まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

デンマーク王ヴァルデマー1世妃 ソフィア

2010-02-26 23:13:17 | デンマーク王妃
氷の微笑が似合う王妃
ヴァルデマー1世大王妃 ソフィア・アフ・ミンスク


1140頃~1198頃/在位 1157~1182

ヴァルデマー1世は騎士制度の導入や防壁の強化で国力を強めたり
貿易を奨励して港町コペンハーゲンを開いたりした王で、大王とよばれています。

大王といわれる人の王妃ですからね。
さぞや敬虔で才気あふれる人だったに違いない…肖像画も神々しいですね。
でも、ちょっと違ったみたいです

ソフィアのお母様はポーランド王女でスウェーデン王の未亡人リキサでした。
とは言っても、夫だったマグヌス・エーリクソンはデンマーク王家出身で
1年間在位しただけだし、統治したのもスウェーデン南部だけです。

父親については諸説ありますが、リューリク家の流れを汲んでいて
ミンスク一帯を治めていたフォロダルだろう…という説が有力です。

        

母親リキサがスウェーデン王スヴェルケル1世と再婚したので
スウェーデンで大きくなりました。

1154年、ソフィアは、デンマークとスウェーデンの同盟を強化するため
ヴァルデマーと婚約をします。

しかしデンマークに到着すると「若すぎるんじゃ…?」ということになりました。
(14歳かぁ、当時の政略結婚だったらべつに若すぎることないんじゃない?)
そこでブーディルという女性の手にあずけられ、17歳になってから結婚しました。

お母様も美しい人でしたが、ソフィアも非常に美しかったそうです。
でも、とても専横で残酷な性格だったと言われています。
あくまでも噂ね、 ヴァルデマーの愛人トーファを殺しちゃったらしい…
それから義理の妹キルステンをボコボコにしてしまったとも…

1182年に未亡人になったソフィアは、チューリンゲン方伯ルートヴィヒ3世から
プロポーズされて再婚することにしました。
国境まで、息子をはじめ大勢の人たちに見送らて嫁いだそうよ。
見送った人たち、寂しかったのか、いなくなるのが嬉しかったのか?

大々的に送り出されたソフィアなんですけど
8年後に離婚されてデンマークに帰って来ちゃった…
息子が王になってますから、老後は安心ですね!

でも息子の嫁はいやだったでしょうねぇ… 帰って来られても

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

物語 北欧の歴史 中央公論社


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デンマーク王エーリク3世妃 ルートガルド

2010-02-26 23:10:25 | デンマーク王妃
                 中世初期の貴婦人です

可哀想なんだかどうだか・・・
エーリク3世妃 ルートガルド・アフ・ザルツヴェデルス


生年不詳~1152頃/在位 1144~1146

ルートガルドはザルツヴェーデル辺境伯ロドルフの娘で
おじにあたるあたるフリードリヒ・フォン・ゾマーシュベルクと結婚しました。
一男一女が生まれたんですけど、なぜか離婚を強いられてしまいました。

          
その後、お兄様がルートガルドをエーリク3世に嫁がせたってことは…
ひっどーい! 王様に取り入るために離婚させたってことですか?

可哀想… と思いきや、ルートガルドは気まぐれで浪費家だったのね。
しかも夫のエーリクまで彼女の影響で無駄遣いをするようになってしまいました。

ついには浮気がバレてドイツへ追放… じゃあ最初の離婚ももしかして…

1146年にエーリク3世が亡くなると、フィンゼンブルク伯へルマンと再婚しました。
娘さんが3人生まれたそうです。
よいお母さんになっていればいいのだが…


悪評しか残ってないという・・・
スヴェン3世妃 アディール・アフ・マイセン


生年不詳~1181/在位 1152~1157

スヴェン3世は共治王で、クヌート5世、ヴァルデマー1世も
同時期に王になっていました。
中世の北欧では、この “何人も王様状態 ” がけっこう多いんですけど
争いを防ぐためらしいですよ。
でも争いは絶えないのよね… 権力を独り占めしたくなるのでしょうね。

スヴェン3世もそう考えて、1157年にふたりの共治王を謀殺しようとします。
クヌート5世は殺されましたがヴァルデマーは逃げ出しました。
その後グラーテ・ヘーデの戦いで、スヴェン3世はヴェルデマーに敗けて亡くなりました。

親類なのに…仲良くやれんものですかね

アディールは1152年にスヴェンと結婚しています。
ほとんど知られていない王妃ですが、スヴェンをドイツかぶれにして
スウェーデンの古き良き伝統を捨てさせたということで批判されました。

夫の死後バレンシュタット伯アダルベール3世と再婚しました。
ドイツに戻れて良かったね。
       


デンジャラス・ウーマンの娘とは思えない
クヌート5世妃 エリン・アフ・スヴェリエ


1130頃~没年不詳/1156~1157

スウェーデン王スヴェルケル1世王女エリンは
上記のように、夫クヌートを殺されてしまって国に帰りました。
結婚後1年目の出来事ででした。
         
その後はヴレタ修道院に入っちゃったそうでございます。
悪女のレッテルを貼られたウルフヒルドの娘(異説あり)とは思えない敬虔さね。
とはいっても、この修道院は貴族の溜まり場だったらしい…

最近よく聞くエリン夫人…あの奥さまも北欧出身じゃなかったかしら?

(参考文献 Wikipedia英語版)
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