まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『黄色いアイリス』類似品でも気にしない

2010-02-14 23:39:21 | アガサ・クリスティ
THE REGATTA MYSTERY 
1939年 アガサ・クリスティ

主にクリスティの人気キャラクターが登場する9篇が収められた一冊です。
こうやって短篇で一気に読むと、探偵たちにはそれぞれ似合う事件があるんだな、と
実感できますね。
もちろん、どんな事件だって解いてしまうのでしょうけど
ミス・マープルがスパイ組織に潜入したり、ポアロがばあ様たちと井戸端会議なんて
ピンとこないもの。

他の作家にも言えますが、短篇と長・中篇で同じテーマを扱った作品てありますよね。
推理小説だと「あれ?犯人知ってるけど… 」ってことになりますが
そこはさすがのアガサ・クリスティ、ちょっと細工がしてあります。

そんな3篇をご紹介。

『バグダッド大櫃の謎(The Mystery of the Bagdad Chest)』
ポアロはある夜会で話題の殺人事件の被害者の妻ミセス・クレイトンに会いました。
彼女の夫は友人リッチ少佐の家の櫃の中で死んでいたのです。
しかし前夜少佐の家ではパーティーがあって、ミセス・クレイトンも訪ねていました。
彼女の夫は急用で来れなくなったはずだったのに…

この物語は『スペイン櫃の秘密』という題名で他の短篇集に収められています。
邦題が違っているだけだと思うでしょ? ま、そう言っても過言ではない…
でも相方はヘイスティングズからミス・レモンに代わってるし、少し長くなってます。

『黄色いアイリス(Yellow Iris)』
ポアロは切羽詰まった女性の電話でレストラン“白鳥の園”に呼び出され
目印と言われた黄色いアイリスの花瓶があるテーブルで知人を見つけます。
ポアロは皆のことを注意して見ますが、なんだか楽しそうな晩餐です。
主催者のラッセル氏がいきなり「自殺した妻のために乾杯を」と言いだしました。

こちらは『忘れられぬ死』とだいたい同じようなあらすじなんですけど
今長篇の細かいところが思い出せない…
かなり長くなっていますので別物に仕上がっている可能性がありますね。

『二度目のゴング(The Second Gong)』
晩餐の時間にとてもうるさいリッチャム・クローズ荘の滞在客は
誰もが食事の合図である二度目のゴングに遅れないように必死です。
しかしある晩、ゴングが鳴っても張本人のロシェ氏が現れません。
うろたえた客たちが書斎を開けると、ロシェ氏がピストルを握って死んでいました。

こちらは『死人の鏡』という長めの短篇と同じような内容で
食事時間にうるさい館の主人、書斎の死体、ピストルなんてところは同じです。
でもね、登場人物が微妙に違ってるので、結末も自ずと違ってまいります。
どちらかというと『死人の鏡』の方が好きかしら…

ネタ切れなんて言わないで下さいね。
同じような話しで始めてラストを変えて行く方が、もしかしたら
一から作るより難しいかもしれないですよ。
ほぼ同じ内容でも、もう一度読んでもらえるように工夫してたみたいです。
だから読んじゃいました

オールスター勢揃い!
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ロシア皇帝アレクサンドル1世愛妾 バルバラ

2010-02-14 23:20:02 | 王の寵姫・愛妾
神秘の力で皇帝を虜に・・・
クリュドネール男爵夫人 バルバラ・ユリアーネ


1764~1824/愛妾 1813~1820

バルバラはね、36歳のアレクサンドル1世と出会った時には49歳で
もうそんなに美しさは残っていなかったんですって。
しかもアレクサンドルはモテモテの男盛り…いったい何がふたりを?

バルバラは陸軍大佐の娘でリヴォニア生まれ。
彼女自身によれば、フランス語、行儀作法、縫い物を教育された一般的な女性でした。

18歳の時に16歳年上の名うての外交官クリュドネール男爵と結婚しましたが
男爵は彼女をほったらかしで、バルバラは家計が窮地に陥るほど浪費に走ります。

     

1784年に長男が生まれてちょっと人生が好転します。
ここからはしょっていくけど、まずはウィーンへ、そしてコペンハーゲンへと
外交官である夫に同行します。
療養のためモンペリエに滞在した時、若き騎兵のシャルル・ルイ・フレーヴィルに出会い
恋に落ちて、離婚しようとしたんだけど夫が同意しないので家を飛び出したと…
その後バルバラと男爵は、夫婦のまま一生会うことはありませんでした。

36歳の時、シャトーブリヤンなどのアドバイスで『ヴァレリー』を出版して
人気作家の仲間入りをします。

あ、なぜにアレクサンドル1世と出会ったか…

1804年、故郷を訪れた時に、知り合いの紳士が握手をしようとして倒れてしまい
そのまま足下で死んでしまったのを見たバルバラは、一時精神のバランスを崩して
それから、信仰といいますか神秘主義にのめり込んでいきました。
神秘な体験とか、公演とか、奉仕とかたくさんエピソードはあるのですが割愛して…

1813年、最初は懺悔をさせるためにアレクサンドルに会いました。
病気(梅毒らしい)に罹ったアレクサンドルは気落ちして
バルバラになにもかも打ち明けるとぐったりしてしまいましたが
その後は彼女と語り合い祈ったりしているうちに、どんどん神秘主義にはまりました。

パリ陥落後はバルバラにエリゼ宮を与えて入り浸り、聖書を読んだりしてたそうなんだが
ある日からだも結びついちゃったということらしいよ。

アレクサンドルはバルバラが語ることを聞いているうちに
自分がナポレオンなきあとのキリスト教帝国の救世主にならねば!と思い込んでしまい
ウィーン会議で失笑を買うハメに…
その上愛妾のマリーヤ・ナルイシキナがついて来ていたからダブルでダメージ

その後アレクサンドルはバルバラからではなくメッテルニヒから影響を受けるようになって
彼女のもとを離れていきます。
でも何かと言うと「悪魔のせい」とか「罰が下った」とか考えるようになっちゃったみたい。

アレクサンドルと別れたバルバラは相変わらず奉仕活動に精を出していました。
1824年にクリミアに設立したスイス人居住区で亡くなりました。

アレクサンドルは翌年の夏、贖罪も兼ねて皇后エリザヴェータと旅をしていました。

噂では…アレクサンドルはアルメニアのバルバラの墓を参って長い間祈りを捧げると
その後熱を出して1ヶ月後に感染症で亡くなったってことになっております。
本当だとしたらバルバラが呼んだのか…くわばらくわばら

(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
      ドーン・B・ソーヴァ『愛人百科』 Wikipedia英語版)

写真やこぼればなしなどもあり読みやすい
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