氷の微笑が似合う王妃
ヴァルデマー1世大王妃 ソフィア・アフ・ミンスク
1140頃~1198頃/在位 1157~1182
ヴァルデマー1世は騎士制度の導入や防壁の強化で国力を強めたり
貿易を奨励して港町コペンハーゲンを開いたりした王で、大王とよばれています。
大王といわれる人の王妃ですからね。
さぞや敬虔で才気あふれる人だったに違いない…肖像画も神々しいですね。
でも、ちょっと違ったみたいです
ソフィアのお母様はポーランド王女でスウェーデン王の未亡人リキサでした。
とは言っても、夫だったマグヌス・エーリクソンはデンマーク王家出身で
1年間在位しただけだし、統治したのもスウェーデン南部だけです。
父親については諸説ありますが、リューリク家の流れを汲んでいて
ミンスク一帯を治めていたフォロダルだろう…という説が有力です。
母親リキサがスウェーデン王スヴェルケル1世と再婚したので
スウェーデンで大きくなりました。
1154年、ソフィアは、デンマークとスウェーデンの同盟を強化するため
ヴァルデマーと婚約をします。
しかしデンマークに到着すると「若すぎるんじゃ…?」ということになりました。
(14歳かぁ、当時の政略結婚だったらべつに若すぎることないんじゃない?)
そこでブーディルという女性の手にあずけられ、17歳になってから結婚しました。
お母様も美しい人でしたが、ソフィアも非常に美しかったそうです。
でも、とても専横で残酷な性格だったと言われています。
あくまでも噂ね、 ヴァルデマーの愛人トーファを殺しちゃったらしい…
それから義理の妹キルステンをボコボコにしてしまったとも…
1182年に未亡人になったソフィアは、チューリンゲン方伯ルートヴィヒ3世から
プロポーズされて再婚することにしました。
国境まで、息子をはじめ大勢の人たちに見送らて嫁いだそうよ。
見送った人たち、寂しかったのか、いなくなるのが嬉しかったのか?
大々的に送り出されたソフィアなんですけど
8年後に離婚されてデンマークに帰って来ちゃった…
息子が王になってますから、老後は安心ですね!
でも息子の嫁はいやだったでしょうねぇ… 帰って来られても
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
ヴァルデマー1世大王妃 ソフィア・アフ・ミンスク
1140頃~1198頃/在位 1157~1182
ヴァルデマー1世は騎士制度の導入や防壁の強化で国力を強めたり
貿易を奨励して港町コペンハーゲンを開いたりした王で、大王とよばれています。
大王といわれる人の王妃ですからね。
さぞや敬虔で才気あふれる人だったに違いない…肖像画も神々しいですね。
でも、ちょっと違ったみたいです
ソフィアのお母様はポーランド王女でスウェーデン王の未亡人リキサでした。
とは言っても、夫だったマグヌス・エーリクソンはデンマーク王家出身で
1年間在位しただけだし、統治したのもスウェーデン南部だけです。
父親については諸説ありますが、リューリク家の流れを汲んでいて
ミンスク一帯を治めていたフォロダルだろう…という説が有力です。
母親リキサがスウェーデン王スヴェルケル1世と再婚したので
スウェーデンで大きくなりました。
1154年、ソフィアは、デンマークとスウェーデンの同盟を強化するため
ヴァルデマーと婚約をします。
しかしデンマークに到着すると「若すぎるんじゃ…?」ということになりました。
(14歳かぁ、当時の政略結婚だったらべつに若すぎることないんじゃない?)
そこでブーディルという女性の手にあずけられ、17歳になってから結婚しました。
お母様も美しい人でしたが、ソフィアも非常に美しかったそうです。
でも、とても専横で残酷な性格だったと言われています。
あくまでも噂ね、 ヴァルデマーの愛人トーファを殺しちゃったらしい…
それから義理の妹キルステンをボコボコにしてしまったとも…
1182年に未亡人になったソフィアは、チューリンゲン方伯ルートヴィヒ3世から
プロポーズされて再婚することにしました。
国境まで、息子をはじめ大勢の人たちに見送らて嫁いだそうよ。
見送った人たち、寂しかったのか、いなくなるのが嬉しかったのか?
大々的に送り出されたソフィアなんですけど
8年後に離婚されてデンマークに帰って来ちゃった…
息子が王になってますから、老後は安心ですね!
でも息子の嫁はいやだったでしょうねぇ… 帰って来られても
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
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