息子のためか女の意地か?
クヌート1世大王妃 エルギフ・アーセルムスダター
990頃~1040以降/在位 (デンマーク王妃)1018~1030
(イングランド王妃)1016~1030
クヌート大王は兄ハーラル2世が嫡子を遺さず早世したので王に即位しました。
ノルウェー、スウェーデンの併合やイングランド征服を成し遂げて
北海帝国をつくりあげ、デンマークのキリスト教化を完成させた王と言われています。
エルギフは、クヌート大王のもうひとりの妃エンマ・ノルマンディと
同一視されてしまうことがよくありますが
父親は南部ノーサンブリアの伯爵アーセルムで、れっきとした別人らしいです。
エンマが古い英語でエルギフとも呼べることと
ふたりの結婚期間が(思いっきり重婚で)だぶっていたため紛らわしかったのね
アングロサクソンの年代史には、エンマと区別するため
“ エルギフ・オブ・ノーサンプトン ” と明記してあるそうです。
1013年後半、クヌートの父王スヴェン1世はイングランドを侵攻して
イングランド王になりますが、5週間で亡くなってしまいました。
ノルマンディに避難していたエセルレッド2世が帰国して1016年まで統治し
その後クヌート(カニュート)がイングランド王に即位します。
エルギフは、この1013年~16年の間にクヌートと結婚したようです。
長男ハロルドが1015年に、次男スヴェンが1016年に生まれました。
で、クヌートはエセルレッド2世の未亡人エンマと1016年に結婚しました。
エルギフと離婚したわけじゃないのよ…みんなで暮らしていたのかしら?
1030年、クヌートはスヴェンとエルギフを摂政としてノルウェーに送り
統治させることにします。
いくら息子が14歳だからとはいっても、なんだか厄介払いされたみたいじゃない?と
拗ねたせいではないでしょうけど、彼女はノルウェーでかなりきつい税金を課しました。
唄にも残っているほどです。
結局、貴族の激しい抵抗にあって1035年には撤退しました。
スヴェンは傷がもとで、立ち寄ったデンマークで亡くなってしまい
同じ頃クヌートもシャフツベリで亡くなりました。
この時、エンマの息子たちは皆イングランドにはいなくて
エルギフの息子ハロルドがイングランド王に即位しました。
イングランドに戻ったエルギフは、事実上の王様と呼ばれるようになります。
王家や血筋が変わると、とかく前任者の中傷っぽい伝記が書かれるものなので
鵜呑みにはできませんが、エルギフはエンマの息子殺しの共犯者と言われています。
エンマの次男アルフレッド宛に「イングランドにいらっしゃいよ」と招待した
エルギフの手紙が残っているんだって。
「この女の息子だけは王にしてなるものか!」という思いと
「自分の息子を王にしたい!」の思いが彼女を鬼にしたのかもしれないね。
エルギフとエンマ、どちらの女性が愛されていたのかの詳しい記述はないのですけど
やっぱり妻が何人もいるとなにかと競い合うことになるわよね。
大奥やハレム、後宮にヴェルサイユ… 男と地位を巡る争いは怖いものね…
長男ハロルドの死後亡くなっていますが、何年かは分かりません。
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 森護氏『英国王室史話』
Wikipedia英語版)
クヌート1世大王妃 エルギフ・アーセルムスダター
990頃~1040以降/在位 (デンマーク王妃)1018~1030
(イングランド王妃)1016~1030
クヌート大王は兄ハーラル2世が嫡子を遺さず早世したので王に即位しました。
ノルウェー、スウェーデンの併合やイングランド征服を成し遂げて
北海帝国をつくりあげ、デンマークのキリスト教化を完成させた王と言われています。
エルギフは、クヌート大王のもうひとりの妃エンマ・ノルマンディと
同一視されてしまうことがよくありますが
父親は南部ノーサンブリアの伯爵アーセルムで、れっきとした別人らしいです。
エンマが古い英語でエルギフとも呼べることと
ふたりの結婚期間が(思いっきり重婚で)だぶっていたため紛らわしかったのね
アングロサクソンの年代史には、エンマと区別するため
“ エルギフ・オブ・ノーサンプトン ” と明記してあるそうです。
1013年後半、クヌートの父王スヴェン1世はイングランドを侵攻して
イングランド王になりますが、5週間で亡くなってしまいました。
ノルマンディに避難していたエセルレッド2世が帰国して1016年まで統治し
その後クヌート(カニュート)がイングランド王に即位します。
エルギフは、この1013年~16年の間にクヌートと結婚したようです。
長男ハロルドが1015年に、次男スヴェンが1016年に生まれました。
で、クヌートはエセルレッド2世の未亡人エンマと1016年に結婚しました。
エルギフと離婚したわけじゃないのよ…みんなで暮らしていたのかしら?
1030年、クヌートはスヴェンとエルギフを摂政としてノルウェーに送り
統治させることにします。
いくら息子が14歳だからとはいっても、なんだか厄介払いされたみたいじゃない?と
拗ねたせいではないでしょうけど、彼女はノルウェーでかなりきつい税金を課しました。
唄にも残っているほどです。
結局、貴族の激しい抵抗にあって1035年には撤退しました。
スヴェンは傷がもとで、立ち寄ったデンマークで亡くなってしまい
同じ頃クヌートもシャフツベリで亡くなりました。
この時、エンマの息子たちは皆イングランドにはいなくて
エルギフの息子ハロルドがイングランド王に即位しました。
イングランドに戻ったエルギフは、事実上の王様と呼ばれるようになります。
王家や血筋が変わると、とかく前任者の中傷っぽい伝記が書かれるものなので
鵜呑みにはできませんが、エルギフはエンマの息子殺しの共犯者と言われています。
エンマの次男アルフレッド宛に「イングランドにいらっしゃいよ」と招待した
エルギフの手紙が残っているんだって。
「この女の息子だけは王にしてなるものか!」という思いと
「自分の息子を王にしたい!」の思いが彼女を鬼にしたのかもしれないね。
エルギフとエンマ、どちらの女性が愛されていたのかの詳しい記述はないのですけど
やっぱり妻が何人もいるとなにかと競い合うことになるわよね。
大奥やハレム、後宮にヴェルサイユ… 男と地位を巡る争いは怖いものね…
長男ハロルドの死後亡くなっていますが、何年かは分かりません。
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 森護氏『英国王室史話』
Wikipedia英語版)
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