熊本市中央区の小高い丘に築かれた熊本城は、サクラの花の満開を少し過ぎていました。
平日でしたが、本丸に一番近い二の丸駐車場は満車です。三の丸駐車場で車が数台出てくるのを待って、入りました。ここから壮大な石垣の間の道を上がり、二の丸広場に向かいます。疲れます。
その二の丸広場は巨木が多い広場で、たぶん熊本市民のと推定できる方々が花見の宴をあちこちで開いています(平日ですが・・)。その二の丸広場から本丸入り口に近づいた時の天守閣(天守閣と小天守閣)と宇土櫓(うとやぐら)です。一番手前が宇土櫓です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/c2/1fd9070eb81364ea4743c2eccb5724e2.jpg)
いかにも“日本のお城”という風景です。この手前に巨大なお堀があります(ここまで大きいお堀は、大阪城や名古屋城でしか見かけないものです)。
先日、NHK総合テレビで放送された「ブラタモリ」の熊本城編では、熊本城を徹底的に改築した加藤清正は「念には念を入れて」守り重視で城を築いたことを、二の丸広場を通過するために歩く距離で感じます。熊本城を攻める兵隊は、かなりの距離を紆余曲折しながら進みます。
頬当御門(ほほあてごもん)から、巨大なお堀を渡って、天守閣・本丸御殿大広間(ほんまるごてんおおひろま)ゾーンに向かいます。
頬当御門を入る際に見えたサクラの花です。かなり散っています。奧に見えるのは、宇土櫓です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/1f/0a052c7672ec4f8fb848156f15746a55.jpg)
頬当御門を通過し、中に進むと、天守閣が横に見え始めます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/d8/2d25509ac850fa33799057e050fef777.jpg)
前回、熊本城を訪れた時は、本丸御殿大広間を再建中でした。本丸御殿大広間は2008年4月20日から公開されたそうです。
大小二つの天守閣です。その大天守閣はそびえ立つということを強く感じさせる、石垣から天守閣側面のカーブを見せつけます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/58/82ca966f238bc9933d745640603348c0.jpg)
天守閣から見える宇土櫓です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/b9/49e685a2e55633352a2550f7cc340064.jpg)
熊本城のサクラ見物は4月2日と3日の土曜・日曜日が見ごろだったそうです。いくらか残っているサクラの花です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/1e/eab1f309905b719369d2b009c3b27083.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/e1/e39eee952bd253bf3f82b52baf131d7a.jpg)
先日、放送された「ブラタモリ」の熊本城編では、熊本城を築いた(大規模に改築した)加藤清正は、九州の有力勢力の細川一族が怖くて、中世城郭を取り込みながら大改築した平山城を築きました。その加藤一族は、徳川政府による加藤氏改易によって熊本藩を追われた結果、熊本城は、その恐れた細川家の居城になってしまいます。事実上は、江戸時代の大半は熊本藩の細川家の居城でした。
ただし、明治時代初めの西南の役の際に、この天守閣は原因不明の不審火で消滅します。
平日でしたが、本丸に一番近い二の丸駐車場は満車です。三の丸駐車場で車が数台出てくるのを待って、入りました。ここから壮大な石垣の間の道を上がり、二の丸広場に向かいます。疲れます。
その二の丸広場は巨木が多い広場で、たぶん熊本市民のと推定できる方々が花見の宴をあちこちで開いています(平日ですが・・)。その二の丸広場から本丸入り口に近づいた時の天守閣(天守閣と小天守閣)と宇土櫓(うとやぐら)です。一番手前が宇土櫓です。
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いかにも“日本のお城”という風景です。この手前に巨大なお堀があります(ここまで大きいお堀は、大阪城や名古屋城でしか見かけないものです)。
先日、NHK総合テレビで放送された「ブラタモリ」の熊本城編では、熊本城を徹底的に改築した加藤清正は「念には念を入れて」守り重視で城を築いたことを、二の丸広場を通過するために歩く距離で感じます。熊本城を攻める兵隊は、かなりの距離を紆余曲折しながら進みます。
頬当御門(ほほあてごもん)から、巨大なお堀を渡って、天守閣・本丸御殿大広間(ほんまるごてんおおひろま)ゾーンに向かいます。
頬当御門を入る際に見えたサクラの花です。かなり散っています。奧に見えるのは、宇土櫓です。
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頬当御門を通過し、中に進むと、天守閣が横に見え始めます。
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前回、熊本城を訪れた時は、本丸御殿大広間を再建中でした。本丸御殿大広間は2008年4月20日から公開されたそうです。
大小二つの天守閣です。その大天守閣はそびえ立つということを強く感じさせる、石垣から天守閣側面のカーブを見せつけます。
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天守閣から見える宇土櫓です。
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熊本城のサクラ見物は4月2日と3日の土曜・日曜日が見ごろだったそうです。いくらか残っているサクラの花です。
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先日、放送された「ブラタモリ」の熊本城編では、熊本城を築いた(大規模に改築した)加藤清正は、九州の有力勢力の細川一族が怖くて、中世城郭を取り込みながら大改築した平山城を築きました。その加藤一族は、徳川政府による加藤氏改易によって熊本藩を追われた結果、熊本城は、その恐れた細川家の居城になってしまいます。事実上は、江戸時代の大半は熊本藩の細川家の居城でした。
ただし、明治時代初めの西南の役の際に、この天守閣は原因不明の不審火で消滅します。