まりっぺのお気楽読書

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神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世愛妾 ビアンカ

2010-02-06 00:32:37 | 王の寵姫・愛妾
長~く愛された女性
ビアンカ・ランチア


1200~1244/愛妾 1225~1244

フリードリヒ2世は、ハプスブルク家が皇帝の定番になる以前の
ホーエンシュタウフェン家の神聖ローマ皇帝です。

ビアンカ・ランチアは、神聖ローマ皇帝と愛人としては歴代1位の長さを誇る15年
フリードリヒ2世とおつきあいがありました。

ビアンカの素性ははっきりしていないのですが
皇帝フリードリヒ・バルバロッサの騎士だったマンフレッド1世の孫説が有力です。
母親がマンフレッドの娘ビアンカか、父親が息子のボニファチオあるいはマンフレッド2世
これらのいずれからしいです。

フリードリヒ2世が二人目の妃イェルサレム女王イサベル2世と結婚するために
ビアンカが暮らしていたアリアーヌを訪れた時に出会い、恋に落ちました。
ちょっとぉ、自分の結婚式なのよぉ

         
なにしろ15年ですのでね。
今の不倫だったら「もう待てないわよ!!」って凄まれそうな長さです。
切っても切れない仲かしら? それともくされ縁て言うのかしら?
この間フリードリヒ2世はイサベル2世を亡くして三人目の妃も迎えていましたよ。

いずれにしても、ビアンカのおかげでランチア一家は皇帝に厚遇され
イタリアで高ポジション、高収入の地位を得ることができました。
ビアンカの息子マンフレーディもナポリ・シチリア王になってます。

1241年にフリードリヒ2世の三人目の妃イザベラが亡くなると
ビアンカは、シシリー王妃に与えられるはずのサンタンジェロ山の城を贈られます。
(サンタンジェロ城とは違う城でございます)

ビアンカは死の直前に、彼女の望みでフリードリヒ2世と結婚したと言われています。
子供たちの将来と、長年の罪に対する魂の救いのために結婚を望んでいたのです。
でも教会で正式に祝福してもらうことはできませんでした。

ビアンカが亡くなった年にもいくつか説があるのですが
息子が12歳で長女が結婚する直前だったという説によれば1244年が有力みたいです。

              
               仲睦まじいところが描かれてます

歴史家の意見は、ビアンカはフリードリヒ2世が愛したただひとりの女性という説と
この関係をロマンティックに評価し過ぎじゃないかという説に分かれています。
でも “ 運命の女性 ” 説の方が叙情詩的でいいじゃない?
事実が分かりゃいいってもんじゃないこともありますのよ。

(参考文献 Wikipedia英語版)
コメント (3)
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