まりっぺのお気楽読書

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ロシア皇帝ピョートル1世愛妾 アンナ

2010-02-10 00:57:10 | 王の寵姫・愛妾
                 こちら本妻の肖像画

結婚手前までいったのに・・・
アンナ・モンス


1672~1714/愛妾 1691~1704

アンナ・モンスは、裕福なオランダ商人の娘さんでした。
ピョートル1世が若き頃、ロシアのドイツ人街を訪れた時に出会って魅惑されました。
19歳同士ですものね、たちまち恋に落ちてしまったようです

    
ピョートルはその2年ほど前にエウドキア・ヒョードロヴナと結婚していたのですけど
ずんずんアンナにのめり込んでしまったようで、夫婦仲は悪化していきました。
最初からうまくいきそうもなかったんですけどね…

アンナは公認の愛妾となって男の子がふたり生まれています。

1698年、すったもんだの末やっとピョートルがエウドキアと離婚しました。
ピョートルはアンナとの結婚を宣言し、宮廷中に通達しました。
もう結婚したも同然! アンナ至福の時です。

         
              肖像画がないのでアンナ邸の絵なんぞを…

ところがで、ございます。
なんだかずるずる結婚しないまま時が過ぎた1704年、アンナは自室で逮捕されました。
迫害を受けた人がいるっていうのが理由なんだが
さてどうでしょう?
ピョートルは1703年にエカチェリーナと出会ってますのでね…なにかありそうよね

一方歴史家の多くは、アンナが後に結婚するプロシアの外交官カイザーリングと
このころから隠れて愛し合っていたのが原因じゃないかと考えているそうです。

1711年にカイザーリングと結婚したアンナは3年ほどで亡くなりました。

ところで、アンナの兄ウィリアム・モンスはとてもハンサムな人で
エカチェリーナの個人秘書になりました。
ふたりの親密さに、ピョートルはかなりお怒りだったらしい…
さりげなく、アンナの逆襲かしら?

(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』 Wikipedia英語版)

写真やこぼればなしなどもあり読みやすい
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね



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3 コメント

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Unknown (みんと)
2010-02-15 11:28:28
をを、まさかのロシア寵姫シリーズ、
うれしいです!
アンナ・モンスは、
英国やおフランスに比べていまいち地味なロシア寵姫業界(んなもんあるか)の中では有名人ですよね!
脳みそも保管されているので、
ロシアお立ち寄りの際は是非ご覧ください。

アンナ→エカチェリーナと、
ピョートル君の女性の好みは一環しているなぁと学生時代に思ったものです。
懐かしい。
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ロシア宮廷 (まりっぺ)
2010-02-17 01:22:00
こんばんわ、みんとさん。

私もブログを始めてから愛人には気をつけているんですけど、ロシアはなかなかいませんねぇ…
名前は分ってもエピソードが見つからないんです。
もちろんロシア語は分んないし

やっぱりフランスはスゴいですよね!!
家柄なのか国民性なのか分りませんけど、ブルボン家はすごすぎる!
ヴェルサイユがおそろしい場所に思えてきます…
返信する
ロシア愛妾事情 (みんと)
2010-02-17 15:19:16
日本で名前が比較的知られているロシア皇帝の愛妾というと、
ピョートル3世のトコのエリザヴェータ・ヴォロンツォーヴァ伯爵令嬢でしょうか。
池田理代子先生の「女帝エカテリーナ」でエライ書かれ方してましたから。
けど、ホントの彼女は目立つ妹に押され気味の地味~な女性だったようですね。。。
あとニコライ2世のトコのマチルダ・グシェンスカヤさんはちょっと西欧っぽい面白さがあるかなぁと思います。
ニコライ1世と仲良しだった文豪プーシキンの嫁さんは、実際のところ愛妾になったのかなぁならなかったのかなぁ。


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