殿近くの急な坂は、参拝者に試練を与えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/24/5c11fdfcf9326306926b09fcd9d11afc.jpg)
瑞鳳殿の入り口の涅槃門(ねはんもん)です。この門の名前はすごいです。この建物は青森のヒバ製だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/12/b6bdd0cba5df784684d9518956387b20.jpg)
涅槃門を抜けて、さらに急な石の階段を少し上ると瑞鳳殿にでます。ちょうど、ヤエザクラ(八重桜)の花が満開です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/25/6f732c64e500c1983a122387c3eefd42.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/44/b96cbec77850707cd08eb0249722d9e6.jpg)
瑞鳳殿です。寛永13年(1636年)に70歳で生涯を終えた伊達政宗の命により、翌年に瑞鳳殿が建てられ、祀られたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/85/3975dcbad242d0918c120a28e585e68f.jpg)
この瑞鳳殿は、江戸初期の桃山文化を取り込んだ廟建築(びょうけんちく)で、豪華絢爛な色彩です。
実物は、昭和20年(1945年)の空襲で焼失したのだそうです。現在の建物などは昭和54年(1979年)に再建されたものです。
瑞鳳殿から少し離れたところに祀られている仙台藩二代目藩主の伊達忠宗(だてただむね)を祀る感仙殿(かんせんでん)です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/ad/8c276d03e43383f348c83daa758e7cc4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/cd/2efc6a0cfe463db73c771184de97dcbf.jpg)
この感仙殿の周囲も、大きく育った杉木立です。
その隣には、仙台藩三代目藩主の伊達綱宗(だてつなむね)を祀る善応殿(ぜんのうでん)が立っています。
仙台藩四代目藩主以降は、普通のお墓として祀られています。
瑞鳳殿、感仙殿、善応殿の桃山様式の絢爛豪華な装飾は再建時に復元されたものです。
元々は現在の米沢市から東北南部の宮城県周辺を平定した伊達家は、ここにルーツを示すお墓として、瑞鳳殿を築きます。
当時の伊達家・仙台藩の繁栄を示す建物です。そして現在は、仙台市の重要な観光名所になっています。
伊達政宗は、織田信長や豊臣秀吉などの住まいなどに用いられた桃山文化にあこがれていたように感じます。
江戸時代になって、平和な時代になり、こうした桃山建築が時間をかけてつくられたのでしょう。
現在、こうした桃山文化を再現したものは、京都や大阪にはどのぐらいあるのか知りたくなりました。
近畿ではなく、仙台という東北の地に、こうした桃山文化が継承されているとは想像もしていませんでした。
戦国時代の武将はいろいろなことを達成していますね。
大崎八幡宮といい、この瑞鳳殿といい、まさに豪壮華麗ですね。
東北にこのような立派な桃山建築があったとは、まったく知りませんでした。
桃山文化の華やかで、斬新で、きらびやかな建築物がいいですね。
宗教的建造物なのに、宗教色があまりしないのもいいです。
伊勢市に伊勢・安土桃山文化村というのがあります。
原寸大の安土城が売り物です。
残念ながら文化の香りがあまりしないのですが、テーマパークなので仕方ないですね(^^)。
コメントをいつもお寄せいただき、ありがとうございます。
伊達政宗が率いた仙台藩は、近畿から離れた東北の地にあって、織田信長や豊臣秀吉などへのあこがれがあり、かつ仙台藩をまとめる求心力として、豪華絢爛な桃山文化を用いたのではないかと想像しています。
少し遅れたところほど、先進性をいち早く取り入れ、追いつこうとします。財力があり、優秀な職人を呼び寄せる力はあったことと思います。
別の意味で、金沢の加賀藩も文化新興に集中しました。徳川家との確執を回避したのではないでしょうか。
独断と偏見の見方ですが・・
御ブログでは、きつい坂のようで、この点が心配ですが・・