まりっぺのお気楽読書

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神聖ローマ皇帝カール5世愛妾 バルバラ

2010-02-07 23:08:37 | 王の寵姫・愛妾
愛妻家が旅先で・・・
バルバラ・ブロムベルク


1527~1597/愛妾 1546

バルバラは愛妾というより一時のお相手だったのですけれども…

神聖ローマ皇帝カール5世といえば、王妃イザベル亡き後19年間を独身で過ごし
死ぬまで喪服を着続けていたという、当時にしてはめずらしい愛妻家です。
でも旅先だし、イザベルが亡くなって7年もたっているし、許してあげましょ

バルバラは一介のレーゲンスブルク市民ウォルフガングを父に
歌い手のシビラ・ローマンを母に持つ、ちょっとふしだらな娘さんでした。

1546年、カール5世が神聖ローマ帝国議会のためにレーゲンスブルクに滞在中
バルバラがお相手を務めたということです。
ですので、カール5世が町を去った後は二度と会うことはありませんでした。

       
しかし翌年バルバラは男の子を生みます。
息子はすぐに母親から引き離され、教育のためにスペインに連れて行かれました。
彼こそスペインで名を上げた軍人ドン・ファン・デ・アウストリアです。

バルバラはその後ヒエロムニス・ケーゲルという役人と結婚し(内縁の夫説もあります)
従軍した夫と共にブリュッセルへ移りました。
1569年にケーゲルが戦死し、バルバラと3人の子供は窮地に陥ります。

バルバラは、ドン・ファンからお金をもらいましょう!と思いますがうまく運ばず
「ドン・ファンは皇帝の子じゃないんだから」と言いふらし始めました。
アルバ公のとりなしでドン・ファンの異父兄フェリペ2世から年金を認められ
なんとか丸くおさまりました。

アルバ公は、バルバラのことを最初から良く思っていなかったみたいで
手紙でさんざんこきおろしています。

1576年、バルバラは息子ドン・ファンと約30年ぶりに面会します。
ドン・ファンはあまり乗り気でなかった様子…きっと金をせびられると思ったのね。
真相は分かりませんけど、この後ふたりは会うことはありませんでした。

1578年、ドン・ファンは戦場で病死しました。
フェリペ2世は、義理の母バルバラに彼女自身の館を持つ許可を与えます。
またまたしつこくせがんだか?
バルバラはカンタブリアで暮らし、70歳で亡くなりました。

たった数ヶ月の関係を最大限に利用するあたり、かなり強欲な人だったみたいね
つかまっちゃった王様がおマヌケなのか、つかまえた女性があっぱれなのか?
こういう一時の火遊びのつもりが… っていう浮気も多々ありますね。
甲斐性がある人なら問題は無いでしょうけど…

(参考文献 岩根圀和氏『物語スペインの歴史』 Wikipedia英語版)

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